せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2008年07月02日(水) |
演劇と近い子どもたち |
富士見丘小学校演劇授業。 今日は一時間目から、「けんかの台本を書いて演じる」の授業。 講師は鈴木里沙さん。 一時間目からということは、家を7時前には出ていないといけない。 朝の五時まで仕事をしていて、このまま出かけようかと思ったのだけれど、つい眠ってしまう。 枕元には猫が寝ていて、こいつは毎朝6時過ぎに外に出せとうるさく鳴くから大丈夫と。 目が覚めたら、7時45分!! 猫は爆睡していた。どうして、どうして? 雨の日ならともかく、こんなにいい天気なのに・・・ すぐに篠原さんと平田さんに電話をする。 1,2時間目の1組の授業には間に合わず、3,4時間目の2組の授業から参加する。 即興でやる組と台本をそのままに演じる組とに別れて、どんどんやってもらう。 里沙ちゃんが演じる、お母さんのまっすぐさがとてもおかしい。 子どもたちも一生懸命だ。楽しそうなのが何より。 後半、僕も俳優として参加。 朝っぱらから喧嘩をしている姉妹を叱る母親をまずは。 理屈よりも、声の大きさで勝ったかな?というかんじ。 つづいて置きっぱなしにしていた自転車を倒された大人と倒した子ども二人のけんか。 授業の前に、里沙ちゃんに言われた、「自転車は大変ですよ」と。 たしかに、この大人はとっても理不尽だ。 まあ、もともとの台本は子どもたちが書いたものなのだけれど。 「すみません」と謝っている子どもに、いつまでもねちねちと言いがかりをつける。 とりあえず、正当化しないと強く言えないので、大事な自転車という設定を大事にする。 それにしても、子ども相手に強くモノをいうのは大人の一番いやなところだなあと思う。 まあ、今日のテーマは「けんか」だからしょうがないか。 子どもたちは、僕のめちゃくちゃな理屈にちゃんと答えて、決して負けないでくれた。 よしよし。 「学校はどこ?」「家はどこなの?」などと質問すると、彼らの表情が少し硬くなった。 そうだよね、知らない人に教えちゃいけないもんね。 おもいがけず彼らの防犯意識もかいま見えたような場面になった。 最後に振り返りの時間。 子どもたちは、とても楽しんでくれたようだ。 はじめはどうなるか心配だったけど、やってみたら、とてもおもしろかった、うまくできた、という感想がとてもうれしい。 僕は、「演じようとすると、どうしてもどう話すか、どうやっておもしろくするかを考えてしまうけど、だいじなのはちゃんと聞くことです。今日は、みんなまずちゃんと聞くことができていたから、うまくいったんだと思いますよ」とコメント。 給食をいただいて、昼休みに、演劇部の「十分劇場」を見に、視聴覚室へ。 昼休みに、視聴覚室の舞台を使って、公演があるのだと、昨日、馬場先生から連絡をもらった。 びっくりしたのは、観客の子どもたちがどんどこやってくることだ。 開演までに100人近くになっただろうか(ざっと数えてみた)。 そして、みんなとてもちゃんと舞台を見ている。 演目は「わがままな王様」。 とってもわがままな王様と大臣と家来たちのやりとり。 ほとんどを王様がずっとしゃべりたおして、客席にむかっても話しかける。 黒いハンカチを出して、「これは何色だ?」と聞くと、客席は「黒!」と答える。 王様は、「いや、これは白だ。私が白と言ったら白なんだ!」と、わがままほうだい。 後半、王様の言葉はみんな逆さまの意味で受け取ればいいんですねと家来たちが言いだし、王様の意志に反して、みんな大喜びでお城を出て行ってしまう。 困った王様は、客席にまた黒いハンカチを出して、「これは何色だ?」と聞くと、客席は「白!」、王様は「違う、違う、これは黒だ!」と言うけど、もう後の祭りというお話し。 演じていた演劇部のみんな(さっきまで演劇授業で一緒だった六年生たち)も立派だけど、ちゃんと聞いて、言い返していく客席の子どもたちも立派だった。 終演後、カーテンコールの後、観客の子どもたちは、何でもないかのように部屋を出て行った。 今は、昼休みなんだね。 このなんでもなさが、すごいことだと思う。 大上段に構えるんじゃなくて、さらっとやって、さらっと見に行く。 そのかんじは、この学校に演劇が当たり前のようにあるんだということの証明だと思う。 篠原さんが、「イギリスにいるみたい・・・」とつぶやいた。 たしかにそうかもしれない。こんなに演劇と近い子どもたち(しかも下級生もいっぱい)は、よそにはそうはいないだろう。 次回の授業は、卒業公演のテーマについての話し合い。 2月の発表の準備がもう始まる。 今回のけんかの作文もおもしろかった。 今度はどんなアイデアが集まるか、期待が高まる。
帰りに、篠原さんと「劇読み」の打ち合わせ。 昨日までどうなるんだろうかと心配だったことがらが少し見えてきたようでほっとする。 前向きな気持ちになれたのは、今日の子どもたちから元気をもらえたからかもしれない。 この気持ち、忘れないでいたいと思う。
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