白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2010年05月28日(金) バームクーヘン観

今日は「絶対に書かなきゃ」と思っていたのに日記を放置気味で書きそびれていたことなど。

……それは母の入院騒ぎで草臥れ果てていた時のこと。遠くの友人から贈り物が届いた。図書カードと焼き菓子の詰め合わせセットが入っていて、草臥れていた気持ちが一気に盛り上がった。図書カードはもちろんだけど、甘い物好きなので「小洒落た甘い物」がとても嬉しかった。なんだかんだ言って甘い物は食べているけれど、家で作ったり、手軽な物を買ったりしても「デパートで買い物」なんてことをしないので、ちょっと洒落た感じのお菓子にはすっかりご無沙汰していたのだ。

フィナンシェだのスフレだのと言った個別包装のお菓子とバームクーヘンが入っていた。まずは手軽な個別包装のお菓子を食べて感涙。家で作るお菓子も美味しいけれどプロの手で作られた御菓子の味は格別だと思う。いくつかの焼き菓子を食べて数日経った頃……やっとバームクーヘンの封を切った。バームクーヘンって嫌いではないけれど、特別好きなお菓子ではなく、いったん封を切ってしまったら一気に食べなきゃいけないので、なかなか踏ん切りがつかなかったのだ。

現在37歳の私が子供だった頃。洋菓子は今ほど美味しく無かった。「しっとり」とか「ふわふわ」と言った食感の物はほとんど無くて、当時、手土産の定番だった「レモンケーキ」とか「バームクーヘン」とか言う焼き菓子類は、甘ったるくて質実剛健な感じのする食べ物だった。それらは「手土産でしか食べられない貴重なお菓子」ではあったけれど、私は決して好きじゃなかった。

その話を2歳年上の夫にすると「あ〜。分かるわぁ」と賛同してくれた。そしてバームクーヘンの切り分けつつ「堅くならないうちに早く食べようね」なんて言ったのだけど……そのバームクーヘンは絶句してしまうほど美味しかった。それは私達夫婦が知っていたバームクーヘンとは全く別の食べ物だった。子供の頃に嫌っていたパサパサした感じが全くなくて、しっとりとして甘すぎず「いくらでも食べられる」美味しいお菓子だった。

数年前からバームクーヘンが流行っていたのは知っていたし、デパートの洋菓子売り場でガラス越しに長い棒に刺さったバームクーヘンを見たことはあったけれど「あれはパフォーマンスの一種でしょう」と思っていて、実際に買ってみようとは思わなかった。

今まで損してたんだなぁ……。

ここ10数年の洋菓子技術の向上って侮れない。甘い物好きとしては嬉しいことだ。友人が送ってくれたバームクーヘンは私の中のバームクーヘン観を大きく変えてくれた。これからは機会があれば自分でもバームクーヘンを買ってみよう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年05月27日(木) お化粧

今日は平日だと言うのにお化粧をした。幼稚園の体験入園へ行くので、ちょっと見栄を張ってみたのだ。

娘を産んでから平日は全く化粧をしていない。紫外線が気になるようになったら日焼け止めを塗るけれど、基礎的な手入れをしたらオシマイ。働いていた頃は毎日化粧をしていたものだけど、今は「特別なお出掛け」の日のみ。毎日綺麗にお化粧をしているお母さんには憧れるけれど、娘がもう少し大きくなるまではこれで良いと思っている。体育会系の娘に付き合うのにフルメイクで挑むなんて無理過ぎる。

しかし、鏡に映った自分の顔を見て「私もまだまだいけるかも…」なんてことを思ってしまった。何がどういけるのかは自分でも謎だ。今の生活に不満がある訳ではないけれど、昔の自分がちょっと懐かしく思えた。それはたぶん幸せなことなのだと思う。

それにしても昨日も今日も寒過ぎて参ってしまう。

それなのに娘ったら、昨日は公園で泥んこの水溜りに突撃してしまった。同じ年の男の子も娘の巻き添えに。3月下旬並みと言われる肌寒さの中、2人してパシャパシャ泥水遊び。30分で撤収。「そろそろ帰って、お風呂に入ろう」と促すと、流石の娘も寒かったらしく素直に帰路についた。娘は帰宅途中。「今日のYはお利口だった。『帰りたくない』って泣かなかった」と自画自賛。頭から泥水をかぶっている子が「お利口だった」と言っても、何の説得力も無いのだが……。娘と娘の友達と2人まとめてお風呂に連行。2人とも最高に楽しそうだった。ま…そりゃそうだろう。

娘の奔放な遊びっぷりには、正直なところウンザリすることもあるけれど、子供時代くらい思い切り遊ばせてやりたいと思っている。振り返ってみた「あの時は楽しかった」と思える子供時代の経験は娘の生きる力になるだろうと思うから。生きていると楽しいことも多いけれど、辛いことはそれ以上に多い。実際、私の身近にも「強く生きている」とは思い難い人が何人かいる。宗教にハマってしまったり、ニート化してしまったり。娘には立派な人にならなくて良いから、自分の足で立ってで強く生き抜ぬいていける子になってもらいたいと思う。

幼稚園体験はなかなか楽しかった。自宅から通える範囲の幼稚園について色々と調べていた中で「ここが娘に合うんじゃないかなぁ」と目星を付けていた園なのだけど、想像以上に良かった。幼稚園のことについても書きたいのだけれど、そろそろ書く気力が尽きてきたので今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年05月24日(月) ぼちぼち暮らしています。

ここ数日、日記を放置気味ですが、ぼちぼち暮らしています。週末は友人から贈り物が届いたり、母の快気祝いをしたりと楽しいことが沢山ありました。

日々、日記ネタには困らないのですが、いかんせんPCに向かってガッツリ何か書く気力と体力が不足していている今日この頃。ネットは毎日繋いでいるし巡回コースの周遊は欠かさず行っているのですが、娘が寝た後、巡回コースをチェックしたらそれだけで満足してしまって「まぁ…今日はこれくらいにしておこう」とPCを落としてしまうのです。そんな中、どうしても書いておきたいことがあるので書いておきます。

娘が飼っているダンゴムシくんの成長っぷりが凄過ぎるのです。

3匹のダンゴムシは我が家の玄関で元気に暮らしています。我が家に来た時は赤ちゃんだったダンゴムシが、明らかに大人サイズになっています。ダンゴムシって脱皮を繰り返して大きくなる…ってことを37歳になるまで知りませんでした。脱皮した皮はダンゴムシ自身が食べるそうです。娘とダンゴムシの観察をするのが日課の1つです。

もしかしたら明日以降も放置気味になるかも知れませんが、たぶん元気でやっているはずです。今週、大阪はパッっとしないお天気が続きそうですが、挫けず頑張っていきたいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年05月19日(水) 母、退院。

昨日、実家の母が退院した。めでたい。

入院期間は6日間。予想していたより早く退院出来て良かったのだけど、当日の10時過ぎに「午前中に退院します」ってのは、ちょっと酷い。しかも昨日は朝イチで母の掛かり付けの眼科に出向き、母の目薬を貰いに行っていて、留守電に入っているメッセージで退院を知った。もっとも、母の病院関係の用事をする時は、まとまったお金を持つようにしていたので、退院の支払いに困ることは無かったけれど正直なところ「こっちの予定も考えてくれよ〜」と思ってしまった。

何しろ、私は「母の見舞いに行く」と言っても、家を出るまで家事をして昼食と夕食の段取りをして、娘の退屈撃退グッズを鞄に詰め込んで出陣せねばならないのだ。「午前中に退院」となると、母の昼食の段取り等、予定が大幅に狂ってしまう。が、しかし「一刻も早く退院したい」って気持ちもよく分かる。私が知っている入院患者達は主治医から「そろそろ退院出来ますが、いつにしましょうか?」と話を振られた瞬間、例外なく「今すぐ帰ります」と答えていた。

……誰だって病院よりも家がいいに決まっている。そりゃ、そうだ。

そんなこんなで昨日は朝からバタバタしていた。万事、滞りなく片付いて、娘を寝かしつけた後は突然気が抜けて、ぐったりとしてしまった。身体の中から色々と大事な物が染み出てしまった感じ。実家の母の退院を知らせていた訳では無かったのだけど、昨日は夫の帰宅が早く「こう言うの食べたいんじゃないかと思って」と、お土産にシュークリームを買ってきてくれた。カスタードクリームがやたら美味しかった。シュークリームのおかけで身体の中から染み出てしまった大事な物を少しだけチャージ出来たような気がした。

母からはまだ目が離せないものの、とりあえず、ひと安心。そして病院通いから解放されたのはありがたい。今回は短期間で済んだけれど、これからまたこういう機会も増えてくるだろう。実家の母だけでなく、義母だっているのだ。今回のことを踏まえて「イザ」って時に要領よく動けるようにしたいと思う。ま…とりあえず、ホッっとした事だし私もゆっくりさせてもらおう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年05月17日(月) 家族の歪み

昨日の日記…伯母と従姉のことを考えていて、家庭って場所が温かくて愛情にあふれた場所だって思い込みは危険だなぁ……と思った。

家庭は社会の最小の単位と言われる。互いに愛し合い、いたわりあって暮らしていくのが理想だけど、社会にイジメがあるように家庭内にもイジメは存在する。児童虐待やDVは分かりやすいと思うのだけど、もっと地味で陰湿なものだってあると思う。1つ屋根の下に暮らしている血の繋がった人間の集合体だと言うのに、愛されない人がいたりするのは決して珍しいことではない。

私の元同僚で女の子と男の子を育てている母親がいるのだけれど、以前、彼女から「男の子って純粋でいいよ。可愛くて仕方が無い。その点、女の子はねぇ……」と、嫌な話を延々と聞かされたことがある。要するに彼女は息子は愛せても娘のことは愛せないらしい。私は子供が1人しかないくて、しかも娘しか育てていないので「女の子は可愛くない」発言は気分の良い物ではなかったし、それ以上に彼女が子供達に接している姿を見ていて、娘さんが可哀そうでならなかった。

家庭内でのイジメ(イジメと言う言葉がしっくりこないなら「愛されない人がいる」とか「疎外されている人がいる」と置き換えても良いかも)の対象は、子供とは限らない。父親だったり、母親だったり。あるいはお年寄りだったり。今にして思えば私の育った家庭も「健全」とは言い難かった。

人間なのだから完璧な人なんていないのだし、そんな人間達が集まって暮らせば、歪みが出るのも当然のこと。そんな事は、どこの家庭にも多かれ少なかれあるんじゃないかと思う。もし「私の家は仲良しで、そんなことありません!」と胸を張って言える人がいたとするなら、その人は文句のつけようのないほど素晴らしい家庭で暮らしていたか、もしくはその人自身が驚くほど鈍感かのどちらかだと思う。

酷い事って「された人」は一生覚えているけれど「した人」は、覚えているどころか、それが酷い事であったという認識さえ無かったりするのだから。

私は今の家族を愛しているし大切に思っている。そして実家や夫の実家も大切に思っている。今は上手くまわっているけれど、ちょっとしたすれ違いから簡単に崩壊する可能性があるのも理解している。だからこそ慎重に、大切にしなくちゃいけないと思う。努力だけで幸せな家庭が維持出来ると思いあがっている訳ではないけれど、努力をやめたらオシマイだと思うから。

人間関係って、ひとたび崩壊してしまったら、回復するのは難しい。

今日は忙しさにかまけて、娘への対応が一事が万事、雑になってしまっていた。いつもなら待てるところが待てなくて急かしてしまったり、声のトーンが厳しくなってしまったり。自分の余裕のなさを娘に押し付けてはいけないと反省した。明日もバタバタした1日になりそうだけど、気持ちだけでも余裕を持って過ごしたいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年05月16日(日) 親子関係とか色々。

実家の母は大阪弁的な表現で言うと「ぼちぼち」な感じで退院出来そうだ。

「大丈夫」と言っても入院しなければならないのだから、大丈夫じゃないと言っても過言ではないのだけれど、長期療養しなければならないほどの物ではなかったらしい。1週間か10日か。退院の目途は全く立っていないのだけど、思っていたより軽く済みそうでホッっとした。

一昨夜は母のことで伯父と伯母から電話があった。2人とも妹(母)の病気を心配してくれていて、兄弟ってありがたいなぁ……と思った。伯母からは「子供が顔を見せるのが1番の薬だから、白蓮ちゃんも大変だと思うけれど、マメに行ってあげてね」と、それはそれはクドクドと説教されてしまった。黙って聞いていたけれど内心で「たぶん毎日行くし、私にも家庭があるので病院に付きっきりとか無理だし……」と反発しながら「そうですね。母は孫に夢中ですから、せっせとYを連れていきますね」と言ったところ「あのね。親って、子供がいくつになっても子供が可愛いのよ。孫の可愛さは格別だけど、それは別次元のもので、やっぱり子供のことが気になって仕方ないのよ」なんて話を聞かされた。

伯母には息子が1人、娘が2人いるのだけれど、娘の1人と仲が悪くて、その娘は伯母の家に寄り付かない。「伯母が気になって仕方ない」と言うのは寄りつかない娘のことなのだと思う。彼女は3人の子供を抱えて離婚したばかり。伯母は何か娘の手助けをしたいと思っているらしいのだけど、娘は伯母の助けを拒んでいる。

この話だけ聞くと「なんて酷い娘だ」と思えてしまうのだけど、私は従姉の言い分も分かるので、彼女が母親を嫌っているのも理解できる。従姉は兄弟の中でも勉強が出来なくて両親の愛情は他の兄弟に注がれて、傍目から見ても「あれはちょっと……」と思うような育てられ方をしていた。従姉は家族を嫌っていて思春期の頃は自殺さえ考えていたほどだ。

「どうして伯母は従姉が小さい時に愛してやらなかったんだろう?」と思ってしまうのだけど、伯母は伯母なりに娘を愛していたのだろうか。それとも、年を重ねた今になって「もっと愛してやれば良かった」と気に病むようになったのだろか。私には知るよしも無いが切ない話だ。残念だけど今さら従姉が伯母を許すとは思えない。

伯母と従姉の関係は、私も娘がいるだけに他人事とは思えない。娘はまだまだ幼くて「お母さん大好き」な甘えん坊だけど、娘が成長するにつれ、私と彼女との関係も変化していくだろう。娘が成長して親元から巣立っていくのは歓迎だけど、心まで離れてしまわないような関係を築いていけたらなぁ……と思う。

今日は夫が「病院へは俺とYとで行くから、白蓮さんは美容院へ行ってきたら?」と言ってくれたので、午前中は美容院へ髪を切りに行ってきた。夫の心遣いのおかげで髪型だけでなく気持ちもリフレッシュさせてもらった。今は夫と娘の帰宅を待ちつつ休憩中。昼食は冷やしうどんと天麩羅。お昼間から天麩羅を揚げるなんて娘がいたら至難の技。天麩羅は少し冷めてしまったけれど、まぁ…おうどんに乗せて食べるのだし良しとしてもらおう。夫と娘が早く帰ってこないかなぁ……なんて思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年05月13日(木) するのは慣れているけれど?

実家の母が入院した。

入院……と言っても、今回は今すぐ命に関わるような事態ではないので気楽なものだ。実家の母は持病を持っていて毎日点滴に通っている。病気自体は大きな病院で診てもらっているのだけれど、普段の点滴は地元個人医院にお願いしている。数日前から体調不良が続いていて個人医院ではどうにもならない……って事で、入院することになった。入院期間は未定。持病が原因なのか、それとも他の要因があるのか、これから追々と調べることになるらしい。もしかしたら1週間やそこらで退院出来るかも知れないし、長引くくもしれない。

そんな訳で午前中は娘を連れて市の体育館へ行ったりしていたのだけれど、午後からはバタバタと忙しかった。結婚してから家族が入院するのは初めての経験だけど、独身時代から「入院」と言う行事には慣れているので取り立てて慌てる事は無かった。久しぶりに行った病院は、かつて父も入院していた病院で、当時6人部屋として使われていた病室が、小洒落た感じに仕切られた4人部屋になっていて歳月の流れを感じさせられた。

今日は愚弟も一緒に行ってくれた。1度病院へ行った後、もう1度必要な物を届けねばならなかったのだけど、私は娘を連れていてあまり遅い時間までは動けない。なので、それらの事は愚弟に頼んだのだけど、その時に「まぁ…入院は慣れてるだろうから、分からない事とか、困ることは無いだろうけどね」と言ったら、愚弟から「いやぁ。俺、入院するのは慣れているけど、されるのは慣れてないから」と言われてしまった。

なるほど。確かにその通り。

愚弟は2年ちょっと入退院を繰り返していた時期があったけれど、彼は入院するばかりで「家族が入院される立場」は知らないのだった。父の時は私と母がメインで動いていて、愚弟は後方支援って感じだったし。まぁ、それでも今回は愚弟にも頑張ってもらわねばなるまい。もちろん私も頑張る訳だが。

本当のところは、そうそう呑気にしている場合では無いのだけれど、今回の入院は、今までのと違って気持ちが楽だ。「すぐに死ぬ」とか言う話ではないし、年齢的なことを考えても「まぁ仕方が無いよね」と思えるし。大変と言えば大変だけど、ある意味において恵まれた入院だと言えなくもない。

それにしても今日は娘が病院でお利口にしていてくれて助かった。午前中にたっぷり身体を動かしていたのもあるだろうけど、随分と聞きわけが良くなっている……ってのもあると思う。

しばらくは私も病院が通いで忙しくなりそう。色々な意味でバテてしまわないよう、あまり頑張り過ぎないように気を付けたいと思う。なんだかんだで草臥れているので、今日は「ビールのような物」でも飲んで自分を労いたいと思う。明日からまた頑張ろう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年05月12日(水) 掘って、掘って…

今日は娘と2人、砂場で無心に穴を掘った。

大阪は朝から曇り空。しかも5月の半ばとは思えない肌寒さ。午前中は市が主催の幼児向けダンス教室へ行った。ダンス教室は室内で快適だったのだけど、昼食後、娘に何をしたいかと聞くと「公園でお山を作りたい気分」ときたもんだ。

肌寒い曇天の下、お砂場セットを引っ提げて、娘と2人で公園へ出掛けた。

当然ながら公園には誰もおらず娘と2人きりだった。前日の雨の影響で、湿りがちな砂場の片隅に陣取って作業開始。砂をすくって山を作った。娘は「お山を作りたい気分」と言ったにも関わらず、何故だか「お山」よりも、お山を作るために出来た「穴」に夢中。なかばヤケクソになって穴を掘った。

……掘って、掘って、また掘って。

たかが、砂遊び……とは言うものの、大人が本気になって作ると凄い物が出来る。娘がジャンプして飛びこめるくらいの大きな穴と、子供が作るには大き過ぎる山が出来た。娘はジャンプして穴に飛び込むと、穴の中に座り込んで「お風呂みたい」とご満悦。泥んこになって楽しい時間を過ごした。帰宅後はお風呂に直行したのは言うまでも無い。人間だけでなく、着ていた物も、長靴もすべて洗った。

砂遊びってストレス解消になるかも知れない……と、ふと思った。

無心に穴を掘っている時、ちょっとイイ感じだった。あの瞬間、私は「娘にねだられたから」ではなく、自分の欲望のために穴を掘っていた。上手く説明出来ないのが残念なのだけど、なんか…こう…本能的に「楽しい」と感じていたのだ。『天空の城ラピュタ』の「人は土から離れて生きられないのよ」って台詞が、ふと頭をよぎった。もしかしたら人間は本能的な部分でもって、土が好きなのかも知れない。

ちなみに、娘は今日、寝かしけの「お話」をしている途中で眠りに落ちた。「勝った!」と思った。娘と一緒に遊ぶのは、なんだかんだ言って草臥れるけど、なんだかんだ言って面白いよなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年05月10日(月) 自分にイライラ

今にはじまった事ではないが、気持ちが充実してくると「時間が足りない」あるいは「もっと体力自慢だったら…」と、やりたい事をこなせない自分にイライラしてしまう。

たとえば……娘が熱を出して寝込んでいる時などは「娘が元気になる」と言う大きな目標に向かっているので、余計なことを考える隙が無い。と言うか、身体にも気持ちにも余裕が無い。しかし、目先の目標が達成出来てしまうと「あれもしたい」「これもしたい」と個人的な欲求が噴出してくる。

今日はそんな気持ちが最高潮に盛り上がっている。

図書館で借りてきた読みかけの本があるのだけど、面白いのにまだ全然進んでいない……とか、プレイ中のゲームの続きが気になって仕方が無い……とか、娘のための玩具を作りたい……とか、友人にお便りを書きたいのだけど……とか。あれもこれもと、やりたいことばかりが頭の中でグルグルしている。

……が、残念なことに、今の私はボロ雑巾のように草臥れていてガツッっと何かに取り組むだけのエネルギーが無いのだ。ぼんやりとネットを見るか、読みかけの本をパラパラめくるのが精一杯。ひとたびゴロリと横になったが最後、そのまま眠ってしまいそう。

残念だけど、ものすごく無念だけれど、こう言う時はジタバタせずに身体を休めることを優先しようと思う。つい「夜がもっと長ければ」とか「寝なくてもいい身体になったら」なんてクダラナイ事を考えたところで、どうにもならない。地道に自分のしたい事が出来る体制を作ることからはじめようではないか……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年05月09日(日) いまだ慣れず。

この週末は娘が病み上がりだったので、地味に過ごした。

土曜日はスーパーに買い物に行ったり、公園や図書館へ行ったり。言うなれば「お父さんのいる平日」ってところだろうか。夫がいる以外は普段と何一つ変わらない1日だった。娘はまだ咳が残っているものの、それ以外はすっかり元気。久しぶりの「お外」を全身で満喫していた。最近、走るのが早過ぎて困る。

そして本日、日曜日は娘の幼稚園見学のための「上靴」を買いに出掛けた。ついでに大型ショッピングセンターまで足を伸ばして紅茶を購入。紅茶に凝りまくった時期もあったけれど、最近はもっぱらダージリンとアールグレイを買う程度。気が向いたら季節物を買うこともあったけれど「やっぱり定番が美味しい」ってところに行きついた。日々、地味に暮らしている我が家にとって紅茶と本は贅沢品だが欠かすことの出来ないアイテムだ。

地味ながらも良い週末だった。

お昼間、トイレの便座に座っている時、ぼんやりと夫と娘のやり取りを聞きながら「あぁ…私は結婚していたんだなぁ。しかも、娘までいる……」なんて事を、他人事のように思ってしまった。トイレに入っている時って、不意に意識が飛ぶことがある。独身時代…仕事しかしていない時期にも「あぁ…私はどうしてこんなところで働いているんだろう?」と、思ったものだ。結婚して足掛け5年。娘が生まれて2年。もう、いい加減、既婚者であることも、母親であることも「当たり前のこと」として受け入れていいはずなのに、いまだ慣れていない自分がいる。今日は「おかあさ〜ん」と娘がトイレの扉を開けて入ってきて、ハッっと我に返った。

実際のところ、自分の置かれた立場に慣れきっている人って、どれくらいいるのだろう? それとも、世の中には自分の置かれた立場に慣れている人の方が多いのだろうか? その辺の人を片っぱしから捕まえて聞いてみたい……と、いつも思う。

今日は母の日ってことだけど、娘はまだ「お母さんありがとう」なんて言ってくれる年ではない。むしろ私の方が「お母さんでいさせてくれてありがとう」と思う。

先週は半ばから娘の発熱に振り回されて、何かとくたびれたけれど、今週末はのんびり過ごさせてもらったので、心身共に回復したと思う。娘も元気になったことだし、明日からまた頑張ろう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年05月07日(金) ご近所の噂

ひょんな事から、我が家に関する「ご近所の噂」を耳にしてしまった。「白蓮さんは毎日、子供さんを連れて外に出掛けているけれど、あれはお隣の人に気を使って、日中は家にいられないのではないか?」と言うもの。

お隣の住人は数々の武勇伝を持つトラブルメーカー。裏の住人は揉め事が原因で引っ越してしまった…とか、大喧嘩のあまり警察がやって来た…とか、とかく賑やかな人だ。我が家も引っ越ししてきた際、クーラーの室外機の設置場所について、あれこれ先制攻撃を受け「これは大変なお宅の隣に引っ越してしまったな」とは思ったものの、その事についても穏便に事は運んだし、引っ越ししてきて4年になるが喧嘩どころか、お隣とトラブルを起こした事は1度も無い。

噂をしているのはご町内でも年配の方々。お隣の住人がらみのトラブルを長年見続けていて、私達一家のことを、ものすごく心配してくれているらしい。心配してくれているのはありがたいけれど、その噂は全くのガセだ。私が毎日、外に出掛けまくっているのはお隣に気を使っているからではなくて、娘が体育会系女子だからだ。同世代の子供を持つご近所さんは「Yちゃん(娘)は男の子並みに活発だからね」と事情を知ってくれているのだけれど、年配の方々はその辺の事をご存知無い。機会があればキチンと説明しようと思うが、それにしても思ってもみなかった噂で、吃驚してしまった。

そして、ある意味、噂の元凶とも言える娘は、黄金週間最終日に発熱して、昨日と今日は自宅に監禁されていた。熱が高かった夜、娘は「お外で遊びたかった…」「しゃぼん玉したかった…」と、泣き転がりながら外に行けない鬱憤をぶちまけていた。今日はすっかり熱も下がり、あり余る体力を持て余し1日中くだらない悪戯に熱中して、1日中私に叱られていた。明日は外で放牧してやらねば……。

今日は黄金週間に使おうと思って買っていた生クリームを使って、娘とバナナチョコケーキを焼いた。娘は子供用のエプロンをして、クリームを混ぜたり、バナナを切ったり張り切ってお手伝い。斜め向かいに住む仲良しの3歳男児も娘と同時期に発熱したらしく「熱は下がって元気なんだけど、まだ外には出せなくて」なんてメールを貰っていたので、焼きあがったケーキをおすそ分けに持って行った。娘と彼は公園ドロンコ仲間で、大の仲良しなのだが、こういうところまで仲良くすることは無いのになぁ…と、ちょっと面白く思った。

娘の発熱には心配させられたけれど、軽く済んでくれて良かった。

それにしても子供が熱を出すと親はそれだけで草臥れる。心配もするし、食事から無何から普段の倍は手が掛かる。今夜は夫が帰宅したら「お疲れ様、自分!」ってことで、本物のビールを飲もうと思う。娘も回復したことだし、週末は気持ち良く過ごしたいものだなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2010年05月05日(水) 水都探訪と休日診療所。

黄金週間3日目は家族で船に乗ってきた。

少し前から娘が「お船に乗ってみたい」と熱望していたので、大阪城から水都号アクアminiに乗ることに。あらかじめ予約をしていたのでスムーズに乗船出来たのだけど、予約をしていなければ3時待ちだったとか。私達は大阪に住んでいるので普段は大阪が観光地だってことを意識せずに生きているけれど、今更ながら大阪が観光地だってことを再確認させられた。

水都号アクアminiに乗って50分の船の旅。

「娘のために」という大義名分が無ければ、わざわざ水上バスに乗ることは無かったと思う。「娘が喜べばいいや」程度にしか思っていなかったのだけど、以外にも大人も楽しめるコースだった。たまには船もいいものだ。暑い日だったけれど船の上は涼しくて、船から見上げる大阪の街は、いつもと違う表情を見せてくれて、よく知っている場所のはずなのに意外な発見が多かった。港町で下船して、川辺で昼食を食べて帰宅した。

昨日はスーパーへ買い出しに出たり、最寄りの公園で過ごした後、実家の家族を招いて鉄板焼きパーティなど。娘も鉄板で焼いた野菜やお肉を満足げに食べていた。娘がもっと小さい頃は安全面と「娘の食べられる物が少ない」と言うことから、鉄板焼きを避けていたけれど、やっと出来るようになったなぁ……と感慨深いものがあった。鉄板焼きが出来るようになると、お客様を招いた時にとても助かる。

そして本日、5月5日最終日。

黄金週間も最後だし、心おきなく楽しく過ごそう……と思いきや、娘は朝から熱を出してしまった。昨日から喉の調子が悪くて、休み明けに小児科へ連れて行こうかと思っていたのだけれど、急遽、朝1番の診療を狙って休日診療所へ行くことに。季節柄、利用者は少なかった。軽い風邪とのこと。お天気が良いのに家に缶詰。娘は熱はあっても、やたら元気で「お外に遊びに行く」とグズグズ。夫に娘を託して娘のための引き籠りグッズの買い出しなど。プリン、塗り絵、絵本など。子供が病気になると親はやたらと甘くなる。私が子供の頃もそうだったなぁ……と、自分の子供時代を懐かしく思い出してしまった。

人の営みって、こんな風に延々と繰り返されていくのだなぁ。

そんなこんなで黄金週間は、ゆっくり過ごすどころか娘の発熱でパッとしない締めくくりとなった。「この黄金週間はケーキを焼こう」と張り切って買った生クリームは冷蔵庫に眠ったままだ。この調子だと生クリームは料理に使ったり、コーヒーに入れたりして地味に消費されるのだと思う。黄金週間を振り返って云々……よりも、娘の発熱が気にかかる。休日診療所で処方された薬は1日分だけなので、明日またかかりつけの小児科へ行こうと思う。大したことは無さそうだけど、早く全快して欲しいなぁ……と祈りつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。

左から水都号アクアmini、船上から見た大阪ビジネスパーク、大阪城公園の乗船場。黄金週間のラストは娘の発熱と言う結果になってしまいましたが、この日は家族で気持ち良く過ごしました。








2010年05月03日(月) ハーベストの丘とホットケーキパーティ

黄金週間はなんだかんだと家族で楽しく過ごしている。

今夜は実家の家族を招いて鉄板焼きパーティ。午前中は買い出しに行ったりしていたのだけど、午後からは夫が娘を引き受けてくれたので、私は家で鉄板焼きの準備など。ちょっと区切りがついたので休憩しつつ黄金週間の覚え書きなど。

1日目は義母と一緒に堺市にあるハーベストの丘へ行ってきた。休日の観光牧場ってことで、たいへんな賑わいだった。動物好きの娘は大喜びしていたけれど、夫と私は人の多さに軽く辟易。公的施設なので入園料はそれほど高くは無いけれど、歩くたびにお金がいるシステムで、本気で遊ぼうと思えばちょっとしたテーマパークくらいの心づもりが必要……ってのも「なんだかなぁ」な感じ。娘はまだ小さいので、大丈夫だったけれど、小学生の子供を連れて行ったら大変なことになるだろうと思う。「これなら、いっそフリーパスのあるテーマパークの方が良いね」と夫と話したくらいだ。

場所の選び方については軽く失敗した感があったものの、娘も義母も楽しんでくれたので良かったと思う。特に義母は娘と一緒に園内を周遊する汽車に乗れたのが嬉しかったらしい。ともかく「おばあちゃん孝行」が出来て良かった。義母は始終ご機嫌で、お土産(と言うかおすそ分け?)に持って行った若竹煮を「田舎育ちだから大好きなんだけど、1人じゃ絶対つくらないから…」とても喜んでくれた。義母がタケノコ好きとは知らなかった。これは要チェック。

2日目は近所の男子達を自宅に招いてホットケーキパーティなど。パン作り大会とほぼ同じメンバー。ホットケーキにチーズ、アンコ、ソーセージなど色々な物をトッピングして自分達で焼いて食べる形式に男子一同、大興奮。娘も張り切ってお手伝い。出来はともかく美味しそうに食べていた。

デザートはスイカ入りのフルーツポンチ。スーパーでスイカが特売していたので、太っ腹にもスイカを半玉買って、果物を色々入れて作ってみた。スイカの皮で作った器と、鍋に1杯分のフルーツポンチが出来たのだけど、ほんの少し残っただけで、皆でペロりと平らげてしまった。ただのフルーツポンチだけど「スイカの器に入っている」ってだけで、テンションが上がるものだなぁ。私も作っていて楽しかったし、美味しかった。何よりも気兼ねなく「たっぷり食べられた」ってのが良かった。食事の後は公園へ繰り出して夕方まで遊んだ。

黄金週間はゆっくり過ごしたいと思っていたのに、2日間は全力で遊んでしまった。やや疲れ気味。「休みに疲れる」っのも、また黄金週間らしいのかなぁ……なんて思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。

スイカフルーツポンチ。素人臭い仕上がりですが、果物の力は偉大です。作り手の腕前はともかく美味しく仕上がりました。








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