狛の日記...狛。

 

 

Merry Christmas - 2006年12月24日(日)


クリスマスは、病院の中でした。


サンタクロースが登場して、一つ一つの部屋を回ってくれたのには、こっそり感動して。
何十年ぶりかのサンタクロースの訪問に、
みんな瞳を輝かせてくれたのも、嬉しかったです。


小児科ではないのに、なんて声もありましたが。
毎年、この病院に訪れるサンタクロースのトントゥとして、
少しでもお手伝いできたのが嬉しかったです。

狛の大好きな人たちは、
どんなクリスマスを過ごしたのだろうかと、少し胸を躍らせて。
彼や彼らが、ステージに立つことを選んだ事実に、少し笑みが浮かびます。

同じ空間を共有したかったけど、
またいつかそういう行事のときを、同じ音の中で味わってみたいと想いました。





...

冬至 - 2006年12月21日(木)


それはさ、一つの節目だから何だか良いよね。




そう言って、珍しく本当に嬉しそうに笑った相手から、
自分とは少し違う視点を教えてもらえた。



彼らは本当に長期間の入院生活を余儀なくされていて。
彼は最初の予定から数えると、もう3回治療内容を変更している。
本来なら、とっくに自宅療養しているはずなのに、
気付いたら、長期間の療養者に名前を連ねていた。




日本人だからさ、日本の四季は気になるよね、とか。
冬至のゆず風呂がいいんだよね、とか。



彼らはそういう言葉を自然に口に出すから、
忘れかけていた何かを改めて考えさせられてしまう。



毎年恒例で、奥様と近所の銭湯に行く話とか。
正月にお雑煮が食べたいと、時折ぽつりと呟く横顔とか。
クリスマスも正月もよろしくおねがいします、と笑う顔とか。
外の空気を感じられるのは面会に来る家族の服装だけだ、と告げた瞳とか。

その笑顔の裏側で、
実は本当に苦しんでいるのをちゃんと自分は見ているんだろうか、とか。
彼らの人生まできちんと見詰め合えているんだろうか、とか。

そんな難しい問いを、何度も繰り返して突きつけられる衝撃に、
それでも真っ直ぐに頷く強さがほしいと想った。



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秋田LIVE - 2006年12月19日(火)


白いスクリーン代わりの布の向こう側からリズムを刻むドラムの音が小さく響き、
ゆっくりとシルエットを映していたその布が引き上げられると同時に
彼らが音を紡ぐその第一音の力強さに、気持ちが惹き込まれる。

知らぬ間に口角が上がり、悦の感情がざわりと内側に満ちてくるあの昂揚感に、
それまでの憂いが全て払拭された。


聴きたかったその音質に、悲鳴を上げそうになる。
あの時の音が嘘のように、迷いのない真っすぐな音色には泣きたくなった。



LAYLAの持つ雰囲気は変わってしまったけど、
これはこれで良いのかもしれないし。
彼らが求めたものはきっと、
突き付ける鋭さではなくて、抱き締める柔らかかさなのかもしれないし。

擦れた歌声が少し痛かったけど、
曲の合間に必死にスタッフへと合図を送るヒサシの横顔はやけに格好良く見えたし、
最初から躊躇うことなく音を刻むジロウの低音の存在感は進歩したな、と実感した。


自分とジロウを指し示して、指だけじゃなくて腕まで上げていたヒサシを見ながら、
自分とジロウの音も一緒に上げようとしていたヒサシな心境が何となく分かる気がした。


誇らしげにギターを客席に向けながら、
誰かさんを彷彿させる前傾姿勢で紡ぐ、揺れない和音は耳に心地よくて、
流れるメロディラインの途中で中途半端にボリュームが上がっていくのは
愛嬌の範囲に入れておく。

最初は少し荒っぽい印象を受けたヒサシのギター音だったけど、
いつのまにか落ち着きを取り戻したように静かに周りに調和していくから不思議。

代わりに、
一番の基準になるドラムからリードを奪って先走ってスピードを上げるジロウのベース。
いつもはリズム隊を差し置いて走るヒサシがついて来れないのが、何だか可笑しかった。








そんなヒサシが、MCで紡いだ言葉の意味があまりにも重過ぎて。
じつは、少しユーモアを含めたヒサシの言葉に、自分たちは笑うことができなかった。


どうしてこの場所で、その話題にしたのだろうか、とか。
どうしてこのタイミングで、その話題に触れたのだろうか、とか。
彼が抱えた胸のしこりがちゃんと消えたから、口に出せた話なのだろうか、とか。
逆に、まだ痛いくらい残っているから、あえて口にした話なのだろうか、とか。

周りにいた人たちがくすくすと笑ったり、
家族の愛情をただ暖かいだけのものとして捉えたりしている事実が逆に不思議で。

ヒサシにとっては、そんな生易しいものではないような気がしてならなかった。


彼が口にする父親の話は、いつだって棘や痛みを伴うから。
思わず顔を顰めたくなって。泣きたくなる。

次に続くタクロウが、言葉を紡ぐことを一瞬だけ躊躇ったり、
隣にいるジロウが、じっとヒサシの方を向いていたりする姿も、少し痛かった。



ヒサシが失ったものの大きさを、あの時笑った人たちはどう捉えているのだろう。








そんなヒサシの言葉を聴きながら、調子の善し悪しがあまりにも激しくても、
今が良ければ、それで良いのかもしれないと想いなおしてみた。




ステージのフロントと上手に立つ二人は、
自分という人物まで見てほしいと言っていたけれど。
反対側の二人はそんなことを言わなかったし、
たぶんアーティストの部分を見てほしい人なんだと思うから、
ステージの上が全てなのだと思う。


だから、自分は彼らが言葉よりも感情を込めてくれているであろう音しか信じないし、
それ以外の安い言葉や言い訳は認めない。




ただ今日は、
あれだけの音や感情を痛いくらい魅せつけてくれた彼らを
リアルタイムで見ることができた事実が、
誇らしかったし、幸せだったし、本当に良かったと思った。



巧い言葉が見つからないのが悔しいけれど、賞賛の眼差しを愛情と気持ちを込めて。

また逢いに行こうと思った。



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