■ゲンジツ日記■(試行錯誤中)
静花



 動悸がキツイ…。息苦しい…。(>_<)

前回の日記で
大ショック&超悲観的な心境に
陥った
私ですが、
もうすでに復活してたり…(^-^;A

やっぱ、人間ってショックから
自然と立ち直るようにできてるのネ…。
…と妙に悲しく感じたりも。。

でも、最近は「不安障害・動悸」が酷いです。
それが始まると、動悸がして、息苦しくなって、
胸が苦しくて、しんどくて何にも集中できなくなります。。

それが始まったのは、数ヶ月やっなかった
ネトゲをプレイし始めてから
…。

色々新しいアップデートがあったので、
再開したら、丁度イベントもやってることもあって、
すっかり最近はハマっちゃって・・・、

睡眠時間も削って、ネトゲに費やしました…。

でもその見返りとして、
神経が弱ってしまった模様…。


MMOだから、人間相手だから
色々気も使わないといけないから…
それが一番大きいと思う。。

頓服の「ソラナックス」1回分(2錠)飲んでも、収まらない。

…だから、1回分でおさまらなかったら、
2回分飲んで、無理やり抑えてます・・・。

…まぁ、多分またしばらくしたら
飽きて「休止期間」に入る予感もしますが…。
(私、「飽き性」だからネ…)

・・・そうそう、いいことが一つ。

この前の心療内科の「診察」で医者に、

「17日に市民病院の整形外科に行って、
足を診てもらったんですが、
来月の専門医の判断しだいでは、
もしかして手術・入院とか勧められるかも
しれないんです。

でもそうしたら、カウンセリングが
中断になっちゃうので、
私は「心」の方が大事なので、こっちを
優先するつもりです。」


…って、宣言したら、

「ええ!大丈夫だよ。
(カウンセリングのことは)私がなんとかしてあげるから。
 心配しないでいいよ。
 身体の方が大事だから、そっちを優先にして。」


…と、沈痛な面持ちでそう言ってくださいました。

なんか、予想してなかった配慮のあること言ってくれて、
すごく嬉しかったでつ( つд`)

改めて、
「患者さんの立場にたてる、いいお医者さんだなー」
と思いました。
(診療時間は短いし、”せっかち”だけどネ^^;)

カウンセリングでは(当時はまだかなりショックが
尾を引いていて、ショック&悲観状態だったので)、

内容も、必然的に暗くなりました。

「次回のカウンセングまで、絶対死んじゃダメだよ。」

…と、終わった後、
カウンセラーさんに言われましたし(苦笑)。

大丈夫です。

私は来月の26日までは絶対死なないし、
死ぬにしても来年死ぬ予定だから…。(ぇ)

…でも、私は「身体の故障」より「心」の治療のが
大事だって思う。


だって(生命に関わる病気や故障は別だけど)
私みたいな生まれつきの「足」の問題は、
何も急いで治療の結論出す必要ないし、
ほっといておいても死ぬ可能性は全くないけれど、
「心の病気」は下手すると死んじゃうんだよ?

だから、私は「心」の方が大事だと思う…。

でもカウンセラーさんが言うには、

「手術を受けて、足の痛みがもし良くなって、
できることが広がったら、
また方向が広がって、カウンセリングに
とってもいい効果があるし
可能性も広がるかもしれない。」


…みたいなこと言ってたっけ…。

…まぁ…、
確かに、それは一理あるかもだけどね。

・・・話は変わるけど、

最近また「昼ドラ」にハマってます。
趣味が増えることはイイことだよね^^

生きるエネルギーになるからね。



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2005年11月26日(土)



 20数年ぶりの足の診察で大ショックを受けて…。(長文)

こんにちは。
…やっと大きなショックと鬱状態から
少し脱しました。。


今日の日記は(いつも長文だけど^^;
更に)長文になりそうですm(_ _)m

今月の17日(木)、思い立って、
市民病院の「整形外科」に診察に行ってきました。

私は生まれつき、左足が「先天性股関節脱臼」
という障害を抱えて産まれてきました。

ちなみに母も同じ障害を抱えていて、
超短距離しか歩けず、歩行は杖を利用しています。

「先天性股関節脱臼」は女の子に圧倒的に多く
しかも母親から遺伝する確率も高いそうです。

赤ちゃんの時にそれに医者が気づいて、
赤ちゃんの頃からコルセットをつけて股関節を
矯正しようとしたり、入院したり
したそうです。

…でも、私の足は酷い方らしく、
それでは矯正できず、小学2年生の頃、
半年入院&2回手術を受けました。


それでも医者からは、
長距離歩いたり、激しい運動をしたり、体育を受ける
ことは禁止されていた


なぜなら、私の足の障害は、
「進行性(症状が年とともに悪化して進んでいくもの)」
のもので、しかも現在の医療では「治す」
ことは不可能
な故障だから。

だから、
「どれだけ、足を長く耐えられるよう、温存できるか」
が勝負になってくる。

だから、なるべく足の寿命を縮めるようなことは
避けなきゃいけなかった。

だから、小学校の時はずーっと体育は見学。
遠足とかも、一人だけポツンと出発地点で”待機”だった。
正直、すっごく つまんなくて、寂しくて、
自分だけ見学してることに負い目を感じてた。


…でも中学1年の時の体育教師が
結構スパルタな先生で、
「甘えてちゃダメだよ」とか言われて、
体育に強制的に参加させられた。


持久走ももちろん参加したし、
ハードル飛びにも、団体競技も
皆と同じように参加した。

高校時代もそれに引き続き、
体育には皆と一緒に参加した。

今思えば、それは私の股関節の寿命を
縮める行為だったと思う。。


…でも皆と一緒に体育を受けたり、
走ったり、踊ったり…そういう経験は
楽しかったし、
自分に自信を与えてくれたと思ってる。

大学を卒業してからは、
仕事(バイト)をもって、忙しくて社内をバタバタ
走り回ったり、重いものも持ったりもした。

…これも多分、足にとっては良くなかったとは思う。

でも、やっぱりいい経験になったし、
自信になったと思う。

それにこの時点では、
私の足は(びっこはひいてたけど)短距離を歩くのにも
走るのにも「無痛」
で、私自身、自分の足が悪いことを
余り気に留めないでいられた。


長い距離を歩くと段々と痛み始めて、
耐えられなくなるけど、
…でも、我慢すれば歩けられた。

・・・けど、20代も後半になってから、
足の状態が一変してきた。


普通に歩くのでさえ、ピキーン!!と、
左股関節に痛みが走る。

車に乗るために、左足を少し上げるだけで
痛くて(足が)あがらない…。


医者に行って診て貰うまでもなく、
私の足は悪化していると、自分でも自覚できた。


それでも、子供の頃、
医者に良い思い出がないことと、
キッカケがないことで、医者には診て貰おうとは
思ってなかった。

…あのドラマを見るまでは。

最近、私は昼ドラにハマり始めていて、
その昼ドラのヒロインは、
生まれてから「盲目」になったのだけど、
手術で目が見えるようになる可能性がわかり、
手術をして、目が見えるようになったのだ。

「目が見えるようになれば、
一人で何でもできるようになる…。
自分の足で歩き出せる…。」

ヒロインの台詞です。

それを見て、すぐ感化される私は、
「もしかして私の足も、手術を受ければ
良くなるかもしれない!!」

「足が良くなれば、一人でいろんなことが
できるようになるかも。自分の足で自立したい。」


…と思ったのだ。
だから”思い立ったが吉日”で(決めたら行動は早い)、
次の日に両親に付き添ってもらい、
市民病院の「整形外科」を受診して、
足の状態を見てもらった。

…ところが、

私を待ってたのは、【無情な現実】だった。

私の、右足と左足で成長が違ったため左右非対称で、かつ、
歪みきった骨盤と股関節の写ってるレントゲン写真を
見て、医者はこう言った。

「左足は完全に【変形性股関節症】になって
ますね。でも、問題なのは右足の方で、
悪い左足を庇ってきたために、
股関節を覆うカサの部分が、普通の人より
3分の1に磨り減ってしまってます
 このままだと右足にもいずれ痛みが
出るでしょう

 それを遅らせるために、右足の股関節を
なるべく保護し、杖をつくことをお勧めします。

とりあえず、”股関節専門の医師”の
診察に予約を入れておきますので、
詳しくは(手術をするかどうかも含め)
その時に相談してください。」


…私は愕然とした。

左足が「変形性股関節症」になってるのは
痛みがあることからも、当然予測はできてたけど、
右足もそんな状態になってるなんて…。

左足の痛みや負担を減らすために、
杖をつくのではなくて、
「左足を庇う右足の寿命を延ばすため」
杖をつかないといけないなんて…。

しかも母が「障害者手帳」について聞いたら、
「症状が固定しないと出せない」みたいなことを
言われた・・・。


・・・なんで??

歩くだけで痛いんだよ?
日常生活に差し障り出てるんだよ?

好きでなったわけじゃないんだよ?
生まれつきの障害なんだよ?

それに、父の会社に勤めてた、
私と同じ先天性股関節脱臼の同年代の
女の子も、歩けるのに、
「障害者手帳3級」をもってたんだよ…。


なのに、どうして?
どうして私がもらえないの?

私は足が健康な人と同じように歩き、走り、
立ち、運動することが(したくても)できないのに、
「進行性」の障害で、治すことも不可能なのに、

「身体障害者」だと認めてもらえないの?


健康な足の人と同じ基準で生きろ、働け
というの?…この足で…!

私はなんともいえない絶望感と失望感に
叩きのめされて、家路についた。

(手帳が交付されてないから、補助金が出ず、
8千円も出して、杖を買って…。)

「股関節専門」の医者の診察は、
もう12月の末まで予約で一杯で、
私が予約をとれたのは来月の26日だった。

母が言うには、
「「整形外科」といっても幅が広いから、
専門家じゃないと詳しくはわからないんだと思う。
だから、今全てを決め付けるのはまだ早いよ。
「股関節の専門の医者」の診察を受けてから
色々判断しなさい。
「手帳」だって、絶対専門の医者が診れば
出して貰えるよ。お母さんが100%保証する。」

…と言ってくれたけど…。
私はもう完全にうなだれていた。

来月の26日まで、まだ1ヶ月以上ある…。
それまでどんな気持ちで過ごせばいいのか…。

「仕事を探して、山に登ったり、
色んなところに観光にいったり、
色んなことにチャレンジして、
自信をもてるようになろう。」


…そう思ってた矢先だった。

毎週チェックしていた、求人チラシも
もう見る気力さえなくなった…。

「私の足は、一生、健康な人のように、
長時間歩いたり、立ち仕事をしたり、
走ったり、運動したり、旅行したり…、できない…。

今は杖なしでも(痛みは伴うけど)歩けるけど、
どんどん年とともに足は悪化していって、
いつかは両足が痛み出し、
歩けなくなるかもしれないんだ…。

神経症や心の病は、身体を動かすと良いと
聞くけど、それすら私にはできない…。」


もともと抱えてた「足の障害」、プラスして
今抱えてる「心の病気や問題」

なんだか、やってられなくなった。。。

2重に障害があって、どうやって、
人並みに社会復帰できるというのだろう…。


せめて、どっちか一つならいいのに…。

私は「産まれてきたこと」
「障害を抱えて生きる【宿命】を背負い続けること」
に、
大変やり切れない気持ちになった。

----------------------------------------------

青い空なんて見れなくても良かった…。

綺麗な花なんて見れなくても良かった…。

頬を撫でる風なんて感じることなくても良かった。

障害を持って産まれるくらいなら、

お母さんのお腹にいる内に”殺して”欲しかった…。

もう産まれてしまったのならば、

お母さんのお腹に宿る前の世界に

戻りたい・・・。

------------------------------------------------


私は泣きながらベッドでそう呟いた。

…母は泣いて言った。

『「罪悪感」で一杯だと。
私を産むことで、苦しませることになって、
辛くてしょうがないと、

私の足を治すために、
今まで一生懸命やってきた。
でも、もしあんたが死んでしまったら、
私がやってきたことは全部「無駄」に
なってしまう…。
 私はあんたが死ぬ為に、産んだんじゃない!』


・・・と。

「自分にできることなら、足を治すために
なんでもしてやる。」

とも言ってくれた。

…でも私に覆いかぶさった、
「失望」という厚くて黒い雲は、
数日間、私の頭上を覆いかぶさり、

私は数日間、1日ベッドの上で暮らした。

時折泣きながら…。

そして、時折「死」を考えながら…。

先月、おばあちゃんが「花を植えて、少しでも
気持ちが癒されるように。」

気遣って買ってくれた、チューリップの球根。

お父さんが祈りを込めて、掘ってくれた。

「来年の春、このチューリップが咲く頃には、
どんな気持ちで私は眺めるんだろう」

そう思いながら、私は球根を置いて、
…そして祈った。

今年の冬、私が”逝った”のならば、
あのチューリップが淡いピンク色の花を
咲かせる姿も見れないんだなぁ…。


…とか思うと、涙が滲んだ。

私は
「一人にしておいて。放っておいて。」

…と言って、部屋に篭り、
両親も、連れさえも「会いたくない」とシャットアウトした。

気が付くと、ビニールテープに手が伸びた。
(首を吊るために。)

…といっても、
次の専門医の診察と判断を受けるまでは
死ねないけれどね…。


それに、死ぬなら「練炭」で逝く予定だけど…ね。

連れが
「俺が静花の”足”になる!」

…って言ってくれたっけ。

私は誰かの助けを借りず、頼らず、
自分の足で、自分の力で、何かを成し遂げて
自信をつけたかった
から、
正直そう言われても虚しい
のだけど、
でも、そう言ってくれる連れの言葉は
有難いと思った。。

数日経った今、
ようやく母と話せるようになった。

今もまだ、正直完全に立ち直ってない。

けれど、ようやく日記に現状を
書き記せるようになった。

正直、
一歩一歩積み重ねていこうと前向きになっていたところで、
出鼻を思いっきり挫(くじ)かれたショックは
未だ尾をひいてるけれど…、

人間って不思議なもんで、
大きなショックを受けても、
時間とともに気分が持ち直すように
できてるものなんだね…。

(お薬のせいもあるかもしれないけれど…)

もし来月、専門医の診察を受けて、
医者から「入院&手術」を薦められても、


そうなると、今通ってる心療内科の
カウンセラーのカウンセリングを
中断しないといけなくなるから、

できれば避けたい…。


一度、抜けちゃったら、
今度、いつそのカウンセラーさんの枠が
空くかわからないもの…。
やっと見つかった、今までで一番相性の合う
カウンセラーさんなんだもの…。

私にとっては、「足」より「心」の方が
優先なのかもしれない。。


それに入院、手術なんて受けてたら、
またどんどん月日が経っちゃって、
就職に不利になっちゃうョ……。


・・・・・。


・・とにかく、来月の診察日まで、
あれこれ悩んでも、どうなるかわからないよネ。

そうはいっても、
あれこれ悩んじゃうんだけども…。

・・・はぁ。

なんだかすごい長文な上に
くらーい内容・・・。
ここまで読んでくれた人、すいません。

とにかく、しばらくはちょっと
情緒不安定気味な状態が続きそうな静花でした。





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2005年11月20日(日)



 ミーコ(飼い猫)が帰ってこない!

こんにちは(´ω`)ノ
今日は冷え込みますねぇ。。

私の家は猫を一匹飼ってるんだけど、
(名前を「ミーコ」といいます)
親が室内飼いには反対(家や家具が
傷つくから…)なので、
仕方なく外に出したり家にいれたり
して飼ってます。

ところが一昨日の夕方、
ミーコがいつも通り 外に出たがったので
母が外に出してから、夜になっても
朝になっても、戻ってこない。


普段だったら数時間もすれば、
帰ってくるのに・・。

さすがに母も私も心配で・・・。

次の日、ミーコが戻ってこないことを
母から聞いた父は、
(猫嫌いなのに)朝、昼、晩と3回、
自主的に近所を探し歩いてくれました。


…が見つからない。

引越し前に住んでたマンション付近に
戻ったのかと思って
そっちも探したけど、いない…。

「首輪をつけてないから野良と間違えられて、
しかも人懐っこいから 誰かに飼われてるんじゃないか。」


とかも思ったんだけど…。

丁度連れも今日は会社が休みだったので、
用事が終わった後(夜だけど)、
こっちに来て、ミーコを探してくれました。

(私は父も母ももうこの近所には
いないんじゃないかって言ってるよ、
っていったんだけども…)

そうしたら、携帯にTELがかかってきて、

「ミーちゃんの鳴き声が聞こえる」

…というじゃないですか!

慌てて行ってみたら、

「にゃーん、にゃーん、にゃーん…」

…と確かにミーコの声が!!

でも、一体どこから??

懐中電灯であちこちを照らす・・・。

そしたら!
二階建ての(新築でまだ人が住んでない)
屋根の天辺に上って、降りられなくなって
鳴いてるじゃあないですか!(おバカか!(ノ_<。))


とりあえず、見つかったから
ホッとしたものの、どうやって降ろすかが
問題・・・。


とりあえず、
その家の屋根と、お隣の家の2階のベランダが
比較的近かった
ので、
父と連れが脚立をもって、そのお家に
お願いにあがりました。

そうして、家の中にいれてもらい、
2階のベランダまでいれてもらい、

はじめ、父が脚立の上にのり、
隣の家の屋根の上のミーをもとうと
したのだけど、うまくいかない。

ミーコにも懐かれてて、
猫の扱いにも慣れてる
連れの方が
いいと判断して、

今度は連れが脚立に乗って、
隣の屋根の上から
「怖くないギリギリのところ」まで近寄ってきてるミーコ
の足を掴みました。

…でも下が怖いミーコは、
屋根瓦にしがみついてなかなか
離れようとしない。


でも、なんとか力づくで瓦から引き離し、
ミーコを保護すること成功!

お家の人にお礼をいって、
ミーコを抱えて戻ってくる連れと父。

ミーコはやっと安心の場所に戻れたと思うと
連れの手から降り、
さっきの怯えて泣き続けてた姿から一変、
はしゃいでダッシュで走り、地面でゴロゴロ寝転がった…。


家に連れ帰り、
母もホッとした様子。

「本当、お騒がせな猫なんだからー!」

そういう母と私をよそに、
キャットフードをガツガツ食べるミーコ
(丸1日何も食べてなかったわけだからね…)

・・でもとりあえず、見つかって本当
良かったです。

雨も降らなくて、本当に良かった。
(そうしたら一匹屋根の上、
寒さの中、ずぶ濡れになってただろうから…。)

室内飼いに出来ない以上、
「いつか突然会えなくなる日がくるかも」…ってこと、
ある程度は覚悟してたけど、
やはり心配でした…。寂しかった…。

「良く見つけられたねぇ」

と連れにいった母に対し、

「名前を呼んだら鳴き声が聞こえたので。
猫は名前を呼ぶと返事をするから。」

…と連れ。

やっぱり今まで何匹も猫を飼ったことがある
だけあって、猫のこと良く知ってるなぁ。

・・と感心。


・・・一晩経って日記を書いてる今、
ミーは私の部屋のベッドの上で、
何事もなかったように、スヤスヤ眠ってます^^;

母はホームセンターに猫用首輪
買いに行ってます。
(ミーは首輪を嫌がるけど、さすがに
やっぱり着けておいた方がいいと判断したので。)

今日は午後には動物病院へ行って、
虫下しの2回目の注射を打ってもらいに
いかねば…。


…でも、今回一番驚いたのは、
猫嫌いの父が、何回もミーコを探し歩いて
くれたこと。(誰に頼まれてもないのに…。)

とにかく見つかってよかった。
もう頼むから、降りられないような場所に
上るようなおバカなことは
しないで欲しいです^^;




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2005年11月15日(火)



 色々考えたけど…。

こんにちは(´ω`)ノ

最近はメンタル的には落ち着いていて、
穏やかな「小春日和」のような状態
送れてます(ありがたや(-人-))

…でもそれに反比例してるのが身体の状態
未だに喉は痛いし、足腰も痛く、歩くだけで
痛くてしょうがないです。。


前回の日記に書いた、パソコンインストラクターのお仕事、
「連れには面接だけでも受けてみたら?」
(面接の経験を積むだけでもいい経験になるから。)
って勧められてるんだけど、
母は「もう少し(メンタル面が)良くなった時
の方がいいのでは?」
と余り乗り気じゃない様子。

私はというと…、
悩んでるけど、でも足(股関節と腰)の痛みが
余りに酷い状態
なので、
今回は見送ろうかという方向に向かってます。

自分の経験になることやプラスになることには
できればチャレンジしたいのだけど、
こんな状態じゃ受かっても、質問した受講生さんの
ところに駆け寄ったり、見回りに歩くのも、
びっこひいて、痛みに耐えながらじゃないと
いけないし…。

まぐれでも受かっちゃったら、返って、
相手会社と受講生の人に迷惑かけそうだから。。

…それでも心は揺れるんだけどね…。
でも身体の障害の不調にはどうしようもないです…_| ̄|○

最近は、「鬱状態」や「悲観思考」になったら、
ネットで探したHGの動画(今まで、テレビ番組
で放送されたやつ)を見て笑うことで、
気分を変えてます
(笑)。
いい「効鬱剤?」であり、「癒し」です(笑)。

そうすると、なんか開き直れるんですよね〜(笑)。

HGを初めテレビで見た時は、
「うわー、何?この気色悪い、お下劣な芸人さんは。何者?」

と、思ったんだけど、
もうあの腰振りにも慣れたし、

女性に対して下ネタや、ああいう腰振りする人は嫌だけど、
彼はハードゲイだから、
(女は性の対象じゃないから)見てても不快な気分にならないのです(笑)

まさか、自分がHGにハマると思わなかった、
今日この頃です。。

(でも全然テレビを見なかった私より、
母のほうが(かなり先に)HGについて知ってたのには
さすがにちょっとショックだったわ…_| ̄|○!l|
流行に完全に乗り遅れ、フォー!ヽ (´▽`)ノ

by 最近また昼ドラにハマりつつある 静花でした。


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2005年11月14日(月)



 うーん……。(悩)

今日は日曜日。

日曜日は、朝刊に「求人チラシ」
折り込まれてくる。

「いい仕事ないかな〜…」とか思いながら、
ザッと眺めてみた・・・。

チラシの一角に、
【パソコン教室のインストラクター】
募集があった。(アルバイトだけどね。)

【曜日・時間、応相談】かぁ…。

遅番アリ(といってもそう夜遅くない
時間までの勤務)かぁ…。

…それはいいなぁ…。

カウンセリングのある、月曜に休みが
とれることが必須条件だし、
時間もなるべく早起きしたくないし…。

私は何年も前だけど、
一応MOUS一般の「Word」と「Exel」の
試験?を合格している。

…っていっても普段使わないから、
操作方法忘れたケド…^^;

(でももう一度振り返ってテキスト見直して、
思い出しさえすれば&基本的なことなら
多分、教えられるとは思う・・・タブン…。)

…でも、パソコンのインストラクターって
「立ち仕事」だもんなぁ〜…。

堪(こら)えて頑張っても、
1日3時間くらいしか働けないわ。。
(足が悪いから。)

そんなんじゃ、無理だよね…。
(そんな短時間じゃ、お金も稼げないし…)

…でも一応、電話して
それでも応募可能か聞いてみようかな…。

でも例え、それで可としても、
面接受けて、また傷つきそう…。

それに、落ちたら、間違いなく凹むし…。

うーーーーん…、迷う。。。
どうしよう…。



…ふぅ・・・(-_-;)





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2005年11月13日(日)



 久しぶりのネットゲーム。

こんにちは。
数日前に長野に日帰り観光したのが尾をひいて、
足と腰が酷く痛いです(>_<)。

メンタル的にはここ数日は平穏に
過ごせてますが、こじらせた風邪が長引き、
パブロンが手放せませんでした(苦笑)。

あと「バリバリ夜型の体質」の私のはずなのに、
最近は午後10時ぐらいで、もう眠くなる・・・。
それで、眠気に耐え切れず12時くらいに一旦寝て
(…というか、気が付くと寝ていることが多い^^;)
そして深夜に一回目が覚めて、お風呂に入り、
ネットサーフしてからまた未明に寝て、
それでまた早朝に目覚める…という、
なんか、健康的なのか不健康なのか良くわからない生活リズムを
送ってます(^^;)。
(睡眠時間は多分少ないんだろうけど、
でも全然平気だし…。)

ルボックスパキシルが以前より
量が増えたからかなぁ…?
パブロンが眠気を呼んでる影響もあるかも…。

連れが精神的にちょっと弱ってたとき、
レキソタンを分けてあげたことがあるんだけど、
連れは夜に、レキソタンをたった1錠飲んだだけで、
翌日の午後7時くらいまでフラフラした
とかいってたっけ。。

それなら、
・ルボックス50mg/ 朝昼夜 (抗鬱剤(SSRI))
・レキソタン2mg/ 朝夜 (抗不安剤)
・パキシル 20mg/ 夜 (抗鬱剤(SSRI))



…飲んでて、別に眠気も倦怠感もだるさも
感じない私って一体……。。。ヽ (´ー`)ノ

(長く飲んでるから耐性ついてるからかなぁ?
でも初めて飲んだ時も別に眠気とかフラフラ感は、なかったケドな…^^;)

…話は変わって、

9日に回線がやっと「光」になって
快適にネットができるようになったので、

昨日、2ヶ月ぶりに、以前ハマっていた
ネットゲームをプレイしてみました。


もう私たちが作ったサークル自体は
解散してしまったので、
「もう(同じサークルの)人は誰もいないだろう」と思いながら
ゲームにイン(ゲームの世界にアクセスすること)したら、

昔ながらのネトゲの友達や、
サークルの活動を停止しても
「残りたい」と言って残ってくれた人が
丁度プレイしていて、

連れも含め、久しぶりに数人で狩りをしました。

正直いえば、もうあの頃のように
ハマってしまうほど楽しいとは思えないし、
サークルが活動していたとき
仲良くなった仲間たちも、皆、散り散りに
なってしまったのだけれど・・、

でも…懐かしかった。

そうして、1時間ほど遊んだ後、
私のネトゲに関するブログの日記を更新したら、
アップして数分しか経ってないのに、
(2ヶ月間も更新せず、ほったらかしてたブログに)
訪れてコメントくれた人もいた。
「オカエリ」って言葉が嬉しかった(^-^)

ネットゲームはメリットもデメリットもあるけれど、
(場合によってはストレスがかなり溜まるし、
中毒みたいになっちゃう人もいるらしいけど)

私はこのゲームに出会えて良かったと思ってる。

「依存症」になっちゃったら困るけども、
引きこもりの人や、対人恐怖の人とかには、
結構お勧めかも(・∀・)b。

気晴らしになるし、
一緒にゲームしてる人とチャットや狩りしてると、
普段の生活でも、自然と人と会話するハードルが低くなるし、
冗談のツボ?とかにも(自然と)慣れてくるし、
幅広い年代層や、様々な環境の人と接せられるし、

なにより、
同じネトゲという趣味で知り合った、
友達や仲間との交流は(時には傷つくこともあるけど)
楽しいし、温かいです。

(同じ趣味だから、会話も弾むしね。)

今日はこのへんで…。

by 自分より"連れ"がネトゲにハマっていて、
   相手をしてくれないのが時々不満(-_-;)な 静花でした。





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2005年11月11日(金)



 「千畳敷カール」(中央アルプス)&「天竜舟下り」、初観光感想。

(※今日の日記は観光感想です(´ω`)。)

今日は連れと一緒に、久々に長野まで遠出してきました。
目的地は「駒ケ岳の”千畳敷カール”」
中央アルプスです。

"るるぶ"で夏の写真を見て、
「是非行ってみたい!」と思った場所でした。
…といっても、行きたかったのは
「夏」の中央アルプス
なんだけども…。
(それはもう、まさに"アルプスの少女ハイジ"の風景の
ような高山植物のお花畑に覆われた、
緑の切り立つ山脈に囲まれた美しさ!…あくまで夏の話だけど。)

今はもう秋ど真ん中で、完全にその景色のシーズンを
過ぎちゃってるのだけど、
”一回行ってみよう”と(連れが)言うので行って来ました。

朝早く出かけて高速で3時間経たないくらいで行けて、
意外に近かったのが印象。

麓の駐車場(そこからはバスとロープウェイを
乗り継いで、上まで上がらないといけない)の
紅葉がとても綺麗でした^^
長野はやはりこっち(愛知)より寒かったです。
(以前行ったことがあるので予想はできて
たけども…。)

朝9時半くらいに着いたので、
お客さんは少なく、上りのロープウェイの中は
私たちと、2組の老夫婦のみ。

…ところが。

そのお二組の老夫婦とガイドさんの服装を見て、
私たちは自分達の"予測"の甘さに衝撃を受けることに…。

「こっちよりは寒いだろけど、
まさかコートなんて着ていけないよねぇ?(笑)」

(私の地元の気温では、今からコートなんて信じられないのです。)

・・・なんちゃって笑って言ってて、
”単なる秋の格好に”少し防寒”を
重視したような”軽装”
で行った私たち。

ところが、老夫婦二組は手袋とコートを着用。
それに加え、マフラーとストールを巻いてる奥さんも…。
ガイドさん(あまり愛想が良くない感じだったが(苦笑)…)に
いたっては”冬の北海道”並みの、重装備。


「えええええぇ!Σ(・∀・ノ)ノコート着てるョ…」

と想定外の事態にヒソヒソ耳打ちしあってる私たちに、
「上は何度くらいですか?」と聞いたオバチャンに対しサラッと答えた
ガイドさんの言葉が無常にも、私たちへ降り注ぐ…


「マイナス2度くらいですね。」


・・・・。


”マイナス2度くらいですね。”


・・・・・。


・・エ?

・・・マイナス?
・・とどのつまり、氷点下ってコト?^^

・・・・・・。


えええええぇ!
聞いてないよーーーー(古い)!!( ̄□||||!!


1秒で高度7mの高さを移動する
ロープウェイ。

上の方へ行くと、段々と緑がなくなり、霜がかかった一面の枯れ木。
…そして、雪がちらつき始めました・・・。

「ウワーイ、一足早い「初雪」だぁヽ(=´▽`=)ノ」
(※ちなみに、うちの地方では冬でも滅多に雪など降らない。)


…なんて、



喜ぶワケナイ。



…神様…、
”コートなんて着ていけないよねー”
なんて言ってた私が"大バカもの"でした。。_| ̄|○!l|


痛恨の後悔。。。
(コレを”後悔先に立たず”という…。)

到着すると、(もちろん)雪が積もってました。

一面の銀景色。。。

でも、綺麗だけど、寒い!><

残念ながら、中央アルプスのてっぺんには
厚い雲がかかり、頂上は見えませんでした。。
…ちなみに、ふもとは完全に晴れて青空だったんだけど…。
(食堂のおばちゃんに聞いてみたところ、
季節の変わり目は雲が多くて、視界が良くないらしい。)

ガクガクブルブル固まりながら、
遊歩道を少し散歩。


連れはデジカメで&私は携帯のデジカメで写真を一通り撮って、
即、寒さに耐え切れず建物内に帰還。

靴も雪対策用の靴ではなく、スニーカーで
来ちゃったから、凍結した遊歩道を歩くのが怖かったです。

食堂の机に置いてある、四季のここの写真を見て、
やっぱり「次に来る時は夏にしよう。」
と思いました。
(夏は雲も少ないらしいし。
…でも学生が夏休みだし、人多そう…。)

いつの間にか、帰りは客も増えてて
(爺ちゃん婆ちゃんばかりだけど…)、
下りのロープウェイは満員御礼でした。

またロープウェイとバスを乗り継いで下り、
車に戻ったのが12時手前くらい

まだ時間があるので、
帰り道ついでに急遽、飯田に寄り、
「天竜舟下り」をすることに決定。

るるぶに【要予約】とあったので、
当日予約できるかを携帯で問い合わせ、「可能」と
いうことなので、今度は飯田に向けて出発。

1時間ほどで舟下りの出発地点の建物に到着し、
予約した時間まで、しばらく車で仮眠をとって、
2時の便に参加しました。

またしても私たち意外の客は、爺ちゃん婆ちゃんばっか。
(しかも今度は団体客やツアーがほとんど。)


…それはつまり、

私の好みが爺ちゃん婆ちゃん並みに
「渋い」というコトなのでしょうか…?。。
(ちょっとショック)


全部で5隻
で出発するとのことで、
平日だしこんな季節だから、
客もほとんどいないだろう、と思ってた私たちに、
またしても予想外の展開でした。

私たちは4隻目の舟に乗ることになり、
救命胴衣を着用して、舟に早速乗ろうとしたら、
船頭のお爺ちゃんに、

「若い人は1番最後に乗ってね。」
…とストップをかけられました。

(シルバー優先らしい(笑))
という連れが冗談で耳打ちしましたが、

どうやら、船頭さんが「先頭の方がスリルあるから」と、
私たちを最前列に配慮してくれたのでした。



なるほど、お年寄りには刺激が強すぎて、
ポックリ逝かれると不味いからですね。(違)


…でも、ただでさえ風邪気味の状態だったのに、
さっきの駒ケ岳の温度差で、
すっかり風邪をこじらせて悪寒と微熱で
しんどかった私
には、水と風がかかりやすい最前列は
正直ちょっとだけ、キツかったですが・・・。
(まぁ35分の短い舟旅?だったので我慢できましたが。)

舟に乗るなんて久しぶり。

最初は緩やかな川の流れ。
川岸には野鳥(カルガモ、サギ等)、
青空にはトンビが優雅に飛んでました。


途中、流れが急で波が立つところでは、
水避けのビニールシートを前面・側面にたて、
水しぶきを避ける
…という感じでした。

幸い私たちが行った時は、川の水量が少ない日
だったらしく、波が舟にぶつかっても、
ビニールシートを立てることでほとんど濡れませんでした。


(船頭さんが言うには、水量が多い時は
最前列は頭がビショビショになるらしい…。

オイ…。もしかして私たちは”生贄(いけにえ)”
だったのですか?(違))

途中、とても大きな黄金のイチョウの木が見え、
「まるで”秋の桜”みたいだなぁ」と思いました。
(船頭さんが言うには、2,3日であのイチョウの葉も
全部散っちゃうとか。)

…それにしても、船頭さんはもうかなり高齢そうなのに
”ギーコギーコ”と25人も乗せた大きな木舟を慣れた手つきで漕ぐ姿を見て、
「タフだなぁ…。」と感心しました。


終点地点についたら、あとは車で帰るだけ。
帰りは下道(したみち)で帰りました。

途中の山並みの紅葉がすごく綺麗で、
(まるでキャンパスに色をのせたよう)でした。

途中のそば屋さんで「信州そば」を(連れだけ)食べに行ったけど、
(私は風邪の症状がしんどいことと、
お腹がすいてなかったので、車で待機してました。)
すごくおいしかったらしいです。
(なんでも偶然にも、有名なお店だったらしい…)

食べれなくて残念。

-------------------------------
ザッと今日の感想を(またもや長文で)書いたけど、
行って良かったです。楽しかった。

やっぱり「自然はいいなぁ」って思いました。

自然に接し、観光してる間は、
将来への不安や葛藤、悲観や鬱なこと
考えずにすみました。

…でも、

「(どうせ死ぬなら)
 今のうちに綺麗な自然を、この目、心に見納めて
 おこう…。」


なんて途中でシミジミ思ったりして…、

やっぱり私はまだ当分、
苦しみや不安や鬱や自殺念慮から
逃れられそうにないみたいです(苦笑)。


今日撮った写真は、
整理してからホームページの「写真館」に
載せる予定です^-^


…あ、そういえば今日は光回線の工事を
NTTの業者さんがやってくれました。

やっとストレスを感じない回線速度でネットが
繋げられるようになったよぅ…( つд`)(涙)。

(長かった…。)

私が申し込んだのだけど、急遽外出することになったので、
父に任せたのですが、外から家の中に光回線を
ひくのがかなり大変だったらしく、
3時間も工事時間がかかったそうです。
(NTTの工事担当者さんお疲れさま…m(_ _)m)

by パブロン様に風邪のしんどさを抑えてもらいながらも、
   やはり今日も長文な、静花でした。



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2005年11月09日(水)



 ハードゲイ(HG)に鬱を癒された私…。

今日は「嵐」の日になりました…。

今日の未明、
頻繁にROMしてる某女性向け大手の掲示板で、
興味を引くタイトルのスレの書き込みを
いつものように読んでいた私。

そこで、

「(既婚の女性の例で)
 30歳になると、事務だけの経験では
 正社員としてなかなか採用してもらえない」


という文章があったのです。
(本題は全然違うだったんだけど)

私は(今思うと既婚と未婚だから違うと思うのだけども)、

「普通の生き方をしてきて、
事務の経験があっても、もう30になると
正社員として働けないんだ・・・。

じゃぁ、私なんて
(心の病気で長い空白の期間アリ、
足に障害があり立ち仕事しか無理、
大学卒業後1年の引きこもり経験アリ、
その上働いた経験はアルバイトのみで、
事務の経験なんてない。)
そんな私が、正社員で事務仕事に
採用されるなんて、絶対不可能だ…。

そんなに正社員の就職って厳しいんだ…。

私なんて、もう生きていけないんだ…。

死ぬしかない…。」


・・・と、どんどん深く思いつめ、
とうとう深い鬱&悲観状態に

母も元に行き、ことの内容を話し、
「もう私は生きていけない。
 親には申し訳ないけど、死ぬしかない。」


…と大泣き。

朝になったら、
両親と連れの3人をリビングによんで、

「お母さんもお父さんも○○(連れの名前)も、
これから時代が変わるし、就職できるようになるとか、
諦めなければ(こんな私でも)就職できるとか、
条件をえり好みしなければ、必ずどこか見つかるとか
希望もたせること言ってたけど、そんなの嘘じゃない!
これがゲンジツじゃない!
普通の人でさえ、経験があっても就職が難しいのに、
条件を選ばざる得ない(立ち仕事が不可能)うえ、
経験もない私が、正社員で雇われる可能性なんてない!
…もう死ぬしかないじゃない……」

…と、搾り出すように吐き出し、
ボロボロと泣いた。

そんな私に母は
「正社員じゃないとダメなの?
 別にパートでも生きていけるよ。
 それに今の静花さんじゃ、無理だよ。
 今は病気を治すことが大事じゃないの?」


父は
「中小企業なら、可能だよ。
先の(就職雇用状況)がどうなるかなんて
まだわからないし、
(パートや派遣じゃ”保証がない”と言った私に対し)
正社員だって経営不振や倒産になったら首なんて切られる。
パートとか派遣社員と同じだよ。
もう少し頑張ってごらん。」


連れは
「確かに正社員の就職は大変だけど、
今の静花じゃ無理だよ。
それには”精神的に強く”ないといけないから。
それくらいでこんな風になってしまうなら、
就職活動なんてできない。
もし採用されても、続けられないよ。
少しずつ強くなればいいんだよ。」


…といわれた。

私はというと、
もう恥もなく、超悲観的なことを口走り、
感情的に吐き出し、ワンワン泣いた。

「足のことだって、”60歳くらいで手術して人工股関節にすれば、
普通の人と同じように激しい運動も、
長時間立つこと、歩くことも、できるようになる”
ってお母さんは言ってたけど、
ネットで調べたら、例え人工股関節にしても、
なるべく長く(人工股関節の寿命を)持ちこたえるため、
運動も、日常生活も制限はされる、って書かれてた。
それどころか、手術して人工股関節にしても、
痛みを伴う人もいるって言ってた。

私は一生、普通の人のように、
スポーツを楽しむことも、(したいと思ってた)
日本アルプスに登ることもできないんじゃない!」


と、足のことまで悲観的なことを
口走る始末。

とにかく酷い鬱状態、悲観状態に陥り、
家族の前で大騒ぎしてしまいました…。

その後も鬱状態は続き、
そんな私を見て連れが突然、

「明日、長野に出かけよう。」

…と突然言い出した。
私はというと、

「…やだよ。長時間のお出かけは
疲れるから、もうしたくない。お金もかかるし…。」


と拒否。

「ダメ、行くから登りたいって
言ってたアルプスのことネットで調べておいて。
車椅子買って利用したり、俺が体力つけて静花をおぶったりして、
歩けるところは静花が自分の足で歩いて、
そうしていつか、アルプスに登ろう。
その下見に行きたい。」


「…車椅子で山登りなんて無理に決まってるじゃん。
それに別にそんなにまでして登りたいわけじゃないし。
別に行きたくない。」


「ダメ。それでも、どこかで気分転換しないと。」

………。

というわけで、
最初は行くつもりはなかったのだけど、
なんだかんだで、明日急遽、アルプスを見に
長野へ出かけることになりました。


明日はNTTの光回線の工事を頼んであった日なのだけど、
父に任せることにしました。

------------------------------------

そして、明日のために、
アルプスの情報雑誌を買いに、
まだ鬱な気持ちを引きずりながらも、
近所の本屋へ出かけた私

・・・そのとき!

あるインパクトある芸人さんが
ババーーンと表紙に載った、本がふと目にとまりました。

それは「ハードゲイ(HG)」さんの
本でした
(苦笑)。

(別に好きじゃないのに、ナゼか
目が離せない彼…。)

興味をひいたので、手にとって立ち読みしてみた…。



・・・・。



・・・・・・。




・・・・・・・・・・。



ぶ…(笑いを押し殺す声)」


あ、アホだ…。
でもバカすぎて、笑える…。
おかしい、おかしすぎる!

あはははは!!(>▽<)ノ彡☆バンバン!
(※もちろん心の中の声です。)

結局、ニヤニヤ笑いを堪えながら(←不審人物)、
その本、完読しちゃいました…。

…いつの間にか、私の「鬱状態」は吹っ飛んで、
元気になってました。


・・・もう、


ハードゲイ、マンセー!!ヽ (´▽`)ノ


まさか、あんたに鬱を癒される
とは、思わなかったよ(笑)。


時折ネタが下品過ぎるのが嫌いだけど、

ありがとう、ハードゲイ!

感謝するよ、ハードゲイ!

(でも本買わないからキミに印税は入らないケドね…( ´,_ゝ`))

・・・なんか振り返ると、
激しくて、変な一日でした。。。フォーッ!

by なんて初めと終わりのテンションの
    高さが違う日記だろう…_| ̄|○!l|  静花



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2005年11月08日(火)



 今日は診察日&連れが今月一杯での退職決定。

今日は二週間ぶりの診察&カウンセリングの日だった。

だけどそれ以外にも重要な日でした。

ズバリ連れの会社の希望退職者(相当な数)の
電話受付け開始
の日でした^-^;。

自分の都合で退職する場合と比較すると、
今回の「希望退職者募集」の枠で応募した方が
退職金に【月給4ヶ月分+有給の買い上げ】が
加算
されるらしい。
(その差、およそ100万円以上違いが出る。)

希望退職希望者はかなり多い見込みで、
しかも人事部に電話が繋がった人から受け付けられる。
…という、
まるで有名歌手のコンサートのチケットをとるような感覚で
先着順で募集数に達したら打ち切られちゃう。

もち、連れは事前に今日は仕事を休みにしてスタンバイして
応募受付時間から、電話した。


・・・私はというと、


「今日は朝から希望退職の電話をかけるから、
電話とメールはしてこないで。無事受け付けられたら
こっちからメールで連絡いれるから。」


…と、あらかじめ言われてたので、
内心ドキドキしながら自宅で連れからの連絡を待っていた…(´ω`;)


・・・・・。
・・・が、


応募受付開始時間から1時間経っても、
2時間経っても、連れから連絡がナイ・・・。



     ・・・おぉぃ…、ダイジョウブなのかぁぁぁ…??



私の携帯に電話がかかってきて、「お?」と思えば、
「”リダイヤル”をかけ間違えた」とか言われるし…。(アホ…(´Д`;))

・・・・。


受付開始時間から3時間後、とうとう連れから、

「(混み過ぎて)全然電話つがならない><;;
 静花も(連れの家に)応援にこれない?」


との応援出動要請を受けてしまった・・・。

・・・それで

急いで携帯もって、連れの家に車で向かったところ、
連れは自宅の固定電話と自分の携帯の2台を
同時に使って
応募を試みていた…。。( ゜Д゜)。。

それに私も加わり、3台の電話で
ひたすら会社の人事部に電話をかけた・・・。

ちなみに”フリーダイヤル”だったので
何十回、何百回かけようとお金はかからないんだけども・・。)

…でも、1時間経過しても、3台の電話の受話器から返ってくるのは

「只今、大変電話が混雑していますので、
しばらく時間をおいてからおかけ直しください。」


とゆう、虚しいNTTの自動応答ばかり。。。。

「一体どれだけの社員が電話してるんだー?!
(というより何人で電話の対応をしてるのだ!)」

「昼くらい、皆(みんな)、飯(めし)食えーッ!!」


…と、いい加減疲れて、意味不明なことを口走りながら、
電話のリダイヤルをひたすら押しては切り…を続ける私たち・・。
(…一体、何やってるんだろう…ヽ (´ー`)ノ)

…しかし、4時間経過後、とうとう奇跡(?)が!

連れの自宅の固定電話が、とうとう会社の人事部の
特設電話に繋がったのだ!!

(やはりフリーダイヤルは携帯より、
固定電話からのが繋がりやすいことが実証
された!
これでまた一つのトリビアが地球上に生まれ…(以下略))


ひと安心して、今度は診察のために
自宅に一旦帰って、電車医者にGO

カウンセリングでは、
この前受けた仕事の面接で傷ついたこととか、
連れと揉めて以降、自分の気持ちが
わからなくなった悩み等を吐き出すように、しゃべった。

ベラベラしゃべりすぎて、喉が痛くなった・・・。

私の話(時折涙も交え)を聴き、カウンセラーは
「ハタから見れば、明らかに(気持ちがあるって)わかるのに、
本人にはわからないんだよねぇ…」

…と、逆に(苦笑いして)笑っていた。。。


・・・・そうなのかなぁ・・・
・・わかんないョ・・・。


…とにかく、
本当の自分の気持ちを判断するには、
固定概念を捨てること、
時間をかけて、一人でなく二人で考え、判断すること

のアドバイスを貰った。

例えば変に専門書や本を読み漁って
気持ちを「枠づけ」しようとすれば、
返って気持ちがわからなくなるとかも。
(それは経験上、痛い目にあって知ってる…)

「私、境界例(ボーダー)だから…(だから
相手への気持ちも単なる見捨てられ不安だけかも…)」
って
言ったら、
”境界例だからああだ…”とか静花さん自身の気持ちや行動を
境界例の定義にはめ込み、決め付けるのは良くないよ。
静花さんは静花さんで違うわけだし、静花さんのありのままの気持ちを大切に。
…と言われた。


私はなまじ、心理学や心の問題に関しての知識がありすぎて、
頭でっかちになりすぎて、
一番大事な「気持ち」がわからなくなっちゃてる。。。

わかってるんだけど…。

・・・とにかく、話したいことは話せて良かった。

仕事の面接を受けたことを
「勇気いったでしょう。頑張ったねぇ」って
褒められ?たけど、

私は、私の周りの人が心の問題に悩んでる私に対して
(両親や連れ、ミーコ、カウンセラー、医者、
その他過去理解してくれた人も含め)の理解と優しさ、支えが
あったからこそ、そういう行動を自然に苦なくとれた
だけだと思ってる。

私の努力なんて1%で、
残りの99%は良い環境に運よく恵まれたこと
あると思う。

だから私は、私を支えてくれる、
私に力をくれる人、全てに感謝しなきゃ
いけないと、その運を幸せに思わないと
って思ってる。

(見知らぬ他人に対しても含めて)日常生活で接した人へ
常に優しい気持ちと、なるべく笑顔で「アリガトウ」を言うこと。
私がもてる”幸せ”に対して、周りの人や環境に愛情と感謝をもつこと、
そういうことを私は日ごろ大切にできるようになりたいと思う…。

話は変わって、

医者がルボックスの量を増やしました。
まだ鬱状態になる日が多いということで。。。
(朝晩2錠が、朝昼晩2錠に増加)

最近は全然、不安発作や動悸の症状は出ないで過ごせてるので、
ソラナックスはもういらないと伝え、

あと、私の希望でハルシオン(睡眠導入剤)
もらってきました。

酷い鬱状態の夜とか、これ飲んで寝る方法とか
思いついて…。

ハルシオンは自然と眠くなるけど、効き目が短いから
翌日まで全然持ちこさないんだよね。
(だから好き。)

以上、またまた長文失礼…_| ̄|○!l|

by まだまだ戦いの日々は続く、静花より


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2005年11月07日(月)



 心の問題に対するサポートが足りない日本の現状

今日はすごい雨風だった。
台風さながらでビックリ!Σ(・∀・ノ)ノ

連れが今日から仕事が連続休暇なので、
連れの家で、何気なく、
テレビのチャンネルを変えてたら、

NHKで「性犯罪の再犯の問題」について
ドキュメンタリー番組がやってたので、
興味があったので見てみた。

「性犯罪」といっても、軽い(?)ものから、
酷く心と身体に傷を負う重いものまで、
幅広くあるけれど、
女性で”「性犯罪」の被害に1度も遭ったことがない”、
という人は、少ないのではないだろうか。

かくゆう私も、
小さい頃(なんと小学2年生の時)
から今まで、片手では足りないほどの、
性被害を受けた経験がある。
(痴漢とか露出狂被害とか、
変なお兄さんにつれていかれそうに
なったとか…)

性犯罪者は逮捕されても、再犯する人が
多いって以前新聞で読んだけど…、
日本でも事実らしい。

…それにしても、
性犯罪の被害に遭った女性は
とても酷い傷を心にも身体にも残し、
後遺症に苦しむのに、
性犯罪者の罪意識のなさ、自分のした
ことの自覚の無さに唖然とした。

そして日本の性犯罪に対する罪の甘さ、
性犯罪者に対しての更正サポートが
ほとんどなされてない現状にも…。

日本は平気で小学生等の子供を性対象にした
ポルノ画像、漫画、
または暴力的な強姦AVなど満ち溢れてる…。

私はもっと、そういう類のものを規制すべきだし、
性犯罪に対する罰則ももっと
厳しくするべきだと思う。

(日本って、犯罪者には甘く、
被害者にとことん冷たいと
普段から感じるんだけど…。)

そして、一番大事なのは、
性犯罪者に対する、メンタル的な
更正だと思う。

性的嗜癖は、本人一人の力では
乗り越えるのがかなり難しい。

でも、今現在の日本では、
そういうサポートは全然なされてないし、
それをする専門家も育ってないのが
現状らしい。

-------------------------

心の問題全般に対して、
どの分野においてもサポート制度や
カウンセラーが必要だと思う。

今の現状では全然、数が足りない。
サポートもない。

”引きこもり”の問題にしても、
単に「本人の性格や家族の問題だ」だの、
「教育が悪い」だの、「親が悪い」だの、
批判や責任追及していても何の解決にも
ならないのに…。

もっと社会全体で、当事者の苦しみが理解され、
サポートや手助けする制度が緊急に必要だと思う。

本人一人や、家族だけの中で
孤立して苦しんで悩んでる人は、(私を含め)
かなり多いのではないのだろうか?

訪問カウンセリング制度とか
”引きこもり”の心の問題について
ちゃんと本人の気持ちが理解された
うえでの就職斡旋等、

もっと行政が動いて行うべきだと思う。


by 今日はちょっと気分が暗い…。静花でした。



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2005年11月06日(日)



 社会の時代によって変わる「価値観」に翻弄される自分がイヤ。もっと強くなりたい。

おはようございます。
なんか最近、早寝早起きです。。

最近は、不安障害(動悸、胸の息苦しさ)は
起きなくなりました。

ただ、酷くはないけど鬱になることはあるけれど…。
(先日のバイトの面接で傷ついたこともあって…)

実は今、気分がとても悪いです。。
胸のあたりが軽い吐き気を感じて、
何か身体に「悪い気」がのっかって
しまったような
…、

そんな感覚。。

その原因は昨晩、興味本位で見てしまった
例の「静岡の女の子の高校生の
母親の毒殺の未遂事件」

彼女が書いていたブログのコピーを
読んでしまったからなんですが…。

それを読んだ、私の個人的な感想に興味がある奇特な方は、
私のホームページのメインページの
上に感想が綴ってありますので、適当に読み流してください。
(でも新しい文章を思いついたら、新しい文章が
上書きされるので、その文は消えちゃいます。
…ので長時間残ってる保証はないけども…)

ここに綴ることも考えたけど、
ここで詳しい文章や単語を書いちゃうと、
検索エンジンからその事件のキーワードで
この日記がリンクされちゃうからね…。
(そんなの嫌だ。)

それに、あまり残したくないので。



…話は変わって、

-------------------------------------


ここ最近になって出始めた言葉、

「ニート」

あれって、聞くたびに
なんだろって思う…。

ネットで調べた定義によれば、

「働けるけど、働く意欲がなく」
「学校にも通っていなく」
「職業訓練にも通っていない」


人のことを言うらしいけど…。

相変わらず、社会は、
「普通のレール」「多数の生き方」をしない
人たちを枠にはめて、勝手に価値付けをしたり、
叩いたり批判したりするのが好き
だなと感じたよ。

その「普通」や「多数」の価値観や生き方なんて、
時代によってコロコロ変わるっていうのに…。

さもそれが正論のように批判したり差別や偏見をもつ神経が
「頭足りないんじゃないの?」って思う。

「引きこもり」の次は「ニート」かぁ…。

うちのおかぁ(母)の時代は、
女性は学校を卒業しても働かないのが
多数の世の中で「家事手伝い」という
言葉が普通に通ってたけど、

今はそういう女性すら「ニート」の
中に入るらしい。(”家事手伝い”は”ニート”に入る)

んで、結婚したら「主婦」に分類が変わって、
(例え全く家事しなくても働いてなくても)
それは「ニート」ではない。

。。。なんか変なの。。。

正直、「ニートの何が悪い?」って思うね、私は。

親のすねをかじろうが、
経済的に困れば嫌でも働かなきゃいけない
状況になるんだし、
別にどんな生き方しようと、
他人に害を与えなければいいじゃないか。

正社員で働いていても、
平気で人を騙したり、傷つけたりする人、

そっちのがよっぽど、

いわゆる、世間でイメージの悪い生き方をしている、
「フリーター」や「ニート」や「引きこもり」でも
ちゃんと思いやりの気持ちやモラルをもって
生きてる人の方が人間として質がいいと思うけどね。

私が10代の時「男は外、女は家庭」という価値観が根強く、
私は”男女差別”がまかり通る社会にも将来にも既に失望していた。

私が20代前半のころは、
女性は学校を卒業したら「腰かけ(ここ重要)」
「お茶くみ、コピー取り等の雑用の一般職で
3年くらい働いて、そしたら結婚して
寿退社」
するのが推薦された女の生き方だった。

ようやく「男女雇用機会均等法」が施行されたけど、
まだ企業の意識には全然浸透しておらず

ただでさえ就職超氷河期時代だったのに、
そのうえ採用でも男女で差別を受けた。
(たとえ今まで同じように勉強して頑張って、男子学生より
真面目に講義に出て、いい成績で卒業しても…。)

そして

私が三十路手前の今、(…って年ばれるよ( つд`)(涙))
男女差別はだいぶ私の頃より改善されたのは良いけど、
今度は女性も社会に出て働くのが当然な上
出産したらやめて、子育てひと段落したら、また働けとゆう。
家事と育児と仕事を全部やるのが当然だと。
(…っていうか共働きしないと、今の世の中
家のローン払えないし、金銭的に子供も育てられないんだよね)

私はまだ平均寿命の半分も生きてないけど、
今まで生きてきて、
社会の価値観って、本当、「無責任」だなって思う。

私は大学卒業するまでは、
その社会がいう所謂「ふつうのレール」「ふつうの生き方」
をしてきたさ。

「ふつう」から脱しないように、
必死で自分に無理して、社会に適応してきたよ。

でも、「幸せ」なんかじゃなかった。

それどころか、
そんなレールと狭い価値観の社会の中で
生きるのが息苦しくて辛くて仕方なかった私は、
もう、中学生の頃から既に将来に絶望し、
「このまま生きていくことに何の意味があるんだろ…」
「死にたい(自殺する予定だった)」


…と「死」をずっと望んで生きてきた。

大学通学時期に、
とうとう息切れして、酷い鬱状態になり、
心のお医者さんに通うことになった。
(訳あって通院やめちゃったけどね)

…まぁ、それから、
「引きこもって」た時期もあったし、
「フリーター」してた時期もあるけれど…、

数ヶ月くらい前の、
神経症を患ってたけど、症状が薬で抑えられるようになり、
日常生活が苦なくすごせるようになり、
働いてなくて、ネトゲに1日ハマってたり
自分の好きなような生活を送ってた時期があったけど、

思えば、そのときが一番私の人生の中ではじめて、
「生きてて幸せだなぁ」って思えた状態だった。

もちろん「死にたい」とも思わなかった。

・・・・・・。

私が社会に無理に適応して生きてても、
私自身は「幸せ」ではなかったうえ、
無理がたたって病気になっても、
その価値付けや生き方を奨励してきた
その時代の「世間」や「社会」は、
なんにも責任なんてとってくれなかった。


むしろ、「自分に合った生き方」を自ら選び、
「自分のしたいように過ごし」、
それはたとえ社会や世間からは白い目でみられようとも
そっちの状態のがよっぽど「自分らしく」希望を
もって生きられた。


もちろん自分でその人生を選んだのだから、
責任は自分に戻ってくるけど、
自分が好きで選んだのだから後悔はしない。
それに自分が選択したことだから、
自分の身の振り方だって自分で考えてる。

・・・・・。

話は戻るけど、
結局「幸せ」って自分で掴むものだと思った。

何よりこの地球上で一つの命を授かった動物として、
「生きる」ことが何より一番大切で、
それだけが、シンプルだけども、”全て”だと思った。

「社会」なんて、「多数派の価値観」なんて、
時代とともに無責任にコロコロ変わる。

たとえその時代の「世間の多数派の価値観」に背いても、
差別されても、それに負けないで、
「自分」をもち続けることの大切さを思う。

でも、それには精神的に「強く」ないといけないけどさ。。。

私はすごい弱くて、ヘナチョコで、
すぐ傷ついて、へこたれて…。

でも、凹みながら、弱音を吐きながらも、
少しでも「自分を生きる」ために、
少しずつでも強くなっていきたいと思う…。

それが、私の受けた「生」に
できることだと思うから。

(長文すいません。
 ここまで読んでくれた人、お疲れ様でした(´・ω・`))

by 文章短くしたいのに、いつも挫折する_| ̄|○静花より。





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2005年11月05日(土)



 バイト面接報告…&連れと復縁。

疲れた…(~_~)

今朝は朝からバイトの面接に
行ってきました。


以前の仕事の後の長い空白の時間とか
聞かれるのは覚悟してたけど(病気が発祥した
からなんだけども…)、
大学卒業してからの1年、
「なぜ就職活動しなかったの?」
…って詳しく詮索されたのが一番キツかった
かな。。。(外面は笑顔で適当に取り繕って答えたけど。。)

過去何度か面接は受けてきてるから、
多少は慣れてるけど、やっぱり、ね、
イタイもんはイタイ・・・( つд`)

なんか面接の担当の人、
私よりいくつか年上くらいの人っぽいんだけど、
なんかちょっと(こういっちゃ悪いけど)
性格が良くなさそうな雰囲気を感じたし(偏見カモ(苦笑))、
なんか話し方も笑顔なく堅くて冷たい感じで…。
なんか真面目そうだけど、頭堅そうな感じな
人だった。

休みについて聞いてみたところ、
GWもお盆もお正月も全く休みなし
普段通り出勤
とのことで…。

(うわー、ちょっとソレはキツイわ…)
と判断して、結局こちらから辞退しました

工場作業とかなら交代の人がいるから
シフトで交代で休めるけど、
事務だと交代がいないから常に出て欲しいらしい。

しかも、(面接受ける前に)母が言ってたのだけど、
以前も何回か求人チラシにそこの事務募集が何度も載って
きてたらしい。そういうケースは何かしら人が定着しない
原因がある場合が多いから、コレのせいかなぁ?

…まぁ、今回はご縁がなかったということで。。(-人-)

別に本気で受かるつもりで行った訳じゃないし、
相手に落とされたわけでもないんだけど、

やっぱり面接後、酷く落ち込み…_| ̄|○!l|。

「やっぱり、私みたいな高齢なヒッキーは
仕事なんてつけないよね…。
別に生活できなくなったら練炭で自死する
覚悟だから、いいけど…。」

なんて父親と連れにメールする始末。
(ちなみに連れとは昨晩に関係修復した。)

でも、
「そんなことないよ。大丈夫だから。
必ずいい仕事が他にあるし、焦らないでいい。」

って父が優しく、泣いてる私の両肩をポンと叩いてくれて…

父の変化にとても嬉しかった。

数週間前に家族内で修羅場があったとき、
お母さんに、父の性格上のかなり冷たい態度や物言いと、
父親として子供に接点をもたないこと、
自分達の代わりに連れがどれだけ私を
支えてきてくれたかを、諭され、
怒られて、かなり反省したっぽい…。

その時の夜は、連れにも、
一緒に車で外に出かけようとしたら
父も家から出てきて、「なんだなんだ?」と驚いたら、
連れに向かって、

「いつも娘がお世話になって、すいません。
親として不甲斐ないです。」


…なんて、ビックリフォー!!(by HG)
な発言をしてビックリしたっけ(苦笑)
(※私は別にハードゲイのファンじゃないデスが…)

それ以来、目に見えて私に気遣いして
優しく接してくれるようになった。

今まで私を支えてくれたのは、
母と連れだけだったけど(父は完全に不干渉だった)、
「両親」が二人で支えてくれるようになって
とても嬉しいし、心の支えになる。

やはり親が理解して支えてくれるのって
全然、普段の気の持ちようが違うと思う。
「私は幸せものだな…」と思えた。

仕事はまた、できると思えるものがあったら
懲りずにチャレンジしてみようと思う。。


…話は変わって、


結局連れと昨晩、関係を修復しました。

連れのメールと電話、サイレンスにして
居留守にしてたんだけど、
やっぱりメールで「別れない。
一緒に幸せになる!」って頑張る
メールとか読んじゃうと、
一時醒めたはずの気持ちが戻ってしまう
のを自ら感じてしまい…。
(また信じる気持ちが生まれちゃうから…)

「このままじゃ、また気持ち戻っちゃう。」

…と思って、とうとう電話で

「お願いだから、感情が醒めてるままで
もうそっとしておいて。
気持ちが戻ったら、また戻れなくなる。
今なら辛くなく離れられる。

…私は今まで相手に「完璧」を求めてきた。
多少の欠点や過ちも失言も許さなかった。
”無条件で私の全てを許し、受け入れてくれる”
という保証がないと、安心できなかった。
だから試したり、心と裏腹なこと言ったりして
混乱させた。

○○(連れ)は普通の人には大抵あるはずのアクとか
欠点もないし、私を無条件に愛し、受け入れてくれた。
だからまさに【理想の条件の人】だと思った。

…でも違うんだ。

○○(連れ)は器が大きくて、包容力があって、大人だけど、
私は未熟で性格も悪くて、弱くて、欠点だらけで…。

結局、いくら「条件」が理想通りでも、
自分と○○(連れ)は釣り合いがとれない。

お互いバランスがとれてないと気づいたんだ。

相手の欠点も許せ、お互い同じバランスで
弱いところも同じ高さで支えあえないと
いけないと思うんだ…。

だから、付き合うなら私は同じレベルの人と、
付き合うのがベストだと思うんだ。
(当分恋愛はしたくないけど…)

今は気持ちが下火になってるから、
冷静に素直にありのままの事実の感情を話せるし、
連れに「依存」や「支えてもらいたい」という
気持ちもないけれど、
気持ちが戻ったら、また感情が大きくなって
自分が何をするかわからないし、依存がでちゃうし、

私が自身が変わらないと(もしくは私の境界例的な心の問題が
解決しないと)、今までと同じことを繰り返すだけ。

もう傷つくのも、感情に辛い思いをするのも
イヤだし、性格的な問題もクリアできてないから、
私にまた○○(連れ)と関係を努力しあえる
覚悟ができるまで、距離をおこうよ。

もう恋愛感情の渦に巻き込まれるのはイヤなの!」


…ってありのままの気持ちを伝えた。

けど連れは、

「静花は自分では気づいてないかもしれないけど、
着実に変わってきてると俺は思うよ。
それに、付き合い続けても変わることは可能だよ。

気持ちがない、って言ってるけど、
今自分が言ってる台詞は「気持ちが残ってる」
って言ってるようなものなのに、
なんで気づかないの。

人は急には変われないよ。
でも少しずつ変わることならできる。

失った信用は必ず取り戻してみせる。
傷ついたら、また俺が癒す。

だから、やり直そう?」


…というような、押し問答を続けるうちに、
とうとう私の中の気持ちがあるレベル以上に
戻ってしまったのを自分の中で感じ、

(…ああ、こりゃダメだ。
もうこのレベルに気持ちが達したら、
もう引き返そうとしても辛くなる状態…。
「覚悟」がないから戻らない、とか
頭で言い聞かせても、抑えられんわ…)

と、今までの経験から冷静に判断し、
とりあえず戻ることにしました。

でも、

『でも、これがもう”ラストチャンス”ね。
今度私が信用できなくなって、深く傷ついて
(一時的なものでも)”醒めた”と感じ、
距離をおきたいといったら、
言うとおりにして欲しい。』


という”約束”をしました。

…どうやら私の今回の「冷めた」と
思ったのは、深く傷つきすぎて、
連れのことを信用できなくなった
のが原因で、連れに心を開けなくなった
一時的なもので、
本当に「冷めた」のとは違うみたい。

だから、また信じ始めれば
気持ちも戻ってしまう…。

なんか、本当、ハタからみたら
何を愚かしいことをやってるの?
みたいに思われるかもしれないけど、
今回のことは私には、長年連れと付き合ってきても
初めての体験で、
今回のことも今後の”糧”になると思う。

もちろん、私自身も変わるよう成長できるよう
努力していくつもり。
(…っていっても、以前みたく気持ちが大きくなれば
多分無理だろうけどね…。
感情が野獣のように、理性では制御不能になるから…。)


あーーー、最近なんて長文続きだぁ!!
うーーー、読んでくれてる人(いたら)
ごめんなさい、ごめんなさい(泣)。

ある意味この日記は
私の「記録」のようなものなので、
忘れないように記録しておきたいので、
あえて書けるときは、平気で長文乱文書いちゃいます。

ふー。
今回はとりあえずここまで。

ミーコ(飼い猫)は今日病院に連れて行って、
虫下しのお注射をしてもらいました。

次は10日後にまた、お注射させにいきます。

他にも患畜が待ってたけど、
やっぱり私、犬のが飼いたかったかも・・・。
(まぁ、縁で猫飼わざる得なかったから
しょうがないけれども…)

ではまた。

by 情けないけど、自分で”自分”だけは
見捨てないよう頑張ろうと思う、静花より。


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2005年11月03日(木)



 バイトの面接は金曜でした。。(てかめちゃくちゃな長文&文章ですヨ)

昨日の日記に、仕事の面接は明日だとか
言ってたけど、本日3日(木)は祝日らしくて
(社会に出てないから、日付に疎い…(-_-;))

面接は4日の金曜っていってたから、
今日じゃなくて、明日でした。(大勘違い)

まぁ、一応昨日、美容院行ったついでに
(…っていってもカラーだけ、だけども)
はりきって、履歴書用の証明写真も撮って
きちゃったわけだけど…。

まぁ、履歴書くの伸びて良かった〜^^
(↑ちなみに私は宿題は最後の最後まで伸ばすタイプ…)

話は変わって、連れのこと。

昨日、昼間思ってることをそのまま
メールしたら、
仕事帰りに

「別れたりしない。これからも二人で
居る事が幸せになるようにするし、なる。」


…と予想通りの返事。

多分、彼はそう簡単には諦めないでしょう。

今回こうなったのは、
それを(絶対に「別れてもいい」と
言って私を傷つけない条件

先日、彼の気持ちが鬱くなって相当弱った
状態になっていたがゆえ、
破ってしまったこと(「静花が別れるって
言ったら…終わっちゃうよ?」といって
しまった
)のが原因だしね…。

普段は絶対、私が何かでカーッと感情的になって
何度「もう別れる」「さよなら」ってメールしても
普段の彼なら絶対「絶対別れないよ」って
引っ張ってきたから、そういう「約束」であり覚悟
を過去に決めてもらってたから、
こうなることはわかっていたけれど…。

なんで私がこんなへんなこと
「好きなのに、”もう別れる”ということ」
を繰り返してしまうのか。。。

…やっぱり、境界例なのかな??

無意識に、相手をその言葉を使うことで譲歩させようとしたり、
自分が感情的に嵐になって、どうしようもなく辛い状況から、
救ってもらおうとしたり…、って気持ちがあるんじゃないか、
と自分では思う…。

あと、「石橋を叩いて叩いて試してる」
からだと思う。

連れとの関係は私にとってすごく
影響が大きすぎて、
連れと揉めたり、寂しさが耐えられないと
感情がすごく辛くなって、
自傷したり首つったりしちゃう。

だから、ある意味
「連れがそこで、感情的に辛くて制御不可能に
なってる私を救えない」
と、

私は何をするかわからない。

下手すると自傷どころか、死んじゃう可能性も…。

だから、連れと恋愛関係を続けることは、
私にとっては「連れの対応一つで
自分の命が賭かってる」
ことになるわけで、

だから、
どんなに連れが不合理でも頭きても、弱気な
状態になっても、
「私の命を守るのを最優先にして欲しい
(つまり自分の気持ちを殺してでも折れて欲しい)」

…という、不平等な条件をつけていたのです…。

正直、なんて我侭で自己中な「条件」だ
我ながら思う…。

だから、(私には恋愛を続けるのは無理
(それだけの器がない。自分で自分の命すら
守れないくらい感情が嵐になってしまう)
けど、それを生涯守り、支え続けるのは、
どれだけ穏やかで器が大きい人でも、
至難の業(だって”人間”だもの…。
調子の悪いときや、傷ついたとき、
弱くなるとき、あるからね…)
だと思ってるから、

だから、
好きだけど別れようと何度もしてきた。

でも、彼はその条件を守る方を選び、
私と関係を続ける道を望んだ。

・・・・・・。

なんか、

何書いてるか段々わからなくなってきた。
(読んでる人、意味不明でごめんなさい。
…てかいるかな?(苦笑))

話を戻して、

前回、「連れへの気持ちがなくなった
ように感じる」
と書いたけど、

昨晩の連れのメールを読んで、
気持ちが動くのを感じてしまった……。

炎の消えた炭火が、また赤く灯るような
感じ…。

不味い…。

もしかして、あの件の傷が癒えたら、
また信じはじめてしまったら、
気持ちが戻っちゃうかもしれない・・・。


もしかして「醒めた」と思ったのは
ショックと傷と悲しみと信用を裏切られたことで
傷つきすぎて、信用できなくなったからが原因の、
一時的なものなのかもしれない・・・。

とても胸中複雑。。。

感情が冷めたら「悲しい」けれど、
もう相手との関係や相手の存在に依存することも
影響受けることも、
自分の気持ちと戦うこともない。。。

別れるのだって「辛さ」を伴わない。
冷めたほうはラクだよね…。

でも、また気持ちが戻ったら、
また恋愛感情に翻弄されなければならない。

自分の気持ちと戦わないといけない。

別れようとしても、好きで別れたら、
その後「死ぬほど辛い」日々を続けなけ
ればならない。

・・・・。

今後、気持ちがどうなるかわからないけど、
あえて返事は書かなかった。

今はまだ傷が癒えてなくて、
そっとしておいて欲しかったから。


・・・・・。

結局、私は「恋愛関係」から
(もう足を入って逃げられないにも
関わらず)怖くて逃げたいのかもしれない。


やっぱり、
私自身が変われ(成長でき)ないと、
難しいと思う・・・・。

今回のようなことは
絶対繰り返すと思う…。


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2005年11月02日(水)



 連れへの気持ちが…&久々のバイト面接。

明日は久々に仕事の面接を受けることに
なりました
。(多分落ちるけど)

私は足が生まれつき悪く、足を使う仕事ができないうえ、
月曜日に通院&カウンセリングが入っているため、
とても限られた仕事しかできない状態。

やってもいい(しやるのが可能)かなと思える職種の
事務の仕事はほぼ諦めていたんだけど、
(大抵事務の仕事は土日休みだから)
その募集では事務仕事だけども、
日曜と、あと平日に1日休みがとれるという
珍しい条件だったので
「まぁ、受けるだけ受けてみるか。暇だし…」
って超適当で軽い気持ちで…、まぁ受けることに
なっちゃいました。。。
(本当は怖くてやめようかとも思ってたけど、
母と連れに「試しに受けたら?」と後押しされたので…)

あー、履歴書書くの面倒くさい……。

まぁ、そんな凹んでる場合じゃない時なんだけど、
今、連れとの関係で今までで
一番のピンチを迎えてます。


詳しくは書かないけど(うまく説明できないし…)、
とにかく別に連れが客観的に悪いことをしたとか
じゃないのだけど、
私が出してた条件(それは普通の人間には
貫き通すのはかなり至難の業の条件だけれど、
それでも連れは【絶対】守ってみせると言っていた。)
を何年かぶりに、破ってしまったから・・・。


そのため、私は深く傷つき、泣き、
…そして、心の中に連れに対してあった
「絶対的な信頼」が崩れてしまったのです。。

それは「青天の霹靂」でした。


80%の信じてたものが裏切られても、
残りの信じてなかった20%があるから
まだダメージは少ないけど、

私は100%、もうそんなこと言われたり、
そんな状態になることはもうないと、
ここ何年の連れの努力と愛情から、
安心しきって、信じきっていたから、
ダメージとショックは相当なものでした。

連れの「絶対」を「絶対」と信じていて、
「もうこれなら安心だな」って思えて、
私も連れの頑張りに応えるよう、
連れとの関係をよくするよう努力するようにしてきたし、
私も連れへの気持ちが成熟してきて、
連れに対し、とても愛情の気持ちが沸き、
心の中に小さな太陽がポカポカと灯ってるような…。

そんな「幸せ」を手に入れてました。

でも、それが崩れました。

…私の中には、もうその太陽はありません。

上の出来事から、何年もの連れの比類ない努力から
積まれてきた積み木が、ガラガラと音をたてて
崩れました。

私の中から、
連れへの絶対的な安心と、
連れへの愛情が消えました・・・・。

そう…
この6年の少し…。どれだけ今まで揉めても、
決して変わることのなかった
【私の気持ち】が、今回はとうとう
変わってしまったのです。
完全にじゃないけど、
連れへの恋愛感情が「醒めてしまった」のです。。。

連れへの気持ちが
「恋愛感情」ではなく「友達」的な感覚に
なってしまいました。。。

今でも胸にあるのは”悲しさ”です。

連れはそれでも(連れも辛いだろうに)、
「絶対(気持ちを)取り戻してみせる」とか
「信頼できるようになったら、
 元の関係に戻るよ!」


って私に言う…。

正直私はわからない・・・・。
どうしたらいいのか、どの選択が
一番良いのか、悩んでます。

また自分のわからなくなった「感情」を
一生懸命、探します。

でも思う…。

気持ちって一度醒めても戻るもの???

・・・。

正直、バラバラになった積み木を
また1から(正確にはマイナスから)
お互い辛い思いをし、連れを傷つけて、
お互い悲しい思いもしながら、
また長い時間をかけて、築くことはもう疲れたよ……。

もうあんな辛い思いはやだ。
そんなの「幸せ」じゃない。

そこまでする価値があるの?
結婚してたら私は続ける努力をするだろうけど、
私たちはただの「恋人」なのよ…?

もうここまできたら、
別の人と恋愛したほうが幸せなんじゃないの?

・・・・。

結局、私が「変わらなければ」ダメだと思った。
そうでなければ、多分また繰り返す。
もしくは、連れに負担がかかりすぎて
連れのメンタルが壊れてしまう…。

連れは

「俺は静花が幸せになるまで、
生まれて良かったと思えるくらい
自分に自信もついて、生きれるまで
諦めないし、
それに自分の一生をかけてるんだから。」

「絶対、幸せにしてみせる!」


って繰り返し、言う。。。

でも、多分私自身が変わらなければ、
それは無理だと思う。

恋愛は一人が頑張るものじゃない、
お互い頑張るバランスが同じくらいじゃなきゃ
やっぱりもたないんだ…。

一度、一人になってみた方がいいのかもしれない。

その方がもしかして近道かもしれない。

----------------------------------------

・・・昨晩、連れが泊まりにきた。

今までと同じように、一緒に寝た。

連れは、いつもと同じように
手をつなごうとした。

それを私は振りほどいた。

スキンシップができない・・・・。
以前みたいに連れにべたべたしたい
と思えないのだ…。

私は、拒絶する自分の気持ちにも、
拒絶された連れの気持ちを思うにしても、
とても悲しくなった。

その晩、よく眠れず、何度も目が覚めて、
何度も短い夢を見た。

内容は、現実世界と同じ状態にいて、
連れに何のしこりもなく、
手を握ったり、抱きついたりできる夢。
幸せな夢…。

…でもその夢から目が覚めると、
お互いがただ横になって寝てるだけの
「冷たく悲しいゲンジツ」があった。

とても悲しくなった。
手を握りたくても握れない…。
手を伸ばせない。

今思い出しても、涙が滲んでくる。

私は以前みたいに戻れるなら戻りたい。
以前みたいに手を握りあって、
抱きしめあって眠りたい。

隣に眠る連れの横顔を幸せに感じ
眺めながら、時を過ごしたい。

でも、できない・・・・・!

心に「大きな大きな壁」が立ちはだかって
いるかのように、連れへの愛情表現ができない。
気持ちがついていかない。

そしてそんな私の態度で
傷つく連れを見るのもまた辛い。。。

以前は私は連れに毎日でも会いたいくらい
べったりだったのに、
会わないでも平気になってきた。

もう、どうしていいか、わからない。


別れたほうがいいのかもしれない。

でも、あの夢が教えてくれたように、
私の心の中には、まだ連れに対する
「好き」という気持ちが残っているけれど、
今回の件で失った「信じてたもの」のせいで
それがふさがれてしまったのかもしれない。

以前のような信頼さえ取り戻せば、
また以前のように戻れるのかもしれない。

正直、私にはどっちを選択すべきか
まだわからないし、迷ってる。

…ただ、今後連れとどうなろうと、
例え別れて、お互い別の人生を歩もうとも、

彼は私の「運命の人」である(あった)ことは
私の人生の中で変わらないと思う。



とても大切なことだから、
早計な判断はしたくない。

じっくり自分の気持ちとも
向き合って、身の振り方を考えたい。


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2005年11月01日(火)
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