「虹」(電気グルーヴ)
くりかえす事もタマにある ぼんやりとただ意味なく 遠く短い光から 水のしずくハネかえる ゆっくり消える虹みたく トリコじかけにする
ふりかえる事もたまにある 照れながら思い出す 遠くて近い つかめない どんな色か分からない ゆっくり消える虹みてて トリコじかけになる
こんな詩だったんだなあって。私は「邦楽」を聴く時わりと詩が重要だったりするのでCDを買うと歌詞カードをじっくり見る方なんだけど、電気グルーヴに関しては聴いた後にじっくり読むケースが多い。この「虹」もすごく好きで何遍も聴いているけど、歌詞カードをじっくり見たことがなかった。今日なんだかすごく電気が聴きたくなってこの曲を聴いてて歌詞を見てみようと思った。 なんでこの曲が好きだったのか。まずメロディーが美しい。そしてなんだかこの歌はストーリーじゃなくて「終わり」の淋しさとか「始まり」の希望とか「恋」に似た気持ちとか「不安」とかがふっと入れ替わり立ち替わりしているのだ。すごく魅惑的な曲だ。なんというか全体を「ただそこに在るという」大らかな真実が包んでいる感じがする。今電気が聴きたいって思った気持ち、選んだ自分がすごく嬉しい。 そんな気分だす。自分に酔っぱらい〜♪
あ、今日「恋の門」観てきました。 なんだかいろいろつまってて大変だったけど面白かったです。なんかに夢中になれるってえのはええことぞ。そして人と人ってえのはほんとそのふれあわない少しの隙間があるからこそ惹かれあう。その隙間は埋まらないけど無限の可能性も秘めてる。そこが面白く、時に口惜しく、愛しくてやまないのだ。
この間立ち読みしたら「ホムンクルス」という漫画が面白くて買ってしまった。題材は違うのに、なんだか「寄生獣」を読んでいる時の気持ちに似た感じになる。人の心の歪みをみるとき、それは自分を映している…。これは昔から自分でも感じていたことだ。人に対して怒っているとき、自分に対して怒っていることもあるのだ。(例外もあるが)旦那さんがニーチェが「なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである 」と言っていたね、なんて言ってたけど、ほんまうまいこと言うわ〜。人は人に興味をもたずにいられない。自分に興味をもたずにいられないのとこれは同じことだね。 「例外もある」という余白を自分に入れつつ人をみたり、自分をみたりしていきたい。なにごとも余白をもたせることは大事だべ。ぴったりぎっちり詰め込むのは息苦しい。
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