2002年09月30日(月) |
今宵雨のSeptember |
胸が痛むRemember(byサザンオールスターズ)
そんな9月最後の雨の夜。
そして明日から10月。リニューアルされたワタクシ「まれ」をみなさんにお見せできればいいなと。そんなふうに前向きに。
強くしなやかに、そしてある意味テキトーに。
生きていきます。
And the beat goes on! です。
娘の小学校の運動会を見に行った。 娘は「かけっこ」で一等賞だった。男の子よりも速かったよ。さすがにおれの娘だ。おれも子供の頃は足だけは速かったのでね。 ・・・なーんて言っても、きっと誰も信用してくれないだろうけどね。ははは。
金曜の夜にTSUTAYAで文庫サイズの「マーズ」を見つけた。全3巻、あっというまに読破してしまったよ。「マーズ」っていうのは昔、少年チャンピオンに連載してた横山光輝氏のマンガで、黄金時代の少チャンを支えた名脇役って印象がある。昭和51年頃に連載してたからもう25年以上前の作品ですな。
25年ぶりに読んだ「マーズ」はおれの記憶の中のそれとまったく変わるところがなかった。最近のおれってば記憶力が衰えてきていて、よく人から怒られるんだけど、幼い頃の記憶だけはなぜか色あせていないのだよ。不思議なんだけど。
海底火山の爆発により隆起したばかりの火山島で1人の少年が発見される。その少年の名は「マーズ」といい、超人的な身体能力を備えていた。マーズが発見されるや、地球滅亡をもくろむ謎の6人の男たちが彼を仲間に引き入れようと画策するが、最終的に彼は人間の味方をすることを決意するのであった。マーズとそのパートナーである巨大ロボット「ガイアー」が死ぬと、ガイアーに搭載されている核爆弾が爆発して自動的に地球が滅亡するようにプログラムされているため、6人の敵はマーズを殺そうと動き出して・・・というストーリー。
実はマーズも6人の敵も、遥か遠い昔にある宇宙人が地球に来たとき、地球人の好戦的な性質を見抜きそれを怖れて、地球人たちがある程度の武力を保持したときに地球を滅亡させるように創られた「人造人間」だったのだ。ただマーズの場合は、眠っていた近くで起きた海底火山の爆発が原因なのか、当初の自分の使命を忘れてしまっていたため、本来目的を一にする仲間たちと戦うことになってしまったのだった。・・・まあよくあるSFと言えばそうなんだけど。
マーズは「6神体」と呼ばれる、仲間の操るロボット(見た目が結構笑えるものばかり!)を一体ずつ倒していくんだけどさ・・・ラストには衝撃の結末が待っているのだよ。このラストシーンを25年前に見たときのショックは今もおれの中にトラウマとして残っている。
最後にマーズが言う。
「ナントイウ醜イ姿ダ・・・コレガ人間カ・・・」
マンガなんだけど、なんか考えさせられる作品ですよ。
ずいぶん後になってから書いてるんだけど、この日は確か映画を見たんだった。「蝶の舌」っていうスペインの映画ね。
喘息持ちのため遅れて小学校に入学した少年。そこで少年はひとりの先生に出会い、いろいろなことを学んでいく。「蝶にも小さいけれど舌があるんだよ。こういうふうに渦巻きのような形をしているんだ」先生がそんなふうに言いながら黒板に図を書いて説明してくれて、これをきっかけに少年は昆虫に興味を持ち、先生と一緒に野山をかけまわる日々を送る。しかしそんな幸せな生活も長くは続かなかった。そのときすでにスペインは内戦という悲劇への道を歩みつつあったのである・・・というオハナシ。
主人公の少年はラストのシーンで大好きだった先生に非難の言葉を浴びせるように強要されるんだけどさ・・・なんともかわいそうだった。人間が人間の考え方を統制したり支配したりすることがどんなに悲しいことか、この映画は教えてくれている。
興味ある人は観てみるといいよ。
3連休の2日目。コピッツのボーカルのムギ氏からチケットをもらって、彼が作品を出品している東京都美術館「新制作展」に行ってきた。
新制作展に行くのは昨年に続き2回目。去年の9月、やはりムギが作品を出すというので初めて行ったのだが、新鮮な感動というか興奮というか、なにしろとてもよかったので今回も期待して行った。普段「芸術」とか「美術」なんていうものとは縁遠い生活をしているので余計に新鮮でオモシロイのだ。
ムギの作品は「SEEDS」というタイトルがつけられて、やはり昨年と同じ「スペースデザイン」のコーナーに置かれていた。彼がこの作品を通して何を表現しようとしていたのか、おれのアタマでは理解できるはずもなかったが。トンボが2匹、ツガイで羽を休めているように見えた。・・・まぁ勝手な解釈はこの辺にしておこう(笑)。不思議な感じがして、良かった。
昨年は彫刻に圧倒されたのだが、今年は絵画がよかった気がする。打ち捨てられ首がもげた鉄製の人形と、煙を吐く工場地帯が一枚の構図に収まっている絵があった。もう何も生産しない人形と、生産し続ける工場との対比。両者の間にはコンクリートの古びたゲートがあり、手前側に人形が転がっているのだが、ゲートがフレームの役割をして向こう側に広がる工場群をその間にのぞかせていた。暗く寂しい気持ちにさせる絵だったが、とても印象に残った。
その後、久しぶりに昔通ったことのあるバーに行った。訪れたのは12年ぶりであり、場所の記憶も定かでなかったがそれはちゃんと今もそこにあった。ただ、オーナーが替わってしまっていて、店の雰囲気は12年前とはだいぶ違っていたが。丸く削られた氷でラムを飲んだよ。とても美味だった。
赤羽でチェリハの友達とミニオフ会があり行ってきました。メンツは全員、知った顔だったんですけどね。
ビールとか飲んでる間はよかったんだけど、日本酒に変えたら、めっちゃ酔いがまわって途中で寝ちゃったみたいです。そんなに乱れたりはしなかったと思うんですけど。
みなさんご迷惑をおかけしました。
って、おれって何回おなじことをやるんだろう。(涙)
今日、不意に「人生の夕暮れ」ってキーワードがアタマに浮かんでさ。それで思い出したことがある。昔、おれが生命保険の営業をやっていた頃、部下である新人のオバチャンに同行してたときのこと。
当時のおれの仕事は「新米保険オバチャン」の教育係で、新人さんと一緒に営業に回って保険の契約をとるということをやってたんだけど、車で移動したりする間、結構しょーもないハナシとかをして暇をつぶしてて。そのオバチャンは当時47歳のヒトだったかな。おれも新婚の頃で「もうおれの人生、波乱万丈はないですよね〜。もう後は決められたレールの上を走っていくだけ」とかってハナシをしてたときだったと思うんだけど。その人が唐突にこんなことを言ったのさ。
「人の一生を24時間とすると、わたしはもう夕方の4時です」
一瞬意味がわからなかったんだけどね。でもちょっと考えたらすぐわかったよ。人間の寿命が一律72歳とした場合それを1日24時間に換算すると・・・オギャアとうまれた瞬間を午前零時とすると1歳ごとに20分ずつ時計は進む。3歳で深夜1時、6歳で深夜の2時・・・その人は48歳間近だったので「人生時計」に換算して16時間経過・・・ってことで夕方の4時と言ったんだろうなと。
その人は「だから主任(おれ)はまだ朝の9時前ですよ。これからいろんなことがありますよ」って言ってた。当時のおれはまだ26歳だったからね。「はは〜そうですかね」って軽く答えた記憶があるんだけど。たまに思い出すんですよ。その人の言ったこと。
こないだ34歳の誕生日を迎えたおれは、「人生、朝の11時20分」ってとこでしょうか。なんだ、まだお昼前じゃん。
そんな風に考えるとみんな「人生まだまだこれから」だと思うんですよ。この日記を読んでくれてる人は「人生まだ午前中」の人が多いと思うんだけど。先は長いですよねえ。これからなんだってできるはずなんだよね。
例えば今度32歳を迎えるアナタはようやく「人生、朝の10時40分」、24歳のアナタは「人生、朝の8時」。まだなんだってできるお年頃。おれにしたって午後の時間は、まるまる残っている。
でも逆に余裕をかましてると人生はあっという間に過ぎていく。「人生、24時間しかない」って思うとね。こう考えると、人生長いのか短いのか、よくわからなくなってくるね。
きっと、考え方次第だってその人は言いたかったんだと思う。これからの時間をどう過ごすかもおれの考え方次第。うたた寝なんてしちゃったら、もったいないよな。
コピッツのボーカルのムギからお昼過ぎにメールが来て、「東京に来てるから飲まないか?」とお誘いを受けた。子供たちが遊びに来てたんだけど夕方くらいに帰るって言うんで、子供たちを見送った後、新宿に出かけて行ったよ。
おれ以外のメンバーはコピッツのムギ、シー、コアラ、そしてしゅんの四人。いつもの新宿の和民で。しゅんはハートブレイクな出来事があったらしく最初は落ち込んでたけど、徐々にはじけてきてイイ感じだった。おれもそれなりハートブレイクだったので酒飲んではじけた。次の日仕事さえなければ記憶失くすまで飲めたのに。そこがちょっと残念だったけど。(←懲りてない)
12月29日にスピッツのコピーバンドを集めてライブが開催されるんだけど、このライブではおれとベースのホシを除いたコピッツの3人が「アコピッツ」ってバンド名で出演するのだ。アコースティック風味な演奏を披露してくれるらしい。おれのほうもいつものコピッツじゃないんだけど、そのライブでは一つヘルプでやるバンドがあって、コピッツの3人と「対決」できるのだ。いつも他のメンバーの背中を見ながらドラムを叩いてるけど、今回は彼らの演奏をオーディエンスとして見ることができるってことで、今から結構楽しみ。
そのライブに出演することが決まってから、なんかおれの中に妙なライバル心が芽生えてきてて「コピッツには負けなくない」って純粋に思ったりしている。ライバル心、なんていうとちょっと穏やかでないように聞えるかもしれないんだけど。でもそうやってメンバーと切磋琢磨できることを嬉しく思う。
9月11日はおれの誕生日でございました。34歳になりましたです。もうリッパなおっさんです。今に始まったことじゃないんですけどね。でもめでたいかどうかはともかく、節目であることには変わりはなく。それにしてもヒトの誕生日を勝手に「キューテンイチイチ」とか言ったり、「テロ記念日」みたいに言わないでほしいけどね。
去年、職場で誕生祝いをやってくれたときに抱負を語れと言われて、「今年は33ということで・・・サンザンなトシにならないようにならないようにがんばります」とか挨拶したことを覚えてるんだけど・・・がんばれなかった。
人生ってさ、このトシになって思うんだけど、白星と黒星の繰り返しでさ・・・なんか相撲とかの星取表に似てるなって。人生勝ったり負けたり。シアワセであることの実感って、白星を挙げた瞬間とか、あるいは白星先行して勝ち越してるときとかに感じられるんじゃないかなって思います。
ここまでのおれの人生、モチロンいいこともあれば悪いこともあって…白星も黒星もそれなりあったんだけど。でも白星ばかりってヒトも、あるいは黒星ばかりってヒトもいなかった気がするなあ。おれがこれまで会ってきた人たちはみんな。
「シアワセは途切れながらも続くのです」って言えちゃう人は少なくとも白星先行してるヒトなんだろね。おれはといえば、なんか微妙に黒星のほうが上回ってるような気がして・・・でもそれは気のせいで、きっとトントンなんだろね。人生「貯金ゼロ借金ゼロ」。それでいいのかもしれない。
だけど、おれはあきらめてないよ?人生の約半分、もう中日をすぎたけどさ。今からでも巻き返そうと思ってるよ。これからは黒星はつかないよ。連戦連勝で人生勝ち越そうと思ってるよ。
見てろよー。オマエもがんばれ。貴乃花。
朝起きたらもう10時だった。結構アタマ重い感じがした。前の晩はずいぶん飲んじゃったんかな。酒が弱くなったってこともあるのかな。
お昼は「水中華(みずちゅうか)」をご馳走になった。これは何かというと「冷やしラーメン」。「冷やし中華」とも違って、要は普通のラーメンの冷たい版。これは山形市内のあるラーメン屋さんが発祥で、今では全国に広がってるんだって。初めて食べた。なかなか変わってて、おいしかったよ。あと普通のいわゆる「冷やし中華」も味見させてもらったけど、ムギさんちの冷やし中華はマジうまかった。また夏に行ったときにはご馳走になろう(←あつかましい)。
午後はTレックスのビデオ見たり、ムギさんの昔の写真見たり、昼寝をしたりした。ムギさん、昔は長髪だったんですね。Charかと思いました。
夕方からお土産を探しに、近くのお土産センターみたいなとこに連れてってもらったんだけど、なんとこのセンターが5時で閉店(早!)。ジャスコにも行ったんだけど、お土産、名産品のコーナーは品数が少なかった。それで諦めて、駅に行って早めに帰りの切符を買っとこうってことになったんだけど、駅に併設されてるお土産屋さん見たら結構品数が豊富!「なんだ、最初から駅に行ってりゃよかったじゃん」って感じで。買いたいものも買えたし、メデタシメデタシ。
そんで、夜7時過ぎの新幹線で東京に向かいました。とても楽しい旅行だったなあ。こんな楽しい旅行はホント、ひさしぶりだよ。今度はコピッツのメンバー全員でお邪魔しますね!ムギさん!!(←さらにあつかましい)
突然、山形に行くことになった。
山形にはコピッツのムギさん(G、Vo)の家があるのだ。当初、この日にコピッツのミーティングをしようと予定してて、「とりあえず3人集まったらやろう」とか言ってたんだけど、結局おれとシーさん(Key)しか集まれないことになったので、強引にムギさん家に押しかけて3人でミーティングしようという無茶苦茶な計画で。
ムギさんちは東北新幹線「赤湯」駅のすぐそばにある。東京駅からつばさ号で約2時間半。2時過ぎにシーさんと東京駅から新幹線乗ったんだけど、5時前には赤湯に着いてました。
駅までムギさんに車で迎えに来てもらって、彼の家に向かう。彼の家はコギレイなラーメン屋さん(というか食堂)をやっていて、夜ご飯はラーメンをご馳走になったのだが、そのラーメンが・・・ウマイのである。ちょっと魚介風味のダシで、とても複雑な味がする。病みつきになりそうな感じ。
ラーメン食べた後は部屋に戻ってビールなど飲みながらコピッツの海の日のビデオ見たり、「北の国から」見てタナカクニエの真似をしたり、いろいろ話をしたりした。
途中から部屋を出て、ムギ父、ムギ母のところに行き、一緒にお酒を飲むことにした。ムギ父はとても楽しいヒトだった。意気投合してお酒がすすんですっかり酔っ払ってしまい、12時前には寝ちゃったよ。いい夜だった。
朝8時50分頃、大阪を出て新横浜に11時過ぎに着いた。それから会社に向かいお昼ご飯をすませて、12時半からは普通に仕事をしていたよ。
そんで、夕方から会社のオエライが来てエラソーなことをさんざん聞かされた後、そのオエライを囲んで飲み会。家に着いたのは夜の12時前だったよ。
なんか疲れた。たまらなく疲れた。。
大阪に出張してきた。
午後3時過ぎに新横浜を出てのぞみ号で新大阪へ。5時半には新大阪に到着。地下鉄に乗り換えて本町にある支社へ向かった。
大阪に来たのは6、7年ぶりなのかね。なんか懐かしい気がした。「大阪に出張に行ったらたこ焼きだけは食べて帰ろう」って思ってたんだけど、会議の後の懇親会が終わったらもう11時半で、ホテルに直行したため食べられなかった。残念。
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