Leaflets of the Rikyu Rat
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近頃妙に吐き気を催す。 吐き気を覚えながらも隙間を詰め込むように食を重ね、更なる吐き気の波がやってくる。 波が遠ざかるのを静かにやり過ごし、再び食べ始める。 まるで最近の日経平均株価のように吐き気と体重は鰻のぼり。 どうなることやら、それでも食べることを止められない。
以前はどれだけ食べても六十キロを超えることが決して無かった。 食べても食べても太れずに、がっしりとした体型にあこがれるばかりだった。 最早七十キロに到達しそうな勢いである。 酒も浴びる程飲むようになり、新陳代謝やら何やらの機能も低下してきたのだろうか。
以前の僕では無くなってしまったのだなぁ、などとふと思った。 今の僕は今の僕であって以前の僕ではないのだから、 今の僕が以前の僕では無くなってしまったなどということは当たり前であるはずなのだが、 改めて考えてみると何だか不思議な感じがした。 僕はもう、どうやら以前の僕では無いらしい。
食に溺レる・アイヨクに溺レるのは逃げているからである・怖れているからである、 と書かれていたのを読んでしまい、頭ではわかっていたけど逃げていた僕は、もう逃げれなくなってしまった。 いつまでも溺レていることができなくなってしまった。(僕は泳ぐのが得意だったはずなのに。)
2005年11月13日(日) |
損なわれてしまった2%あるいは5%についての考察 |
何度でも書くけれど、僕は嘗て彼のことがとにかく好きだった。 本当に好きだった。そのせいで、“好かれる”ために気を引くような真似をしたり、駄々をこねたり、我侭を言ったりしてばかりいたような気がする。我慢しなければいけないと頭では理解していたとしても、そして出来る限りは我慢をし続けていたとしても、どこかでどうしても堪らなくなり感情をぶつけてしまうことが多々あった。 それが僕の100%だった。上記のことは「100%の弊害」とも言えるかもしれない。 100%、僕は彼のことが好きだったのだ。
好きだったひとと付き合っていて、振られることは、ひとことで言えばとてもしんどい。 ある日突然と言うわけでも無くて、関係が悪化してきているのが自分には良く分かっていて、そのひとのことが大好きだから何とかして関係を修復しようと思うのだけど何をしても良くならない、悪くなって行く一方。ふとした言動、それが相手を怒らせてしまい、より一層仲たがいして行く悪循環にはまる。居たたまれなくなる。そして僕は振られた。
僕は僕に出来ることは全部して、そして振られたから、仕方無いと思った。 勿論、好きなひとに振られたのだから胸は痛んだけれど、それも仕方無いと感じた。仕方無い、で割り切ってしまえればいいのだけど、ふとした拍子にいつも彼のことを思い出したりしていた。 僕は、自分自身に何も無いときに、良い想い出を良い想い出だったと回想することができる人間では無いのだと分かった。良い想い出は辛い現状を喚起するばかりだった。想い出を想い出化するためにはそれと真剣に対峙して確固とした結論を下さなければならないはずだと思い、幾らでも真剣に考えたのだけれど、楽しかった記憶や悲しかった記憶が次々と蘇り、その度に悲しみに暮れた。何かに没頭して気を紛らわせるか、誰か他の「新しい想い出」を作れるようなひとを見つけるかしかないのだと感じた。前者において、常に何かに没頭するというのは不可能であると悟った。必ずどこかでふと閉まったはずの記憶が引き出された。 そんなことを繰り返しながら、時間の経過の中で僕は「忘れる」と言う行為に全身全霊を注ぎ込んだ。
果たして、僕はそれに成功したのか、よく分からない。 ただ、再び彼に「もう一度付き合ってくれ」と言われ、そうなってからの僕は以前の僕では無いと確信を持って言える。彼のことは大好きなのだけれど、何か違うのだ。正直に言うと、100%では無くなってしまった、と言うような感じである。僕の中の彼に対する想いの中の、2%あるいは5%程の感情が、どこかに飛んでしまっていったような感じだ。村上春樹の言葉を借りれば、それは“損なわれてしまったもの”のようだった。そんな僕を、彼は「大人になった」と言った。そりゃあ彼と付き合い始めたときは十九で今は二十一になったのだし、当たり前だ。しかし、当然ながらそういう意味では無い。精神的に、と言う意味なのだろう。ただ、僕は何となく「大人になった」のとは違うような気がしてならなかった。これが大人なのだったら、僕は別に大人になんてなりたくない。
僕は、ある意味で彼に対して見限りを付けてしまったのだと思う。 僕は本当に一生懸命だったのだ。僕の全てを注ぎ込んだ。それで無理だった。もう一度同じパワーを出せ、と言われても出ない、そんな感じだ。あれだけ頑張ってダメだったのだから、もう無理はできない、これでまたダメだったら今度こそ他を当たろう、と言う思いがある。 彼のことが好きだ。以前と同じようにでは無いにしても。彼も僕のことが好きだと言う。だから付き合う。以前のように。けれど、実際は以前と違う。それは僕にも彼にも分かっていると思う。そして、どうやらそれが彼には好ましいようだ。もしかしたら、これこそが長期的に付き合う秘訣のようなものなのかもしれない。
僕の中の2%、もしくは5%は、とても情熱的な部分だったのだと思う。残りの98%、ないしは95%にも情熱的な部分は残っているから、彼と会ったときには僕の心はどきどきするし、喜びや愉しみを彼と共有することはできる。それは決して度を越すことは無く、穏やかに僕と彼との関係を繋ぐ。僕は損なわれてしまったそれを思い返して少し寂しいような気がする。けれど、今僕は彼と一緒にいることが出来ているので不満は無い。不思議な感じがする。ちょっと投げやりで、ぐっと冷静になったと思う。そしてそれは僕に余裕と言うものを齎した。良くなったのか悪くなったのか、実は分からない。ただ、良くなったのだと信じることが、今の僕には必要なのだろうと感じている。
ここ二月程、mixiの方ばかり更新しています。 正直言って詰まらないことばかり書いているのですが。(笑 でもなかなかハジケテます。 そちらは自然な感じで書いているので、この日記の自分とは結構ギャップがあるかもしれません。 IDは451222なので、是非訪問してやってください。 (分からない方は、「エンピツ」コミュニティにいる「k」と言う人を探して下さい) 本のレビューとか(いつの間にか20件くらい)書いたりしてるので、暇な方は読書の参考にして戴けたりすれば幸いです。 日記の方は「友人のみ公開」になってますので、気兼ねなくマイミク要請してやって下さい。 ひとこと「こちらの日記を読んで」と言うようなことを書いて戴ければ喜んで承認させて貰うはずです。 話は変わりますが、当日記の掲示板を削除してしまおうかな?と思っています。 たまに広告の書き込みがあって削除したりしてはいるのですが、僕に対する書き込みは半年程無い状態なので、掲示板ごと・・・と思っている次第です。 多分いないとは思いますが、もし削除しないで欲しいという方がいたらご連絡下さい。 その際は今のまま通りにします。尚、メールフォームは以前と変わらず設置しておりますのでそちらの方もよろしくお願いします。 そういえば、この日記も書き始めて四年以上が過ぎていました。 四年前から読んで下さっていた方も、つい最近読み始めてくださった方もいらっしゃると思いますが、謹んで心から感謝の意を伝えたいと思います。ありがとうございます。
暇があれば食べ物を腹に収めていることに気づいた。 極端な体重増加と言う結果を目の当たりにしてからのことである。 少しでも食べれそうであれば食べ続けていた。 菓子の類などではなく、飯を。
何かをしていなければ落ち着かない。 試験が半年後に迫った。 周囲の友人達は就職活動を開始した。 このままでは僕は試験には通らずに資格浪人するだろうな、という予感と実感がある。 勉強に身が入らない。注意力が散漫になり、集中力が続かない。 時間を持て余すな、と警鐘が頭の中で鳴る。 食べるふとるふとる
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