白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2014年01月31日(金) 病気を作る。ケーキを買う。

昨日は珍しく外に出る用事が無かったので、娘と夫を送り出した後は家に引き篭もっていたのだけれど、突然具合が悪くなって最悪だった。

最低限の家事を片付けた後はPCに向かって日記を書いたり、内職をしたりしていたら、突然吐き気と目眩に襲われた。胃腸の調子が悪い訳でもないし、肩や首が凝りすぎている訳でもないし、風邪の兆候も無いので「こりゃ、血圧下がり過ぎてるかも」と血圧を測ってみたけれど正常範囲だった。

「これは困った」と思いつつも、娘の迎えの時間になってしまったので娘を迎えに行ったところ、娘のお友達がバスを降りてくるなり「今日はYちゃんところに遊びに行ってもいい?」と言うではないか。娘もすっかりその気になっていたので、夕方は娘のお友達に家に遊びに来てもらって、バタバタしていたら、すっかり気分が良くなっていた。

気持ち的に負けていたのが原因なのだと思う。鬱々としているところに引き篭もって内職なんてするものじゃない。あんな事してから元気な人だって病気になるってものだ。昨日は自分で病気を作り出してしまったのだと思う。

今日は反省して、夫と娘を送り出した後は、窓を全開にして掃除した。その後は郵便局の用事をしたり、実家の母から「病院に連れて行って」と電話があったので、車で病院の送迎をしたり。そして、あらかた用事を片付けた後はケーキ屋さんにケーキを買いに行った。

今日は夫が今の会社を退職する日。

定年退職でもなければ、ステップアップの転職でもない。お給料の出処は変わるけれど、来月からもしばらくは同じ場所に仕事に行くので、退職と言っても微妙ではあるのだけれど、何か夫に「お疲れ様」をしたかったのだ。ケーキは家でも焼けるけれど、こんな特別な日は私が焼いたケーキじゃなくて、プロのケーキが良いかなぁ……と、家計費からではなくて、私のお小遣いで夫の好きなケーキを買ってきた。

夜はお疲れ様会ってほどではないけれど、夫に「今までありがとう」を言うつもりでいる。

今週も色々あったけれど無事終了。来月からスッキリ爽やかと言う訳にはいかないだろうけれど、少なくとも昨日みたいに自分からドツボにハマるような事のないよう気をつけたいと思う。シャキッと頑張っていこう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月30日(木) 浮いたり沈んだり。

昨日はそれほど忙しくも無かったのに日記を書こうと思えなかった。完全に気持ちが切れていた。

先週は夫の会社の民事再生の顛末をチマチマと書いたけれど、この金曜日はいよいよ夫が今の会社を退職する。来週からも夫は同じ場所に仕事へ行くけれど、書類の上では別の会社の人間だ。週明けから夫は物凄く落ち着かない感じで、私も気持ちの上でなんとなく引っ張られている感じ。

当座の生活の心配は無くなったけれど、安穏と出来るような状態ではない。そうかと言って「じゃあ、私が働きに行くわ」って訳にもいかない。娘が幼稚園を卒園するまでは身動きが取れないのだ。今まで通り淡々と暮らしていくしかなく、実際淡々と暮らしているのだけど、気持ちの整理が出来ていないと言うか。

これじゃあ駄目だと思うのだけど、たまにはこんな時があるのも良いかなぁ……と思ったりもする。浮いたり沈んだり。色々な時があるものだ。沈みっぱなしにならないように気をつけなくてはいけないけれど。

泣いても笑っても、今週末で1つ区切りがつくと思う。

土曜日からは2月に突入。2月には小学校の入学説明会があったり、幼稚園の懇談会や生活発表会があったり、実家の母の白内障手術があったり、慌ただしく過ぎていくと思う。手近なところから1つ1つ片付けていこう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月28日(火) コツコツ行こう。

夫の転職騒動で家の中が落ち着かなくなってからという物、居間に花を欠かさないようにしている。

「風水的に見てこの方向に、この色を置くと」とか「居間に花があると良い事がある」とかそう言う確固たる理由がある訳じゃない。たまたまスーパーでスプレーカーネーションが100円で売っていて、それを娘が幼稚園で作ってきた花瓶に行けたら良い感じだったので、しばらく続けてみようかな……と。それに家の中は出来るだけ綺麗にしておくに越したことはないのだ。

子どもの頃、親の書棚からこっそり引っ張ってきて読んだ本の中に「ドン底まで落ちいてく人の家は決まって汚い」と言うような事が書いてあった。題名は忘れてしまったけれど、刑事を退職して探偵社に勤めている人が書いたルポ本だった。そこには「夜逃げした家族の家に踏み込むと、炊飯器には黄色くなったご飯が入ったままになっていて、流し台の洗い桶には食器が浸かりっぱなしだった」とか「家族を置いて蒸発して女性の部屋に行くと足の踏み場もないほどのゴミ屋敷だった」とか、そんな事が書いてあったように思う。

当時、私は小学生だったけれど「ドン底まで落ちいてく人の家は決まって汚い」って言葉にはいたく感心した。そしてそれ以降「ドン底まで落ちて行く人」になるまいと、家の中をそこそこ綺麗に保っていようという意識を持っている。なんとなく駄目な方向に流されそうな時は掃除したり、何か綺麗な物を飾ってみたり。そしてその癖はいまだに抜けていない。

もちろん「ドン底まで落ちいてく人の家は決まって汚い」なんて、何の根拠も無い。

夫は今週一杯で今の会社を退職して新しい会社に行く。とは言うものの、しばらくは今の会社で仕事をするのだけれど、今日は引越の打ち合わせをするとかで、新しい会社に出向いて行った。なんだか色々と大変そうだし、憂鬱そうだ。新しい会社に行く人、違う会社に行く人、どこにも決まらなかった人。同じ空間に色々な立場の人がいて居たたまれないのだろうなぁ……と想像する。

しかし、夫と一緒に暗くなっていても仕方がない。私はせっせと家を綺麗にして、出来るだけ美味しい物を作って、娘を沢山笑わせて1日を過ごすしかないのだ。こういう時こそ、いつも通りにコツコツ行こう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月27日(月) 1人で眠る。穏やかな1日。

今春、小学生になる娘は未だに1人で眠れない。

娘はどちらかと言うと甘えん坊の方だと思う。学習机を買うときに、ついでだからとベッドも買って、娘の部屋を作ってやったもののベッドはただのインテリア。いまだに私と夫が眠るクイーンサイズのベッドで家族3人川の字になって寝ている。入園前までは抱きまくらのように私に抱きついて寝ていたけれど、ここ最近は「背中ポンポン」で眠れるようになった。

ところが。

先週末、私が熱を出した時に娘が突然「あのね。幼稚園の子どもでも1人で寝た方がいいと思うの。お母さんが風邪の時とか」と言い出したのだ。「じゃあ、1人で寝てみたら? 無理だったら一緒に寝るからね」と言うと、娘はいつも一緒に寝ているペンギンのぬいぐるみを連れて1人で寝室に入っていった。どうせ眠れないと泣き出すだろうと思っていたら、その日娘は1人で眠った。そして翌日も。子どもって、一足飛びに成長するものなのだなぁ……と感心してしまった。

1人で眠れるなら娘のベッドにもシーツをかけてあげなきゃなぁ……と思っていたら、昨日は「一緒に寝てちょうだい」と言って元通りの体制に。それでも、甘えん坊の娘にとっては大きな成長だと思う。

娘が1人で眠れるようになった事は嬉しいけれど、ちょっぴり寂しかったりもする。でも私の場合は断然「嬉しい」という感情の方が大きい。夫にそれを言うと「君は自分大好き人間だからねぇ」と言われてしまった。確かにそうかも知れない。結局のところ私は自己愛の塊なのだと思う。まぁ、しかしそうでなければ頑張れない。

話は変わるけれど、お陰様で風邪の具合は随分と良くなった。ここ数ヶ月、頭を悩ませていた夫の転職についても、とりあえず失業を回避出来た。しかも今日は実家の母が「病院はお休みする」と言う。気になる事も、しなければならない事もないなんて素晴らし過ぎる月曜日。しかし、いざ手が空いたとなると、何をして良いのか分からなくなってしまった。

とりあえず娘のオヤツを手抜きせず作り、久しぶりにPC内職で小銭稼ぎをしてみたり。PC内職については間が開きすぎたせいか、すっかり勘が鈍くなっていて、思うように作業出来なかった。少しずつ取り戻していきたい。今日のように穏やかな日は、ここのところほとんど無かったので、なんだか狐につままれているみたいだ。穏やかな1日を過ごせる事に感謝しつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月26日(日) 一連の感想。この週末。

10月以降、毎日ドラマチックな展開でアドレナリン過多な日々を過ごしていたけれど、やっと一息つくことが出来た。

ありがたかったのは夫が意外にも平常心でいてくれたこと。ヤケクソになったり、鬱になったりしないかと心配していたけれど、毎日変わらず仕事をして、転職活動もして、週末には家族でちょこっと出掛けたりと傍から見れば「いつもと同じ」な日々を過ごしてくれていた。夫は私が思っていた以上に芯の強い人だったのだと感心させられた。

あの状況で淡々と頑張り続けてくれた夫には感謝の気持ちしかない。

一連の出来事は結果だけ記して詳細は書く必要が無いようにも思ったのだけど、もしかしたら同じ経験をする人のお役に立てるかも知れないと思って経過を残しておくことにした。実は私自身も人様のブログ等を読んで勉強させてもらったので。

夫の転職活動はまだ終わってはいないし、今の会社の後始末も楽ではないはずだ。それでも「もしかしたら失業かるかも」という不安定な中で事を進めていく事を思えば、多少は余裕が生まれたんじゃないかと思われる。

そして、この金曜日は夫が有給休暇を取ることになった。溜まりに溜まった有給休暇が無くなってしまう前に、休めそうなら休んでおこうと言う訳だ。木曜日に「今まで大変だったし、娘が幼稚園に行っている間、2人でランチでもいこう」と言う内容のメールを貰って、ワクワクしていたのだけれど、その日の夜中、私は高熱を出してしまった。急な寒気と共に熱が一気に上がったので「こりゃあインフルエンザだわ。間違いない」と覚悟を決めた。

翌日の朝は熱もマシになっていたのだけれど娘のお弁当だけ作って、娘の送り迎えは夫に頼み「実は俺も熱っぽい」と言う夫と2人で病院へ。急な発熱ということで隔離されてインフルエンザの検査をしたけれど、陰性だった。「ただの風邪」との診断。風邪と言っても、鼻水は出るものの喉が酷く腫れているでもなかったし、嘔吐も下痢も無かった。あの程度で高熱が出るだなんて信じられないくらいだけれど、私は一人勝手に気が抜けてホッとしたからドッっときたんじゃないかと思っている。

そんな訳でこの週末は地味に過ごしていた。土曜日は夫に娘を託して私は家でゴロゴロ。今日は午前中は私が娘の相手をして、午後からは夫が娘担当。風邪ひき状態から脱出すべく地味に過ごした。風邪の症状はスッキリしていないものの、身体を休ませたおかげで随分と回復したように思う。

明日からまた1週間スタート。先週よりも晴れやかな気持ちで月曜日を迎える事が出来るのは嬉しいことだ。シャキッっと頑張っていこう…んてって事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月25日(土) 一連の詳細【その4】

昨日の続き。

民事再生による身売り先のIT関連会社から内定を保留され、本業を引き継ぎ会社との面接もパッっとしなかった夫だが、それでも解雇されていない間は社員として通常業務に当たらねばならず、失意の翌日も夫は普通に出勤していった。私も娘も通常モード。

私は娘を送り出した後、郵便が届かないかとドキドキしながら待機。もし不採用通知が来たら夫を迎えに行かねばならぬと鼻息を荒くしていたら、夫からスマホにメッセージが。「IT関連会社から内定出ました。こちらから断らない限り決定です。失業回避しました」一気に気が抜けたのは言うまでもない。経緯は分からないけれど、とりあえずホッっとした。

そして夜。帰宅した夫から詳しい報告が。

IT関連会社の社長が直接面接してくれたとのこと。『プロフェッショナル仕事流儀』とか『ソロモンの壷』とかに出てきそうな感じのモチベーションの高い人で「我々は君たちを奴隷にするつもりはない!」とかなんとか。今までも夫の会社のようなパターンで業務を引き継いできた経験があるけれど、そこから引っ張ってきた人達を請負、出向のようなポジションに行かせた事はないので、安心して来て欲しいとのこと。

素晴らしい! 実に素晴らしい!

……と思いきや、蓋を開けてみると、そんなに素晴らしい話でもなかった。年収は昨年度と同じ額を保障するとのこと。ただし、これがクセモノ。ここの会社は今どき流行りの年棒制。しかも退職金制度は無い。夫の会社は日本の会社にありがちな給与体系。業務の悪化により、ここ何年もボーナスは1円も出ておらず、夫の昨年度の年収は固定給のみ。残業代だってまともに出てはいないのだ。

しかし私が雇用する側でも同じ待遇を提示すると思う。「今まで、それだけの給与で文句も言わずに働いてきたんだから問題無いだろ? 失業するよりマシだろ?」って話だ。こちらは拾ってもらうのだし、新しい会社に対しては何の貢献もしていないし文句を言える立場ではない。

夫としても待遇面では納得出来てはいないようなのだけど、とりあえず2月から失業という心配だけはしなくても良いので、内定を出してくれた会社のお世話になる決意をしたらしい。ただし転職活動は今まで通り続けていくとのこと。夫は書類上、今月末で退職して来月から新しい会社に入社する形になるけれど、残務処理や受け入れ先の都合もあって、しばらくは今の会社で仕事をすることになる。

こう言う話の顛末ってドラマや小説だと逆転勝利がお約束だけど、現実はなかなかそうもいかない。最悪の事態はまぬがれたものの微妙なところに着地した。これから先も、ひと波乱ふた波乱ありそうだけど、その都度頑張っていかねばなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月24日(金) 一連の詳細【その3】

昨日の続き。

民事再生で身売りしたIT関連の会社から採用を保留された夫。本業を引き継ぐ会社の面接を受ける事になった。

面接の日の晩、夫は「ごめん。俺、マジで失業するかも知れない」と帰ってきた。なんでも面接官は身売り先の人事の人で専門的な事は分からない人だったらしい。夫は一応「自分はこの会社で必要な人間ですよ〜」なアピールをしたそうだけど、全く手応えが無かったとのこと。夫を含め、同じ部署のSE軍団の面子は皆そんな感じだったらしく、モヤモヤしたまま結果は後日と言うことに。しかも肝心の結果は郵送で送られてくるとのこと。

「ちょ! 結果は口頭で言ってくれないのかよ?」と驚いてしまった。民事再生後、社員は形の上で一旦全員解雇になるけれど「身売り先の会社で頑張ってください」って事になっている。なので身売り先からの不採用は事実上の解雇通告に他ならない。雇用する側もされる側も色々な思いがあるだろうけれど、せめて首を切るなら上司の口から言って欲しいと思うのだけど、紙切れ1枚でサヨウナラだなんて。

会社が潰れるって、そう言う事。なので文句を言っても仕方がない。

仕方がないと頭では分かっていても人間だもの。気持ちの上では納得出来ない。「明日から失業して食べるのが大変」って事実がキツイのもそうだけど、マザー・テレサの名言『この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。誰からも自分は必要とされていないと感じることです』って言葉に示されるように「お前は会社から必要とされてないんだよ」と言われるのがキツイのだ。夫は物凄く有能な人間では無かったかも知れないけれど、今まで会社に尽くしてきたし、無能だとも思えない。

私は夫に「もし不採用通知が届いたら、実家の車借りて会社まで迎えに行くから」と言った。

紙切れ1枚で首を切られたとしたら、もうそれ以上尽くす事はないのだ。解雇日までの勤務日は、溜まりに溜まった有給休暇を消化してしまえば良い。追い出される人間に後の事など考える必要は無いのだ。引き継ぎなんて知ったこっちゃない。もし不採用だったら、その場で仕事やめて帰宅。その日の晩は家族で豪勢に外食でもしようじゃないか……って事になった。

まぁ。そんな景気の良い事はさておき。本当に失業となれば、どうしようかって相談もした。夫が再就職先を探すのは勿論の事だけど、家の貯金が目減りするのは辛いので、私も速攻働きたい。娘の幼稚園の事もあるし、夫だって就職活動があるので、夜の仕事がいいかなぁ……なんて考えていた。夜の仕事と言っても41歳のオバチャンである。スナックで働くとかいう方向じゃなくて、深夜のファミレスとか居酒屋とか。

そんなこんなで夫婦でドン底感で一杯になったのは、ついこの間のこと。心の中では悶々と色々な感情が渦巻いていたのだけれど、日常生活は淡々と続いていく訳で、寝室に行けば娘が天下泰平で眠っていて「頑張らなきゃなぁ」って気持ちになるのだった。話はまだ続くのだけど、長くなるので続きは明日以降……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月23日(木) 一連の詳細【その2】

昨日の続き。

夫の会社は民事再生を申請し、部門を2つに分けてそれぞれ別の会社に事業譲渡される事になった。社員は全員解雇の上、2つの会社の入社試験を受けるという形に。ほとんどの社員は本業を受け継ぐ会社を受ける事になったが、IT関連の仕事をしていた一部の社員は別の会社を受けることに。夫は本業とIT関連両方の仕事をしていたので「さあ、どっちの会社に行く?」って事になってしまった。

本業の会社に行く場合→
仕事環境はほぼ変わらない。しかし、斜陽業界で今後の先行きは暗い上に、本当に事業が再生出来るかどうか激しく疑問。採用されても再び失業する可能性アリ。

IT関連の会社に行く場合→
今の会社よりも格上の会社で倒産の心配はまずない。しかし、大きい会社ゆえに「請負・派遣」の分野も手掛けていて、下手すると採用後はそちらに飛ばされる可能性がある。

どちらにしてもリスクはあるものの、解雇日までに転職先が見つからなかった以上、どちらかで働かねば翌日から失業確定。贅沢は言っていられない。そして夫は上司か「IT関連行ってくれ」と言われ、そちらの面接を受ける事になった。夫の部署の仲間達のほとんどはIT関連の方に行くらしいので順当と言えば順当なのかも。

そして面接。

夫は案の定、面接官からIT関連以外にも本業の仕事をしていることを突っ込まれる。「夫さんは……本業にもかなり関わっていますよね? こちらに来るとなると、本業の業務にに穴が開くんじゃないですか?」と。そりゃ、その通りだが夫にはどうする事も出来ない。夫は正直に「向こうに穴を開けることになりますが、客先と直接係わっているのはIT関連の仕事なので、お客様にご迷惑をかけないよう、こちらに来るよう指示されたのだと思います」と言ったところ「実際、夫さんはどっち行きたいの? そうだねぇ…とりあえず、向こうも受けてきたら?」と言わてれ採用は見送りになってしまった。

一緒に面接を受けた仲間達はその場で採用が決まり、待遇等の話になったらしい。その場で決まらなかったのは夫を含めて2人。もう1人は夫の直上司で、採用をお断りされたらしい。採用が決まった仲間達は夫の部下で若者ばかり。「俺、必要とされていると思ってたけど、もしかしてオッサンはいらんって流れなのか?」と夫、激凹み。

実際問題。身売り先のIT会社は夫と似たような技術者を山ほど抱えていると思われる。もともと自社にいる社員を夫のポジションに据える事も可能。自社で安く働いてくれる若者がいるなら「経費が高くつくオッサンはノーサンキュー」と判断されても不思議は無い。

とりあえず夫は本業を受け継ぐ会社の面接を受ける事になった。お断りされた夫の直上司はその時点で失業確定。夫よりもはるかに年長の方なので先行きが心配だけど「流石に何も聞けなかった」と夫。

こりゃ、本気で失業するかも知れない……と夫婦で暗澹した気持ちになってしまった。

失業したとしても失業保険はある。家のローンはこんなこともあろうかと「失業安心保険」と言って、失業した時は代わりにローンを支払ってくれる保険に入っているし、多くは無いが貯金だってあるので、当座はなんとかなるだろうけれど、実際に我が身に降り掛かってくるとなると「失業」という事実はあまりにも重い。話はまだ続くのだけど、長くなるので続きは明日以降……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月22日(水) 一連の詳細【その1】

「落ち着いたら日記に書く」と宣言していた事がとりあえず一段落したので日記に書いておこうと思う。

昨年10月。夫の会社が民事再生を申請した。

企業の民事再生と言うと稲森氏が再生したJALが有名で、なんとなく倒産よりマシなイメージがあるけれど、事実上は倒産と同じ。しかも民事再生って「再生」と名前がついているものの、実際に再生出来る企業は全体の4割程度で、あとの6割は「再生頑張ってみたけど、やっぱ無理だったわ。テヘペロ」って事になるらしい。

夫の会社。結婚当初はまずまずの業績を上げていたのだけれど得意先の業務低迷(大阪の会社なのでお察しください)により、連鎖的に業務を悪化させていた。「もしかしたらヤバいかも」って話はしていて「娘の幼稚園卒園まで持つと良いね。娘が卒園したら私もガッツリ働けるし」と言っていたのだけれど、結局のところ持たなかった。で。民事再生にも色々な形があるらしいのだけれど、夫の会社の場合は別の会社に業務を譲渡てすることになった。この時点で夫は転職活動開始。ここまでが10月の出来事。

夫は社内SEとIT関連の仕事をしていて、技術職。次の職が無い訳じゃないけれど43歳での転職はけっこう厳しい。夫のように「IT土方」と呼ばれる人間は、今や派遣だの請負だのが当たり前になっていて、43歳のオッサンがまっとうな会社の正社員に潜り込むのは至難の技。しかも夫はまともに就職活動をした事がなく、今の会社も大学の教授が「きみ、ここ行きなさいよ」と推薦してくれて、受かるのが前提で入社試験を受けたらしい。

なので夫は43歳にして初めての転職活動。とりあえず転職エージェントに登録。履歴書、職務経歴書の書き方から、面接の特訓。帰宅後の時間はずっと転職活動に費やしてきた。数社良いところまで漕ぎけるも、内定を勝ち取ることが出来ず年越。

そして年明け。夫の会社は2月頭に正式に事業譲渡される事になった。

最初は1つの会社として民事再生すると思っていたのだけれど、本業の仕事とIT関連の仕事は別々に譲渡される事に。今の会社は一旦解雇となり、次の会社に再雇用という形。だけど、よくよく話を聞いてみると、再生される会社に雇用される人間の数と現在働いている社員の数は大幅に違っていた。「まぁ、1度潰れたんだから仕方ないよね。全員雇ってもらえる訳無いじゃん。いきなり放り出されるよりマシだろ?」って話だけど、働いている側としては、たまったものではない。

そして、さらに悲報が。民事再生の場合は社員への退職金は支払われる事になっているのだけど、勤務年数が少ない社員達はビックリするほどのはした金で放り出される事が決定。具体的な額はまだ決まっていないけれど、20年ほど働いてきて、一般的な会社のボーナス的な金額しか出ないらしい。夫、激凹み。これが今年に入ってからの話。

ここからも話は続くのだけど、長くなりそうなので一旦切って続きは明日。文章にしてみるとアッサリしたものだと我ながら感心する。でも実際は不安や憤りなどで物凄い葛藤があった。そんな話もまた明日以降……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月21日(火) 回避した!

やったー!

とりあえず我が家にとって最悪の事態は回避した模様。この数ヶ月は辛かった。マジ、キツかった。私がメインでお金を調達する方法を模索しないで良い幸せに感謝。娘に今まで通りの生活をさせてやれる事に感謝。

……とは言うもののの、あくまでも回避したのは「最悪の事態」であって、夫の転職活動はまだまだ続くのだけど、とりあえず一区切り。

明日からここ数ヶ月の詳細を書こうかと思うのだけど、今日は喜びを書いておくことに。気が抜けたからって病気しないように気をつけよう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月20日(月) インドアな日曜日。ストッパー。

昨日は日曜日だと言うのに珍しくインドアな1日だった。

寒いからと言うものあったけれど、娘が風邪気味で鼻をグズグズさせていたので大事を取ることにしたのだ。とは言うものの午前中はそれなりに活動した。散歩をかねてDVDを返却しに家族でTSUTAYA。途中、公園で軽く外遊び。我が家は寒くても外遊びどんと来いではあるけれど、外気温が5度を切ってくると流石に辛い。地元のスーパーで買い物をして帰宅。お昼はチャーハンを食べた。

そして午後。室内でゆるゆる過ごしたいところだけれど、超体育会系の娘は身体を動かしてエネルギーを発散させないと眠れなくなっちゃうタイプ。そんな娘のために「こんなこともあろうかと」夫が用意してくれていた秘密兵器を投入した。

夫が用意してくれていた秘密兵器は任天堂Wiiリゾート。テレビゲームとは言うものの、身体を動かすタイプのゲーム。卓球だのチャンバラだのバスケットボールだの。対戦なんかも出来て家族でガッツリ楽しめる。娘もすっかり気に入って家の中で夫と楽しそうに遊んでいた。私は……炬燵に入って寝てしまっていた。寝るつもりはなかったのだけど力尽きたって感じだった。目が醒めてからは夫と交代して娘の相手。インドアではあったけれど、それなりに楽しい1日だった。

そして、その夜。寝床で夫と色々な話をした。

昨年の秋頃から我が家は夫の仕事のことで落ち着かない日々を送っている。そんなこんなを話していて「家族がいて、娘がいて良かったね」って事をお互い春からに確認した。何か大変な事が起こった時に「家族持ちは大変」とか「子どもがいなければ楽なんだけど」って考えもあるとは思うけれど、家族や子どもの存在ってストッパーになり得るのだ。夫も私も家族や夫がいなければ落ちるところまで落ちていくタイプ。まともに暮らせているのは家族がいてくれるからだと思う。

今週もなんだか落ち着かない事が続きそうだけど、一喜一憂しながら頑張っていこう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月19日(日) 大阪市立科学館。幸せな食パン。

昨日は大阪市立科学館に行ってきた。

娘が体育会系なので、我が家は家族で遊びに行くとなると、とかく身体を動かせる場所になりがちなのだけど、こう寒くなってくるとインドアイベントも良いかな……と。娘も今春から小学生なので、科学館の展示もそろそろ楽しめるかも知れないという目論見もあった。

朝からお弁当を作って科学館へ。朝イチの科学館は空いていてゆっくり見学する事が出来た。「宇宙の秘密」的な展示は少し難しくて、娘は興味なさげだったけれど、以降の展示は自分で触ってみるようなブースが多かったこともあって意外と熱心に楽しんでくれた。

面白かったの科学館の学芸員さんによるサイエンスショー。テレビによく出てくる「でんじろう先生」のような科学実験をしてくれるもので、今回のテーマは「炎」だった。原始人よろしく木で火をおこしてみたり、お線香を酸素の中で燃やしてみたり、ペットボトルロケットを飛ばしてみたり。娘だけでなく私もけっこう面白かった。

お昼は多目的室で持参したお弁当を食べた。寒い日時でも室内でお弁当を食べるスペースを用意してくれているのはありがたい。午後からもたっぷり見学して、早めに撤収。娘も科学館を楽しむ事が出来る年頃になったんだって事が嬉しかったし、大人も楽しめる展示が多くて大満足だった。

科学館からの帰り道、福島駅近くのパン屋さんで食パンを買って帰宅した。わざわざ調べた訳ではなかったのだけど、若い女性の2人組が路地に吸い込まれていったので、何かと思って覗いてみたらパン屋さんだったのだ。わざわざ、こんな場所に買いにくる人がいるからには美味しいのだろうと思って買ってみた次第。

そして今朝。その食パンを焼いてみたところ、パンを焼いている最中に娘が「いい匂い〜」と寄ってくるではないか。確かに驚くほど良い匂いだったのだ。肝心のお味は……最高だった。夫は食パンマニアなので、美味しいと評判のパン屋さんがあれば、わざわざレベルで買いに行ったりするのだけれど、今まで食べたパンの中で上位5店(その5店はれぞれ個性があるので甲乙つけがたい)に入ると思う。非常に幸せな朝ごはんだった。

そんな訳で昨日は充実した1日。そして今朝も気持ちの良い朝だった。今日も色々楽しく過ごしたのだけど、それはまた明日以降に。明日からまた1週間スタート。今週も激動の1週間になりそうな予感。心して挑もう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月17日(金) そして金曜日。

今週は気持ち的な部分で上がったり下がったり…ではなく、下がったり下がったりの1週間だった。

まぁ、それでも無事に1週間を過ごす事が出来た。そう言えばこの冬は大した病気をしていない。昨年は内科、婦人科、皮膚科と、医療費に一体いくらつぎ込んでいるのかと思うほど次々とトラブルがあったのに、今年は元気に過ごしている。娘も副鼻腔炎がなりを潜めていて大助かりだ。世の中、上手いこと出来ているなぁ……と感心する。私は特定の信仰は無い人間だけど、それでも神様だか仏様だか、何か大いなる力の助けがあるんじゃないかと思ったりする。

それはそれとして。

今日で阪神大震災から19年。私自身は直接的な被害は無かったけれど、学生時代は神戸方面の学校に通っていたので、被災した友人も多かった。ローカル局のニュース番組では「被災地の今」みたいな特集が沢山組まれている。人の死による心の穴はいつまでたっても埋まらない。それが災害によるものなら尚更のこと。亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、被災して生き残った方々が少しでも穏やかに生きられるよう祈らずにはいられない。

この週末は大阪でも雪が降るかも、積もるかもとの予報。娘がやたらワクワクしている。スッキリしない事続きだけど週末は楽しく過ごせるといいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月16日(木) 保つ努力。

今日は久しぶりにゆっくり過ごさせてもらった。

娘がいなくて、母の病院送迎が無い日は今年初めて。午前中はゆっくりペースで家事に勤しんだ。定番家事の他に、拭き掃除を丁寧にしてみたり、粉末出汁のストック(私はズボラなのでイリコと昆布は粉末にして使っている)を作ってみたり。それに美容院へも行ってきた。長めのボブをバッサリとショートにしてもらった。なんとなくスッキリ。

美容院へ行くのに珍しくカッチリお化粧をしたのだけれど、お化粧をするとそれなりに気分が華やいでくる。秘蔵の香水もつけてみた。忙しいのと、マスク着用の時期なのを良いことに「まぁ適当でいいか」と毎日過ごしいてたのだけれど、自分を身綺麗に保つのも大切だなぁ……と改めて思った。今年に限った事ではないけれど、寒い時期は防寒の事ばかり考えて、お洒落が疎かになるのは私の悪い癖だ。

オヤツは焼き芋。家のオーブンでじっくりと焼く。180度で90分。娘を迎えに行く直前にオーブンを止めて、娘が帰宅した頃には調度良い感じに焼き上がっているという段取り。焼きたての焼き芋はとても美味しかった。思えば焼き芋を作るのは今年初めて。

念入りに掃除をしたり、台所の用事をしたりして、家の事が色々と疎かになっていた事に気がついた。もっとも、どんなに頑張ったって出来ない時は出来ないのだし、頑張り過ぎて心身共に参ってしまっては話にならない。なので、あまりシャカリキにならない程度に頑張りたいと思う。疎かにしていた事を取り返すと言う意味において今日はなかなか充実していたと思う。

それにしても気持ちを明るく保つのは難しい。

物事が上手く進んでいる時は、努力しなくったってなんとなく楽しいものだけど、トラブルの渦中にいる時は努力しないと明るくなれない。でも、これって1つの技術だと思う。努力である程度どうにかなるような。「気持ちを明るく保つ技術」を磨きつつ、ボチボチ過ごそう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月15日(水) 夫、凹む。

昨夜、夫がベッコベコに凹んで帰宅した。

原因は仕事がらみの事。もしも自分が……あるいは自分の家族がその状況に陥ったら「そりゃ、ないわぁ」って思うレベルの事態。流石に私も凹んだ。

夫の仕事のことについては昨年の秋から引っ張っていて、夫は転職を目指して活動中だけど、いまだ転職活動は実を結んでいない。もうちょっとハッキリしたら日記にも書いておきたいたのだけど、今はまだ、どう転ぶか分からない状態。少なくとも今月末には良きにつけ、悪しきにつけ決着がつく。それまでモヤモヤした気持ちを抱えたまま過ごさねばならないかと思うと憂鬱なことこの上ない。

正直、暢気にしている場合ではないのだけれど、心のどこかで「なんとかなるさ」と思っている自分がいる。結婚前に経験した数々のトラブルを思えば、今回は楽勝だと思えるほどだ。なんと言うか……家族って場合によっては足枷になりうるものだけど、これほど力強い味方はいない。あの頃は1人だったが、今の私は1人じゃない。

どう転ぶにしても早いところスッキリしたい。とは言うものの自分主体で薦めていけない事なだけに、時が来るのを待つしかない。面白くない事続きだけれど笑って過ごせるように努力しよう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月14日(火) 手書きの手紙。

今日は久しぶりに手書きの手紙を書いた。

と言うのも、小学生自体かお付き合いがある友人のお母様から「娘さんに」と図書券を戴いたのだ。年賀状に「今春から小学生になります」と書いたのを見て「ほんの気持ちだけお祝いさせてください」と送ってくださった。

友人からではなく、友人のお母様からと言うのには事情がある。友人は重度の四肢麻痺があって自由に手紙が書けないのだ。彼女が人と会話する時は五十音表を利用している。友人とは小学校と支援学校(当時は養護学校と言った)の交流会で知り合った。趣味が似ていたことから、文通したり、たまに遊びに行ったりしたものだけど、彼女のお父様の定年退職を機に田舎に引っ越してしまって、かれこれ20年近く会っていない。結婚するまではちょくちょく手紙のやりとりがあったけれど、娘が生まれてからは年賀状だけの付き合いになっている。

お母様からは長い長い手紙を戴いた。「小学校の時に出会って、その娘さんが小学校に入学するなんて」と言うような事が書かれてあった。

私にとって友人との出会いは「ほんの少し前」のような気がしているのに、よくよく考えてみるとかれこれ30年ほど前の事だ。今ではすっかり年賀状だけの付き合いになってしまっているけれど30年も途切れる事なく続いているって凄い事だと思う。

お礼状をかねて近況を書いた手紙を送った。お返しが気になるところだけど「気をつかわずに貰ってください」とあったので、少し間を開けて、どこかに出掛け時に友人の好きなお菓子でも贈ろうかと思っている。

30年前の自分を思い返してみたけれど、本質的な部分では今の自分と変わらない。それなのに身体は確実に老いていて、図太く強くなっている。変わらないと思っているのは自分だけなのかも知れない。

今の私は自分の周囲の事で手一杯で彼女に会いに行く余裕は無い。だけど、またいつか会いたいなぁ……と思う。私がオバサンになったように、彼女もオバサンになっているだろう。もしかしたら次に会う時はオバサンを通り越してお婆さんかも知れない。それでも良いから再会出来たらいいのになぁ……と思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月13日(月) コンプレックス。消防出初式。

今日は昨日の日記で書ききれなかった事の続きなど。

家族で十日戎に行って「えべっさんは耳が聞こえない」って事から、父が片耳が聞こえない事をコンプレックスに思っていた事を思い出したのだけど、私も子どもの頃は容姿に強いコンプレックスがあった事を思い出した。

子ども時代、持病で飲んでいた薬の影響で顔が月のように丸くなる「ムーンフェイス」という状態になっていた時期がある。私の場合は結構酷くて「見るからに」って感じだった。それでも子どもって許容力があるのか「この子はこんな顔」と認識されていたのか、同世代の子どもから何か言われる事は無かったのだけど、顔を覗きこんで心ない事を言うのは大人ばかりだった。

あの頃は上手に反撃する事が出来なかったけれど、今にして思えば酷い話だ。人の容姿についてアレコレ言うのが良い事なのかどうかなんて、わざわざ説明するまでもない。そんな経験があるからかも知れないけれど、今でも人の容姿を貶す人は大嫌いだ。他人の容姿を口に出して貶す人に碌な人間はいないと思っている。娘にはそのテの人として大事な事柄はちゃんと教えていきたい。

……と。湿っぽい話はここまで。話をコロリと変えるけれど、昨日、日曜日は娘の幼稚園行事で消防出初式に参加してきた。

運動会で踊ったお遊戯を市の消防出初式で披露するもので、自由参加との事だったけれど、せっかくなので参加させる事に。幼稚園には8時半集合。娘を送り届けてから、出初式の行われる河川敷で待機。最強寒波とのことで、寒さ対策を完璧過ぎるほどしていったのだけど、大阪は素晴らしいお天気で風も無く、気温こそ低かったものの意外にも耐えられないほどの寒さではなかった。

消防士さん達のパレードだの、一斉放水だのの合間に娘達の演技。白いヘルメットをかぶり、お揃いの法被を着た園児達はとても可愛らしかった。お遊戯の後は消防訓練。親馬鹿を満喫することが出来たし、子ども達も楽しかったらしい。お昼は帰宅して、お餅パーティ。トースターでお餅を焼いたり、じゃがバターを作ったりした。午後からはTSUTAYAにDVDを返却しがてら家族でお散歩。穏やかで楽しい1日だった。

そして今日も家族で軽く出掛けてきたのだけれど、書き切れないので省略。明日からまた1週間スタート。実家の母の病院送迎等、日常生活が戻ってくる。週明けからも寒そうだけど挫けず頑張ろう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月12日(日) 十日戎。

3連休初日は家族で今宮戎神社の十日戎に行ってきた。

本当の目的は娘がハマっている女児用アーケードゲーム『アイカツ!』のキャンペーンカードを貰いに行くこと。地元のショッピングセンターでも配布していたのだけど、お出掛けついでに難波まで行くことに。午前中はゲームセンターでアイカツのカードを貰い、娘を室内の有料施設で遊ばせた。すると難波のあたりまで今宮戎の出店屋台が出ていて、娘が行きたそうだったので散歩がてら行ってみることに。

十日戎は関西ではメジャーな行事ではあるものの、お商売をしていない人にはあまり関係が無いように思う。私の実家は商売をしていたので毎年行っていたけれど、夫は行ったことが無いとのことだった。夫はサラリーマンなので関係が無い行事ではあるけれど「転職が上手くいきますように」とお願いしてみることにした。

屋台で回転焼きを買って食べたりして、今宮戎までぷらぷら歩いた。人混みに流されつつお参りをして、裏に回って太鼓を叩いた。娘に「えびすさんは耳が悪くてお願いごとが聞こえないから、太鼓を叩いてお願いするんだよ」なんて説明したのだけれど、多神教のそういう緩さって良いなぁ……と改めて思った。

そう言えば、私の父は片方の耳が聞こえなくて「えびすさんもお父さんと同じで耳が悪いんやで」って事を嬉しそうに話していたのを覚えている。偶然かも知れないけれど、私の身近には耳の悪い人が多い。全聾の人もだけれど「片耳が聞こえない」って人が何人かいる。ぼんやり生きていると気づきにくいけれど、身体に何かトラブルを抱えて生きている人って案外多い。

十日戎のおかげで普段は忘れていた事を色々と思い出してしまった。

そんなこんなで昨日はなかなか楽しい1日だった。今日は今日で楽しい事があったのだけど、書き切る余力が残っていないので今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月10日(金) ヒヤシンスと白木蓮。

年末から育てている水栽培のヒヤシンスが芽を出した。

秋の終わり頃、娘が幼稚園で育ていたサフランの水栽培を持って帰ってきた。しばらく自宅で楽しんでいたのだけれど、サフランの季節はアッっと言うのに終わってしまった。「せっかく水栽培セットがある事だし」と、栽培をはじめるには遅過ぎるのを承知で、ホームセンターで投げ売りされていたヒヤシンスの球根を買ってきて年末から育てはじめたところ、年明け頃に根を出して、昨日ようやく芽が出てきた。

私は華道を長く習っていた事もあって花を飾るのは大好き。とは言うものの育てる方は全く興味が持てなくて、ついぞ育ててみた事が無かったのだけど、少しずつ成長しているヒヤシンスを見ていると、花を育てるのも楽しいなぁ……と思う。玄関先にはこれまた娘が幼稚園から持ち帰ったチューリップの球根が植えてある。娘が生まれてこなければ、私は花を育てる事なく生涯を終えたんじゃないかと思う。思えば娘のおかげで色々な経験をさせてもらっている。

最強寒波とかの影響で昨日からウンザリするほど寒い。大阪は寒波の影響を受けにくい土地だと言われるけれど、それでも結構な寒さだ。「早く春が来たら良いのに」と思いつつ街を歩いていると、こんな寒さでも白木蓮の蕾が膨らんでいて「それでも、そのうち暖かくなるんだなぁ。」と言う気持ちにさせられた。まだまだ先だけど春が来るのが楽しみでならない。

そして寒波の影響か「年明けから自分で病院に通う」と宣言した実家の母が早くも挫折して、またしても送迎することになった。突然電話がかかってきて、当たり前のように「迎えに来て」と言うので頭にきた。私にだって予定がある。今までだって時間のやりくりをして送迎していたのだ。タクシーのように呼びつけられてはたまらない。

我が家は車を持っていないので、自転車で実家が借りている駐車場まで行って、車で母を迎えに行って……と言う一連の行動は時間もけっこう取られるし、面倒臭いのだ。まぁ……それでも呼ばれたら駆けつけるのだけど。今日から娘の午後保育がはじまるので「やっと時間に余裕が出来る」とワクワクしてた矢先の出来事だったので、ガッカリ感と言ったら無かった。

そんなこんなで朝から一悶着あったけれど、無事な1日が終わり1週間終了。お正月気分もやっと抜けて色々な意味で平常に戻った気がする。日曜日は娘の幼稚園行事で、市の消防出初式に参加する。河川敷で行うとのことで暖かくして挑みたい。お正月明けの3連休も寒さが厳しそうだけど体調を崩さないよう気をつけて過ごさねば……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月09日(木) お汁粉。

今日は鏡開きを待たずにお汁粉を作った。

鏡開きは11日の土曜日。週末なので、我が家はたぶんお出掛けしていると思う。「だったら土曜日じゃなくてもいいじゃない」という発想。しかも、お正月用にと戴いたお餅は沢山余っているのだ。

夫と娘を送り出して、家事の合間にお汁粉を煮た。冷え冷えとした台所で小豆の匂いをかぐと「冬本番だなぁ」と思う。お汁粉って家で作ると、そんなに高くなくて沢山作る事が出来るのに、外で食べると結構高い。私の中でお汁粉と素麺は「外で食べる高いから家で食べるべき物」リストのトップに書かれている。

そんな訳で今日のオヤツはお汁粉だった。あんこ大好きな娘は、それはそれは幸せそうな顔でお汁粉を食べていた。こう言うのって、幸せだなぁ……と思う。

昨夜、夫が転職サイトを眺めながら「気苦労かけて悪いなぁ」と言ったので「いやいや。独身時代を思えば苦労ってほどじゃないよ」と返事をした。実際、独身時代にした苦労の方が余程辛かった。確かに今は楽ちんとは言い難い状況だけど、一緒にいてくれる人がいて、守るべき対象がある。大変だけど辛くはない。

それにしても、今日は1日寒かった。朝の天気予報では大阪の最高気温は11度となっていたけれど、少なくとも私の住んでいる地域ではそんなに暖かい時間帯は無かったように思う。アラレが降ったり、氷雨が降ったり。年明けから節分までって、1年で1番寒い時期だから仕方がないとは言うものの、寒さが大の苦手なので参ってしまう。

巷ではそろそろインフルエンザが流行っているらしい。体調管理にはますます気をつけるようにしなくては。寒さに負けず頑張ろう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月08日(水) 選択の結果。

今日から娘は幼稚園スタート。幼稚園生活最後の学期。今日と明日は午前保育で帰ってくるので「やったー!解放されたー!」って感じはあまりない。

今日は娘の冬休み中に印象的だった事について。娘の話ではなくて、私の心情的なところ。

お正月休みの最終日。翌日から出勤の夫は家に残して娘と2人で家を出た。目的地は地元のショッピングセンター。徒歩で出掛けて、ショッピングセンターのフードコートでお昼を食べて、徒歩で帰ってくるコース。目的地は一応、ショッピングセンターって事になっていたけれど、真の目的は公園遊び。家を出てから帰宅するまで7箇所の公園で遊んできた。

帰宅途中、自宅近くの公園で、娘が入園前にたまに遊んでいた同い年の女の子の母娘と出会った。「わぁ。久しぶりですね」と話が弾んだ。その子の母親は働いていて、女の子は保育園。でも、小学校は一緒のはずなので「仲良くしてくださいね」なんて事を言ったのだけど、春に引っ越しされるとのこと。受験して受かった私立小学校の近くに引っ越しするらしい。

恥ずかしい話だけど、「羨ましいなぁ」と思ってしまった。

我が家は経済的に娘を小学校から私学に入れるのは難しい。でも、私がフルタイムで働いていたら可能だったと思う。私の仕事については夫と相談した結果「お金には多少不自由しても、小さいうちは手を掛けて育てよう」って事になったのだけど、娘の将来を考えると「本当に良かったのかな?」なんて考えがチラリと過った。

まぁ、それはそれとして「お互い春から楽しみですね」なんて女の子の母親と話をしていたのだけど、その女の子が突然「凧揚げをしたい」と言い出した。その日は風が殆ど無くて「今日は風が無いから凧揚げは無理よ」と母親から諭されていたのだけれど、突然その子が物凄い勢いでキレてしまって驚いた。女の子はさらにヒートアップして「そんな事言ったって、今日しか凧揚げ出来ないじゃない! お正月休みは今日までしか無いじゃないの! 絶対に今日は凧揚げするから!」と言って公園を飛び出してしまった。

そこで、私は気がついた。彼女には母親と遊ぶ時間が無かったんだな……と。平日は保育園へ行っていて、その上で有名私立小学校に受験するとなると暢気に遊んでいる余裕なんて無かったのだろうと思う。同じ年頃の娘を持つ親として、複雑な気持ちになってしまった。

他所の家の事についてとやかく言いたい訳ではない。あの母娘の選んだ道と、私達家族が選んだ道は違っているけれど、どちらが正しい道なのかは分からない。人生において何もかも満足のいく道なんてあるはずもなく、何かを得れば何かを諦めなければいけないのは、どうしようもない事なのだ。結局のところ現在の自分は、なんだかんだ言って自分自身が選択してきた結果なんだなぁ……って事を痛切に思った。本当に嫌だったら選ばなければ良いのだ。そして、それは子育てに関する事だけの話ではない。

今の私には不満に思っている事がある。でも、それは自分が選んだ道なのだ。そして「何故、あの時その道を選ぶと決めたのか」って事を忘れないようにしようと思った。

……とは言うものの、今後も迷ったり、フラッっとしたりする事はあると思う。だけど私もいい年した大人で、1人の人間の親なのだ。自分をしっかり持って進んでいかなきゃなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月07日(火) 冬休み終了。

娘の冬休みが終わった。娘にとって幼稚園生活最後の冬休み。滞り無く過ごす事が出来て感無量だ。

楽しい思い出は色々あるが、娘が冬休みの間「眠れない」と泣く事もなく、ちゃんと夜寝てくれたって事が何よりも嬉しい。娘を外に連れだす事に腐心し、夫からは「運動部の合宿」と言われる毎日。寒さにも雪にもアラレにも負けず、毎日よく頑張ったと自分を褒めてあげたい。

今、私は人生で最も「いい身体」をしていると思う。最も、ちゃんとしたトレーニングをしている訳ではないので筋肉質とか、そう言う訳ではないのだけれど。結婚前の自分からは想像もつかなかった生活をしている。

明日からは幼稚園に行ってくれるので、自分の時間も増えるし、ちょっとは楽をさせてもらえる気がする。冬休み中はほとんど本を読めなかったのだけど、また少しずつでも読んでいきたい。ちょっと心配なのは「新年からは1人で病院に通う」と宣言した実家の母が、早くも挫折しそうだって事くらい。まぁ、こちらは覚悟しておこう。

家族全員風邪をひくことなく冬休みを乗りきれて良かったと思う。明日から平常運転。自分のペースで頑張ろう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月06日(月) 初めてのキッザニア。

お正月休み終了。夫は普段通り出勤していった。娘はもう少し冬休み。

今日はこのお正月期間中、我が家にとって1番の思い出になったキッザニア甲子園へ行った時の事を書いておこうと思う。

両実家への年始の挨拶を済ませたお正月3日。家族でキッザニア甲子園に行ってきた。娘が幼児雑誌の付録のDVDでキッザニアの特集を見て以来、ずっと行きたがっていて「それじゃあ行ってみようか」と、お正月のスペシャル行事的に行ってきたのだ。

キッザニアは子どもが「お仕事体験」をする施設……と言うことだけど、要するに大掛かりな「ごっこ遊び」施設だ。予約を入れてから「効率よくアトラクションを回るには下調べでもしておくか」と調べてみたところ、人気のお仕事は瞬殺で予約が一杯なるとのこと。「人気のお仕事をしたいなら朝の回なら午前7時半までに並ぶべし」なんて事が書いてあったので、覚悟を来て目5時起床。7時過ぎに現地着で行列に並んだ。

娘が体験したのはピザ屋さん、新生児室の看護師さん、冷凍の焼きおにぎり作り、消防士、ファッションデザイナー、パレードダンサーの6種類のお仕事。娘が特に楽しかったのはピザ屋さんとファッションデザイナーとのこと。新生児室の看護師さんは「赤ちゃんが重たくて大変だった」と言っていた。

どれもこれも、よく出来ていて子ども達に人気なのも、なるほど納得。大人はガラス越しに子ども達が「お仕事体験」を観ているだけなのだけど、親馬鹿を満喫出来て幸せだった。滞在時間の6時間は夢のようで、アッと言う間に過ぎてしまった。

娘が体験した「お仕事」の中で、パレードダンサーと言うのは、キッザニア閉園前のパレードをする……と言うもので、キッザニア攻略サイトでオススメされていたので「やってみない?」と私から誘ってみた。可愛らしい衣装を来て踊る娘は可愛くて、私は非常に満足したのだけれど、後で娘に聞いてみたところ「あれが1番面白くないお仕事だった」とのこと。「お遊戯なんてツマラナイ」と言う娘に勧める仕事ではなかったと唯一の反省点となってしまった。

……と。多少の失敗はあったものの、実に楽しい1日だった。娘が「ごっこ遊び」を照れずに楽しめるうちに、また連れて行きたいと思う。娘の幼稚園生活最後の冬休みの素晴らしい思い出になったなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2014年01月04日(土) あけましておめでとうございます【2104年】

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

年末年始、我が家は例年通り自宅で過ごしていました。年末は掃除をしたり、おせち料理を作ったり。31日は午後から家族でちょっと遠いファミレスまで歩いて行って「今年も1年お疲れ様」のパフェを食べてきました。これも数年前からの恒例行事。

31日の夜は除夜の鐘を聞くこともなく就寝。娘中心に暮らしていると、どうしても早寝早起きにならざるを得ないのが辛いところ。

1日はおせちとお雑煮を食べて、夫の実家へ年始の挨拶に行って義母と初詣。2日は娘を連れて「お年玉を使って買い物していいよ」と徒歩で地元のショッピングセンターへ。その日の晩は実家の家族招いてスキヤキなど。3日は朝5時起きで家族でキッザニアへ。キッザニアの事は書く余裕があれば、後日改めて。

そして今日は夫が娘を連れて出てくれたので、私は家で家事をしたり、食料の買い出しに行ったり。明日はお正月休み最終日なので、夫には家でノンビリ過ごしてもらって、娘と2人で出掛ける予定。

そんなこんなで、年末年始は家族で充実した時間を過ごしていました。今年はおせち料理の量と品数を大幅にリストラしたおかげで、おせち料理を作るのが楽ちんでしたし、1日で黒豆と栗きんとん以外は綺麗に食べきる事が出来たので「おせち飽きた」を感じる事がなくて良かったです。来年もこの方向で行こうと思います。

家族揃って元気で年末年始を過ごせているのが何よりの幸せなのですが、今年は私にも大きなお年玉が。実家の母が年明けから、自分で病院に行ってくれる事になりました。嬉しいのなんのって。夏以降は実家の母に手がかかって、余裕の無い日々を送っていたのですが、年明けからは少し余裕が出来そうです。中断していたPCでの内職を再開しようかと思案中。

今年は我が家にとって激動の年になりそうです。娘は小学校に入学。夫もたぶん転職している……はず。そして実家の母の手術。相変わらずバタバタしそうですが、家族が心身共健康に過ごせる事を目標に今年も頑張りたいと思います。この日記も出来るだけ書いていこうと思うので、お付き合いいただけると幸いです。という事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


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