同じ空の下で。
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2002年01月31日(木) 教授との戦い。

こんにちは、金曜は授業が無いといっていたくせに
ちょっくら、2時間授業に出てきた、たけです。

そうなんですよ!
なんで、金曜日に授業が入るねん!!!!

元をただせば、昨日、
道端で、俺の授業を組んでくれている教授とばったり会ってしまったのが
そもそもの始まり。

「あぁ、たけ、金曜日は授業なかったよね??それじゃぁ、金曜日の11時15分に来てくれ、君にとって役に立つから」(もちろん英語)

金曜日にはどうしても授業を入れたくなかった僕は、、
(というより、これ以上授業が増えたら死ぬ。。)

「ちょっと、まったくださいよーー」と言おうとしたのだが、

それを察知した彼は、
いつものお得意の笑顔で、、スタスタと。。


でも、どうしても、金曜は死守したかったもので、
本日、授業前に彼の研究室へ。。

しかし、そこでも、彼の方が一段上手。
うも言わさず、プリント4枚、僕に差し出す。

くそ、、うますぎる。。。

しょうがなく、授業にでたんですが、
やっぱ、納得がいかん。
なぜに、4時間も金曜に。。

ということで、休み時間、再び決戦の場へ。

結果。。









やったよ!やったーーーーー!!!!








勝ち取りました!自由の身!


2002年01月30日(水) 友達からのメール。

はい、自分でキリ番900を踏んでしまった、たけです。

今日、アメリカにいっている友達からメールが届きました。
どうやら、いい感じでやっているらしんですが、
一つ気に食わない文が。。。

「俺、最近、アメリカ人の英語しか耳に入らなくなってきたよ。日本人とか、韓国人の英語は聞きづらい。。。」

おい。

それは、ちょっと嫌味ではないか??
英語で苦しんでいる俺にとっては、ズドンとボディーに
一発、パンチを食らったような感覚だよ。

まぁ、親友だから許す。




ということで、シュンに一言。



誕生日おめでとう。
先に厄年を迎えたなーおい。

せいぜい、韓国人の彼女と楽しんでくれや。

間違っても、国際関係を悪化させるようなことはやんなよ。


2002年01月29日(火) 人種について。

ということで、1日2回更新です。
23歳おっちゃんは腰が相当痛いです。
(はい、バスケのおかげです。。)

今回の内容は、ちょっとヘビーかも知れません。
(自分がそう思っているだけか??)

あらかじめですが、あくまで僕個人の意見です。
ですから、自分の価値観を他人に押し付けようとか
そーーいうのは、一切ありませんのでご了承ください。

ちょくちょく、話に出てきたと思いますが
この大学には、イギリス人はもちろんのこと、
他の国から、たくさんの留学生がきています。

もちろん、その中に、日本人がいて、中国人がいて、
アフリカン、中東、南米。とにかく、多種多様なんです。

教師になろうとしている僕にとっては、
いろいろな文化、考え方に触れるいいチャンスだという捕らえかた
なのですが、もちろん、みんながそうじゃない。

今日、日本人の女の子の一言がすごく印象に残ったんです。

それは、、

「この授業、黒いのばっかだね」

。。。。

彼女の中での、アフリカンもしくは、中東の人たちに対する
印象はよく知りません。
ひょっとしたら、彼らに対して、過去にいやな思いをしたのかもしれません。

一切、そのようなバックグランドは分かりませんが、
彼女の発言には、少なからず寂しさを覚えました。

「黒いの」って。。。

ものじゃないんだからさ。

確かに、日本人の感覚の中では納まらない行動をする国の人もいます。

僕も以前から、少し苦手(嫌い)だといっている国(一部)の人もいます。
もちろん、同じ国の出身でもそれぞれにパーソナリティーがあり
人それぞれです。
(中国人の友達もたくさんいるし。。)

パーソナリティーを排除したときに残るのは、
やはり、その国の文化であり、文化は、それに属する人たちの
行動をある程度、決めると思うんですよ。

しかし、それを認めるのは(嫌いでもね)、大事なことだと思う。
もちろん、誰が見ても(どの国の人が見ても)行き過ぎ行動には、
注意なり、批判なりは必要だと思う。

でも、根底から否定するような、
肌の色の違いを、どうこう言うのは僕はよくないと思う。

そう、今日、ちょっと思いました。


でもな、、ちょっと「批判」させてもらうよ、中国人の2人組みさん。














いくらなんでも、お互いの髪をバリカンで剃りあうのはよしてくれ。

ここは、、、、、、、、、














共同キッチンじゃ!!!!


2002年01月28日(月) 語学力。

は、よく言いますけど、一日じゃどうしようもないものですよね。
それは、十分分かっているんですよ。

でも、こうもできないとさすがに自分の才能の無さに凹みますな。
喋るのが苦痛。聞くのも苦痛。

今まで、そこそこ自信があった読むのも自信喪失。

自分に科せられた試練として捕らえてますけどね。

まぁ、そんなことで悩んでいるのも幸せなのかな。

きっと、同じ空の下のどっかで、
もっと、もがいている人、苦労している人が
ごまんといることだろうしね。


2002年01月27日(日) 忙しい日々。

いやいや、書くネタがありません。まじで。
というか、最近忙しいのね。

新しい、学期が始まって1週間がたち、
まだ、環境に慣れていない、というか、要領がつかめない。

ストレスがやや多いい感じだね。

予習をしないとついていけないし、
宿題はいっぱい出るし。。。

まぁ、愚痴ってもしょうがないんで、頑張りますよ。


2002年01月26日(土) フッと歳を感じるとき

人間、いろいろなシュチュエーションの中で
自分の歳を感じるものである。


例えば、、

子どもの頃に見ていたアニメや戦隊ものの話が噛み合わないとき。

いつの間にか、アイドルがほとんど年下になっているのに気づいたとき。

バスケをやっても次の日に筋肉痛が来なかったとき。



日常の生活、会話の中でこのような経験をしたことがある人は
きっと多いと思われる。

その度ごとに、「あぁ、自分は歳をとったもんだ」と
思い知らされることであろう。

僕も、ここ数年、数ヶ月、数日とこのような思いに直面してきた。

が。。。。

今日、思いもよらないところで、
この思いにぶち当たったのだ。

それは、前の前のバイトの友達に
久々にメールを書いたときのこと。

最近、音沙汰がなかったので、あちらの近況を聞くのと同時に
こちらの近況を書き、終わりにしようとしたときに
自然と次の言葉を打ち込んでいた。。














奥さんによろしく。











あぁ、ちょっと前じゃ、こんな言葉は俺の頭にインプットされていなかったんだけどな。。


2002年01月25日(金) イギリスの物価事情

イギリスは食べ物が高い。。
ということを、みなさんご存知でしょうか?

基本的に、物価は日本と似たような感じだと思うんですが、
こと、食べ物に関しては、おそらくこっちの方が高いでしょう。

日本には、もうないですが、アメリカ発のファーストフードである、
「バーガーキ○グ」。

こっちで、普通に食べると、およそ800円弱ですかね。
おいおぃ、ファーストフードでそんな高いんかってね。

学食なんて、もう最悪。
日本の大学じゃぁ、400円もあれば、そこそこ食べれるんだけど、
こっちは、400円じゃロクなもの食えん。
しかも、まずい。。。。

値段と、品物のバランスが恐ろしく悪いんですわ。。

まったく、どうにかならないものか。。

ちなみに、びっくりするかもしれないけど、、
たばこの値段。。。
普通に買ったら、、、、

800円ぐらいです。

恐ろしく、税金がかかりやがる。

って、俺はたばこは吸わないからいいんだけどね。。

ということで、とりとめのない文で失礼しました。


2002年01月23日(水) お友達。

今日、イタリア人と中国人(南部出身)の人と友達になりました。
いやはや、イタリア人はいいやつです。

こやつ、ローマ出身。名前は、フレッド。
ローマ出身なのに何故かユベントスファン。
(サッカー知らない人ごめんなさい。ユベントスはトリノにるチームでして、
もちろん、ユベントスとローマはライバルであります。。)

で、なぜにユベントスファンなのかと尋ねたところ。。。













「俺もわからん」












などほざきやがった。(笑)
でも、ほんといいやつです。

で、もう一人の中国人。
以前、中国人はあまり好きではないと書いたのを覚えているでしょうか?
その時も書いたと思うんですが、正確には北部出身の中国人があまり
好きではないのです。
(もちろん、人それぞれですよ)

ほんとうに、性格が違うんですよ。南部と北部では。
(ちなみに、言葉もまったく違うらしい。その違いは、日本語と韓国語といったみたいな違い。つまりは、まったく別の言語)
そのことを彼にも言ったところ、

「まったくその通りで、北の人はクール」だと言っていました。

俺にとっては、クールの一言じゃぁ収まらんがね。。

とまぁ、彼は南部出身の陽気なやつ。
ここに来る前にたくさんの日本人の友達がいたようで、、
かなりの日本通。


好きなドラマ・・・













ビューティフル・ライフ

ロング・バケーション。














好きな歌手。












ナミエ・アムロ













突然、発した日本語・・・













「もーかりまっか??」
「ぼちぼちでんな」














一体、あなたは何人なんですか??


2002年01月22日(火) 今学期初授業。アンド、初バスケ。

と、いうことで、授業が始まりました。
しょっぱなの授業は、、

Introduction to Literature

まぁ、日本語にすれば「文学概論」みたいなものになるんでしょうかね。。

教室に行き、席に座り、話を聞く。

どうやら、活発な議論が行われている。

















わけわかんねーーーーーーーー。。。





相変わらず、わけが分かりませんでした。

わけわからなさ具合に、ちょっとおもろくもなったけど。。

まぁ、とりあえずは、がんばりますよ。
今学期最後には、しっかりわけが分かるようになって、
授業について行けるように、これから勉強です。

まぁ、自分の英語力がどのくらい上がるかを計るいい基準に
なるんじゃないかなと思いましたとな。



ちなみに、今期初バスケをやってまいりました。
トシですな、トシ。
相変わらず、体が動きませぬ。

はたして、若者の印である、












翌日筋肉痛。








は来るのでしょうか。。


2002年01月21日(月) 留学の目的。

こんにちは、マスターにあがれなかった、たけです。
えぇ、一応、前学期のテストはパスしたんですよ、全て。

読み書きの英語レベルは多少問題あるも、まぁ大丈夫なんですけど、
いかんせん、聞き取り、会話能力がいまいちでして、、

うちの、教授が一言。













「もう3ヶ月、マスターの準備コースね」









。。。。ということで、もう3ヶ月、準備コース決定であります。
と、まぁ、自分でもそうした方がいいかなと思っていたんで
納得はいってるんですけどね。


そーいえば、この日記上で留学の目的を書いてなかったですな。
いい機会なので、ちょっくら書きますか。

そもそも、僕は、帰国後、高校で英語の教員をやりたいなと思ってまして。
(女子校じゃないですよ、女子校じゃぁ。。)

で、英語を教えるのに、これじゃぁ、だめだと思ったんですな。

つまり





「中・高・大学とほぼ日本人に英語を習う」



「日本人の俺が、日本人として英語を消化する」



「日本人の俺が、日本人の生徒に英語を教える」



「日本人が、日本人から教わった英語を日本人に教える」







。。。。


。。。。。。


。。。。。。。。







日本人しか出てこないやんけ!!!






おかしくないですかねぇーーこれ??

俺は少なくともおかしいなと思いまして、
一大決起をして、留学をすることにしたんですよ。

ただ、決して、上の構図が悪いと言っているわけではないんですよ。
あれには、あれでいい面もあるかもしれないし、
早く教壇に立って、経験を積むのもいいと思うしね。

ただ、俺の場合、
海外で、いろいろな経験を積むのもいいと思ったんですよ。
当たり前だけど、教師は決して教科だけを教えるもんじゃないし、
自分で見てきたもの、感じたものを生の声で高校生たちに話をする
そんな教師になりたくてね。

ということで、今、イギリスの大学に来てるんです。
で、上に書いた通りの状況であります。

ちなみに、4月からは「英語教授法」のマスターをとる予定です。
(予定では、今月からだったんだけどね。。。しつこい。。)


2002年01月20日(日) 2ターム目開始。

ということで、大学2ターム目が開始であります。

いやはや、早いものです。
大学の休みなんてあっという間。
しかも、それが海外ということになると余計ですな。

でも、休みの間は、なかなかの充実した期間が過ごせたかと。

彼女も来てくれたし。

サッカーもスタジアムでみれたし。

ナショナル・ギャラリーで「ゴッホ」も見れたし。
(ちなみに、俺はゴッホよりも、カンスタブル←イギリス人風景画家。が好き)

と、まぁ、いろいろあったけど、
また、勉強する活力になったかな。

ということで、また、いつもの生活が始まります。


ということは、、、つまり、、、









ネタが豊富になるってことね。


2002年01月15日(火) 焼肉

狂牛病(正式名称:牛海綿状脳症)が、日本を騒がしている昨今。

一足先に、狂牛病が話題となった
こちらでは、今となっては、そんなのどこ吹く風と言わんばかりに、
がつがつ、何くわぬ顔で、牛を喰らっている。
もちろん、僕も例外ではない。

少なからず、牛肉に関わってきた僕としては、
(焼肉屋でバイトをしていた。。)
やはり、その手の、ニュースは気になる。

というか、大丈夫なのだろうか。
焼肉屋さんよ。。。

思い返せば、焼肉との思い出は沢山ある。


小学生の頃、家の近くに、ファミレス風焼肉屋があり、
よく、家族で行ったものだ。

その時は、必ずといっていいほど、『タマゴスープ』
頼んでいたような気がする。。


そういえば、こんなこともあった。

食べ盛りの、動き盛りの、高校時代。
バスケ部の連中20人くらいで、
ゴハンおかわり自由の、店に食べにいき。









計100杯(しかも、ドンブリ)








ぐらい、食べ尽くし、ジャーを空っぽにしたという、店にとっては
迷惑以外何ものでもない伝説を残しみたりと。


ああ、狂牛病よ。
余計なことをしないで、おとなしくしていておくれ。
日本に帰ったら、焼肉屋がすべて潰れてたなんてことがないように。。


2002年01月14日(月) 誕生日伝説(其の弐)

と、いうことで、2年前の誕生日は
ぎっくり腰を患った僕であるが、

まさか、23の誕生日がこんなことになるとは思わなかった。

時は、3月3日。ひなまつり。
当時、焼肉屋でバイトをやっていた僕は、
仕事後に、小腹がすいたため、
店の物を、みんなで食べようということになった。

で、顔に似合わず、料理好きな僕は、
店にあった、『牡蛎』と『バジル』
(そもそも、何故に、そんなものが焼肉屋にある。。)
を使って、ちょっとした物を作った。

そもそも、それがまちがいであった。
なんてことは、食べている時は思わず、
満腹になった僕は、きっと、満面な笑顔だったに違いない。

適当な頃あいをみて、
僕らは、店を後にした。

家に帰り、そそくさと寝た僕であるが、
朝方、異様に気分が悪くなり、








トイレへゴーーー。。。







ちょっとしたリバース(嘔吐)をしたのだが、、
その時は、『風邪かな?』っていう程度にしか思わなかった。

誕生日当日は、なんと、彼女が
横浜のインターコンチネンタルホテルを予約してくれていて、
それに備え。。。夜に備え。。。
ゆっくり休もうとしか、思っていなかった。

で、再び目覚めた僕。
明らかに調子が悪い。
気持悪い。
上からも、下からも液体しか出ない(食事中の方ゴメンなさい)
そこで、僕は悟ったのである。。。








『牡蛎にあたった。。あたっちまった』と。







しかし、僕は、そんな事実を認めないかのごとく、
彼女と、横浜に向かった。

とにかく、気持悪い。
食べた物は、もちろんリバース、リバース。

夕食に、お腹にいいものと、うどん屋さんに行き、
『力うどん』を頼むのだが、なぜか、、









もちが、揚げてある。。









おい。余計なことをするな。






もちろん、まったく食べれず、ホテルへと戻る。

熱もあるようだ。

もう何も出る物が無いはずなのに、吐きけが襲う。
彼女が、心配して色々と介抱をしてくれる。

トイレに入りびたりの誕生日。
ああ、、俺の誕生日って一体。。。
そんなことが頭によぎりつつ、3月5日を向かえる。

23歳。前厄。ただいま、食あたり中。。。

そなこんなで、次の日を迎えたのだが、、
夕方近くまでは牡蛎と格闘であった。



過去、2年間、そんな誕生日だった、、
あと数ケ月で、24になる俺。
来年って、厄年だよななんてことは考えないようにしている今日この頃。


2002年01月13日(日) 誕生日伝説(其の壱)

誕生日。

それは、どこの国でも恐らくは祝いごとでしょう。
テーブルの上に乗った、ケーキ。
色々考えてくれたであろう、プレゼント。

みんなでワイワイやるのもよし、大切な人と過ごすのもよし。
きっと、目をつぶれば楽しい思い出が走馬燈のごとく。。

(目をつぶる)


。。。。。。。。

。。。。。。。。。。。

。。。。。。。。。。。。。


痛い。痛過ぎる。
思い出せば、僕の過去2年の誕生日は。。


2年前の、3月4日。
22歳の誕生日を次の日に控えそれは起こった。


『グキ。。。』


当事一人暮しの僕は、夕ご飯を作っていた。
何てことはない、落としたシャモジを取ろうと、腰を曲げた瞬間
体の中心で鈍い音が聞こえた。


明らかに、、、











『ぎっくり腰』












おい、、俺は何歳だ??
明日は何の日だ??



などと考える余裕もなく、、
まったく、動けない。歩けない。トイレにもすわれない。
とりあえず、必死に痛みを堪えて、病院へと。

腰に手をやり、亀のごとくスローモション。
何も知らない道ゆく人は、不思議そうな目線を突きさす。
散歩中のお年寄りは、ことごとく僕を抜いていく。

普通なら、5分の道のりを、20分以上もの時間をついやし、
やっとの思いで、病院に到着。

診察券を出し、待ち合い室へ。
椅子に座るにも、そうとうなスローモーション。

ちょっとも、腰が曲がらないので、異様に姿勢がいい。






『不自然だ、不自然すぎるぞ、、俺』






などと、思っていたら、自分の番となり名前を呼ばれた。
一通りの診察の後、やはりきた、医者の言葉。





『注射うちましょうね』









『いや、いいですよ。』








なんて言っても通じない。










『い、痛いですよね?』











なんてかわいいことを言っても、明日は22歳。
覚悟を決め、ズボンを下ろす。

腰に、これでもかと言わんばかりのぶっとい注射がささる。

『い、痛い。痛すぎるぞ、注射よ』

これ、いわゆる、筋肉注射。
注射の中でも、相当痛いと言われる部類。
それを、こしにブスっと。。。。

こうして、無事(?)注射を終え、家に帰った21歳最後の日。
22歳の誕生日は、痛みと闘ったのは言うまでもない。

23歳の誕生日は、きっと幸せだろう。
そう、自分を慰めて。。。。







ただ、23歳の誕生日が、これに匹敵、もしくわそれ以上になることはまだ知る由もない。。。.


2002年01月12日(土) フットボール観戦記 in England (part 3)

試合開始後から、主導権はチェルシーが握る。
おしいシュートも何度か見ることができた。

その度に、ゴール裏は総立ち。
拍手、ブーイング、トッテナムをけなす言葉。
もう何でもありである。

汚い言葉を学びたのなら、サッカー場のゴール裏を薦める。学校じゃ、絶対に教
わらない言葉が飛びかっている。


そうこうしているうちに、チェルシーのストライカーである
ハッセルバインクがゴールをきめる。
興奮の渦がスタジアムを包む。

隣の、おやじは飛び上がり、逆のややインテリのおやじは
涙目、前の若者2人組は、抱き合って喜んでいる。
各々が、各々のやり方で、喜びを爆発させている。


その後、膠着状態が続き前半が終了する。
あっという間の45分であった。

それにしても、トッテナム、しいてはイングランドのスターである、
シェリンガムが試合に出ていないのが悔やまれる。
あの、ろうかいかつ、華麗なプレーを生で見てみたかった。

それとは、逆に、イタリアサッカー界の1時代を築いた
ゾラのプレーを見れたのが、非常にうれしい。


しばしの休憩の後、後半が開始する。

後半開始そうそう、トッテナムの逆襲が始まる。
防戦一方のチェルシー、ゴールを割られるのも時間の問題
だろうと思った瞬間、目の前で、ゴールをきめられる。

シンと静まるスタジアム、一角だけが、大盛り挙がりである。
はたから見ていると、その喜びようが面白い。
蜂の巣をつついたようなさわぎである。

気を取り直して、試合再開。

どちらも、これといったチャンスが巡ってこない。
両チームとも、選手交代で流れを掴もうとするが
それもうまくいかず。
こーいうときは、おのずと、セットプレーから得点が生まれるものだ。


後半30分すぎ。
ゴール前で、ファールを受ける。

時間帯、場所、すべてが、チェルシーの得点を期待させる。
キッカーはゾラがすでに退いていたため、ハッセルバインクが務めるようだ。

スタジアムに緊張が走る。
37264人の視線が一つに集中する。
主審のホイッスルの数秒後、
スタジアムは再び、興奮に包まれた。ただ、先程よりも、さらに大きな興奮だ。

そう、ハッセルバインクの右足から放たれたボールが低い弾道を描き、
ゴールに突き刺ささったのである。

その後、絶対的なピンチを招くが、キーパーの超ファインセーブで逃れ、
15分をしのぎ、チェルシーがロンドンダービーを収める。

初めての、イングランドサッカー、身に染みる寒さ、目の前に広がる緑、隣のおや
じ、全てが全て僕の頭にしっかりと刻むまれた。










(ということで、来週も行ってきますーー)


2002年01月11日(金) フットボール観戦記 in England (part 2)

まさに、本場。ゲートに入る前に、これでもかという程のBody checkを受ける。
さすがに、危ない物は持っていなかったので、すんなりと入ることができた。

そして、いざ中へ。
ラウンジを経て、階段を昇り始める。
向うには、まちに待った、広大な緑が広がっている。

視界が徐々に広がっていき、瞳の中に、こうこうとひかる照明に照らされた、緑
の芝生が飛びこんでくる。

僕は、自分の席を見つけ、そして、腰を下ろしてみる。
ゴールを右手に見た席であった。
こちらのスタジアムは余計なトッラクや金網などない。
まさに、選手、観客が一体になれる作りなのである。
一歩またげば、そこはグランド。
スタジアムはまさに、こうあるべきだと思う。

試合開始、10分前。
徐々に、席が埋まり始める。
やはり、ほとんどがチェルシーの勝利を疑わない人たちである。
僕の隣には、典型的なサッカーおやじが陣どっている。
ネット裏ということもあるのだろうが、
ほとんどみんな知り合いみたいな感じである。
きっと、彼らは長年、毎試合、ここに通っているのだろう。
ほんと、家族のようだ。

選手のアップが終り、
午後8時5分。
両チームの選手が、グランドへと入ってくる。
いよいよ、戦闘開始である。

(つづく)


2002年01月10日(木) フットボール観戦記 in England

頭の、てっぺんからつま先まで衝撃にかられた。
自分が求めていたのはこれだと。

誰もが、同じ時空の中で暮らす中、明らかにそこは
ある種、異次元な、それでいて超現実的な世界
が広がっていた。

---------------------------------------------------------

去る、1月9日。僕はこの地におりて初めてのフットボール
観戦へと出かけていった。
その日のマッチアップは、チェルシー対トッテナム。
いわゆる、ロンドンダービーである。

どの国でも、ダービーとは盛り上がるもの。
その日も例外ではなかった。

ロンドンのターミナル駅の一つであるビクトリアから
地下鉄に揺られること15分。
チェルシーのスタジアムであるスタンフォード ブリッジのある
フルハム ブロードウエイに到着する。

もちろん、チューブ(地下鉄)の中は
チェルシーのチームカラーである青のユニフォームを着た
人たちで身動きもできない。
こみ上げてくる期待と、酸欠状態で胸が苦しい。

試合開始約1時間前。
僕は、駅から彼の地へと歩いていく。

道を逆流してくる人間は一人もいない。
まさに、ここには同じ目的の人間しか存在しないのである。
ごくわずかの、トッテナムサポーターを除いては。
そう、青の勇者たちの勝利を見るという目的。

そんな中、馬に乗った警察を横目にダフ屋が生計を立てようと
必死に声をからして、道ゆく人に声をかけている。
アスファルトの上の馬も見事なら、ダフ屋の数も見事である。
東洋からのお客様は彼らの恰好の獲物なのだろう、
僕は、数えられぬほど行く手を阻まれた。

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青の波に、乗っかりスタジアムに到着する。
試合開始まで、50分はある。

とりあえずは、スタジアムの周りを1周してみる。
パブという、パブには、戦いに向けて男たちが
エネルギーをためている。
フットボール=ビール。言わずと知れたイングランドの習慣である。

極度の期待と、人ごみの中にいるためか、
少々の疲労を感じ始めた。
このままでは、試合前に疲れ果ててしまうと思った僕は
一息入れようと、ホットドックを購入する。
パン+オニオン+ソーセージといった何ともシンプルなもの。
ソーセージは恐ろしいぐらいに焦げている。
あの雰囲気がなければとてもではないが食べられる一品ではない。

そうこうしているうちに、ゲートが開く。
いざ、スタジアムのなかへ。
(つづく)


2002年01月08日(火) ホームステイ先

と、いうことで、ロンドンに来ている、たけです。

で、今はホームステイをしているんですが
そこでのお話。

そもそも、こちらのホームステイは当たり外れが
大きいのです。

あちらもビジネスですから、
おもっきし金を要求する家もありますし、
すっごく、嫌な感じの家もあるそうです。

さいわい、僕がお世話になっている家は
非常に感じがよく、仲良くさせてもらってます。

部屋も広く、食事もしっかりした物を出してくれる。
パソコンも、何もかも勝手に使っていいんです。

もう、ほんと、文句無し。

ただ一つを除いては。。。。






その一つとは。。。






ここの、ホストマザーすっげーアイリシュ(アイルランド)訛りなんですよ。

いや、いいんですよ。別に訛ってたって。
ただ。。。









どうしても、












SIX(シックス)が、、、、











セックスと聞こえてしまう。








というか、絶対セックスって言ってるし。。


2002年01月07日(月) ロンドン、ネットカフェより

みなさま、御機嫌うるわしゅう。
こんにちは。たけです。御無沙汰しております。。。

と、いうことで、やっと、日本語を打てる環境を
手にいれました。
やっぱ、自分のパソコンを持ってくればよかった。
なんとも、面倒なんですよ、、漢字に変換するのが。

しかも、ネットカフェなもんで、、、時間が、、なくなった。

と、いうことで、また、後で書き足 します。

にしても、ロンドンは最近、ちょいと暖かい。
(でも、寒いよ。)


2002年01月05日(土) 一時脱出。

新年の雰囲気がまったく漂ってない辺ぴな地から
毎回、お届けしている「同じ空の下で。」のたけです。

日本、、しいてはロンドンとはまったく同じ空の下とは思えない
この静けさ。寒さ。
身が凍る思いであります。

しかも、「男好き」というキーワードから
この日記を見つけて来てくださったお客様なんかもいて、、
余計、身が凍る、、はてまた、心が凍る思いを。。。











期待にまったく添えずにごめんなさい>男好きな方。









まったく普通の日記であります>今日、初めて見た方。










男好きではありません、いたってノーマルです>世間の方々。










新しい境地は開いておりません>彼女。






ということで(どういうことやら)
書くネタが、転がっていないのがどうやらバレバレのご様子。

そりゃ、そうですわ。
人がいないんですもの。休みだから。
人との絡みがなきゃ、ネタなんて手に入れられません。

なんで、僕も、この地を一時脱出します。
ロンドンにいってまいります。2週間。

PCを使う環境があれば、更新もしますが。。
なければ、みなさま、ひとときのお別れです。

では。


2002年01月03日(木) 遅くなりましたが、

明けまして、おめでとうございます。
いつも、覗いてくださる皆様、今年も宜しくお願いします。

と、いうことで、新年のあいさつはここまで。

彼女が日本に帰りました。
何とも12日間とは早いもの。あっという間。

過去、1回、見送られたけ経験はあるけれど、
見送った経験のなかった僕。

いやいや、見送る方が気持ち的につらいもんです。
今まで、横にいた存在がいなくなる。
地下鉄に乗っても、隣にはいない。
ものすごく空虚な、はてまた、虚脱感に見舞われました。


そんな彼女とは年越しを、過ごすべき一路、ロンドンへ。。
という予定だったんですが、予定変更。














新年、そうそう、風邪ひきました。。。












しかも、















2人そろって。













しかも、彼女はちょいと重症。

で、ホテルをキャンセルし、元旦サッカーも諦め
家で、風邪の治療。

気がついたら、、年を越していたというおまけ付きの
ハッピー・ニュー・イヤー

テレビでは、















HAPPY NUDE YEAR!!










などと、おもろそうな番組もやってたんだけど
記憶にナシ。

名前だけが強烈に頭に残っております。

でも、そのかいもあって(?)
2人とも元気になったよ。よかったよかった。


充実の12日間でした。
んで、僕も、自分自身に思うところがあり、
自分の中では成長できた12日間だったと。

ありがとうね、テ☆ル。


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