せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2005年10月31日(月) 「メゾン・ド・ヒミコ」

 宇田くんと待ち合わせして、「Four Seasons 四季」のDVDのダイジェスト版を受け取る。明後日の共立女子大のトーク用に、今回、編集をしてもらった。
 その後、「メゾン・ド・ヒミコ」を観る。舞台をご一緒した青山吉良さんに歌澤寅右衛門さん、それにうちの早瀬くんも出ているので、観なくては……と思いながら、なかなか観に行けなかった。こちらも明後日のトークで話すことになりそうなので、ようやくというかんじで映画館へ。
 映画の感想は、ひとことでいえば「びっくりした」。あ、おもいつくままに書いてしまうので、ネタバレしまくりになると思うので、まだ観てない人は覚悟して読んでください。
 こんなにゲイへのリスペクトがない映画だとは思わなかった。それは、ゲイだけじゃない、老人に対しても同様。
 どうしてこんなに柴崎コウばっかりおいしいんだろうと思って観てしまう。ゲイの老人たちは、みんな、柴崎コウの役をおいしくするためにだけいるようだ。
 青山吉良さん扮する山崎がダンスホールでかつての知り合いにばったり会って、「やっぱりオカマだったんだ」と罵倒されるのも、柴崎コウがその相手をののしるというおいしいシーンのために用意されてるようにしか思えない。
 初めて女装してダンスホールに行くにしては、衣装もメークもナチュラルすぎるんじゃないだろうか。もっともっと装うのがこの場面にはふさわしいだろうに、それじゃ「バレないから」という理由で、そうなってるように思える。
 カツラだってかぶればいいし、メークだってバッチリすればいい。ドレスだって、あの場の女王になるようなそんなゴージャスなものでいいはずだ。せっかく男性陣がドレスアップしてるんだもの、彼だって、もっとバッチリ決めていったほうが、自然じゃないだろうか。
 でも、この脚本は、そういうおいしい場面をゲイの老人たちにはくれようとしない。絶対に。柴崎コウが「ブス」という設定になってるんだから、ゴージャスな女装をしていても、かつての知り合いにバレルという展開はいくらでもありだと思うのだけれど。
 一番残念なのはドラマを成立させるために、いろんな不自然さが無理矢理「あり」になってしまっていることだ。その結果、物語のはしばしが「ちょっと待って、それってどうして?」という印象を与えるものになってしまっている。
 脳卒中で倒れたルビイが、縁が切れていた息子夫婦に引き取られる場面。MTFの手術をしているルビイのことを説明しないで引き渡す住人たちに、柴崎コウが「あんたたちのエゴには虫酸が走る」とキレる。
 これもどうかと思う。これはもう住人たちの描き方というか設定の問題なのだけれど、いくらなんでもあんまりだ。キレる柴崎コウに圧倒的に分がある。というか、そんなことなんでするんだろうという疑問が残りすぎる。「一か八かに賭けた」というのは、ややお茶目な思いつきだと思っての展開(ゲイっぽい?って思ったのか)なのかもしれないが、この場面では、ゲイの老人たちの間には、お互いに助け合うとか思いやるとかいった関係が全くないということが露呈してしまう。そして、それは、僕には、いくらなんでもありえないことのように思える。というか、あってもいいのだけれど、そこまでしないではいられない彼らの状況が描かれていないので、これもまた柴崎コウをおいしくするための手段としか見えなくなってくる。
 この映画についての先入観として考えていたのは、柴崎コウがゲイの老人たちに触れて、「何か変わっていく」話なんだろうなということだ。彼らから受け取る何かポジティブなメッセージ。それは、たとえば、おおざっぱなたとえで言えば、アフリカの大自然にふれた女性が大自然の脅威と闘いながら成長していく、そんな話。でも、そうじゃなかった。
 この映画では、ゲイの老人たちの存在や行動は、決してリスペクトされない。同情はされるけど、尊敬はされない。その視点は、柴崎コウのということではなく、この映画がもっているものなのだと思う。登場人物の誰にも肩入れしていないというスタンスだという理屈なのかもしれないが、ドラマの展開は大いに柴崎コウにばかり都合よく動いていることは間違いないだろう。
 ゲイの老人たちには、友情も、生きる勇気も見せてくれない。たまにしゃべるのは、叙情的な追憶か、観客を笑わせるための台詞が大半だ。ゲイをどう描くということよりも、老人をどう描くかということに関しても、ちょっとどうかと思った。今時、こんなゲイ像ってどうよと思う前に、こんな老人像ってどうなんだろうと。
 途中でどうにもつらくなったので、僕は、柴崎コウの視点で見ることにした。その途端、この映画は一気におもしろくなってくる。すべてが彼女を中心に、彼女の都合良く、彼女においしく展開するのだもの。
 これはもうワクワクする、パーフェクトなハーレクインロマンスじゃないだろうか。なぞめいた男性、一応、ゲイってことになってるけど、限りなくグレーゾーンな美しい男に寄せる思い。ゲイの老人たちは、二人の出会いのための凝りに凝った背景、舞台装置だ。ちっとも脅威ではないアフリカの大自然。
 彼女の視線を通して見るオダギリジョーの美しさはどうだろう。不可解な設定は、より余計、彼をミステリアスに魅力的にしていく。
 ダンスホールで踊ったあと、キスをされる。どうして? 観客としてもわけがわからない。でもいいの。柴崎コウも「どうして?」って思ってるから。
 そのあと、ベッドに誘われる。ここにおよんで「どうして?」という疑問は、なんでこんなにノンケのベッドシーンばかり見せられるんだろうというバカバカしさに変わり、さすがにちょっと引いてしまう。でも、ハーレクインロマンスだから、ベッドシーンは不可欠なんだとあきらめる。
 それでも、最後に、ヒミコが死んだ後、柴崎コウが彼女の会社の社長(西島秀俊)と寝たと聞いたオダギリジョーが「うらやましかった。お前じゃなくて、あいつが」と言うのを聞き、つぎに、疎遠になった柴崎コウを、住人たちが呼び戻すという落ちを観たときには、ついにあきれた。よくこんなに都合のいい展開ばかりを選んだものだと。
 出演者は、みんなとってもいい芝居をしている。さんざん柴崎コウの悪口(?)ばかり書いてきたけど、彼女もとってもいい。オダギリジョーも、複雑な、ほとんどというか、僕にとってはやっぱり、ありえないと思える人物を、瞬間瞬間を誠実に生きることで成立させている。住人たちも、みんなみごとな存在感と演技だ。だからこそ、際だってしまう、視点の「身勝手さ」だと思った。
 ここまで書いてきたのも、この映画をある種の「ゲイ映画」だと思って観たからこその失望なのだということはわかっている。これは、ゲイが登場するけど、ゲイを描こうとはしていない映画なんだと思う。活き活きとした人物は登場するけど、俳優さんたちは素晴らしい演技をしているけど、映画は彼らを描こうとはしてない。
 それでも、大好きな場面はいくつもある。いやがらせをしていた中学生が、オダギリジョーに恋をしてしまい、友人たちに別れを告げて、メゾン・ド・ヒミコにやってくる場面。彼が、山崎と一緒におはぎをつくる場面。その時々の彼の視線の先にいるオダギリジョー。柴崎コウがいない場面は、彼女をおいしくしようとする作為が直接は成立しないので、画面は急にのびやかになったような気がした。それは、見ている僕がほっとしたせいなのかもしれないけど。
 僕が観たかったのは、やってきた中学生の視点から語られるメゾン・ド・ヒミコの物語だったんだなと思った。予告編で上映された台湾映画「僕の恋、彼の秘密」はどんな映画なんだろう。「メゾン・ド・ヒミコ」にはないものばかりでできているそんなゲイの映画のように思えて、早く見たくなった。
 最後に、ずっと触れなかった田中眠が演じるヒミコについて。彼の存在感はすばらしいものだけれど、この役としてはどうなんだろう。彼が、ゲイバーで一世を風靡したというのがよくわからない。壁に貼られた写真の中の彼が、これっぽっちも今の姿と変わってないのはどうしてだろう? 今は、病気で死にそうだからあの風貌ってことなんだとばかり思ってたんだけど。ついでに言うと、写真の片隅に映ってるルビイの今のまんまさ加減にもびっくりした。そうした理由はあるんだろうけど、もっとどうにかならなかったんだろうか。
 ゲイコミュニティに協力を求めたという話をきいている。そのうえで、いろいろ意見を聞いたけれど、やっぱり自分たちのやりたいことをやったと監督は語っている。だったら、協力なんか求めなきゃいいのにと正直思う。そうまでして、描きたかったものは一体なんなんだろう。
 この映画を楽しむ秘訣は、柴崎コウの視点で初めから見ること。初めから、それが何の疑いもなくできてしまう人にとっては、これはとってもいい映画だと思えるんだろう。でも、ゲイや老人に自分の気持ちを重ねてしまえる人にとっては「エゴに虫酸がはしる」映画になるかもしれない。
 ここまでずっと「観客」としての立場から思ったことをずいぶん勝手に言わせてもらったが、ひるがえって「作り手」としての立場で考えると、気持ちは複雑だ。僕も、お話の都合だけで、人物を描くことをしてなかっただろうかと。
 こんなにいろいろ考えさせられた映画はひさしぶりだ。自分を映す鏡として、この作品は、とてもいい機会をくれた。感謝だ。


2005年10月30日(日) 歌う相手

 越谷市の市長選挙の投票に行く。投票所は近くの幼稚園。
 帰りにスーパーで買い物。お気に入りの麩菓子やみかんやらを買って帰り、今日はもうどこにも出かけないと決めて、原稿に向かう。
 NHK「ようこそ先輩」に水前寺清子が出ている。母校の校歌をみんなで歌う。
 とってもすばらしい「なでしこの花」という校歌。
 この歌を「誰に歌ってあげたいか」とチータはこどもたちに尋ねる。
 自身の下積みの頃を支えてくれたのはこの歌だったと語るチータの話を、子どもたちは真剣に聞いて、それぞれ、歌いたい相手を見つけてきて、最後の授業で歌った。いい歌だった。
 「誰に歌うか」というのは、とても大事なことだなと思った。
 ただ歌うじゃなくて、「誰に」歌いたいのか。
 富士見丘小学校の授業のことを考えた。
 「6年生を送る会」で彼らが歌う歌は、誰に向けて歌われるんだろう。
 みんなで話してみたいと思った。


2005年10月29日(土) 芝居と打ち合わせ

 絶対王様の有川マコトさんの出演する、イキウメ公演「散歩する侵略者」@サンモールスタジオを見に行く。
 制作でお世話になった竹内さんにごあいさつ。
 芝居は、最初どうなることかと思ったのだけれど、最後はとっても感動させてもらった。
 地球を侵略しに来た宇宙人が、人に乗り移って、情報を集めるために、散歩して人々に出会う。そのときに、宇宙人は「概念」を奪っていく。
 夫を宇宙人に乗っ取られた妻と、その友人たちを中心に描かれる、「戦争が始まった町」の物語。
 有川さんは、この夫の役。しっかりした芝居を全編にわたって見せてくれた。
 俄然、芝居がおもしろくなったのは、舞台上で、宇宙人が「概念を奪う」現場を目の当たりにしたところから。別の宇宙人が乗っ取った少女が殺人犯として入院している病院の医師が、「禁止」という概念を奪われる。ここがとってもおっかなかった。まるで、目の前で殺人が行われているようで。
 俳優さんたちは、はじめやや堅めの演技で、ドキドキしたのだけれど、みんな「概念」を奪われた後に実にいい顔をして舞台にいるようになる。
 はじめの芝居も、そして、この表情も、きっちり演出されているんだと気がついてから、僕はかなり前のめりでこの芝居を見てしまった。
 夫役の有川さんが、妻から「愛」という概念を奪うラストは、なんてうまい台本なんだろうと思った。俳優さんたちも(特に有川さん)、その本をみごとに演じていたと思う。
 終演後、有川さんにご挨拶。笹木さん、星さんといっしょに感想を言い合いながら駅まで歩く。いい芝居だった。

 僕はそのまま曙橋まで歩いて、マルゴリータ・奈須邸へ。gaku-GAY-kaiのジオラマ・マンボ・ガールズの演出についての打ち合わせ。
 手料理をごちそうになりながら、いろんな曲を聴きまくる。
 毎年、こうやって集まっては、もう十年近く、打ち合わせをしながら、おしゃべりをしている。
 芝居の現場で一緒にはならないのだけれど、ほんとにちょうどいい距離感で話ができる、かけがえのない友人だ。
 今日も、思う存分「近況報告」をしゃべりたおし、ジオマンの宿題を持って帰る。


2005年10月28日(金) 霧と新らしいスペース

 朝方、ものすごい霧。日が昇ったばかりの時間、外は真っ白だ。窓をあけて、猫と一緒にしばらく外を見ている。
 日射しが強くなってどんどん晴れてきたので、洗濯をしてから出かける。久しぶりのいい天気。部屋干しでなく物干しにどんどん干していく。
 マツダリクちゃんから連絡をもらった歌舞伎町の新しいスペースを見に行く。
 今日は映画の上映会で、開映前の時間にちょっとのぞかせてもらった。
 とても素敵な空間だ。稽古場にどうだろう?という話だったのだけれど、公演も打てるかもしれない。階上にライブハウスがあるので、騒音がちょっと心配だけれど。これからお世話になることがありそうな予感。
 その後、打ち合わせが一件。やらなきゃいけないこと諸々を確認する。
 三越の地下で買ったパンを抱えて帰ってくる。母へのおみやげのメロンパン、とても気に入ったようでうれしい。


2005年10月27日(木) マイズナーWS

 2回目。まずは、先週と同じリピティションゲーム。先週はいなかった男性、ジョニーさんと。僕は、彼を池内美奈子さんのショーケースで見ている。先週はずっと女性とばかり。初めて男性と向き合って、ちょっと緊張する。
 全くの初対面の人を相手に「観察」「集中」「反応」するのと、舞台での様子を知っている相手とでは、微妙に空気感が違う。僕は、ややおそるおそる相手の反応を見るところから始まったようだ。
 その次に組んだ、別の女性は、先週会った人。今度は、やや楽しく盛り上がってしまう。この違いは何だろうと考える。
 このゲームは、まじめにやるエクササイズではないんだということを藤野さんに言われる。ゲームを本能的に楽しんでいく中で見つかることの方が多いだろうと。そのせいもあって、より楽しんでしまえたのかもしれない。
 最後は、スリーモメントゲーム。相手を見ながら、リピティションゲームのように声を出して(コールして)、相手も応える。3つめは、その相手の反応を一番表している状態を声にする。
 ただ見るだけでなく、一番気になることってなんだろう、妙にひっかかることってなんだろうと考える。いや、考えるんじゃなくて、その場で拾って、すぐ声に出す。なかなかむずかしい。でも、とてもおもしろかった。
 まだ始めたばかりだから、だんだん慣れるからと、藤野さんに言われて、次回がまた楽しみになった。


2005年10月26日(水) 赤いコート

 駅前に古着屋ができた。
 もともとは、ノーブランドのレンタルビデオ屋、その後、ゲームセンター、100円ショップと、どんどん変わっていって、ついに古着屋。向かいのマンションの1階に大きな100円ショップができたので、方向転換したらしい。
 こんな田舎で、ニーズはあるのか、ちゃんとしたものがあるのかと、かなりうたがっていたのだけれど、それなりに商品の回転もあり、おばさんの普段着系中心の品揃えのなか、ときどきおもしろいものがあって、あなどれない。
 駅の電車の時間が微妙だったので、時間つぶしに店をのぞき、赤いスプリングコートを見つけた。
 古着じゃない、デッドストックもので、知っているデザイナーの名前がタグに入っている。予備のボタンに共布もついてる。
 レディースのLサイズなのだけれど、羽織ってみたら、ちょうどよかった(胸回りはちょっと余るくらい)。
 真っ赤というか、オレンジに近い色は、かなり派手。でも、ここで買っておかないと後悔しそうだったので、とりあえずゲットする。
 レジのお姉ちゃんに「あわせが逆ですけどだいじょぶですか」と聞かれ、「全然平気」と答える。
 そのまま出かけた帰りは雨降り。レインコートがわりに羽織ってみる。
 ジャン・パトリック・シャンリイの芝居に「赤いコート」というのがあったのを思い出す。
 白いパンツにブルーのシャツに赤いコートという出で立ちが、街のウィンドウに映ると、きっぱりした色味に目が覚めるようだ。
 気持ちも明るくしないと着れない服を買ってしまった。いつもより少し余計に胸を張って歩く。


2005年10月25日(火) カラダの変化

 また風邪をひいたようだ。喉の腫れはさほど気にならないのだけれど、カラダがだるくてしかたない。あきらかに別の風邪だ。
 これまでずっと冷やして飲んでいたお茶をこの頃は暖かいまま飲んでいる。絶対王様の差し入れでもらったハーブティに、「カラダの毒を排出する」というふれこみのミントのお茶などなど。
 喉の腫れで寝込んでから、カラダの調子に敏感になった。これまでも、そしてこれからもずっと付き合っていかなければいけないこの「のりもの」は、どうやらそんなに頑丈なものではないとわかった。もしくは、乱暴に扱いすぎてガタがきてしまったか。
 ともあれ自信満々で元気いっぱいなときに気をつける健康とはちょっと違った気持ちで、カラダに気を遣うようになったことは間違いない。
 朝、駅前の駐輪場の契約の更新をしようと思ったら、それまでの屋外のスペースはすでにいっぱいになってしまっていた。ダウンしている間は自転車でなく、もっぱらバスを使っていたので、放っておいたのがいけなかった。
 屋内も階段orスロープを上る2階しか空いていない。しかたなく、2階を申し込む。
 自転車を押して、スロープを上っていく。街の歩道橋ほどの高さはないので、そんなに大変でもない。前だったら、めんどくさいなといらいらする仕事だったろうと思いかえす。今は「これも運動」とわりきれている自分がいる。


2005年10月24日(月) 富士見丘小学校演劇授業

 1、2時間目を使って、2月の「6年生を送る会」の発表についての話し合い。今日は「テーマ」を決める。
 1時間目は、それぞれのクラスで意見を出し合う。僕は2組担当。みんな黙ってしまって、何も意見が出なかったらどうしようと、実は心配だったのだけれど、いい言葉がどんどん出てきてほっとする。
 僕は、教室の一番後に座って、森江先生の授業の進め方を拝見する。
 小学校の先生というのは本当に大変なんだなあと改めて思った。森江先生は今日の3,4,5時間目の図工の授業の内容も把握して、「忘れ物はない?」と、この朝の時間で確認をしている。
 僕の小学生時代を思い出す。担任の先生に、一日中をちゃんと守ってもらっていたんだなあと。子どもの頃には全然気がついてなかったんだなあ。
 授業中の子どもたちのようすも、いい機会なのでよく見てみる。集中している子、していない子、これだけいろいろいる子ども達をまとめていくのは、ほんとうに大変だ。演劇の授業の、わーっと盛り上がっている雰囲気とはちょっと違う、子どもたちの日常が見れて、とてもよかった。
 僕が座っていたのは、さのくんとあんどうくんの間。二人とも「テーマ」になるいい言葉をいっぱい思いついている。「しあわせってどういう字だっけ?」と聞かれて答えたり、「発表しなよ!」とあおったり、僕もこそこそいろんなことをする。
 1時間目の終わりに6つの言葉をまとめて、2時間目は特活室に移動。1組と一緒にテーマを一つにしぼりこむ。
 1組から出た1つのテーマ案についての意見がいっぱい。いくつもあるテーマがだんだんしぼりこめてきたなあというところで、時間がきてしまった。
 それでも、方向性はずいぶん見えてきた。これから、芝居づくりの作業をしていく中で、決まっていけばだいじょうぶと、先生方とお話する。
 今日は、図工の前田先生と音楽の畑先生も授業を見にきてくれて、子ども達の相談に乗ってくれていた。去年よりももっと先生方みんなと子ども達と一緒につくっていくんだなあというかんじがして、わくわくした。
 授業のあと、これからのスケジュールの確認をして、学校を失礼する。
 帰りに、今日の授業を見学されていた演劇教育連盟のみなさんと打ち合わせ。去年の授業、発表会、今日の授業のことなど、いろんな感想をうかがう。富士見丘駅前のケーキ屋さんの喫茶室、何度も来ているうちにとても居心地のいい場所になってしまっている。


2005年10月23日(日) アムネスティ朗読ワークショップ

 アムネスティ・インターナショナル日本主催朗読ワークショップ「ストップ!女性への暴力〜聞こえますか?彼女たちの声」@文京区男女平等センター
 2月に構成演出したリーディングで使った世界の女性たちが書いた詩を、「とにかく読んでみよう」というワークショップ。
 講師は僕と伊藤馨さん。20名弱の参加者と一緒に、まずはウォームアップ。それから「まずは声を出してみよう」というところから、選んでおいた詩を読んでみる。
 詩の書かれた背景を知って、その上で「書き手の気持ちを考えて」読むということはしない。
 テーマは「とにかく読む」だ。カラダを通して、声にして、誰かに伝えようとする。そのことを徹底してやってみる。
 全員で読んだあと、2つのグループに別れて、僕と伊藤さんがそれぞれリードしながら作り上げていく。15分ほど練習して、発表。なかなか感動的なものができあがった。
 伊藤さんは、伊藤さんのやり方で、僕は僕のやり方でやっているかんじがおもしろい。僕が「とにかく出していく」アプローチなのに対して、伊藤さんは「緻密につくりあげていく」やりかた。
 途中でグループを変えて、また別の2つの詩に取り組む。両方の進め方を体験した人は「全然違う」という感想をもったよう。
 最後に、全員でトレーシー・チャップマンの詩を、一人一行ずつ担当して読む。というか、一行ずつなので「覚えて」しゃべってもらう。
 テキストを目の前にして読みながら、声を前に出していくというのは、どこかテクニックとしてのウソがあるような気がしてならない。そのへんを、わかりやすくカラダで感じていくには、覚えた言葉を自分のものとしてしゃべってもらうのがいいと僕は思う。テキストを読むときとの「全然違うかんじ」をみんなに体験してもらいたかった。
 最後に、フィードバックで感想を言い合って、おしまい。
 どうなることかと思っていたのだけれど、とってもおもしろいワークショップになったと思う。
 なんだかわくわくしてしまい、解散した後、ドトールに移動して、なおも朗読のこと、芝居のことをわいわいしゃべってしまう。
 みなさん、お疲れさまでした。


2005年10月22日(土) 白い菊

 夕方、近くのホームセンターに買い物にいく。食品館で夕飯の買い物をして、園芸館で切り花を買う。
 仏壇用の花を選んだのだけれど、街の花屋さんの作り方より、少しだけ派手なかんじ。定番の白菊、黄菊、スプレー菊、小菊、カーネーションにリンドウ、それに白ユリ。
 自転車のかごに軽い気持ちで入れたら、まっさかさまに落ちてしまった。拾い上げると、白い菊の首がもげてしまっている。がっかり。
 家に帰って、小鉢に水を張って、花だけを浮かべ、玄関に置いてみた。
 以前は、辛気くさい気がしてあまり好きでなかった菊だけれど、こうしてちゃんと見てみるとなかなかいいもんだと思う。
 花をいじった指先に菊の凛とした香りがうつるのもうれしい。秋の匂いだ。


2005年10月21日(金) ミステリー

 眠れない夜や電車の中でやたらミステリーを読んでいた。大体、ブックオフで買っては放っておいた本。綾辻行人やアガサ・クリスティやピーター・ラブゼイ。おもしろいものもあれば、よまなきゃよかったと思って、そのまま電車に置いてきたものもあった。
 その中で、うわ、やられたと思うくらいすごかったのが、昨日読み終えた東野圭吾の「白夜行」。これはもうほんとにすばらしかった。
 どうして上下巻に分けないんだろうと思うくらいの厚さの文庫本。でも、よくわかった。一気に読めてしまうんだもの。
 印象としては、宮部みゆきの「火車」に近いのだけれど、もっと「ノワール」なかんじは深い。
 スタジオライフが、第一部、第二部に分けて上演中のこの作品。いったいどうやって舞台化してるんだろうと、むちゃくちゃ興味がわいた。しかも、オール男性キャストで。第一部を見に行けなかったことが悔やまれる。第二部だけでも行ってみようかな。


2005年10月20日(木) マイズナーWS

 10時から、藤野節子さんによるマイズナーのワークショップ@芸能花伝舎。
 教室の机と椅子を片付けて、自己紹介もなしに、さらっと始まる。
 マイズナーさんについての簡単な商会のあと、リピテーションゲーム。二人で向き合って、相手が自分についていった「あなたは指輪をしている」という言葉を、ただただ繰り返す。ルールは、相手に集中する、観察する、反応するの3つ。
 言葉の意味はどんどんどうでもよくなって、言葉じゃないところでのコミュニケーションが成立していくのがとってもおもしろい。
 僕が一緒になった初めの二人は、ほんとに初対面の人なのだけれど、どんどんやりとりが発展していって、とってもおもしろかった。
 藤野さんに感想を求められて、とにかく「楽しかった」と答える。自分が何かしたことが相手にとどいて、それが帰ってくるのはなんてうれしいんだろう。2人目のあとには、最初の相手とはたまたま相性が良かったのかもしれないと思ったのだけれど、これは誰とやってもおもしろいんだと気がついたと話す。
 3人目はスタッフもしている明樹さん。感想は、それまでの2人に比べて、表情の小さな変化に集中しないで、なんだか丸ごと全部を受け止めていて、ずるしてるような気持ちになったと話す。一緒に芝居をしたことはないのだけれど、知ってる人というだけで、どこか緊張のしかたが変わってくるのがおもしろかった。
 今日は、このゲームだけでおしまい。それでも、とっても充実した時間だった。これから年内いっぱい、週に一回のペースで続くこのワークショップ。マイズナーさんいわく、「このリピテーションゲームは、バレエダンサーにとってのバーレッスンのようなものだ」とのこと。
 たしかにそうかもしれない。どうやろうかと企むよりも、相手の反応にどう応えていくかということに敏感なカラダを維持することは、とっても大事なことだろうと思う。
 まだまだいろんなことをやっていきそうなこのワークショップ。リハビリをかねて楽しみながら、いろんなことを体験していきたいと思う。

 午後から、富士見丘小学校で卒業公演の打ち合わせ。開校記念日でお休みのところを、わざわざ先生方が出てきてくださっての話し合い。
 演劇授業全般についての意見を交換して、卒業公演についての話をすすめる。
 これまで、こんなにちゃんと思ったことを言い合えた機会はなかったような気がする。貴重な意見をいっぱいいただいた。もっともっと、教育の現場のことを知らなくてはいけないとあらためて思った。
 後半、校長室に移動して、具体的なスケジュールの確認。いよいよ動き出した。 いい舞台をつくることももちろん大事だけれど、つくりあげていく過程もいい授業の積み重ねになっていくよう、頑張りたいと思う。

 下高井戸から世田谷線にまるまる乗って、宇宙堂公演「風回廊」@世田谷パブリックシアターを見に行く。
 渡辺えり子さんの新作。アコーディオニストのCOBAさんと川原亜矢子さん、それに大駱駝艦のみなさんが客演。
 たばこ工場を中心に栄えていた町がすっかり廃墟になってしまっていて、そこに身代わり見舞い人のえり子さんがやってくる。
 タバコが吸いにくい昨今の状況に、小泉政権のことやら、テロや、誤爆による死など、とっても「今」なお話が、次から次へとくり広がる。
 大駱駝艦のみなさんが演じる「老人」のカラダの見事さに圧倒される。ほんとうに老人のカラダなんだもの。
 アコーディオンにギターに津軽三味線という音楽も、とってもすばらしかった。
 終幕、もう大人になった少年=COBAさんと少年(加藤記生さん)が二人で登場したところで、ほろほろと泣けてきた。終幕の川原亜矢子さんは、ほんとにきれいなヒロインだったなあ。ほろ苦い、とてもせつない舞台を堪能した。
 終演後、野中さん、平田さん親子と一緒に楽屋にうかがい、えり子さんにご挨拶。感想をわいわいしゃべってしまう。
 帰りの電車は、盛りだくさんな一日のせいか、なんだか目がさえたような気分。台本のアイデアをいくつも思いつく。


2005年10月19日(水) 富士見丘小学校演劇授業

 富士見丘小学校の演劇授業。前回、参加できなかったので、二学期初だ。
 朝、早く家を出たら、外はまるで冬のようだった。
 前回は、真夏だった印象があるので、ずいぶん間があいてしまったような気が余計にしてくる。
 授業は、山本健翔さんによる「言葉から発想する即興劇」。1クラス2時間ずつ、計4時間。
 谷川俊太郎さんの「すいっち」「生きる」という2つの詩を使って、朗読ではない「即興劇」をつくりあげる。
 まずは「すいっち」を2人組で。上手にしゃべることよりも、その言葉が言える気持ちになるにはどうしたらいいんだろうねということを、即興のやりとりをしながら考える。
 詩のなかで、これを言いたいという1行から3行のフレーズを、オリジナルの詩の意味とは全然違った「解釈」で、カラダを通していく。思いもよらない楽しい発想がいくつもあって、大人は感心してしまった。
 後半は「生きる」を。生きる元気を失った大人を「励ます」という気持ちで、1行ずつ呼びかけていく。僕は大人として、彼らの声を聞きながら、連の頭の「生きるということ いま生きているということ」というフレーズを繰り返す。はじめはごろんと床に横になって。
 プリントを持ちながらなので、まっすぐには声はなかなか届いてこないのだけれど、ときどき、びっくりするような強さで届く言葉があって、びっくりする。その「届いたよ」と思える瞬間を積み上げて、最後は起きあがることができた。
 久しぶりの子どもたちに「金髪やめたの?」などと、いろいろ質問される。「金髪の方が絶対にいいよ」とかなり真顔で言われてしまい、ちょっと真剣に受け止めたりする。また戻そうかな?

 夕方、高円寺にCDを受け取りに行き、久しぶりにマミーと話し込む。わいわいと楽しい。
 帰ったら、風邪を引いている母親がキッチンでテレビを見ていた。テレビ東京の「山村美紗サスペンス」。「この人誰かしら」というので見てみたら、脇役っぽい年配のおじさん。「梅津栄? 志賀勝?」とよく見ないで言っているうちに「丹古母鬼馬二」だと気がついた。「丹古母鬼馬二じゃない?」「そう、丹古母鬼馬二」と母親もすっきりしたようす。僕は、母親が「丹古母鬼馬二」を知ってたってことが妙におどろき。キッチンのテーブルごしに「たんこぼきばじ」が何度も行ったり来たりして、なんだかおかしかった。

 夜、NHKの「ようこそ先輩」。装丁家の菊池信義さんが、谷川さんの「生きる」の装丁をするという授業をしていた。
 今日やったばかりの授業の発展形を見るような気分。
 子ども達への向き合い方を見ながら、今日の授業のことをいろいろ思い出す。

 樺澤氏と電話で打ち合わせ。これからのこと、いろいろ。
 受け取ったCDを聞いてみる。やっぱり音質というか、演奏のレベルはどちらもいまいち。それでも「コーラスライン」の方は、これとこれは使おうというめどが立った。「プロデューサーズ」の方は、「ヒットラーの春」に合わせて、劇中劇「ミュージカル『Wの悲劇』」をやってしまおうかと思っていたのだけれど、もう少し考える。


2005年10月18日(火) また風邪?

 僕の風邪はどうやらやりすごせたようなのだけれど、母親がダウン。鼻水と咳の風邪を引いてしまったようだ。
 仕事がえりの池袋の駅前は、雑司ヶ谷鬼子母神の御会式(おえしき)の山車と太鼓の音でにぎわっていた。リヤカーや小さな車の荷台に、運動会によく使う紙の花を「傘」のように飾り付けてて、とってもおしゃれ。雑踏のにぎわいの中でも、太鼓の音は、しっかりおなかに響いてきて、気持ちが良かった。
 先週の自分のつらさを思いだして、果物を買い込んで帰る。ミカンとバナナ。けっこうな荷物になった。
 バスを乗り継いで帰り、みかんを食べる。結局、自分が食べたかったんだなあと思いながら食べた。
 痛くなったら飲みなさいと言われたクスリを、ひさしぶりに1錠飲んだ。


2005年10月17日(月) カラオケ到着

 やっぱり別な風邪を引いたんだろうか。ちょっと熱が上がってきたので、用心して一日休むことにする。
 外は今日も雨。体調が悪いのも天気のせいじゃないかと思えてくる。
 高市氏から、お願いしていた「贋作・Wの悲劇」用のミュージカルのカラオケが届いたとの連絡をもらう。
 「Wの悲劇」は日本が誇る「バックステージもの」なので、拝借する曲も「コーラスライン」と「プロデューサーズ」でいこうと思っている。曲目は未定。


2005年10月16日(日) 純毛の匂い

 一日、猫と一緒に部屋にこもっている。出かけようと思っていたのだけれど、雨降りなので、だらだらとやめてしまう。
 たまった洗濯ものを無理矢理洗う。外は雨降り。部屋干ししていたら、部屋で寝ていた猫に洗濯ものの洗剤(or柔軟剤)の匂いが移った。さすがウール100%。まだセーターの季節ではないのに、なんだかセーターを洗って干しているような、不思議な感覚。


2005年10月15日(土) 休みの日

 病院にいかなくてもダイジョブかしらとちょっと臆病になって、一日、部屋にこもっている。たまった原稿にむきあう。
 昨日から、風邪のひきはじめのようなカラダのだるさがある。クスリは飲んでいるから単純な肩こりか疲れだろう。葛根湯を飲もうかと思うが、このところクスリづけなので、「混ぜるな危険」な気がしてやめておく。
 つい、夜更かししてしまい、朝方、ちょっと喉が痛くなってきたので、あわてて眠る。


2005年10月14日(金) 点滴終了

 昨日の採血の結果も大体いいということで、今日で点滴はおしまいということになった。あとはクスリを飲み続けて、来週の金曜日にまた来院とのこと。すっかり顔なじみになった看護師さんに「ようやくってかんじですね。おつかれさまでした」と言われる。「点滴日記」も一週間で終了。よかった……。両腕はすっかり青アザだらけだ。
 病院からの帰り、新越谷の駅前で、乗馬クラブの宣伝デモンストレーションをやっていた。薄い茶色のポニーが一頭。チュッパチャプス号。とっても小さな馬なのだけれど、それでもやっぱり大きくて、さわると、みしっとした筋肉が手に気持ちよかった。想像よりもずっとごわごわした体毛やたてがみをさわって、なんだかうれしくなる。大きな生き物にさわるのは、それだけでもううれしい。
 夜、打ち合わせを2件。絶対王様でお世話になったプロデューサーの浅野さんと渋谷で。その後、新宿に出て、伊藤馨さんと来週のアムネスティの朗読ワークショップについて。中学校のようすもいろいろ聞かせてもらう。


2005年10月13日(木) 点滴6

 採血のあと、今日も点滴。血を採ったせいか、猛烈に眠い。さっき起きたばかりじゃないかと思いながら、今日も二時間たっぷり眠り込んでしまう。
 今日で終わるだろうと思っていたのだけれど、「明日も来なさい」ということで、もうひといき。
 「病気日記」になってしまっているこの日記。タイトルはもうしばらくこのままの「点滴シリーズ」で。もうじき終わると思うのでね。
 夜、打ち合わせの電話をいくつも。gaku-GAY-kaiの「贋作・Wの悲劇」の新しいアイデアを思いつく。
 ミュージカルのカラオケCDの輸入を高市氏にお願いする。曲目は未定だけど、今年もたっぷり「ミュージカル!」だ。
 ノグから客演の舞台の情報が届く。早速、HPにアップした。


2005年10月12日(水) 点滴5

 抗生剤のみの点滴に移行。早く終わるかと思ったらそうでもなく、同じだけの時間がかかる。
 終了後、すっかり午後遅くなってから仕事に出かける。電車に乗っている時間の方が絶対に長い、カラダならしのようなかんじ。
 先週のセミナーでお話を聞いたネットワークユニットDUOの川南さんからメールをいただく。親切な言葉がとてもうれしかった。
 夜、近況報告を高市氏に。病気のこと。芝居のことなどなど。マミーとも久しぶりに話をする。


2005年10月11日(火) 点滴4

 昨日までの休日診療の部屋ではなく、耳鼻科の部屋の片隅で点滴。他の患者さんたちの声を聞きながら、今日も二時間半横になっている。
 声はほぼもどってきたかんじ。妙に軽くなったカラダでひょろひょろと帰ってきて、部屋でもすぐ横になる。いくらでも眠ってしまえることが、ちょっと信じられないくらいだ。


2005年10月10日(月) 点滴3

 今日も点滴に出かける。昨日の点滴の袋たち(計4つ)にくっついていた紙に病名が書いてあった。「扁桃周囲膿瘍」。帰ってからネットで調べたら、扁桃腺がこじれて炎症が扁桃の被膜を越えて周囲に拡がり、被膜の外に膿が溜まって大きく腫れてしまうことのよう(かなりおおざっぱ)。早く手当しないと膿があちこちにひろがってめんどうなことになるらしい。
 今日は、とっても休日らしい病院。お見舞いの人がいっぱい。休日診療の部屋は、子どもづれのお父さんお母さんが昨日よりも多いようだ。
 今日の担当の先生は若いレジデンスの彼。どうですか?と聞かれ、だいぶ楽ですと答える。そのくらいの声はようやく戻ってきた。「この病気はぶり返しますからね。気をつけてください」と言われる。たしかに、昨日の夜あたりから、喉がまた少しずつ腫れてきてるような気がする。
 2時間半かかって点滴終了。今日もまた読書はせず。カーテンで仕切られたベッドに寝かせてもらう。
 お見舞いのメールをいくつももらう。ご心配かけてすみません。
 自分のカラダのことをちゃんと考えるいいきっかけになった思って、これから無茶をしないで、このカラダときちんとつきあっていこうと思っています。


2005年10月09日(日) 点滴2

 点滴されに(しに?)出かける。休日診療の部屋で、何人もの人が椅子に座って点滴しているところで、「横になってください」と言われて、なんだか申し訳ない。
 昨日よりは早かったけど、それでも2時間半ほどかけて終了。きっと時間かかるよねと思って、本を持っていったんだけど、いちども開かず。今日、わかったこと。点滴しながら読書はできない。
 水を飲み込むのがつらくなくなったので、固形物に挑戦。レトルトのスープを買って帰る。
 だいじょぶそうだったので、ご飯を少しまぜて食べてみる。いいかんじ。ひさしぶりの食事だ。
 ずっと眠ってたツケで今夜は眠れない。メモでかきためていた日記をまとめてアップする。しばらく点滴は続きそうだけど、仕事には戻れそうだ。
 こういう夜にかぎって何もやってないTVはあきらめて、ビデオを流しっぱなしに。戸田恵子さんが見たくて、「オケピ!」を何となく見てしまう。


2005年10月08日(土) 点滴1

 昨日の開演前に飲んだのが最後のクスリだった。今度切れたらどうしようかと思って眠ったのだけれど、やっぱり猛烈に痛み出した。眠れない。横になるとツライので、浅く腰掛けられるようにクッションと枕を積み重ねる。エレファントマンみたいだ。朝方になってちょっとだけうとうとする。
 きちんと耳鼻咽喉科に行こうと朝一番で家を出る。最初に行った耳鼻咽喉科で鼻からカメラを通して喉を見てもらう。とんでもないことになっているそうだ。すぐに切開して一週間は入院だと言われる。それもここではできないので、近くの大学病院に行くようにと。受付は10時半までだから急いでと。
 とにかく出かける。母親に電話をかけるが、声が出ないので話が通じない。それでも最寄り駅で待ち合わせをして、ついてきてもらうことに。
 初めて行く病院は、人でいっぱい。どれだけ待つだろうかと思ったのだけれど、すぐに診察室へ。
 さっきと同じカメラで喉を見てもらって、すぐ点滴開始。30分後に「じゃあ、穴を開けて膿を出しましょう」ということになり、麻酔を塗って、注射針をブスリと。それだけでどんどん出るのかと思ったら、ぎゅーんと吸い出す! 猛烈に痛い。それでも、十センチほどの注射器いっぱいに膿と血がまじって吸い出される。ぐったりしたけど、のどの痛みは軽くなったかんじ。
 入院した方がいいと言われたのを、「仕事があるので」となんとか断って、毎日点滴に通うことになった。
 ベッドに横になって点滴している間に、喉がまた猛烈に痛み出した。今までとは違う痛み。さっきまで腫れてたところが、埋め合わされてくような。
 その痛みもようやく薄らいできて、少しねむった。汗をいっぱいかく。ひさしぶりだ。いままで水が足りてなかったんだなあと思った。
 11時過ぎに診察が始まって、点滴が終わったのが4時半。母親には長くなりそうだとわかった時点で先に帰ってもらった。
 なんだか半日入院した気分だ。薬局でクスリをもらって帰ってくる。
 担当の先生は女医さん、他にも何人もの看護師さんの気配りにいやされた。都立H病院で看護師をしてるイリーナも、こんなふうに仕事してるんだろうなと思った。
 家に戻って、すぐクスリを飲む。眠る。あんなに眠ったのに、まだ眠れることに驚く。
 明日予定していた打ち合わせの延期をお願いするメールを送る。まだ声は戻ってこない。


2005年10月07日(金) 置き換える技術

 二兎社の「歌わせたい男たち」のゲネプロを見せてもらう。
 戸田恵子さんが登場しただけでもう泣けてくる。近藤芳正さんにも。1時間50分の上演時間、つらいと思うことはいちどもなく、喉の痛みも忘れて、笑い、泣いていた。
 日の丸君が代問題に真っ向から取り組んでいるのに、舞台上で展開するのは、とっても身近なやりとりだ。もちろんイデオロギーの対立もあるのだけれど。重要な役割を果たすメガネ。戦後初めて流れたシャンソンというのは、憲法や教育基本法のことのように思える。
 とっても「べらぼう」なことになっている今の教育現場を、とてもシンプルに描いたこの芝居で、一番の主役は「教育行政」だ。とんでもない悪役なのだけれど、この芝居は、その「悪さ」を徹底的に描くのではなく、振り回される人たちを描いている(振り回されない人も)。
 戸田恵子さん演じる、元シャンソン歌手の音楽講師という、何も知らない立場からの視点が、観客の視点に重なる構造も見事だ。
 終演後、永井さんにご挨拶。もちろん声は全然出なくて、なんとか挨拶だけ。駅までの道を、今日はほんとに泣きながら歩いてしまう。言葉にならない思いも、言葉にならないとやっぱりつらいんだ。ああ、いい芝居だった。


2005年10月06日(木) 休まないと

 とにかく休むことに専念。何もしない。もらった薬を決められた量、飲んでいたら、薬が切れた時間が明確に分かるようになった。ツライのでどうしても飲んでしまうのだけれど、半分の量で我慢する。
 それでも、痛みが薄らぐとほっとする。クスリに溺れるのってこういうことかなと思ったりする。
 夜、うかがう予定だった二兎社の「歌わせたい男たち」のゲネプロ、明日に変更してほしいと連絡をする。ツライからだで芝居を見るのはできればやめたい。日曜日の風琴工房の舞台も、もっと元気なときに見たら、違った感想を持ったかもしれない。


2005年10月05日(水) エベレストに登ろう

 仕事を休む。眠り続ける。葛根湯のおかげで、肩こりやひざの痛みはきれいさっぱり治った。ただ、喉が痛い。午後から近くの内科に行く。抗生物質をもらって、すぐに飲む。
 家に帰ろうか一瞬悩んだのだけれど、予定通り、新宿へセミナーを聞きに出かける。ネットワークユニットDuo主催の「俳優がぐんぐん育つトレーニングのプログラム法!」というもの。初めて行く会場「芸能花伝舎」は、成子坂のむこうの元小学校。二十年近く前通っていた養成所はこの近くにあった。こんなに変わった街もそうはないんじゃないだろうか。
 舞台芸術コーディネーターの川南恵さんが、ヴォイス・ティーチャー池内美奈子さんをゲストに迎えてのセミナー。最初に自己紹介をすることになって、声が出るか心配だったのだけれど、思い切って出したら、なんとかなった。今日の分はもうおしまいってかんじ。
 受付をしていた明樹さん、またばったり会った松本くんと入交さんにご挨拶。声がでなくてごめん。
 お話は、「プロの俳優」を対象にしたトレーニングということで、「プロ」ってなんだろうというところから始まった。「近くの『ぽんぽん山』に登るのとエベレストに登るのは違うということ」。登山ということでは同じだけれど。山には誰でも登れるけれど。それぞれに素晴らしさも、楽しさも、喜びも、やりがいもあるけれど。「エベレストに登ろう」。それが今日もらった唯一の言葉かな。「ぐんぐん育つトレーニングのプログラム法」を、僕は受け取ることができなかった。
 新国立劇場の養成所の二学期の時間割を見せてもらった。とっても中身の濃いスケジュール。個性的な講師に「まだまだこれからな若い人たち」が、驟雨のような授業を受けてる。これだけの授業を受けたら、そりゃぐんぐん伸びるんだろうなあと思った。でも、僕が聞いてみたかったのは、何十倍もの難関をくぐり抜けた15人が受けているこの授業のことではなくて、その15人になれなかった人たちが、どうやってトレーニングしていけばいいのかってことだったんだってことなんだとも思った。
 それでも、時間割の向うには、今この授業を受けているロジャー・リーズのWSで知り合った山本くんの顔が浮かんで、がんばれ!という気持ちといいなあ!という気持ちが入り交じった。
 終了後、喉の痛みがひどくなったので、ロビーに薬を飲みに出た。部屋にもどったら、松本くんたちは帰ってしまったようだったので、一人で帰ってくる。
 本気で寒くなった。熱もまた上がってきた。なんだか泣きたい気持ちになって、西新宿から都庁前までの誰も歩いていない地下道をよろよろ歩いた。僕もエベレストにのぼろうと思いながら歩いた。
 帰宅して、熱は38度3分。新記録。


2005年10月04日(火) 打ち合わせの日

 朝方、少し熱が下がったので、起きて、出かける仕度をする。まだ書き上がらない原稿。助成金の申請の準備などなど。まずは出かけないとくじけて一日家にいてしまいそうだったので、少し早めに家を出た。
 劇作家協会で篠原さんと、富士見丘小学校の打ち合わせ。参加できなかった2学期最初の授業のことを聞き、これからの進め方の確認。絶対王様の感想や、最近見た舞台の感想を言い合う。
 食事に出る。近くの創作料理の店「兎」というところへ。食べられるかな?と思いながら、ミラノ風カツレツのプレートランチをたのむ。コーヒーとカスタードプディング。おしゃべりしながら、なんとか食べ終える。とてもおいしかった。ギャルソンくんが速見もこみちをぐーんとかっこよくしたかんじ&スタッフも全員親切で素敵なお店だった。また来たいな。
 急遽、篠原さんも行ってみるということになり、駒場エミナースへ、文化庁の助成金説明会へ。
 分厚い資料をもらい、客席へ。書類を見ながら、説明を聞く。途中で、外に出て、書きかけだった原稿を大急ぎで仕上げて送る。
 終了後、扉座の田中さんにあいさつ。他にもあちこちでご挨拶大会。篠原さんと別れて、別の打ち合わせをしに渋谷へ出る。どうなることやらと思っていたことがだんだんかたちが見えてくる。さあ、どうなるか。楽しみ。
 地下鉄に乗る頃から、歩くのもつらくなってくる。また熱が上がってきたかんじ。座って帰れる区間準急を待って、電車に乗った途端、ダウン。北越谷からバスに乗って、ようやく帰り着く。熱は38度ジャスト。喉が猛烈に痛い。しゃべりすぎたか。食欲はなし。ていうか、唾ものみこみにくい。
 夜遅く、森川くんに電話。少し長話。電話を切ってしばらく経ったら、声が出なくなってることに気がつく。まあ、なんとかなるさと、葛根湯を飲んで寝る。


2005年10月03日(月) 風邪っ引き

 風邪を引いた。この間から体中がだるくてしかたなかったのだけれど、ただの疲れだと思っていた。仕事からの帰り、寒くて寒くてしようがなく、用心にもっていたGジャンをひさしぶりにちゃんと着た。
 歩くのもつらくて、ようやく家にたどり着き、熱を計ったら、38度あった。あらら、今日、やることいっぱいあるのに勘弁してよと思いながら、葛根湯を飲んで、まずは横になる。食欲はなし。
 猫が枕元で丸くなってくれているのがうれしい。お尻というか、後足というか、カラダの側面に頭を押しつけて寝てみる。いつもはあたたかく感じる猫の体温が、今日はかえってひんやりしている。


2005年10月02日(日) 風琴工房『ゼロの棺』

 千穐楽の舞台。トラムのステージ上に十字に組んだ舞台と宙に浮いた小道具たちが美しい。
 とても抽象的なセリフと、まったく具体的なセリフが共存する難しい舞台。俳優のみなさんは、それぞれ、言葉をどう肉体化するか苦労しているように見えた。
 死刑制度を題材として扱いながら、人物の内面に決して踏み込んでいかない作劇が独特。
 明樹由佳さんが殺される愛人役。「金で磨いて男で洗った」孔雀のようなカラダが、活き活きとしていた。殺されたあと、死体になってからも。
 会場で、平田さんとばったり会う。富士見丘のいろいろを立ち話。6年生以外のワークショップの予定を確認する。来週が楽しみだ。


2005年10月01日(土) 土浦全国花火競技大会

 友人に誘われて、土浦市の「全国花火競技大会」に出かけた。ドライブも花火もひさしぶり。わくわく楽しい。
 東京の花火のような、殺伐としたかんじ(?)はなく、どこまでものどかな風景。
 通行止めになった道路にビニールシートを敷いて、おにぎりやおいなりさんを広げて、花火見物。
 先に言われていたとおり、これまで見た花火はなんだったんだろうと思わせるような「超大作」が惜しげもなく、打ち上げられる。
 地元のラジオで中継をしていて、、それぞれの「玉名(ぎょくめい)」をアナウンサーが解説してくれる。
 おもしろかったのは、僕がすごいと思ったものは、みんながすごいと思ってるし、いまいちだなあと思ったものは、会場全体に今いち感がただようこと。
 僕が特別なんでなく、この一体感はなんだろう? アナウンサー(男性)は、今いちなものが上がるたび、言葉につまり(?)「なるほど……」というセリフを連発していた。
 まわりに座っているのは、ほんとに老若男女、カメラを構えているプロっぽい人もいっぱい。
 子どもたちは、ほんとに素直に「すっげえ!」とか、「でっけえ」とか、思ったことを口にしてにぎやかだ。「ほんとに子どもって……」と思ったのだけれど、僕も友人(女子)と一緒に、思ったことをすぐ言葉にして盛り上がっていることに気がついた。
 音楽の展開にぴったり沿って打ち上げられるスターマイン、「マツケンサンバ」や「お祭りマンボ」、「ハンガリアン舞曲」まで、それはそれは見事だった。「ゆかいなサザエさん一家」では、サザエさんのテーマ曲に合わせて、似顔絵を「模した」花火がどんどん打ち上がる。もう終わりかと思ったら、エンディングの曲までいっぱいに使ったのはすごかった。
 創造花火という「一発もの」ジャンルでは、「北海道海産物フェア」(△が二つ重なって、足が最後に出てくるイカや、○の下に足が出るタコなど)が、おかしかった。
 「寒いから」と言われて冬物の上着をもっていって、ほんとに正解だった。トイレは遠いし、寒いのでビールを片手にということでもなく、ほんとに花火だけを楽しんだ二時間。これで一年分の花火はもう見た、そんなかんじ。
 帰りは渋滞でどうなるかと思ったものの、裏道を抜けて、11時前には家に送り届けてもらった。
 快適なドライブも満喫。誘ってくれてどうもありがとう。


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