せきねしんいちの観劇&稽古日記
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台風一過の空が夜明けと一緒にぐんぐん晴れていくのを見ていた。 小松川高校の演劇部の稽古に顔を出す。 夏休みも今日でおしまい。 そろそろ通し稽古ができるということなので、ひさしぶりに顔をだした。 三年生のナッちゃんとこないだ卒業したアキナちゃんと一緒に、体育館の舞台で、見学。 古城十忍作「肉体改造クラブ 女子高生版」。 途中から、一番気になっていた場面に登場する「主任」くんを相手に、どうやって笑うかというエチュードをいろいろさせてもらう。お父さんがテレビと見ながら、笑っている。そのおかしさを娘を共有したいのだけれど、娘はずっとふてくされて、相手にしない。お父さんの台詞は「笑い声」だけ。しかも、同時にもう一組の母子の会話が展開する。この台本を上演すると決まったとき、一番難しいのはここのお父さんの芝居だと思った。少し見せてもらったその場面で主任くんはずいぶん苦労しているようだったので、お手伝いさせてもらった。 理屈でああでもないこうでもないと積み上げていく演技は、それはそれとして正しいと思うけど、どこか窮屈な気がしてならない。 エチュードで大きくつくった演技の、余分なところの角をとって、演技プランに生かしていく方がずっと生き生きとしたものになるような気が僕はしている。何より、その方がやっていておもしろいんだもの。これは、見てる側の感想じゃなく、自分でやってる時の気持としてもね。 主任くんには、自分の中からだけで気持をつくろうとするより、相手役やそのとき見ているテレビから何かをもらって、気持を動かしてごらんと話す。 午後から、通し稽古を見せてもらう。まだ、衣装、小道具の全部はできてないながら、流れとしてはほぼできあがっている。ただ、まだ、みんなが自分一人でがんばった成果の発表が順番に続くだけなかんじ。台詞は入った、動きも覚えた。その先の、芝居づくりは一人じゃできない。みんなでつくっていくものだよと話す。 主人公の幻想の中で幸せな家族が繰り広げる誕生日パーティの風景、楽しさがいまいちぎこちない。みんなが自分の台詞と動きをなぞるのにいっぱいで、やりとりになっていかず、楽しさが盛り上がっていかない。 台本の設定と、一度ついている演出を忘れて、思い切り楽しくやってみてもらうことにする。 うなだれて登場する主人公を演じるヤブコちゃんには走り込んできてもらう。お行儀のいいお母さんをていねいに演じているアメちゃんには、もっとヤブコちゃんの身体にタッチしなさいと話す。 そうしてできた場面はなんだかむちゃくちゃ生き生きとしていた。すごいじゃん!これだよねえ!と見ていたみんなで盛り上がる。 一気におもしろくなったので、どんどんやってみる。 夢のように幸せな誕生日の場面の後、そっけない両親とのほんとうの誕生日の場面が続く。 ここまでを通してもらったら、夢と現実の落差がすごくて、とっても切ない場面になった。 時間が来たので、今日はここまで。何よりみんなの生き生きと演技する姿を見ることができてよかった。自分一人じゃなくて、みんなで芝居をつくっていくことのおもしろさを、どんどん楽しんで、いい舞台をつくりあげていってほしいと思う。
帰り、平井の駅前でおばさんの衣裳に使えそうなものを山ほどみつける。値段もお手頃、ゲットするかと思いながら、もう少し考えてからにしようと我慢する。 いずれにしても、サイズが問題。 フリーサイズでかなり大きめに見えるけど、僕が着るとけっこうパツンパツンだったりするから油断できない。 バストが大きいおばさん用っていうのを、胸囲が広い僕が着るのは、なかなか難しい。肩幅もあるしね。プリーツ素材だからって安心はできない。 衣裳については、土曜日に三枝嬢とうち合わせ。予算の少ない中、今回も通販で何点かゲットすることになりそう。 あ、報告が遅れましたが、次回のフライングステージ公演「約束」での僕の役は、またかというかんじでおばさんです。
夜になったら、どんどん肩が凝ってきて、気分が悪くなる。 特に右側。親指のつけねもパンパンに張っている。 このところパソコンに向かう時間が長いからそのせいだろうか。 バンテリンを塗ったら、ものすごくひりひりして、大後悔。しばらく使わない間に蒸発して濃ゆくなってしまったのか、それとも、僕の肌が弱くなっているのか。 あまりに、いたたまれないので、風呂に入って、洗い流した。 いつもより長めに湯船につかるが、肩こり自体は、少しも改善されない。
フライヤーデザインをお願いしているマツウラヒロユキくんから、デザインが届く。 なかなかいいかんじ。 文字の修正をいくつかして、ほぼ決定になるだろう。 台本をひたすら書く。 1場まで書いて、やや書きづまっていたのを、強引に先に進めていく。 今回は、いつもにまして、おかしな人たちがおおぜい登場する。 そのキャラクターと場の設定の特殊さがどんどん募ってしまい、肝心の物語が立ち上がっていかないいらだちをずっと抱えていた。 制作の高市氏に励まされ、とにかく書いていく。 書きながら、なかなか外に出ていこうとしないものを、無理矢理生み出していく中で、思いも寄らない人物の感情や背景が見つかっていく。 夜遅く、2場までをメールで送る。全体では6場を予定しているから、約三分の一。 その後、電話で高内氏とうち合わせをする。 フライヤーのデザインの準備も始まっている。 今回は、客演の方が多いので、出演者の写真をのせることにした。 みなさんから送ってもらった写真をトリミングして明るさを調整。 うちの劇団のメンバーの写真が、なかなか決まらない。 僕も含めて、一度、プロフィール用の写真を撮ってもらいたいねとノグとやりとりする。
外は台風のせいで大嵐。 風と雨の音がすごい。 雨が小止みなると、庭から虫の声が聞こえる。 不思議なかんじ。 窓を思い切り開けて、風がどんどん入ってくるようにしたまま、部屋の明かりを消して、パソコンに向かっている。 僕は、嵐の夜に、窓を開けて、嵐をかんじるのが好きだ。 風と一緒に、夜がどんどん部屋の中に入ってくる。 部屋の中が夜の気配にどんどん侵されていくかんじに魅かれる。 普通の夜に、窓を開けても、こんな気持にはならない。 嵐の中、外に立っているよりもずっと。 コクトーの「双頭の鷲」をtptで見たとき、冒頭の嵐の場面が見事だった。 麻実れい演じる王妃が、登場とともに、締め切っていた窓をどんどん開けはなっていく。 まどの向うにはまちがいなく嵐があった。ベニサンピットの舞台の向うに、僕はほんものの嵐をかんじた。 1幕の途中で雷鳴とともに部屋にとびこんできた死んだ王にうりふたつのスタニスラスを王妃はかくまう。彼が、自分の命をねらう暗殺者だということがわかって、はじめて彼女は、侍女に窓をしめさせる。まさしく嵐そのものが、部屋の中に封じ込められていく瞬間は、ほとんどエロチックといってもいいくらいだった。 嵐の夜、僕は、この場面を思い出しているのかもしれない。 もちろん、僕の部屋の窓からは、後に命を賭けた恋に落ちることになる暗殺者がとびこんでくることはなく、窓辺では猫があおむけになって寝ている。
台風で雨降り。雨降りでとっても寒い、こんな8月ってなんだろう?
夜中、録画しておいた、蜷川幸雄演出、野村萬斎主演「オイディプス」@ギリシャ ヘロデス・アティコス劇場)を見てしまう。 野村萬斎は、様式的な表現が先行して、何かが足りない気がする。 麻実れいは、見事。ラストの絶叫、あられもないかんじがものすごい。 他の男優陣も見応えがある。 ただ、男性コロスの叫んでばっかりなところにどうしても違和感がある。 もともとコロスって、自分の気持ちをきっちりと伝えてればいいんじゃないのかな? 叫びは自分の感情のたかまりなわけだけれど、主人公以上にたかまってる理由がわからない。 このあいだ、大沢健さんと話した築地本願寺で見た蜷川さんの「オイディプス」のことも思い出す。もう二十年近く前の舞台だ。 京の四条河原に集まる遊芸人たちという設定のコロスたちが、延々と泣き続ける演出に僕はほんとうにうんざりした。 主人公の悲劇をともに悲しむ群衆というのはまあいい。でも、それだっても、最終的には笑うんじゃないかな? 泣いて泣いたあげくに、すっきりする、もしくは笑う、群衆っていうか大衆ってそういうものなんじゃないかと思う。 その少し前に見た同じ蜷川さんの「にごり江」は、樋口一葉の切ない女たちの物語がつむがれた最後、舞台にいくつものテレビモニターがあらわれ、今の番組を映し出す、それと同時に響き渡る人々の哄笑の中、幕は下りる。 これだよね……と当時の僕は思ったんだった。今もその思いは変わらない。 だから、今回の蜷川さんの「オイディプス」はやっぱり納得がいかないものが残った。 野外劇場ということもあり、声に比重のかかった演技だったせいもあるかもしれない。 蜷川さんの「メディア」のコロスも、こんなに絶叫しない。 押さえた声で情念を伝え、一番重たい感情は津軽三味線の響きが担っている。 たしかに「オイディプス」は、「メディア」と違って、情念よりは、謎解きが優先される独自の構造をもつ悲劇だ。出生の秘密を探らずにはいられないオイディプスの情念が物語を動かしているのは間違いないが、コロスが一緒になって泣いても、妙に余計なことをしているような気がする。 だとしたら、どんなコロスが可能なんだろう? いろんなことを考えた。 この芝居のコロスは街の長老たち。風のように、もっとすっきりといることはできないだろうか。もっと枯れたかんじで。観客と一緒に悲劇を受け入れ、許していく、そんなコロスだったら、どうなんだろう。 ラストにコロス達が笙を演奏しながら、粛々と去っていく姿が美しい。でも、この情景があんまり唐突な気がするのは僕だけだろうか? 気持はつながってるんだろうか? この情景をベースに全編やってほしかった気がするなあ。
さんざんまよったあげく、OSの再インストールを試みる。 ソフトじゃなくて、ハードがおかしくなってる気がするので、これでほんとうに死んでしまったらどうしようかとハラハラする。 結果、死んでしまうこともなく、無事再起動。 ネットには、つながるようになった。 よかった! たまっていたメールをどんどこ送る。 書きためていた、とりあえずの日記もあれこれアップしてみる。
2004年08月25日(水) |
「ラストプレゼント」 |
風邪つづく。 うち合わせごめんなさい。
日テレの「ラストプレゼント 〜娘と生きる最後の夏〜」。 膵臓癌で余命三ヶ月と宣告された天海祐希主演。 別れた夫が佐々木内蔵介、彼の今の恋人が永作博美。 「娘と過ごす最後の夏」というサブタイトルだけあって、娘、歩を演じる子役の福田麻由子がとってもいい。 どれだけ泣かされるかというくらい泣いている。 「余命三ヶ月」ということの現実が、決して泣かない天海祐希を通して、見事に立ち上がっている。 これまで仕事優先でほうっておいた娘と最後の夏を過ごしたいという、わがままな母親の気持ちが、そのあんまりなわがままさ加減を通じて、痛みに変わる。 誰にも言わずにいたガンのことを、ようやく永作博美にだけは先週話した天海祐希。まるで他人事みたいに。 そういうもんなんだろうな……と思う。笑わずにはいられないでしょ?ってかんじで。 第一回のラスト、歌舞伎町でエステの勧誘の女の子に「今入会いただくと半年分無料になりますよ」と言われて断る「私、余命三ヶ月なの」や、第二話に登場する歩が書いた七夕の短冊「どうせかなわないから、何もお願いしない」など、上手い台詞がいっぱいだ。 永作博美が、ほんとにいい。あんた、いい人すぎるよってかんじなんだけど。このあいだ佐々木内蔵介との婚約を解消したかと思ったら、今度は、「四人で一緒に住もう」なんて言い出すし。この「いい人」の対極に天海祐希の「自分勝手な女」がいるっていう、配置が見事。 シナリオは、秦 建日子さん。男性だそうだ。 企画協力に、鈴木聡さんの名前があって、納得する。 去年の「スイカ」に続く、日テレの夏のドラマ、とってもいいかもしれない。野球の延長で放送時間がずれこまなければ、もっといい。
風邪でダウン。 高市氏に連絡して予定してたうち合わせを延期してもらう。 夏風邪か? 朝晩がほんとに涼しい。 井上ひさしさんの「頭痛肩こり樋口一葉」に「お盆がすぎると途端に朝晩の風がひんやりしてくるのだわ」という台詞がある。 毎年、今頃になると思い出している。
仕事、終わらず、レインボー祭りを断念。ほんとに残念だ。これから行っても花火も見られないしと思い、あきらめる。
夜中、録画しておいた大河ドラマ「新撰組!」の「友の死」を見る。 堺雅人演ずる、山南敬助が自害する。 泣けて泣けてしかたなかったのだけれど、納得できないところがいっぱい。 前々回で自害した平畠と山南敬助の命の重さが違いすぎる気がするんだけど、どうなんだろう? 山南が死んでしまったあと、近藤勇と土方歳三が大泣き。あんなに泣くなら、もっとやりようがあったんじゃないのかね? お話としてはほんとによくできていて、この回が独立したかんじで、よくできたコメディだった。なんとか山南を殺したくない隊士たちのたくらみが次々と「外れていく」かんじ、「土方さんが呼んでます」という「お約束」の台詞の繰り返しも「ルーティンのギャグ」としてうまく効いている。 はしばしが、「わあ、うまいなあ」という書き方の連続でわくわくする。たとえば、源さんが食事と一緒に、にぎりめしの包みをこっそりもってきて、これはいらないと言われるところとか。 ただ、悲しい結末を持つコメディとしてほんとによくできてるんだけど、何かがひっかかるんだよね。 それはやっぱり、他にやりようあったんじゃないの?ってことかな? 山南がなんで、あんなに死にたがるのかが、いまいちよくわからないっていうのもあるかもしれない。 いろいろ納得できないところがありながら、それでも見てしまう。そんなかんじだろうか。
夜中、録画しておいた大河ドラマ「新撰組!」の「山南脱走」を見る。 どんどんテロリスト集団になっていく感じがそら恐ろしい。粛清の場面なんかよりも、捨助一行が道ばたで襲われるシーンのさりげなさがおっかないと思う。 この頃注目の谷原章介が伊東甲子太郎で登場。 オダギリ・ジョーの斉藤一は、今回もクール・ビューティだ。
2004年08月20日(金) |
心日庵「Absolute Live 3」 |
「約束」に出演してもらう岩瀬あき子さん出演の心日庵公演「Absolute Live 3」を見に行く。 麻布die pratze。初めての小屋。間口が広い天井の高い、客席の傾斜が親切な、いいかんじの小屋。 時事問題を折り込んだ、ショートショートのオムニバス。 作・演出の樋口隆則さんは、円の養成所自体の同期、厳密には、僕が卒業してから途中で入った人なので、同じ時期にいたことはないのだけれど。卒業してすぐに、彼のワークショップに参加したことがある。 舞台や映像ではいつも見ているのだけれど、生な樋口さんはとっても久し振り。なつかしかった。 岩瀬さんは、想像通りのきりっとした立ち姿で素敵だった。 最後の場面の、身売りする女を連れてくるすさんだ女がとてもよかった。 子供のためのシェイクスピアカンパニーで大好きな明楽哲典さんが出演、黒衣役で場面転換を樋口さんと一緒にやってる。とっても豪華。 芝居のパートはほとんどないんだけど、ドスのきいた関西弁の牛丼やの客がおかしかった。 それと、転換の合間の樋口さんとのアドリブのようなやりとりで、「俺、イルカになりたい」というところ。全編を通じて、ここが一番印象に残った。というか、心に響いた台詞だった。 パソコン、ネットは相変わらずだめながら、ほそぼそとテキストエディターで原稿を書く。 台本は、しばらくこれで行こう。 たまってるメールの返事には、電話をかけることに。
2004年08月19日(木) |
歌舞伎座「納涼歌舞伎」第二部「蘭平物狂」「仇夢」 |
家にいても何もできないので、出掛けることにする。 ていうか、ほんとにどうしよう? 今、パソコンの買い換えは正直つらい。ていうか、できない。 歌舞伎座の「納涼歌舞伎」を見に行く。第二部「蘭平物狂」「仇夢」。 「蘭平物狂」。記憶にあった、豪華な立ち回りは、なんだか思ってたほど、派手じゃなくて、やや期待はずれ。蘭平の三津五郎さんが、あんまり動いてないような気がしてしかたない。まわりが動き過ぎてるってことなのかな? 立ち回りってそういうものなのかもしれないけど、なんだか成立してないような気がする。 前半の物狂いの場面、刀を見ると乱心するっていうところとか、息子に対する思い入れとかの方がずっとずっと見応えがあった。 「仇夢」。北條秀司さんの台本の舞踊劇。花魁(太夫)に恋した狸の話。 舞踊の部分が思ってたより多かった。 狸でありながら、太夫に恋してる勘九郎さんがいじらしくて、よかった。四の切りの狐忠信を彷彿とさせるかんじ。 場面の転換や、捕り手?の染五郎さんたちの踊りが、とっても「研辰の討たれ」のようで、野田歌舞伎を彷彿とさせる。 踊りの師匠に化けて言い寄る狸の話だよねと思って見てたら、本物の師匠に「いっしょにはなれない」と言われる太夫の切なさが、いつのまにか立ち上がってくる、見事な台本。 大向こうから、「ごりょうにーん!」「おーみーごーとー!」と間の悪い声をかけるおばさんがいなかったら、ぜひもう一度みたいんだけどなあ。なんだか、一気に「横取りされた」気分でがっかりする。
帰り、思いつきで、銀座四丁目からバスに乗る。 「業平橋駅行き」。ここはどこ?な町をずっととおっていく。 築地、勝ち鬨、月島、この先はもうどこを走ってるのか、何もわからない。方向感覚もまるでなし。 月島はお祭りなのか、バス停に浴衣姿のおばちゃんが数人。なんだかとっても粋な浴衣だった。 木場の駅前まで来て、ようやくなんとなく見当がつくようになった。菊川で降りようかと思ったんだけど、結局業平橋まで乗ってしまう。 総武線の高架をくぐる手前が、トシくんの住むマンションだと判明する。 業平橋の駅前は何もない。何か読むものがほしくて入った古本屋で、井上康生敗退のテレビ中継を聞いた。
エスムラルダさんのレインボー祭りのショー「道成寺」のためのナレーションを新宿で録音。 カラオケボックスの廊下にはどうしてあんなに大きな音で曲が流れてるんだろう。いらないもののような気がするけどなあ。
「悲劇喜劇」に掲載されてる「請願」を読む。 草笛さんはこのエリザベスを演じて、それで、非戦の会のリーディングに参加してくれたんだなと思う。舞台が見られなかったのが、ほんとに残念だ。
夜中、帰ってこない猫を探して外を歩く。ものすごい星空だ。オリオン座がもう見えてるなあと思ったら、流れ星が一つすーっと落ちていった。 プラネタリウムじゃない、「生」流れ星を見るのははじめて。 それから、なんとなく起きてしまい、冷蔵庫の掃除を思い切りしてしまう。
パソコンは今日も不調。
世田谷パブリックシアターのボイストレーニングのワークショップに行く予定だったのに、時間をまちがえていた。 でかけようと最近送られてきた確認のメールを見たら、もう始まってる時間だった。 あわてて電話をしてお詫びする。しまった……。
あとは、一日、休んでいる。 パソコンの調子が悪くて、しばらくいじるが、どうにもならない。どうしたんだろう。お役ごめんというところか。酷使しすぎたのだろうか? たしかにこのところずっと使っていたワードは、どうもうちのiBookと相性が悪いらしい。とにかく、保冷剤で冷やしながら放置することにする。
2004年08月15日(日) |
「花よりタンゴ」「あきらめない、夏 2004」 |
今回のリーディングは、こまつ座がサザンシアターで上演中の「花よりタンゴ」の舞台を拝借して開催する。 舞台装置はそのまんま。 昭和21年の銀座のダンスホールの舞台をそのまま使わせてもらう。 本番前に、下見を兼ねて?舞台を拝見する。 元華族の四姉妹と、元使用人、今は闇成金の男、それに、生き別れになった兄と妹がからむお話。長女蘭子を演じる旺なつきさん、すらりとのびた手足が美しい。 一幕のどたばたしたかんじに、これってどうなのかしら?と思っていたら、二幕できっちりまとまって感動。 ただ、生き生きとした人物がいるというよりは、彼らが語る物語や現実がストレートに届いてくるような気分。 もっと人間が描けてたらいいのにと思う。 そんな中、終幕、すべてを失った、闇成金の小林勝也さんが、正座して謝る後ろ姿に感動する。饒舌な台詞よりも、何も言わない背中の方が、僕には雄弁に思えた。
幕間に郡司くんと会う。明樹さん、青年劇場の福島さんとしばしおしゃべり。
終演後は、大急ぎで準備にとりかかる。 来てくれたノグに舞台の準備をお願いする。ノグはすぐに西川さんの下、パンチ貼り。 僕は、明樹さんと一緒に、続々やってくる出演者に新しい台本を渡して、挨拶。 開演まで、リハーサルの時間は1時間半。出演のみなさんに、客席でスタンバイをしてもらいながら、頭から、どんどん場当たりをしていく。 で、五分遅れて開演。 今日は、ほんとにたくさんの方に来ていただいた。 前売りは、何日も前に売り切れてしまって、当日券もどれだけ出せるかわからなくて、せっかく来てくれた森川くん、桜澤さんには、結局、帰ってもらうことになってしまった。 去年の夏にここサザンシアターで行ったリーディングは、空席も目立って、やや淋しいものだった。こんなに関心をもたれてないってことなの?と、正直、悲しかった。今回、見てもらえないくらい多くの方に来てもらえたということは、ほんとうに申し訳ないことだけれど、「非戦」に対する世の中の関心がこれだけあるんだということのあかしのような気がして、ホッとしたりもした。 第一部、オープニング、テツandトモの「なんでだろう」で始まる。「演劇人でもないの、僕たちがここにいるのなんでろう?」「こうしている間にも多くの人たちが戦争で死んで行くのはなんでだろう?」という台詞に、客席から拍手が起こった。 続く、渡辺えり子さんの「パレスチナの声、イスラエルの声」。毬谷友子さん、吉田日出子さんといった方が加わって、圧倒的な迫力になった。 第一部の最後は、森山良子さんの「さとうきび畑」、ギターのみの伴奏のフルコーラス。 第二部、第三部に出演の俳優さん達も、袖に集まってじっと聞いていた。 休憩中に、明樹さんと二人、カンパのお願いに舞台にあがる。 続く、第二部。オープニングは、ザ・ニュースペーパーが演じる、小泉首相のコント。ほんとにそっくり! またしても、出演のみなさんは、袖に集合。 永井愛さん構成の「『日の・君が代』強制日誌」。 永井さんの構成は、日の丸君が代問題の当事者の声をたんねんに拾い上げていく。 その中の一人、音楽教師の池田幹子さんは、僕の高校時代の音楽の先生だ。 名前が同じなのでもしやと思って、連絡をとってみたら、本人だった。 今日は、来場できないということだったのだけれど、二十年ぶりくらいに電話で話した。僕が、今でも演劇をやっていて、非戦の会の活動をしていることを、とってもよろこんでくれた。 池田さんは、高校一年の最初の授業で、教科書は使わずに、近くの荒川の土手に行って、好きな歌を歌おうと言った。音楽の授業は、すぐに自由時間になってしまって、僕たちは4月の土手でのんきにおしゃべりをした。懐かしい思い出だ。 二部の最後は、リボンプロジェクトの「戦争のつくりかた」で終わる。 そして、第三部、僕が担当した「イラクからの声」。 これまでのリーディングでずっととりあげてきたイラクの問題、まだ終わらない戦争について、当事者の声を集めた。 草笛光子さんには、イラクからブログを発信している母親を、松下砂稚子さんには息子をイラクで失ったアメリカの母親の声を読んでもらった。 明樹由佳さん、根岸季衣さんには、母親としての声をお願いした。 麻丘めぐみさんには高遠菜穂子さんの手記を、竹下景子さんには、ヒロシマの原爆忌にあてて書かれたイラクからの詩、「わたしはバグダッド」という詩を読んでもらった。 大森博史さん、岡田浩暉さんには、バグダッドの医者、ボランティアの人々の声を、宇梶剛士さんには、この秋来日するイラクの劇団の代表の日本にあてたメールをお願いした。 ラスト、第三部の出演者が中央に集まり、第一部、第二部の出演者が登場する。 「ファルージャ2004年4月」という本のあとがきに益岡賢さんが書かれた素晴らしい文章を、最後にみんなで読ませてもらった。 草笛さんが読んでもらった、キング牧師の言葉、「後世に残るこの世界最大の悲劇は、悪しき人の暴言や暴力ではなく、善意の人の沈黙と無関心だ」が重く響いた。 終演がのびにのびたものの、参加してくれたみなさんは、最後までずっと聞いていてくれた。そのことに感動。声を上げ続けていくことの大切さを思った。
手伝いに来てくれた宇田くん、そしてノグと一緒に参加した打ち上げで、僕は、永井さんや大沢健さんと話す。非戦の話、そして、演劇の話で大いに盛り上がる。 非戦を選ぶ演劇人の会をやりながら、むしろその前に、劇作家としていい仕事をしつづけなければいけないのだなあと改めて思った。ちゃんとした仕事をしてない人が何を言っても説得力がない。ほんとうにそうだ。違った勇気をもらって、元気に帰ってくる。
2004年08月14日(土) |
台本印刷 「ZANPARA」 |
先週、参加できなかった、台本印刷のため青年劇場さんに。 緑川くん、くまがいさん、それに青年劇場のみなさんと最終版の台本を印刷する。 レイアウトを変えた台本は、ぐんと読みやすくなった。
夜はザンパラ。綾瀬のこども支援センターに向かう。 小松川の男子たちが出ている。 客席で現役のみんなに合流した。
まずは、「蝸牛物語」に圧倒される。高校生の女の子たちが「かたつむり同好会」をつくるという話。 かたつむりのからを背負っている彼女は、レイプされた経験があって、「かたつむりはいいよね、守られてて」と話す。「帰るところあるし」。 別な彼女は、早くに両親を亡くして、白血病の妹を助けるため、売春をしている。 結果、彼女は、梅毒とエイズに感染して……。 かたつむりの彼女は、レイプにより妊娠してしまったことがわかり、でんでん虫の歌「角だせ、やり出せ、目玉だせ」を歌いながら、目玉をえぐり出してしまう……。 むちゃくちゃハードなお話が、二人の友人である主人公の眼を通じて語られる。 高校生の性の問題をこんなにまっすぐにとりあげたものをはじめてみた。 主人公が売春している彼女に、恋心を告白する場面の切なさはどうだろう。 42分の見事な作品。なんのてらいもなくぶつかっている高校生のすごさ。いいとかすばらしいとかじゃない、ただただすごかった。
ラストは、小松川の男子たちが出ている「みつばち」。 OBの信太くんもお調子者の悪役で登場。 主役はマサくん、弘樹くんも敵役の父親をきっちり演じている。
終演後、すぐに失礼する。ザンさんにだけ、さくっと挨拶。
綾瀬駅前から西新井までバスにのってみる。コミュニティバスというのか、とっても小さな車体。 知らない町がえんえんつづいて、迷子になった気分。 西新井駅前のビルディで夕食。ナシゴレンとグラスビール。ほっとひと息。
「あきらめない、夏 2004」稽古、2日目。 今日は、第一部と第二部のみの稽古。 永井さん担当の第二部「『日の丸・君が代』強制日誌」がおもしろい。 市原悦子さんと有馬稲子さんの間に、高橋長英さんがいるという絵はすごすぎる。 ザ・ニュースペーパーのメンバーが読み手として参加してくださっている。いいモノの台詞もなんだか悪役に聞こえてしまって、妙におかしい。 えり子さん担当の第一部「パレスチナの声、イスラエルの声、」。 まん中に、壁をイメージしての立ち位置と動きの確認。とってもわかりやすくなった。 僕は、今日、演出席ではなく、後の方で、明樹さんにカットの相談にのってもらう。 どんどんカットしていくことで、言いたいことがすっきりと見えてくるような気がする。不思議。
非戦を選ぶ演劇人の会のリーディング「あきらめない、夏 2004」の稽古。 ベニサンの稽古場がものすごいことになってる。 映画何本分?な出演者が参加してくれている。 僕が担当した第三部、今日は、草笛光子さん、松下砂稚子さん、それに実行委員でもある明樹由佳さんが来てくれている。 宇宙堂の劇団員に代役をしてもらって、僕も宇梶剛士さんのパートを読む。 言葉の力に勇気をもらう。 最後に、それぞれのパートが長いのであと少しずつカットするよう総合演出の西川信廣さんに言われて、今日はおしまい。 稽古の後、森下の「上海食堂」でみんなでご飯。 稽古初日の「なんとかなりそう!」な気分で盛り上がる。 盛り上がり過ぎて、終電を逃す。 上野から深夜バスで北越谷まで。 いつもはつらくてタクシーに乗ってしまう道を、今日は歩いて帰ってくる。
高円寺で、高市氏と「約束」のうち合わせ。 書き上がった一場を持って伺う。 あれこれ、話して、いろいろ見えてきた。 まずははじまったかんじだ。
2004年08月08日(日) |
台本印刷、ごめんなさい! |
リーディング台本を、なんとかしあげる。 印刷を待ってもらって、ようやく送信する。 印刷のお手伝いはごめんなさいさせてもらった。 ほんとに申し訳ない。
夜、一息ついて、引用の確認をしようと思ったら、iBookが立ち上がらない。 その後、あれこれいじるうちに、なんとかなったと思ったら、バッテリーが死んでしまったらしい。 ちっとも充電できない。 このあいだまで、一時間ちょいはだいじょぶだったのに、全ダメになってしまった。 これから、外では書けないということか? どうしよう……。
2004年08月05日(木) |
リーディングのうち合わせ |
夜、「あきらめない夏2004」の台本ミーティングを二兎社で。 ぎりぎりまでパソコンに向かい、台本書き。 とりあえずまとめて、森下へ。 越谷の駅で、もう一度立ち上げようとしたら、再起動がきかない。 とりあえず、電車に乗る。 で、うち合わせ。 永井さんはいないので、くまがいさん、えり子さん、西川さんと。 キャスティングと衣裳のプランなどうちあわせ。 豪華なキャストにあらためてドキドキする。
2004年08月04日(水) |
燐光群「私たちの戦争」 |
朝、ネットをチェックしなおして、新しい情報をどんどこゲットする。 リバーベンドプロジェクトが更新されて、早速使わせてもらうことにする(結局、使いませんでした……)。
燐光群「私たちの戦争」@スズナリ いやあ、おもしろかった。ほんとによかった。 眼前に繰り広げれられるアブグレイブの虐待がものすごい迫力。 役者の一人一人が、とってもすばらしい。 カンパニーとして、いいまとまりかたをしているなあと感動する。
三茶経由で帰ってくる。 妙に涙もろく、熱くなっている自分がいる。
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