せきねしんいちの観劇&稽古日記
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今度の水曜日の富士見丘小学校の演劇授業用の台本を書く。 今度の授業は、「けんかの台本を書いて演じる」。 子どもたちに書いてもらった、けんかの台本を、篠原さんと二人で計6本選び、3本ずつ構成する。 それにしても、今年の六年生のセリフのうまさにはびっくりする。 例年、おもしろいなあと思うものが多いのだけれど、今年は、台本としてちゃんと書けてるものが多い。 演劇が彼らに根付いているということだろうか。 僕の担当は、朝から喧嘩をしている兄と妹、それにくわわる母親、社会科見学のしおりのホチキスの留め方で言い合いをする二人、母親の留守にケーキを食べて喧嘩をする兄弟の三本。 セリフ自体はほとんどいじることなく、演じやすいようト書きを入れたり、「ケーキ」の原作に登場していない母親を出したりといった作業。 わくわく楽しく構成する。 台本を書くのは、いつもつらく大変な思いをするものだけれど、年に一度のこの「けんかの台本」づくりは、たのしいなあと思いながらやらせてもらっている。 「劇読み」のやりとりを濃密に。 こちらもまたやりでのある仕事だ。
池袋のリリィスタジオで「劇読みvol.2」の顔合わせ。 大勢の作家とキャスト、三人の演出家で、とにかく大所帯。 劇団劇作家のみなさんの挨拶からはじまり、演出家からはそれぞれの演出プランのようなものについてのあれこれ、キャストの紹介などなど。 その後、懇親会。初めましてのみなさんとご挨拶。 実は、劇読みでは初めましての川端桜ちゃんが、前に出演していたようなデジャブ。 「人の香り」でご一緒する清水さんと作品についてのあれやこれやをおしゃべり。 稽古場への道で、「襤褸と宝石」で共演したSくんとすれ違う。 自転車に乗っている顔は間違いなく彼だと思ったのだけれど、自信がなかったので(彼も僕に気がつかないようだったし)そのまま、歩いてきてしまった。 その後、井上さん、健翔さんと話していたら、二人も彼とすれ違っていたことが判明。 やっぱりそうだったんだ。 この近くに住んでいるのだそう。 それにしても、続けざまに三人とすれ違うなんて(スタジオの前で井上さん、その後、僕、健翔さんという順番)! 終了後、居酒屋で軽く飲み会。というか食事をして帰る。 さあ、始まった。
「新・こころ」のキャストのみんなと久しぶりに会う。 これまた久しぶりの六本木。 仕事を終えて、ばたばたとかけつける。 集まったのは、柳内さん、遠藤くん、桑島くん、ヤケ太さん、それにもっちゃんに僕の計6名。 柳内さんのヨーロッパ旅行の写真を見せてもらい、わいわいおしゃべり。 芝居の現場以外で会うと、僕はとたんに話すのが苦手になるのかもしれない。 芝居の話じゃない話でわいわい盛り上がることに、やや乗り遅れる。 桑島くんとは今週末顔合わせの「劇読み」でもご一緒する。 そんな話もちらほらしつつ、またねと別れる。 桑島さんともっちゃんは、そのまま柳内さんのおうちにお泊まりすることが急遽決定。 身軽でいいなあと、つい思ってしまう。
ハイバイ「て」を見に行く(下北沢駅前劇場)。 おばあちゃんの葬式から始まる、家族の物語。 葬式と、祖母の生前に家族が集まった日が交互に描かれる。 いるいるこういう人という人物が、そのまんまそこにいる。 芝居じゃないような、そんなたたずまいを大事にする芝居というか。 人物にとっても共感する部分と、いやだなあと思う部分も交互に。 おおよその芝居は、人物はまず普通にしゃべることが前提になっている(無自覚に)と思うけれど、今日の舞台では、人物は何を話しているのかよくわからない。 でも、その話しぷりは、あきらかに、僕の記憶にあるいろいろな人(父や母)だったりする。 そのわからなさを含めて、人物は謎をいっぱい抱えたまま、そこにいる。 セリフで伝えるということよりも、たたずまいまるごとが何かになるというのは、いっそ映像に近いのかもしれない。 「現代口語演劇」というもののおもしろさと不思議さに、ひさしぶりに触れたような気持ち。 ああ、おもしろかった!とすっきり席を立つことができないたちの芝居に久しぶりに出会う。 「取り憑く芝居」なんだろうと思う。 帰りの電車でも、いろんなことをずっと考えてしまう。 案内をくれた三好さんに感謝!
夕方から、綾瀬へ「梅雨のZAN・PARA2008」を見に行く。 高校の演劇部の学校も地区も越えた横のつながりで、古い友人のZANさんが仕切っている。 小松川の演劇部から、板垣さんと清水さんが出演している「竜馬が行くー立志篇ー」を見る。 司馬遼太郎の名作が脚色されたものをさらに30分にまとめて見せる。 冒頭、竜馬が出会う婆たちのセリフが、清水邦夫の作品の断片だった。 養成所時代にやった作品。なつかしい気持ちになる。 竜馬が脱藩して勝海舟と出会い、自分の進むべき道を知り、覚悟を決めるまでのお話。 殺陣あり、ダンスありのにぎやかな芝居。 竜馬を演じる二年生の男子がなかなかかっこいい。背が高くて、立ち姿が美しい。芝居をするとやや三枚目によりになる愛嬌もある。彼が真ん中にいるだけで、この芝居のかなりの部分がOKになってる。役者の色気で見せる芝居。客席の盛り上がりも含めて、そんな芝居、近頃そうはないものね。 時代劇&土佐弁のセリフが、やや聞き取りにくかったのが残念。ちゃんとセリフが伝わっていかないのが、ちょっともどかしい。 それでも、婆の群衆シーンが冒頭に入ったせいで、竜馬を動かす思いのようなものの存在が浮かび上がっていた。おもしろいアイデアだった。 何より、みんな楽しそうに力いっぱい演じているのがいい。 小松川の二人も、演劇部での公演より、生き生きとたくましくかんじられた。 客席は高校生でいっぱい。 小松川の村上さん、服部くん、そして、OBの小林くん、金盛さんにご挨拶。 服部くんは他高の女子から「犬!」と声をかけられていた。去年の地区大会で、犬の着ぐるみを着たんだよね。そんなふうに呼ばれてるのも人気がある証拠だろう。 遠くのZANさんに手を振って、お先に失礼してくる。
高校時代の恩師、中島浩籌さんの法政大学での講義にゲスト講師として話をしにいく。 新宿で待ち合わせをして、めじろ台へ。 駅前のバーミヤンで昼食をいただく。バーミヤンはどこに行っても、スタッフのお姉さんがいいかんじの大人だ。こういうファミレスはありだと思う。というか、時代の流れか。 2000年からうかがっているこの授業、一年おきで、今年は五回目だ。 教育心理の講座で教職課程をとっている学生さんたちに、僕のライフヒストリーを「発達」というテーマを頭の隅に置きながら話す。90分×2コマ。 2年に一度、自分のこれまでを振り返り、今を考えるいい機会をもらっている。 準備していたアメリカの同性婚のことなどは、すっかり忘れて話して、質疑応答。 テレビドラマ「ラストフレンズ」(今日が最終回)のことなども話しながら、うかんできたのは 、現代のセクシュアリティにおけるゆらぎとあいまいさの許容のされ方だ。 「ラストフレンズ」もそうだけれど、よくわからないけど、今自分はここにいるんだということを、ちゃんと言えるようになったんじゃないか。 男、女、ゲイ、レズビアンという、箱のどれかに入るしかないんじゃなくて、一人一人の有り様はグラデーションで、いくつもある座標軸の中の小さな点のように、あらゆるところにちらばっている。 ドラマでそんなキャラクターを見ると、ああ、なんてはっきりしないの!といらいらした昔もあった。 でも、今は、無理にカテゴライズするのではなく、ゆれうごく、あいまいな、もしかしたら、自分でもよくわからない自分を受け入れればいいんだなあと思える。 言葉にしたことのない、そんな思いを、言葉にして伝えた授業だった。 授業の後、今回も別の教室で何人かの学生さんたちと話す。 ここで初めて、アメリカの同性婚の話を質問されて、ああ、そうだったっけ!と話をする。 二十年近く前、目の前にいる彼らと同じような年代の自分のことを、彼らに話すことが妙におかしかった。 よくわからない若い子たちという遠さではなく、不思議に近く思えたのはひさしぶりの感覚。 フライングステージの公演案内は今のところないので、HPにアクセスしてメルマガを登録してみてねと話す。 このブログも読んでくれているとうれしいな。 今日はどうもありがとう。楽しい時間を感謝です。
富士見丘小学校演劇授業。 今日の講師は永井愛さん。3時間目から6時間目まで、6年1組2組、2クラスともを篠原さんと一緒に見学させていただく。 即興劇の授業。テーマは「場をつくる」。 5人のチームから一人ずつ出て行って、場をつくる。 椅子を3つ並べたベンチのようなものと、バラバラの椅子が少し離れて2つ。 この空間を、さあ、どこにするか? セリフなしで動作で場を説明してゆくのだけれど、みんなものすごい確率でゲームをしている。 座っていても、歩いていても、公園でも部屋でも、当然のように。 5人目がここはどこかという場をコールして、場面に入ると、それまでだまっていた人物が新しく動き始めて、関係が生まれてくる。 一組ずつやっていくなかで、みんなどんどん上達していく。前のチームをただ見るだけじゃなく、自分ならどうするかということを考えているからだろう。 動きだけで場を表すということがまずできるようになったら、次は、どうやって人と関係をつくっていくかが問題になってくる。 永井さんは、大人に話すのと同じような言葉でダメだしをする。「また公園だとうんざりだよね」「自分が何なのか決めると話がしやすいね」「何していいかわからなかったら、前の人と同じことをするの。二番目の人は許します。一人と二人じゃおもしろさが違うからね」。 ベンチの下に潜り込んだ子とその様子を見守る子。ここはどこ? 地震の被害現場?と思っていたら、5人目のコールは「公園!」だった。まあ、こういうこともある。 ベンチの上に立ってバランスを取っている子がいて、これはサーフィン?と思っていたら、これも公園の平均台ということになってしまった。誰かが泳ぎ始めでもしないと「海」はむずかしそう。 一人目が正面を向いて、黒板を拭くような仕草を始めたチーム。教室? またか・・とあまり期待しないで見ていたら、これがとてもおもしろくなった。 掃除を始めてゴミを集め、ジャンケンで負けた子が捨てに行く。 これだけの一見なんでもないことが実におもしろかったのだ。 それは、それまでの誰だがわからない人じゃなくて、彼ら自身(みんなお互いの本名を呼んでいたし)を演じていたからだろう。そして、場面はまぎれもない「教室」だった。 この「教室」のチームから一気に、その後のチームの演技の質が変わっていった。 一番目の子が、ピアノの影にかくれてピストルを撃った。何人かが次々出て行って、みんながピストルをかまえて、最後の子が「運動場!」。永井さんが「はい、ストップ」と止めて、「違う場所にして」と。 もう一度やった結果、今度は「だれもいない住宅地!」ということに。 彼らは、ピストルでさんざん撃ち合っているうちに、ピストル犯をつかまえる警察になり、犯人を車で護送(無線で連絡もした)、警察で取り調べ、そして裁判と、お話をどんどんどんどんすすめていった。 場面ももちろん変わっていって、取調室では「お前がやったんだろう!」という刑事に、しらばっくれる犯人、そして裁判所。「被告人は控訴できますよ」とどこでおぼえたそのセリフ?というようなのも登場し、最後の判決を裁判長が「判決は死刑。執行はうーん、明日ね」というところでおしまい。 何の打ち合わせもないまま、ここまで運んでしまったことがまずすごい。そして、それぞれのキャラクターをみんなが見事に演じていたのがもっとすごい。中でも犯人役の彼は「それでもぼくはやってない」とうそぶいたりして。判決を言い渡された瞬間の「へ?」という表情もすごかった。拍手! 後半は、エレベーター。5人の人が乗り合わせたエレベーターが止まってしまうというエチュード。 「知らない人どうし」の話し方はむずかしい。みんなで笑いながら、アニメのようなセリフをつるつるしゃべってしまう。 「知らない人とそんなにくっつくの?」永井さんの指摘は具体的だ。 妙にこわい人を演じた男子が登場したときには、「いいね、怖い人。いるね、こういう人。こういう人がいると、離れるよね」と。 回を重ねるごとにだんだん、ユニークなキャラクター、そして、場面が生まれていく。 赤ちゃんを抱いて登場した女の子がいた。永井さんがこっそり見ていた子たちに「赤ちゃんの泣き声やって」と耳打ちしたのだけれど、「え、できません」と何人にも「断られ」て、あきらめていたら、どこからか赤ちゃんの泣き声が! 後で聞いたのだけれど、子どもたちの間を伝言がまわって、結局、違う子が赤ちゃんになったらしい。この赤ちゃんは、エレベーター内の緊張に敏感で実にいい泣き方をしていた。拍手。 そして、最後のチーム。このチームは四人。男子二人に女子二人。 それぞれのキャラクターをつくって、エレベーターの前で待つところから場面は始まるのだけれど、このチームの二人目、エレベーターの前に、四つんばいになって近づく男子。何だろう?と思っていたら、片足をあげて「おしっこ」をした。犬?! エレベーターのエチュードは毎年一回五年やっているのだけれど、人間以外が登場したのは初めてだ。見ていたみんなはもう騒然(笑)。 この犬は、エレベーターに乗ると自分でボタンを押して(!)、隅に丸くなって座った。 そして、エレベーターが止まっても、ずっと寝ている。まあ、犬だから、何もできないんだけど。 この犬っぷりが見事だった。もう、演じきってる。 そして、乗り合わせた男子が、もう二人いる女子にどうしましょう?と話しかけても、二人はなんだか知らん顔。備え付けの電話をかけて「人が三人と犬が一匹とじこめられてるんです。・・・ふざけてないです! ・・・切れた」ということに。 彼は、女子に話しかけたいんだけどできず、エレベーターも動かず、つい犬をなでに行ってしまう。この気持ちのゆれが生々しくて、切なくて、とってもおかしかった。 エレベーターが止まってるのに犬にさわってしまう気持ち(しかも相手は眠っている)、とてもよくわかる。というか、途方にくれてる彼の気持ちがものすごくリアルだった。 みんな大笑いして、大拍手! すばらしかったなあ。ものすごいものを見せてもらった。 終了後、先生方とフィードバック。 5年間続けている演劇授業の積み重ね、演劇のDNAがあきらかにあるんじゃないかと永井さん。 今年の6年生は、一年目の発表を二年生のときに見ている。 「体育館の一番前で、退屈しないかと思っていたのに、ちゃんと覚えてるんだなあって」と長崎先生。 ほんとにすごいことだと思う。一年目の彼らももちろんがんばったし、すばらしかった。でも、目に見えないものがこんなふうに伝わっていくのってなんていいんだろう。 先生方と一緒に、あれはおもしろかった!と話ながら、演じていた子のことをいろいろうかがい、そして、たとえば最後の犬が登場したエレベーターで「何もできないでいた女子二人はあの場で何を思っていただろう?」と馬場先生。やっぱり、ここは学校なんだ。演技の上手い下手じゃなく、子どものことをまず第一に考える。 今日は、職場体験で一昨年の6年生が学校に来ていた。「光速マシーンに乗って」の代だ。みんな大人に一歩近づいて、それでもやっぱり演劇授業の時の表情がありありと浮かぶ中学二年生だ。 帰りは、永井さん、篠原さんと「非戦を選ぶ演劇人の会」の打ち合わせをさっくり。 電車の中では、今日の授業のこと、あの「犬」の話でもりあがる。 夕方から、新宿で、「劇読み!」の打ち合わせを、石原さん、篠原さん、相馬くん、上原くんと。 演出打ち合わせと台本について。熱が入って、3時間、みっちり話してしまい、のどががらがらになる(怒鳴ったりしたわけじゃないのに)。 思ったことを存分に言わせてもらった。がんばれ、石原さん!
街を歩いているとバラの香りがして、ふと立ち止まる。 どこかで咲いてるんだろうか? それともさっきすれ違った女の人のコロンだろうか? 今準備をしている「劇読みvol.2」の「人の香り」のせいだろうか? 資生堂の「薔薇園」というコロンをもっていた。 友人からもらったんだった。もう、ずいぶん前のことだ。 香水は、いろいろな香りがミックスされたものだろうと思うが、これは、かなりバラそのものに近い。 今でもまだ売っていることにびっくりして、なつかしくて、つい買ってしまいそうになった(笑)。 昨日は、父の日。 買ってきたメロンを仏壇に供えておいた。 何日かおいて熟すのを待ってからと思っていたら、家中がものすごいメロンの匂いになった。 そんなに大きくない安物なのに、この主張のしかたはなんだろう? 人工の香料じゃない自然の匂いは、やっぱり違う強さをもっているようだ。 生き物はすごいな。
いい天気。 朝から篠原さんと電話で「劇読み」の打ち合わせを。 たまっていた洗濯ものを片付けて、ついでに猫を洗う。 ちょうど夏毛に生え替わったタイミング、ていねいにブラシをかけてから洗ったので、洗い上がりがとてもきれい。すっきりとやせた猫になった。 半乾きで弱気になっているところにつけこんで、爪も切ってしまう。いつものように暴れることもなく、大人しくしている。 そうか、これからはこの段取りでいこう。 たまっていた仕事をかたづけ、また篠原さんと打ち合わせ。 夜、メルマガの仕上げと発送すませる。 購読ご希望の方は、こちらまでご連絡ください。 バックナンバー、というか復活第一号はこちらです。 「FS通信(えふえすつうしん)劇団フライングステージのメールマガジン」
「劇読み!vol.2」の台本を読んでいる。 すぐ「リーディングとして、どう演出するか」ということばかり考えてしまうので、シンプルに普通に上演されているのを想像しながら読むようこころがける。 その絵面をどこまで具体的に舞台化するかを考える。 リーディングだもの、ト書きもセリフも全部読んで、俳優は座ったままだって何も問題はない。 それだけで立ち上がってくるものはなんだろうということを想像する。 そして、やっぱり、どんな工夫をすると、よりおもしろくなるかということを考えてしまう。 俳優さんたちとの顔合わせは来週末だ。
2年前に創刊してすぐにストップしてしまった、フライングステージのメルマガを復活させる。 週末の発行に向けて、原稿作りと内容の確認のやりとりを劇団のメンバーと。 以前使用していたパソコンがクラッシュしてしまい、登録いただいた読者のみなさんのアドレスがわからなくなってしまった(決して流出したりしているわけじゃありません)。 今回、晴れて(!)復旧不能ということが判明したので(今さらですが)、あらためての登録をお願いして、新たに始めようということになった。 PC用のレイアウトですが、携帯でも受信可能だと思います。 送ってみて!という方は、こちらまでご連絡ください。配信させていただきます。 携帯ではやっぱり重たすぎるという方は、「そのまま」返信していただけたらと思います。 バックナンバーは、携帯からも参照可能なブログにアップしていこうと思います。 アドレスはこちらです。「FS通信(えふえすつうしん)劇団フライングステージのメールマガジン」 *まだ空です。明日以降アップの予定です。 毎月15日発行で、文字数は大体5000字くらいの予定です(長!) よろしくお願いします。
朝、母親が妹のところの犬、ラムを散歩のついでに家に連れてきた。 まるまると太って、伸び放題に毛が伸びている。 誰もこいつがトイプードルだとは思わないだろう。 ちょっとした中型犬だ。 ずいぶん久しぶりの会ったのだけれど、ちゃんと言うことを聞いて、お座りをする。 さすが、犬。やっぱり猫とは違うな。
「襤褸と宝石」でご一緒した三谷昇さんから色紙が届いた。 直筆の言葉に花のイラストが添えてある。 その言葉は、「2キレのパンあれば 1キレを喰いて もう1キレを 花に代えよう・・・ ギリシャ・詠み人知らず」というもの。 「花に代えよう・・・」。いい言葉だなあ。 これはたぶん、いつもお腹いっぱいの人じゃなくて、いつもお腹を空かせている人の言葉じゃないかと思う。 腹ぺこだけど、パンが2つあったら、一つは食べて、一つは花に代える、ってことだと思って読むと、よりいっそう大切な言葉に思えてくる。 腹ぺこと言えば、「襤褸と宝石」で民夫を演じていた別所ユージさんは、大勢のキャラクターの中で一番お腹を空かせてそうな役作りをしていた。 その日暮らしをしていながら、バイタリティあふれるバタ屋たちの中で、一人だけお腹を空かせてるようなそんな人物が民夫だった。 彼もきっと、パンが二つあったら、一切れを花に代えるような人なんだろうと思う。 三谷さんから、いただいた言葉からいろいろなことを考えた。 お礼の手紙を早速書いた。 ありがとうございました。
2008年06月12日(木) |
魔女とワークショップ |
高校の後輩で友人の小林くんから、「襤褸と宝石」の差し入れにいただいたオリジナルDVDを見る。 今回ご一緒した三谷昇さんが出演の人形劇「三国志」「ウルトラマンタロウ」「宇宙刑事ギャバン」などの詰め合わせ。 「ウルトラマンタロウ」では二谷副隊長(故名古屋章さんとのからみがおもしろい)、「宇宙刑事ギャバン」の魔女キバと、役柄のふり幅がものすごいことになっている。 僕が三谷さんを最初に見て記憶に残っているのは、市川崑の映画「獄門島」。クセのある復員兵(実はものすごく重要な役)を飄々と演じていた(「犬神家の一族」の鑑識課員もいい味だ)。 どの役も全然違うキャラなのに、間違いなく、三谷昇ならではの人物になっているのが、すごいなあと思う。 特撮ものの悪役の魔女。あこがれる(笑)。 朝ドラの「瞳」には、篠井英介さんが今日も登場。酔っぱらった飯島直子を暖かく見守るバーのママ。そして、店の壁には、日舞を踊っている姿の篠井さんの写真が何枚もパネルになって飾ってある。 そういえば、篠井さんも、映画「キューティハニー」で、悪役シスター・ジルをやっていた。 ううん、うらやましい(笑)。
HPにワークショップの情報をアップする。 一応、こちらにも・・・
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ひさしぶりに公開ワークショップを企画しました。 一つは、二日間で一つの場面をつくりあげる「芝居づくり」を目的にしたもの。 もう一つは、リーディングのワークショップです。 こちらは、以前から企画していた古今東西の「ゲイ文学」を読もうというもの。 フライングステージならではの企画じゃないかと思います。 演劇経験者もはじめての方も歓迎です。 ふるってご参加ください!
☆フライングステージ ワークショップ
日時:2008年7月5日(土)18:00--21:00 7月6日(日)18:00--21:00 会場:杉並区内施設 講師:関根信一 参加費:1000円(各日) テキスト代含む 内容:基礎トレーニング シアターゲーム 場面をつくる
二日間のワークショップでテキストをもとにした場面をつくります。 一日だけの参加も可能です。参加資格等は特にありません。 会場、内容等のお問い合わせ、お申し込みはこちらまでどうぞ。 *お問い合わせ先:劇団フライングステージ stage@flyingstage.com まで
☆ゲイ文学リーディングワークショップ
古今東西のゲイ文学を読んでいくワークショップを始めます。 作品の背景についてあれこれお話しながら、 シンプルな朗読から始めて、ドラマリーディングにまで発展できたら・・・。 やや不定期になるかもしれませんが、まずは月に一度の開催を予定しています。
日時:7月13日(日)13:00--17:00 会場:杉並区内施設 講師:関根信一 参加費:1000円(テキスト代別途)
「ゲイ文学をリーディングしてみませんか。 古今東西の様々なゲイ文学のテキストを取り上げて、 背景とともに読んでいく、フライングステージならではのワークショップです」
参加資格等は特にありません(経験、年齢、セクシュアリティ等) 会場、内容等のお問い合わせ、お申し込みはこちらまでどうぞ。 *お問い合わせ先:劇団フライングステージ stage@flyingstage.com まで
衣替えで出したまま今年一度も来ていない半袖のシャツを着て出かける。 風が気持ちいい。 仕事場の近くで、ベビーカーに赤ちゃんを乗せた茶髪のカップルが、マンションの入り口を見上げていた。 と僕の頭をかすめてツバメが飛んでいった。 二人の視線の先には、ツバメの巣とそこから顔を出している4羽のヒナがいた。 なんだかほっかりとした気持ちになる。 昨日の夜中、NHKの「プロフェッショナル」に坂東玉三郎が出演していた。これまでの未放送部分ということで、英国ロイヤルバレエのプリンシパル吉田都も。 とても具体的な芸談がとてもおもしろい。女として立つにはどうするかなどなど。 その勢いで、芸談が読みたくなり、今日は一日、歌舞伎の芸談を持ち歩いて読んでいた。 「ミッシング・ハーフ」に登場させてもらった歌舞伎俳優、四世沢村源之助の「青岳夜話」、五世尾上菊五郎の「菊五郎自伝」。 明治の俳優の日常と芝居のつくりかたが見えてくる。黙阿弥の諸作品の初演時のことや、衣装やかつら、そして芝居の工夫。 何度も見て知っている舞台の場面が、こんなふうにして生まれたんだというのがわかって、とてもおもしろい。 古典も初めは新作で、まっさらなところから作り上げていった人たちがいるんだ。当たり前のことなんだけどね。
朝から雨。昼間は晴れたり降ったり、落ち着かない。 とりあえず、傘を持って家を出る。 「劇読み!」の台本を読む。 僕が演出を担当するのは篠原久美子さんの「ゴルゴダメール」と石原燃さんの「人の香り」の日本(もう一本、佐藤喜久子さんの「若草物語」には俳優として出演します)。 「リーディングってうさんくさいんですよ」と、2月の劇読み番外公演の座談会で僕は話した。 ただ読むだけでいいのか、作品として立ち上げるのか、俳優はどこまで表現するのか、台本を手に持って文字を追いながら相手に向かって話しかける芝居をするなんて、それはライブの芝居としてはどうなんだろうと・・・。 その思いは今も変わらない。去年の「劇読み vol.1」で担当した4本の作品では、それぞれふさわしく思えるスタンスで演出をした。 今度はどうしようか? いろいろ考えてみる。 夜、明樹さんと非戦を選ぶ演劇人の会の打ち合わせを電話で。 メールじゃない電話で話すのは、やっぱりいいなとまた思う。 一つの舞台が終わって、また次にすすんでいける。 そんな今に感謝。
13時と17時の開演。 マチネ。3場のセリフをかんでしまう。あたふたとしゃべるところなので、「あせってるかんじがするからいいんじゃない?」と言われたりもしたのだけれど、やっぱりショック。気持ちを表現しようとするからいけないんだ。言葉を伝えないとね。 終演後、岸本くんと丸尾丸さんにご挨拶。突然来てくれてびっくり&感謝。「やせた?」と聞かれて「髪型のせい」と答え、その後、フライングステージのこれからの予定(年末のgaku-GAY-kaiのことなど)を話しているうちに、「ようやくいつもの関根さんになった」と言われる。うん、たしかにそうかも。 富士見丘小学校の宮校長先生にもご挨拶。「この間と全然違う」と驚かれる。前回見ていただいたのは「新・こころ」の下宿のおばさんで、和服で日本髪だった。僕もびっくりだ。もっというと、先月は、鹿殺しの「狂人教育」で白髪を振り乱した黒の総レースのドレスを着たおばあちゃんだったわけだから、岸本くん、丸尾丸さんが驚くのも無理はない。 今日もANZAさんからお弁当の差し入れをいただく。昼夜の間の短い時間、とてもありがたい。おいしくいただく。ごちそうさまでした。 ソワレの舞台の開演前、舞台上で三谷さんが谷川俊太郎の「おなら」の詩を演じてくれた。富士見丘小学校で谷川さんが演じてくれたのとはまた別のおもしろさ。 そして、千穐楽の舞台。 僕は、開演してからずっと舞台奧にいさせてもらっている。楽屋の明るさと舞台を行ったり来たりするのは苦手なのと、やっぱり舞台から聞こえる生の声に耳をすましていたいと思うので。 今日で最後の「襤褸と宝石」、全部の言葉がとても生き生きと心に届いた。何回も聞いているセリフなのに、ああ、そうなんだと思うことが今さらながらたくさんあって驚く。 戦争中、ジュリアはどうしていたんだろうとか、戦地で民生は何を見てきたんだろうとか。言葉の向こうにある人生をいろいろ想像する。 無事に終演。カーテンコールで暖かい拍手をいただく。 楽屋で久しぶりの九美さん、古川さんにごあいさつ。どうもありがとうございました。 楽屋を片付けて、一足先に打ち上げに。 ばらしは、若手のみなさんががんばってくれている。感謝。 今回、もう何度目かの居酒屋での打ち上げ。 今日も三谷さんから素敵な言葉をいただいた。 芥川比呂志さんの言葉。俳優は生涯に三本、「やってよかったと思える舞台」にめぐりあえたら本望だと。主役だけがいい気持ちになるんじゃなくて、脇役や裏方の全員がやってよかったと思える舞台が三本。そして、三谷さんは、おっしゃった。今回の「襤褸と宝石」はそんなだったと。 ほんとうにそうだなあと僕も思う。 正直、はじめはどうなるんだろうと心配がたくさんだった公演。「襤褸と宝石」という戯曲も、なんだか描き切れていないような、もどかしさがあって、セリフもなかなか入らないでいた。 それでも、稽古をして本番の舞台を重ねていくうちに、大事なのは、生きた人間としてそこにいることなのだということがわかってきた。 舞台の上でちゃんと生きた心と体で人と関わりながら、その時その時を新鮮に生きていければ、思いが祈りが生まれてくるんだということ。 僕は、3年ぶりの男性の役、稽古のはじめのうち、本当に僕でいいんだろうか?と思っていた。 僕じゃなきゃいけないものしかやらないと思って、もうずいぶんになるけど、今回の支配人の役は僕じゃなきゃできないものになるんだろうかと、心配だった。 それが、いつのまにか大丈夫、これでいけると思えるようになったのは、健翔さんをはじめとする一緒に舞台をつくったみなさんのおかげだ。 ほんとうにありがとうございました。 今年に入って、僕はもう何本もやってよかったと思える舞台に出会えている。 感謝しながら、もっともっといろいろなことに挑戦していけたらと思う。
二回公演。そして中日。 今日もいい天気。 シアターΧのある両国の街に吹く風は、川風、海風のようにかんじられて、余計すがすがしい。 お客様に「冷凍人間みたい」と言われたという上原くんの歩き方について、あれこれアドバイスさせてもらう。それにしても「冷凍人間」って・・・。 マチネ。 ANZAさんの歌がものすごい迫力だった。「レ・ミゼラブル」の「ON MY OWN」がよみがえるような切なさ。舞台裏の暗闇でしみじみ聞かせてもらう。 いろいろなことがありながら終演・・・。 終演後、見に来てくれたマミィこと石関くんとひさしぶりにおしゃべり。劇団のこれからのことなどあれこれ。 ソワレまでの短い時間、差し入れのパンやおせんべいのおすそわけをいただく。昨日の清田さんのバースデーケーキもおいしくいただく。 楽屋でスタンバイしている時間に三谷さんのお話をうかがう。 来年1月の「なよたけ」(健翔さん演出、三谷さん美術)の話から、芥川比呂志さんの「なよたけ」についてのエッセイにあったお話。不安でたまらない「なよたけ」の初演の初日前に、演出席にとなりに(今は亡き)加藤道夫さんが座っていて「だいじょうぶ」と言ってくれたと、芥川さんは書いていたそう。だから、初日の調光室にいた加藤道夫さんもほんとうにいたんだよと、三谷さんは話された。 ソワレ開演のスタンバイに楽屋から舞台裏の螺旋階段を下りながら、途中で立ち止まって舞台裏の天井を見る。これまで気にとめたことにない空間が、何かで満ちているようなそんな気がした。 「芝居は祈りである」と言ったのは誰だったろう。ふいにそんな言葉を思い出した。 台本を書いて、演出して、芝居を立ち上げるいつもいつもの作業の中、一番つらいときに僕が思うのはこの言葉、「芝居は祈りである」だ。 このところ、前回の「狂人教育」、そして「襤褸と宝石」ととても恵まれた客演の舞台で、この言葉を思い浮かべて、文字通り「祈る」ことはなかったなあと。 劇場の暗闇に向かって、祈ってみた。神頼みというんじゃなく、誰かに捧げるための舞台がどうぞうまくいきますように。おごることなく、自分のやるべきことが全うできますように。 そして、開演した夜の公演。 スタッフ、キャスト全員でつくりあげた舞台は、祈りになっていたんじゃないかと思う。 演じながら、舞台裏で舞台上で行われていることに耳をすましながら、そして、カーテンコールで大きな拍手をいただきながら、僕にはそう思えた。 終演後、ロビーで、福山さん、三枝嬢、奈須さんにごあいさつ。 ロビーの隅で、健翔さんが「冷凍人間」の上原くんに、ナンバにならない歩き方の練習をさせていた。まずは、腕を振らないで固めて歩く練習をして、それから、力を抜いてみる。なるほど、上原くんは、自然に腕を振りながら(ナンバじゃなく)歩いていた。 今日の舞台、健翔さんが「みんなセリフが自分のものになっていた」と言っていたと伝え聞いた。たしかにそうだったと思う。 これまでの舞台とどこがどう違うとはっきりと言えないけど、言葉にならない、分量としても計れない部分が、きっと「祈り」ってやつの正体だったりするんじゃないだろうか。 もともとは神に捧げるものだった演劇の根っこにある「祈り」のひたむきさや謙虚さを忘れずにいたいと思った。 同じ時代に生きられなかった劇作家加藤道夫さんに、とてもダイレクトにつながる交信を僕らは毎日送っているのかもしれない。今は亡き劇作家に思いをはせながら。 家に帰って、本棚を探した。「芝居は祈りである」という言葉はどこにあったろう。 内村直也「ドラマトゥルギー研究」にその言葉はあった。 「少なくとも、ぼくらが創り出そうとしている演劇には、娯楽と同時に、『祈り』がなければなりません。」 戯曲を書き始めた頃、僕がとても頼りにしていたこの本に、「演劇は祈り」という言葉があったんだ。誰の言葉かはすっかり忘れてしまっていた。加藤道夫が愛した、ジロドゥの「オンディーヌ」を訳している内村直也。なんだか、またここでも加藤道夫という人が身近になったように思えた。 明日は千穐楽。
きれいに晴れた。夏のような日差しがまぶしい。 「襤褸と宝石」は2日目。 ゆっくりな劇場入り。 開演前、キャストの清田さんのバースデーサプライズを舞台で。 その後、開演の準備。 僕はメークといってもポマードで頭を固めるだけ。このポマードが、強烈だ。 宝石組のポマード使用者は、みんなシャンプーで苦労したよう。 僕も、2度シャンプーで洗ってもネトネト感は去らず、最後は石けんでごしごし洗ったもののさっぱりとはしないかんじ。かえって手が荒れたような気がする。 それでも、いつまでたってもすぐうしろにおじさんがいるようないやーな感覚。独特の香りは消えない。 今日もキャスト、スタッフ、お客様と一緒に2時間30分の旅をする。 昨日よりも少し軽やかな気持ちで走り抜けた、そんなかんじ。 終演後、お客様にご挨拶。畑先生、小林くん、ごっちゃん、どうもありがとうございました。お久しぶりなpinさん、由佳ちゃんにもごあいさつ。今回のキャスト、ほんとうにいろいろなところでいろいろな人につながっている。 帰りは、軽く飲みに行こうということで、今日は別所さん、服部さん、べんちゃん、黒木さん、上原くんと同じテーブルで、芝居についてあれこれ語り合う。楽しい時間。 明日は、二回公演。
昼間、通し稽古。というか、もう一度ゲネプロをするような気持ちで。 これまで、おそるおそる鉛筆で書いていた人物の輪郭を太いマジックにしていく、そんなかんじで芝居をした。 あきらかに人のセリフを聞く余裕が生まれているので、そのことから来る、自分の変化もおもしろい。 休憩時間、ANZAさんからの差し入れのお弁当をみんなでいただく。ごちそうさまでした。 ゲネプロの開始前に、舞台に集合し、みんなで黙祷。健翔さんから、「これまで亡くなった数多くの人」そして、加藤道夫さんのことを思ってと。 その後、別所くんが、一曲歌を歌ってくれた。ギターの弾き語り。客席で聞かせてもらう。心にしみる、そして、また立ち上がって歩いていけるんだと思えるような、そんな素敵な歌だった。ありがとう。 本番前、楽屋では、今日初めてのメークで、ポマードを使用。グリースとは違う、強烈な濡れ感とそして懐かしいような香り。 バタ屋の面々は、衣裳さんからのダメだし「白い手も気になる」とのことで、見えてるところは全部「汚し」てる。その半端のなさと、ポマードな人たちが一緒にいるのがおかしくて、リステリンを吹き出してしまう(ごめんなさい)。 そして開演。大勢のお客様を迎えての初日の舞台。 芝居はやっぱり、お客様がいて初めて生まれるものなんだと、あらためて思う。 これまで、自分と相手役とで支えていたからだを、違う方向からお客様がささえてくれる。 これまでできなかったことができたかどうかはわからないけれど(それでも、ミスはなくなったと思う)、舞台の上にいながら、今、初めて思うこと、初めて見ること、初めてしゃべることを、じゅうぶん楽しめたと思う。 昨日できなかった、聞えない音のくだりは、なんとかクリア。今となっては、どうして、この音がとれなかったんだろうと思うくらい。聞くだけじゃなくて、見る芝居も足して、自分のなかでちゃんと気持ちが動いていくようになった。 終演後、ご来場いただいたみなさんにご挨拶。柏木さん、オジーさんたち、篠原さん、明樹さん、あかねちゃん、平田さん、相馬くん、どうもありがとうございました。 ロビーでの初日乾杯のあと、三谷さんが帰りしなにこうおっしゃった。 「今日、調光室で加藤道夫が見てて、さっき僕にこう言いました。俳優座でやった50年前のより、今日の方が僕は好きだなって」。 これから日曜まで5回の公演。 柏木さんたちと話していて、今回のようなゲイでもない男性の役(もちろん、女役や女装じゃない)を演じるのは3年ぶり、青年座スタジオの「浅草シルバースター」以来だと気がつく(4年ぶりじゃありませんでした、ごめんなさい)。 今回の支配人役は、まだまだ手探りなのだけれど、まずは生まれ出ることができたんじゃないかと思う。 「どうせ僕には無理な役だけどしょうがない・・」じゃなくて、楽しみながら演じられている今に感謝。 あと、5回のステージ、一回一回を楽しみながら、いい時間をキャスト、スタッフのみなさん、そしてお客様と過ごしていきたいと思う。
通しとゲネプロ。 これまで何回も通して来ているわけだけれど、ここまで来ての通し稽古はやっぱりいろんな発見があっておもしろい。 僕は、自分のできてないことにいくつも気がつけた通し稽古だった(これまでやったことのないようなセリフのかみかたとか・・)。 夜はゲネプロ。 食事休憩のあとリラックスして開始したはずが、「イアーゴがハンカチを忘れたような(健翔さん談)」なトラブルやら、僕は僕できっかけを間違えてセリフを言ってわけがわからなくなり、迷惑をかけてしまう(井上さん、ごめんなさい)。他にもあちこちで、びっくりするようなことが起きていたらしい(後で聞いた)。 終了後のダメ出しで健翔さんから、「本番じゃなくて、今日でよかった」と言われ、明日はがんばろうということに。 それでも、気持ちは微妙にブルーで、誘っていただいた飲み会も失礼して、一人帰ってくる。 一番、できなかった場面。きっかけになる音が舞台上からは聞きにくい。よく聞えないその音を聞えたことにして台詞を言わないといけないと思い込んでいて、ちゃんと聞こうとすることを忘れて芝居をしていた。聞きにくい音なら、なおさらちゃんと聞こうとすればいいだけなのに。簡単にできるだろうと思っていた段取りが、実はできなかったことにびっくり。というか、そんなふうな嘘が平気でやれるようにはなってないんだ。明日は、少していねいにやってみようと思う。
「襤褸と宝石」、今日は場当たり稽古。 いつもなら、劇場入りしてようやく慣れてきたかどうかというタイミングで行うことが多い場当たりだけれども、今回は、劇場入りしてもう1週間。立ち位置も舞台裏の移動もすっかり体に入っている。 いろんなことに集中してへとへとになりながら、これでいいの?と思っている日のはずが、今日は、のびのびと照明と音響の確認をさせてもらった。 劇場ともすっかり仲良しだ。 照明が入った舞台は、やっぱり違った顔を見せている。舞台装置がそれぞれ息をしはじめたような。鏡が急に生き物のように芝居をしている。 昨日まで思いつかなかったことを、あれこれ考えながら、舞台にいられるのは、なんて幸せなんだろう。 きっと一日がかりだろうと思っていた予定が、無理をすれば通し稽古ができるんじゃないかという時間で終了。 その後は、歌がらみの稽古ということで、お先に失礼させてもらう。 髪型は健翔さんからOKをもらう。よかった。 関係性の中で見えてきたキャラクターだけれども、ようやく自分が何なのかわかった上で、外に向かっていける。 明日は通し稽古とゲネプロだ。 そして、明後日は初日。 みなさまのご来場をお待ちしています。
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劇詩人加藤道夫第一回公演 ショウデザイン舎・シアターΧ提携公演「襤褸(ボロ)と宝石」
作:加藤道夫 演出:山本健翔 美術:三谷昇 出演:ANZA 別所ユージ 世古陽丸 青山伊津美 関根信一 松本邦裕 中嶋ベン 井上倫宏 ささいけい子 剣持直明 三谷昇 ケイタケイ 清田直子 河原田端子 黒木麗太 浅井孝行 関田敦 佐久間隆之 上原英司 塚本千代 大谷英里 成澤玲奈 饗庭さやか 八木佳祐 服部賢一 松岡秀平 榊原仁 桑田充貴 日程:2008年6月5日(木)〜8日(日) 5日(木)19:00 6日(金)19:00 7日(土)15:00 19:00 8日(日)13:00 17:00 会場:両国 シアターΧ 料金:前売4000円 当日4300円(全席指定)
*関根扱いでご予約いただくと、「ほんの少しだけ」割引きになります。 ご予約、お待ちしています!
今日は、仕込日ということで、稽古はお休み。 「襤褸と宝石」の演出助手をしている劇団劇作家の石原燃さんに貸してもらったDVD「日本人のへそ」を見た。 井上ひさしの初戯曲を映画化したもの。監督は、須川栄三。この人は、日本のミュージカル映画のマイベスト「君も出世ができる」を撮った人だ。 吃音矯正のための演劇という枠組で演じられる、田舎から出てきたストリッパーの成り上がりの物語。そして、ラストのどんでん返し。 ということなのだけれど、原作を知っている僕としては、なんだかちょっと物足りないかんじ。物語や歌のナンセンスなおかしさは1977年当時はかなりイカしてたんだろうけど、今となってはあまり効いてこないのが残念。 それでも、キャストの豪華さはすごい。 主役のストリッパーが緑魔子。プラス、草野大悟、三谷昇、小松方正、ハナ肇、熊倉和雄、なべおさみ、などなどくせ者ぞろい。 そして、もう一人、絶対に見逃せないのが美輪明宏、美輪さんの「男役」演技だ! 劇中で何役も演じる美輪さんだけれども、全てが男役、緑魔子との濃厚なベッドシーンもある。後半に登場する、レズビアン、ホモの話の中でも、美輪さんはほぼノンケキャラなのだ。 1977年といえば、美輪さんは40代前半。何年か前には、深作欣二監督で「黒蜥蜴」を撮っている。この「日本人のへそ」という作品は、美輪さんのキャリアの中でも、とってもとっても異色なものだと思う。 どうして出演することにしたんだろうか?などと、いろんなことを考えた。 男役の美輪さんは、とっても二枚目で、長いもみあげも男くさい。声だけ聞いていると、今のゴージャスな美輪さんなんだけど、ドラマとしては何の違和感もない、男の人だ。 見ていて思ったのは、美輪さんが細かな演技のテクニックで、キャラクターを作っているんだということ。ヤクザ者やら、学生やら、会社員やら、どの男もみんな、美輪さんがものすごく工夫した役作りの結果なんだ。 (役作りがものすごいのは、他の役者たちも同様だけれども。三谷さんもものすごいことになっている。) 初日が近い「襤褸と宝石」で久しぶりの男役、しかも、おじさんを演じている僕には、とてもとても参考になった、美輪さんの芝居だった。僕もがんばろう。
夜、髪を切りに行く。 髪を短くすると、ハリのなくなった髪の毛が少し元気になったような気がしてくるから不思議だ。 いつものように「ごっつい加藤登紀子」になったらどうしようかと思っていたのだけれど、真っ黒にしているせいか、そんなでもないようでほっとする。ふつうのおじさんになってるんじゃないだろうか。 さあ、明日は、衣装とメークありでの場当たり。 公演の案内をメールで送らせてもらう。 加藤道夫の最後の戯曲。タイトル通りの襤褸と宝石の世界。大人数のアンサンブル。ベテランの俳優さんたちの芝居、ANZAさんの歌、別所くん演ずる民夫のひたむきさ。みどころ、いっぱいです。 僕は、いつもとはずいぶん違うキャラクター。でも、僕じゃなきゃできないキャラにはなんとかなってるんじゃないかと思う。 みなさんのご来場をお待ちしています!
冒頭から、少しずつ止めながらの通し稽古。 昨日の2回通したあとに、こういう稽古ができるのはとてもうれしい。 全体の中の自分がわかったあとで、もう一度、自分のことを考えられる。 用心棒の富田役の上原くんがナイフの扱いに苦労している。 昨日、そう聞いたので、今日は、いろんな人がアドバイス。 殺陣の専門家、黒木さんや、剣持さん、青山さんに井上さん、それに僕も、いろいろなことを言わせてもらった。 みなさんのナイフと体の扱い方についての話は、どれもみんな、経験に裏打ちされたもので、なんだか「芸談」を聞いているようなおもしろさがあった。 上原くん一人に、みんながああでもないこうでもないと向かっているのは、みんなで作っている芝居なんだなあというかんじがして、とてもいいものだった。 僕は、これでいけそうだという線が見えてきた気持ち。上原くんにいろいろなことを言いながら、自分のことも同じように考えて、言ったからにはちゃんとやらないとという気持ちになる。 明日は仕込日で休み。 次は、場当たりだ。 今日の稽古で、これでいける、だいじょうぶと思えたことがとてもうれしい。
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