ちょっとやりきれないことがいろいろあったので友達を誘って、ほんの少しだけお酒を飲んで、なんとか終電には乗り込んだんだけど。
電車で寝過ごして気がついたら京浜東北線「大森町」の駅のホームに。(←またかよ)
上り電車はすでになく亀有の家には帰れないと悟ったので、もう一本待って職場のある新子安に向かおうと思っていた。ところがくだりの京浜東北線最終電車っていうのが実は蒲田止まりであり・・・要するに蒲田で一晩明かすことになってしまった〜のだ。
安いカプセルホテルとか探せればよかったんだけど、割と高めのビジネスホテルしか発見できず。手持ちのお金もちょっと心もとない感じだったので、公園かどこかで野宿することにした。
西蒲田公園っていう多少大きめの公園を見つけた。その公園のベンチで寝ようと思ったんだけど、普通の長いベンチがなくすべて一人用の短いものしかなかったのだ。そのベンチだと大人一人が普通に座るくらいのスペースしかなく窮屈なので、横になれる場所を求めて夜の鎌田の街を放浪した。放浪している間、頭に流れていたのは映画「蒲田行進曲」(カザマモリオとかのやつね)の「キネマの天地」。たった一人で蒲田の街を行進してしまったわけなんだけど。
蒲田って実は初めて降り立ったんだけど、ラーメン屋さんが結構多い。牛丼屋とかも多い。朝まで営業の居酒屋も多い。不良サラリーマンが集う街って感じ。もちろん風俗もあり。ホントは24時間営業のファミレスとかに入ってちゃんと寝ようかと思ったんだけど、全然見つからず。結局一睡もせずにさまよい続けた。でも感じのよいショットバーとかも見つけて、ちょっとトクした気分(もちろん入らなかったけどね)。
朝の4時半にくだり方面(職場方面)の始発電車に乗って職場に向かい、会社のまん前にあるちゃんとしたベンチで1時間半ほど寝てから仕事に向かいましたよ。いや〜、今日の仕事は疲れた!!今、この日記書いてるけどハッキリ言って寝そう。
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・・・なんて書いてる間にホントに寝ちゃったので、この日記、2日がかりで書いております(汗)。夜の街を1人で寝ずに放浪するなんて、学生のとき以来だよ。それでそのまま職場に出勤なんて、「おれって意外にタフなんだなあ」とか思ったりして。
でもこの夜のことは一生忘れないだろな。いろいろな思いを抱えて一晩中、街を歩いた、この夜のことは。
数日前に「Chappie」っていう企画モノ(?)のCDをネット通販で手に入れた。その中の一曲、スピッツの草野マサムネ氏作曲の「水中メガネ」って曲が聴きたかっただけなんだけどね。詞は松本タカシ氏。コピッツのボーカルのムギさんから「いいよ〜」って話は聞いてたんだけどね。まさか、ここまでいいとは。誰かがカラオケで歌っているのを聞いたことはあるんだけど実物聴いたのは今回が初めて。もう3年も前に発表されたアルバムなんだけど。今更ながら聴いてはまっております。
「Chappie」という名のアーティストのアルバムって感じにくくられてはいるけど、実際はそれぞれの曲ごとに歌っている人が違うんだよな。アルバム全体とおして聴いて、どれもそれなりよかったけど、やっぱり「水中メガネ」は別格。好きな世界です。
♪微かな潮騒 空耳なのかな 無言の会話がきしむ音かな♪
女の子の一人称で語られている詞の世界。この詞がマサムネが作る世界のものでないというのは確かなんだけど、マサムネ作曲のメロディーと妙にマッチしていて、新鮮な刺激がある。
基本的に「別れ歌」なんだろうけど、この詞の中の二人が本当に別れたのかどうか。気になったり気にならなかったり。
松本タカシってポップス界、歌謡曲界の重鎮って感じのイメージあるんだけど、マサムネも結構歌謡曲っぽい感じの曲書けるんだね。意外や意外。
しばらくは「蒼くて涼しい水槽の部屋」でこの世界に浸るとしましょうか。
夏の甲子園大会も終わりましたですな。 今年の夏の大会は高知代表の明徳義塾の初優勝で幕を閉じました。昔、高知出身の同僚に聞いたことがあったんだけど明徳義塾って「四国のPL学園」って呼ばれているそうで、むちゃくちゃ野球をする環境に恵まれているらしく、両翼100メートルとかのグラウンド持ってるんだって。 さらに全国から優秀な野球少年が集まってくるらしく、地元高知出身の選手は少ないんだそうな。だから地元の高校野球ファンの評判はあんまり・・・って感じらしい。 でもプレイしてる本人にしてみたら、子供の頃からの夢がかなって感無量なんだろうね。練習は想像を絶する厳しさだったと推測されるだけに報われてよかったなーって思います。
ところで、夏の甲子園大会って県予選から1敗もしなかったチームが優勝するという、いわゆる勝ち抜き戦なんだけど、これまでの戦績をもとに「日本一弱いチーム」を選ぶこともできるのだよ。 普通は県予選→全国大会(甲子園)って勝ち進んでいって甲子園の決勝戦で「勝ち抜きチーム」が決まるわけなんだけど。
夏の高校野球を、甲子園の決勝戦を「初戦」とした場合の「負け抜きゲーム」と仮定したならば。
なんと日本一弱いチームが決定してしまうわけなのだよ。
甲子園決勝は、明徳義塾対智弁和歌山で明徳が勝って智弁が負けた。 これで智弁和歌山は一回負け抜き。 でも準決勝で智弁和歌山に負けた帝京のほうがさらに弱いということになる。 でもでも準々決勝で帝京に負けた尽誠学園のほうが帝京よりもさらに弱い。 ところが3回戦で尽誠学園に負けた佐久長聖高校のほうが尽誠学園よりさらに弱い・・・ってな感じでやっていくと甲子園大会で一番弱いってことになるのは京都代表の東山高校だ!
さらにHPで調べてみると京都府の予選の決勝で東山に負けたのは立命館宇治高校らしい。 その立命館宇治高校に準決勝で負けたのは峰山高校らしい・・・と負け抜きチームをどんどん調べていくと、日本一弱い高校は京都の東舞鶴高校ってことになる。 オメデトウ!東舞鶴高校!!!
・・・とまあ、こんな結果が出たわけなんだけど、それでも東舞鶴高校が明徳義塾高校に勝っちゃったりすることもあるのが高校野球なわけで。 だからテレビ見ててもおもしろいんだろうと思う。 来年もまた胸を熱くさせてほしい。次回の大会が今から楽しみ。
2002年08月13日(火) |
背番号11のデビュー戦 |
甲子園大会も盛り上がってますな(こればっか)。
今日は、自慢話をひとつ。もう18年も前の話です。
誰も知らないと思うけど、実はおれも高校のとき野球をやっていたのだ。っていっても硬式野球部が学校になくて、軟式野球部だったんだけど。いわゆる「ゴムまり」野球ね。
でもおれの高校の軟式野球部は結構な名門で、昭和25年の名古屋国体で優勝した経験もあるいわゆる「古豪」。最近ではあんまり活躍しているという話も聞かないんだけどね。
1年生で入部したときは、おれはピッチャーをやっておりました。そのときの背番号は「11」。おれは誕生日が9月11日ってこともあって「11」って結構好きな数字なのだ。でもまぁ背番号11というといわゆる「三番手」ピッチャーですな。なので高校野球では補欠なんだけど。
その年の都大会の一回戦の相手は、弱小の都立N高校だったこともあって、監督から「先発してみろ」って言われたのだ。練習試合では投げたことあったけど公式戦初先発。1年生だったから当然なんだけどね。当時のおれって、大して速くない直球と、大して曲がらないカーブと、大してスピード差も落差もないチェンジアップしかないピッチャーだったんだけど。
投げてみてビックリ。そんなおれのしょうもないピッチングに相手チームのバットがくるくると空を切る。結局、試合は7対0の7回コールド勝ちだったんだけどさ。結局相手チームに1本もヒットを打たれなかったよ。
公式戦初登板でノーヒット・ノーラン!!!(7回参考記録だけど)
昔のチームメイトと会うといつでもおれのノーヒットノーランの話になるんだけどさ。どっちかというと笑い話のネタというか、「オマエがノーヒットノーランやったなんて笑える」みたいな感じで語られることが多い。まぁ、その後のおれの野球生活は悲惨の一語に尽きる感じだったので、ムリないのだが。でもおれは密かに思っている。「オマエらにできんのかよっ?!」って、いまだにね。へっへっへ。ざまーみろっての(←性格悪)。
この華やかなデビューの後の、おれの悲惨な転落ぶりについては機会があったら、また語ります。
夏の甲子園大会も始まりましたな。
こないだ試合の中継を見てて思ったんだけど。味方の攻撃中にブラスバンドで応援歌を演奏してますよね。あれにも「流行」みたいなのがあるんだろうか。
おれが子供のときに甲子園の高校野球でかかってた応援歌って、よく「死ぬまで飲むーぞ、死ぬまで飲むーぞ、死ぬまで飲むーぞ〜〜♪」って替え歌されてしまうところの「コンバット・マーチ」が多かった気がするんだけど。 最近ではあまり聞かなくなった。
最近では爆風スランプの「ランナー」とか、タイトルわかんないけど「ドカンと一発!打ってみよう〜〜〜よ〜〜〜♪」とかって替え歌してるやつとかね。どっちもそこそこ古い曲だけど、いまだに高校野球のブラスバンドでは定番ですな。
そのほか「アッコちゃーん、アッコちゃーん、好き好き〜〜〜♪」とか山本リンダの「狙い撃ち」とかいまだに定番だけど、古すぎて今の若い人なんて原曲を知らないんじゃないかと余計な心配をしてしまったりもする。
学校ごとに名物応援歌があったりもする。今年は出場してないけどPL学園だと「ツァラトゥストラはかく語りき」とか「ドクタースランプ」とかお得意ですな。数年前に桜美林が出場してたときはG1の東のファンファーレなんか演奏してて「高校生が競馬見んのかよっ!」って思ったりしたこともあった。今年は桜美林出場してるけど、演奏するのかなあ。
…と、こんな具合に高校野球は試合そのものもモチロンだけど、それ以外にもいろいろ楽しみようがあるのですよ。この日記読んでるみなさんも、高校野球見ることがあったらブラスバンドの演奏をじっくり聴いてみたらいかがでしょう。結構、おもしろいですよー。
高校野球についてはイロイロ思い入れがあるんだけど、書き出すと際限なくなるのでまた今度書かせていただきます。興味ない人はつまんないと思うんだけど。ご勘弁を。
2002年08月10日(土) |
露天風呂、焼肉&カラオケ |
ネット友達のてっちゃんが旦那さんとお子ちゃまたちを連れて平塚に遊びに来た。
この日は小田原の鴨宮にあるスーパー銭湯にみんなで行ってきたよ。大人4人、子供4人の合計8人。大人数で行ったら楽しかったよ。露天風呂あって、流れる雲をボーっと眺めながら風呂につかってたんだけど、そのときに今年初めて「夏」を実感したよ。
その後一回家に戻ってから、「牛角」に焼肉を食べに行きました。値段も手ごろでいいね〜〜〜「牛角」。焼肉の後はカラオケに。夜の11時半頃まで大人も子供も仁義なき戦いって感じでマイク争い熾烈だったけど、8人で歌ったよ。てっちゃんの旦那さんがモノマネうまいっての初めて知った。マジで上手だったよ。特にシモンマサトとオオエセンリだな。楽しかった。あと、わが娘が意外に歌がうまいのを初めて知った。「あいのうた」は絶品だったな。ある意味、ホンモノよりうまいと思った(←言い過ぎ)。
家に帰ってきてからは、子供4人とてっちゃんの旦那は速攻ダウン。てっちゃん、おれ、嫁の3人で酒飲みながら語ったよ。嫁は先に寝ちゃったけど、てっちゃんとは朝の5時まで話してた。なかなか深い話もあって、有意義だったよ。
こんな休日も悪くないな、って思った。
戸田・板橋の花火大会を見てきました。 嫁の実家は板橋の高島平団地にあって会場にも近く、屋上に上るととっても眺めがよいのです。だからいつもこの場所から文字通りの高みの見物をします。
結婚する前の年くらいに、一回だけ花火が打ちあがる荒川の土手のあたりまで見に行ったことがあるんだけど、人がわんさか居て暑苦しかったのでそれ以後おとなしく団地の屋上から見ることにしてます。以前は毎年行ってたんだけど、今回はちょっとごぶさたして3年ぶりの参加でした。
その花火の時には嫁の友達とかその彼氏とかその家族とかがいっぱい来ます。「ちょっとこの人関係あるの?」みたいな人も来ます。今回は、「嫁の友達のお母さんの友達」という人が来てました。「嫁の友達の妹の旦那さん」とか。とにかくよくわかんない人がいっぱい来ます。
でもそういうちょっと遠い感じの人が集まってくるというのも、嫁の実家の雰囲気がいいからなんだろうなと思うわけです。「来るものは拒まず」っていう雰囲気があるというか。みんな花火が目当てだっていうのはあるんですけど、「人が集まる家」ってのはいいなと思いました。
ところで、嫁の友達で毎年この花火のときに遊びに来る人の中に歌手をやってる人がいるんですけど、ドラム界で「テカズオー」と呼ばれているス○ヌマ・コーゾー師匠とお友達なのです。この日もス○ヌマ氏からその人の携帯に電話が入ったりしてたので、師匠とお話させてもらっちゃいました。ふっふっふ。うらやましいでしょう。そんで「今度ドラムクリニックするときは声かけますよ」だって。う〜〜、超絶ドラマーなのにいい人だ〜〜〜〜(感涙)。ドラムをやってる人なら知らない人はいないほどの人だからね。ドラム・マ○ジンとかにもよく出てるし。ドラムうまい人って人間的にも尊敬できる人が多い気がするんですけど、師匠はテクも人間も超トップクラスだなと思います。
まぁ、それはさておき。
この花火大会のときだけはいつも、なんか昔にタイムスリップしたような気になります。1990年の夏に初めてここの花火を見たときに戻れるんです。毎年毎年、同じように同じ花火を見る。だって当時となにも変わらないんですから。雰囲気もなにもかも。あの頃はおれも若かったなあ、とかそーゆーしょーもないことを不思議と考えないでもすむんですよねー。この日だけは。
あと10年経ってもおれは同じ気持ちでこの花火を見上げることができるのかなあ。
実は8月1日、2日と夏休み。うちの実家の両親、子供たちと日帰りで遊びに行ってきました。レンタカー借りて。目的地は福島県いわき市小名浜。常磐道をひたすらまっすぐ。渋滞もなく無事現地到着しました。しばらく夕立みたいなスゴイ雨が降ってたけど、お昼ごはんを食べている間にいい天気になりましたよ。
その後、カモメに餌づけができるという遊覧船にのりました。小名浜港内をまわる約1時間のコース。出航後すぐに、カモメの大群が船の後を追ってきました。餌づけといっても生魚とかを与えるのではなく、「かっぱえびせん」。船の中の売店で「かっぱえびせん」を買って、子供たちとカモメに向かって投げましたよ。そのかっぱえびせんをカモメがくちばしでキャッチするわけです。キャッチできなかった「かっぱえびせん」は海の藻屑と消えます。これが結構難しかった。
子供に一人一袋ずつ「かっぱえびせん」を買い与えたんだけど、上の娘でもわずか3回しかうまくいきませんでした。下の息子などは、なんと1回のみ。結構テクニックというか、コツが要るんですな。
カモメは常に至近距離に寄っているわけではなく、船から遠ざかったりまた近づいたりします。近づいてきたところを狙って、カモメの頭の位置のやや上方に投げてやる。そうするとカモメもキャッチしやすいみたいなんですな。頭の位置より下に来た餌はほとんどキャッチできない。子供の身長ではカモメの頭上に餌を投げ上げるのはちょっとつらかったみたい。でも子供たちも楽しんでたみたいでよかったです。
そのあと「勿来(なこそ)の関」っていう史跡を見に行きましたけど、これはよくわからなかった。歴史上有名な関所で、源義家ゆかりの地だっていうんだけど、当時ここが関所だったっていう痕跡がなにも残ってなくて。古びた松の大木がいい雰囲気を醸しだしてたけど。
その後、一路東京へ。三郷のあたりで1時間くらい料金所渋滞にはまったけど、それ以外は特に渋滞もなく、無事に帰り着きましたよ。ビール飲んだら眠くなって早めに寝ちゃいました。 3日の日は、花火を見に行ってきます。
2002年08月01日(木) |
週刊誌を買ってみたぞ |
ひさびさにスパを買ってみた。なんとなく目に留まっちゃったのでね。
その中に夏バテ特集があって、なんとなく見ていたら、結構自分に思い当たるところがあってびっくりしたよ。いやー、気づいてなかったけど、おれって夏バテだったんだー。
興味深かったのは、その記事がいわゆる「冷房病」を夏バテの一類型としている点。おれも冷房弱いんすよー。汗をかきたいと思うんだけどクーラーのせいで汗が出ない。電車の中とか会社とか、頼んでもいないのにガンガンクーラーきいてるし。1ヶ月ほど前に引いた夏風邪がいまだに治りきっていないのも、きっとクーラーのせいだよなー。
それから、「夏太り」してしまう夏バテもあるんですな。「夏バテ=夏痩せ」と思い込んでた自分としては目からウロコ、鼻から牛乳(きたない)。それぞれのタイプごとに効果的な夏バテ対処法が書いてあって、結構勉強になったよ。
夏バテも対処してないでおくと秋頃になって生活習慣病(いわゆる成人病)を発症したりするらしいので、バカにできないんだって。
これを読んでいるみなさんも夏バテ注意して夏を乗り切ってくださいねー。とりあえず、キムチとかいいらしいよ。
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