せきねしんいちの観劇&稽古日記
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仕事に行くのに私鉄とJRを乗り継いでいる。スイカを持っていても乗り継ぎのめんどくささは変わらないので、結局、連絡キップを買うことが多いのだが、このところ、よく失敗する。 連絡キップを買ったつもりがその運賃分の私鉄orJRのキップを買ってしまうのだ。乗るときはなんでもないのだけれど、降りるときに狼狽する。自動改札に入れて、もう一度出てくるだろうと思っていたキップが出てこなくて、駅員さんを呼んで救出してもらったり(もちろん、その後、払い戻しをしてもらう)、途中で気がついて駅員さんに説明したりと、そんなことを今週、二度もやっている。 どこかで集中が切れるというか、安心してしまうのがいけないのだと思う(金額を確認した瞬間とか)。台本を書いている時は、いつもぼーっとしているようなかんじだ。なくしもの、わすれもの、乗り間違えなどなど、電車がらみの失敗が急に多くなる。 前はよくキップをなくしたものだけれど、この頃はもうだいじょうぶと安心していたのになさけない。早く書き上げて、ふつうに日常生活が送れるようになりたい。 鈴木里沙ちゃんが出演してるナマイキコゾウ「闇市狂詩曲」(@下北沢「劇」小劇場)を見に行く。 戦後の東京の闇市を舞台にした群像劇。東京裁判を背景に、戦争で心にキズを負った人たちのたくましくもせつない姿が描かれる。 里沙ちゃんは元和菓子屋の娘で空襲で両親を亡くして今は、「楽町のおきみ」と呼ばれるパンパン。派手なワンピースにきつめのメーク、真っ赤なコート、とってもイカしてた。 作・演出は、養成所時代の先輩の宋英徳さん。ひさしぶりにご挨拶と思っていたのだけれど、妙にてれくさくなってしまって、里沙ちゃんに挨拶して、わたわたと失礼してきてしまう。
朝の山手線の中にトンボが飛んでいた。そんなにおおきくもなくて、赤くもない、何トンボというのかわからない、ふつうのトンボ。 壁にすごいいきおいでぶつかるたびに音がする。ドアが開いたときにうまく出ていけばいいのにと、みんなで見守っていたら、背の高いサラリーマンが、わしっと手でつかまえて外に投げた。なんでもなかったように飛んでいったトンボといっしょに降りていった彼は、ヒーローのようにちょっとかっこよかった。 夜遅く、遅まきの衣替えをする。といっても、大したことはなくて、夏物のシャツを引っ張り出して、洗濯機に放り込んだだけのこと。夏の服は、押し入れから出したまま着る気にならない。明日まではなんとか天気が持ちそうなので、朝、出がけに干していこう。今夜まずは部屋干し。
昼間から真夏のような暑い日。仕事が終わらず、予定していた非戦を選ぶ演劇人の会の打ち合わせには行けなくなってしまう。 次回のリーディングは8月14日(月)@全労済ホールスペースゼロ(新宿)。 夕方、ものすごいいきおいで雨が降った、雷もずいぶん鳴っていた。外に出たのは、雨も雷も収まってから。昼間とはうってかわった、涼しい風が気持ちいい。 富士見丘小学校の来週の授業のための課題、子ども達に書いてもらった「けんかの作文」が昨日届いた。 早速読んでみる。まだ全員の顔と名前が一致しないのがもどかしいが、どれもみんなほほえましい。子ども達の書く大人の姿が特に。 明日以降、篠原さんと打ち合わせをして、何本かにしぼり、リライトをする。400字詰めの原稿用紙はずしりと重い。
いい天気。夕方の6時を過ぎても、夕日がさんさんと射してとっても明るい。 昨日から読んでいるアンダーソンの「お茶と同情」。以前はそんなに気づかなかったいろいろが、今回はとてもおもしろく感じられる。 それでも、これは同性愛を描いた芝居ではなく、同性愛を「使って」、結局は異性愛を描いたものだ。リリアン・ヘルマンの「子供の時間」が、最後にちゃんと女性同士の恋愛に立ち入ったのとは全然違う。まあ、そこが物足りない。 舞台はニューイングランドの男子校の寄宿舎。男の教師(ゲイ疑惑あり)と全裸で泳いでいたトムが、彼自身もゲイだと噂になり(もちろん劇中に「ゲイ」という言葉は登場しない)葛藤する。それを見守るのは、とっても男性的な教師ビルの妻ローラ。トムは疑いを晴らそうと、誰とでも寝る女の子とデートしようとしたりするが失敗。ローラはそんなトムを痛ましく思いながら、彼のことが心配している。彼女の前夫は、戦地で「男らしさ」を証明するために危険な任務につき戦死した。それと同じような苦しみを味わっているトムをいつしか愛し始めている。そして、彼女はビルに言う。「あなたがトムに辛くあたるのは、彼の中にあなたが一番見たくないものを見ているから」。ビルは、おそらくゲイである自分を押し殺して、逆にゲイを憎む人間になってしまっているというわけ。 彼女の言葉を聞いたビルはローラに「出ていってほしい」と切り出し、二人は離婚するだろうことがほのめかされる。「子供の時間」だったら、ビルは自殺してるところだ。このへんが、この芝居の甘いところというか、踏み込みが足りないところかもしれない(まあ、同性愛を描いてるものではないことは承知の上だけれど)。 僕は、トムとローラのせつない恋はどうでもよくて、このビルのキャラクターが今は一番面白くかんじる。(トムを誘ったとされるハリスという教師は、間違いなくゲイなのだけれど、あまりに存在が希薄なので)。 ものすごく自分を抑圧しているゲイ、このキャラがずーんと発展すると「真夜中のパーティ」の登場人物になっていくのかもしれない。自分のセクシュアリティを前向きにとらえるゲイが芝居に登場するのは、やはり80年代まで待たないといけないということなんだ。
2006年06月26日(月) |
顔合わせワークショップ |
10月に台本を書いて演出をする劇団pal's sharerのみなさんとの顔合わせ。というか、どんな人たちなのか知っておきたかったので、ワークショップ稽古をさせてもらった。 恵比寿から天現寺の交差点に向かって坂をのぼったところにある施設。広尾界隈はめったに来ないところだけれど、恵比寿から歩いたのは初めて。街並みの古さと新しさが混在しているかんじがおもしろい。 白井美香ちゃんに竜太郎さん、それに今日が初めましてのみなさんと約2時間半、いろんなことをさせてもらう。 フライングステージでいつもやっているようなシアターゲーム。それに富士見丘小学校での永井さんによる即興劇のエチュードも。最後は、ちょうど持っていた「お茶と同情」のワンシーンを読んで、演じてもらう。 声優さんとして仕事をしている人たちが、初めて手にする台本にどんなアプローチをしてくれるか、興味があったので。 シアターゲームもエチュードも台本も、どれもとてもおもしろいものになった。「ムーンリバー」が終わってからの稽古、そして秋の本番がとても楽しみだ。
2006年06月25日(日) |
穢ないけれど生きている |
録画しておいたNHKの日曜美術館、大正時代の甲斐庄楠音をとりあげている。この人の「横櫛」という絵が僕はとても好きだ。 初めて見たのは岩井志麻子の「ぼっけえきょうてえ」の装丁かもしれない。切られお富がモチーフの女郎の立ち姿がなんともいえず妖しい。 今日の番組では、楠音が自ら女装してとった写真も紹介された。自画像の「毛抜き」という絵では上半身裸の青年が毛抜きでヒゲを抜いている。 後年、溝口健二の映画で衣装を担当した楠音。着物の柄のセンスがとても素晴らしい。 同時代の画壇の長老、土田麦遷に「穢ない絵」と酷評された彼は晩年「自分の絵は穢ないけれど生きている」と書いた。その思い、悔しさと誇りが胸に迫る。 楠音として声をあてていたのは四谷シモン。日曜美術館、ちょっとイカすキャスティング。
目白の駅前で樺澤氏と待ち合わせ。車で劇場置きのチラシを配る。合流してから、アイピット目白、シアター風姿花伝、ストアハウスをまわる。電車&徒歩だとかなりめんどうな劇場巡りも、車だとずっとラクになる。 その後、月曜に続いて「未来図鑑」の収録。今日は本編を赤羽橋のレストランで。 控え室で着替えて、メークをしながら打ち合わせ。その後、1Fに降りて、同じ回の前半のゲスト「男前豆腐」の社長、伊藤信吾さんの収録を拝見する。 「未来図鑑」のメインコメンテーターはつんく♂さん、それに藤原美智子さん、箭内道彦さん、進行はアナウンサーの松丸友紀さん。ソファに座ってリラックスしたムードでのおしゃべり。 男前豆腐は、「豆腐屋ジョニー」というネーミングのお豆腐がとてもおいしくて、誰がこんな名前をつけたんだろうと前から思っていた。 伊藤さんは、バンドをやっていた経験もあり(「屯田兵」っていうそう)、男前豆腐のCDをリリースしたり、いろんなグッズをつくったりもしてる、とっても「男前」な人だ。 5人の前には豆腐やグッズが登場して、とてもトークが盛り上がっている。僕は、「ミッシング・ハーフ」のビデオ以外、何もなし。女装しておいてよかった・・・としみじみ思った。 伊藤さんの収録が終わって、僕の番。コメンテーターのみなさんとの打ち合わせのないまま、「じゃあ、呼び込みでお願いします」と。みなさんに呼ばれて登場することになった。緊張する間もなくというかんじ。 なんとなく真面目な話をきちんとしようとかしこまっていたのだけれど(ビジュアルが女装でもあるのでね)、つんく♂さんたちの僕が登場するまでのトークに乗っかるかんじで、とってもカジュアルなおしゃべりを結局してしまう。 話そうと思っていたことの他に、つんく♂さんにリードされて、受け答えをしているうち、思わぬところに話題がとんで、なんだかものすごく楽しい時間を過ごさせてもらってしまった。感謝。みなさん、どうもありがとうございました。 放送は、7月17日(月)の深夜24時からBSジャパン「未来図鑑」。僕は伊藤さんのあとなので、24時半頃からということになると思います。どうぞご覧ください。 収録のあと、メジャーリーグの事務所へ。手伝いに来てくれた直蔵さんも一緒に。 明日からの「ムーンリバー」先行予約の準備。樺澤氏は新しく購入したフライングステージ用の電話&FAXを設置。僕は、先週送ったダイレクトメールの戻り分のチェックをする。 先週、買ってもらってあったのに、バタバタして飲めなかった缶ビールで、僕と直蔵さんはお疲れさまの乾杯。樺澤氏はまだ運転があるのでパス。
今、家は紫陽花でいっぱいだ。庭の生えているのにくわえて、お隣からいただいた見事な大輪が玄関と居間に活けてある。 外を歩いていても、ああ、きれいだなあと見ている紫陽花。ボリュームたっぷりなわりに押しつけがましくないのがいい。 いつもは花屋で切り花を探すのだけれど、今年は、山のように飾って売っている。家にあふれてなければ買って帰るのに。 一昨日の富士見丘のダンスの授業、本山さんに「明後日、筋肉痛ですよ」と言われたのだけれど、昨日まではなにごともなし。まずはほっとしていたら、今日になってカラダ中がだるくてしかたない。筋肉痛という痛みではなく、どよんとしただるさ。やっぱり来たか・・・。ゆっくり風呂にでも入ろう。 来年の企画のために取り寄せた本を駅前のセブンイレブンで受け取る。これもまたおもしろくなりそうだ。実現したら、びっくりするくらい楽しい舞台になるだろう。わくわくする。
吉祥寺の明樹さんのおうちで、先日のアンの公演の打ち上げその2。打ち上げに参加できなった僕のために、もう一度みんなで集まろうと企画をしてくれた。感謝。 由佳さん、あかねちゃん、清木場ちゃん、まじりん、なるちえ、津崎くん、檀くん、ジュリに諸さん、それに咲希ちゃん。 由佳さんの手料理(なんていろいろ&とってもおいしかった)とみんなが持ち寄ったあれやこれやで、たのしくおしゃべり。 これからのアンのことをいろいろうかがう。おもしろそうな企画がいくつも。これからもよろしくお願いいたします。 終電に間に合う用に少し早めに失礼する。 道々、森川くんと電話で話す。彼が以前住んでいたあたりの五日市街道を歩きながら。考えることいろいろ。
2006年06月21日(水) |
富士見丘小学校演劇授業 |
富士見丘の授業の前の日は、なんとなくちゃんと眠れず、今日も寝たり起きたりをくりかえし、結局、5時過ぎには目が覚めてしまった。 それでも、うとうとしていたら、7時前に階下の母親に呼ばれて降りていく。 猫がまたスズメをとってきた。ゆうべ帰ってこないと思ったら……。放り投げて遊んでるから、取り上げて捨てて!と言われる。 またかと思いながら、猫がじっと見ている居間のちゃぶ台の下をのぞくと、スズメが一羽ころんと転がっていた。 母親がトイレットペーパーを丸めて渡してよこす。猫をとりあえず脇によけて、スズメをつかんだら、まだ足がぴくぴく動いている。でも瀕死なことにかわりはない。 「埋める?」と母親。まだ生きてるのにそれはあんまりだ。しかたないので、庭のあじさんの根本に置いておいた。 部屋にもどってベッドに横になったら、あっという間に寝入ってしまう。二度寝だ。しかもかなり深い眠り。このところの寝不足のつけか。寝坊しそうになってバタバタと起きて出かける。 40分授業の日だというのを知らなかったため、結局、3時間目にちょっと遅刻してしまい、体育館に直行する。 今日の授業は、本山新之助さんによる、ダンス。2クラス合同で振付を覚えてみんなで踊る。 カウントを数えながらのときは、そんなに難しくないかもと思った振付だけれど、曲がかかったとたん、あまりのテンポのよさにびっくり。唖然とする。ようやく覚えた何エイトが、ほんの一瞬で終わってしまう。 腰を落としたり、すっと伸びたりと、躍動感いっぱいの振付は、とってもかっこいい。本山さんが踊るとさらに! でも、とってもむずかしい。 子供たちはだいじょぶだろうかと見ていたけれど、みんなちゃんとついていっている。大人はかなり悪戦苦闘。 途中から、列ごとに2人組になって、最後の部分を2人がクロスして踊る振りが 入った。最後は、好きなポーズで決める。 子どもたちは、なんだかとてもすんなりできてしまってびっくりする。テンポの早い曲とダンスのセンスがとっても要求される振りなのに。全員で踊っても、あら、あの子だめだわ・・・という子がいない。なんてすごいんだろう。 去年の6年生の卒業公演のダンスを見ているからだろうか。ダンスをやっている子が何人もいるということだけれど(今日は、見学で、実際のダンスの先生をしているお母さんが参加してくれた)、それにしても。 何がなんだかわからない状態でやるというのと、目標なり目指すものがちゃんと見えているのとでは、やっぱりいろんなことがずいぶん違ってくるんだと思った。 最後に本山さんから「みんなよく踊ったけど、少し元気がないかもしれない」という話があった。たしかに、去年も一昨年も、この授業のときは振りつけの合間や休み時間が、なんだかえらい騒ぎになっていた。 今年の6年生は、元気がないというのではないけど、とってもいい子たちなのかもしれない。どう踊るか、振りをちゃんと覚えて、ちゃんと踊ろうということについての集中力はとても素晴らしい。 無理矢理、元気を出しなさい!というのではなく、騒がしいくらいが丁度いいというのでもなく、ひとりひとりがちょっとずつはみ出た個性のままで、芝居作りができたらいいと思う。 次の授業は、吉田日出子さんによる「喧嘩の台本を書く、演じる」(仮題)。子供たちには、「喧嘩の台本を書く」という宿題を出す。僕と篠原さんで、いくつかを選んでリライトして、それを吉田日出子さんといっしょに演じてもらう授業だ。 去年も、この授業のあたりから、子ども達の声が聞こえるようになった気がする。どんなものを書いてきてくれるのか、今からとっても楽しみだ。
家に帰ってテレビを点けたら、永六輔が出ていた。 カメラよりもずっと下の方を見ながら話している。どうやら子ども達にお話しているようなかんじ。カメラを全く見ないで、あきらかに「小さな」子供に対して。時々、実際には聞こえない子ども達からのヤジやらつっこみを聞いては、それに対して答えながら、話し続けてる。 番組は教育テレビの「視点・論点」というもの。その時々のいろんな人が思うことをわりと自由に語る十分間(五分だっけ?)。 話の中身は、近々74歳になろうという彼が、子ども達に宇宙の誕生から、彼らの命にたどりつくまでの36億年の物語をするというもの。 「子供たちには、必ず彼らを生んでくれたお母さんがいて、「少し手伝った」お父さんがいる。そのまたお父さんとお母さん・・・というふうにずっとたどっていくと、恐竜の時代になって、生命の誕生、地球の誕生、宇宙の誕生にまでさかのぼっていってしまう。」 「人にはすべて、宇宙の歴史36億年が積み重なっている。その人の命を、殺したり、放り投げたりしてはいけないんです。」という話だった。 話の中身もおもしろかったが、それよりも、僕は、彼がこの話を子供たちにするときのように話しているという、その語り口というか、話しっぷりのみごとさに圧倒された。それだけで、芸といっていいくらい。 実際にいない子ども達がほんとうにカメラの枠の下にいるような、いや、だから、こちらからは見えない子供たちに向かっていつまでも語りつづけるかんじは、やや尋常ではなくて、「やだ永さん、ぼけちゃったの?」と一瞬心配になるくらいだった。そのくらいの「すごみ」さえ感じられるものだった。 「僕は73歳ですけど、36億73歳だと思ってます。生まれたときから、人は36億年の歳月を背負っています。だから、同じ時代に生きる子供も年寄りも、みんな同年代なんです」という彼の話は、なんだかとっても心にひびいた。 僕も年の話がでるたびに「切り上げればみんな100歳」なんて言ってるけど、36億歳をのっけるというのは、やっぱりとんでもないスケールだ。 その中で、彼が「これはいつも話す話ですが、省いたところがあります」といった部分についての話がおもしろかった。 子供たちにこの話をするときには、「恐竜が来るぞ!」「ほら、足元にゴキブリがいる。やつらは恐竜の時代からずっと生きてるんだ」と話す。すると子供たちは、大声でいつまでも盛り上がる。「騒いで疲れないと子供たちは話なんて聞かないから、まず疲れさせないといけない。今日、(テレビの前の)みなさんにその話をしないのは、みなさんは、すでにかなり疲れてるからです」。なるほどね。 「子ども達は疲れないと話を聞かないんだろうか?」と明日の富士見丘小の授業のことを考えた。どうだろう? 永さんの話は、経験から出た言葉としての重みはあるけど、それが真実というわけでもないような気がする。 それでも、見えない子供たちに向かって話す、彼の視線と聞こえない子供の声を聞いているその姿は、とっても嘘のないものだった。 なにげなく点けたテレビで、思いがけずいいものを見た。
朝、新越谷から南越谷への乗り換えのコンコースで、ミュールをはいた女子がものすごい音を響かせながら、階段を降りていた。 ハイヒールのコツコツいう音とは似てもにつかない、カスタネットを鳴らすような音だ。 ミュールで階段を降りると、ミュールの後半分が足から離れて、先につま先が着地、続いてヒールが地面に当たって、「わざと鳴らしてんの?」と聞いてみたいくらいのいい音が出る。 このところずっと調子が悪い左耳に響いて、ほんとに頭痛がして気分が悪くなってきた。 つま先だけでひっかけて履くミュールはデザインとしてはかわいいものだけれど、こんなふうに出歩くときに履いていいもんなんだろうかという素朴な疑問がわく。階段じゃない平らな道を歩いているのを見ても、踵がついたり離れたりしながらの歩き方は、なんだかとってもだらしないおしゃれのような気がする。 前に浴衣に下駄を履いて出かけたとき思ったのは、下駄は舗装された道路で履くものじゃないということだ。もともとはやわらかな地面を歩くための履き物だった下駄は、アスファルトやコンクリートの上を歩いているうちにものすごいいきおいで歯が削られていった。 ミュールのかかとは、そんなふうにけずられてしまうようなやわなものじゃないから、ものすごい音が出るんだと思う。 そばで聞いてても具合が悪くなるんだから、履いてる本人はどうなんだろう? カツンカツンと当たるあのかんじは、絶対にカラダによくないと思うのだけれど。
BSジャパンの「未来図鑑 〜NEXT BREAKER〜」のインタビュー撮り。樺澤氏と待ち合わせ@ミラクルにて。 このあいだまでアンの公演で通っていたミラクルで、また「ミッシング・ハーフ」の衣装とメークをしている。不思議な感覚。ここはホームグラウンドか? いや、いつもお世話になってしまって、ほんとうにありがたい。感謝だ。 3Fの楽屋で着替えとメークをすませて、4Fまでハイヒールで上がっていく。朝のミュールの音ほどじゃないけど、やっぱりカツカツ音をさせて歩くと頭にひびいて、ちょっとくらくらする。 楽屋は、新しいスリッパや座布団が置かれて、前より「楽屋度」が上がった印象。ミラクル自体も、前よりもいいかんじに汚れてきたというか、なじみやすい空間になってきた気がする。 番組の構成は「ミッシング・ハーフ」の舞台の映像と、今週末スタジオで収録するトーク。今日のインタビューは、冒頭の挨拶部分とのこと。 事前にもらっていたアンケートに沿った質問なのだけれど、間に大学の授業が入ったりしたせいで、この質問にはこう答えたという記憶があいまいで、やや戸惑う。結局、その場で思ったことをそのまま話させてもらった。 きっちり女装しているので、このあいだの授業のすっぴん(というかヒゲ)での話とは少し気分が違う。別に演じているつもりもないし、どっちも同じ僕なのだけれど、今日の方が、よりていねいに話ができたかもしれない。僕にとっての女装とはそういうことか。
まみぃこと石関準が出演する舞踊会「百雀会」@浅草公会堂へ。 彼は、「はぐれこきりこ」という曲で、女形の踊り。 春謡流の家元から「役者の踊りを踊りなさい」と言われたというだけあって、彼の踊りはちゃんと芝居になっていた。 今日が初舞台の彼の踊りをもちろん初めて見る客席のおばちゃんたちも、ワンコーラスが終わった間奏で拍手をしていた。すごいことだと思う。次の舞台がとても楽しみだ。 出番のあと、楽屋口でまみぃを囲んでしばしおしゃべり&撮影会。ちゃんとしたこしらえは「贋作・大奥」でも見ているけれど、あのときよりもずっと着物もかつらも板についているかんじ。 公会堂を出て、三枝嬢、トシくん、小林くんとお昼を食べる。どうしようかとあちこち歩いたわりには、結局、大黒屋で天丼。 みんなと別れて、僕は大門さんのお宅にお見舞いにうかがう。手術が少し延期になったので、しばらく退院しているとのこと。篠原演芸場の前で電話をして迎えにきてもらう。 この間まで入院していたとは、来週手術の予定だとは思えない、元気な姿と声にほっとする。 「ムーンリバー」のフライヤーとスケジュール表を渡して、芝居の話や今日の舞踊会や浅草のことなどを、しばらくおしゃべりする。 いただいた地元の御手洗団子と草餅が、とってもおいしかった。
昼前に家を出て、今日はダイレクトメールの発送作業日。 駅前のコンビニのコピー機でいつまでも延々と地図をコピーしているおじさんにイライラさせられるところから始まり、どんどんストレスがたまり、へとへとになる。 用心のため新たなカートを購入して、その時点で大荷物をかかえながら移動。文面をキンコーズで出力して、コピー用紙5000枚を買うが、500枚の紙包みでは運びにくいので、500×5の箱入りを探して池袋を歩く。 メジャーリーグの事務所でフライヤー2500枚をピックアップして計7500枚の紙を2つのカートでひっぱりながら印刷と折りの作業のため、三軒茶屋へ。この時点で40分の遅刻。だって、歩けないんだもの。電車の乗り降りも、発車を微妙に待ってもらいながらだし。 三枝嬢と2人で作業をして、なんとか終了。やっぱり2人でできると思ったのはあさはかだったと反省。 その後、メジャーリーグの事務所へ。トシくん、宇田くん、樺澤氏、それに遅くなって早瀬くんと小林くんが来て、総出で封入と発送の手配。 「ムーンリバー」に客演してもらう羽田真さんに事務所に来てもらって、芝居についての打ち合わせをする。お願いしたい役どころなどを、みんなが作業している傍らのソファに座って。テレビの「徹子の部屋」状態で、みんなはぼくたちのトーク(?)を聞きながらの作業。 郵便番号ごとの区分けに手間取り、終了したのは11時過ぎ。 準備万端で、いつもよりずっとラクに終わるはずと思っていたのだけれど、実際は一人でも欠けていたら終わらなかっただろうというくらいの大仕事だった。 終電で帰って、最寄り駅を降りたら、雨に混じって潮の香りがした。越谷なのになぜ海のにおい?と思うがまちがいない。もしかすると、梅雨前線が南の海の暖かい空気を運んできてるのかもしれない。 家に着いて、トイレに行き、朝から今まで一度も用を足していないことに気がつく。帰ってくる途中の駅で、喉が渇いて、お茶やらアイソトニック系やら飲みまくっていた。今日は暑い一日だった。ずいぶん汗をかいたんだなあと振り返る。
土曜日の「ムーンリバー」のご案内ダイレクトメールのための準備作業。 今回、先行予約のご案内をするために、いつもは顔合わせをしてから送っている劇団員の分のDMもいっせいに発送してしまう。そのための一人一人の案内文面の作成。 こういう事務作業が僕はきらいじゃない。たんたんとすすめればちゃんとできあがっていくものは、気持ちをとてもおだやかにしてくれる。 何もないところから何かを生み出すことに疲れると、僕はこの手の仕事に逃げてしまう。逃げ続けているわけにはいかないので、やるだけやったら帰っていくのだけれど。 先週、家で大活躍だったホームベーカリー。ここ数日、新たなパンは焼かれていない。もう、飽きたのか?とややあきれてしまうが、湿っぽい陽気なので、そう次から次へと焼いて、カビさせてもいけないという母親の配慮かもしれない。 キッチンには、職場の観劇会で行ってきたという三越劇場での歌舞伎公演のおみやげがいくつか。実演販売していたというバームクーヘンやジョアンのミニクロワッサンやら。これがなくなったら、また復活するんだろうかパンづくり。
高校時代の恩師、中島浩籌さんの法政大学での授業にゲスト講師として話をしにいく。 2年ぶりの授業。教職課程をとっている学生さんたちに、僕のゲイとしてのライフヒストリーを中心にあれこれ話す90分授業を2コマ。これまでは1回でおさまったのに、今年は学生が増えたのだそう。対する100人×2回。 2時限で50分話し、30分の質疑応答。100人にむかって話すよりは、質問してくれた相手に向かって話す方が、ちゃんと届く言葉を発することが出来ているような気がする。 昼食をとりながら、ゼミ室で授業後のフィードバック。学生さんを交えて。 4時限の授業でも50分話し、30分の質疑応答。 昼休みと実質3時限目の間もまるまるしゃべり続けてしまったので、始まった時点で僕はかなりへろへろになっていた。内容も2時限目とほぼ同じものをと思ったら、なんだかなぞってしまったようなかんじになり、話し終えた後の気分は微妙。 それでも、学生さんたちの反応は、午後の方がずっとよく、また多くの人たちと一緒にゼミ室でおしゃべり。5時限目の終了のチャイムまで。こんなにしゃべり続けたのはひさしぶりだ。 年に何度かある自分について話す機会は、今の自分がどこにいるのかを確認するとてもいい機会だ。今日もとてもいい時間をすごさせてもらった。 それにしても、教師というのは大変な仕事だとあらためて思った。こんなしゃべり続けの毎日を日常にしているわけだから。 富士見丘小学校での授業よりも今日の方が疲労感が深いのは、リアクションに関係なく、しゃべり続けるという「講義」のスタイルだからだと思う。 今日も講義で話しているときより、質疑応答、その後のフィードバックの時間のほうがカラダも気持ちもずっとラクだった。 小学校では子ども達の反応をちゃんと見ながらやってるからかなと思い、今日の授業を学生さんたちの反応を意識しないですすめることに、なんの疑いもなかったことに気がつき、愕然とする。だって、見てたら、その時点で臆してしまいそうだったんだもんと思うが、やっぱり反省する。次回はきっと!
来週のテレビの取材のために、両国の倉庫に置いてある「ミッシング・ハーフ」の衣装をとりにいく。 そのまま、階上の森川邸におじゃまする。コロッケをさかなに日本酒を飲み、おしゃべりする。芝居のこと、これからのこと、などなど。 美猫のデリ子さんは、また新たに毛狩りをほどこされて、すっかり夏仕様。抱き上げてもいやがらない、とても人なつっこい猫になっている。前はこんな猫じゃなかったのに。 おとなしく抱かれながら、誰もいない部屋の片隅や天井の一角をじっと見つめているデリ子さん。やめて、こわいから!と言うがデリ子さんには通じない。 本棚にあった「大人の科学」の付録のプラネタリウムを見せてもらう。本屋で買おうかどうしようか迷って、結局、買わなかったもの。 豆電球の光で天井がいっぱいの星空に変わった。プラネタリム界の革命児、メガスターの大平貴之さんによる満天の星空は、星がありすぎて、かえってありがたみがなく思えてしまうほどだったけど、四角い天井にうつる星々はやっぱりとてもきれいだった。 森川邸の近くの気になるコインランドリー「ちびた」が、また模様替えをしていた。ゲーセンのゲーム機風のディスプレイがショーウィンドウに飾られてる。電飾が光ってきらきらしているだけで、だから何?と聞いてみたいかんじ。 道路に面した高いところに「自販機80円〜」という電灯の入ったりっぱな看板が取り付けられている。前に来たときはなかったはず。80円の自販機なんて、ただでさえ儲けがないだろうに、その上、このお金がかかってそうな看板はどういうわけだろう。ますますよくわからない。
2006年06月13日(火) |
聖ルドビコ学園「ひめゆりの花をゆらす風」 |
桜木さやかさん作・演出・主演の聖ルドビコ学園一学期生徒会公演「ひめゆりの花をゆらす風」@サンモールスタジオ。 「ミッシング・ハーフ」以来のサンモールスタジオ。同じスタイルの客席のつくり。思うこといろいろ。 ひめゆり部隊の思い出を語る老婆の回想から、当時の女学生たちの芝居に一気になだれこむ。その先のお話は、女学生の一人が書いている「お話」の話。ひめゆり部隊が夜は遊郭に働きにでていて、そこには不時着した特攻隊の生き残りがやってきて……という、とっても荒唐無稽なお話。女学生が書いている「お話」という枠組みがあってこそ成り立つんだということを百も承知でやりちぎっているのがすがすがしい。 歌あり、踊りありのミュージカル仕立てで、女子も男子(聖アントニオ学園の生徒さんたち)もかっこいいんだけど、決まりすぎない、そこはかとない脱力感がいい味になっている。 最後に、劇中劇が終わって、戦争末期の現実に戻るあたりで、この荒唐無稽なお話の切実さがちゃんと胸に迫ってくるのが新鮮だった。 聖ルドビコ学園の「生徒会の公演」という枠組みも、じつにいさぎよくておもしろい。構成の根本が、聖ルドビコ学園の生徒たちが修学旅行で訪れた沖縄というところから始まるのもユニークだ。 たとえば、この芝居を、40代になった彼女たち彼らが演じているのは、想像しづらい。だからこその、3年間の在学中にやっているんだというわりきりかたがとてもステキだ(卒業しちゃったらどうするんだろう?とは思うけれども)。 終演後、樺澤氏とうちあわせ。週末のDMの発送の件、来年の企画などなど。
雨降りの一日。 朝、野良猫のかつらちゃんが、またやってきた。 ふぎゃーふぎゃーと鳴きながら、雨の中、軒下を伝い歩いている。 雨の日の野良猫はわびしい。 いいから上がんなよと声をかけたが、僕の姿を見ると、逃げていってしまう。 あとはうちの猫にまかせてキッチンのサッシをあけて、二階にあがった。 しばらく経って、お茶を入れに降りたら、かつらちゃんがぴゅーと逃げていくところだった。うちの猫は「え?」というような顔で見送っている。 何もしやしないのにどうして?と思いながら、なんだか悪いことをしたような気分。 いつまでも降っている雨がちょっとうらめしい。
母親がパンを焼いている。 パチンコの景品でもらってきたホームベーカリーで、このところ毎日のように。 景品というのは正確ではなくて、来店のたびにたまるスタンプorシールがいっぱいになると、その点数に応じて何かがもらえる、その景品らしい。近頃のパチンコ屋はほとんどスーパーのようだ(食料品の景品も充実している)。 粉とイーストと水やマーガリン(バターじゃなくていいらしい)やらを一度に入れて、スイッチを入れると、こねるのも発酵させるのも全部機械がやってくれて、何時間かあとには、こんがりパンが焼けている。 夜、寝る前にタイマーをセットして、朝、文字通り、パンの焼けるにおいで目が覚めるといったかんじ。焼きたてというのを差し引いても、それなりにおいしい。一度に焼ける一斤半を2人で2日かからず食べてしまう。すっかりパン食な家になってしまった。無添加なのは間違いないので、それもうれしい。 僕が生まれ育った葛飾の家には大きなガスオーブンがあって、僕や妹はずいぶんお菓子を作ったものだけれど、パンは何度か挑戦してあきらめた。いくらなんでもめんどくさすぎる。こねる力と根性、それに適温をつくって発酵させる手間のわりには、それほどおいしくなかった。買ったほうがおいしいじゃんという結論。 今の家にオーブンはない。パンもお菓子も、作るよりも、おいしいものを少しずつ買ってきた方がずっといいと、僕も母親も学んだはずだった。 それが、ホームベーカリー。たしかに、簡単で手間がかからず、それなりにおいしいもんなあと、テクノロジーの進歩に感謝する。 そういえば、去年、母親は、南部鉄でできた「ガスで焼けるパン焼き器」を買って来たりしていた。できあがったしろものは、パンというよりは、固めのカステラに近かったけれど、以来、イースト菌の箱はずっと冷凍室に眠っていたらしい。 はじめのうちは、説明書にある通りのレシピをいろいろためしていたが、この頃はいろいろ応用している。クルミをきざんで入れて、インスタントコーヒーを入れてみたり、ゴマのかわりに、おみやげにたくさんもらったエゴマを入れてみたらどうだろうとか。 目下の心配は、「母親がいつ飽きるか」ということだ。南部鉄のパン焼き器が流しの下で眠っているように、大昔、電気餅つき器が「あとかたづけがめんどくさい」と言い言いしているうちに、いつのまにか姿を消してしまったように、このホームベーカリーが姿を消してしまわなければいいのだけれど。 飽きっぽい母親の、不思議なパンへの情熱が、これで納得して、さめてしまわなければいいと思う。もしかしたら、ずっと昔から、あこがれていたのかもしれない家でパンを焼くということを、今、楽しんでいる母親なのかもしれない。 実は、僕も一度、焼いてみた。ただ材料を入れるだけなのに、発酵がうまくいかなかったようで、とってもみっちりした重たいフランスパンができてしまった。以来、「これは母親のテリトリー」ときめて、触らないようにしている。 不思議な四角い形で焼き上がるパンは、この年になって新しく生まれた「おふくろの味」になりつつある。
夜中、「ムーンリバー」関係のメールのやりとり、フライングステージのHPに情報やフライヤー画像を一気にアップする。 夕方から降り出した雨は、降ったり止んだりしながら、夜中にはざーざー降りに。 猫の姿が見えないので、いつもの出入り口になっているキッチンのサッシを開けてみるが見あたらない。 母親に「外に出した?」とたずねたら、「玄関で雨宿りしてるんじゃない?」と言う。 だったら入れてやればいいのにと思いながら、玄関のドアを開けたら、やっぱりいた。きちんと座って、タイル張りの床の上の何かをじっと見ている。なんだ? 前足でちょっかいを出しているのを、とりあえず抱き上げてみたら、そこにいたのは大きなヤモリだった。 「やだ、また食べかけ?」と一瞬あせるが、ヤモリはまだ無傷なようす。ただでさえ平べったいのがさらに平たくなって嵐が去るのを待っている風情。 ヤモリは漢字で書くと「家守」で、家を守ってくれるいい生き物だと聞いたことがある。そんな方を、猫のおもちゃにしてしまうのはさすがに気が引ける。 抱き上げた猫をそのまま、家の中に連れていき、ドアをしめた。 昔、梅ヶ丘のマンションに住んでいたとき、引っ越したその日の夜、部屋にヤモリが出た。うぐいす色の砂壁とおなじような色の大きなヤモリが、かもいの下あたりにひっそりとはりついていた。ちょっと触ったぐらいでは、動こうともしないで、結局そのまま、その夜は寝てしまったのだけれど、朝になったらもう姿は見えなかった。 その時も、引っ越したその日にヤモリが逃げ出す(そう思えた)なんて……と憂鬱な気持ちになった覚えがある。案の定、その部屋に住んでいた2年間は、仕事ばかりの毎日で、今思うと「何してたんだろう」と考えてしまうような日々だった。 さて、朝方、どうしたろうと、玄関を開けてみたら、ヤモリの姿はもうなかった。ちょっとほっとした。
「ムーンリバー」稽古前の連絡をいろいろする。アンの舞台の間、どうしてもペンディングにしてしまっていたあれこれを一気に。 テレビはワールドカップ一色だ。音を消してつけっぱなしにしているテレビが、それでもサッカー関連ばっかりだと、なんだかなあと思ってしまう。まだ始まってもいないのに。 夜中のどのチャンネルもスポーツニュースばっかりという時間が苦手だ。そんな時間帯が夜中遅くまでずれこんでいるような気分。しかたないので、教育テレビの高校講座かなにかをつけておく。世界史とか化学とか。 そんなサッカーに対するイライラのせいか(別に嫌いっていうんじゃないんだけども)、サッカーの夢を見た。 高校の頃、冬の体育はサッカーが多くて、やたら広いグラウンドでなんでこんなに走らなきゃいけないの?と思いながら、走り回っていた。僕は、サッカーよりはバスケットの方が好きだった。単純に走る距離が短いという理由で。 夢の中で、僕は体育の授業をさぼりまくっていて、「一度も出ないとは何事か」と体育教師に叱られていた。いやな気分の悪夢というのではなく、なんだか疲れる夢だった。さぼってるわけだから、走り回ったわけでもないのに。 昨日の富士見丘からの「学校」、テレビからの「サッカー」からの連想、それに「逃げている」ような僕の気分or「逃げたい」という願望(笑)からの夢かと、起きて考えた。
2006年06月07日(水) |
富士見丘小学校演劇授業 |
5時過ぎにめざめて、樺澤氏からのメールと留守電の確認。今日のフライヤーの入稿関連のあれこれ。あちゃー。ばたばたとメールを送る。 そのまま起きてしまい、今日は朝から、富士見丘小学校の授業。 永井愛さんによる「場をつくる」。 今日は、午前中の3、4時間目が2組、午後の5、6時間目が1組。1組の授業は全校の先生方も見学。 まずは1組から。はじめに僕と篠原さんでウォームアップ。 つづいて、まずは「場をつくる」エチュード。1人が出ていって、自分なりにここがどこかを決めてそこにいる。次々やってくる人たちは、自分なりにここがどこかを考えてそこにいつづけて、5人目の人が、「ここは○○」と宣言。そうすると、微妙にずれのある5人は力をあわせて、一つの場面をつくる。それまでは、無言で一人一人ばらばらだったのが、ここがどこかが決まってからはその場面でのやりとりがはじまる。僕だったらどうするんだろうと考えてしまう、なかなかむずかしいエチュードだ。 子供たちは、やや戸惑いながらも、それぞれの場面をつくっていた。 イスをならべておいていたので、どうしても座って読書というパターンが多くなってしまい、なかなか動きだしていかないのが、子ども達なりのおさまりかたのように思われた。 つづいて、「エレベーター」。去年、一昨年の6年生の発表でも見ているので、子ども達にはおなじみの課題。見ず知らずの人たちが乗り合わせたエレベーターが止まってしまう。さあ、どうしよう?というもの。 途中から、大人を演じないで、6年生でいいということになって、ずいぶんのびのびしたかんじになった。 さっきの「場を作る」よりも、みんなその場にいることに抵抗がなくなっている気がした。ウケるために何かをするんでなく、ただそこにいるということ、人の反応を見て、話を聞いていることがきっちりできていることに感動する。 だんだん顔と名前が一致してきた子ども達、一人一人のキャラクターが見えてきた。 最後に、やりたい人が何人でも出ていいということになったら、ほんとに全員が舞台に集まった。 エレベーターに乗り切らないので、半分は、エレベーターの前で待っている人たち。それぞれが、いろんなことをしていて、おかしかった。混雑したエレベーターのなかで痴漢騒ぎが起こったり、中と外とで携帯のやりとりがあったり。ただ、だまってようすを見守っている子の生き生きとした表情、大騒ぎから少しはなれて、「今ね、エレベーターが止まっちゃって……」と家に電話をしている子もいた。 あとで担任の阿部先生に聞いたところ、ふだんは仲間をリードするようなキャラではない子が何人も場面をひっぱっていたそうだ。 子ども達は、そんな子のいつもとは違う姿におそらくはびっくりしながら、知らなかった一面が見れたことを、素直におもしろがっているんじゃないだろうか。 印象的な何人もの子供たちの名前が、あたまに入ってきた。面白い、ユニークな子がいっぱいだ。 給食をはさんで、午後は2組の授業。 1組よりも動きが多い、ある意味、のびのびした子が多いのが印象的。 はじめの「場をつくる」エチュードも、レストランやボーリング場、ディスコなど、動きのあるものが多い。 見学の先生方が大勢いるというのも、がんばりに拍車をかけているのかもしれない。 続いての「エレベーター」は、知らない人どうしであるということがとてもきっちりおさえられていてびっくりする。永井さんも言っていたように「お互いに敬語で話せている」というのがすごい。初めて会う人は、相手に自分の気持ちをちゃんと伝えようとしなくてはいけない。なれあいの友達の軽いおしゃべりとは違って。 子ども達は、まるでそのままセリフになるようなやりとりを積み重ねて、場面をつくっていっていた。 印象的だったのは、キャラクターを作り込んでいる子が何人もいたこと。秋葉系のアイドルオタクの子、下のトラックに工具を置いてきた大工、なんだか大きな荷物を持っている人、実はFBIでピストルを持ち歩いている男。 最初に「独り言」を言ってから登場という設定が、実によく生きたと思う。 これまで何度も見た「とにかく脱出しなきゃ!」という脱出劇にならず、「どうしようか?」から「別にいいんじゃない?」とのんびりかまえているキャラクターが今日は何人も登場した。それが、場面に参加すること拒否しているんではなく、ちゃんと参加しながら、ある個性としてそこにいる。 緊張してる場面なのに、なんで笑ってしまうの?と気になってしまいがちな笑顔でいる子も、緊張してるときって笑うし、誰かに話しかけるときって、ついほほえんでしまうよねと、今日はリアルに思えたのが発見だった。 僕は、ずいぶん笑い、はらはらし、展開の予想を裏切られ、びっくりさせられた。いいものを見せてもらったと思う。 こちらの組でも、この子は何?と思うようなおもしろい子がいっぱい。これからがほんとうに楽しみだ。 授業のあと、ミーティングルームで先生方と一緒に、フィードバック。 先生方からの感想がとても興味深かった。 今の6年生の3、4年時、1年生の時の担任だった先生方からのお話。ほんとうにこの子たちは、先生方に見守られながら育っているんだということが、あらためてよくわかった。 解散後、音楽の畑先生に、僕たちの子ども達への指示の出し方が富士見丘の先生の話し方に似てきたと言われる。たしかに「はい、準備ができたら、始めるよ!」とか普通に言うようになった。先生がたとのおつき合いが長くなって、だんだん話方やこどもたちへの向き合い方について、影響を受けてきたのかもしれない。 帰り道、永井さん、青井さん、篠原さんと駅に向かって歩いていたら、去年の6年生のカナコちゃんたちとばったり会う。中学の帰りだ。 「今日は即興劇だったんだよ」などとおしゃべりする中、カナコちゃんに「面白い子いる?」と聞かれる。やっぱり気になってるんだねえ。 去年の6年生の卒業公演の成果をふまえながら、それをなぞるんでなく、今年の6年生と一緒につくる芝居はどんなものになるんだろう? 何人もの子ども達の顔がうかんできた。どんどん楽しみになってきた。
フライヤーの入稿は無事終了。夕方になってようやく電話とメールで確認ができた。そういえば、去年も富士見丘の授業の日にこうやってばたばたしていたんだった。相変わらずだ。 「ムーンリバー」の準備もいよいよ本格的に始まる。こちらも楽しみがいっぱい。
出先で飲もうといつもなら水かお茶を買うところをあんまり眠いのでついコーヒーのペットボトルを選んでしまった。 そのせいか、ドキドキと落ち着かない。カフェインのせいだ。 昔、どうにも台本が書けないとき、起きていたくてコーヒーばかり飲んでいた。そんな日が何日も続いて、僕は、やたら動悸のはげしい人になってしまい、こんどは「何か病気になったんじゃないかしら?」と心配になった。 薬局で症状を話したら、「救心」をすすめられて、しばらく飲んでいたことがある。今なら、コーヒーの飲み過ぎだとすぐわかるのだけれど、当時は必死だった(今が必死じゃないってわけじゃないけど)。 今では、原稿にむかうときには、ハーブティーを飲んでいることが多い。カモミールとかローズヒップとか、ペパーミントとか。どれも気持ちが休まってしまうものだけれど、ドキドキしてうわついたものを勢いで書いてしまうよりは、今日はもうやめようと寝てしまった方がいい結果を生むよう気がするので(やっぱり、必死じゃないか?)。 版下づくりやデータ入力などの「作業」をしなければいけないとき、それにどうしても眠ってはいけないときは、栄養ドリンクのお世話になる。それでも、起きて原稿を書くためにコーヒーを飲むことはめっきり少なくなった。 仕事の帰り、いきつけの喫茶店でグレープフルーツジュースを頼んで、原稿にむかい、一段落したころ、動悸もようやくおさまった。 カフェインのせいだけでなく、やらなきゃいけないことをいつまでも抱えているせいなことはやっぱり間違いない。 夜、DMリストの整理をしながら、寝てしまう。無理矢理おきていたせいか? 夜中にもらった電話にも出られず、爆睡。
仕事の帰り、劇団制作社にて打ち合わせ。「ムーンリバー」のフライヤーと制作関係、来年のスケジュールなどなど。 劇団制作社の新メンバー、對馬さんとごあいさつ。 お宅が東武動物公園ということで、帰りは一緒に。はじめましてのごあいさつも兼ねて、たくさんおしゃべり。 對馬さんと別れて駅に降りたら、ホームに大きな蛾が落ちていた。一瞬、薄い空色のハンカチのように見えた。たぶんオオミズアオというやつだと思う。 翡翠のような色の羽に、小豆色のふさふさとした触覚、黒い大きな目。 いいかげんな蝶よりもよっぽど堂々として美しい。 力無く落ちているのを、人に踏まれないよう、脇に連れていこうとしたら、ゆっくりと羽ばたいた。 羽を閉じてとまるのが蝶で、開いてとまるのが蛾だと聞いたことがある。 蝶はきれいで、蛾は汚いというイメージがずっとあったけど、こいつはなんてきれいなんだろう。 昨日のバラシのあとの積み込みのとき、ミラクルの向かいの植え込みに大きな白い蛾がとんでいて、あ、オオミズアオだと思ったんだった。まさか同じヤツではないと思うけど、不思議な再会の気分。 紙に乗せて運ぶうちに、指に羽がふれた。予想通り、ひんやりと冷たかった。
マチネ前に、ジェストダンスのクラスのパフォーマンス「アンテリア」のリハーサルを見せてもらう。 初日に見せてもらったときよりも、ずいぶんまとまってきている印象。ジェストダンスは全く同じ振りを全員で踊るんじゃなく、それぞれの思いが振りになってる。ある種、そのバラバラなかんじが、集団になると、不思議なアンサンブルになってくるのがおもしろい。 マチネ開演。シンプルに演じることというより、ただそこにいることを心がける。いつものように。ただ、なぞってはいけないと思うことがつまりはなぞってしまうことなんだということを、芝居しながら(芝居を見ながら)思ってしまった時点で、ちょっと気持ちが揺れてしまったかもしれない。 休憩時間、檀くんから、飼っている猫のオスカーくんの写真集を見せてもらう。代々木公園で撮影した写真がおしゃれなアルバムに入ってる。とってもかわいい。みんなで「かわいい!」(語尾上げ)と言いながら拝見する。 ソワレ。満員のお客さまを前に、やや「やりにいって」しまった感があると反省。気持ちはつくるもんじゃなくて、ただ思ったり感じたりしていればいいんだと、稽古の間にあんなに思っていたのに、作ろう作ろうとしてしまう気持ちと結果たたかってしまったようなかんじ。こんな気持ちにどう対応するのかという稽古までは、まだしてなかった。 今日のマチネから清木場さんの分も食べてしまっているエクレアでお腹がいっぱいというのも、微妙に集中の度合いに影響したかもしれない。 それでも、自分らしくこの芝居に幕を降ろすことができたのではないかと思う。これまでやったことのない芝居のつくりかたからの新鮮な発見、そして、自分自身についての気づきも大きかった。アンのみなさん、スタッフのみなさん、ご来場いただいたみなさん、どうもありがとうございました。 終演後、ノグや森川くんにごあいさつ。 さっそくバラシ。さくさくと。 バラシのあと、打ち上げを失礼して、仕事に行く。昨日の予定が、今日にずれこんでしまったもの。 夜の芝居の微妙な手応えと、打ち上げをすっきり終えてないせいで、仕事中もざわざわと落ち着かない。 結局、始発近くまでかかってしまい、一人で食事をしてから、始発で帰ってくる。 カラダは疲れているのだけれど、頭がもっともっとと言っている、そんなかんじ。
マチネ。どうも腹の具合が悪い。冷房がきいてしまってるんだろうか? 何度もトイレに行ってしまう。緊張してるんだろうか? こんなの初めてだ。 開演前、僕は舞台の壁をずっとなでている。劇場の壁にもたれたり抱きついたりしていると、劇中で僕が別れた男の思い出に触れているような気がして、その冷たさと、人じゃないとか、もういないとか、これはただの壁じゃないかと思うたびに、今回の澤渡くんに近づいていけるような気分。マイズナーでならったことの拡大解釈、僕なりのプリパレーション。 本番は、いいかんじで舞台の上で生きていくことができた。あ、できてると思っておだつこともなく、ただ思うまましゃべり、その場にいることが。 ただ、ラスト近く、ずっと首にかかってなければいけない首つりのビニールヒモがとれてしまった。稽古場でも一度もなかったアクシデント。拾ってかけなおすことは絶対に無理で、どうしようかと思う。清木場さんは、手に取るし、津崎くんには最後に外してもらわないといけないのに。 どうぞ傷跡をなでて!と清木場さんに、どうぞあることにして外して!と津崎くんに「念」を送る。気持ちが届きますよう。 と、二人とも、ないことがあたりまえのように芝居をつづけてくれる。感謝。 床に落ちっぱなしのヒモをラストのタブローに向けての片づけの最中、なるちえがこれまたあたりまえのように拾っていってくれる。感謝! と、彼女がスプーンを一本、カタリと音をさせて落としていったので、「ご恩返し」のつもりで足元にそーっと引き寄せて隠した。やった!と思ったら、なるちえは、下手からもう一回出てきて、僕の足元からスプーンを拾い上げて片付けていった。余計なことしたなあと反省。 終演後、楽屋でひといき。 澤唯くんからの差し入れをみんなでおいしくいただく。 ソワレ。ラストシーン、向き合って立った清木場さんがほろほろっと涙を流して、びっくりしてしまう。その後の僕の気持ちもそれを受けてのものになった。いつもとおおすじは変わらないけど、とっても納得。 終演後、中日乾杯。差し入れのラム、ロンサカパをおいしくいただく。ラムはやっぱり油断がならない。どんなふうに帰ったか、すぐには思い出せないくらい、よっぱらって帰ってきた。
2006年06月02日(金) |
la compagnie A-n「小峰公子をよみおどる+罠の狼」初日 |
マチネの初日は新鮮だ。 劇場になじむことと、人からもらうことを大事にしようと心がけて、いつもよりも謙虚な気持ちで舞台に立つことをこころがける。そんないかたが僕にはとても新鮮にかんじられる。 終演後、マミィ、宇田くん、桜澤さんにごあいさつ。 間の時間にパソコンのモジュラーケーブルをなくしてしまったようなので(バッグをひっくり返したときに)、買いに出かける。100円ショップではみつからず、結局さくらやまで。人でいっぱいの新宿にちょっと酔ったような気分。 ソワレも無事終了。 終演後、見に来てくれた、樺澤氏、阪口さん、記生ちゃん、小林くん、谷岡さんにご挨拶。 阪口さんは、8月の「ムーンリバー」に客演していただく役者さん。はじめましてのご挨拶。そして、記生ちゃん、小林くんを紹介する。 劇場で初日乾杯。外に出かける予定がなくなったので、腰をおちつけて、たくさんおしゃべりする。それでも、終電に追われるように帰ってくる。
小返しの稽古をして、今日はゲネプロ。本編の開演前に上演されるジェストダンスのクラスのパフォーマンス「アンテリア」の舞台稽古も。両方に出演する清木場さん、あかねちゃんたちは大忙しだ。 照明とのかねあいや、小道具の扱いなどなど、まるで稽古場のようにからんとした小さな舞台は実はとても緻密に組み立てられている。 「アンテリア」の出演者のみなさん、公子さん、もろさんが見ていてくれるなか、ゲネプロ開始。 1時間半の上演時間、全員が舞台上にいるという構造は、なんだかいっそとってもすがすがしい。 あきらかにセリフを言っているときよりも言ってないときの方の時間が長くて、それもただ見ているだけでなく、見て聞いているそのことが、人物の中に積み重なっていくそんな時間。 違うところに行こうともなぞろうともしないで、最後の場面に行き着くことができた。 ゲネ終了後、明樹さんとおしゃべり。芝居のことをいろいろ。 今回、ほんとに不思議な感覚で芝居をさせてもらっている。力を入れて頑張るというのではない、集中のしかたが、とても新鮮だ。 いよいよ明日は初日。お客様を前に、どんなことになるか楽しみだ。 みなさんのご来場をお待ちしています!
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