せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2006年10月31日(火) うちあわせ

 夜、篠原さんと渋谷で待ち合わせ。富士見丘小学校の打ち合わせ。
 台本について、先週の打ち合わせから、今までで生まれた疑問点を確認。
 人物のキャラクターと、世界の設定(?)をつめていく。
 今回、ひとつながりの物語を手分けして書いていくので(プロットは篠原さん)、これってどうなってるの?というところは、ちゃんとわかって共有しておきたい。
 一人で思いつめる書き方よりはずっとラクに息をしながら、台本にむかっている気がする。
 篠原さんがすでに書き上げた場面と登場人物、それに加えて、僕が新たに性格づけをする犬と人物たち。とにかく、6年生全員、65人が登場する舞台だ。
 去年の「放課後の卒業式」の「演劇授業」の発表のような、「みんなでつくる」場面が、今回はない(全員で踊るダンス場面以外は)。
 篠原さんが描いた人物は現代の人たち。僕が描くのは光速のマシーンで行ってしまった未来の人間と犬たちだ。作家としては、いい分担のしかただと思う。
 夜中、打ち合わせの経過報告と、先生方へのお願いのメールを送る。
 明日は、1時間目から、富士見丘小学校。暗いうちに家を出るのはつらいから、1時間めからはなしにしようと決めた、今年の授業計画。
 本来は、予定がないのだけれど、1,2時間目は、マリオネットの犬づくり、3,4時間目は、学習発表会の練習を見学させてもらう。
 篠原さんと、打ち合わせのおしまいに、おつかれさまと言った後、どうせまた明日会うけどと付け足した。


2006年10月30日(月) リーディング

 サイトのトップページに情報をアップしている、リーディング「シェイクスピアの女たち」。
 去年、ロジャー・リーズのワークショップで知り合った有希九美さんに声をかけていただいて、出演することになった。
 “シェイクスピアの代表的な作品である「テンペスト」「お気に召すまま」「マクベス」「十二夜」「夏の夜の夢」「リチャード3世」「ウインザーの陽気な女房たち」から、そこに登場する女性たちの姿を通して、当時は男ばかりで演じられていたという常説に疑問を呈する。それにしても、シェイクスピアはなんと巧みに女の心理を描いていたことか。いつから女役を女優が演じるようになったのか。当時を想像しながらお楽しみください。”という舞台。
 舞台でシェイクスピアのセリフを口にするのは初めてだ。とても新鮮で楽しみ。
 ご一緒する、有希九美さん、松本紀保さんとも初めまして。今は、とりあえず、シェイクスピアの戯曲を読んで“予習”しておこうと思う。
 きっといろんな役のいろんなセリフをしゃべるんだろうなと思うと単純にわくわくする。しかも、男性は僕一人。それでいいの?という気がしないでもないけど、これもまたうれしい。できることのありったけをぶつけてみたいと思う。
 どうぞみなさんのご来場をお待ちしています!
 ご予約は、関根までメールでおしらせください。
 よろしくお願いします。


2006年10月29日(日) ラ・カンパニー・アン「a@a cafe=anteria at An」

 ラ・カンパニー・アンのジェストダンスライブ「a@a cafe=anteria at An」@新宿ミラクル。
 8月のリーディング以来のアンのみなさん。艶やかな衣装もなつかしい。
 水木さんにも久しぶりにご挨拶。「オセロー」の旅公演が一区切り、間もなく東京公演が始まるそう。
 ザバダックの曲に合わせてのジェストダンスに、岸田國夫の「ヂアロオグ・プランタニエ」。合わせて50分のちょうどいいサイズのライブだった。
 今となっては不思議な文体の台詞を、いつもの衣装を着たあかねちゃんと清木場ちゃんがしゃべると、それだけでおかしみがにじんでくる。
 ラストは、セリフとしてはやや不可解な「鳥」の登場をダンスにつなげて盛り上がる。
 照明、音響、舞監の伊藤さんとおしゃべり。富士見ヶ丘の打ち合わせも若干。
 終演後、アンのメンバー、今日来ていたみなさんとおしゃべり。
 並んで座って見たにしやんと、終演後、カラオケボックスへ30分。微妙な時間つぶし。
 にしやんから、ここ数年追っかけをしているという中村中の話を聞く。青い部屋でのライブからなんだそう。「友達の詩」を唄ってもらい、僕はおしゃべりのみ。
 その後、すっかりごぶさたしてるタックスノットへ顔を出して、帰ってくる。


2006年10月28日(土) スリッパ

 スリッパを買い換えてみる。
 しばらく履いていたのは、6月の「罠の狼」でつかった白いスリッパ。ちょっとゴージャスな起毛タイプ。夏のさかりにはき続けてせいで、もうよれよれ。季節も変わるし、もう一段階、ふさふさなものをと思ったのだけれど、つい、イボイボのついた健康サンダルタイプを買ってしまう。
 突起が予想よりも固くて、素足で履くと、とっても痛い。これは、足の裏のツボが刺激されてるってことなのか。靴下を履いた足にはちょうどいいかんじ。
 猫を抱いて歩くと、ぐっと痛みが増す。やっぱり重さのせいか。体重減につながるかなと思ったりする。


2006年10月27日(金) 秋ふかし

 もうすっかり秋だ。猫は毎晩、僕の枕元で寝ている。
 夜になると遊びにいきたがったのも、一段落して、12時過ぎにはもう熟睡しているのを抱き上げて、部屋に連れて行く。
 夜中ずっと寝ていて、朝方4時頃に必ず目を覚まして、部屋の外に出せと鳴く。寝ていても起きていても、なんとなく目が冴えてしまって、妙にこの頃早起きだ。
 夜明けが遅いので、早起きというよりは、夜更かしの延長のような気分。
 二度寝したり、そのまま起きてみたり。静かな時間にほっとする。


2006年10月26日(木) ちょこちょこと

 フライングステージのホームページをいじる。トップページのレイアウトを少し変更する。
 シンプルなテキスト中心のサイトが僕は好きだ。デザインに凝った他の劇団のサイトを見ると、こういうのいいなあと思うのだけれど、更新のしやすさを考えると、やっぱりシンプルなものが一番いいなと思う。
 文字を少し小さくして、画像を多く配置した。
 新しいコンテンツの追加はなし。
 いつかやろうと思っていた画像をぺたぺたと貼り付けて、リンクを貼っていく。
 こういう「作業」はとてもたのしい。余計なことを考えなくていいのが何よりだ。
 僕はマックのインターネットエクスプローラーで見ているのだけれど、ウィンドウズではどうなんだろうか? 今度、外で確認してみよう。


2006年10月25日(水) 仕事いろいろ

 朝から、劇作家協会の仕事で、原宿のボイジャーさんに篠原さんとうかがう。富士見丘小学校のDVDの打ち合わせ。
 昼、乃木坂のドキュメンタリージャパンさんで、DVDの試写第一弾を拝見。日程等の打ち合わせ。
 映像の中の一昨年の六年生がとてもなつかしい。この間、中学校のフェンス越しに会った、アキトくんが子供のまんまでうつっている。
 この間の杉並第一小学校の授業のときに思いをはせた、一年目の彼らを、もう一度見てみて、似てるなあと思った印象をもう一度新たにする。やっぱり彼らは彼らとして特別だ。
 ぼくがまだ参加していなかった頃の授業の様子を見ながら、このあと、彼らがどうなったか、そして、今、演劇についてどう思っているんだろうかと、思うこといろいろ。
 その後、篠原さんと、富士見丘関係の打ち合わせをじっくりとする。ドトールやスタバじゃない、ちゃんとした珈琲屋さんで。
 この間、子供たちが書いてくれた「大切な思い出」についての感想がとても近くて、うれしい。
 これとこれをこう活かしてとか、犬の名前をこう変えようという話をしたあと、スケジュールの確認と、台本書きの分担をする。
 今月は、久しぶりに稽古がない。急いで書かなくてはいけない台本も(gaku-GAY-kaiは再演なので、さっくり書けてしまいそう)。
 富士見丘小学校の今年の台本と、一昨年の記録をまとめることに専念できる。
 授業も22日のオーディションまでなし。それまでに劇中歌以外の台本を篠原さんと二人で仕上げるのが最優先課題。
 今日の打ち合わせで、ずいぶん具体的になった今年の芝居。はじめ、子供達からもらった「お話」は、正直「これでいける!」と思える「構造」のものがなくて、どうなることやらと心配だったのだけれど、先生方との打ち合わせ、それから、その後で書いてもらった「大切な思い出」で、くっきりと見えてきた。
 こんなふうに、どうしようか?・・・といったんは途方にくれても、新しい道が開けてくるのがおもしろい。これからもきっと、こんな思いを何度もするんじゃないかと思う。
 まずは、やらなきゃいけないことをどんどんやっていこう。


2006年10月24日(火) 冬のはじまり

 芝居をしているとあっという間に季節が変わる。「許しつづける女たち」の稽古が始まったのは夏だったのに、終わってみれば、もう秋。というか、今日は冬のような寒さだ。
 冬物のコートを着てしまいそうになるのを、ちょっとがまんする。
 帰りは大雨。北越谷からのバスに久しぶりに乗る。
 夜の早い時間に家にいるのは、ずいぶん久しぶりな気分。というか、家にいても、せかせかと落ち着かない気分でいないのは久しぶり。
 猫は、一日中家にいて、機嫌が悪い。暖かいうちに一度シャンプーしようと思ったのをしそこなった。もう暖房がはいるまでは無理かもしれない。


2006年10月23日(月) からんとした日

 芝居が終わったあとのからんとした日。
 やることはいっぱいあるのだけれど、なんとなくぼーっとしている時間が長い。
 作・演出なのになぜ?というかんじで、散らかったままの部屋の片付けも手つかず。
 気がゆるんだせいか、腰が痛くなってきた。少し腹筋をして、大事にならないといいのだけれど。


2006年10月22日(日) 「許しつづける女たち」千穐楽

 千穐楽。
 マチネは、ややラフになってしまったかな?という印象だけれども、まあいいかんじ。終演後にダメだしをする。
 短い休憩のあと、ソワレの開演。
 音響の鈴木さんが来てくれる。
 開演間もなく、というか、開演前の音楽が流れ暗転の途中で、ブレーカーが落ちてしまった。どうなるの?と思ったけれども、間もなく、復旧。
 トラブルが帰って客席の雰囲気を柔らかくしてくれたかもしれない。
 いいテンポで進む。お客様にたすけられて、無事終演。
 終わった、終わった!!
 バラシのお手伝いをして、打ち上げに。
 考えてみれば、みんなと初めての飲み。わいわいしゃべり、楽しく打ち上げる。
 今回、表方の手伝いをしてくれていた宇田くん、竜太郎さん、對馬さん、鈴木さんとお先に失礼して帰ってくる。
 キャスト、スタッフのみなさん、お疲れさまでした。
 ご来場いただいたみなさん、どうもありがとうございました。


2006年10月21日(土) 「許しつづける女たち」中日

 昨日の初日がいいかんじだったので、二日落ちするんじゃないかと心配だった二日目マチネ、13時開演。
 まみぃが見に来てくれる。会うのは久しぶりだ。
 それほどのトラブルもなく、細かいミスがややあったものの無事に終了。
 ソワレは、やや二日落ちかな?というかんじ。全体に固く重たい芝居になってしまった印象。終演後にそんな感想を伝える。
 ノグと裕子さん、それにベンちゃんにご挨拶。オカダさんとも。


2006年10月20日(金) 「許しつづける女たち」初日

 14時からのゲネプロ。休憩のあと、初日開演。
 演出家は、居場所がむずかしい。いつもは、作演出でも役者を兼ねているから、楽屋で準備をしているのだけれど、今回は、本番の舞台を見るだけ。開場時間は、外でなんとなく立ち話。
 開演前にお客様と一緒に芝居をつくっていってほしいと話したとおり、初日の舞台が満席のお客様と一緒に立ち上がっていく。
 稽古場ではなかなかなかった笑い声や、じっと見続けてくれる視線にたすけられて、2時間の上演時間が過ぎていく。そして終演。暖かい拍手をいただいた。
 平田さん、谷岡さんにご挨拶。ありがとうございました。
 用事があって来てくれた郡司さんとしばしおしゃべり。この間の「しじんの村」の感想など。
 初日乾杯を客席で。気持ちよく乾杯ができていることに感謝。
 あと4回の公演。きっちり毎回を見ていきたいと思う。


2006年10月19日(木) 杉並第一小学校演劇授業 「許しつづける女たち」仕込み

 朝目が覚めるとまだ外が暗い。5時前。もう秋なんだなあと思い、また寝てしまう。
 朝10時から、杉並第一小学校の演劇授業。講師は山本健翔さん、僕はお手伝いというか見学させてもらう。
 まずはゲームから。声のキャッチボール。全員で大きな輪になって、好きな相手に声を投げる。どんな声でもいい。かけ声のようなもの。
 6年生は単学級。35人がちょうどいいかんじの大きさ。
 つづいて「にょっき」。はじめはちょっと緊張気味の彼らがだんだん笑顔になってきた。
 体育館に入ってきた彼らを見て、最初に思ったのは、緊張のしかたが、一昨年の富士見丘小学校の6年生と似ているなあということだ。緊張というか、かまえているかんじ、鎧っているかんじ。
 平田さんと「大人だねえ」という話をしたのだけれど、それはそのまま、ちょっと構えているということなんだと思う。
 去年、今年の富士見丘小の子供達からはあまりかんじられない雰囲気だ。
 この間の授業のあと、形にならないものの継承という話を校長先生からうかがった。それは伝統といってもいいのかもしれないけど、見ていただけで同じことをやったわけではないのに、明らかに、一年目より二年目、二年目より三年目の方が、演劇に向きあう姿勢が自然にできている。
 話を聞くときの態度や、やってみるときの態度。行儀がいいというのとも違う、ちゃんとした向き合い方。演劇は約束だというのは、去年の授業で僕らが何度も言ったことだけれど、その約束を守るという姿勢がいつのまにか身に付いているのかもしれない。
 今日の子供たちから感じたのは、そんなあれこれ。でも、もう一つ思ったのは、演劇って何なのか? 何のためにやるのか?という問いに対する答えがちゃんと渡されているかどうかというのも大きなことなんじゃないかということ。
 富士見丘の一年目の子供たちは、まったく初めて演劇に触れて、思いもよらないことを次々にやっていった。それがいったいに何のためなのか、何になるのかもよくわからないまま。卒業公演に向けての授業も同様だ。二年目になる去年は、「下級生に伝えたいメッセージ」というものがはっきりあったから、少なくとも「なんでこれをやるのか?」という理由は手に入ったと思う。一年目の彼らの心細さが、今日、初めて会った子供達の様子から、ふと思い起こされた。
 さて、健翔さんの授業は、続いて、台本。
 三年に一度の学芸会のためのお芝居の練習。オーディションの前に、子供達にアドバイスというか、いつもとは違った面から演劇に触れる機会をというのが今回の授業の目的(だと思う)。なので、ウォームアップのあとは、台本を読んでみる。
 輪になって、「。」「、」までを一区切りにまわしながら。
 続いて、シーンを抜いて。ぼくと平田さんも輪に入って、一緒に読む。
 ぼくのとなりの女の子が、ずっとうつむいている。ゲームをしているときから。読んでみてもなかなか声がでない。そのうち、輪から外れて、後に行ってしまった。他の子供達も、そっと見ているかんじ。
 少し読んでみたのだけれど、やっぱり下を向いてしまった。きっと、自分でうまくいかないのが納得いかなくて、胸がいっぱいになったんだと思う。ぼくも、小学校のときはそんな子供だった。涙が出てきて、胸がいっぱいになってしまう気持ちはよくわかる。でも、なんとか今日の授業を楽しんでほしいと祈る。
 その後、いろいろやっていくなかで、少しずつ、参加できるようになった。それで全然だいじょうぶ。ちょっとほっとする。
 台本の最後のシーンでの、正義と悪の対立(おおざっぱに言うと)の場面。両方が歌を歌う。このシーンの歌詞をみんなで読む。
 そのあと、健翔さんは「北風と太陽」って知ってる?と質問した。イソップ童話の「北風と太陽」。
 北風と太陽が、旅人のコートを脱がそうと競争する。北風が冷たい風を吹かせてもだめだけど、太陽が暖かい日射しで温めたら、コートを脱いだ。という話。
 健翔さんが旅人、ぼくが北風、平田さんが太陽になって、その場面をやってみた。風の音、太陽の日射しの音(聞こえないけども)をいろいろやってみる。続いて、子供たちも。即興のお芝居だ。楽しそうにやっていたのが印象的だ。初めの固さから、2時間の授業の終わりには、とても柔らかい表情になった子供達。
 最後に、太陽になった気持ちで、全員でエンディングの歌を歌う。
 いい授業だった。思うことがいろいろ。参加させてもらって、ほんとうによかった。
 今日の授業で、はじめのうち戸惑っていた子供達が、集中してきたなと思えたのは、台本を開いてからだ。学芸会の上演台本。オーディションを控えているというのも大きかったと思う。何でやるのかという目的がまずはわかる。ともかく、まずは読んでみるということが、演劇に触れる第一歩としても、ある手応えを与えられるせいだからかもしれない。
 本番の舞台は、富士見丘小学校の学習発表会と重なるので見ることがむずかしいのだけれど、みんな楽しんで思い出に残るいい舞台をつくりあげてほしいと思う。
 授業のあと、体育館にバッグをまるごと忘れたのに気がついて戻る。子供達に「ありがとうございました」と挨拶されて、うれしい。
 昇降口に戻る廊下で、授業に参加していた発達障害の男の子(体育大学の学生さんがボランティアでつきそってくれている)に「さよなら」と挨拶したら、「ありがとうございました」と言ってくれた。うれしい。こちらこそ、どうもありがとう。
 健翔さん、平田さんと別れて、お先に失礼する。
 移動の途中、平田さんからもらった、富士見丘小の子供達が書いてくれた「大切な思い出」の作文を読む。大切な思い出を僕らに教えてくれたことがとてもうれしい。フィクションも実話も含めて、いい話、すてきなエピソードがいっぱいだ。前回の作文、未来の様子とは全然違う、手応えのある、いい言葉がつまっている。電車の中で読みながら、涙ぐんでしまう。きっといい芝居になる。そう思えてきた。

 昼、仕事先に顔を出して、また阿佐ヶ谷へ戻ってくる。
 劇場に行ったら、ちょうど停電中、漏電か?ということで心配したのだけれど、しばらくして問題は解決。
 その後、照明の仕込みが終わるのを待って、シュート。夕方から、転換ときっかけの稽古。段取りの確認が主なのだけれど、短い時間やってもらう芝居がいいかんじで落ち着いていて、安心する。
 夜は、場面の小返し。2場、3場、4場。昨日とは全然違う、きっちりしたやりとりが積み上がっていく。最後に6場の最後をやって終了。
 帰りの電車で爆睡してしまう。


2006年10月18日(水) 富士見丘小学校演劇授業 「許しつづける女たち」劇場入り

 富士見丘小学校の授業。一昨日の打ち合わせを踏まえて、篠原さんが上演台本を書き進めてくれた。
 「光速のマシーン」に乗るところと、未来に行ってしまった先で、警備員と警官に追われ、犬たちが登場する場面。
 初めに特活室で、「こういうお話をやります」という、今回の舞台、全体の説明。誰が書いてくれたお話からとったかをていねいに。両方のクラスの何人もの人の思いが、反映した作品だ。
 ダンスをどうするか、歌は何曲かというのも説明。今日のあと、授業はしばらくなし(学習発表会の準備のため)、次に会うのはオーディションだ。それまでに台本を仕上げておくと約束する。
 前田先生が、犬をつくってきてくれた。かわせみ座さんからいただいたものから、型紙を起こして、工作用紙で作られた新しい犬。足も顔も糸もついて、持ってるだけで、とても生き生きと動く。子供達に、これを使ってもらうよと説明。まさか、人形劇になるとは思わなかっただろう。僕らもそうだもの。でも、この、なんだか話しているうちに思いついたことを、次々やっていってみようと思うノリ、これがみんなで作ってるってかんじなんだなあと思う。
 AB2チームに分かれての練習、というか授業。篠原さんは特活室、僕は体育館に移動する。
 まずはウォームアップのしりとりとだるまさんがころんだ。続いて、台本を読んでみる。新しい台本は、人物が整理されて、すっきりした印象。それでも、とっても読み出があっておもしろい。
 まずは、「、」「。」で区切って、全員で輪になって読む。続いて、やりたい人!と聞いて、手を挙げてくれた人を田中先生に選んでもらって、前半、後半に分かれて、まずは前半。続いて、後半。全員が登場することになった。
 後半は、未来に行った先の「空がない」というセリフをもとに、空がないと気がついたところの即興をやってもらう。
 何人か(6人)で歩いていると、一人が気がついてみんなに言う「あ、空がない」。それを受けてのみんなの対応とやりとり。
 篠原さんの台本にもやりとりが書かれているのだけれど、子供達の言葉を反映させたいねと話しあった。で、やってもらう。
 思いがけない言葉と関係がいくつも見えてくる。空がないと気がつくと、こわいのか、不思議なのか、どう思うのか? 携帯で電話をかけてみようとする人も。平田さんに記録していってもらう。
 授業の最後は、特活室に戻って、フィードバック。両方のチームの発表をする。篠原さんのチームは後半をきっちり読んで、犬の鳴き声にも言葉としての意味をこめていた。整然と、そして役の印象まで深めての読み方がとてもすばらしい。続いて、体育館チームは、もう一度、即興劇をやってもらう。みんなに見守られて、その場にいること、そして、驚いているようすが、その場にちゃんとあった。読んでるだけとは違う、芝居しているかんじがぐんとおもしろい。
 お昼、給食をいただきながら、打ち合わせ。健翔さん、平田さんと。校長先生にも一昨日の打ち合わせで思ったことなどをお伝えする。
 みんなにお願いした宿題、大切な思い出は、もう提出されたそう。篠原さんが先に帰ったので、コピーしたものを送ってもらう。僕は明日平田さんから受け取ることに。
 校長室でああでもないこうでもないと言い合いながら、今日もおもしろいアイデアがたくさん浮かぶ。誰からということでもなく、みんなで話しているうちに誰かが言ったことが、どんどん実現していく。言ったもん勝ちということじゃなくて、何でも言い合える現場はやっぱりいいもんだ。

 劇場入り。午後小屋入りすると、舞台はすっかりできあがっていて、客席をつくっている最中。予想よりもずっときれいでおしゃれな空間ができあがっている。田中さんが用意してくれたものたちが、きちんと納まって、台本のイメージが無理なく立ち上がる。
 しばらくは役者が舞台に慣れるための自由な時間。その後、1場、2場、3場、6場を通してみる。段取りのむずかしいところを細かく確認。大勢が登場するシーンも。
 19時過ぎから通し稽古。照明はなしだけれど、音響は入れてもらう。さっきはできなかったことができてぐーんとよくなった場面、できてたのにどうして?な早くも2日オチな気分の場面などなど。まあ、今日のうちに一回へこんでおくのはいいことだと思う。やや厳しいダメ出しをして、今日は終了。


2006年10月17日(火) 「許しつづける女たち」稽古

 稽古場最後。まずは、昨日に続いての場面毎の通し稽古。6場、1場、2場、3場までを二度ずつ通して、最後に4場を一回やってダメだし。通してみる。
 音響さん、照明さんに見てもらいながらの通し稽古。
 初めて、音が入る。留守電のメッセージ、録音した山本さんの声も。
 1場、2場、3場とところどころ微妙なかんじでいたのが、4場からぐーんとおもしろくなった。綺麗に幕がおりて終了。いい稽古、いい芝居になった。
 ダメ出しをして、撤収。
 明日は劇場入り。当日の仕事が演出だけというのはほぼ初めての経験なので、小屋入りしてからのいかたがやや心もとない。
 ともあれ、明日は、午前中は富士見丘で授業。ゆっくり午後から劇場入りをさせてもらう。
 帰りの電車。いい芝居を見た後のような気分でなかなか家に帰りたくない。都営浅草線の浅草で降りて、浅草の街を少し歩く。東武線の各駅停車に乗って、すわりっぱなしののんびりした気持ち。パソコンを広げて日記を書いてみる。


2006年10月16日(月) 富士見丘小学校打ち合わせ 「許しつづける女たち」稽古

 仕事に出かけたあと、富士見丘小学校で打ち合わせ。田中先生、阿部先生、長崎先生、畑先生、前田先生、平田さんと、篠原さんと僕。
 先生方ともろもろの確認。マリオネットの犬をどうするか、何頭出すか、全体のお話はどうするかなどなど。
 篠原さんが書いてきてくれたレジュメをもとに、これからの授業についての打ち合わせ。
 下級生へのメッセージということではなく、おもしろい感動的な舞台をつくればいいということを確認する。今回は送る会ではなく、1月なので、このあたりをどうしようかというのが、なかなか難しいところだった。
 それと、全員が出演するかという問題も。
 犬をつくる時間があるかという問題は、11月の学習発表会の準備と同時進行するということで解決した。よかった。これで、犬を登場させることができる。
 初めの企画では思いも寄らなかったマリオネットの犬の登場。今年もまた、びっくりするような思いつきの連鎖で、当たり前のようにすごいことをやろうとしている。
 明後日の授業は、台本に子供達のことばが活かせるよう、即興をやってもらうことにした。
 去年もそうやって、子供たちから出た言葉を採録して、台本に反映させていったんだなと思い出す。たった一年前のことなのに、もうあやふやな記憶しかないのが情けない。一生懸命やっていたのは間違いないけど、作り方の記憶はもっと落とし込んで置かなければと反省。
 子供たちに最後の宿題をお願いする。未来から現代にもどってくるために、ひきかえに差し出す「大切な思い出」を書いてきて欲しい。どんな思い出か、具体的に。そして、なぜ大切なのかも。同時に、犬との思い出も。犬が出てくる芝居なので、そのあたりも、僕らが考えたものじゃなくて、子供たちから言葉をもらいたい。具体的に。もちろんフィクションでいい。
 という話をしたところ、平田さんが、「大型犬じゃなくって、ちゃんと言わないと」とチェックが入る。今回作る犬の人形は、大きさで言えば、小型犬サイズ。そうじゃないと作るのもの大変だし、あやつれない。「雪山で遭難したのをたすけられたっていうのだと成り立たないから」と。たしかにそうだ。さすが、平田さん、子供達全員分の作文をワープロ打ちしてくれただけのことはある。というか、そのつっこみが、妙におかしくて、やや固いムードの打ち合わせが、一気に和やかなものになった。
 結末をどうするかという点について長崎先生から提案が。そのアイデアは、僕らが実は・・・という落としどころとして想定していたもので、その前に、子供達から「大切な思い出」を募りたいと思っていたのだけれど、すっきりわかりやすい、その結末(しかも感動的!)が見えたせいで、芝居全体がいっきに具体的になった。
 打ちあわせに伺う前は、どうなるんだろうとやや考えてこんでしまっていたのだけれど、帰り道はとても明るい気持ちに。篠原さんと電車の中で、フィードバック。とても前向きに。
 
 夜は稽古。打ち合わせが五時過ぎまでかかってしまったので、遅刻して稽古場入り。
 4場、5場を小返し。いいかんじにやりとりが成立している。
 こうしたらもっと面白くなるというところをチェックしながら、やや観客の視点で楽しむ。
 初日間近の緊張がいいかんじに作用しているのかもしれない。
 ぐーんとノリがよくなった印象。明日は稽古場最後。


2006年10月15日(日) 「許しつづける女たち」稽古

 午後から夜までの稽古。
 昨日の通しを踏まえての稽古。5場と2場の小返し。
 「自分が勝つためには相手を勝たさないと」とか、「相手がやりやすく演じることが結局自分が演じやすくなることなんだからね」とか、今さらな言葉をいろいろ言ってみる。みんなにお願いしたいのは自分がどう演じるかに一生懸命になることよりも、みんなでつくっているというチーム感だ。
 夜は全員そろって6場の稽古。大勢の人間が登場する場面。バラバラにやっていたら何にも生まれてこない。一つ一つをていねいにチェックしていって、集中のしかた、話の中心をさぐっていく。最後に6場を通しておしまい。


2006年10月14日(土) 宇宙堂「夢ノかたち」第二部「緑の指」 「許しつづける女たち」稽古

 マチネの宇宙堂公演「夢ノかたち」第二部「緑の指」@シアターグリーン
 8月の第一部に続く、連作の完結編。今回の舞台は、1983年の池袋。えり子さんのアパートの窓から見えたというサンシャイン60がそびえる空を背景にしたアパートの屋上にやってくる人々。
 第一部の登場人物がきっちり年をとっていて、時代の流れをかんじさせる。そのなか、ちっとも変わらない少年のままのシマオが、トタンで葺いた物置の屋根に登場した姿に感動する。まるで、演劇の神様のようだと思った。劇中でも「神の使い」だという役だけれど、このシアターグリーンという劇場の屋根に降りた神様のように見えた。やせて目だけキラキラしている姿。
 記生ちゃんは、当時のえり子さんをほうふつとさせる鯖子役。劇団の旗揚げ公演の台本が書けないで苦悩している姿、劇団員に責められ、励まさせる姿を笑いながら、ほろっとする。
 70年代、80年代の小劇場のスタイルを21世紀の今から振り返る。ひやかし笑いながら、でもその熱さがなつかしく思えてくる。熱さをなんのてらいもなくそのまんま演じている宇宙堂の役者達がとても愛しい。
 静かな等身大の現実的な演劇が多いなか、夢を見ないで何が演劇だといわんばかりのこの熱さが、じんわりと伝わってきた。
 前回の白萩ホールの寸法で生き生きしていた役者達が、今回、シアターグリーンの(やや)大きな舞台でもくっきりした輪郭をもって登場しているのがうれしい。若手の劇団員のみなさんも、実におもしろい役者になったと思う。えり子さんはいい育て方をしたなあと、劇団ってこういうものなんだなあと思った。
 終演後、ノグと裕子さんに声をかけられる。ノグには、初めての外部の作演出でもっと体型が変わってるかと思ったら「太ってもやせてもいないでほっとした」と言われる。
 記生ちゃん、えり子さんにご挨拶。お疲れさまでした。大阪公演の成功をお祈りしています。
 池袋までノグたちと話ながら歩く。最近見た芝居の感想などなど。
 夜は稽古。
 今日は6場の稽古の予定。少しセリフを直そうと思って、ずっと考えていたのだけれど、これを入れようというのを昨夜思いついた。でも、あともう一つが決まらない。もんもんと山の手線の中でノートに向かうが、途中の日暮里で降りて、喫茶店でちょっと落ち着いて考える。思いついたセリフを入れてみたら、前後の流れも追加したくなり、結局大幅な修正に。パソコンで入力して印刷する時間がないので、台本の裏にサインペンで書いて、コピーをとることにした。
 稽古場に到着して、まずはやってみる。芝居の着地点がより明確になった印象。
 動きの確認をおおざっぱにしてから、くわしくは明日さらに作り込むことにして、通し稽古の準備。
 音響の齋藤さんが来てくれての通し。衣装もあり。
 みんながやや余計にがんばってしまったかんじ。一人一人で芝居をしてしまって、やりとりが成立しない印象。まあ、こういう日もある。
 自分がどう演じるかではなく、どうやりとりするかが大事なんだということ、芝居は役者の中ではなく、役者同士、役者と観客の間にあるんだよと話して、今日はおしまい。


2006年10月13日(金) 「許しつづける女たち」稽古

 午後からはスミケン、みかちゃん、あっくんの場面を中心に。ぐーんとおもしろくなった。
 夜は衣装パレード。みんながそれぞれ持ち寄った衣装を確認していく。
 普段着ばかりが登場するなかでさりげなく卑怯な(!)服も登場。なんでそんなのもってるの?などと言い合いながら。
 今日も長時間の稽古。演出は、自分が演じるより余計に疲れるような気がするんはなんでだろうと思っていたのだけれど、具体的な言葉で伝えるということの大変さなのだと気がついた。作家はセリフを書いて、そのやりとりから浮かび上がるもものが伝わればいいと思っているし、役者は身体を使って言葉にならないものを伝えることができる。でも、演出は、徹底的に言葉だ。言葉にならないものを伝えてと、言葉で伝えるのはとても難しい。抽象的なイメージを伝えて、あとは役者に任せてしまうというやりかた、演出は交通整理だというやりかたが、僕にはよくわからない。台本を書いているせいかもしれないけど、もっともっとと思ってしまう。8月のリーディングでは演出で声を枯らしたし、今回も帰りの電車ではくったりしてしまう。作演出だから、ちょっとラクかな・・と思っていたのは大間違いだった。覚悟を決めて、これからの稽古終盤にのぞもうと思う。


2006年10月12日(木) 「許しつづける女たち」稽古 かわせみ座

 昨日の通し稽古を踏まえての小返し。頭から、ていねいに。
 これまでとは違ったダメの出し方をする。最初場面だからこうしてほしいとか、実はこの人は、この人についてどう思ってるんだよね、きっと、という確認をもろもろ。
 きっちり稽古を積み重ねてきて、ふっとやりとりが惰性になってしまう、そんな時期かもしれない。それまで伝えたい、相手に訴えたいという思いがあったから成立していたいくつかのことが、微妙に成立しなくなっている。外側をなぞるんじゃなくて、気持ちの変化をきっちりおさえていかないと。昨日と同じことをやろうとするんじゃなくて、違うことをそのときそのときどきやっていこうと思いながら、結局は同じやりとりが成立するのが、いい稽古をしたということじゃないだろうか。そんな話を稽古の合間にしてみる。
 稽古のあとは、篠原さん、平田さん、前田先生、田中先生と待ち合わせして、かわせみ座さんへうかがう。
 ぼくと篠原さんは、その前に打ち合わせを、こんな喫茶店はいるの久しぶりだなあなかんじのお店で。
 かわせみ座さんは、とてもユニークな人形劇団。富士見丘小学校の舞台に登場する犬の造形についての相談。
 山本さんが、新しく、犬の胴体と足をつくってくれていた。いろいろな人形たちを見せてもらいながら、実現可能かどうかをいろいろうかがう。
 見せていただいた、ロバの人形がすばらしかった。木で出来た黒目が大きい、やや無表情なつくりなのだけれど、山本さんが手にとって動かした途端に、生き始めた。感動して泣きそうになる。命ってこういうものなのかもしれない。人形を見ながら、命を感じる。
 具体的な話はもう少しつめなければいけないけれど、劇中に登場する犬のイメージは固まった。あとは、どう作っていくか、それが問題。


2006年10月11日(水) 富士見丘小学校演劇授業 「許しつづける女たち」稽古

 午後の授業。今日のテーマは「気がつく」。
 「あ」「何?」「ほら」「ほんとだ」というセリフを決めて、何かに気づくという場面を演じてもらう。
 その後、先週につづいて、「光速のマシーン」。新らしい場面が加わった。
 みんなで読んでいく。より具体的に演じることのおもしろさを感じてもらう。
 最後の場面で、あ!と驚いた彼らは何を見たのか、即興でやってもらおうか・・という台本だったのだけれど、そこまでは行けず。今日は、全員で読んでみる授業に。
 青井さんから。「セリフがなくても、ちゃんといる人物が後半いなくなったのが残念だった。俳優は、どんな役でも演じる。人間でないものまで。でも、男は男役、女は女ということにはどうしてもこだわってしまいがち。それを今日のみんなは関係なく、演じていってくれた、それはとてもすばらしいことだと思う」と言っていただく。

 夜は稽古。鎌田の稽古場。
 竜太郎さん、舞台監督の田中さん、小林さん、照明の佐々木さんたちが来てくれた。
 小返しの後、通し稽古。6場はまだきっちり作っていないので、前回同様、どういうふうにラストにたどりつくのかを確認していく。
 稽古場がとても声の響くところで、やや芝居が成り立ちにくい。セリフはちゃんと相手に渡して、と言い続けてきたのだけれど、部屋の反響を考えてどうするかというのはとても難しい。それでも、とにかく通してみる。前回とほぼ同タイムで終了。
 細かくダメを出す。小返しは明日以降。
 バスで二子玉に出て、スタッフ打ち合わせ。照明の鈴木さんは、今、円の「ロンサムウェスト」についている。出演メンバーは、なつかしい同期の面々。なんと見に行きたいのだけれど、ちょっとむずかしそうだ。
 竜太郎さんから、もらった今回の音響プラン。夜中、鈴木さんに電話して打ち合わせ。


2006年10月10日(火) 「許しつづける女たち」稽古

 5場と6場の前半。ミカちゃん、スミケン、あっくん、タマキちゃん、リマちゃんで抜き稽古。
 一昨日の通し稽古で見えてきたいろいろを確認しながらつくっていく。
 仕事のあるミカちゃんにあわせて、みんなで早めにあがる。
 いい天気で気持ちがいいのだけれど、やたらくしゃみが出る。風邪の引きはじめか? 長袖だとちょっと暑いのだけれど、寒気もしたりして、ずっと鼻をかんでいる。
 帰りの電車で爆睡して、早めに帰宅。明日の富士見丘小学校の授業の準備。
 夜、日本テレビのドラマ「私が私であるために」を見る。性同一性障害を抱えたというか、トランスジェンダーな主人公のお話。キャストに当事者が何人もいて、それだけでぐんと深みがましていると思う。竹下景子、橋爪功の演技もすばらしい。
 このあいだ見た映画「トランスアメリカ」とはまったく違う、今の日本のトランスジェンダーの問題がきっちり提示されていると思った。性同一性障害という言葉は「障害」というのがいやで、つい「トランスジェンダー」と言い換えてしまうのだけれど、今夜のドラマは「性同一性障害」のお話だった。難病ものにとっても近くて、それが生き方に直結するという位置づけだろうか。
 病気なのか生き方なのか。ゲイというのは、病気ではなくて、生き方だと思う。ゲイであることは病気ではないという事実がようやく常識になろうという今、性同一性障害は、ようやく「病気」なのだから治療してもいいということになっている。
 とても近くて、とても遠い、ゲイであることとトランスジェンダーであること。痛みや苦しみを共有することはできるんだろうか? ぼくは、同じセクシュアルマイノリティとして、共有したいと思っているのだけれど。
 歌手の中村中が、ほぼ本人と同じ設定で出演(歌手としてデビューするMTFのトランスジェンダー)。彼女が歌う「友達の詩」がとても好きだ。久しぶりに聞きながら涙してしまう曲。これから、どんな活躍をしていくのか、注目したい。


2006年10月09日(月) 衣替えその1

 今日は稽古休み。ぼくがこれだけ疲れているのだから、キャストのみんなの疲れはどれほどだろうと思う。あ、みんな若いから、全然平気なのかな?
 ともあれ、今日は休みの予定だったのだけれど、昼間から仕事と打ち合わせ。夜、予定していた宇宙堂の公演に間に合いそうもないということがわかって、記生ちゃんにメールする。
 朝干した洗濯物を夜になってから取り込む。ついでに夏の半袖の衣類をしまいここむ。まだコートは出さないけど、衣替えその1というかんじ。


2006年10月08日(日) 「許しつづける女たち」稽古

 稽古に出かける昼前の東武線の窓から、富士山が見えた。今朝、天気予報で言っていたとおり、頂上が少しだけ白くなってる。初冠雪ってやつか。
 今日は初めての稽古場。祖師ヶ谷大蔵から延々と歩く。今回、こうやって知らない町を歩くことが多い。
 午後は抜き稽古。4場後半の女性ばかりの場面。さもないやりとりなのだけれど、ちゃんと話しかけることを意識しながら積み上げていく。
 夕方から4場を通して、5場の後半、6場の途中までの小返し。
 音響の鈴木さんと竜太郎さんが来てくれて、7時過ぎから通してみる。
 当初の予定よりやや長くなった。これは芝居のテンポではなくて、明らかに台本の饒舌さのせい。ここはもう少しつくりこまないとというところがよくわかった。これからの課題も。
 帰り、鈴木さんとおしゃべりしながら、駅までの道を歩く。
 鈴木さんは今、二兎社の「書く女」についている。ぼくの日記を読んだ永井さんが、間違いについて話していたと聞く。劇中に登場する半水桃水の作品名について。家に帰って、早速訂正をして、永井さんにメールする。
 夜中、篠原さんと富士見丘小学校の授業についての打ち合わせをみっちり。
 途中から、最近見た舞台の感想を言い合ったり、ひさしぶりにたくさんおしゃべりした気分。


2006年10月07日(土) 「許しつづける女たち」稽古

 昨日のうちに予定をたてて、時間を区切って抜き稽古の予定が、どんどんおしてしまう。
 3時までに一区切りと思っていた5場の稽古が終わったのは18時過ぎ。みっちり、芝居をつくっていったせいだ。おもしろかった。おもしろい芝居になった。
 休憩のあと、6場の前半のやりとり。まずはこんなかな?というところまで。
 最後に3場と1場を通してみる。久しぶりの1場がとても楽しくもりあがった。ぐーんとコメディの要素がました印象。それとチームワーク。3場でもかんじたいいチーム感がとても気持ちいい。
 9時に終了して、お先に失礼する。
 渋谷で平田さんと待ち合わせをして、富士見丘小学校の子供達の作文と絵を受け取る。前回の授業で出た宿題。未来の地球について。
 帰りの電車で、作文を読み、絵を見てみる。どれいがいて、王様がいて・・・という社会の構造を描いたピラミッドの絵があったのだけれど、「王」じゃなくて「玉」になって、思わず笑ってしまう。いろいろな未来がとどいた。篠原さんと打ち合わせをして来週の授業の準備をしよう。


2006年10月06日(金) 「許しつづける女たち」稽古

 すごい風と雨。傘をさして自転車ででかけたら、傘が壊れて、引き返す。
 これは台風なんじゃないか? 京成線〜都営浅草線も遅れていて、遅刻して稽古場入り。
 昼間、今回、声の出演の山本くんの録音。音響の鈴木さんと二兎社の「書く女」についておしゃべり。
 一度、電話で声を聞いただけの山本くんなのだけれど、声の質にあてて書いた今回の役。きっちり演じてもらってなかなかおもしろくなったと思う。お疲れさまです。
 その後は稽古。5場の前半から初めて、病み上がりのアカネちゃんをまじえて、4場後半。まずはやってみようということで、とりあえず。
 2場と3場を通して、今日はおしまい。
 帰りは、雨が少し小降りになった。それでも、まだ風はとても強い。ニュースを見たら、台風が低気圧になったものだと言っていた。そうだったんだ・・・・。
 夜中、うちの猫は風と雨の中、出かけていって朝帰り。


2006年10月05日(木) 「許しつづける女たち」稽古

 今日は仙川の稽古場。久しぶりに降りた仙川の駅前がすっかり様変わりしていてびっくり。今日も、雨降りの中の移動で稽古場に着く前に早くも疲れてしまう。
 稽古は、3場の後半から。読み合わせだけで、きっちり立ち稽古をしていなかった場面を。どんどん人が増えていきながら、加速していくノリがおかしい。さもない会話をていねいに組み立てていく。稽古をしていると、だんだんみんなのやりとりというか、その場にいることに慣れていくのがわかる。何が違うのかというのをきっちり伝えてあげるのが、僕の仕事なのだろう。
 雨が続いている。うちの猫は夜中、外に出たがっているが、今日は中にいなと言い聞かせる。余分にエサをあげてみるが、イライラと爪をといでいるので、一瞬だけ外に出して、どうしようかと動かないでいるのを、ほらねと抱き上げて、部屋に入れた。


2006年10月04日(水) 富士見丘小学校演劇授業 「許しつづける女たち」稽古

 今日も、発表会のための作品づくりのための授業。昨日までは、前回の篠原さんにつづいて僕が構成した台本を用意して、また違った場面を演じてみてもらおうという予定だったのだけれど、予定変更。みなみちゃんが書いてきてくれた、「犬のチョコ」の話をもとにした短い場面を篠原さんが用意して、「見えないものを見てみよう」ということについての授業、そして、「おもしろいと思うのはどんな劇」か、「おもしろくないと思うのはどんな劇」ということについて話し合ってみてもらおうというものに。
 子供達から届いたお話をもとに、芝居を書き上げることは今の段階でもやれないことはないのだけれど、もっともっと彼らの言葉と思いをすくいあげたい。そして、大人が作ったものをやってみるのではなく、自分たちで劇をつくるんだということをもっともっと感じて、芝居づくりを楽しんでほしい。
 里沙ちゃんによる、アップ。今日は「見えないものを見てみよう」ということなので、長なわとび。はじめは縄をつかって。次は、縄なしで。1クラスずつ順番に。全員が縄ありで跳んで、次はなしで。見えたり、見えなかったり。回し手がなかなかに重労働。
 続いて、「犬のチョコ」の場面を読んでみる。健翔さんがしきってくれる。
 前回の「光速のマシーン」同様、輪になって座って、「。」で区切って、全員で読んでいく。
 誕生日に犬をもらった子供のおどろき。箱をあけたら犬がいた、そのびっくりするかんじをやってみる。
 はじめは、輪のまんなかの箱があって、1人がそれを開けておどろく。
 続いて、全員が、その場面のセリフを演じる。箱を開けたら犬がいて、びっくりする。
 「びっくりするとどうなる?」と健翔さん。
 じゃあ、犬じゃないことをやってみようと。
 里沙ちゃんに尻尾が生えた。里沙ちゃんがきれいな着物を着ている。里沙ちゃんがハゲてる。外から入ってきた里沙ちゃんを見た子供達から、その都度、溜息や歓声が上がった。
 次、窓の外の木に花が咲いてる。振り返ったら、大きな花が咲いてるのに気がついて、驚く。
 「あ!って思うとどうなる?」と健翔さんが子供達に聞く。
 「声が出る」「肩が上がる」「目を開く」「口を開く」
 「他には?」と健翔さん。
 「息を吸う」と誰かが答えた。聞いていた僕と篠原さんは、そのとおり「息を吸った」
 子供達は、自分でたどりついた。びっくりすると息を吸うんだということに。
 それを踏まえて、もう一度、一人ずつ箱を開けて、「あ!」とおどろくというのをやってみる。
 びっくりすると息をのむけど、「あ!」っという声を出すには、息を吐かないといけない。「どうなってるの?」と考え出すとものすごくむずかしくなってしまいそうだけど、子供達はそれぞれのやり方で箱をあけて、おどろいていた。
 最後に、全部のセリフを1つのチームで演じておしまい。おもしろくなった。
 続いて、どういう芝居がおもしろいかという話。
 みんなに書いてもらったお話についての感想をあらためて。
 みなみちゃんの「犬のチョコ」のその後がどうなるか?を聞いてみる。どうなると思う?
 僕も篠原さんも、みなみちゃんの展開は思いがけなくてステキだと思っていたのだけれど、子供達から出た意見、アイデアも、それぞれとても意外なものばかりだった。息をのんだ。一人が特別なんじゃなくて、みんなが特別なんだと思った。ちょっと反省した。
 どんな劇がおもしろい?という問いかけにはこんな意見があった。
 「展開が予想できない」「くだらない」「感動する」「真剣な場面なのにお腹が空く」「登場人物が違う(いろいろな人がいる)」
 つまんねえなって思うのは?
 「先が読めてる」「笑いがない」「感動しない」「真剣な場面を真剣にやるとつらくなる」
 「登場人物がみんな同じ」「どろどろしてる」「入り組みすぎてるもの」「同じことが続く」「場面が変わらない」「主人公以外が出てこない」「イメージと違う」
 劇作家は、そのとおりだよなと、耳の痛い意見ばかりだった。
 子供達は、ちゃんと何がおもしろいかを知っている。そして、それを、かなり具体的に言葉にしてくれた。
 最後に、劇中でタイムマシーンで未来にいくことになるのだけれど、じゃあ、その未来はどんな未来だと思う?というのを考えてもらうことにした。これは宿題。
 ななこちゃんの書いてきてくれたお話を外枠として使いたいと考えているのだけれど、その未来の地球のありようをどうしようか?ということをみんなで考えてほしいというのが、昨日の篠原さんとの打ち合わせだ。
 破壊された環境というのもありだけれど、もっとおもしろい設定があるはず。彼らが考えた、未来の地球について、もっと話を聞いてみたい。それをもとに、来週の授業の準備をしよう。
 その後、うちあわせ。1組の田中先生から、みなみちゃん、ななこちゃん、小林くんの作品が、モチーフになったということについての子供達の受け止め方をうかがう。僕らには全くわからないクラスのようす。そういうこともふくめて、みんなで芝居をつくっていく。
 昨日、一昨日と休ませてもらった仕事をかたづけにいく。その後は、稽古。今日は世田谷の鎌田。富士見丘から練馬へ行き、新宿経由、成城学園まで。そこからバスにのってようやくたどりつく。一日、ずっと移動しているような気分。
 稽古は5場を。まずは前半のミカちゃんとあっくんのやりとりをつくっていく。2人しかいない場面をどんどんやっていく。
 次々登場する人物。場面の終わりが切ない。リマちゃん、マチャ、ツナコ、きっちり芝居をしてくれている。でも、切ない自分をわらってみるみたいな視点がほしいとも。今日は、ここまで。いい稽古だった。
 帰りはバスで二子玉まで出て、田園都市線、東武伊勢崎線、すわりっぱなしの旅。授業も稽古も(仕事も)楽しいのだけれど、移動でへとへとだ。雨の中、徒歩で家まで帰り、ぐったりと横になる。


2006年10月03日(火) 「許しつづける女たち」稽古

 今日も仕事を休ませてもらって、台本に向かう。
 午後、芸術文化振興基金の説明会@駒場エミナースへ。
 その後、「許しつづける女たち」の続きを書いて、夕方、なんとか書き上げる。
 脱稿。まずは子供は生まれた。稽古場の直しはあるだろうけれど、とりあえずはこれで6場の芝居の幕が降りる。
 稽古場へ台本を持って行き、まずは読み合わせ。
 後半の3場で約55分。まだまだテンポよくなるはずだ。
 脱稿祝いの乾杯の予定だったのだけれど、明日の富士見丘の準備もあり、まだまだこれからという気持ちでいっぱいだったので、まっすぐに帰ってくる。
 メールのやりとりをいくつかしたところで眠ってしまう。夢も見ないでぐっすり眠った気分で目を覚ましたら、まだ1時間ほどしか経ってない。ひさしぶりにちゃんと寝ようと思うが、今度は目が冴えて眠れない。結局、そのまま起きてしまい、5時過ぎにメールを大量に送ってしまう。


2006年10月02日(月) 書く日

 仕事を休んで、一日台本。「許しつづける女たち」と明後日の富士見丘小学校の授業のためのテキスト。どちらも先延ばしにしてきたツケ。締切、ぎりぎり。なんとかしないと。
 昨日の「書く女」は、書きつづけることへ勇気をくれた。
 もらったものを、文字にしていく。


2006年10月01日(日) 幸せな一葉

 待ち合わせ。モの字くんと渋谷にて。gaku-GAY-kaiの出演について。
 ムラポンのウィッグや衣装を担当してくれていた彼。劇団の養成所にいたこともあるということで、ひとしきり芝居の話。「贋作・犬神家の一族」の竹子役をお願いすることにした。

 二兎社「書く女」公開ゲネプロ@世田谷パブリックシアター。森川くんと。
 樋口一葉を作家として女性として描いた力作。
 一葉はたぶん一番好きな作家だと思う。「にごりえ」「十三夜」「わかれみち」「大つごもり」「たけくらべ」。どれを読んでも、頭の中がすっきり整理されるようなすがすがしさをかんじる。
 一葉といえば、困窮のなか作品を書き上げ、あともう少しで幸せになれたのに、そのトバ口に立ったところで亡くなってしまう、なんて気の毒な作家なんだという印象があった。
 井上ひさしさんの「頭痛肩こり樋口一葉」は、一葉についてのとてもすぐれた、そしておもしろい評伝劇だけれど、ここで描かれる一葉も、自分はもう死んだものと思っている、やっぱり不幸せな一葉だ。
 今回の「書く女」の一葉は、しあわせだ。それが何よりびっくりして、何より感動したところ。
 明治の文壇の作家達、というか、若い男の子達と交流する一葉。家族になじられながらの作家生活、でも、やっぱり暖かく見守られている。
 このしあわせな一葉の姿を見ることができて、僕はほんとにうれしかった。一葉の日記にも、「頭痛肩こり・・」の中でもただ事実としてしか語られない、若い文学者たちとの交流がこんなに目の当たり見られるなんて・・・・。
 半水桃水への思いは、とても有名で、あらかたのことは「それは知ってる」ということだけれど、彼が書いていた「胡砂吹く風」という小説、当時の朝鮮を舞台にした日本と朝鮮の共生を描いたものだと知ったのがとても新鮮だった。
 同様に、一葉が生きた明治のこの時代が、日清戦争を背景にしたものだということにも、初めてきづかされた。
 年表の文字の羅列ではない、その時代を生きている人間の姿を通して、はじめてわかったのだと思う。時代を切り取り、時代を描くというのはこういうことなのだ。
 「書く女」には、多くの明治の女達が登場する。田辺花圃をはじめとする彼女たちは、作家として自立しようと、もしくは一人の人間として自立しようとするのだけれど、果たせない。今も昔も人生をおしつけられ、おさえつけられている「日本の女」のありようなのかもしれない。
 「書く女」としての一葉の作品に、どれだけ、彼女の生活が反映しているかがとても興味深かった。ああ、なるほどと思うことが多かった。劇中でも語られるけれど、作品とは結句、作家の人生そのものなのだということがよくわかる。
 僕は、この舞台から、書くということについての勇気をもらった。ただただ不幸なだけじゃなかった一葉さんに出会えたことがほんとにうれしい。
 出演者はみなさん、切ってはめたような好演。一葉役の寺島しのぶの一人になった途端に自由自在になる存在の大きさに圧倒された。机に向かい書き続ける姿の、なんと力強く、勇気づけられることか。映画「恋に落ちたシェイクスピア」のインクで汚れた指のシェイクスピアに並ぶ、書くための元気と勇気をくれる姿になった。


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