京のいけず日記

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2006年09月30日(土) 何やってんだかなぁ

落書き絵若冲と江戸絵画展」のチケットを譲ってもらった。

小さなコンサートのチケットを譲ってもらった。

昨夜、大根おろしで食べた
秋刀魚は美味しかった。


んんーー 芸術の秋。食欲の秋…。 あとはスポーツか…。 
そうだっ!! …指の運動でもするかな。へへへ。


CR大ヤマト2、感動のセピアのSPE!(スペシャルエンディング。大勝♪) 
仕事のない日。ネットで見たイベントの文字に疼いて、一人ノコノコと、某市まで出掛けた甲斐がありました。

曲がりなりにもお上品とは言えないので、はじめての店は緊張します。
余りにも柄の悪い客層だと即退散しますが、幸いそんな経験はないです。
(だって昔のパチ屋さんなんて、もっと怖かったもん。オイオイ…)

スーツ姿のサラリーマン。遊び人だった父と同じ匂いのする、おっちゃん。
プロを気取るオタクぽい、お兄ちゃん。ヤンキー兄ちゃん。
年季のはいったお姉さん。そして、ここにもいるよ、オバタリアン。

自分の事は差し置いて、お日様の高いうちから来てていいのか、と思ったり。
おばちゃんの負け分は亭主の涙の給料で補填されるんだろうかと思ったり。

壊れるんじゃないかと台を叩く人。台に八つ当たりする人。
休憩コーナーのベンチで休んでいる、倒れそうな、おじいさん、おばあさん。
そうそ。この間、マンガ読みながら台を打ってる不届きな兄ちゃんがいた。
この人にとっては、単に確率だけのギャンブルマシンなんでしょうね。

ほんま、いろんな人が居て面白い。

ダンナと行く以外はいつも一人なので、めったと会話もしないのですが。
隣で静かに打っている玄人ぽいおっちゃんから、
「それ、当ってるよ」と、ボソッと言われたりすると、ニタリと笑います。

勝っても負けても。遊んだ満足感と、大切な時間を無駄にした喪失感。
さて、さて。どっちの比重が重いでしょう。馬鹿だなぁ、とは思いますが。

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土曜日、今日は一日仕事日。
高校生の長女はナンタラ模試で、中学生の娘は相も変わらず部活に忙しい。

ダンナが土曜出勤で出勤時間がゆっくりなので、一緒に出た。
駅へ向かう途中の喫茶店でモーニング。
小さな店は競馬新聞を持った常連のおっちゃん達で混み合ってにぎやかだ。

旅行に行った時は別にして、喫茶店のモーニングなんて何年ぶりだろう。

良識のある家庭に育ったダンナは、一家の母親がまともな朝食も用意をせず、朝から喫茶店へ行って珈琲を飲み、煙草をくゆらせる習慣など、きっと思いもつかないだろうな。

うちの母がそうだった。
煙草を営んできた母と、大道具さんのような仕事で気ままに会社勤めをさせてもらっていた父は、平日でもよくこうして近所の喫茶店に通っていた。

そして愛想の良い、夫婦仲の良い夫婦を演じるわけでもなく、会話もなく、互いに煙草を吸ったり、スポーツ新聞に目を通していた。

どんな夫婦だったんだろうな。
長男なのに駆け落ち同然で家を飛び出した、気弱で、遊び人の父。
人には姉さんと慕われ、やんちゃで頭が良く、家事はからっしき駄目だった母。

互いに悪口を、それも本人ではなく、子どもに愚痴をこぼし、まさに子は鎹だけの夫婦仲と思っていたが。

晩年、寝たきりとなった母を父は愚痴愚痴こぼしながらも最期まで看病し、
母はそんな父に感謝し、不思議とひねずに育った私達に囲まれ幸せだった。
…と思う。

いろんな人がいるなぁ。
いろんな夫婦がいるなぁ。

自分らしく気楽に生きていけばいい。
時には頑張って生きていけばいい。
時には寄り添って生きていけばいい。

いろんな中のひとり。どんな駄目な奴だってその中の一人だ。

…駄目人間擁立論。よーするに言い訳ですな。


2006年09月29日(金) 身の丈を知れ

市のパンフレット10月から市指定の有料ゴミ袋になる。

今日が市販のゴミ袋で出せる最終日。有料となる前に、この際、家の中を総司…、もとい掃除して、片付けようと思っていたのに、結局、日頃からしない人には同じことでした。ヤレヤレ… (^-^;)

日記同様のごった煮の我が家。全国各地のゴミ屋敷に仲間入りしないように気をつけなくっちゃ。


ゴミを入れるゴミ袋にお金を出すのはもったいない。
家の中や、スーパーの在庫、ブルーのゴミ袋がまだ使えるのにもったいない。

と。私の「もったいない」は、あくまでゴミを出す事が前提だが。
少し前に新聞に載っていた投書を読んで反省した。

老夫婦がつつましく暮らす所帯。
ゴミは出ても週に2回せいぜいスーパー袋等1つほどの量。

ゴミとは飽きて簡単に捨ててしまうモノとは違う。
買い込み過ぎて腐らしたモノとは違う。
他に役立たず、捨てるしかしょうがなくなったものがゴミだ。

そのゴミを捨てるがためにわざわざ多種類のゴミ袋を作ること。
実にもったいないことではないか。


あふれるモノ。ゴミ。
うちのゴミ袋の中身を想像する。恥ずかしくて見せられない。
生ゴミなど、いわゆる正味のゴミの割合などしれている。

何かと手抜きが多い我が家では、野菜クズや、出がらしよりも、お惣菜のパック類や、魚肉、果物、野菜などトレイの嵩が大きい。
食べ残しや、野菜室で腐らしてしまった菜物、消費期限切れの食材もある。

亡くなったら「紙地獄」に陥るんじゃないかと思うほど、学校や仕事関係の雑多なプリント類、遊び紙、包装紙、ティッシュなど紙類も多い。
調度品や服にしても、かなり比重を占める本にしても、安易に買ってしまう。

ゴミを減らそう、無駄をなくそう、限りある資源を大切にしよう…。
お役所の地球規模の耳ざわりの良い言葉。

リサイクル、分別、生ゴミ処理…。
問題はゴミを出したあとの処理方法よりも、もっと足許にある。
スーパー袋大一つで事足りる生活。身の程を知る生活。

高度成長期以降、消費生活にとことん慣れてしまった体。
贅沢を慎み、徹底したリサイクル、昔ながらの生活など、到底、今更出来そうにもないが、この有料化をきっかけに無駄なゴミを少しでも減らしたい。

ついでに体のゴミも減らしたい… ー_ー


2006年09月27日(水) 赤い花なら

彼岸花の写真某駅の青空駐輪場の空き地に彼岸花が咲いていた。田んぼの畦道で見るような群生ではなく、ところどころに一つ、二つとポツンと咲いているだけなのに、自転車の上からも目をひいてしまう。

別の名を曼珠沙華(まんじゅしゃげ)。
地方によっては、死人(しびと)花、仏花など、陽気でない俗称で呼ばれているらしい。

お彼岸に咲く毒々しいまでの鮮やかな色と、可憐とは言いがたい派手な花弁。名前の先入観があるせいか、真紅の色や、おしべやめしべが幾つも突き出した様子が、燃えさかる人の命や情念の揺らぎのようにも見える。

好き嫌いがあるだろうけど、彼岸花が似合う風景が好きだ。
豪華な割りには淋しげな、そんな花の姿に誰かさんの死に様を思い重ねる。


草むらから虫の音が聞こえる青空駐輪場。
今どき撤去もされず無料で利用させてもらえるのは有難いが、夜になれば当然真っ暗。街灯から離れた場所だと、目が慣れるまで手探りで探す事になる。

堤までの自転車が立ち並ぶ細いゆるやかな坂道。
…そういや、いつかの夏には道を横断する蛇の尻尾を自転車で踏んだんだっけ。と思い出す。とたんに暗闇の中の足が鈍って、苦笑い。

あの蛇は今どうしているかなぁ…。おーい。すっかり秋ですよ。
懐中電灯、通勤カバンに入れなくっちゃ。


2006年09月20日(水) ウルトラセブンと誰かさん♪ パチンコの哲学

らくがき絵デヤャャャーッ!!


なんじゃ。こりゃっ!? …のタイトルですが。

今日は馬鹿馬鹿しいパチンコの話を書きたくなりまして。マジメな私しか知りたくない人はアイマスクのご用意を。

今、ウルトラ兄弟の映画が公開されていますが。
7は7でも「CRぱちんこウルトラセブン」の話。


新台が出れば、古い台などすぐに姿を消すという厳しい業界の中で、
煙草のショートホープと同じように今でも根強いファンが多いです。
約500分の1というきついスペックですが、大ヤマトと並んで名機だと思います。

そのパチンコ台。
幸運にも大当たりするとバトルモードになり、セブンが怪獣と闘います。
バトルに負けるまで大当たりが続くわけです。…あ。こんな事はいいですね。

そのバトル中、バトルが続けば続くほど何だか泣けてくるんです。
あぁ、無駄にお金使ちゃったとか。時間無駄にしたとか。そんな事じゃなくて。

ガンダムや、エヴァみたいに、鋼鉄の体に守られるわけでもなく、
怪獣と対等に闘うセブンを見ていると…。

な、泣けてくるんですよ。

変? やっぱり。

特に足を踏ん張った時の太もものスエットスーツのたるみ具合とか。
背中のボコボコとした不自然なつなぎ目?とかに目がいっちゃった時は。

闘うセブンを見て、何て律儀な奴なんだろう、と思うわけです。
まじめで、一生懸命に闘う姿…。ダメージを受けても受けても立つ姿…。
それってやっぱり胸を打ちます。

いつしか。セブンのデヤャャャーを聞きながら。いつもの妄想世界へ。
がんばれ、セブン! 踏ん張れ、歳三! …え? 
消え行く玉には目もくれず…(嘘) そんな馬鹿な事を考えています。


 
パチンコの何が面白いのか。
どうしてそんなものにお金を捨てられるのか。

と聞かれると。さぁ。どうしてなんでしょうか。

遊びは理屈じゃなく面白い。
そうとしかいえない。

私にとってパチンコは、賭け事、ギャンブルじゃなくて遊び。
結果的にはそうなる可能性も大いにありますが。

人が面白いという「遊び」はそれぞれ。
だから面白いとか思わない人はやらない方がいい。
お金や物に依存しない「遊び」の方がナンボかいい。それは言える。

お天気のいい日に入店し、店を出ると日が翳っている。
あぁ。なんてもったいない時間を潰した。そうも思う。
それが夫婦仲良く共に負けた日にゃ…。尚更だ。

あんな単純なゲームの何が面白いのか。と思いつつ。
仕事の空き時間、週末、性懲りもなく向き合っている。

そして自分と会話する。


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それにしても。
見知らぬパチ屋さんでも一人で入ってしまうという、私と、姉。
幸か不幸か、ダンナさまを除き、生活環境圏にパチをする人がいない。
つまりは、そういうマジメな人ばかりの人間関係にいるってことなんだけど。

たいていの人は、一人でパチします、などと言おうものなら目を白黒する。
また、そんなことはめったと言わない。

猫をかぶっているわけではない。
何故なら。嫌われるとか、そういうことじゃなくて。
どう反応を返そうかと、相手を困らせる、戸惑わせるのが申し訳ないからだ。
2つ目は、無駄が嫌い、損が嫌いという人に話しても、つまらない。
3つ目は、逆に乗ってこられても、大切な隣人だから、それはそれでコワイ。

というわけで。
たいていのパチンカーは孤独なのだ(…ほんまかい (^^ゞ)


ドマジメで、横着もんという、矛盾した子ども達を育てた、父。
日曜日、さしもの父も、もう場外へ馬券を買いに行く気力もないのだけれど。
元気付けに「買わへんの?」と声をかけると、
「ええ歳した爺さんが、あんなところでウロウロしてたらカッコ悪い」

格好が悪い!? なんやねん。それ。
今までさんざん極道、好きなことしてきて、あんた、今頃になって言うか。
医者の告知を受けるまではせっせと買いに行ってたやん。80過ぎの爺が。
おかしくて涙が出てきた。

父も弱気だ。


2006年09月19日(火) 若さと老化、えらい違い。

寝る子は育つ。
というが、子どもの頃から死んだように良く寝ていた。
社会人になっても、休みの日などは一日中起きてこない時があって、
母や姉が「死んでいるのか」と本気で心配して覗きにくる事が多々あった。

落書き絵


今でもよく眠る。眠りに入る間での時間も非常に短い。
眠くなくとも、体を横にすればいつのまにか熟睡してしまう。
布団の中にでも潜り込もうなら、もうイチコロだ。
いくら寝ても寝あきない。底のように眠る。

朝早く目が覚めるとか。寝られないとか、よくお年寄りの声を聞く。
内心、私がよく眠るのはその分若いんだろうと、ちょっと誇らしげに思っていた。

今朝、弁当を作った後、二度寝している私にダンナが嬉々として言った。
「よく眠るのは老化現象の一つ」だそうだ。
テレビでやっていたらしい。ニヤニヤしている。

私の某所に白髪が一本ひょろと生えてきた時にも、可愛そうにと言いつつ、
顔はしっかり喜んでいた、けしからん奴だ。
6つ下の妻が自分の仲間入りするのが嬉しいらしい。

それにしても。
自分では若い頃の睡眠と同じだと思っていたので少なからずショック。
よく眠ることが老化の一つだとは…。知らなんだ。
体力が落ちた。肌もくすんだ。集中力もない。そこへきて睡眠、お前もか。

長く使っているとバッテリーも充電しにくくなってくる。
家電のバッテリーは取り替えることが出来ても、生身の体はそうはいかない。

この先、そういうもんだと、騙し騙し労わるしかないですか… (^^ゞ


2006年09月18日(月) 言い訳 あるいは、その負け惜しみ

「ヤフ●ク」で手に入る人間関係なんてどんなもんだろう。
などと。相変わらず天の邪鬼なことを考えてしまう。

今さらながら上場話題となった「ミ●シィ」のことだ。
オークションで招待メールが取引されている。

仕事柄、ネットの可能性に否定的ではいけないのだが。
天の邪鬼的には、
(話題になったから。みんながしているから。流行っているから)
まずここで拒否反応… (^^ゞ

いや。何より。 …しんどくないんだろうか、と思ってしまう。
「ミ●シィ」デビューする人達は、
顔の見える人間関係をネットに持ち込むことに疲れないんだろうか。

デビューといえば。子ども達の人間関係の輪を広げ、ルールを学ぶために、
公園デビューは有意義なものだった。
それでも中には公園デビューじたいが呪縛となって。
母親を追い詰めたり、子どもを見失ったり、捻じ曲げたことはなかったか。
コミニュケーションはファッションじゃない。

煩わしく振り回されるのは、現実だけでたくさんだ。
なんて。…おいおい。そんなに人間関係に疲れているのか。

いや。ちょっと偏屈だが、けして人間嫌いじゃない。
一人で居ることが好きだが、人を避けて、ひきこもったこともない。
これで友情や仲間といった言葉が何より好きな人間だ。

おぉ。ナイスタイミング。
「束縛なんてもうたくさん」って。ほらCMでも言ってるぞ。
しがらみをネット上に持ち込まず、ちょっと距離がある関係が楽なだけなんだ。

と、まぁ。
こんなひねくれた考えは私だけかと思いきや、高2の長女が同意見だった。

まぁ。彼女の場合は、日々顔を合わし、声を聞き、話し、肌で感じる…
目の前のコミニュケーションだけで、手一杯、精一杯なんだろうけど。

落書き絵


…子どもの頃、友達の友達の友達の輪を辿ってけば、世界中の人と知り合いになれるんじゃないかな。などと胸をワクワクさせていた。

世界は性善説にあふれ、利害関係も、しがらみもない、幸せに包まれている。
今もそんな子どもっぽい私がいて、夢見てる。

ビジネスや、駆け引きの場でないのなら。
とてつもなくだだっ広い世界で、名前や、顔が何だろう。

例えば今モニタを通して、私がいて、ウダウダを読んでいるあなたが居る。
相変わらず、ひねくれている。何て馬鹿な奴だ。と、あなたは思っている。
あるいは共感したり。あるいは腹立たしく思っている。

互いに明かしたもの以外、本名や、肩書きや、素顔は何も知らない。
あなたは、あなた。私は、私。

それだけでは駄目なのかな。
友達の友達は友達…じゃないかもしれない、笑って言える関係がいい。


…F先生。やっぱ興味なし、知りませんではいかないかなァ? (-_-;) ボリボリ 


2006年09月15日(金) 達観と執着

落書き絵このところ気持ちが穏やかなのは、一時はどん底へ突き落とされた父の容態が安定しているせいかもしれない。治るわけではないが、ゆるやかな下降線を辿ればいい。そんな風に思っていた。


見舞いに行った時のこと。余命を宣告されている父が、
「わしの癌は方々に散っていて自然消滅することはないだろう」
と、さも飄々と他人事のように言ったので。

私も調子を合わせて。美容院に置いてある雑誌の記事でも読むように、
「いや。でも。ほら。奇跡的に消えていたって話もあるやん」
と、無責任に口を滑らした。

その時、見せた父の顔が痛々しい。
しまった、と、すぐに後悔した。

今までにも何度となくそんな話を慰めに聞いただろうに。
「そうか? そんなことが実際にあるんか?」
初めて耳にするかのように目を見開き、期待の籠った視線を寄こす。

レントゲン写真の幾つかの黒い影を見せられても。骨川筋衛門になっても。
手術は不可能だと言われても。三ヶ月の命と言われても。
父は、完治するかもしれない、…その思いを捨てきれないのだ。
傷口が塞ぐように、自然治癒すると誰かに言ってもらいたいのだ。

煙草や、酒が呑めなくなったら、そんな人生なんて終わりだと言いながら、
欲しくもなくなったその体を半ばあきらめ、半ば愛しく思っている。

奇跡。それが真実かどうかなんてどうでもいい。
「せやで。お父ちゃんも頑張りや。笑ろてたら癌も退散するんちゃうか」
骨と皮の背中をバシバシ叩いて笑い飛ばす。
そんな簡単な芸当が、私にはどうして出来ないんだろう。

縋るような父の視線から逃れて話題を変えた。
本人が捨てきれないでいる思いを、親不孝な娘はどこへほかしてきたんだろう。
自分の番でもないのに、人はいつか死ぬのだと聞いた風な口を叩いてる。

何も分かっちゃいない。
簡単になど死ねないのだ。


近所のお喋りなおばちゃんが見舞いに来て、父に向かってこう言った。
「あんたな。あきらめも肝心やで」

80も超えれば、病気になれば、同じようにはいかなくなる。
しんどくなるような欲は捨てろ、そういうことだ。
亡くなった母も仲良くしていた。けして悪い人じゃない。

だけど 「もう帰ってんか」 腹の中で毒づいた。 
悟りも、達観もクソ食らえ。
子どものように居心地悪そうにしている、痩せた父が可哀想だった。


2006年09月14日(木) 陽だまりが恋しい朝

やれ異常気象だ。温暖化などと言い始めてもう何年ぐらいになるんだろう。
確かにだんだん狂い始めているのかもしれないけれど、季節は動く。

東に向いている我が家。
今朝、玄関先で近所の人と話していて「秋」が来たのを実感した。

いつもなら影を探して避けてしまうような陽射しが何だか心地よい。
半袖の腕に感じるお日様の体温がほんわりと優しく温かい。
半歩右足をずらして、より日なたの中へと移動する。
少し前まで凶暴だった朝の陽射しが、不思議だな。

仕事帰り。草むらの駐輪場からは虫の大合唱。橋の上、ペダルを踏む。
静まり返る暗闇も、肌寒い風も、物淋しさも、いっそ心地よい。
自然の中で私も一緒に生きてるぞ、とちょっと思った瞬間。

そういえば昨夜からタオルケットの代わりに布団を出した。
「涼しくなりましたね」 から 「寒いね」 そんな挨拶もあっという間だろうな。


懐も早やサブイです。

落書き絵

…というより、そもそも我が家に「厚い夏」ってあったけ?



2006年09月04日(月) ヤモリの手

手かざしで 当るものなら 当ててみたい  (By 梅玉)

落書き絵

パチンコ台の盤面に向かって、手をかざし、祈っている人を見かける。
拝んでいるおばあちゃんも見た。あれも宗教かしら…!?


フルタイムの講習が始まるまではコマ仕事なので、日中、家に居ることがある。
すると色んな人がやってくる。優柔不断に優しく対応していると、中々帰ってくれないので、しょっぱなから不機嫌を装う。ダンナや子ども達からはそれでも甘いと言われている。

昔、全員外交といってボーナス時に預金の勧誘に家を回った。話も聞いてくれず、ドアのチェーンを掛けたまま睨まれるのには悲しくなった。なので、話も聞かずに頭ごなしにシャットアウトするもなぁ、と思ってしまう。ノーサンキュの一言で爽やかに引き下がってもらいたいもんだ。

で。そんな来客?の中でも対応に困ってしまうのが、宗教関連の人達だ。
前にも日記に書いたかもしれない。

世界を救おう、その気持ちは有り難いが、自分勝手で今のところ関心がない。
宗教を信じられる人は幸せだなと思う。強いとも思う。
ただ、そうは思うが、なれそうもない。自然や、命、形のないものに対して、神や、仏の存在を感じる事はあっても、唯一のものを信じる気にはなれない。

セールスマン相手よりは穏やかに断りを入れると、では小冊子だけでもと手渡された。何でもヤモリの手や、進化について書いてあるらしい。

うちの家にもヤモリがたくさん居るんですよ、
と、嬉しそうに言った婦人の話し振りが面白くて、読む気もないのについ受け取ってしまった。小冊子といえども手間が掛かっているだろうに…。

そのあと用があってすぐに外出した。
辻のところで、何人かのグループが地図を片手に集まっているのが見えた。

何気に集団行動というキーワードが頭に浮かんで、何となく腹立たしくなった。
普及、信者を増やすことが、それほど大切な勤めなんだろうか。
自然に辿り着くのが宗教なんじゃないのかな。どの宗教、宗派も、全ての幸福と平和のために強く信じているからこそ… だとは思うが。

さて。人生の寿命もあと半分切った。
なぁ、神さま。こんな罰あたりでも宗教を信じる日はやってくるのかな?


Sako