京のいけず日記

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2006年12月17日(日) 早過ぎる死

先月亡くなった父は医師から三ヶ月の命の宣言を受けて、三ヶ月間踏ん張り、更に三ヶ月を生き抜いた。

告知に至っては家族で随分と悩んだ。
父の場合、結果的には命の期限が告げられた事は良かったのだろうと思う。

残された日々を私達はいっそう大切に愛しく思い、父は父で、最後まで捨てきれない思いを抱えながらも、一日一日自分に折り合いを付けていった。

父にしても、私達にしても、見事な終幕、上出来の死。
ある意味、私達は幸せだった。



一昨日の夜、長女のケータイが鳴った。
中学校の先生が心筋梗塞で亡くなったという。享年、まだ34歳。

長女が中一の時に担任して下さった先生で、昨年は二女の担任でもあった。
サッカー部の顧問をし、明るく生徒に慕われていた。

スポーツ大会でも、文化祭でも、美化運動でも何でもいい、学年で一番のクラスになろうなどと、醒めた生徒達を巻き込む熱血先生でもあった。

三年前、長女の担任の時には独身だった。
結婚、そして二女の担任の年には赤ちゃんが生まれ、クラスみんなでお祝いをしてあげたのだという。

それからたった一年だ。

通夜から帰ってきた子ども達が遺影に使われていた写真を思い浮かべて。
あのなぁ。お姉ちゃん。あの写真はきっと先生のうんと若い頃のやでえ。
などと共通の記憶の中で静かに笑っている。
笑っている方が楽なのだともう知っているのだ。

明日の葬儀にはもっとたくさんの子ども達が先生を慕って集まるだろう。
来てくれてありがとう、と一人一人に声を掛けていた先生のお母さん。
胸が痛い。


病に蝕まれ宣告された死も。
老いぼれて楽にいけないかと願う死も。
日常に否応なく襲い掛かる不幸な死も。
一時の情に呑まれて自ら絶った命も。
時間は元には戻らない。

どんなに無念だっただろう。
思いもよらない突然の死に対面してしまったご遺族はどんなに悲しいだろう。
心より御冥福をお祈りいたします。


落書き絵


Sako