せきねしんいちの観劇&稽古日記
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篠原さん、平田さんと一緒に、杉並区役所へ。 教育長の井出さんにご挨拶。この間できあがったDVDをお届けして、富士見丘の次年度のお話をさせてもらう。 「光速マシーンに乗って」のお話や、演劇授業について、いいお話をいっぱいうかがった。 その後、篠原さんと、打ち合わせ。久しぶりに話すことがいっぱい。来年の準備は、もっと広い視野で考えていかないといけない。その予定などなど。 ずっと抱えている「サロン」、また新しいアイデアが浮かぶ。前向きな気持ちのいい一日。
フライングステージのメンバーの新年の顔合わせ。もう二月だけど、今年初だ。 みんなの予定を繰り合わせていたら、こんな時期になってしまった。 去年一年のこと、今年のこと、来年のこと、いろいろ話す。 会って話しながら、ああ、やっぱりここが帰ってくる場所なんだなあと思った。 すっかり忘れていた我が家にほんとに久しぶりに帰ってきたような気分。 予定の時間が過ぎても、話はつきない。 ビジネスライクなつきあいではない、つきあいがここにはやっぱりあるんだと思った。 劇団フライングステージの「劇団」という肩書きを外してもいいんじゃないかと思った時期もあったのだけれど、やっぱりくっつけておこうとあらためて思った。 各自がそれぞれの場所でそれぞれのやるべきことをやりながら、それでも、かけがえのないよりどころとして存在する、そんな場所として、これからもありつづけたいと思う。 公演の回数は一時期にくらべて少なくなったけれど、劇団員が集まる機会は、月一くらいでもっていきたいということになった。 トレーニングというよりは、むしろ、近況報告の場になるんだと思う。 「やあ、久しぶり」と言わないでいいような距離のつきあいを、あらためて始める。
TV番組「リンカーン」を見る。 お笑いコンビ「フジワラ」の藤本敏史が、ゲイのマーチングバンドに参加する、海外に行かない「ウルルン」だ。 ステレオタイプのゲイを、番組的にうまく使って、きっと見ていて、いやーな気持ちになるんじゃないかと思っていたのだけれど、これがなかなかいい番組になっていた。 藤本敏史の真剣な向き合い方も好感が持てたし、ゲイだからといって、下に見るような視線は全く感じられない。 サークル内の軋轢、とてもきびしいリーダーでもある指揮者の彼のカミングアウト、そして初めての大会への参加。 端々で、やや構成したんじゃないの?という感がなきにしもあらずだけれど、ゴールデンタイムにこの番組がしれっと、放映されていることがとてもうれしい。 企画としては、キワ者的な扱いだったろうと思うのだけれど、出演者(お笑いのみなさん)の視線がまっすぐでとても真摯だったことが、後味のよさを生んだと思う。 なかなか思うように演奏ができないメンバーに対して、厳しいだめだしをする指揮者の彼に、フライングステージを始めたばかりの頃の自分を見たような気がした。年齢もほぼ同じくらいだ。 どうしてできないの?とか、やるって決めたんならやろうよ!とか、僕も似たようなことを言って、当時のメンバーをひっぱっていた。 あの勢いというか、むちゃくちゃさがなくなったのはいつ頃だっけかなと、もはや懐かしさすらかんじてしまう。 指揮者の彼に、もし会う機会があったら、いろいろ言ってあげたい気がする。きっといつか会える、そんな気もしている。
富士見丘小学校の発表会の後の打ち上げに参加できなかった青井さんと、あらためて講師チームで打ち上げをしようという企画があったのだけれど、僕は、仕事が終わらずごめんなさいする。 後から、里沙ちゃんのブログで、青井さん、健翔さん、篠原さん、里沙ちゃんの4ショットを見る。ああ、行きたかった・・・。この顔ぶれで飲んだことは一度もない。これからもなかなかない機会だったのに。残念。
2007年02月09日(金) |
扉座「ラブ・ラブ・ラブ」 |
扉座の養成所の公演、「ラブ・ラブ・ラブ」を見に六行会ホールへ。 去年同様、「ロミオとジュリエット」をベースにしたオムニバス。 今年もまた体当たりな若者たちの芝居に笑い、涙した。 終演後、横内さんと、来年度の富士見丘小学校のことについて話す。 横内さんは、劇作家協会の教育部長。三年間が終わって、これから先どうするか? 先生方、篠原さんと話したこと、僕の気持ちを伝えさせてもらう。つい、熱く語ってしまったかもしれない。自然と熱くなってしまったかんじ。 田中さん、里沙ちゃん、音響の鈴木さんにご挨拶。茅野さんと、次の演出作品に出る清木場さんのことをちょっとおしゃべり。 外に出たら、小雨が降っている。そんなに冷たくはない、春の雨の気分。
姪が高校受験に合格した。よかった。 体育を特化した高校だそうで、一般の入試の前の推薦枠とのこと(くわしくはよくわからない)。 一緒に受験した何人かのうち、受かったのは彼女だけで、本人もびっくりしているらしい。 推薦入試には面接が一番重要ということだったのだけれど、当日は、緊張して何もしゃべることができず、面接の先生に「リラックスして」と言われたそうだ。そんな緊張ってどんななんだろう? 彼女は、僕の兄弟のうちで一番最初に生まれた子供だ。 両親も初孫ということで心配し、また浮かれもし、僕もちょっとわくわくしていた。 当時つきあっていた相手は、香港の人だったのだけれど、彼を家に初めて連れてきたのが、彼女が生まれたばかりの頃だった。 「香港ではそうするんだ」と言って、生まれたばかりの赤ん坊用の銀のアクセサリーをプレゼントしてくれた。あれは、いまどこにあるんだろう? 今度、会ったら、「あの赤ん坊が高校生になったよ!」と言ってやろうと思う。
妹の家の猫、ナナは、まだ入院している。長くなりそうだとのこと。 いつもは、とてもおしゃべりでニャーニャーよく鳴く猫が、黙って寝ているそうだ。 ともあれ、元気になるだろうというのは明るい未来だ。 ずっと昔、葛飾の家で飼っていた猫が、家の前の京成電車にはねられたことがある。 夜、まだそんなに遅くない時間に、おとなりの奥さんが教えに来てくれた。 外に出たら、腰から下がなくなったうちの猫が線路に近い道ばたに横たわっていた。 小さな声で鳴いていた。 バスタオルでくるんで、家につれて帰り、ずっと起きて、様子を見ていた。 獣医に連れて行こうとは誰も言わなかった気がする。 もうだめだと思ったんだろうか? よくわからない。 翌朝、猫は息を引き取っていた。 たしか、この猫が死んだのをきっかけに、僕の家は、「もう動物は飼わない」と決めたんだった。 でも、その何年か後、母親は近所の子供が連れてきた犬を飼い始めていた。 その犬は、葛飾の家から今の越谷の家に引っ越してきて、老衰で死んだ。お世話になったのは、ナナが入院している動物病院だ。 子供の頃、飼っている動物の死は、とても身近だった。死んでも死んでも、また新しい生き物と暮らしていこうとしてたなあと、あの頃の僕らがとてもたくましく思える。 生きてる限りは誠実につきあって、死んだらいつまでも思い出す。そうやって、死と向き合うことが、いつのまにか当たり前になった。 子供の頃から、命と死ととなりあわせで育ててくれたことは、両親に感謝していることの一つだ。
篠原さんと電話でうち合わせ。6月の頭の「劇団劇作家」のリーディングの演出を引き受けることにした。 この間、俳優としてお手伝いした企画に、演出家として関わることになった。 一緒に演出を担当するのは、山本健翔さん。全部で8本の戯曲を、分担する。 会場は、新宿のミラクル。 リーディングとはいうものの、何本もを一緒につくりあげていくのは、初めての経験。身近でない文体の戯曲をどう立ち上げていけるんだろうか。わくわくする。
妹の家の猫、ナナの怪我の詳細がわかった。どうやら、交通事故にあったらしい。 獣医さんにつれていったところ、後ろ足がもう少しでちぎれるんじゃないかというくらいの複雑骨折をしていて、これは交通事故でしょうとのこと。 即、手術、入院で、かえってこれるのはいつになるかわからない。歩けるようにはなると言われたそうで、僕も母もほっとしたのだけれど、治療費いくらかかるんだろう?とまた別の心配も・・・。 うちの猫は、すっかり濡れ衣を着せられたかたちだ(別に叱ったりはしてないけど)。 お詫びに、今日の晩ご飯は、カリカリではなく猫缶を開けてやった。
妹の家の猫、ナナが怪我をした。 足をひきずりながら血だらけで帰ってきたという。 もしや、うちの猫がやったんじゃないかと心配になる。 妹の家は、歩いて数分の距離にあるので、二匹の猫が外で出くわしても不思議じゃない。 うちの猫は、この間、二軒先のお宅の猫、ムーちゃんとけんかして、日中の外出が禁止になっている。 「止めようと思ったんだけど、怖くてさわれない」というヒサノの奥さんからの電話で母親が行って、なんとか連れて帰ってきた。 完全外出禁止令は、さすがに気の毒ということで、二軒の家で「猫が出ているときは、うち(関根家)の門に目印を出しておくこと」というきまりができた。 優先順位は、ムーちゃんにあるのだけれど、僕の家の門に「ムーちゃん」と書いた筒(たぶん、トイレットペーパーの芯、赤いリボンが通してある)がないときは、うちの猫も外に出ていいことになった(うちの猫のしるしは、何かのおまけについてきたらしいカエルのキーホルダー)。 妹の家の猫とうちの猫は、かなり仲が悪くて、お互いの家に行っては、そのたび牽制しあってフーフーうなっている。 まさかとは思うけれど・・・。うちの猫は、気のせいか、いつもより猛々しい顔をしているようで・・・。
母親の誕生日。 妹一家でお祝いがあるのが例年なので、僕は母の好物を買って帰るくらい。シンプルに。 ケーキはやめて、仕事先の近くの美登利寿司で穴子寿司を買って帰り、遅い夕飯を一緒に食べた。 2月1日生まれの知り合いが何人もいる。今はもう会わなくなくなった人のことを思い出す。かつてのつきあいも一緒に。
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