今日は母の三回忌法要。余命を告げられている父に、それとなく父方の親戚にも来てもらおうかと声を掛けると、特別な事はしたくないと言った。
父と、私達兄弟家族が集まって、お寺で追善供養をしてもらった。
ダンナと同じ年頃のお上人のお経を聞きながら、色々なことを思い出す。
二年前に自宅で亡くなった母のこと。
入院先の病院のベッドで、裏の墓地を気にしていた優しい義父のこと。
姉と二人で乳母車に乗せて、銭湯へ通った明治生まれの祖母のこと。
小さかった私を膝に乗せて可愛がってくれた先代のお上人さん。
お上人の隣で唱和するようにお経を唱えていた、祖母の知り合いの小母さん。
結婚して早々、20代前半の若さで、病魔に臥した私の友達。
数年前、数十年前、みんなもう亡くなっている。
亡くなった人は一人一人の心の中に生き続けているのだと、お上人が言った。
薄情な私は日々の忙しさに忘れ、心の中で何人の人を黙殺しているんだろう。
五稜郭祭始まりましたね。 読経の後は、卒塔婆を持ち、墓地へ向かう。夏のような陽射しが暑い。
墓石の上には、父が朝の内に供えた母の好物のコーヒーが開けてあった。
少し下がった筋向かいにある義父の墓にはワンカップのお酒が供えてある。
蓋が開いた酒は半分ほど父が飲んでいた。
父は時々こうして律儀というか、子どものような事をする。
カラス被害の為、花以外は供えてくれるなと、注意書きがあるのだけど。
「わしが死んだら、おまえとこのお父さん(義父)のように酒を供えてくれ」
と、墓参りの際には、いつも冗談のように言っていた。
午前中に墓の掃除をして、供養が終わったのが2時。
「お母ちゃん、もう十分飲めたやろ」読経が終わった後で缶を下げた。
読経の間、手許にあった経本を、意味も分からぬまま追いかけていた。
若い人でも、年寄りでも、どんなに偉い人でも…、
どんなに苦行を積んだ賢い人でも、命あるものはやがて死ぬ。
だから、まず凡俗のことより、臨終を学ばなければいけない…
何やらそのような意味のことが経本の裏に書いてあった。
死ぬことを学ぶ。
ありがたいお経にはあまり興味もないが、なるほどと思う。
どう生きるか、どう死んでいくか、結局、この二つはおんなじだ。
80を過ぎた父はやがて迎える死との折り合いを真剣に考え始めたようだ。
いや、そうならざない状況に追いやられたのだ。
法要の間、口には出さないが、鳩尾や、背中をさすっていた。
気休めの治療が始まる。これから先は辛い事が増えてくるだろうか…。
願わくば、最期の一日まで。
「花はいらんから酒を供えてくれ」と、いつもの軽口が聞ける事を願っている。
ふだんは殺風景な我が家にたくさんの花が飾られている。
白いアマリリス。長女の誕生日祝いの花。母の日の赤いカーネーション。
そして今日二つの花が加わった。
一つはダンナが結婚記念日のお祝いに買ってきてくれた薔薇の花束。
もう一つは20回目の結婚記念日のお祝いに思わぬ所から花を頂いた。
贈り主はダンナが勤める会社だった。
両手を伸ばして抱えるほどの大きなアレンジメント。
「へえー。みんなにこんな事してるん?会社?」と聞くと、
結婚記念日はともかく、社員さんの誕生日祝いには何かするそうだ。
思えば。結婚して早々、安定していた会社から独立し、数人の方と小さな会社を起こした。一ヶ月の給料にして、突然、両手減額の憂き目に愕然とし、さすがに楽天家の貧乏人も食べていけるのかと本気で心配した。
そっか。あれから20年かぁ。へへえぇ。
20年もダンナと一緒に暮らしているんだ。嘘みたいだ。
(…私が男だったら。絶対こんな嫁さん追い出してるぞ (^-^;))
二日前のことだった。
「アクセサリーとかあんまり付けへんし…」
と、ダンナが黄色い封筒をぶっきらぼうに突き出した。
そーいや。先週、何か欲しいものはあるかと聞いていたっけ。
宝石は興味なし。バッグや服は好みが分からん。旅行は今は行けない。
考えた挙句の結果が、宝くじの分厚い束。
時々気が向いたら、10枚、20枚と買っていたのを思い出してくれたのか。
こんなにたくさんの「夢」を一度に手にしたのは初めて。
宝くじ当たるといいなぁ。
もし一等が当たったら? うーん。どうしよう?
ゆっくり出来てコーヒーの飲める貸本屋とか、古本屋さんやってみたいな。
いやいや、もっと現実的に…。
庭と書斎がある家を建てて、それとは別に義母の家も建て直して、
死ぬまでの保険料を一括払いして、みんなに幸せを少しずつお裾分けして…。
そして。この夏が無事終わったら、ダンナと旅に出よう。
海外もいいけれど、やっぱり歳三さん行脚の旅がいいな。
付き合ってくれるよね?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あっという間に今日は土曜日です。
父は食が進まないものの自宅にて無事です。
週明けから弱い抗癌剤を使った治療が始まります。
母の三回忌も無事に出来そうでほっとしました。
仕事の事とか、読んだ本の事とか、
ウダウダが頭の中に溜まっているのですが、
毎日、爆睡。今朝もこれから出勤です。
しょうがねえ。がんばんべ。
ふだんは花を活けたり、飾ったり、花とは無縁の我が家。
けれども毎年5月は花に縁があるようで、家の中が華やいでいる。
4月の長女の誕生日に贈った花篭。母の日にもらったカーネーション。たぶん、今年もダンナからもらうであろう結婚記念日の薔薇の花束。そして昨年の暮れ父からもらったアマリリスの球根が大輪の花を咲かせている。
ちなみに花の贈り物は、父に花を愛でる趣味があるわけではなく、実家の煙草屋業のいわゆる斡旋注文というヤツである。いつもはコシヒカリだの、煮込みハンバーグなどの実用ギフトが、昨年は姉の希望でアマリリスとなったわけだ。
(左)は自宅のアマリリス。4つ花を付けました。
(右)は義母宅に贈ったもの。
茎がやや元気よく伸び過ぎたものの、可愛いピンクの大きな花です。昨日、仕事が休みだったので、父を見舞った。
思いのほか顔色は良かったが、食欲がなく、体重も減っているとのこと。
ズボンのベルトの穴がこんなに詰まったと細い胴を見せてくれた。
アマリリスの球根が。
姉宅も、義母んちも、うちも、知り合いのおばさんちも、咲いたのに。
父の手許に届いたものだけが、花を付けない。
茎葉だけが異常なほど伸びているのに、まだ花の蕾すら見えない。
水を与えたり、様子を見たり、花の世話は、店と一緒で姉まかせの父。
さして落胆もしていない父に、デジカメで写した花の写真を見せた。
「咲かへんのが(贈った先ではなくて)、お父ちゃんとこで良かったなぁ」
ふだんなら気遣いで終わる姉の言葉に一瞬ドキリとする。
花が付かなければ、確か取り替えると説明書に書いてあった。
咲かない球根は不良品、取り替えればいいが、父の体は取り替えられない。
花にも分かるんだろうか。 どうして咲かない?
華やいだ気分になるのを遠慮したか?
咲かない花がうちのであれば良かった。
「もう。お母さんが面倒みいひんから」と、悲しいけれど笑ってすませた。
いずれ花弁は落ちるにしても。 どうして咲かないんだ。
2006年05月15日(月) |
この贅肉何とかならんかな |
講習が始まったばかりだというのに、カリキュラムの都合で、月、火と、仕事はお休み。二日も連続で休みが入ると、せっかく今回のリズムに慣れてきたところなのに、またやり直しが辛い。
もちろん。やってなんぼの仕事だから、休講になればカウントされない。
休みが増えて嬉しいのか、仕事量が減って悲しいのか、半々。
まぁ。朝からのんびりできるのはいいやね。
朝6時に子ども達の弁当を作った後、二度寝しちゃいました。
沖田のが…もとい起きたのが10時過ぎ。ギョエッ!!
ゴミ収集車の音で起こされるなんて。おかげでゴミを出し忘れそうに…。
隣の町内の筋まで走って持っていき、ぎりぎり間に合った。
そうそう。10月から京都市もついにゴミが有料化になるようです。
有料指定袋制度だっけ。専用のゴミ袋を買うって奴。
ゴミを出すのにお金が掛かるのは、お財布直撃で確かに痛い。
「じゃ。夏の間に処分できるゴミは全部出さなきゃ」と浅ましく思う私。
元を正せば、買って要らなきゃ捨てればいい、という大量消費時代の名残り。
そんな驕りの生活は、ほんとに終わりにしたいなぁ。
ゴミや、リサイクルという前に、まずそのモノが必要かどうか見極めて。
出来るだけ、清貧生活がカッコエエ! をめざしましょ。
何でもモノを溜めてしまう我が家は
まるでハムスター小屋のごとし。
せっかくきれいに掃除してやっても、
すぐに心地よい空間にしてしまう
あいつらとおんなじだ。
家庭訪問が終わった二日目には
元の状態に完全に戻っていました。
トホホ。
(昔飼ってたんですが死んじゃいました)・・・以下はいつもの妄想。 マジメな方は読み飛ばしを。
でね、歳三さんの部屋ってどんな部屋だろ。
ってよく思うわけですよ。
昔の人っていうのもあるけど、贅肉嫌い、無駄が嫌い、汚いの嫌い…
モノがあんまり置いていない、シンプルな部屋かな。
うーーーん。 一日で追い出されそうだ… 私 (-_-;)
あぁ。猫になりたいな。
猫なら毛を落とそうが、虱を飛ばそうが、柱に傷を付けようが、粗相しようが、
しょうがねえな。 って、あきらめて置いてくれるだろうか。
いや。首根っこ掴まれて、睨まれて、庭に放り出されるかな。
そもそも猫嫌いだったりなんかして…??? 斬るッ! うわ、やめてくれ。
言葉の話せない馬とか、犬とか、虫には優しそうだけどな。
それじゃ。その部屋の壁ってのはどうだろう。
何も言わない壁になって部屋の中の歳三さんを見ていたい。
そしたら或る日何か腹に思うことあって、拳でどつかれたりして、ね。壁。
この壁…感触が妙だ、ってんで、トンカチで五寸釘ドンドン打ち付けたりして。
うわぁッ。
うーん。それなら空気や、通り抜ける風でいい。
空気なら、ずっと一緒に居ても邪魔をしないから。
これが現実なら、立派なストーカーやね… すみません (^-^;)
母の日
すぐに洗濯物は溜めるわ
夕飯にはスーパーのお惣菜が並ぶわ
朝はギリギリまで寝てるわ
のダメ母でも
感謝というよりは
やむなくまわりのムードにのってかな?
子ども達が毎年それらしき事をしてくれる。
ありがたいと言うか、くすぐったい。
私の母はもう居ない。
やがて来月は父の日。 …父はそれまで元気だろうか。
私を産み落とした両親がこの世から居なくなる。
このごく当たり前の現実に愕然とする。
不慮の事故や、病気で、突然に不幸が訪れたわけでもなく、
歳をとった両親を間近で見送れることは、むしろ幸せなことなんだろう。
だけど。
なんのかんのと思ってみても。
母や… 父が居なくなる。
ぽつんと置かれていくようで、無性に淋しい。
仕事先の教室で、話題作りにうっかり話を振ってしまった。
「うちは母の日も父の日も関係ないねえ」と
一人暮らしのおじいさんが淋しそうに言っておられた。
世間の行事や、しがらみから取り残されていく。
身軽になる反面、どれほど侘しいものだろう。
…あ。忘れてた。
お義母さん。
来週、母の法事のあと家に寄ろう。
それにしても。
「母の日」とか「なんとかの日」とか… この国はお節介が好きだねえ。
ほっとけや、とも思ったり。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ハンバーグを作ってあげるという、まる子ちゃんと一緒に買物に行って、
ハンバーグと、ブロッコリーとポテトのサラダ、人参のグラッセを作りました。
母の日…というよりは。
久々に母親? …らしい事をしましたとさ アレ(^-^;)?
長女は部活の帰りにカーネーションを買ってきてくれました。
「うちが、こんなんするなんて思わんかたやろ」と言うので。
「ふふん。(つきあいで)友達が買おうと言ったからやろ」と
すぐさま憎まれ口を叩きそうになり、苦笑い。
ありがとう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして。いつもの誰かさんのこと。
幼少にて両親を失い、長男夫婦に育てられ、姉の嫁ぎ先を慕った歳三。
戦に気が焦る中で、諫められ、ばあさんの作った牡丹餅を黙然と食べた歳三。
どんな人だったのかな。
生涯独り身で、我武者羅に生きた一本道の短い生涯の中で、
母を恋しく思うことはあっただろうか。
2006年05月12日(金) |
なのに… 5月11日の日記 |
ありゃー 12日になっちゃった。ゲームやってる場合じゃないんですよ。
「死ねまさにその瞬間、自分は何を思い浮かべると思う?」
これは高校生の長女に勧められた「MOMENT」という小説の中のト書きです。
1869年5月11日 命日 あなたは何を、誰を浮かべたのでしょう? 合掌
2006年5月11日 今日は開講日。久々の緊張感でかなり疲れた。
おまけに初日から夜の掛け持ち日。体力いつまで続くでしょ。
ほぼリクルートに近い格好だったので、さすがに、
「50近くにもなって、この格好は見苦しいでしょ?」 と、夜の教室で話したら。
「いかにも(インスト)らしくて、かっこいいですよ」 と褒められた。
…つーことは普段は「らしくない?」のか、おい。
教室仕事はプレッシャーにならないように、逆にこういう服装は避けている。
きちんとした格好が珍しかったらしい。
へへえ。孫にも衣装…。 ってことはないか。
太っ腹でウエストがズリあがったスカートの丈。太い足。デカイ顔…。
それでも。お世辞とは分かっちゃいるけど。 …内心嬉しい…。
最近、体型はともかく仕事に向かう姿勢がルーズになりつつある。
ともすれば楽な方に流れてしまう。
ちょうどいい頃かもしれない。
良い緊張感を持とう。
スーツ姿なんて窮屈だし似合わないけれど、気持がシャンとする戦闘服。
悪くない。他に服もないし。
しばらくこの格好でいってみるか。
などと思っていたら、今朝珍しくダンナがスーツ姿で出勤した。
いつもは仕事着なので。ちょっとドキっとした。
たまには「らしくない格好」するのもいいかもしれない。
歳三さんのドキっとする格好… ザンギリ頭に和服かなぁ。うふふ。
昨夜、主治医から病状の説明を受けた父はさっそく今日退院した。
月曜日に入院し、一日気休めの検査をして、水曜日の朝には荷物をまとめた。
窮屈なのが嫌いなのだ。治る見込みもないのなら一日も居たくないらしい。
退院後の治療は?…と、いうと下旬に点滴を主体とした治療が始まるようだ。
なんでもっと早く始めないのか、と、言いかけて口をつぐんだ。
今まで通りの生活をする。
大正生まれの高齢だもん。きっと病気の奴だってヨボヨボだ。
進行だってしないかもしれない。出来なくなったら、その時考えればいいさ。
ところで先日来、ちょうど私の保険の見直し期間なのか、「癌保険」特約を付けましょうと、保険屋のおばちゃんにしつこく言われている。
二親とも癌家系みたいなので入っておいてもいいかな、とダンナに相談したら、
「それって。本人に癌告知しなきゃ、癌って分からないんとちゃう?」と。
なるほど。どうなんでしょ??
で。そんな話から、じゃ、お互いに「余命三ヶ月」と宣告されたらどうする、という流れになった。
ダンナ曰く 「何もしたくないと思う」
そりゃ、まぁ。実際、そうかもしんない。
でも。でも、よ。
少しは残された家族の為にとか。会社の仕事を片付けておくとか。
立つ鳥、後を濁さずとか。身辺を始末するとか。
やりたかった事をこの際するとか、そんな事はまったく考えへんの。ねえ?
え。いや、私?
…うーん…どうなんだろう… やっぱり力が抜けちゃうかもしんない…。
で。そっちはそっち。こっちはこっちの生活もある。
明日は長期講習初日。場所も変わって雰囲気に慣れるまで緊張します。
でも、何が苦手って…。 そりゃ。朝、出遅れて遅刻したりしないかと…。
(小心な癖に決まりきった行動が苦手。窮屈なのも嫌。父によく似てます)
仕事だから給金もらう以上、遅刻するわけにはいかない。
とりわけ明日はエライサンも来るので絶対にマズイ…。
こら。3時だ。ウダウダ遊んでないで早く寝ろ。
今の気分を落書きにすると
こんな感じ。
前にいくだけ。理屈じゃねえ。
2006年05月09日(火) |
インフォームド・コンセント |
昨年の暮れ、父がまだ元気だった頃に、実家からもらったアマリリスの球根。
春の間、花茎が中々伸びずに一度はあきらめていたのですが、昨日、4つ付けたつぼみのうち、2つの花が開花しました。
ユリに似た大きく美しい花です。
白の他にはピンクや赤があります。
もしあなたが膵癌で肝臓他に転移癌が見つかったとしたら、
あなたは癌であると告知してほしいですか?
芳しくない今後の病状の変化について、
治療でどこまで治るか教えてほしいですか?
外科的手法が効なしだとして、3つの選択肢があります。
一つは何もしないという治療。
一つは抗癌剤、放射線、化学療法等による積極的治療。
そして痛み等に対する緩和療法。
予後の希望をお知りになりたいですか?
余命三ヶ月、と告知されたら、あなたはどう生きますか?
何らかの療法を行えば、一時的な腫瘍縮小と延命をもたらすこともあるが、
病気が完治することはない。
どうしたら、幸せに、幕を下ろせますか?
病院から帰るとき、81になる父は私の日増しに増大する体型を見ながら、
「もっと運動しろよ。体に悪いぞ」と、ベッドの上でしかめっ面を作った。
そっちこそ。病人のくせに。
酒と煙草…さんざん好き勝手やってきて、人の心配なんかするなって。
2006年05月08日(月) |
ポスターのある茶の間 |
大型連休も終わりましたね。
北海道の五稜郭ではソメイヨシノの桜がようやく咲いたそうです。
予定通り本日入院した父。明日家族への説明があるそうです。
今年2度目の兄弟の顔合わせ。こんな時しか顔見せないな、お兄ちゃん。
さて。今日はまる子ちゃんの家庭訪問がありました。
我が家には客間などという気のきいた部屋がないので、毎年、卓袱台のある茶の間に上がってもらうことになるんですが…。
その部屋がすごい。半端じゃない。
家庭訪問だから素のままでいいんだよ、と笑うダンナを尻目に、まぁ、日頃片付けていないこともあって、連休中、頑張って総司…、もとい掃除しました。
茶の間には、障子の穴隠しの目的で(…という照れ隠しなんですが (^-^;))
五稜郭でもらってきた2004年度のカレンダーがまだドドーンと貼ってあります。
歳三さんと近藤さんのツーショット。私が部屋に貼ると言い出した時、子どもに、
「お母さん、恥ずかしいからそれはやめて」と言わせたシロモノです。
さて。それを見た先生の反応やいかに?
と密かに期待するも、ご本人はまったく眼中になし。
遊び心に冗談言ったら怒られそうな…?体育会系のマジメな先生でした。
実は、一つだけ、担任の先生が女性だったら聞きたかったことがあります。
初潮のこと。私も晩生だったから大丈夫と思ってはいても、今年もう14歳。
チビガリの昔の私似のまるちゃんの体は、部活動で、たぶん今が精一杯。
部活の顧問でもあるし、チラリと相談しようかと思ったんだけど。
いきなり「細いから、もう少し肉が欲しいな」って。
肉って…。アナタ。せめて体力、筋肉と言って、センセ。
いや、まぁ、確かに肉なんですけどね… 分かりやすいか… (^^ゞ
もちろん。即、デリケートな相談は引っ込めました。
伸び盛りにもっと食生活に気を配れってことですね。反省。
昨日のテレビで「ニッポン人が好きな100人の偉人」というのをやっていました。
龍馬はともかく、偉人とはちょっと…いや、かなり違うと思いますが。
さすがに老若男女の人気者、10位にランクイン!もし土方が戦争で死なずに降伏して生き残っていたら…。
名前が挙がることも少なかったかもしれません。
そう思うと淋しいな。
連休にも関わらず、家の大掃除をしていたら…。
タブレットのペン先の予備が見つかりました。新しく買う予定はなかったので、う、嬉しいのなんのって。
ちゃんと反応するだろうかと早速ラクガキしてみました。
ペンはスムーズに動いてくれましたが、ヘタの横好きは相変わらずです。
5月5日は彼の人の171回目の誕生日。スーパーおじんだ…(^-^;)ちなみに今回の仕事は、↑の人の命日がスタートです。
(いずれも旧暦ベース) さて。私は誰でしょう…?
なんて、毎度同じことをやってる場合ではないのですよ、歳三さん。
連休明けは、父の入院、家庭訪問、新仕事初日、母の三回忌…と忙しい。
連休中は嵐の前の静けさ…は大そうだけど、物事が動き出すのは確かだ。
ダンナが「5月は結婚記念月なのにどこへも行かないのか?」
と言ってくれたけれど、悪いけれど、今はそういう気分に中々なれない。
深刻になり過ぎるのかな。お気楽な楽天家のようで悪い方によく考える。
その癖、なるようになるとすぐ開き直る。
変な奴だな、おまえ。
明日一日充電しよう。
そしたらもうウジウジ悩んでいる暇もない。
湧いてくる現実に対処するだけだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5日は毎年恒例の義母宅のお祭りへ。義母はここ数年一人で住んでいます。
長男のダンナの言うことにゃ、お互い気楽な方がいいと今まで来たけれど…。
父より一つ下の義母さん。今は元気だからいいけれど…。
さて。どうなることでしょう。
一ヵ月後、半年後、一年後の先が読めません。
なるようになる…ですか。はい。
2006年05月04日(木) |
前略 49年前の荒井美保子さま |
前略 美保子さま
先日、「春の古書大即売会」というイベントに行った際、見返し部分に貴女の名前が刻まれた古い本を見つけました。「幕末風雲録」という本のタイトルと、何ともレトロな装丁に惹かれ手にとってみると、まるで本に見せかけたカラクリ箱のように、あまりに軽くてびっくりしました。
表紙 と 見返し
幕末風雲録 著者/野田開作 偕成社 昭和32年発行 黄色く焼けた乾燥した紙片。夥しいしみ。それこそシルバーフィッシュが好んで住んでいそうな状態の本で、巻末をめくってみると「昭和32年8月5日発行 定価150円」とありました。
昭和32年…! じつは私が生まれた年です。(言っちゃった…)
口絵や挿絵が付いていたり、漢字に総ルビがふってあるところを見ると、大人向けの読み物ではなく、少年少女向けの読み物のようですね。
ということは、この本の最初の持ち主と思われる荒井美保子さんは、当時、10代前半の少女だったのではないでしょうか…。
本など中々買ってもらえなかった我が家はともかくも、それでも、この時代の本は今よりもっと高価で、大事にされたものだったんでしょうね。
もし、今、お元気でしたら、美保子さんは60代ぐらいのご婦人でしょうか…。
裏表紙の裏に刻まれた青いインクの伸びやかな筆跡を見ながら、美保子さんはどんな少女だったんだろうと想像しつつ、今日、本を読み始めました。
裏表紙の見返しに私も名前を並べて書いてもいいですか、美保子さん?
読めば読んだで常にほったらかしの私ですが、偶然手にした、私と同じ年の生まれの本。大切にしたいと思います。
Sako
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
残念ながら主要人物の挿絵には登場しませんが、佐川官兵衛と共に、白虎隊の少年隊士を見守る土方歳三や、榎本釜次郎らお馴染みの人物が登場しています。少年少女向けと書きましたが、活劇的であるものの、禁門の変、海援隊、上野彰義隊、天誅組騒動等、かなり詳細で読み応えがあります。
挿絵といい、カバー、装丁といい、貸本屋時代の懐かしい匂いがする本です。
※ 偕成社から少年少女歴史小説全集として1966年にも発行されているようですが、絶版のようです。
G.W だというのに朝も早よから弁当作り…。
それぞれ公式戦を控えた子ども達には祝日も日曜もないようです。
嵯峨天龍寺の境内にあった梅の木
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
鈴なりに小さな梅の実がついています。
若草色と混じりあう、ほんのり淡いピンク色がとってもきれい。梅の実が熟す頃には、もう梅雨入りでしょうか。
小さな梅の実や、もみじの柔らかな若葉、つぼみが膨らみかけたツツジの花、遅咲きの山桜に、艶やかな紅を落とす椿の木…。
そんな草花を眺めていると思い出した言葉があります。
『 年年歳歳 花相似たり 歳歳年年 人同じからず 』
唐の劉廷芝という人が作った長い詩の中の一部だそうです。
「年年歳歳」以前、この文字をデザインした青いウインドブレーカーを見かけた時は、大好きな「歳」がいっぱいだと喜んだものですが…。
→
2006/ 2/11 付け 「トシがいっぱい」の日記時が来ればまた花は咲く。
だけどその花を愛でる私は去年と同じ私ではなく、また花を愛でる人達も毎年毎年変わっていくんだな… 勝手に解釈… (^^ゞ …ってところでしょうか。
子どもの頃、小さな足でいくら追いつこうとしても追いつけなかった母の背中。
いつのまにか先に歩き、何度もあとを振り返るようになり、ついには掌におさまる小さな骨になった。
年とともに変わっていく。
鏡の中の自分の顔を見て、しょうがないさ。そういうもんさ、と思っても。
とりわけ大切な人が日々弱っていく姿を見るのは淋しいもんです。
連休明けにも入院する父を連れて、保津川の舟下りに行ってきた。
船頭さんの話を聞きながら… 夏を思わすような陽射しのもと、私と姉の娘二人、親戚同然の仲のおばちゃんの美人三人に囲まれて、80を過ぎた父は嬉しそうだった。
囲碁を打って、天皇賞を語って、娘に博打のウンチクを説く父。
老人クラブでも俺はモテるんだ、と冗談半分、時に本気で困ったようにいう父。
そのくせ俺は気が弱いと、他人に気を遣いすぎる神経質な一面も覗かせる。
家を出てしまった兄との会話も、父親として面と向かって出来ないままだ。
父親という評価を下せば、一般的には「2」がいいところのアカンタレ。
だけど、この自分に正直な、枯れても、若さ(弱さ)をみせる父が好きだ。
どうしようもなくなったら、病院を逃げだして好きなようにやる、という。
それは父の本心でもあり、実は案外そうでもないんだろう。
考える事なしに、
今がこのまま続けばいい… そう思う。
何で5月なんだろう…。
2年前の母の時と同じだ。
若葉が目に染みるほど鮮やかで、命が躍動的なこの季節に、対岸を考える。
川面を吹き抜ける風や、ゆったりとした時間の中に、つまらぬ考えなど、みんな融けてしまえばいい、と思った。
乗客を船着き場に下ろし、帰っていく船
Sako