TOM's Diary
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2004年05月28日(金) 電柱広告

1902年の今日、電柱広告が許可されたそうだ。
100年以上も前のことである。
電柱広告にも100年もの歴史があったと思うと感慨である。

1902年と言えば、明治35年。
八甲田山で雪中行軍中の軍隊が遭難し、早稲田大学の開校式が行われ、
北海道では日本の最低気温−41度を記録した年でもある。
昨日書いた、日本海海戦時の旗艦、戦艦三笠が竣工したのもこの年である。

当時の電柱広告はどのようなものだったのだろう。
なにしろ100年以上前のこと、現在の感覚で見ると奇抜で面白いものが
たくさん有ったに違いない。思い浮かぶのは「ハイカラさんが通る」の
世界だ。和洋折衷の洒落の利いた電柱広告を容易に思い浮かべることが
できる。

もちろん、現代も面白い電柱広告はたくさんあるようで、ぐぐってみると
いろいろなものが紹介されている。

ところで、最近は街の景観を大事にするために電柱を無くし地下ケーブルに
する動きがある。写真を撮るにはありがたい。特に高圧線は、良い景色を
見つけたと思うと必ずと言っていいほど高圧線がある。まるで良い景色には
高圧線がセットになっているかのようだ。

だが、電柱広告に100年もの歴史があると知ってしまうと、電柱を無くす
のもどうかと思ってしまう。


2004年05月27日(木) 海軍記念日

今日、5月27日。
戦前(太平洋戦争前)は海軍記念日で休日だったそうだ。

1905年5月27日13時55分
連合艦隊旗艦「三笠」はZ旗を掲げた。
東郷平八郎率いる大日本帝国海軍連合艦隊とロシア海軍のバルチック艦隊と
戦闘状態にはいった。日本海海戦(ロシア名:ツシマ海戦)である。
先頭は翌28日10時53分バルチック艦隊の降伏書の受理を持って終了した。
背水の陣で望んだ日露戦争は日本海海戦の圧勝が引き金になって勝利に終わった。

当時の日本人は大喜びだっただろう。
ヨーロッパの大国ロシアに勝ったのだ。
調子に乗るのも無理もない。
もし負けていたら日本も植民地となっていたかもしれない。
それが、ヨーロッパの大国と対等の立場になれるチャンスを得たのだ。

調子に乗った日本は中国に兵を送り、満州国まで作り上げた。
そして太平洋戦争の泥沼へ。

戦後、海軍記念日は廃止された。
敗戦国となった日本は、驚異的な経済成長を遂げて、再度世界の大国の
仲間入りを果たした。軍事力を使わず、平和的に大国の仲間入りをした。

平和的にと言えば聞こえはいい。
要は、金の力だ。
食料の自給自足も出来ず、エネルギー源である油も輸入に頼っている。
こんな国がどうして成り立っていけているのか不思議なほどだ。
金がなくなれば、日本などあっと言う間に困窮してしまう。

幸い景気は回復基調にあるようだが、この辺で真剣に日本という国の
ありかたについて考え直した方がよいのではないだろうか?

ところで海軍記念日があれば、当然陸軍記念日もある。
3月10日奉天会戦により瀋陽を占領したことを記念したものである。
東京大空襲はこの日に行われている。せっかくの記念日にケチがついた形だ。

戦前、海軍記念日や陸軍記念日があったのなら、戦後には経済記念日や
バブル記念日なんていう休日もあってはいいように思うのが不思議とない。
当然だが空軍記念日は戦前も戦後ない。
休みが増えることは大歓迎なのだが・・・


2004年05月26日(水) 平和な一日

目がさめると、とっくに家を出なければならない時間を過ぎている。
びっくりして飛び起きると、目覚ましが故障したのか?などと思いながらも
慌てて身支度を整え、家を出る。やむを得ず高速を使っての通勤に切り替える。
しかし、高速までの道も混んでいる。

いらいらしながらも、なんとか高速に乗ると、追い越し車線をゆっくり走って
いる車がいる。ったく、なにをやっているのだ。
しばらく我慢をしていると、ようやく追い越し車線のペースが上がる。
何台の車を追い抜いただろうか?高速の出口付近で走行車線の隙間を
見つけ、早めに走行車線にはいる。出口まではまだ1kmあるが、ここで
前方の車が減速をはじめる。いったいなにごとか?60km/hまで速度が
落ちる。後方の車が次々と追い越し車線へ入っていく。そのため、こちらは
追い越し車線へ出ることが出来ないまま出口まで来てしまう。
まったく・・・

会社に着くと朝から打ち合わせだ。
議論が白熱する。なかなか方針が決まらない。方針さえ決まれば
あとはさっさと仕事を片付けるだけなのだが、これが決まらなければ
仕事は進まない。いらいら感は募るばかりだ。
午後からは書類を作成しようとするが、問い合わせや連絡などの電話が
ひっきりなしに鳴り、仕事が進まない。

ようやく一日の仕事を終え、一息つく。
さすがにこの時期になると、仕事を終えても外はまだ明るい。
気持ちの良い風が窓から吹き込んできていることに気が付く。
背もたれにもたれて、お茶をすすると、ゆったりとした気分になる。

これだけで朝からのいらいらをすべて忘れてしまい、平和な一日だったと
思えてしまう。終わりよければすべて良しと言ったところか・・・

********************************
今日の日記もいつもの通りのフィクションです。
って言うか、願望と言ったほうがいいかも。
たまには夕方明るいうちに仕事をすべて終えて、まったりなんてこと
してみたい・・・


2004年05月25日(火) ルパン三世

今、あらためて見ると面白い
子供のころに面白がって見ていたのだが、
大人になっても十分面白いと思える。

近所のビデオ屋でルパン三世のファーストシリーズが
100円で借りられる。最近それを借りてきては見ている。
うろ覚えだが、非常に懐かしい。

子供のころは気が付かなかったが、
ルパンには手下がいっぱいいるようだ。
つまり巨大犯罪シンジケートの大ボスなのだ。
ルパン、次元大介、石川五右衛門の3人だけ
のように思っていたのだが、間違っていた。

子供心に不思議に思っていたのは、
盗んだものをどうしているのか?
いや、たいていは峰不二子に横取りされて
ルパンはほとんどなにも成果をあげられて
いないようだった。
ではどうやってあんなクルマを買えるのだろう?
それどころか、ご飯はどうしているのだろう?
そういえばルパンがお金を払っているところを
見た記憶が無い。
食い逃げか?

しかし巨大犯罪シンジケートのボスだとしたら
合点がいく。
ルパンシンジケートの名前で手下どもが
荒稼ぎをし、ルパンはその上納金で、半ば趣味の
ような形で盗みをしているに違いない。

ルパン三世は次元大介と幼馴染だったというのも
知らなかったことだ。

ルパンと言えば、ルパン三世と峰不二子の間に
子供がいるらしい。その名もルパンJr。
いない方がよかった気がするのだが・・・


2004年05月24日(月) S氏の一日

S氏はいつものように目覚めた。
重たい身体を引きずるようにベットから抜け出す。
毎朝のことだが、あと5分、あと5分と思いつつぎりぎりまで寝てしまう。
いつものように慌てて顔を洗い、慌てて着替えを済ませ、自転車に飛び乗る。
いつものように、いつもの信号で信号待ちをし、いつものように踏み切りで
電車が通り過ぎるのを待つ。

職場に付くと、いつものように上司にいろんな仕事を押し付けられ、
いつものように一つ一つ片付ける。
いつものように食堂でお昼ご飯を食べ、いつものようにお昼寝をし
いつものように仕事に戻る。ようやくすべての書類を片付け終わるのは
いつものように夕方になってからだ。
いつものように、自転車で家に向かい、いつものようにいつものスーパーで
買い物をする。いつものように、レジのおばちゃんに「あんたもっと
栄養のバランス考えなきゃだめよ」としかられ、いつものように自転車の
カゴに荷物を押し込み、いつもの家に帰る。

いつものように料理マシンに買い物袋を入れ、いつものように本を読みながら
料理が出来るのを待ち、いつものように出来上がった料理を食べる。
いつものように風呂に入り、いつものように趣味のロボット作りをして
(今日は昨日の「鉄腕あとむ」の残りの材料で「どらエモン」を作った。
4次元ポケットだけがうまく作れなかった。入れることは出来るのだが、
思った通りのものを出すことができないのだ。)
いつものようにベットに入りいつものように、
毎日代わり映えのしない退屈な一日が終わっていく。


2004年05月22日(土) 成果

首相が朝鮮半島から5人の拉致被害者家族を連れ帰ってきた。
よくやったと思う。

だが、「最悪の結果」だと言うような気持ちを抱いている人もいるようだ。
たしかに、被害者の立場に立ってみれば、もっと大きなものを期待していたに
違いないし、その中では最低限の成果しか上げられていないと思っても仕方ない。

最悪の結果と言うが、本当の最悪の結果としては、この5人さえ帰国がならず、
そればかりか、従来のように北朝鮮がこの問題は解決済みであり、交渉のテー
ブルにさえ付かない可能性もあったわけだ。

また、直接的に拉致問題には関係ないかもしれないが、今後北朝鮮との国交の
正常化に向けての話し合いももたれている。平壌宣言の確認が目的であったと
首相が述べたことに対し、遺憾の意を示している被害者家族もいたようだが、
これが少しでも進展すれば、拉致問題の解決にも寄与することは間違いない。

もし国交が正常化されれば日本人がいつでも北朝鮮に渡ることができることに
なるわけで、金総書記に頼らず、日本人の手による現地調査も今よりもやり
やすくなることは間違いなく、そういった面でも首相の訪朝の成果があったと
思われる。

被害者家族の言い分ももっともであり、彼らの意見を否定する気はないが、
あまり悲観的にならないでほしい。前向きにがんばってほしいと思う。

首相のやり方を批判するのもひとつの戦略だと思うが、今は政府と国民が
一致団結してこの問題に当たる方が得策だろう。このままでは国内での
溝が大きくなるばかりだ。この問題、もともとは政府が悪いわけではなく
悪いのは北朝鮮なのだ。怒りをぶつけるのは北朝鮮の方にした方がよいと
思う。
政府も、独自に行動を起こすのはいいが、もう少し被害者家族と緊密に連携を
取る努力をし、溝を浅くする工夫をしてはいかがかと思う。


2004年05月20日(木) 休日のお散歩

庭に面した部屋。
S氏は天井まで届く大きな窓のそばに置かれた、
自分専用の腰掛に座って、読書をしていた。
サイドテーブルには日本茶がいつでも煎れられるように
用意されている。
庭は土砂降りの雨が降っている。時折稲光が輝くが、
音はまったく聞こえない。しっかりと防音設計された
部屋の構造と、S氏が趣味で作ったアクティブ音響静音
装置のお陰だ。

S氏は湯飲みに手を伸ばし、いつの間にかぬるくなって
しまったお茶を一口すすった。

(お茶を煎れ直そうか。)

そう思ってS氏は本から目を上げた。

空はますます分厚い雲に覆われて、部屋の中がだいぶ暗く
なってきていた。S氏は暗がりを楽しむかのように本を
閉じて、スタンドの明かりを消した。
リモコンのスイッチを押して、アクティブ音響静音装置を
オフにして、大きな窓を開けた。そのとたんに雷鳴が部屋
にこだまする。雷鳴が止むと、静けさを強調するかのよう
に雨音だけが聞こえてくる。

雨の香りが漂ってきた。

(この雨に日ごろの疲れが洗い流されるようだ。)

いつも庭にいるはずの鳥たちが今日はどこに避難している
のだろうか、ひっそりと息を潜めるように巣に隠れているに
違いない。雨粒にはじかれてゆれる葉っぱと、雨粒以外に
動くものはまったく見当たらない。静かな休日だ。

庭に降り注ぐ雨粒をじっと眺めていると、雨粒が落ちて
くるのではなく、自分が浮かび上がっていくような気がする。
S氏は自分の体が椅子から離れ、空中を浮遊している感覚を
楽しんでいた。

(空中に浮かんだままゆっくりと外まででられないだろうか?)

S氏は椅子に座ったままの体勢で窓をすり抜ける自分を想像した。



 
 屋根のあるテラス部分で少し躊躇する。この先にでると雨で
 ビショ濡れになってしまう。せめてお腹を冷やさないように
 と考え、スーパーマンのような体勢になった。
 そっと、雨の降る庭に出る。頭に激しく冷たい雨粒が当たる。
 痛いほどの勢いに身がすくむ思いがする。しかし慣れてしまえば
 むしろ気持ちが良い。S氏はそのまま上昇してみた。
 我が家が下に一望できるほどの高さにあがった。
 
 なんとも言えない、景色だ。見慣れた我が家に見慣れた町だが
 視点が少し変わるだけでとても新鮮な感じがする。
 
 S氏はお散歩気分で、目的地も定めず近所を飛び回ってみることにした。
 毎朝S氏を見かけるとS氏にほえてくる大型犬も今日は犬小屋の
 中から目だけをのぞかせてじっとしている。S氏には気づきもしない。
 郵便配達員が雨合羽を着て郵便物が濡れないように注意を払いながら
 郵便配達をしている。たまに鬱陶しそうに空を見上げるが、また
 すぐに仕事にもどる。
 黄色い傘をさした小さな子供が赤い傘をさしたお母さんに手を
 引かれながら歩いている。時折黄色い長靴が見える。水溜りを
 見つけてはその中に入ろうとするが、お母さんに手を引っ張られて
 なかなか思いを遂げられない。お母さんが油断をしたのだろうか?
 不意に子供の手が離れ、水溜りにかけていく。傘は傾きさしている
 意味がなくなる。足元で水しぶきを上げながら、はしゃいでいる。
 お母さんが慌てて子供の手を掴んで水溜りから救出し、タオルで
 子供を拭き始めるがこんどは自分の傘を落としてしまって、あっと
 言う間に濡れてしまう。
 
 大通りが見えてきた。
 この雨の中たくさんの車が走っている。
 雨のせいでみなゆっくり走っているようだ。いや、よく見ると
 まったく動いていない。渋滞の先をみると交差点でクルマ同士の
 事故があったようだ。きっとこの激しい雨で前が良く見えなかった
 のだろう。
 パトカーが渋滞の中をなかなか進めず事故現場につけないようだ。
 助手席の窓から警官が赤い棒を出して前の車に道を開けるように
 指示をだすがなかなか思い通りに行かずイライラしているようだ。
 
 S氏は身体が冷えてきたので家に戻ることにした。
 
 庭にたどり着くと、まだ浮かんでいたい気がして、少しでも雨が
 しのげそうな木の下に移動した。
 
 そのときであった。
 目の前が明るく輝くのと同時に大きな音がして、木にひびが入った。
 どうやら目の前の木に落雷したようだ。耳がキーンと鳴って
 雨音が良く聞こえない。S氏は空中に浮いていたせいか、稲妻は
 S氏を直撃せずに命拾いした。
 
 S氏は慌てて部屋に入ると、窓を閉めてアクティブ音響静音装置を
 オンにして、タオルで身体を拭いた。




熱いお茶を煎れなおし、ゆっくりとお茶をすする。
読書を再開しようと本を手に取る。
ふと外を見ると、先ほどまでの雨がうそのように明るい日差しが
差し込み、雨に濡れた木々をキラキラと輝かせていた。
いつのまにか雷も遠ざかったようだ。
雨が止むのももう間もなくだろう。

S氏は読書を中止し、雨上がりの庭を写真に撮ろうと、カメラを
片手に雨が上がるのを待つことにした。


2004年05月19日(水) 身体

台風2号が近づいているらしい。
台風と言うのは十何号くらいから始まるくらいの感覚で
いたのだが、最近はちゃんと1号から始まっていたのだ
と納得させられることが多い。

「二百十日」と言う位で、台風がやってくるのは秋口が
普通なのではなかったか?学校でもそう習った気がする。
だから、台風は十何号から始まるくらいの感覚にもなる
のだ。
ここ数年、一桁の台風が日本にやってくることが多いと
言うのはやはり異常気象なのかもしれない。

もっとも、異常気象と言うのがどういうことなのか良く
わからない。昔から気象変動と言って、氷河期もあれば
温暖な時期もあったのだと子供のころに習った。オゾン
ホールだって長い歴史のなかでは周期的に出来たり出来
なかったりしていたかもしれない。フロンがオゾンを
破壊するのは理解できるが、多くのフロンは北半球で排
出されているはずである。それが南極のオゾンを破壊し
ている証拠はあるのだろうか?単なる気象変動の一環か
もしれない。
二酸化炭素が地球の温暖化を進めていると言うが、子供
のころから地球は今、温暖化していると本には書かれて
いた気がする。二酸化炭素を排出しなくても地球が温暖
化する周期に入っただけと言う事はないのだろうか?

いろんな疑問が次々と出てくるが、えらい人がそう言う
のなら、そうなんだろう。きっと私のようなものに難し
いことを言っても判らないので、えらい人たちが代りに、
難しいデータを計算してくれて、我々はその結論だけを
聞いているに違いない。だからそんな疑問は持たなくて
もいいのだろう。
まさか代替フロン業界が、代替フロンを普及させるため
に政府とグルになっている、あるいは自動車業界が新車
を売るために政府とグルになっているなんてことはない
に違いない。トラックの黒煙だって、トラック業界と都
知事の癒着なんて絶対にあるわけがない。
アメリカがあくまで世界平和のためにトマホークと虐待
と言う武器を行使しているのであって、決して軍需産業
の利益のために戦争をしているわけではないのと同じだ。

そんなことより、本当に台風が来るなら、明日は早めに
おうちをでないと行けないかもしれない。

気象庁のホームページを見てみる。
なるほど、衛星写真にもしっかり台風が写っている。
ちなみにニーダという名前が付けられているようだ。
ヘクトパスカルだの風速何ノットだのと、細かいことは
わからないが、「大きさ」は不明、「強さ」は「強い」と
書かれているのは、判りやすい表現でいい。

そう、強い台風らしい。どおりで、首が痛いわけだ。
追突されて依頼、お天気が下り坂だと首が痛くなる。
いわゆる「古傷がうずく」と言うやつか?

ついに私も天気予報ができる身体になってしまったようだ。


2004年05月18日(火) アメリカアメリカ

小数点はカンマかピリオドか?

日本ではあたりまえのようにピリオドが使われており、
桁の区切りは一般にカンマが使われている。
これ、実は英米式でそれ以外の国では、逆のパターンが多い。

これを統一したほうが良いのではないかという議論が
なされていたのだが、結論はどちらを使っても良いことに
なったようだ。(実は昨年の10月国際度量衡総会と言う所で
すでに決まっていた・・・いまさらながらの話題という訳だ)

実は会社の喫煙所に回覧するほどでもない切抜きなどがいくつか
置かれていて、その中にこの記事も置かれていたのだが、それを見て
一番心配していたのはソフト屋さんたちだ。
もし、小数点はカンマを使いなさいなどと言われたら、多くの
ソフトが作り直しになってしまう。(いや小数点特需で儲かったかな?)

そんなことよりも
「大丈夫、なんだかんだ言ってアメリカ式に落ち着くから。
 トマホークと虐待は怖いからねぇ」
などというジョークが洒落にならないご時世の方が心配だったりもするが・・・


2004年05月17日(月) S氏のガーデニング

S氏は庭に穴を掘っていた。
シャベルで穴を掘っていた。

朝から始めて、もう間もなくお昼になろうとしていた。
S氏はすっかり穴の中であった。

非常にやっかいな作業であった。
このくらいの深さになるといったん掘った土をバケツに入れ、いっぱいになったら
穴の外に捨てに行かねばならない。
バケツに入る土の量はたかが知れている。かと言って、あまり大きなバケツを
使うと重くて持ち上げられない。
S氏は、用意しておいたお茶とおにぎりでお昼休みを取る事にした。

お茶を飲んで一息つくと、S氏の頭はフル稼働し始めた。
土を穴の外に自動で運んでくれる装置の図面が頭の中でどんどん出来上がっていく。
バケツがいくつもぶら下がった、観覧車のようなものだ。
穴が深くなっても対応できるように伸縮自在になっている。

S氏は穴掘りそっちのけで、装置の作成を始めた。

動力源にはモーターを用いた。これは環境を考えてのことだ。
工夫をしたのは、土を載せる部分だ。常時回りつづけているとバケツを
いっぱいにするのは難しい。人間が追いつかない。そこで、バケツはシャベルで
いっぱい程度の小さなものにした。バケツはワイヤーロープに取り付けられた
フックにひっかける。装置上部の滑車までバケツが持ち上げられると、そこに
ある棒にバケツがぶつかって傾き、土がこぼれ落ちる。落ちた土はスロープを
つたって穴の脇に落ちる仕組みだ。

夕方には装置が完成した。
暗闇での作業もはかどるように照明も完備した。もちろん安全装置もばっちりだ。
節電のため、バケツに土が入っていないときには自動的に停止する機能も付けた。
もちろん、土を入れれば自動的に動き出す。S氏はさっそく装置を設置し、
動作確認を行った。結果はばっちりだ。

満足したS氏は、ふと庭の端に目をやると、暗闇の中に、今朝ご近所さんから
もらった植木がおきっぱなしになっていることに気が付いた。
S氏はそもそもこの植木を植えるために50cmほどの深さの穴を掘ろうとして
いたことを思い出し、2mほどの深さになった穴を埋め戻しはじめたのだった。


2004年05月16日(日)

休日の昼間、居間に寝ころんでぼんやりとテレビを見ている。

ここ数日、風邪だろうか?体調を崩して寝込んでいたのだが、
ようやく体調も良くなり、家でゆっくりしている分には軽い
頭痛さえ我慢すればなんていうことはない。

こんな日はノンビリテレビを見ているに限る。
ふと、窓の外から飛行機の音が響いてくる。
上空を飛行機雲が伸びていくことで、「あぁあそこに飛行機がいる
のだな」と言うのがかろうじて判るほど高いところを飛んでいる。

ハネダから西の方に向かう飛行機に乗り、右側の窓際席に座ると、
ちょうど我が家の屋根が見える。いや、正確には住宅が密集して
いて、はっきりとは判らないが、「目印の大きな交差点、そこから
路地を入って、あそこにある公園の、あの辺が我が家だ・・・」
と目で道を追っていくと判る感じだ。

実家のようにマンションならそんな手間はいらないのだが・・・
いや、実家の上はハネダへのアプローチの時に真上を飛ぶが
あのくらい低空なら、自分の車さえ見分けが付きそうなほどだ。

おそらくあの飛行機のなかからそんな風に私の方を見ている人が
いるのだろうか?あの人たちはこれからどこにいくのだろうか?
飛行機の窓が、夕日に反射してキラリと光る。

一瞬、夕日を反射してオレンジ色に飛行機が輝いた。

光の点がもう一つ、飛行機のすぐ後ろで輝く。
ん?

明らかに飛行機とは別のなにかが夕日を反射して輝いた。
飛行機の後ろに伸びる飛行機雲、その先に飛行機がいるとしたら
飛行機の斜め後ろに当たる位置だ。なにかがいるに違いない。

光の点が大きくなっていく。飛行機のものでないことはますます
あきらかになってくる。いったいなんなのだろう?

家の前ではさきほどまで近所の子供たちがお母さんと一緒に遊んでいた。
だが、まったく気が付いた様子もなく遊び続けている。
だれかに伝えなくては。

似たようなことが昔実家の近くでもあった。
ハネダへアプローチする飛行機が同じように夕日を浴びてキラキラと
輝いていた。その輝きがこぼれ落ちるように飛行機から離れていったのだ。
一緒に歩いていた家族に教えようとしたが、間に合わなかった。
飛行機が雲の中に隠れ、数秒後、分離したなにかも雲に入ってしまったのだ。

今度はだれかになんとしても見て貰いたい。幸い、空全体が薄い雲に覆われて
はいるが、光が見えなくなるほどの分厚い雲はなく、光の点はとても消えそう
にはない。それどころか、ますます明るく輝いている。

窓の外に向かってご近所の子供たちに話しかけようと身体を
起こしたその時、私は目が覚めた。

もう、5月も中旬である。強力な西日を浴びて、私は汗ばんでいた。
まだ、体調も完璧でないのだろう、嫌な夢を見たものだ。


2004年05月15日(土)

ひさしぶりに長時間寝ると夢もみる。
最近、睡眠不足で夢を見る暇もない!って感じであったが、
ひさしぶりに夢を見た気がする。

空を見上げるときれいな星空が広がっている。
ご近所の人が話しかけてくるが、あまりの星空のすばらしさに
生返事をしてしまう。
雨上がりですっきり晴れた夜空はチリもなく空気の温度差も
少なくなって、ゆらぎも少ないのだろうか?とにかく天の川
こそ見えないものの、何年かぶりでみるきれいな星空である。
まさか自宅からこのような空を見ることができるなんて。

昨夜、ふと外が気になって夜空を見上げてみる、
あの星空は・・・ありえない。あのきれいな星空を我が家の前で
みることは絶対不可能である。そもそも我が家の前で空を見上げても
建物に遮られて一度に全天を見渡すことなど出来るはずもない。
あのきれいな星空が夢だったなんて・・・


2004年05月14日(金) うどん

風邪(?)をひいて寝込む。
ほんとに寝込む。
朝、目覚めて「これはだめだ」と思い、休む旨を会社にメールを入れ
(未だ会社にはだれも来ていない時間であったため、最悪そのまま夜まで
寝てしまって電話を入れられない状態になってしまっても無断欠勤になら
ないように)ベットに戻る。

さて、案の定目覚めは夜9時頃。
それも通夜に行っていたかみさんから「これから帰る」と言う電話がなけ
ればまだ寝ていたに違いない。メールを打つために途中起きたが、ほぼ
20時間眠り続けた訳だ。元気な時でもこんなに寝たら疲れてしまうところ
だが、よく眠れたものだと、感心する。寝るにも体力が必要だ。

さすがに空腹である。
かみさんはすでに何か食べているに違いない。しかもあと2時間は帰って
こない。一人でなにか食べることにする。

このところ、手抜きうどんにはまっている。手打ちうどんではなく、手抜き
うどんだ。わずか30分で本格的なうどんが打てるというものだ。
はまっていると言っても一度しか作ったことはないのだが、ひそかなマイ
ブーム状態。手打ちうどんは作るのに体力も必要そうだが、手抜きうどんは
さすがに手抜きだけあって、作るのに体力なんて必要ない。

お腹の調子も悪いのでうどんはちょうど良いかと思う。

薄力粉と強力粉を半々に混ぜ、食塩を少し加えて、適量の水を加えて混ぜ
あわせる。60度のお湯に浸してしばらく寝かせる。一度こねた後再度寝かせる。
あとは伸ばして切るだけだ。

前回は水の量が多すぎたが、今回はちょうど良い感じだ。
問題はやはり伸ばしと切る行程だ。
麺棒がないため湯飲みで伸ばすのだがなかなか均一の厚さにならない。
そして切る段階でも、なかなか幅が一定に出来ない。
小さなまな板で伸ばしているので、何回かに分けて切るのだが、
さっきと今回で幅がどうしても違ってしまう。
4回に分けて伸ばすと、幅も4種類出来てしまうと言う感じだ。

出来上がった物は、たしかに腰があってうまいのだが、
厚さや幅がいろいろあるので腰にばらつきが出てしまう。
試しに買ってきた讃岐うどんもゆでて食べ比べてみる。
腰や味ははるかに自分で打った物の方が上なのだが、
均一に出来上がっている買ってきた物の方が食べやすさは
上である。

今週末はうどん三昧になりそうな予感だ。


2004年05月13日(木) 紅白

昨日帰りにホンダのディーラーの前を通ったところ、
新型のミニバンが展示されていた。
フロントエンド、サイドのほとんどの部分、リアエンドが
紅白の幕で覆われていて、そのシルエットも判りにくい状態
であったが、雑誌等でみかけるエリシオンそのものだった。

すでに自動車雑誌には詳細の写真なども載せられており、いまさら
隠すこともないのでないかと思うが、やはり販売店としてはそう
せざるを得ないのだろう。

さて、このミニバン、アルファードやエルグランドの対抗馬として
開発され、雑誌等でもそのように謳われている。

確かにサイズ的には、ほぼ同クラスになると思われるが、雑誌等で
見るこのクルマのデザインはアルファードやエルグランドの対抗馬
とは思えない。
特にインテリアデザインはアルファードやエルグランドを買おうと
思うようなユーザーには、あまり受け入れられない感じがする。
逆に言うと、このクラスのミニバンが欲しかったが、アルファードや
エルグランドのインテリアを好きになれなかったようなユーザーには
非常に受け入れやすいのではないかと思われる。

さすがに後発だけあって、アルファードやエルグランドを良く研究し
作られているなぁと言う印象は受ける。開発する側も多少は意識を
しているのだろうが、メインターゲットは明らかにアルファードや
エルグランドとは違う層をターゲットにしているようだ。

うまいところを付いていると思われる。
いわゆるニッチだ。
私の目から見ると(ホンダ嫌いと言う主観的な立場を忘れて出来るだけ
客観的に見たとしても)、後発にしては、あまり出来のよいクルマとは
思えないが、市場のニーズを良く研究しており案外売れそうな気がする
クルマである。ホンダらしい。


2004年05月12日(水) 変死

GW中に会社の部活を無断で休んだ部員がいた。
その部員はGW明けも出社してくることはなかった。
GW明けは2日の出勤日を挟んで週末のお休みがある。
この二日の出勤日は有給休暇を取ってお休みしている人も
多くいたが、さすがに週末の休み明けはほとんどの社員は
出社していた。
心配したその部員の同僚がアパートに様子を見に行った。

動脈瘤破裂によるくも膜下出血であった。
死亡日時は不明だそうだが、みなが楽しんでいた、そして
本人も楽しみにしていたであろうGW中、だれかに発見
されるのを一人待ち続けていたことはたやすく想像できる。
悲しい出来事だ。

私はその部員とは直接面識がないが、彼の同期の営業マンから
聞いた話だ。まさかGW中にそのようなことが身近に起こって
いたのかと思うと苦しい気持ちになる。

冥福を祈ります。


2004年05月11日(火) S氏の腕前

昨日一日がかりでエンジンをかけられるようになったS氏は
早速クルマを動かしてみることにする。

教習所には朝一番で申し込みに行ったのだが、さすがに今日は
申し込みをしただけで、なにも教わっていない。
エンジンをかけるだけで1日かかったS氏に果たしてすぐに
クルマが動かせるのだろうか。

S氏自身、若干の不安はあったが、そこはS氏のことだ、
エンジンをかけるために説明書をすみからすみまで読んでいる上に、
もともと工作好きで機械ものの構造はだいたい判っているか、
判らなくても動きから類推してなんとなく判ってしまう。
クルマだって同じで、これだけ街にありふれていれば、
その気はなくてもだいたいのことは見ていれば判る。

ギアを入れ、サイドブレーキを解除し、アクセルを踏む。
ギアは遊星ギアとトルクコンバーターを組み合わせた
トランスミッションをDレンジに入れておけば適度な
ギアレシオに自動的に切り替わる。
多少アクセルをラフに分でもトルクコンバーターが
回転数の差を吸収してくれるはずだ。

S氏はエンジンをかけてDレンジにシフトレバーをチェンジし
サイドブレーキを解除して、そっとアクセルを踏む。
クルマはゆっくりと動き出した。
「いいぞ、いいぞ」
ゆっくりとハンドルを切ってクルマを庭の方へ移動する。

S氏はあらかじめ庭に白い線を引いて置いた。
その線にそってゆっくりとゆっくりとクルマを移動させる。

さすがに初運転。
速度計の針はほとんど10km/h以下を差したままだったが
S氏は大満足だった。

S氏は白線を新たに引き直すことにした。
庭を一週するように線を引き、ぐるぐると回ろうというのだ。

S氏は庭の真ん中にクルマを停め、ドアを開けてクルマを降りた。
そのとたん、クルマはするすると動き始めた。
そう、S氏はDレンジにギアを入れたまま、サイドブレーキも引かずに
クルマを離れてしまったのだ。

クルマは無人のまま、樹齢100年の大木に激突したのだった。



2004年05月10日(月) S氏のクルマ

教習所ではじめての実技教習はAT車でコース内を回ることだった。
S氏のハンドルさばきはなかなかのものであった。
教官からも褒められるほどだった。

それもそのはずである。
S氏は自宅の庭でさんざん新車を乗り回していたのだ。

S氏はいままでクルマの運転には全く興味がなかった。
そのためエンジンのかけ方すら知らなかった。

納車された新車の運転席に座ったS氏は目の前に広がる光景に唖然とした。
見慣れた光景なのだが、なにも知らないことを思い知らされたのだ。
ハンドルを回すとクルマが曲がるくらいは判るが、メーターがなにを
意味しているのか?ハンドルの両側から出ている角がなんなのか、
さっぱり判らない。
まずはエンジンをかけようと思うのだが、それらしきスイッチが見つからない。

説明書を探そう。
クルマを置いていったディーラーマンが確か「これが説明書です」と言っていた
本があったはずだが、さて、どこにあるのか?
「ここにしまっておきます」と言っていたように記憶しているが、納車の喜びで
どこにしまったのかはっきりと覚えていない。助手席の前の入れ物に気が付くまで
5分ほど社内のあちこちを触りまくった。説明書を見るとエンジンのかけ方が
載っていない。エンジンのかけ方くらい一番最初のページに載っていそうなものだが
注意事項などが永遠と100ページ近くに渡って書かれている。
生真面目なS氏はそれらを全て読み、大事そうなところには付箋紙を貼っていく。
ようやく注意事項が終わると、こんどは「操作早わかり」が続く。ドアの開け方や
シートの動かし方、シフトレバーの動かし方が100ページ近く続く。
ついに日が暮れてしまった。
S氏はあきらめて部屋にもどり続きを読むことにする。

お茶をわかしたS氏は、もう一度説明書の目次を眺めてみる。
なんとエンジンのかけ方は280ページに載っていた。
「エンジンスイッチ」の説明のあと、エンジンのかけ方が載っていた。
ブレーキを踏み、シフトレバーがPに入っていることを確認して、
スイッチをひねれば良いのだな。
S氏は暗闇の中懐中電灯を片手にクルマに戻った。
カギを開けて、ポケットにしまい運転席に座る。
さて、エンジンスイッチの場所側から無い。
いったい、どうなっているんだ、このクルマは。
だいたい説明書にどうしてエンジンスイッチの場所が載っていないのだ?

S氏は持ってきたお茶を一口すすり落ち着いて考えることにする。
説明書の最初の方にイラスト付きで各部の名称が書かれたページがあった。
運転席周りのイラストのページを開く。
ハンドルの陰に隠れた場所にエンジンスイッチがあるようだ。
S氏はハンドルの陰をのぞき込むと果たしてそこにはイラストに描かれた通りの
スイッチをようやく見つけた。

しかし、問題はそれだけでは解決しなかった。
スイッチをひねろうにも、手で掴むような場所がないのだ。
よく見ると真ん中に四角く穴が空いている。
S氏は爪の先をつっこんで回してみるが爪が割れてしまいそうだ。
きっとここにはノブが付いていたに違いない。それがなにかの弾みで
取れてしまったのだろう。S氏はフロアを探したがそれらしき物は
見あたらない。
仕方がないのでドライバーを突き刺して回してみることにした。
だがいくらやっても回らない。
S氏はスイッチを壊しそうになったところでようやくあきらめた。

ディーラーにさっそくクレームを付けてやろう。
エンジンがかからないのではお話しにならないではないか!

部屋に戻ったS氏が何気なく説明書をひらくとそこには盗難防止の
イモビライザーの説明が書かれていた。
なんと、エンジンスイッチにカギが刺さっているではないか!

そうS氏はディーラーに渡されたカギはドアの施錠にだけ使うものだと
思っていたのだった・・・



2004年05月07日(金) S氏、免許がない

S氏がクルマを買う決意をした。
ある晴れた日曜日の朝、気持ちよさそうにオープンカーで走り去る
若い女性を見かけて自分も欲しくなったのだ。

一口にオープンカーと言ってもいろいろなメーカーから出ている。
S氏はあちらこちらのディーラーに行ってカタログを集めてきた。
いろいろ比較してみるが、それぞれに長所、短所があり、S氏の
要求をすべて満たすようなものがなかなかみつからない。

S氏はディーラーになんども通い、グレードの違いやオプションを調べた。
S氏のあまりのしつこさに、しまいにはディーラーの営業マンもS氏の顔を
みると逃げ出すようになった。なにしろ1ヶ月以上も毎日のように顔を
出しては細かいことを聞きまくり、ハンコを押すそぶりも見せないのだ。

そんなある日、S氏が通勤の途中、さっそうと走り去る小柄なクルマを
見かけた。オープンカーでもなければ、スポーツカーにも見えないその
クルマにS氏は一目ぼれしてしまった。S氏は必死で自転車をこぎその
クルマの後を追った。
見失うかに思えたそのとき、とある外車ディーラーにそのクルマが滑り込んだ。

S氏は開店直前のそのディーラーに乗り込み、一言言った。
「あのクルマを下さい」

*********************************

待ちに待った納車の日。

朝一番で、予算をはるかにオーバーする価格で買った外国製の新車が
届いた。S氏はピカピカに輝くその新車をうっとりと眺めながら、
ふとあることに気がついた。


「免許がない・・・」


2004年05月06日(木) 年金問題

正直言って難しいことは判らない。
厚生年金と称して毎月しゃれにならないほどの額を天引きされている
サラリーマンにとって、老後きちんと年金を払ってもらえれば文句は
ない。年金法案が可決されて多少納める金額が高くなっても、その分
老後が楽になるならそれでよい。

年金をきちんと払わない人が居たって別に構わない。
そう言う人には老後自力で生活してもらえばいいだけだ。
本人たちもそのつもりだろう・・・いや、私も学生時代、就職する
までのあいだは国民年金を払わねばならなかったらしい。だが、だれ
もそんなことは教えてくれなかった。教わったのは就職してからの
ことだ。もっとぶっちゃけていうと、厚生年金を払っていれば、国民
年金を払わなくてよいと言うことさえしらなかった。あるとき「おらぁ
国民年金って払った記憶がないが・・・」そう思っていろんな人に
聞いて初めて判った。

じゃぁ、どうやって国民年金を払えばよかったのか?
学生時代の私にそんなこと判っただろうか?誰に聞けば判ったのだろうか?
それさえも判らなかった。

国民年金を払っていない人たちの多くはそうではないか?

さて、一番腹が立つのは閣僚の中に払わなかった人がいたことよりも
そう言う閣僚を槍玉にあげ、未納三兄弟などとオヤジギャグにもならない
軽薄な言葉を産みだし、民主党の人気獲得に走った上に、自分も払って
いなかったなどというくだらないオチを付けてくれた民主党の代表だ。

なぜ、閣僚の中にまで未納者が出ることになったのかを問題にするべき
であって、未納者がいたことを問題にするなどとは将来政権を担おうと
思っている人物の行動とは思えない。あまりにも浅はかな行動だ。

消費税が内税表示になったときにも書いたが、民主党がするべきことは
自民党が間違った法案を通そうとしたときに、それを止めさせることで
ある。いや、さらに一歩進んで正しい方向へと導くことである。
それを繰り返していくことが、民主党の信頼を勝ち得て将来与党へと
なることに繋がるのではなかろうか?

それを自民党の揚げ足取りばかりしていて、本気で将来政権を握ろうと
考えているのだろうか?

民主党の悪口ばかり書いているが、民主党が嫌いなわけではない。
本当は自民党が嫌いなのである。
だが、今の民主党を見ていると自民党に投票せざるを得ない。
安心して民主党を応援できるような党になってもらいたいと思うが故、
このようなことを書いている。

まずは、年金法案の決議の際に、議場からでるのではなく、正々堂々と
反対票を投じて欲しい。いや、それだけではなく、国民だれもが納得
できるような民主党案を出してもらいたい。


2004年05月05日(水) 鳥取砂丘

昨日からの続き

GWドライブの最終目的地は鳥取砂丘だ。
なんども行きたいと思っていたのだが、いままで一度も行ったことが
なかったのだ。

いったいどんな光景が待ち受けているのか?
案外普通の観光地なのではないかと言う気持ちもあったが、
目的地に近づくと予想通りの光景が広がった。
土産物屋や観光バス、たくさんの人・・・

ははぁん。やはりそんなものか。

しかし、クルマをおりて砂丘にはいると、そこは期待を裏切らない
世界が広がっていた。思わず圧倒されてしまうような砂の山が広がって
いたのだ。どんどん崩れていく砂に足を取られながらも砂山を登り切ると
遙かしたにきれいな日本海が広がっている。
なんとも言えない光景だ。
さっそくカメラを取り出し撮影するが、どうも今ひとつ・・・
そう、砂が目に入ってコンタクト目にはかなりつらい。
ファインダーを覗くにも目が痛くて集中出来ないのだ。
しかも、この砂嵐の中レンズの交換なんて怖くて出来ない。
そんなわけで撮影よりも心に風景を焼き付けて退散。

滞在していたのは夕方のかなり日が傾いた時間で、撮影には
良い感じの光の加減だったが逆に夏の強い昼の光の中や曇りや
雨など光の加減が違う時に行けば、もっといろんな風景が見れそうで
機会があれば、なんどでも行ってみたいところである。
その時には砂対策もしっかり整えて行かなければ。


2004年05月04日(火) ニュービートル

昨日からの続き

往路、中央道下り線で東京のナンバーを付けた黒いニュービートルの
カブリオレに遭遇する。PTのHPなんかを見ていると合同のオフ会
などが開かれているなどなにかと縁のあるニュービートルだ。
サングラスをかけたカップルが気持ちよさげにクルージングしている。

なんどか抜きつ抜かれつを繰り返す。
(こちらが抜かすのはニュービートルが休憩中なのだろう、本線上では
ナラシ運転中のこちらは抜かれてばかりだった(笑))
そのたびに手で挨拶を交わす。

直接声をかわした訳ではないが、こういう出会いが嬉しい。

明日に続く


2004年05月03日(月) PTクルーザー

GWを利用してドライブに出かけた。
東京=>神戸=>鳥取砂丘
おおよそ1500kmの道のり。

去年は納車されたばかりのアルファードで萩まで走ったが
今年はやはり納車されたばかりのPTクルーザーでのドライブ。
PTクルーザーでの車中泊は厳しいと考え、車中泊は控えた。

しかし、さすがはアメリカのクルマ。
高速道路を長距離走るのはとても安楽だ。
快適な音楽と、適度なシートの硬さ、運転姿勢、そして直進安定性の良さ。
街中のこまごましたところを走る車ではなく、長距離を走るために
生まれてきたクルマだと言うことを認識させられる。

アルファード購入時は不要と考えた(いや、正確には懐具合と
相談してあきらめた)、クルーズコントロールがとても威力を
発揮した。こんなにも安楽なものとは思わなかった。

高速道路を走行時、一定の速度を維持するのにとても気を遣う。
しかしクルーズコントロールをONにすると速度に気を遣う必要が
なくなってしまう。一つ集中すべき事項が減るだけでこんなにも
運転が楽になるとは意外だった。
帰路は混雑をさけて深夜の高速道路をかみさんと2時間交代で運転
したのだが、がらがらに空いた中国道では、私に交代してか虧梢
高速に合流するまでの2時間弱の間、私は最初の加速時以外、足を
まったく使わずにすませた。多少の加減速はハンドル脇のコントロ
ーラーだけで済んでしまう。
名神高速に出てからも、合流直後に前を走っていた車が必要以上に
減速しなければ次の桂川SAでの交代まで本当に足を使わずに済んだ
に違いない。

ぜひともアルファードにも装備したい機能だ。

明日に続く。


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