狛の日記...狛。

 

 

合格。 - 2005年03月29日(火)



1年待って、
ようやく手にすることができた祝福の言葉が、
果てしなく嬉しくて。




ありがとう。
がんばったよ、自分。


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沖縄の地で。 - 2005年03月26日(土)



鋭さというよりも、拡がりのある音質だったように想う。
大阪の地で聴いた、あの射抜かれるような痛みよりも、
遥か遠くまで響き渡るような開放感を感じていた。

野外という空間で、それはとても理想的なことで。

気まぐれに吹き抜けて行く風に曝されながら、
それでも自分のところまできちんと届く音に、ぼんやりと漂っていた。

キラキラとした飾り音が紡ぐメロディと、
僅かにずらして刻まれる低音が織り成す
染み渡るような音の調和が心地良かった。

斜め上からステージ全体を見渡せる自分の居場所が良かったことも重なって、
久々に気軽に楽しめた気がする。


この音は、天に届くだろうか。
鳴り止まぬ音の調和が歪むことなく響くだろうか。

あたしが聴いたのと同じ音を、
この地上に別れを告げたあの子が聴いてくれれば良いと想った。


そんな微かな祈りと願いを込めて。



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INDEX - 2005年03月21日(月)



いろんなことをすべて訂正して。
だけどそれらはその瞬間の自分の本音だから
消去せずにとっておくことにしました。



4日間、
眩しすぎるくらい輝かしいステージの上で、
心地良いと感じるくらいの音を奏でてくれたのが凄く嬉しかった。



何があったのかは分からないけれど、
あのくらい凄まじい痛みを抱えた音が、ずっとずっと聴きたかった。

思わず顔を顰めてしまうほどの痛みと切なさを
惜しげもなく曝して楽器を爪弾く姿に、
残酷なほどの煌きを湛えたメロディーを奏でる指先に、
心からの悲鳴のような歌声に、

こういう姿と音色が聴きたかったし、
そういうものを求め続けていたのだと実感させられる。


あたしは南向きの彼らよりも、
痛みや絶望や切なさの渦巻く極寒の北と、
全てをゼロにリセットして無に帰る事のできる東を結んだ、
細い細い線の上を綱渡りするような、そんな彼らが好きだと思った。


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3月12日 - 2005年03月12日(土)

とても残念だと思った。






狛はとても人の声が好きだから、
基準は酷く独特なものになっていて、
半端なく独断と偏見が在るとは思うのでご了承を。





あなたのためのLIVEではないのだと、声を大にして言いたくなった。
そんな気軽な音のために、高い代価を支払ったわけではないのだと。
あまりに軽すぎる声色に、音色に、
がっかりを通り越して、悔しさが込み上げる。



もう一度見直して欲しい。


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Diva - 2005年03月03日(木)

雛祭に。

自分にとってのディーバは誰だろうと考えて。


オペラなら、サラを。
賛美歌ならシャルロットを。
ミュージックなら、エンヤを。
モデルならジェマを。


決して望んでも手の届かない存在として。
永遠の憧れとして。
一つ、記録に残しておきたくなったので。


色褪せることのないその才能に賞賛の意を込めて。

彼女たちに祝福を。


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音。 - 2005年03月02日(水)


天才作曲家に、私のディーバだ、って言わしめるその才能は凄いと思う。

天才とか、そういう褒め言葉は良く耳にするし、確かに凄いんだけど。
ディーバというのは格別だ。

天才、といわれる者が持もつ才能には確かに驚愕する。
だけどそれは、やっぱり人の才能の域を越えない。
どれほどの称賛を浴びたところで、いつかは誰かに記録を塗り替えられ、
過去の記録として薄らいでいくものだ。

だけど、芸術、特に美に関してはとても主観的で。
どれほどの逸材が現れようとも、記録が替わるものではなくて。
自分が本当に感動できる何かを持つ相手でなければ、
心を揺すぶられることはないだろう。

戦う前から、相手を眼にした瞬間に、己の負けを認めざるを得ない。
己の全てを捧げたいとさえ想わせる、そんな相手に対しては、
天才や秀才という言葉よりもむしろ、ディーバという言葉が相応しい。

本能的な感性を揺さぶるもの。
それはもう、人の閾値ではないように思う。

そう考えてみれば、
数多の人に持て囃されることが当たり前の人が選ぶディーバは、
芸術の女神なのだと思った。


だけど、誰にとってもディーバがいるわけじゃなくて。
それは何故だろうと考えて、
そうしてふと思ったのは、

自分と同じ「人」だからなのかもしれないということ。

多分、この世界の誰しもが、
神々しい技術や才能だけを求めているわけじゃなくて。
もっと感情的で、もっと人間的な、そんな人に憧れることが多いから、
ディーバって言うほど神々しい人が浮かばないのかもしれない、ということ。

決して自分は、芸術家達に神々しいほどの技術を求めているわけじゃない。
そういう人にだけ、惹かれるわけじゃない。

もっと自分が通じ合える、そんな人に憧れることだってある。

強く心に抱くメッセージを、言葉よりも饒舌に音に乗せることのできる、そんな人に憧れる。
そのために、技術や才能や、そういうものも必要だとは思うけど、
それだけではない何かがあるような気がした。



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ちょっと戯言。 - 2005年03月01日(火)

人それぞれにいろんな想いがあって、いろんな感性があって。
それは当然だと思うけど。

せっかくのその感情を、マイナスへと向けてしまうのはとても残念だと思う。

言葉はとても難しくて。
こういう、一方的な言葉の投げ掛けでは、
巧く伝わらないことが多すぎて恐ろしいのだけど。
それでも、たくさんのマイナスの感情を読みながら、
ちょっと思ったことがある。

偉そうな口調になるけれど。
それはつまり。

強く有りなさい、ということ。

彼らも。彼らを取り巻く人たちも。

狛にも、解決策は見当たらないし、答えなど出ない問題だと思うけど。
好きなら、相手に変わってもらおうとは思わずに、
自分が変わりなさい、と思う。
自分が変わるだけの、強さを持ちなさい、と思う。

彼らだから、好きでいる必要はどこにもないから。
好きだと思うのが、彼らだった、と言って欲しい。

本当に好きなら、見返りを求めず、
自分の想いを相手に注ぐだけで充分だと思うんだ。


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