Leaflets of the Rikyu Rat
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2005年12月05日(月) |
シュレディンガーのネコ |
今日は一日中無気力だった。 朝から鳴り止まない雷の音は、どこか遠くで聞こえる気がする。 特に何をするでもなく、夜。 丸一日以上何も食していなかったことに気づき、最寄りのローソンまで歩いた。 外はひたすらに寒く、身体は無意識に震え、指の感覚は無くなった。 一日の終わり頃になり、彼からの電話。 無聊で倦怠的な静寂は彼の快活な声により一瞬にして吹き飛んだ。 それが堪らなく愛しいものに思え、気力は沸々と湧き出てきた。 口が勝手に明日泊まりに行って良いかと尋ねる。 携帯の電源は切れど、己の電源はその瞬間入ったかの如く。 ――明日は頑張れそうだ。
漢字では「仲良し小好し」と書くらしい。何だか粋だ。 けど平仮名で書いたほうが可愛らしさや仲睦まじさ・ほほえましさが目にやさしく映る気がして、好きだ。 彼と仲良く過ごして行きたい。
2005年12月02日(金) |
僕にやさしさはあるのか |
信用・信頼と言うものは時間と共に少しずつ定まって行くものであって、その時間というものにも個人差がある。 そしてそれは必ず相手が「この人は信頼できる」というレッテルを貼る、一方的なものだ。 だから「いつになったら信頼してくれるのか」だとか「どうして信用してくれないのか」などと言う質問をしてもあまり意味をなさない。 信用して貰いたがっている、信用されていないと感じている、と言うことを相手に伝えることのみにしか効果は及ばない。 と、僕は思っている。
何をするかは本人の自由であり、 そのひとやその行為に対する心象を決するのは人間の自由である。
些細なことで小さな喧嘩をして些細なことだからとすぐに仲直りをした。 それでよかったと思っている。
不安を抱くのは僕だけでは無い。 彼もまた当然ながら僕に対して不安を抱いている。 であるから、付き合う上では、お互いその不安を払拭してあげるべきだ。
(と、頭ではわかっているのだが、僕の中の意地悪な部分がそれを押し留めている。 そうすることで彼は僕に信頼されるために精進するだろうし、 またもしかしたら我慢できなくなり暴発するかもしれない。 僕は彼に暴発することなく精進して欲しいという贅沢な考えを持っているのだ。)
彼は僕と歳が十二も離れていることが心配なのだと言う。 これから何年も経てば彼は四十になる。 僕はそのときまだ二十代である。 そんな時に捨てられたらどうしようか、と不安にさいなまれることがあるらしい。
彼は焦っている。 焦りは何も生まない。たぶん。 けれど、その焦りを取り除くのは僕の役目なのだ。
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