京のいけず日記

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2006年11月25日(土) 大正男の旅姿

明治生まれの祖父のものらしい粋な紋付に、手甲・脚半に6文銭、青竹杖の旅装束。
ひとまわり小さくなった顔に真っ白な髪を後ろに撫でつけた父は、
「もしもし。あんさんはどこのおじいちゃんですか?」
と思うほどに私達が知らない上品な優しい死に顔だった。

葬儀当日、好きだった日本酒で乾いた唇を湿らせ、身体にも酒を振舞う。
若い頃から父とはろくに会話もしなかった兄は、いつのまに用意したのか、
当日のGIレース、第26回ジャパンカップ、ディープインパクトの単勝予想馬券をそっと柩に入れた。

…ちなみにこの馬券、大本命、ディープインパクトが勝ち、当り馬券となりました。
お父ちゃん、喜んだかな。 それとも、そんなもん柩に入れるなと呆れて笑ったか。



オッズカード

中央競馬会のオッズカード 父の小物入れから発見 
毎年、有馬記念のあとは金杯を楽しみにしていたのになぁ。




父のお棺に納めたもの
煙草。愛用の煙草ケース。マッチ。紙パックのお酒。好物だった豆菓子。
囲碁の本。赤エンピツと競馬の馬券を買う時の用紙。スポーツ新聞。

父が「いい顔だ」と珍しく褒めた亡妻の老いた写真は、姉と思案の末、却下。
コピーは簡単に作れるが…。私達にとっても大切な母の一枚しかない写真。
私達がいつか居なくなるまでこの家に置いてもらうことにした。


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日曜日の葬儀の後、仕事にすぐに復帰したのだけど…。
自分では大丈夫のつもりでもポカばかり。逆にパートナーに迷惑を掛けてしまった。
そもそも父が亡くなる前後から、喉にくる風邪、お腹の風邪、家族でスパイラル。
ようやく我が家が平穏になったと思ったら、今度は姉夫婦がダウン。

みんな疲れていたみたい。ゆっくりしよう。もう父を失う不安はない。
しばらくしたら、いつもの阿呆の日記に戻ります。


2006年11月23日(木) 永遠の蟹

父の好物の蟹を皆で食べに行く話は永遠となった。


2006年11月23日 PM 3時9分 父 永眠 81歳
死因 膵臓癌 転移性肝臓癌


最期まで自宅でとはいかなかったが、見ているのが辛くなるような癌の痛みもなく、
軽い肺炎を併発後、皆に看取られている中での穏やかな大往生だった。

願わくば父の全ての細胞の意志のままに…。
過度な延命治療はしない、生きることを投げ出すような放棄もしない。
父や私達の切なる願いを叶えてくれた自然や、医師や、全てのものに感謝します。



23日の早朝4時半、安定していた父の血圧が急に下がってきたと姉から連絡を受ける。
病室で呼びかけると微かに頷いたような気がした。

最高血圧70、最低血圧30、脈拍数100前後、父は必死で生きている。
昼前にもともと今日見舞う予定であった足の悪い義母が病室を覗く。
ダンナが義母を送っていった後、交代で昼食を取る。
大阪から駆けつけてきた甥っ子は病室の簡易ベッドに寝転がった。
血圧、脈とも変化なし。長期戦だ。負けるもんか。

今夜が山場か。もしかしたら今日一日持ってくれるのでは… 皆がそう思った。
PM2時半。遅い昼食。食欲はないが、珈琲が飲みたくて病院近くの喫茶店へ行く。
連休祝日の京都。場違いな雰囲気の中から戻って来ると、血相を変えた姉が私を探していた。

少し安心して病室を出てから30分と経っていない。
血圧更に低下。看護婦さん達がバタバタと狭い病室に器材を運び込む。
それからはあっという間で。まるで夢のようにいつか見たドラマのシーンのようで。

3時9分。 心臓停止。

それでも父の体は温かくて。掌は柔らかくて。
まるで物かのように、人や動物はすぐに死体になんかになるわけじゃない。
簡単になど死なない。死んでたまるか。

間に合ってほんま良かった。
傍に居ながら。駆けつけながら…。ずっと後悔するところだった。
有難う、お父ちゃん。よう頑張ったな。


2006年11月16日(木) 再入院

父が再び入院した。
今週末、蟹を食べに行く計画は先延ばしとなった。

仕事が終わってタクシーで病院へ行く。
付き添っていた姉、そして同じく仕事帰りの兄と顔をあわせた。
「お前達と喋るのは疲れたから早く帰れ」という相変わらずの父に安心して、
帰りは乗り換えの駅まで兄の車で送ってもらう。

相性が悪いというのか、兄とは子どもの頃からろくに話もしない仲だった。
独り身のまま実家を出てしまった兄とは顔を合わすことも少なかった。

それが。
「おまえももう幾つになるんやっけ? 定期健診とか受けた方がいいぞ」
「お兄ちゃんも(独身なので)ちゃんと食べてるんか?」
などと話が途切れることなく話している。

兄も私も随分と変わった。一昨年に母が亡くなった時にもそう思ったが。
自然と互いに思いやれるぐらいに、兄も、私も老けた。
そして病院のベッドの上の父はもっと老けた。


…先日、仕事先で、ご年配の方から昔の写真を見せてもらう機会があった。
戦後まもない日本。初代通天閣の立つ大阪。京都。
その方はもうすっかり貫禄のあるおじいちゃんなんだけど。
セピア色の写真の中には丸メガネの痩せたシャイな青年が写っていた。
50年、60年、どんな事があったんだろう。

何のために生きているんだろうな…、体の弱った父はそう言った。
いつかは来る終焉へ向かって、それでも一生懸命、前を歩いていく人がいる。
後ろをついて来る人がいる。
怖いけれど、しんどいけれど、励まされて、励まして、ちゃんと生きていたい。


落書き絵

ままごとにしていた碁石 父が囲碁を打つ事はもうないでしょうか


2006年11月12日(日) 踏ん張りどころ

今週は土日も仕事でフル回転でした。次の日曜日まで長いなぁ。

今の新規の仕事に入る直前、珍しく風邪をひいた。
二女→ 私→ 長女、ダンナ と、うつってゆき一段落したのも束の間、
今度はダンナが腹にくる風邪をもらってきた。

土曜日無理をして会社へ行き、土日は食べ物をほとんど口にしなかった。
そんなダンナの体調が少しマシになった頃、今度は… つまり、今。
午前3時過ぎ。二女が二階からトイレへ急行。上と下からの総攻撃でダウン。
今、コタツの中、この日記を書いている私の横で眠っている。


落書き
お腹かぁ… 
熱と咳なら我慢出来るが、
腹はまずい。

油汗浮く通勤途上。
白板で説明をしている時。
行くに行けない
グルグルピッピー
 
悲惨です… (>_<)

うつるなよ、風邪の菌!
せめて次の日曜日まで待て。

 ↑腹下し… じゃなくて。もっと艶ぽい落書きだったのですが


昔、体調を崩して会社を休んでいた私に、父は優しい声をかけるどころか、
「体調管理も仕事のうちだ」と苦言を言った。

自分は半遊び人のくせして何を…と思いつつ、見直した。
例え半日で職場から帰ってこようと、酒とギャンブルをこよなく友にしようと、
小心ゆえにしろ、頼まれた仕事はすっぽかしたことがない父だった。

その父も今は自分の体の面倒を見るという体調管理を放棄しているようだ。
食の細いのがますます細くなった。
今に流動食しか入らなくなるんじゃないかと心配する。
起きてテレビを見るのもしんどく、自宅のベッドの上でほとんど一日を過ごす。

それでも父は定期の診察日以外、病院へ行こうとしない。
理由は医師から入院を勧められる事を恐れているからだ。
トイレにしろ、食事にしろ、自宅であれば悪いなりにも自分で動ける。
父が母の為にかって取り付けたトイレへの手すりがすごく役に立っている。

告知以降、父の気持ちを最優先したい、兄弟みんなでそうと決めたのに。
嫌がっても、無理にでも連れていくべきじゃないのか。
本当にこのままでいいのだろうか、と恐くなる。
高齢と末期癌。上がりはない。体力が落ちていく一方だ。

踏ん張れっ、たって、無理な…話だ。
踏ん張れるもんが頑張ればいい。誰か一人でも元気であれば何とかなる。

さて。まる子のお腹ももう大丈夫そう… かな?
明日は学校へ行けるかな。
学校休んでも母さんは仕事へ行くぞ。だから治せ。バイバイキン。


子どもがモドシたの何だか久しぶりです。
小さい頃はしょっちゅうだったもん。それも布団の上で… (^-^;)


2006年11月10日(金) 八つ当たり

…よくあることです。

仕事帰り。右肩には重いカバン。両手には買ったばかりのスーパーの袋。
郵便ポストから覗いている回覧板や新聞を取り出そうとして指を滑らした。
その中の一枚、小さな紙片が、連ねてある自転車の下をすり抜けて、
塀の隅っこで裏返った。

どうせチラシだ。明日の朝まで捨て置こう、とも思ったが。
もしかして大事な連絡メモかもしれない、と思い返し。

荷物を持ったまま27インチの車輪の上やら、下やら、取ろうとするが取れず。
仕方なく、荷物とカバンを置いて、今度は利き手の腕を伸ばしてみる。
(はよ置かんかいっ)

うっ。 …も、もう少し。
紙のはしっこに指の先が届きそうで届かない。

自転車さえどけりゃ済むことだ、と思いつつ、根が横着モン。
体をひねり、筋を伸ばし、指を硬直させ、更に無理な体勢から試みる。

やったぁー! と思った瞬間。 肩と甲骨下あたりの筋が… (T_T)


で。本日、筋を違えてまで取った努力の成果が コレ↓

落書き絵

確かに効いた、近所のマッサージ屋さんのチラシ
…いや、ままあることです… バカヤロォ!!!



2006年11月09日(木) 流れる日々

京都市内は昨夜あたりから冷え込んできました。
恒例の三ヶ月出稼ぎ稼業が始まって、今日は初の夜の掛け持ち日。
子どもと共に家を出て夜11時頃に帰る久々のパターン、さすがにしんどい。
めったと飲まない風邪薬を飲んで初日間に合ったものの…
いつまで続けるんだ、と、ここんとこ、毎回ちんたら思っています。

父の具合は小康状態変わらず。…たぶん喜んでいいんだろうな。
副作用が少ないとはいえ、体に負担が掛かるので、抗癌剤の治療の間隔を少しあけてみましょう、と担当医師からのアドバイス。
早いうちに、父の好物の蟹をみんなで食べに行こうと計画しています。
といっても。歩いてすぐの近所の小料理屋さんですが。


落書き絵ウルトラセブン← ウルトラセブン バトルしたいなぁー。
先日「バルタン星人」を初めて打ってきました。
結果はビギナーズラックで連チャン、勝利。
何せバルタン星人が主役ですから
ウルトラマンじゃなくて
怪獣が負けると大当たりになりません。
結局、バルタン星人が勝っても負けても
何となく嬉しい…というか変な感じ。
12Rからでしたか、ミニキャラバルタンが集まって
宿敵ウルトラマンの弱点はここだッー!
なんて講義を熱心にやっています。
バルタン星人にとってはウルトラマンこそが悪の大怪獣なんですね。


世の中ってこんなものなんでしょうか。
でもバルタン星人ではないのだから (ウルトラマンでもありませんよね(笑)
自分が立つ世界で、信じる世界で、立ち向かわないといけません。
あれやこれと考え過ぎるから、ぶれないものに憧れます。

何の話だって?
あ。パチの話です。失礼しました。


2006年11月02日(木) 石田散薬なら効くかしら

11月に入りました。紅葉はまだまだですが、三連休はすごい人になりそうです。

今日駅近くを歩いていたら、舞妓さんの撮影現場に遭遇しました。
とある料亭のいかにも京都という感じの塀をバックに舞妓さんが二人。

カメラマンとか、白い板?を持っている人とかスタッフが数人。
雑誌の撮影かな。まさか舞妓さんに変身のお嬢さん達って事はないだろうな。
観光客や、向かいの惣菜屋のおばちゃん達も手を休めて見とれていました。
観光シーズンですよね。あぁ、どこかに行きたいなぁー。温泉がいいなぁ〜。


…引き続き風邪ひいています。
たいてい我が家は まる子> 私> お姉ちゃん(長女)>ダンナ の順。

熱はないのですが、喉にきたみたいで。
話す事も仕事のうちなので、まじ困ります。

日曜日までに治らなそうだったら、しょうがない。薬を飲もう。
ひたすら寝るのが健康法でめったと薬も飲まないんですが… 歳ですね。
始まったら仕事休んで寝てられないもんね。あーあぁ。

落書き絵東京都薬剤師会北多摩支部
→ 新撰組と薬剤師

前にも書いたと思うんですが。
「石田散薬」を検証した面白いサイトです。
薬剤師というのは、もちろんあの方(笑)

薬効実験の結果、何が面白いって…。
薬と一緒に服用する「日本酒」の効果が主だったそうです(効能:捻挫、打ち身、刀傷等)

 普通、薬は水で飲むもんですけどねぇ? 歳三さん。
 いやいや、病は気から。うん。治すぞ。 皆さんも気をつけて。


Sako