せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2006年07月31日(月) 「ムーンリバー」稽古16日目

 稽古場に早めに入って、取材のための準備。「演劇空間」というサイトの取材。写真もありということなので、いつものプリーツプリーズの稽古着に、メイクもしてしまう。
 いつもはメイクしないんですよと断ってから、芝居についてのインタビュー。さくさくと終了。稽古開始までの時間、台本をすすめるため、近くのコーヒーショップへ。夜の稽古風景も写真に撮りたいとのことなので、衣装とメイクはそのまんま、女装で外に。
 ショーウィンドウにうつるのは、モノトーンのプリーツプリーズを来た、大柄なおばさんだ。いるよなあ、こういう人と自分でも思ってしまう。
 すっぴんで何度も行っているその店でも疑われることなく(もしくは、そっとしておいてもらったか)、パソコンを広げる。となりに座った高校生くらいの子供のお母さんが、僕の5割増しくらいのボリュームのどかんとしたマダムで、まだまだダイジョブと思ったりもする。
 夜の稽古で、教室の場面の演出を変える。机をまずは横並び二列にしていたのを、中央の円形をはさんで上手と下手に分けた。実際にはありえない空間の処理。ここはどこなの?と思うことなく、こうした方がこの空間には合っているはずだ。
 芝居もさらにバカバカしさが加わって楽しくなった。
 鐘ヶ淵について話すこの場面は僕がやりたい放題できる数少ない場面。その合間の羽田さんとの細かいやりとりが地道に楽しい。


2006年07月30日(日) 「ムーンリバー」稽古15日目

 午後の時間帯は自主稽古をお願いして、台本を進める。
 夜は小返し中心の稽古。お茶の間のシーンをていねいにつくっていく。いろんな発見が楽しい。
 帰り、三枝嬢と巣鴨駅前で待ち合わせ。ジョナサンで今回の僕の衣装の相談に乗ってもらう。大きいサイズもばっちりの通販のカタログを前に、79年的にOKな、僕が着ても大丈夫なものを選んでいく。3ポーズを決定して、ばたばたと終電で帰ってくる。


2006年07月29日(土) 「ムーンリバー」稽古14日目

 午後の時間を2Fのサロンで台本を進めながら、客演の舞台で稽古中の大木裕之さんに声をかけられる。おひさしぶりだ。
 ジュネの「女中たち」をもとにした舞台だそう。大木さんの舞台姿、ぜひ拝見したいと思う。
 東くんの芝居の質感がどうもざらついているような気がして、こまかくダメ出しをする。
 乱暴な芝居をするのと乱暴に芝居をするのとは違う。
 粗雑なキャラクターをていねいにつくっていってほしい。
 芝居の本文ではなくて、それに付随して発生するノイズで芝居をしようとしているといったらいいだろうか?
 教室の場面のざわざわした気分が、僕にはとてもつらいことがわかる。芝居とは別のところで。そのことが大きな発見だ。
 今日は隅田川の花火大会。稽古場の窓から、遠くに上がる花火が小さく見える。創造舎のある巣鴨という場所が具体的にわかったような気持ち。こんなに近かったんだ。
 今日も越谷で自主缶詰。


2006年07月28日(金) 「ムーンリバー」稽古13日目

 昼間、劇作家協会で、富士見丘小学校の打ち合わせ。1年目の記録DVDについて。芝居でいっぱいいっぱいなところに、また新しいいろいろがのっかって、コップの縁からこぼれてしまいそうな、そんな気分。
 稽古は、大門さん演ずる不思議なキャラクター、お柳さんが初登場。のっけからトップギアでものすごいことになっている。
 ややリアルな等身大の芝居に突然登場するこのキャラクターがちゃんと成立するんだろうかという心配はふっとんだ。成立するもなにも、誰よりもどかんとそこにいるんだもの。安心して、これでいけると自信を持つ。
 小林くんが、体調不良でお休み。心配だ。
 台本を進めるため、越谷で自主缶詰になる。


2006年07月27日(木) 稽古休み2日目

 仕事帰りの北千住がすごい人だ。今日は花火大会らしい。
 もう始まっているらしく、遠くからドーンという音が聞こえてくる。
 会場は駅からずいぶん歩いたところなので、初めから行ってみようという気にはならず、駅前のオーロラビジョン(?)に映る花火を眺めている大勢の人を眺める。これっておもしろいんだろうか? まあ、何もないよりはましだけれども。
 札幌の「二人でお茶を TEA FOR TWO」の情報をHPにアップする。「ムーンリバー」の次の舞台。まだ、終わってないのに、もう次があるというのは、やや気がせかされるようだ。まあ、再演だし、大丈夫だよねと思いながら、まずは「ムーンリバー」だと気持ちを引き締める。
 昨日今日と稽古がなかったせいで、台本というか「ムーンリバー」の人たちを距離を持って見ることができるようになった気がする。
 いつもの「そうだよね」と人物に入り込んで書く描き方とは違う描き方ができるんじゃないかと思う。


2006年07月26日(水) 稽古休み

 今日は稽古が休み。台本から離れて、少し頭を冷やすかんじの一日。
 芝居と関係ないことをわざといろいろやってみる。
 仕事先のたまってた仕事をかたづけ、家に帰ってからは部屋の掃除に熱中する。
 気分転換して、また台本に戻ってみる。


2006年07月25日(火) 「ムーンリバー」稽古11日目

 朝、小池さんとタカツに小道具の下見に行く。
 久しぶりに降りた国領の駅。北口の駅前がすっかり再開発されていてびっくりする。
 最小限の小道具を演劇担当の中村さんと一緒に選んでいく。
 大事な小道具になるラジオがいくつも置いてあるコーナーで、小池さんと二人、「懐かしい!」と声を上げる。
 今はもう見かけない、どかんとしたラジカセや、ガシャンとボタンを押すタイプのデッキがたくさん。持ち運びができる大きさで、いいかんじに古びたものを選ぶ。
 その後、小池さんと美術の打ち合わせ。確認することあれこれ。
 新宿で開催中の「Rainbow Arts 7th Exhibition 2006」に顔を出す。
 毎年夏の恒例イベント、TLGPフレンドリーなアーチストが、それぞれのこだわりの作品を展示するイベント。今年もまた一人一人いい意味でバラバラな個性がステキに輝いている。ほっとひといきつきながら、作品を拝見。元気とパワーをもらった気分。
 その後、買い物をして、ファミレスでパソコンに向かい、稽古場へ。
 汗でどろどろになっている自分に気づき、そうだお風呂に入ろうと思う。稽古場近くの銭湯にえいっと行ってしまう。
 前を通ったときにどんなところだろうねと話した銭湯。タオルとバスタオルを借りて、石鹸とシャンプーを買う。湯船につかるのはほんとうにひさしぶり。それでも落ち着かない気持ちで、20分ほどでわたわたと出て、稽古場へ。とりあえず汗は流せてほっとした気持ち。
 今日は、大門伍朗さんが初めて稽古場に来る日。手術の後のコンディションはどんなだろうとドキドキしながらお迎えする。
 登場した大門さんは、樺澤氏からの情報よりもずっと元気で、ほんとにうれしくなる。お願いしたい役柄の説明とさっそく衣装の打ち合わせ。舞台装置の上り下りは可能かどうかなど、一気に話す。
 全員が揃って、稽古開始。まず2場。代役でやっていた部分を本役でいくと、やっぱりいろんなことが見えてくる。
 いいかんじにできつつある2場に続いて1場。まこちゃんこと羽田さん、東くん、それに僕は、2場のみんなのノリからパワーをもらって、芝居の息を探っていく。楽しみながら。
 稽古のあと、着替えている途中で拓ちゃんに質問されて答えていたら、みんなに「ズボンはいてから話しなよ」とつっこまれる。二人とも、着替えの手を止めて、パンツ一枚で話し込んでいた。
 わたわたと稽古場を出て歩いていたら、下はジーンズに着替えたのに上は稽古着のTシャツのままなことに気がつく。シャツをおいてきてしまった。
 Tシャツ一枚で外を歩くのは久しぶり。気がついたとたんになんだか気恥ずかしくなってこそこそと帰るが、最寄り駅を降りた途端に雨が降り出した。濡れたってへいちゃらとぐんぐん自転車を漕ぐ。


2006年07月24日(月) 「ムーンリバー」稽古10日目

 昨日の続きの2場。いっこうちゃんと小林くんの代役を東くんにやってもらいながら、細かく、そして大胆に積み上げていく。
 ノグ演ずるお父さんのキャラクター、ちょっと違くやってみて・・・とエチュード的なつくりかたをしてみたら、とても人間くさいお父さんになった。その場にいる人物どうしのやりとりも滑稽なものに見えてきて、シーン自体がはずんで、なかなかおかしな場面ができあがってきた。
 書いたときにはおかしなものを書いたつもりが、実際に動いてもらうとなかなか弾まないというのが、書き手としては一番ドキドキする。このままでいいんだろうかと。今日は、よかった、だいじょうぶと思えた稽古。
 帰り、對馬さんとバス、東武線を乗り継いでの二人帰り道。芝居話をエンドレスで。


2006年07月23日(日) 「ムーンリバー」稽古9日目

 行こうと思っていたボタタナエラーを断念する。新国立の「夢のかさぶた」も、おちないリンゴのよっしーが出演している舞台も。
 小林くん、拓ちゃん、佐都美ちゃんがお休みのやや少人数の稽古場。シアターゲームの輪が小さくなって、しりとりも拍手をまわすのもあわただしいかんじ。
 代役をしながら、1場、そして2場の稽古。昨日に続いて、早瀬くんと記生ちゃんのやりとりと、ノグの登場シーンを中心に。僕は、佐都美ちゃんの代役をにぎやかに。いつもの稽古では、やって見せるということはしないのだけれど、実際に動いてみると、単純にすごいスピードで動き回っているこの役の大変さを実感する。
 早い時間にさっこさんが顔を出してくれる。装置についての相談と確認。
 今日はお休みの人も多いので早めに終わろうねと言ったはずが、結局、10時ぎりぎりまで。


2006年07月22日(土) 「ムーンリバー」稽古8日目

 シアターゲームは、いつものメニューに、人間しりとり。一人がポーズをとったところに、次の人が一箇所触れながら、ポーズをとる。で、どんどんつながっていく。「痛くしない」「無理しない」を合い言葉に、いろいろやってみる。一人だとなんだそれ?なオブジェが、大勢になると動きと流れを生み出して、とても迫力のある動きが生まれてくる。今回、初めましてのこのチームの息の相方と、へだてのなさはどうだろうと、改めて感動。
 稽古は、2場の後半からラスト。とっても抽象的な装置を「蹂躙する」フロントランナーはいっこうちゃんだ。そこはどこ?なんてことを考える前に、とてもステキないかたを次々見せてくれる。
 早瀬くんと記生ちゃんのやりとりを小返しする。シチュエーションを微妙に変えながら、品物を渡す=受け取らない、やりとりを。その後の台本でのやりとりが、生き生きしたものになってきた。
 拓ちゃんこと阪口さんの登場シーン。どうすると場の空気が変わるかをていねいに。もう少しいろいろしたいところで時間切れ。つづきが楽しみだ。


2006年07月21日(金) 「ムーンリバー」稽古7日目

 新宿駅で、青年座の原口さんに呼び止められる。しばし立ち話。稽古が始まるとなんだかこういった「バッタリ会う」機会が増えるような気がするのはなぜだろう。
 稽古場に、さっこさんが舞台の模型を持ってきてくれる。
 今日は、新しい場面の稽古を、舞台の高低を意識しながら、やってみる。
 とても抽象的な今回の装置。四角いはずのお茶の間が円形だ。この円形をどう活かすかというのがポイント。
 どうしても「不自由」なかんじになっていたのだけれど、今日はのびのびと動けるようになった。
 僕も役者として登場する。演出家とのきりかえはどうだったろう。無精髭を生やしたまんまの女役。まだ役に入り込まないための、自分なりのブレーキだ。
 休憩の時間、となりのとなりの教室で稽古中のハイリンドのみなさんに廊下で会う。扉座の中原さん、ハイリンドの枝元さんにごあいさつする。


2006年07月20日(木) 六本木

 今日は稽古はなし。
 六本木のスタジオへ声のお仕事のナレーション録りに行く。
 久しぶりの六本木、元防衛庁が東京ミッドタウンとかいうおしゃれなスポットになっていくらしい。
 ここ数日の寒さと稽古場でやや声を張っているせいで、のどがちょっとざらついてるかんじでひやひやする。インターネットショッピングの紹介番組で、主な舞台はイタリアのパロマ。ちょっとした旅気分。
 外に出たら、雨が降り出していた。傘は買わずに、終電の1つ前でわたわたと帰ってくる。


2006年07月19日(水) 「ムーンリバー」稽古6日目

 稽古前に、小池さん、さやかちゃん、さっこさん、それに對馬さんと美術、証明の打ち合わせ。
 小池さんが、舞台の模型をつくってきてくれる。すっきりととても美しい。
 稽古場の床に実寸のバミリをしてもらう。お茶の間のメインになる円形のエリアがとても狭く思えたのだけれど、だんだんそうでもなく見えてくる。不思議な感覚。始めての稽古場で、部屋全体を意識してこの場にいるという感覚を鍛錬してきたところに、急にある大きさが入ってきた事への違和感か。
 シアターゲームの中で、半分の人数に後を向いて座ってもらって、その中の一人に向かって呼びかけ、呼ばれたと思った人は手をあげるというのをやった。
 この教室はとても声が響くのだけれど(何もないがらんとした箱だからね)、その響きを差し引いて、自分が呼ばれたのかどうか聞き分ける耳と、相手に向かってきちんと届く声を出すことはできるはずだ。
 はじめのうち、なかなかうまくいかなかったのだけれど、だんだん感覚が鋭くなってきたのだと思う、どんどん当たるようになった。声をぶつけるということともちょっと違う、不思議な「届け方」があることを確認する。
 ポケットの舞台は、この部屋にぎりぎり納まるかどうかというかんじなので、円形のバミリはとっても演出席側に近くなってしまう。もともと正面を意識しないでまずは演じてほしいので、今日は場をつくるエチュードを後ろ向きにやってもらう。
 続いて、丸いバミリをつかってのエレベーターのエチュードも、いつもとは反対の向きで。
 稽古でのお茶の間と二階やその他の部屋への動線を整理する。丸い茶の間に丸井ちゃぶ台。この不思議な空間を、当たり前のように蹂躙していってほしい。
 最後に、この家族の夕食の風景を即興でやってもらう。新たに整理したシンプルな動線をもとにして。
 はじめのうちのぎこちなさが、人がどんどん加わっていくうちにバタバタとにぎやかなものになっていく。
 最後に、予定していなかった阪口さんに入っていってもらう。一人外の人間が加わることで、中の人間はどう変わるか。みんなとてもいいいかたをしている。
 今日の課題、円形のお茶の間に慣れることは、みんなクリアできたんじゃないだろうか。みんなが卓袱台に向かい、それぞれの話し相手に向かう、正面を意識しない芝居から、テレビを見るためにいっせいに正面を向く瞬間がとてもダイナミックな力をかんじさせる。いい絵をいっぱい見つけることができた。


2006年07月18日(火) 「ムーンリバー」稽古5日目

 今日もシアターゲームから始める。お互いの間の距離が近くなっている気がする。輪になって座ると、ずいぶん小さな輪になっている。この稽古場でのこの人数というのが、なじんできている証拠だと思う。
 マコちゃんこと、羽田さんをまじえての「場を作る」をやってみる。今日は、僕はずっと見ている人。
 ここはどこなんだ?とよくわからない空間が、スポークラブの休憩室、厩舎、キャンプ場、海外の観光地の教会になると、生き生きと動き始める。
 キャンプ場で泣いていた佐都美ちゃんが、みんなの話の中でどんどん泣いている理由が変わっていくのに対応していくのが面白かった。初めは失恋して泣いてる風だったのに、必要なものを持ってこなかったというふうに。
 教会では、にしやんが、案内人風なキャラが教祖様を呼びに行って、カーテンの影に隠れたあと、教祖様本人として登場した。圧倒的なキャラづくりに、笑いすぎて涙が出た。通訳風の記生ちゃんにこそこそ耳打ちをするその中身も、教祖にしてはあまりにも普通で(「泊まっててもいいよ」とか)、おかしさが倍増。
 稽古は、1場のつづき。まみぃが登場して、ぐっと芝居にテンポが出た印象。即興で生き生きと演じられる人物の大きさと、決まったセリフをしゃべるときの役の身の丈の違いを考える。最後に登場したノグが、いいかんじでこの空間での異質なキャラになっていた。つづきは明日。
 帰り、イデビアンクルーの稽古帰りの天辺くんに会う。今日もまたここならではの濃いばったり。いつもよりも余計に芝居の世界にひたっている、そんな気持ちになる稽古場界隈。


2006年07月17日(月) 法事 「ムーンリバー」稽古4日目

 父親の7回忌。今回は少人数で、あっさりと。お坊さんの読経を聞きながら、前はこういう法事ではもっと父のことを思ったりしたもんだったと思う。時間が経ったからということではなく、実家で仏壇に手を合わせることが多いからかもしれない。父の兄弟、母の兄弟もとてもトシをとって小さくなっている。当たり前だが、時の流れをかんじる。
 稽古4日目。シアターゲームの「場を作る」に、今日は僕も参加してみる。いつもの見ている視点とやっていく意識の差にややとまどう。まだ、カラダが役者になっていけてないかんじ。あと、もう少し。
 1場の改訂版を稽古。やりとりをていねいに積み重ねていくことを心がける。
 稽古場にはさしいれのお菓子がいっぱい。お茶場も充実して、固定の稽古場ならではのアットホームさ。
 帰り、大雨なので、バスで西新井まで。遅くまでやっている駅前のスーパーで惣菜を買って帰る。ついでに「レタスクラブ」を買ったつもりが、家に帰って見てみたら、同じ大きさの「サンキュ!」だった。1冊後のを取ったための失敗。母親用に台所のテーブルに置いて部屋に上がった。


2006年07月16日(日) ノートとPC

 ためこんだ洗濯物をやっと洗って干したとおもったら、にわか雨にやられた。したかなく部屋干しにする。
 パソコンの調子が悪い。変換がとても重たくなってしまって、いらいらさせられる。ここ数日の暑さのせいか。熱暴走のような症状もあったなあと思い、しばらく電源を切って、寝かせておく。
 ノートにサインペンで書きつづけていく。芝居を書き始めた頃、ノートパソコンをまだ持ってなかったころ、電車の中でメモ書きをどんどん書きためて、家に帰ると清書していた。
 劇作家、三吉十郎の「四六時中、その芝居のことが頭を離れなくなるようでなくては、芝居を書き始めてはいけない」という言葉を思い出す。
 他の誰かの「芝居は祈り」という言葉も。僕の祈りの行く先を思う。パソコンを閉じてみると、それまでとは少し違ったことを考えるのが不思議。


2006年07月15日(土) 「ムーンリバー」稽古3日目

 昨日のシアターゲームに加えて、即興のエチュードをやってみる。全体を2つのチームに分けて。
 はじめ、じゃんけんをしたら、ゲイチームとノンケチームにきれいに分かれた。まずはノンケチームから。こんなおもしろがりかたができるのもうちならではだろう。
 一人ずつ、場面に入っていって、場をつくっていくエチュード。二回目にチームを変えて、計4つの組が演じた。なんておもしろかったんだろう。一人一人がちっとも重ならなくて、その人しかできないことをじゃんじゃんやれている。
 これよりおもしろい芝居にしなくちゃとややあせるが、すばらしいキャスティングができているんだということを再確認。
 昨日の続きの冒頭の稽古。昨日は成立しなかった、人物同士のやりとりができている。客席向きにはいつでもなれる腕をもった役者さんたちが、お互いだけを頼りに舞台にいられてる。昨日から今日の大きな変化がたのもしい。
 キャストの採寸をまみぃにしてもらう。今回は、ある意味、全編コスプレなので、衣装の調達を考える。
 帰り、今日も巣鴨まで歩き、途中であらかたのメンバーは飲みに流れ、僕は東くんと2人で二丁目に。久しぶりのタックスノットへご挨拶に。
 とっても混んでる週末の夜、タックさんに確認しておきたかったことを伝えて、了承してもらい、早い終電に間に合うようにあたふたと帰ってくる。


2006年07月14日(金) 「ムーンリバー」稽古2日目

 実質の稽古初日。
 自己紹介をかねてシアターゲームをいらいろやってみる。一昨日感じた、いろんな人がいっぱいいる感はさらに高まる。
 羽田さんのリードでストレッチから。体型の近いどうしということで、僕が組ませてもらったのだけれど、ほんとにきっちりカラダをキープしている人なんだなあと感動する。僕は、あちこちが突っ張って、へろへろに。
 拍手をまわしたり、しりとりをしたり、チーム作りの初日というかんじ。
 彫刻家と粘土、タクシーと運転手と2人組のゲームをやっていく。ユニークな発想が新鮮だ。
 冒頭のシーンをざっくり立ってみる。舞台の説明から始めるが、何もない空間でのいかたの難しさが見えてくる。
 正面向きじゃない、やりとりに集中できるカラダになりたい。
 帰り、巣鴨までの道をおしゃべりしながら歩く。前に一人で歩いたら死にそうになった道も、おしゃべりしながらだと、それなりにたのしい。蒸し暑い夜、ひんやり冷えた山手線に乗ってひといきつく。


2006年07月13日(木) 長男の仕事

 資料を読む日。セリフを書きながら、思いもよらないことを登場人物が言い出してしまい、調べものをする。
 あたりさわりのない、だいたいの情報でなく、1979年の彼らが話す言葉のナマっぽさを考える。
 斉藤憐さんの「劇作は愉し」をぱらぱら読む。参考にというのではなく、戯曲を書く上の「覚悟」のようなものを確認する気持ち。
 母親と来週の法事の話をする。父親の七回忌。お寺や食事のこと。こんなときだけの長男の仕事を確信犯でおもしろがる。 


2006年07月12日(水) 富士見丘小学校演劇授業 「ムーンリバー」稽古初日

 午前、午後の四時間。2組、1組の順番で。
 今日の講師は鴻上尚史さん。声とカラダをつかった表現の授業。
 輪になって自分の名前をいうというゲームからスタート。僕たちはいつものように、はーい、輪になるよ!と子ども達をうながそうとしたら、鴻上さんに「子供じゃないんだから、大人は見てる」と言われる。たしかに、いつもやや世話を焼きすぎていたかもしれない。ということで、今日は、全てを鴻上さんにお任せして、ちょっとひいたかんじでの関わり方。
 名前を言っていくゲームは、その後、名前を言ってから、女子は1つ、男子は2つ手を叩くというものに進展。拍手をまわすゲームもやった。
 次は3人組になって、2人が手を繋いで「便器」になる。間に入った1人は「うんこ」。1人の鬼が「便器チェンジ」というと「うんこ」は動かずに、「便器」が移動。鬼も便器になるので、あぶれた人が新しい鬼になる。他に逆のパターンの「うんこチェンジ」、また、全取っ替えになる「便所爆破」も。人数の関係で、これには、僕と里沙ちゃんが参加。けっこう必死になって遊ぶ。おとなどうしで手を繋いでしまって「おとなげないね」と言い合う。
 続いて、彫刻家ゲーム。2人組で1人が彫刻家、もう1人が粘土。よろこびやいかりといったテーマをやったあと、できあがった作品はそのままに、彫刻家が他の作品も鑑賞。いいと思った作品の前に立って、どれが一番いかしてるか品評会。
 粘土は彫刻家の指示に従わなくてはいけないので、自分ではやらないような姿勢や表情になる。とても大胆な表情でかっこよかったスギモトさん。いつもはとっても大人しい人なんだそうだ。里沙ちゃんは、ペアになったイトウくんに、やたら片足を上げたままのつらいポーズをやらされていた。
 後半は声を出す。声の要素はなんだろう?という質問。いや、具体的には「声の何を変えると、声は変わるのか?」という質問をして、「何」の部分をいろいろ言っていく。大きさ、早さ、高さまではわりとすぐに出た。それぞれ、大きい声を出したり、小さい声を出したり(例文の「声の大きさを変えると声は変わる」と言う)ささやき声を出してみたり。はじめに鴻上さんが、実際に小さな声で子供たちに指示を出すと、子ども達がみるみる集中していくのがわかる。鴻上さんの声はさらに小さくなって、言われたとおりにささやく子ども達の声もどんどんかすかになる。この集中しているかんじが、とても気持ちのいいものだった。みんなで同じ、いい集中をしたというかんじ。
 残る2つがなかなか出ない。いろいろな意見がでるのを、辛抱強く待って、たどりついた答えは、1つが「間」。「早いテンポでしゃべっても間が長い人もいるし、ゆっくりで間が短いパターンもある」というのを、子供を叱る母親のセリフで演じてみせてくれた。とってもおかしい。
 最後の1つは。声質、音色。なかなか出てこなかったのだけれど、誰かが「質」と言った。鴻上さんは「お、すごいな、誰?」と言ったら、4,5人がいっせいに手を挙げた。そんな大勢の声じゃなかったような気がするけどなあ。
 声の質をいろいろ変えて、しゃべってみる。黒柳徹子の声、先代のドラえもんの声、クレヨンしんちゃんの声、安田大サーカスのクロちゃんの声などでもりあがる。
 授業のあと、今日もミーティングルームでフィードバック。
 鴻上さんのお話で興味深かったのは、読書などで内面を充実させることが表現力につながるという考え方もあるけど、表現の方法をいろいろやっていくことで内面が育っていくということもある、ということ。いつもは出さない声や話し方をすることが、それまで知らない考えや気持ちを思うきっかけになる。
 今日、子ども達は、声とカラダの表現を、遊びながら、いろいろやった。先週までは、演じる人と見る人に分かれて何ができるかというような授業だったけど、今日は、全員が演じる人、というより、みんなが自分に何ができるだろうという自分自身を見つめる授業になったと思う。
 昼休み、先週の授業の感想の作文をいくつか見せてもらう。印象的だったのは、これまで知らなかった友達のいろんな面を見ることができたというものだ。子ども達も僕たちと同じようなおどろきと感動を味わっているんだなあとうれしかった。
 今日は、中学校の職業体験授業ということで、去年卒業したタカヒロくん、コウタくん、ミズキちゃんが授業の見学をしてくれていた。みんな、びっくりするくらい大きくなって、とっても大人だ。久しぶりに会えて、とってもうれしい。
 彼らは朝から夕方まで、校内のいろいろな仕事をしているんだそうだ。今、書いている芝居に登場する中学二年生の「ホンモノ」に会えて、絵空事でない人物を描こうとあらためて思う。

 夜、「ムーンリバー」の稽古一日目、顔合わせ。にしすがも創造舎にて。
 僕らの稽古場は3年2組。今日は一日中、学校にいるような気分だ。
 退院して間もない大門さんをのぞく、全キャスト、それに舞台監督のさっこさん、美術の小池さん、制作の對馬さん、それに樺澤氏。小学校の教室にある机を椅子に座って、学級会のような顔合わせ。
 挨拶のあと、制作からの連絡、それから、「ムーンリバー」についての説明をそれぞれの人物についての説明。家族や友人といったチームごとになって、黒板の前に並んで立ってもらう。
 今回初めて客演してもらう、記生ちゃん、東くん、阪口さん、羽田さん、それににしやんといっこうちゃんに佐都美ちゃんと、もう、これだけいろいろな面々がそろうともう並んで立った絵面を見ているだけでわくわくしてくる。
 美術の打ち合わせをしたあと、稽古は明後日から本格的にということで、今日はざっくりと解散。
 窓からきれいな月が見える。ホンモノの月は大人になるほど小さく見えるものだけれど、今日の月は、やけに大きくりっぱに見える。見る方の目の問題なのかもしれない。
 小池さん、さっこさん、樺沢氏は、場を変えての打ち合わせに移動。僕は、對馬さんと西新井行きのバスに乗って帰る。いつも乗っているこのバスに誰かと乗ることになるとは思わなかった。芝居の話をいっぱいさせてもらう。


2006年07月11日(火) 猫とおばさん

 声の仕事の日。スタジオの入りが一時間押しになって、それまでの時間、近くの公園をのぞいてみる。野良猫がいっぱい。やややせたものから、毛艶のいいふっくらとした仔猫までいろいろ。
 ここは、この界隈の一息つけるところ=憩いの場のようで、会社員やお年寄りが散歩したりベンチでくつろいだりしている。猫の写真を撮っている人も何人か。
 白黒のぶちの仔猫がひとなつこくて、さわっても逃げない。ひとしきり遊んでいたら、おじいさんに話しかけられた。「雨降ると猫はつらいねえ」というところからあれこれ、猫話をする。
 しばらくしたら、猫がびくっとして立ち上がった。おじいさんは「男だとこわいのか、やっぱり」と言う。「男だと」? どうやら、僕は「女の人」だと思われているらしい。たぶん「おばさん」に。目をしぱしぱさせながら話してる、このかなり高齢のおじいさんには、そう見えてるんだ、きっと。しれっと会話をつづけたけど、こんなとき、自然に声のトーンが上がってしまうのはなぜだろう?
 猫もそのまま歩いていってしまったので、僕も「どうも……」挨拶してフェイドアウトする。
 しばらくして雨が降り出した。近くの化粧品点で大きな傘を売ってるのを見つけて、購入。いつなくしても後悔しない値段。そこでは、ポーチュガルやら、MG5やらタクティクスが店先にどーんとあった。まだ現役なんだとびっくりする。すごいロングセラーなんだ。


2006年07月10日(月) 不思議な子

 はんぱな時間の空いた電車に乗っていたら、小学校低学年の男の子がランドセルを背負って、となりの車両からやってきた。白い半袖のシャツに黒い半ズボン。あちこちの窓から外をのぞいている、やや落ち着きのない、でも、大人しそうな子。
 彼は、ドアのところで背伸びをして外の景色を見ていたのだけれど、もういいやとでもいうように、つつつと歩いてきて、僕のとなりに座った。
 シートはがらがら、他にいくらでも空いてるのに。びっくりした。でも、その、ぺたんととなりに座って、そのくせ僕のことなんかこれっぽっちも気にしてないようすが、きまぐれな猫がたまたまとなり来たようなかんじにそっくりで、なんだかとってもあたりまえだった。
 彼は、その後何分か、僕のとなりで足をぶらぶらさせながら、向かい側の窓の外の景色を見ていたのだけれど、来たときと同じようにまたふいっと立って、となりの車両に歩いていってしまった。

 夜、「ムーンリバー」の美術の打ち合わせを、小池さんと樺澤氏と。閉店は23時半と小池さんが電話で確認し、テーブルの上のメニューにもそのように書いてあるのに、23時前に追い出される。他に客がいなかったからか。フレキシブルな閉店時間。
 店を替えて、打ち合わせをつづける。小池さんが書いてきてくれたプランに、いくつか変更のお願いをする。今回もなかなかインパクトのあるものになりそうだ。


2006年07月09日(日) 匂いの記憶

 蒸し暑いので、冷風扇を物置から出してきた。去年、水はちゃんとぬいてしまったはずなのに、出てくる風がかびくさい。もう一度水をぬいて、後についてるフィルターを掃除する。
 冷たい風が出てくるのは簡単な仕組みだ。機械の中の布が水に浸されて、その布を通して風が吹く。気化熱がうばわれる分、冷たい空気になる。
 その布がどうやら匂いのもとらしい。雨の中、スーパーでファブリーズを買ってきて、盛大に吹き付ける。どうせびしょびしょになる部分なので。
 しばらくたってスイッチをいれたら、かび臭さは消えていた。「大したもんだなあファブリーズ」と思いながら、違った匂いがしてくるのに気がつく。においの残らないタイプの筈なのに。なんの匂いだったろうと考えるが思い出せない。
 夜遅く、突然思いだした。ずっと昔に使っていたポーチュガルというコロンの匂いじゃないだろうか。今はあるのかどうかわからない、微妙にマイナーな、でも当時はとても流行っていた香り。そのまんまじゃないけど、たしかにそうだ。残り香がとても近い気がする。
 もしかしたら気のせいかもしれない。僕の中の記憶の匂いが変質してしまっているのかもしれない。
 今は数え切れないくらいある男性用のコロン。昔はほんとに数えるほどしかなかったんじゃないだろうか。僕が知っている(いた)のは、ポーチュガルにタクティクスに、あとはMG5だっけ? そのくらいだ。
 ポーチュガルは中学の同級生で、その後、いろいろあった友人がつけていた香りだ。中島みゆきのレコードを聞くことも、コーヒーの豆をひいてドリップして飲むというのも彼から僕に伝わった趣味だ。
 「ムーンリバー」で描いている僕が中学生だった頃に思い出に、匂いの記憶も加わった。


2006年07月08日(土) Aのキー

 一日、パソコンに向かう。夜、突然、「A」のキーが反応しなくなった。入力ができない。僕はローマ字入力をしているので、「あ」段の文字が何一つ入力できなくなってしまった。
 キーボードの「A」のチップをえいっと外して、うっすらたまったゴミを取ったりしてみたが治らない。一度外したチップがなかなか元に戻せなくて、いらいらし、余計にパニックめいてしまう。
 どうして、こういう忙しいときにかぎってトラブルんだろう。前に宇田くんとそんな話をしたとき、「PCは人の気持ちがわかるから」と言われたことを思い出す。そうなの? だとしたら、とってもいじわるされてるってことなんだろうか?
 気持ちを落ち着けて、もう一度電源を落とし、今度はノートPCのキーボード全体を外してみる。裏側をなんとなく掃除して、元に戻して再起動。だめだ。まだ「A」はもどってこない。
 キーボードだけを買うといくらなんだろうとネットで検索する(「A」が入力できないだけなので検索は可能)。どのサイトでも2万円くらいする。バッテリーや液晶の買い換えを何度もしているこのPC、いつ買い換えるかはもう時間の問題なので、これ以上、お金はかけたくない。
 サイトを閉じて、ダメもとで入力を試してみたら、治っていた。しれっと「A」が復活していた。
 「人の気持ちがわかる」というのはこういうことなのか? よくわからないけど、とりあえず、助かった。もうしばらくだましだまし、使っていこうと思う。


2006年07月07日(金) ラベンダーと願いごと

 出がけについていたテレビでラベンダーの栽培についてやっていたのを、ちょっと見てしまう。
 多年草で、放っておくとどんどん株がおおきくなっていってしまうということ、剪定した芽を挿し木にすると、どんどん根付いて増やしていけるということ、花が終わったら、思い切ってどんどん切ってしまっていいのだということ、などなど、へえ・・・と思うことがいっぱい。
 放っておいていいというところがなんだか「やれそうな」気を起こさせる。プランターと土を買ってきて、苗を植えて、玄関先に置いてみようかという気になってきた。
 うちの近くにも、いつのまにこんなに巨大に?とびっくりするようなラベンダーの株が植わっている。
 ラベンダーといえば、昔は、とっても遠い草花だった。なんといっても「時をかける少女」に登場するのが印象的だったし、あとは赤江瀑の「オイディプスの刃」でも南仏のグラースのラベンダーの野が語られる。最近では、富良野が有名か。
 ラベンダーの香りには鎮静効果もあるが「太りやすい」ということ。反対にやせるのにいいのはグレープフルーツの香りだそうだ。
 20代、独り暮らしをしていたころ、部屋にはいつもラベンダーのコロンや花を袋につめたバス用の香り袋があった。あの頃は、太る心配など何もしないで、身近においていたのに・・・。
 今日は七夕。天気はいまひとつだけど、街角や駅の中に笹につるされた短冊がいっぱいだ。
 子供が書いたかわいらしいもの「むしをたくさんあつめたい」「ケーキやさんになりたい」というものから、「トム・クルーズに会いたい!」というやや大人なものまで。神社の絵馬を見るのはなんだか気が引けるけど、七夕の短冊はどんどん見させてもらっている。
 JRの駅の中にあった大きな笹は、ここ数日で短冊がいっぱいになった。僕の通勤時間はラッシュを少しはずれているので、何人もの大人が短冊を書いている姿にでくわす。足早に歩くコンコースで、そこだけはなんだかゆっくり時間が流れているようだ。
 子供の頃、七夕の笹は、7日が過ぎると川に流しにいっていた。父親と自転車に2人乗りして、近くの中川にかかる橋から放り投げていた。今なら、不法投棄になるんだろうけど、あの頃は当たり前だったんじゃないだろうか。同じ橋のたもとからは、柴又の花火大会の花火も遠くに見えた。
 今、家庭の笹はゴミに出すんだろうか。書いている芝居のせいか、ちょっとなつかしく思いだしたあれこれ。
 午後、北海道帰りの樺沢氏と電話で打ち合わせ。もろもろの確認をする。顔合わせ、そして稽古開始は来週の水曜だ。


2006年07月06日(木) 爆睡のあと

 久しぶりに早い時間に帰ってきたせいか、昨夜は9時過ぎに眠ってしまう。11時過ぎに打ち合わせの電話をもらうことになっていたのだけれど、何にも気づかず爆睡。目が覚めたのは、夜中の3時。留守電のメッセージを聞き、申し訳ない気持ちになる。
 今日も一日、カラダがだるい。昨日の富士見丘の授業で動いたせいだろうか。といっても、カラダでいえば里沙ちゃんの指導で腕を回したり、ジャンプしたりしただけだけど。あ、ジャンプか・・・・。
 昨日できなかった打ち合わせは、一件、明日に延期で、もう一つは電話で済んだ。
 ゆうべちゃんと寝てしまったせいか、今夜はちっともねむくならない。コーヒーのお世話にもならずに朝方まで起きている。眠くなくて起きているこんな時間は、なんだかとっても贅沢なプレゼントのように思える。大事に使う。


2006年07月05日(水) 富士見丘小学校演劇授業

 今日は「ケンカの作文を書く、演じる」。講師は吉田日出子さん。犬のトゥルーパーくんも参加。
 彼は、イビザンハウンドの6歳。とってもきれいな大きな犬。エジプトの古い壁画なんかに描かれている黒い犬。あれはほんとは黒じゃなくって白と茶色のぶちなんだそうで彼はまさにその犬。むちゃくちゃかっこいい。そして、とっても大人しくいうことをきいてくれて、授業のあいだ、いっつも「おいしいところ」にいてくれた。
 授業は、里沙ちゃんによるウォームアップからスタート。両手をぐるぐる回して、途中から右腕と左腕を反対に回す。それからジャンプ。1,2,3とカウントして3でおおきくジャンプしたり、しゃがんだり。
 予想していたけど、大人はこのへんでへろへろに。今日は、全員にみんなの前で出してもらうことになるので、最後に声を出してもらった。教室にはってある目標や自分の名前を大きな声で。
 さあ、ケンカの台本にとりかかる。
 僕と篠原さんは、2クラス60人から集まった作文から6編を選んで、テキストに構成した。いろんなケンカがある。「サッカーの帰りに英語塾に連れていかれる母と子供のケンカ」「貸したはずの野球のボールをまた友達にやってしまったという兄弟のケンカ」「犬を連れて帰ってきた母親と、ちらかった部屋でテレビを見ている子供とのケンカ」「夏休みにどこに行こうかと言い合う母親と兄と妹、それに父親」「テレビのチャンネル争いをしている姉と妹に母親も加わってのケンカ」「机にしまっていた電卓を勝手に使っただろうと姉を問いつめる弟」
 ベースになるやりとりや「これおもしろいなあ」と思えるセリフはそのまま残し、台本としてやりやすくするにはどうしたらいいかを考えて手を入れた。(たとえば、ここにもう一つセリフがあった方が会話がはずむとか、ト書きを書き加えたり)
 去年と同じに、あらかじめ、台本通りにやる組と後半即興でやる組に子ども達に別れてもらってある。
 永井さんの授業で経験し楽しんだ、即興で「場をつくる」ということを、今回も活かしたい。ただ、それは、なかなか大変なことで、全員にそれをやってもらうというのもちょっとハードな気がする。なので、台本どおりの組は、台本をそのまま読んで演じてもらっていい。もちろん、この企画には、ただ台本を読んでいくだけだと、どう上手にやるかということだけの追求になってしまうかもしれないし、それもつまらないよねという気持ちもある。
 まずはテキスト通りの組から。
 オチがついてあるわけではないのだけれど、みんなただ読むだけでなく、かなり芝居をしているのにびっくり。やっぱり小学生は小学生を演じるのがうまい。というか、そのまんまでみんなの前に立てるというのがすばらしい。
 後半は、即興組。一応、テキストの終わりまでをやりとりして、そこから即興でということだったのだけれど、途中から、どんどん書かれてないセリフが飛び出し、次はどうなるのか目が離せない展開になった。うけこたえをちゃんとしているからこそできることだと思う。
 日出子さんは、子どもたち以上にのびのびと母親を演じていってくれた。逆に、書いてあるとおりに演じようと真面目に一生懸命な子ども達を、思いも寄らない反応でひっぱりまわしてくれた。子ども達も、おとなだったら、もうだめ・・と諦めてしまいそうな展開にも、ちゃんとその場にいつづけた。僕は、なんだかすごいなあと思いながら見ていた。
 どこから即興になるか出演者どうしでくいちがうとその溝を埋めるのに時間がかかってしまうので、途中から、始める前に「どうしたい?」と確認してからやってもらうことにした。
 ある組は、「初めから即興でやる」ということに。テキストにある基本的な関係は外さずに(この場合は、電卓を使ったどうかを言い合う姉と弟)、2人は最後まで演じきった。
 午前中と午後のクラス毎の授業のあと、ミーティングルームで先生方とフィードバック(午後の2組の授業は、研究授業として全校の先生が参加されていた)。
 いろんな感想と有意義な意見をうかがう。僕が一番すごいなと思ったのは、子ども達がみんなの前で演じるということに対してのためらいのなさだ。物怖じすることなく、とにかく全員が出て演じた。テキストどおりであれ、即興であれ、これはものすごい勇気のいることだと思う。前に出る立場の子ども達だけでなく、見ている子ども達もすばらしかった。ちゃんと支えているからこそできることだ。
 今日、それぞれの発表のあとには、かならず子ども達から感想を言ってもらうことにした。ただやるのが目的なのではなく、観客の側からも感想を言ってもらうことで、あの場は、演じる者のためのだけのものではなく、見ている者のための場にもなったんだと思う。演劇には、俳優と観客が必要なんだよということの実際的な確認だ。
 今年に入ってからの授業、それに去年、一昨年の演劇授業を見ていたことや、演劇ワークショップの経験が、子供たちの中に間違いなく積み重なっていっているのがよくわかる今日の授業だった。
 それは、僕の印象では、いい役者づくりということよりも、いい観客づくりに近いような気がする。
 子ども達は、今、とってもいい観客になりつつある。いい観客の前で演ずることはとってもしあわせなことだ。そのことを彼らはきっと感じているんだろうと思う。
 彼らに伝えたい「演劇のおもしろさ」は、実はこんなところから、彼らに届いているのかもしれないと思う。


2006年07月04日(火) うちあわせ×2

 昼間、劇作家協会で富士見丘小学校関連の打ち合わせ。一昨年の授業を振り返るあれやこれや。ついでに篠原さんと明日の授業の打ち合わせもしてしまう。
 二人の分担が確認できたので、子供たちが書いた「ケンカの作文」のリライトをする。書き直すというよりは、台本としての体裁をととのえる程度の作業。セリフだけのものにト書きを加え、やりとりのあいまいな部分のセリフをととのえる。
 夜、「ムーンリバー」の美術をお願いしている小池れいさんと打ち合わせ。このあいだ行った郷土と天文の博物館の写真や、考えているイメージと場面をもとに、何ができそうかということから、話をさせてもらう。
 お、そんなことができるんだ!というアイデアをもらい、一気にイメージがふくらむ。わくわくと帰ってくる。


2006年07月03日(月) 日記

 今年ももう7月。半分が終わり、折り返しだ。
 日記を一日も休まずに書くは大変じゃないの?と聞かれた。
 毎日、何か書いてないといけない気がしてね・・・と答えたのだけれど、ほんとはちょっと別なところにある。
 何日か休んで、どうしたんだろう?と思われるよりは、というか、その間、どうしていたのかを書いたり書かなかったりするよりは、どんなつまらないことでも書いて、毎日を埋めていく方が、今の僕にはラクなんだと思える。
 ただし、その分、内容については、融通をきかせようと決めている。その日のすべてを書くわけではないし、書きたくないことは書かない。泣き言や愚痴もできるなら書きたくない。台本を書くことや芝居をつくる上での、言葉にならない大変さをわざわざ言葉にする苦労はわざわざしないでおく。
 それでも、何かを書くことが、書いているのだと思えることが、僕をささえてくれているのは、間違いない。
 ブログにしないの?とも聞かれたのだけれど、しばらくはこのままでいこうと思う。
 そんな日記ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。


2006年07月02日(日) さくらんぼ

 母親のいなかである山形の親戚からさくらんぼが届く。数日のあいだに次々と届くのは、やはり旬のある果物ということなのだろう。
 昔から見てくれは少しもかわらないのに、食べるとびっくりするくらい甘い。昔は、酸っぱい果物だった印象があるんだけどな。
 母と二人では食べきれないので、近くの妹たちのところにさっそく持っていく。後の方に届いた分は、そのままクール宅急便で、弟のところに「転送」されたらしい。
 そんなこんなで、わあこんなにあると思っていたのが、あっという間になくなってしまう。一度にたくさん食べるものではないといつも思うが、毎年、「あれ、もうないの? もう少し食べたかったのに」というくらいの気持ちで季節が終わるのが不思議。


2006年07月01日(土) 郷土と天文の博物館

 木村佐都美ちゃんが出演しているゲキフリ「クライマーズ」を見に、清澄白河の劇団アトリエへ。
 なんだかアニメみたいな台本と演技だなあと思い、正直、途中では苦手な芝居かもと思いながら見ていたのだけれど、最後には楽しい芝居を見たという気持ちで拍手を送る。終演後、佐都美ちゃんに挨拶して失礼する。
 その後、葛飾区郷土と天文の博物館へ行く。「ムーンリバー」のために一度は取材に行こうと思っていた。予定していた、昭和の水害についてはあてにしていた資料がなかったのだけれど、とてもおもしろいものをたくさん見ることができた。
 中でも昭和30年代の家を再現したコーナー。ミゼットがとめてある、物干し場のある庭。玄関に高い上がりかまちのあるお茶の間。となりは東四つ木にあったというネジ工場を再現したもの。薄暗い建物のなか、プレスや旋盤、大きな作業台に固定された万力や、よくわからない機械が置いてある。改築するまえのぼくの家の工場にそっくりでびっくりする。雑然としたかんじも、うすぐらさも、油まみれなかんじも。お茶の間は、あああるあるこういう風景というかんじで他人事だったのに、この工場は、とんでもなく懐かしかった。
 時間があったら、プラネタリウムを見たかったのだけれど、今日はパス。1Fの受付で資料を何冊か買って帰る。
 お花茶屋までの道はとても懐かしい。曳舟川はすっかり暗渠になっただけでなく、その上が親水公園になっている。たんぼが作られて稲が植わっていたり。駅前の地下駐車場の階段のきわに、土嚢がいくつも置いてあった、こんなところでも水害の備えをちゃんとしてるんだなと思う。
 大きな茶色い犬を散歩しているおばさんとおしゃべり。13歳になるというその犬は、白血病であと3カ月と言われたんだけどもう半年生きてるんだそう。どうりでぜーはー息が荒いはずだ。「大きな犬は病院に連れてくの大変ですね」と言ったら、「もう病院には行かないの、安楽死させられるのやだから」といいながら、おばさんは犬に煮干しを上げていた。
 夜、高校時代からの友人たちとの集まり。越谷の宇都宮邸にて。草加で浩子と舞と待ち合わせをして、スーパーで買い物をしていく。車中ですでにおしゃべりでもりあがる。
 荷物を抱えて到着。裕三さん、美香、岡田くんと合流。飲み、しゃべる。遅くなって若さんも登場。この顔ぶれで会うのは二年半ぶり。会わない間にあったいろいろを大いにしゃべる。
 このあいだは結婚前だった岡田くんはもう一児の父だ。それぞれの仕事や恋愛の話もあのときああだったことが今はね……と、話さなきゃいけないことが盛りだくさん。ここじゃなきゃしゃべれないよねということばかりを濃く熱く語る。かけがえのない仲間たち。


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