まれ日記

2001年12月31日(月) スキー旅行(1)

12月31日の早朝、まだ暗いうちに嫁の実家を出発し、新潟の塩沢にスキー旅行に出発しました。メンバーはおれと嫁、子供二人、嫁父、嫁母の6人。車で出かけたんだけど、おれは前の日に関越の練馬インターから約10キロほどのところにある嫁の実家に行って前泊してたので朝は楽だったな。関越トンネルの手前からチェーン規制してたりして、結構雪が大変だった。高速を降りてから、目的地の1キロほど手前の山道でチェーンが切れてスピン!対向車が来てたらヤバかった。

昼前に着いたが、天候は吹雪!それでもせっかく来たんだからと、おれ一人今シーズンの初すべりを楽しんだ・・・というかほとんど視界はきかないし、その割には年末でほかのスキー客も多く思い切り滑るのもこわかったので、今ひとつ不完全燃焼だった。

民宿に戻って来てスキーブーツを脱ぎ、普通の靴に履き替えて階段を下りていたときのことである。事件は起きた。その瞬間のことはよく覚えていない。ただ気がつくと、おれの体は宙に舞っていた。あと4、5段ほどで階段を降りきるところだったから大した高さではない。でも宙を泳いでいた時間がめちゃめちゃ長く感じて、年明けすぐにライブがあるTOTOバンドのメンバーの顔がアタマをよぎった(本当)。そのままうつぶせの姿勢で床に倒れたときに、おれの右の拳がちょうど左わき腹の下敷きに・・・。左手に携帯電話を持っていたので受身が取れなかった。あとは悶絶するのみであった。しばらくは呼吸することもできずに、その場でのたうちまわっておりました。でも苦しみながらも、誰かこの恥ずかしいシーンを目撃してはいないだろうかと、そんなくだらないことが気になって辺りをキョロキョロ見回したりして・・・(笑)。幸い目撃者はおりませんでした。ははは。

問題の左わき腹はアザにもなっておらず、腫れてもおらず、見た感じではどうということはないです。でも咳をしたり、大きく息を吸い込んだりするとめっちゃ痛いという感じで・・・嫁その他のまわりの人には、階段から落ちたことは話したけど「ケガは大したことない」と言ってました。だってせっかくの旅行の初日に東京に強制送還されたら悲しいじゃん。だから夜も普通に大酒を飲み、紅白歌合戦を見る前には酔いつぶれて寝てしまいました。

こんな感じで最悪の一年が暮れていきました(泣)。



2001年12月29日(土) TOTOバンドの年内スタジオ打ち上げ

1月にライブのあるTOTOのコピーバンド「ト」(ぼく)の年内最後のスタジオが恵比寿であった。おれは今日も遅刻(汗)。14時からの予定を4時からと勝手に勘違いして、15分ほど余裕で遅れてしまった。途中で気づかなかったら2時間遅れになるところだった。(汗汗)やばかった。

練習もここに来て調整の遅れが目立っていたが、なんとかメドがつくところまで仕上がってきた。本番でやはり緊張したりすることを考えると、まだまだ詰めていかなければいけないが、なんとか一段落である。
2時から7時まで練習をして、その後は忘年会をやった。やはり充実した練習をした後の飲みは楽しい。ウマイ酒を飲むためにスタジオを頑張る・・・っていうと順序が逆かもしれないが、われわれの場合はこれでいいのだ。ある意味、われわれのバンドは「同窓会バンド」とも言えるかもしれないし。

多少の違いはあるけどだいたい同じ時期に、同じ大学の同じサークルで好きな音楽を夢中になってやった仲間である。単純に「同窓会やって飲みましょう」なんて言うと、誰も集まらないかもしれないが、誰かが「ライブやりましょう」なんて言うと何故か人が集まってバンドができる。みんなそれなりに忙しく、そういう機会でもないと会って飲むこともない。バンドも楽しいけど、会って音楽の話とかくだらない下ネタとか昔話をするのも楽しい。現役の大学生のときとは全然違う楽しみ方が今ならできる。トシをとるのも悪いことばかりではない。

そんな同窓会バンドであるが、ライブが近い。1月12日である。あと2週間。
興味がある人は是非足を運んでいただきたい。会場は恵比寿のギルティーである。



2001年12月28日(金) 仕事納め

会社の仕事納めで午後からは会社の中でずっと飲みであった。最後のほうはいつものように記憶を飛ばして、気がついたら家にいた(笑)。
進歩がないなあ。おれという人間は。今年はおれにとって最悪の一年だった。来年は今年の反省を活かして、すばらしい年になるようにがんばろう。
まずは酒を飲み過ぎないように。あとは夫婦仲良く・・・だな。



2001年12月27日(木) 思い出したくない最悪の一日

なので日記は書きません。
自分という人間にも嫌気がさす。



2001年12月26日(水) 金八スペシャル

バン友のコアラ氏から先週放送した「金八先生スペシャル」のビデオを借りてきたので、嫁と二人で見た。3年B組の中で「性同一性症候群」という障害を持つ女の子がいて、今回のスペシャルは主にその子の話だった。

その子は自分が男だと思って生まれてきたらしい。だから女の格好をしたりするのが自分らしくないと思っている。なので別居しているパパと久しぶりにあうときも男モノのダークスーツに身を包んで登場する(その格好のまま男子トイレにも入ってた)。仮面ライダー1号(古)がその子のお父さん役で登場するのだが(名前なんだっけ?)、娘が男の格好をしているのが気に入らない。それでダンスの途中でその子の胸を握り、「ほら、ちゃんと胸があるじゃないか」とか言う(笑)。その子はパニックを起こし「きゃあ〜〜」と悲鳴を上げて家に逃げ帰り、「この声が気に入らない」と言って自ら喉をフォークで刺してしまう・・・。

なんとも壮絶なシーンであった。てか、パパさん、アンタやりすぎだ(汗)。そんなことをしても逆効果だよっ!とか、思わずこれがドラマであることを忘れて引き込まれてしまった。次回以降の展開が楽しみである。

感動するシーンてのはもっとほかにあって、カンカンこと乾先生の奥さんが出産するところと、あとは幸作が一時退院するところだな。まじで目を真っ赤にしながら見てました。

以前はドラマ見て感動することとかって、あんまりなかったんだけど・・・。最近トシのせいか涙もろくなって・・・いかんいかん。完全にオヤジ化してるよ。



2001年12月25日(火) コピッツのスタジオ

コピッツのスタジオにほぼ1ヶ月ぶりに入りました〜〜。演奏的には何が変わったってこともないけど(てかむしろヘタになってるけど)、だいぶメンバー同士なれてきた気がする。ギターボーカルのムギ君は体調悪くて欠席だったけどね。

ライブという目標ができたので、部分練習したり同じ曲を繰り返したりすることにようやく意味が出てきました。「ライブでいい演奏をするために」コピッツは練習をする。わかりやすくてとてもよい。

でも次の練習はおれのOBバンドのライブが終わってから。コピッツのメンバーには迷惑かけるけど、もう少し待っててほしい。



2001年12月24日(月) クリスマスイヴ〜〜〜

今日は割と早めに起きて、嫁が家事などしている間に子供たちとパーティーのための買い物に行った。子供たちはこの時点ですでに嬉しそうである。
家に帰ってお昼ご飯が終わるとすぐ準備に取り掛かった。高さ50センチほどのツリーを引っ張り出して飾り付けをする。それが終わると買ってきた折り紙を帯状に切って輪を作りそれをつなげていく。それはもちろん天井から垂らすのである。(笑)小学校のときこんなふうに「お楽しみ会」の準備などしたことを懐かしく思い出した。

子供との共同作業はここまで。年に一度のクリスマスってことでおれが張り切って台所に立つ。つっても鶏のから揚げとパスタ作っただけだけどね。そんでクリスマスケーキが登場すれば完璧でしょ!ってことで我ながら満足。

嫁とはケンカ中ってことで今年のプレゼント交換はなし。付き合いはじめてからこんなことは今までなかったけど、まあしょーがないってことで。
10年以上もつきあってれば、こんなこともあるさー。



2001年12月23日(日) タイムスリップ

深夜2時頃タクシーで先輩の家に着いて、5時頃まで先輩と話をした。先輩は35際独身で、東あずまにある単身者用の公団住宅に住んでいる。おれが泊るというのは前日からわかっていたはずなのだが、掃除もしてないらしく部屋の中は相当汚ない(汗)。でもそんな雰囲気になんとなく安心した。

学生のころはよくサークル仲間とかの家に泊りに行ってよく朝まで音楽の話をしていたんだけど、最近ではそういう機会はまったくなかったので、10年くらい前にタイムスリップしたかのような錯覚が・・・。その先輩から10年ぶりに聞く話とかもあって、別に面白い話じゃないのに腹を抱えて笑ったりした。いやいや、楽しいひとときでした。

リズム隊がこういう感じで仲がいいバンドって強いと思うね。本番、がんばらにゃ〜〜〜!



2001年12月22日(土) バンド練習+個人練習

TOTOバンドの練習があって渋谷に行った。久しぶりの渋谷だったこともあり人の多さに圧倒され方向感覚を見失い、東急ハンズに行くのに間違えて道玄坂を登ってしまった(汗)。途中で気づいたが、そのせいで遅刻。メンバーの冷たい視線が痛かったっす。(泣)
それにしてもクリスマス前とはいえ、なんなんだ!あの人の多さは!!
「街に遊びに行く=渋谷」ってのは発想が貧困すぎると思いませんか?みんな、ちょっとは工夫しろってーの!!

それはさておき・・・^^;
練習はいつも使う恵比寿のスタジオではなく、渋谷の音楽館で・・・音の混ざりがいつものところに比べて悪いので、個人個人のアラが目立った練習でした。いつもの通りやっているつもりでも、合わない・・・。今まで結構いいかげんにやってたんだなと反省しました。でもライブ前にこういう形でチェックができたのはよかった・・・。
8時−11時のバンド練習が終わった後、ベースの先輩と2時間の個人練習に入りました。それで、さっきまでバンドでやってた曲をリズム隊だけで合わせてみると・・・これがバッチリ合っちゃうわけなんです。ほとんど完璧に。

やっぱりバンド全体でガーンと音出しちゃうと、リズムの部分ではどうしても各パートに引きずられてしまうんだなあ・・・と思いました。よくメンバーから、「ドラムは周りに合わせないでリズムキープしてよ」って言われるんですけど、それは無理です(汗)。それならば耳をふさぎながらやるしかない。ドラムって周りにあわせてナンボの楽器だってことを理解してほしいですよねー。
でもこういう話って、スタジオに入ってるとき、その場で言っても通じないんですよねー。ドラムという楽器に先入観を持ってる相手に対して、その場で理解してもらうことは簡単ではないです。だから、あえてそういう話はしないんだけど。

次回の練習では他のパートの人に「ドラムとベースをよく聴いて、合わせるようにしてください」とでも言うつもりです。

1時に練習終わって終電は当然ないので、その先輩の家にタクシーで行って泊めてもらうことになりました。



2001年12月21日(金) ディズニーシー

今日は朝からディズニーシーに家族で行った。嫁と子供は前の日から、うちのアパートの一回に住んでいる家族と一緒に先に行っていたので、おれが一日遅れて追いかけるような感じで。
ディズニーシーって初めて行ったんだけど、結構おもしろかった。「海」を中心としていくつかの町があってそこにいろんなアトラクションがあるって感じ。地中海をイメージしたような街並みもあれば、ジャングルに覆われた村落みたいなのもあって…普通に散策するだけでも楽しめるんじゃないかと思ったよ。
でも雨が降ったりして猛烈に寒かったので、遊びまくるという気力もだんだん萎えてきて…日が沈んだあたりで帰ろうかという話になりました。パレードも悪天候で中止っていうことだったしね。
お昼のときに「ケープコッド」っていう町でクラムチャウダーを注文したんだけど…寒かったこともあってこれが激美味かった。人魚のショーなんかも楽しかったよ。
でもひとつだけ注文をつけるとすれば…テーマになっている「海」の水がホンモノの海水でないのよ。だから潮の香りもまったくしなくってさ。ホンモノの東京湾は壁を隔ててすぐ向こう側に広がっているのにね。同じやるんだったら、そういうところまでこだわってほしいもんだ。




2001年12月20日(木) 仕事つらかった(汗)

朝までコピッツの男3人で品川で飲んでいたのだが…突然の記憶喪失に陥ってしまい気がついたら東海道線の小田原駅にいた(汗)。行き過ぎだったので東京方面に向かったが、また気を失ってしまい気がついたら東京の新橋にいた。そのあとまた横浜に戻り、会社には定時5分前に着いた。やばかった…。
その日一日はなんとなく朦朧としており、ほとんど仕事にならなかったような…(汗)。でも年末で、電話の仕事も無いので、適当にタラタラ資料作りなどして時間をつぶしていた。いや、まじで疲れた。
でも飲みが楽しかったので、ヨシとしようか。



2001年12月19日(水) コピッツミーティング

コピッツのミーティングがあった。メンバーとは東京駅の八重洲北口に8時に待ち合わせしてしばらくふらふらさまよったあと、アジアン料理店に入って閉店間際まで。
3月23日あたりにライブをやろうということになって、「どこでやろうかねえ〜」とか「対バンどうしよっかねえ〜」とか話した後、メンバー個人の音楽に関する嗜好とかの話になり、おれ個人的には大いに盛り上がっていた。
とても楽しかったので、「朝まで飲もう!」という話になり、途中で記憶がなくなりながらもチープな居酒屋で朝まで過ごした。いや〜、楽しかったっす。
コピッツというバンドに集まっているみんながスピッツを好きなんだけど、そこに至るまでにみんなそれぞれいろんな音楽を聴いていたりして、そんな話はとても興味深かった。
次のスタジオではまた一味違った演奏ができそうな気がする…。ていうか、がんばる!



2001年12月17日(月) 気分が落ち込む日

たま〜〜にだけど、とっても気分が落ち込む日がある。それもほんのささいなキッカケで落ち込んだりする。今日なんか、多分そうなんだな。

結構、浮き沈みが激しいというか・・・気性が安定しないんですよねー。B型の性質そのまんまという感じ。それはおれのドラムにも現れることがあって、いいときは自分でも信じられないくらいのいいドラムが叩けたりするんだけど、気が乗ってないときはどうしょうもなく平凡な演奏をしてしまうとか・・・。誰でも多かれ少なかれそういうことってあると思うんだけど、おれはそれが極端なんです。
そういうメンタルな部分をコントロールできない限りは、おれは初心者ドラマーの域から抜け出られないな。これがおれの致命的な弱点です・・・。

でもドラムの話は置いといても、実生活でまわりの人に迷惑かけることがあってはいけないよね。そんなことがないようにしなきゃねー・・・。



2001年12月16日(日) 発表会

午前中、子供の幼稚園でクリスマス発表会があったので出かけた。まあ、要するにお遊戯会ですな。
上の娘は来春小学校にあがるので、彼女の幼稚園でのお遊戯を見るのはこれが最後になる。彼女は劇のナレーションと、踊りをやっていた。なかなかしっかりしている。親ばかだなと思いつつも、成長した我が子の姿に改めて胸を打たれた。
下の息子は、年中さんだが言葉が若干遅れている。幼児語のオンパレードで、たまに意味不明なことを言ったりする困った息子だ。以前に幼稚園で彼が盆踊りをやっているのを見たときは、一人輪からはずれて虫取りなどをしていた(汗)。でも、そんな彼も今回は劇でしっかり自分の役割を演じていた。っていっても、「アリババと40人の盗賊」の盗賊の役で、つぼの絵を持ってしゃがんでるだけの役なんだけどね。(笑)
そして嫁は、お母さんコーラスのときにピアノの伴奏などしていた。2曲だけだったんだけどね。
3人とも、なんとなく眩しい感じがしましたよ。

夕方からはTOTOバンドの練習があり、恵比寿に練習に行った。
ぼちぼち残りの練習も回数が少なくなってきたので追い込みという感じで、エンディングを決めたり部分練習やったり・・・。だいぶマシになってきたと思うけど、まだまだヒトに聴かせるような音じゃないな。がんばらねばー!!





2001年12月15日(土) 昨今の音楽事情

昨日の日記に書いた営業の訪問先ってのは、実は音楽事務所だったんです。
見た感じは普通の民家なんだけど、玄関を上がってすぐ左のドアを開けると…そこは別世界でありました。
入るとすぐに左側にめっちゃでかいミキシング卓(っていうのか?)がデデーンと鎮座しており、その部屋の奥には二重のガラス窓の向こうに音楽スタジオがあって…ほえ〜と思っておりました。
社長が来るのを待ってる間にちょっとスタジオを覗いてみたんだけど、広さは大したことなくて…たぶん10畳くらいしかなかったと思う。社長以下、社員わずか3人の小さな事務所…。

その後、社長が来ていろいろ話をしてくれたんだけど、この事務所は歌モノはあまりやってなくておもにインストを手がけることが多いとのことでした。小さい事務所だから社長の営業力がすべて…という感じで、若い社長(多分40そこそこ)ながらがんばって仕事を取っているみたいでしたが、それでもいつ潰れてもおかしくないくらい経営は大変とのことでした。

なぜなのか聞いてみたところ、これが昨今の音楽事情が背景にあるようなんです。つまり若い人たちがCD屋に行っても流行モノしか結局は買わなかったりとか、浜崎なら浜崎で一人のミュージシャンしか聴かないとか、今はそんな風潮があって、昔のようにレコード屋の隅から必死になって一枚のレコードを見つけ出す…というような楽しみ方をする人が減ったのが一番イタイんだそうです。

社長の話を聞いていて、なんか衝撃を受けました。ぼくたちリスナーが自ら日本の音楽業界を滅ぼしつつあるんじゃないか…という思いにとらわれて。
まあ、社長が言ったのはごくごくアタリマエのことではあるんですけど、業界にいるナマの人からそういう言葉を聞くのは意外にショックだったんです。ぼくも音楽ファンの一人として。

「チャートの上位曲だから、買って聴いてみる」ってのは、ぼくは必ずしも反対はしません。そういう楽しみ方をする人もあっていいと思うんです。
でも、買って聴いてみて、それがいいのか悪いのかは自分で判断してほしいと思うわけです。「みんなが聴いてるから」とか「評論家が言いと言ってるから」とか、そういうどうでもいいことに振り回されて何となく次のシングルも買ってしまうとかっていうのは違うと思うんです。「評価は自分の耳でする」ってことですね。「趣味は音楽を聴くことです」って言ってる人たちの中にも、こういう最低のルールを守れない人っているんですよねー。

なんにせよ、日本のミュージックシーンにおける淘汰は間違った法則のもとで行われている気がしてなりません。いずれ日本のロック・ポップス界は滅びるというか、無価値なものになるんでしょうねー。本当にいい音楽をやってる、ぼくらの好きなミュージシャンたちが10年後も残ってくれていたらいいなあ。とりあえず、「売れないから」という理由で潰れてほしくはないですね。

長文のうえ、オチもなくて、ごめんなさいねー。(汗)



2001年12月14日(金) MDウォークマン危機一髪!

今日は保険の営業で、東京都大田区の久が原に行った。もう一人の営業と東横線の千鳥町駅で待ち合わせをして訪問することになっていたのだが、少し早めに待ち合わせの時間に着くように会社を出た。
待ち合わせ時間15分前に千鳥町に着いたので、当然もう一人のヤツは着いてないだろうとMDウォークマンでスピッツなど聴きながら楽勝気分で待ち合わせのホームに向かったのだが・・・。相棒はその時間にすでにそこにいた!
相棒といってもおれよりも10コも年上のベテラン営業マンである。おれとしてはヘッドホンなどして気楽にその場に現れたものだから、いきなりのことに恐縮してしまい、あわててヘッドホンをはずして「おつかれさまですっ!」って感じで、MDウォークマンのことは忘れてしまっていた。
その後、ホームのベンチに座って10分ほど打ち合わせをしたあと、訪問先に向かった。2時間も話をした後、相棒と千鳥町の駅まで戻り、そこで別れた。それぞれ反対方向の電車に乗り込んで、一人になった途端に緊張もほぐれ、スピッツを聴きたくなってカバンをさぐった。
だが・・・・・・MDウォークマンがない・・・・・・(激汗)。どこをどうやって探しても見つからない。スーツもコートもポケットというポケットはすべて探したが・・・どこにもない。。。
乗換の駅に着くや否や、NTTに電話で千鳥町駅の番号を聞いた。そしたら「千鳥町駅の番号登録はありません」との冷たい返事。「発着時間の問い合わせなどは○○駅にしてください」との能天気なアナウンスにイライラし、「あの〜〜〜忘れ物の問い合わせをしたいんですけど〜〜〜」と言ったら「いや、あの、その・・・ひとまず○○駅に電話をしていただけないでしょうか?」などと言うので、「ヒトの話聞いてるんか?自分?」と言いたくなるのを抑えて、「ハイわかりました」とその駅の電話番号を聞いた。
その○○駅に電話をすると、千鳥町駅に連絡するには内線を使うしかないとのことで、こちらの電話を保留にしたまま問い合わせをしてくれた。
そしたら・・・あったのよ!届いてたのよ!おれのMDウォークマンが遺失物係のところに!!!
「ありがとうございます〜〜〜〜」と礼を言い、すぐに千鳥町駅に戻ってMDを再度この手に取り返した。よかった〜〜〜〜〜〜。

どこのどなたか存じませんが、届けていただきありがとうございました。まるで人情紙風船なこの世の中にあって、久しぶりにヒトの良心にふれた気がいたしました。感謝感謝でございます☆・・・こんな奇跡ってあるんだねえ。(*^m^*) 

「ラッキー☆」とかって言って、持っていかれなくてホントよかったよ・・・。




2001年12月13日(木) あほ・・・

19日のコピッツの練習、キャンセルの電話入れることになってたんだけど
電話し忘れて今日になってしまったよ。結果、キャンセル料発生した。(汗)
アホだなあ・・・。

今日、一人だけ残ってたメル友に最後のメールを出したよ・・・。なんか寂しいなあ。いいヤツだったのに・・・。



2001年12月12日(水) 電話が戻った

家に帰ってきたら、自宅の電話がつながるようになっていた。
ネット三昧しようかとも思ったが、思い立ってHPの表紙にクリスマスツリーを加えてみた。めっちゃ浮いてる感じがするんですけど…(汗)。これはおれ一人の感想ではあるまい。
ドラマーとクリスマスってミスマッチだよなー。クリスマスを楽しく過ごしているドラマーの図って想像できないもんな。ははは。



2001年12月11日(火) 電話をとめられるの巻

夜、家に帰ったら、電話がとめられていた。
NTTの引き去りができなかったらしいのだ。金額はほんの数千円だったそうで、残高はあったのに何故か引き去りができなかったということらしい。
引き去りができなければ、普通は督促のはがきとかが来ると思うんだけど、それも来ずにいきなり止められてしまったようだ。
それにしても恥ずかしいなあ。一人暮らしの学生じゃあるまいし。(汗)



2001年12月10日(月) コピッツ会議

夜の11時からコピッツ初のネットミーティングが行われた。最初、チャットに集まったのだが、重くて重くて仕方がないので途中からメッセでやることになった。やはりテレホタイムに開催するというのは無謀だったか。(笑)

コピッツというのはスピッツのコピーバンドで、メンバーは全員ネットで知り合った。「バーチャルバンド」っていう言葉がピッタリくる。
バーチャルバンドがホンモノのバンドになるために足りないもの・・・今まで多すぎたのかも。メンバーだけでチャットしたというのも考えてみれば今回が初めてであった。

来週は実際に集まってのミーティングもあるし、こんな感じでコミュニケーションが取れてくるようになれば、少しはまとまりも違ってくるのかなあ。一番良いのは、メンバーが「コピッツ」というバンドに対する考え方に共通したものを持てるようになることである。コミュニケーションはあくまでそのための手段にすぎない・・・と思う。

ひとまず、来春になにかイベントをやろうということでミーティングは終了となった。あとはもうやるしかないのだぞ。メンバーの諸君!



2001年12月09日(日) 転身するか。

今日はTOTOバンドの練習があって、実家から恵比寿のスタジオに向かった。

今日は部分練習が中心で、Aメロを延々繰り返したり、キメの部分を合うまで何回もやったり、結構充実した。
体力勝負の曲なんかは結構ツライな〜〜〜。昔はそういうの得意だったんだけど。
ピッチャーで言えば、本格派から技巧派への転身の時期に来てるってことなのかな〜〜。技巧派っていうほどテクニックないけど。

そうするともう引退しかないか。ヤベエ。



2001年12月08日(土) 二日酔い

チェリハの人たちと結局、朝まで飲んでいた。ていうかおれに関して言えば、途中で酔いがまわって眠くなってしまい朝まで寝ていたというのが正確なところではあるが。(汗)

それで朝早くに新宿の飲み屋を出て家に向かったんだけど・・・。電車の中はまだよかったんだけど、駅からバスに乗ったら途中で吐き気が・・・。一つ前のバス停で降りればよかったと後悔したけど、なんとか次のバス停まで我慢して・・・。ようやくバス停に着き、バスが走り去ったところで・・・・吐きましたよ。

アタマがずきずきするし、これは間違いなく二日酔いというヤツで・・・ビールしか飲まなかったはずなのに。トシを考えないとダメっすね。ってか、もうオールってのが体力的にキツイのかも。

亀有にある実家に行くことになっていたので昼前くらいまで寝た後、車は嫁に運転してもらって、助手席のシートを倒してなんとか実家まで帰りましたよ。シート倒して横になってないと吐き気が襲ってくるのでずっとシート倒しっぱなしでした。(汗)

それでも夕方からまたオヤジと酒を飲みました。越の寒梅・・・ウマかった〜(←全然懲りてない)
そんでオヤジと昔の話とかして「懐かしいねえ〜」なんて話して。
「おまえとこうやって話するのひさしぶりだな」ってオヤジは言うんだけど・・・。
こないだもしたじゃねーか!オヤジ〜〜〜(泣)



2001年12月07日(金) 飲み

チェリハの人たちとのオフ会が新宿であった。チェリハというのは平たく言えばスピッツFC会員の溜まり場となっているHPのことで、集まる人はみんな大のスピッツファンである。この日は7名の参加だった。

おれがやっているコピッツというバンドのメンバーも一部参加していて、今回はバンドから離れて親睦を深めようと思っていたのだが・・・。結局酒が入って、イイ感じになり、その後はバンドの話一色になってしまった(汗)。

そもそもバンドのメンバーとバンド以外の話をするっていうのは難しいのかもしれないなと・・・そんなことも思ったりしました。
だけどちょっと酔っ払いすぎたな。同じ話を何回も何回もしたような記憶があるよ。オッサンの証拠だよなあ。反省しよう。



2001年12月05日(水) ママがいない日

嫁が夕方から出かけることになった。なので、おれが自宅の最寄り駅まで戻ったところで、駅まで車で来ていた嫁から子供を引き取り家に連れてかえった。
下の息子は母親が恋しいのか、こういうシチュエーションでは必ず泣く。ちょっと可哀相である(数分もすれば泣き止むのだが)。

嫁が外出し子供たちと3人で残されるようなとき、おれは必ず子供を連れてお菓子を買いに行く。「買ってやろか?」と聞くと、子供ふたりともとても嬉しそうな顔をする。それを見るのが楽しみでもあるのだ。

もちろん子供と3人で過ごすような機会というのはそんなに頻繁にあるわけではない。子供に「パパと3人でお留守番のときはお菓子を買ってもらえる」と楽しみにしてもらえれば、嫁は外出しやすくなる。そんなところも狙ってはいるのだ。嫁も家にいるばかりでは息が詰まるだろうしね。

しつけの面から言えば、これが最善の選択肢ではないと思う。が、多分他人から意見されたとしても、多分またこんなようなことがあったときは、おれは子供を連れてお菓子を買いに行くであろう。やっぱり子供の喜ぶ顔を見るのはウレシイのだ。
男親って、バカだなあ。ははは。



2001年12月04日(火) 夫婦喧嘩

今日はささいなことで嫁と気まずくなった。いや、「今日も」というべきか(苦笑)。
それにしても夫婦喧嘩ってのは、なんで起こるのかね。犬も食わないっていうけど、それは本当だと思う。昔の人はよく言ったもんだ(感心)。
まあ、おれにも悪いところはあるのかなあ。どうなんだろ。多分あると思うけど、自分ではよくわからない。こういうところが原因のひとつなのかなあ。

ふと気づいたときには
二人で食べようと思い帰りにコンビニで買ってきた肉まんが、悲しく冷えていた。



2001年12月03日(月) 最近

家でパソコンをいじると・・・あんまりよくないようなので、これからは会社で日記を書くことにしようかな。
週のアタマから残業だった・・・。最近、残業が多い。あんまり残業がないのが取り柄の職場だったのになあ。



2001年12月02日(日) TOTOバンドの練習

朝はてっちゃんに起こしてもらい(てっちゃん!感謝!!)、東京の恵比寿に練習に出かけた。TOTOバンドの3回目の練習である。

1月にライブに出る予定になっているのだが、まだ練習は3回目である。かなりヤバイという話になり、この日の練習は4時間練習であった。曲数も11曲!!多すぎるのだ〜〜

実はこのバンドは今年の初めにもライブに出ている。今回は、昨年とは全然違う曲にチャレンジしているので大変は大変なのだが、仕上げ方を全員が了解しているので意思疎通も非常にスムーズである。なのでとてもいいペースで調整が進んでいる。

次回までにまた2曲増えて、これで一応曲がひととおり揃う。コピーは大変だが、なんか充実している。がんばるぞお。



2001年12月01日(土) しわす〜〜〜

いよいよ12月ですな。12月といえば忘年会で仕事どころじゃない!!という雰囲気が大好きなんですが、今年はなんとなく落ち着きません。はやいとこ、精神的に楽になりたいよ。。。

嫁がネット仲間の忘年会に行き、夜中の2時過ぎに帰ってきた。「てっちゃん」というネット友達(女の人だよ)といっしょに。
「てっちゃん」はおれもすでに何度か会っているのだが、なかなか楽しい人である。この日も帰ってきたら飲みましょうと事前に話をしていたのだが、だいぶ飲んできたようで「もうお酒ははいらない」という雰囲気だった。今度はもっと余力を残して来てもらいたいものである。(笑)


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