白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2009年03月31日(火) 娘、不調。

いつも元気な娘の具合がイマイチ良くない。

ここ数日、風邪気味で鼻たれ娘ではあったのだけど、今日はどうもよろしくない。熱も無いし、機嫌が悪い訳ではないのだけれど身体を使った遊びが大好きな活発な娘が大人しいのだ。うっかりするとゴロゴロと寝転がっている。食欲もイマイチ。

娘は誰に似たのか健康な子で、生まれてこのかた大した病気をしたことがない。2度ばかり発熱したことはあるけれど、一晩で治ってしまったし、熱のある時も比較的元気だった。子供の病気に慣れていない新米の母は「熱もないのに調子が悪い」ってことが心配でならない。

たぶん風邪だと思うのだけど、様子を見ていてどうしても気になるようなら、明日病院へ連れて行こうと思っている。

上手にお喋りが出来る年齢の子なら、あれこれ聞くことも可能だけれど、娘はまだお喋りが出来ないだけに余計に心配がつのる。これなら元気過ぎて「家に帰りたくない」と大泣きされる方がよほどマシだ。

早く本調子になって、モリモリご飯を食べて、しっかり外で遊べるようになって欲しいなぁ……と思う。子供の病気って、重い・軽いに関わらず親にとっては心配なのだ。娘の回復を願いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年03月30日(月) はじまり

せっかく桜が咲いたのに先週はずっと寒かったから桜の開花が進まない。寒暖の差についていけずに娘は鼻水を垂らしている。もうちょっと気を付けてやれば良かったと後悔しきり。

しかしながら、昨日の寒さが嘘のように今日の日中は暖かかった。午前中、娘を連れて少し遠くの児童公園へ。砂遊びにハマっている娘と並んで砂場にしゃがみ、砂遊びなど。先週は砂場にしゃがむのが辛かったけれど、今日くらい暖かければ砂遊びも苦にならないものだ。

小さい子供って、空を見上げるのがどうしてあんなに好きなのだろう?

娘のかたわらで遊んでいた男の子が、空を指さして「飛行機だ」とはしゃぎだした。見ると、真っ青な空にセスナ機が飛んでいて、筆で描いたような飛行機雲が出来ていた。飛行機雲を見るのって久し振り。「最後に見たのはいつだったっけ?」と思い出そうとしてみたが、どうしても思い出せなかった。私は、じっくりと空を見ることのない大人になってしまったらしい。仕方がないとは言うものの、ちょっと寂しいような気がした。

青い空と白い飛行機雲。写真に撮っておきたいような綺麗さだった。

3月も明日でオシマイ。明後日から4月に突入する。春も本番。年度も改まる。日本における1年のスタートは元旦だけど、4月もある意味1年のスタート。学校へも行っていないし、会社にも属していない人間にとって年度変わりなんて関係ないようにも思うのだけど、それでも「新しいスタートだなぁ」と思ってしまうから不思議だ。

本格的な春のはじまり。新しい年度のはじまり。元気一杯で「はじまり」を迎えたいものだなぁ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年03月27日(金) 異文化交流のような…

最近、娘を通じての知り合いが増えた。学校とか会社とか言った縛りが無い中での人間関係は非常に多彩で面白い。

学校や会社で知り合った人というのは、生きてきた環境や考え方等がある程度似ている場合が多い。その上「組織ルール」とでも言うのか、仲間内だけで通じる暗黙の了解があったりして、個々の人間は違っていてもなんとなく似てきたりするものだ。

しかし「主婦」とか「母親」という付き合いは、そう言った縛りが無いので、自分が持っていた常識を根こそぎ覆されたり、あるいは「いやぁ。テレビやなんかで、そういう人がいるってのは知っていましたが本当にいるんですねぇ」と言うような、自分とは生きてきた世界が違う人と知り合うチャンスが多々ある。

たとえば。私はヤンキーとかギャルとか呼ばれるタイプの人が苦手だと思っていて、いままでそういう類の人と真剣に関わったことが無かったのだけど、娘を通じて知り合った人の中には元ヤン(ヤンママ)とか、ギャルっぽい人もいたりする。メールに自分のことを「私」ではなく、名前で書いてきたり、やたらと絵文字満載で、その上、本来なら大文字で書くところを小文字を使ったりしていたり。メールをもらって、思わず仰け反ってしまった事も一再ではない。

今まで付き合ってみたことのない人と交わってみて吃驚したのは「今まで食わず嫌いしていたけれど、案外、いける」ってことだった。もちろん、深く関わったら感想も変わってくるだろうし、母親として尊敬できない人なら付き合うのはゴメンだけど、多少の価値感の違いなら付き合っていくのに支障は無い。会社の人間関係で説明するなら「多少価値観が自分と違っていても、仕事が出来る人とは案外楽しく付き合える」ってところだろうか。

自分の知らない世界を知っている人と話をしたりするのは楽しいものだ。自分と同じ世界の人や気の合う人と付き合うのは楽しいけれど、それとは違った面白味があると言うか。異文化交流って感じだろうか。

また何かの機会に娘を通じて知り合った人の中で、親しくなった興味深い人について書くことがあるかも知れないなぁ。こういう楽しみは娘がいなければ味わえなかった。毎日、育児に追われて日記を書くのもままならない日も多いけれど、なんだかんだで毎日楽しい。贅沢を言うなら、面白い出来事や感激したことなどを、もう少し書き記す余裕が欲しいなぁ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年03月25日(水) 秘密基地の季節

我が家は絵に描いたような狭小住宅で、土地いっぱいに家が建っているのだけれど、隣との境目には法律上、ほんの少しだけ余裕がある。人1人が通れるくらいの幅で、電気やガスのメーターがあって、水道の蛇口があって、奥には物置の扉がある。

ある日、ふとそこに目をやるとその狭いスペースに大人の腕くらいの大きさの木の枝が2本転がっていた。

木の枝…と言っても我が家には庭などあるはずもなく、隣接しているお宅にも裏のお宅にも庭はなくて、自然に木の枝が入ってくるとは考え難い。ちなみに、向かいのお宅や斜め向かいのお宅には広いお庭があるのだけれど、大人の腕くらいの木の枝が折れて飛んできたとも考え難い。

その枝はクスノキのようだった。ちなみに…ご近所にお庭にクスノキのあるお宅は無い。我が家から1番近くにあるクスノキは1つ向こうの筋にある公園のクスノキだ。

クスノキの枝を拾い上げて思わずニンマリと笑ってしまった。たぶん、近所の小学生が運んできたのだろう。春休みに突入して彼らは秘密基地を作ったに違いない。我が家の狭いスペースは道に面していて誰でも入ることが出来る上に、ちょっと奥まって狭い感じが子供心をくすぐるらしく、娘をはじめ近所の子供達が「ちょっと寄っていって遊んでいく」スペースでもあるのだ。

せっせとクスノキの枝を運んできたであろう子供には申し訳なかったけれど、こちらにも大人の事情というものがあり、クスノキの枝は片付けさせてもらった。

春は秘密基地を作るにはもってこいの季節だ。

私もかつては秘密基地を作ったことがある。仲間だけ…子供だけの秘密基地。「秘密基地」という言葉を口にしただけでも、胸がキュウッっとしてしまう。秘密基地ってのは永遠のものじゃない。「大人に潰されてオシマイ」という末路をたどった秘密基地は星の数ほどあるんじゃなかろうか。私も秘密基地を潰す立場になってしまったのかと思うと感慨深い。

公園から大きなクスノキの枝を2本も運んできた子は、きっとガッカリするのだろうなぁ。私はその子の顔を知らないけれど、逞しく遊んで欲しいなぁ……なんて思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年03月19日(木) 幸せになりたいのか、楽になりたいのか。

独身時代、同性から「白蓮さんが男だったら本気で結婚したい」とよく言われた。

人から好かれるのは悪い気はしないものだけど正直モニョっとされられたものだ。「同性から恋を告白される」のならいい。だけど私と結婚したいと発言する女性達は私に恋をしているのではなくて「貴女みたいな人と結婚したら楽に生きられそう」と思っているに過ぎない…ってことが透けて見えるから嫌だったのだ。

「男気に惚れる」って言葉があるけれど、私は同性からそういう方面で惚れられることが多い。私は慕われたり頼られたりすると頑張ってしまう性質で、そうされることが嫌ではないけれど「結婚したい」とまで言うような人は少し度が過ぎているように思う。

「幸せになりたい」というのと「楽になりたい」というのは似ているようで似ていない。

私が彼女達の「嬉しい」ツボが分かるのは、私が同性だからだ。同性なればこそ分かる痛みや喜びを知っているから「痒いところに手が届く」的な発言や行動が出来る。でも、それを異性に求めるのは無理って話。そりゃぁジゴロ的要素を持っていて、スマートに出来る人もいるだろうけれど。たぶん、彼女達は私といると楽なのだと思う。まぁ、そう思われるのは悪いことでは無いのだけど「なんだかなぁ」と思わずにはいられない。

結婚したら、そういう意味で好かれることは無いだろうなぁ……と思っていたのだけど、そうでも無い…ってことに最近気がついた。このところ娘を通じて新しい知人(世間的にはママ友ってところだろうか?)が増えているのだけど「気が合うから好き」と言うよりも、恋愛対象的な…というか、動物が飼い主に懐く時のような…と言うか、上手く説明出来ないけれど「やたら慕われている」と感じることが多々ある。

もっとも嫌われるよりも好かれる方が良いのだし「貴女といると楽だ」と思われるのはある意味において嬉しいことだ。いっそ男気に磨きをかけてジゴロを名乗ってみるか…なんてね。ホントに人って色々だ。専業主婦になったら人間関係が狭くなって、ツマラナイんじゃないかと思っていたけど、世の中には色々な人がいて、どこにいてもツマラナイなんてことは無いものだなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年03月17日(火) 異国での子育て

お昼寝の後、娘は今日も「電車を見る旅」に出掛けた。

線路に沿って流れる川沿いの歩道を歩いて電車を愛でつつ、駅へ向かうのが定番なのだけど、今日は駅へは行かずに途中にある小さな公園へ立ち寄った。その公園は滑り台と砂場、小さなジャングルジムがあるだけのこじんまりとした公園で、あまり遊んでいる子がいないのだけど、今日は珍しく娘と同じ年頃の子が遊んでいて、どうやら娘もその子が気になって遊ぶ気になったようだった。

先客さんは1歳になったばかりの男の子とのこと。「外で遊ばせるのは今日がはじめてなんです」と言う彼の母親と色んな話をした。彼女は中国人で、父親も中国人とのこと。近くに同じ年頃の子を持つ知り合いがいないらしく、ものすごい勢いで子育てについて質問されてしまった。

質問内容は「離乳食は食べますか?」とか「ベビーカーを嫌がるんだけど…」等、はじめて子育てをする母親なら誰しも悩むであろう事だった。娘は彼女の息子よりも少しお姉さんなので、私も初めての子育てながら娘が通ってきたことならアドバイス出来るので「うちの子はこうでしたよ」なんて話をした。

知り合いの少ない異国で初めての子供を育てるって、どんなに大変なことだろう。

新米の母親にとって子育ては何もかもが分からないことだらけ。幸い、私の場合は近所に似た年頃の子を持つ人がいて、あれこれ教えてもらうことが出来るのだけど、そうでなければ娘との生活も今のようなものでは無かったかも知れないなぁ……と思う。

中国人の母親は「家では中国語で話をするのに、外では日本語で話をするので、どうもこの子は言葉に戸惑っているみたいです」と心配していた。「子供って柔軟だから成長して友達と遊ぶ中で日本語も身につけるだろうし、中国語はお母さんやお父さんから聞いて学べるんじゃないかなぁ」としか言えなかったのだけど、子供って案外逞しくやっていくんじゃないかと本心から思う。

「また遊びましょうね」ってことと「もう少し先の大きい公園には小さい子も沢山遊びにくるから行ってみたら?私達もいつもはその公園で遊んでいます」と言ってお別れした。

国籍は違えど同じ年頃の子を持つ母親同士。機会があれば仲良くしたいなぁ……と思う。「子育て中の母親」と一言でいっても色々な立場の人がいる。みなそれぞれ必死で我が子を育てているのだろうなぁ……なんてことを思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年03月16日(月) 亀の甲羅干し

週末は家族で四天王寺へ行ってきた。

四天王寺は聖徳太子が建立したお寺で街中にある。ご家族向けのレジャー施設では無いのだけれど、1歳5ヶ月の娘を遊ばせるには十分な場所なのだ。広くて、鳩や亀がいて、お弁当を広げてもいい場所がある。毎度、公園では飽きてしまうので、今回はいささか地味だけど四天王寺でのんびり過ごすことに。

朝から張り切ってお弁当を作り、てくてく歩いて出発。最近、お出掛けするのにもベビーカーの出動率が減っている。ベビーカーがあった方が親にとっては都合がいいのだけれど、娘を出来るだけ歩かせたくて。大人の足で10分ほどかかる駅ならば、時間をかければ娘にだって歩いて行ける。

徒歩と電車で天王寺へ。最近、電車にハマっている娘は電車に乗せていたらご機嫌。行き違う電車に手を振ったり、相手をしてくれる乗客の人に愛想をふったりしてご満悦だった。

四天王寺はお彼岸前と言うことで、それほど人は多くなかった。都会の真ん中にあるのだけれど、お寺の敷地内はのんびりゆったり。特別な行事(お彼岸とかお盆ととか)でも無い限り、いつ来ても、ほどほどに静かで良い場所だ。

境内をうろうろと散歩してお弁当など。おにぎりと、刻み野菜をたっぷり混ぜ込んだ卵焼き、魚肉ソーセージを焼いたもの、キャベツ炒め…などなど。家で食べたら地味としか思えないメニューでも、お弁当だと美味しく感じるから不思議だ。

食事の後は亀の池を見たり、鳩と遊んだり。亀の池でたくさんの亀が甲羅干しをしていたのが印象的だった。週末はちょっと寒かったけれど、それでも日差しが暖かくて春を予感させてくれる気温だった。春っていいなぁ……と思う。人も、亀もなんだかのんびり。「暖かい」ってだけで、こんなにも気持ち的なものが変わってくるのかと驚かされる。

帰りにファミリーマートでWクリームエクレアを買った。夜、娘を寝かせつけて、夫と2人で食べたのだけど美味しさに身悶えした。最近のコンビニスイーツはレベルが高いなぁ。

お弁当を持ってお寺で遊び、夜はコンビニスイーツ。まったくもって小市民的と言うか、地味な感じではあるけれど、とても満ち足りた週末だった。今週は暖かくなるとのこと。何やら気持ちが浮足立つなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。

写りが悪いけれど、亀の甲羅干し。中央に立っているのはサギ。ぞろぞろと亀が集結しています。








2009年03月13日(金) ホワイトデー

今日はホワイトデーのお返しにチョコレートケーキを焼いた。

先月、近所の小学生Mちゃんから手作りクッキーを貰ったのだけど、後で聞いたところによるとバレンタインデーの「友チョコ」だったとのこと。バレンタインデーに贈り物を戴いたとなれば、ホワイトデーに御返しをせねばなりますまい。本来ならばホワイトデーは明日なのだけど、週末は家族でおでかけしたりすることもあるだろうし……と言うことで、1日繰り上げて、今日渡すことにした。

お菓子を焼くのは1月ぶり。先月、クッキーを焼いたのが最後だと思う。最近は娘に手が掛かるので、お菓子作りにまで手が回らないのが現状。今日は都合の良いことに1日中雨。どちらにしても外へ遊びにい行けないのだし……とて、心おきなくチョコレートケーキを焼くことが出来た。

御返しに何を作ろうかと随分迷ったのだけど、失敗する可能性の低い作り慣れた豆腐のチョコレートケーキにした。友人のお母さんから戴いた栗の渋皮煮を刻んで入れたので、いつものよりも少し豪華版。Mちゃん達家族のお口に合うと良いのだけれど。

今日は夫もホワイトデーのお返しを持って出勤。何を御返ししようかと迷ったけれど、無難な消え物に落ち着いた。Mちゃんにも、夫の職場の人にも無事に御返しするこてが出来て、なんだか大きな仕事を終えたような気がした。

この週末はイマイチ天気が良くないらしい。雨が降ると娘を外で遊ばせてやれないのでウンザリだけど、この雨が春の暖かさを連れて来てくれると思えば我慢のし甲斐もあると言うもの。来週は今週よりも暖かいことを期待して、今日の日記はこれにてオシマイ。

久し振りに焼いたケーキ。写真だとイマイチ美味しくなさそう。自分ち用に焼いたのを味見してみたけれど栗の渋皮煮が丁度良いアクセントになっていて美味しかった。








2009年03月12日(木) ひらひらのふわふわv

娘を寝かせつけて、ぼんやりネットをしていたら「春のお洒落」の特集が目に入ってきた。

女性には「秋になるとお洒落をしたくなる派」と「春になるとお洒落をしたくなる派」が存在するが私は断然後者に属する。寒さが滅法苦手なので、冬はどうしても見た目よりも防寒重視になってしまうため、暖かくなると心起きなくお洒落が出来るからワクワクしてしまうのだ。

寒さ云々もあるけれどデザイン的なところでも秋よりも春のお洒落の方が好きなのだ。ひらひらしたレースとか、ふわふわした色合いとか…ようするにロマンチック&乙女ちっくなデザインが大好きなのだ。もちろん、似合うかどうかは別の話だし、自分の好きな服ばかり着られるはずもないのだけれど。

だが、今年は春のお洒落の特集を見ていて思わず溜息が出てしまった。私の好きなスタイルは私の今の生活にはあまりにも似合わなさ過ぎる。「ひらひらのふわふわ」で滑り台を滑ったり、公園の砂場にしゃがみ込んだり出来るか……って話だ。

育児中だからってお洒落を放棄するつもりはないし、春になったら今よりも甘い目のデザインを取り入れたいとは思うけれど、心おきなく「ひらひらのふわふわ」を楽しむのは、しばらく無理だろうなぁ……と思う。仕方のない事だと思うし、長い目で見れぱ一時的なことだと分かっているけれど、ちょっと寂しいのも事実だ。

嘆いていても始まらないので、自分の出来る範囲で春のお洒落を楽しんでいこうと思う、もっとも……今は色々と余裕がなくて自分のお洒落はついつい置き去りになっている。そのことも含めて、この春はお洒落を心掛けたいなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年03月10日(火) 白木蓮咲く

今年も白木蓮の季節がやって来た。

昨年、ベビーカーを押しながら「来年は娘と手を繋いで歩きながら白木蓮の花を見たいなぁ」なんて思っていたけれど、今年は希望通り、娘と手を繋いで歩きながら白木蓮を見上げている。しみじみと嬉しい。

ここ数日、日記をサボりがちだったのは体力的に余裕が無かったため。元気にやっているけれど、ネット遊びをするほどの余力が無かった。娘は最近、電車が好き過ぎて毎日、2時間弱の行程で電車を見る旅(散歩)に出掛ける。娘との散歩は楽しいのだけど、これがけっこう草臥れるのだ。

最近の生活パターンはこんな感じ。

朝6時起床。猛ダッシュで家事(夕食の準備まで)を済ませて9時半〜10時までの間に家を出る。行き先はスーパーだったり、公園だったり、保育園の園庭開放だったり、電車を見る旅だったり。12時前に帰宅。食事を済ませて1時〜3時頃まで娘はお昼寝タイム。私はその間読書など。お昼寝の後におやつ。洗濯物を片付けて3時半〜4時くらいに家を出て外遊び、または散歩。6時前に帰宅。6時から娘の夕食&お風呂。娘は8時就寝。

8時以降は大人の時間。ネットだって読書だって思いのまま……なのだけど、その頃には私自身がクタクタになっていてボンヤリ過ごしてしまうことが多い。娘が寝てからの時間を有効活用出来ればいいのだけどなぁ。

来年の今頃、私はどんな生活をしているのだろう? 来年の今頃に今日の日記を読み返して「ああ。あの頃はこんな生活だったんだなぁ」などと懐かしさに浸るために1日のスケジュールを書いてみた次第。

昨年の今頃は娘と手を繋いで歩きながら白木蓮を見上げることを夢見ていた。そして今年は来年の今頃、娘とおしゃべりをしながら白木蓮を見上げたいなぁ……と思っている。

日々の暮らしはボンヤリしていりると瞬く間に過ぎてしまうけれど、時は確実に過ぎていくし、娘は日に日に成長している。毎日を大切に過ごすよう気をつけなくちゃなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年03月05日(木) 娘の幸せ

私は今、専業主婦で1歳児の娘を育てている。日々、娘が幸せであるよう最善を尽くしているつもりだが、それが最善かどうかなんて誰にも分からないんだなぁ……なんてことを、ふと思った。

前回の日記で「娘にはこの家から巣立って欲しい」というようなことを書いた。家族仲良く健康で、しかも経済的に困窮していない状態をキープしたまま娘を成人させたいと思っている訳だが、それが将来的に見て娘の幸せに直結すると言う保障はどこにもない。

ふと結婚するまでの自分を振り返ってみて思った。私は確かに色々な意味で「満ち足りた生活」を送っていた訳ではなかったけれど、決して不幸では無かったな……と。

「絵に描いたように幸せな家庭」に育った子供が幸せになれるとは限らない。傍からみると「なんの不自由もなく」大きくなった人で不幸のループにハマってしまった人は沢山いる。残念ながら私の周囲にもそういう人はいる。

結局のところ娘の幸せは娘自身が自分の手で掴み取るしかない。娘がちゃんと「幸せを掴む手」を持っていることを祈るしかない。

親が出来ることって、ほんの少ししかないのだなぁ……と思う。

子を愛し、ある程度まで大きくすること以外は、「何があっても親だけは貴方の味方だから」と言うことを伝え、子が追い詰められた時に帰る場所を提供するくらいだろうか。

とりあえず今は「娘が笑顔でいられるように」過ごすというのが私の仕事だと思っている。しかし、ふとした拍子に子を育てるということの責任の重さを感じて「この子の将来はどうなるのだろう」なんて思ったりもするのだ。

もっとも、毎日そんなことを考えてるいかと言うとそんなことは無い。むしろ目の前のことをこなしていくのが精一杯。差しあたっての心配ごとは「明日は雨降りらしいけれど、どうやって過ごそうかな」ってこと。考えるのも大事だけれど、まずは目の前の事から片付けていこう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年03月03日(火) カップ麺の朝。チラシ寿司の夜。

今朝はかねての計画通り、朝食にカップヌードルを食べた。

ものすごく久し振りに食べたカップヌードルは感涙物の美味しさだった。五臓六腑に染み渡る美味さ!思い出込みでの美味しさだとは思うのだけど、大満足の味だった。

カップ麺を食べながら夫と「朝食にカップ麺って、ビジュアル的にはもの哀しいよね」と話をした。バナナとヨーグルトを添えてみたものの、やはりもの哀しさは変わらない。「なんだか引っ越しの日の朝ごはんって感じだねぇ」なんてことを夫と話をした。

私は結婚するまでにも都合、何度か引っ越しを経験している。親の転勤…とかではなく「父が事業に失敗したから」という理由だったので、引っ越しするたびに行く先の家は小さくなっていった。最終的に行きついたのはレトロ…と呼ぶにはあまりにもボロい長屋だった。

カップヌードルを食べながら自分の過去を振り返りつつ「娘はよほどの事が無い限り、自活をはじめるとか結婚する…みたいな巣立ちの意味以外では引っ越しすることは無いんだなぁ」なんてことを思った。夫はサラリーマンで転勤の可能性がゼロとは言わないが、一応「転勤は無いだろう」とのことだし、転勤したところで最終的には大阪に戻ってくる。我が家は築35年を越えたポロ家だが、持家なので娘はたぶん成人するまでこの家で暮らすことになるだろう。

それが娘にとって幸せな事なのかどうかは分からないけれど、出来れば娘はこの家から巣立って欲しいと思う。

話は変わるが今日は雛祭り。朝から張り切ってチラシ寿司を作った。午前10時から集会所で開かれる育児支援に参加するため、昨夜から仕込みをしておいて、猛ダッシュでチラシ寿司作り。娘にとって今年は2度目の雛祭りだが、昨年は乳飲み子だったのでチラシ寿司は食べていないのだ。具の切り方から何から娘仕様のチラシ寿司を作った。

娘の目の前にドンと寿司桶を置いたら、娘は満面の笑みで「キャーッ」っと黄色い声。「これはもらった!」と思うも、チラシ寿司を取り分けたとたん娘は知らん顔。喜ばないどころか口も付けてくれなかった。仕方がないのでチラシ寿司を一口大のおにぎりにした。おにぎりにしてチラシ寿司はパクパク食べてくれたので良かったけれど、母としてはちょっとガッカリな結果だった。

来年はおにぎりにしなくても娘がチラシ寿司を食べてくれると良いなぁ。来年の雛祭りを楽しみにしつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年03月02日(月) カップヌードル!

昨日、家族でスーパーへ買い物に行った時、ふとカップ麺に目が行った。思えば私は少なくとも娘を産んでから1度たりともカップ麺を食べていない。

娘を母乳で育てている時は自分の食べた物が即母乳になるので食べる物にやたら気を使っていた。娘がお乳を卒業してからは、授乳中よりは雑になっているものの、自分の食べているものを娘が欲しがるので、娘が起きている時は基本的に「娘が食べていいもの」しか口にしていない。

カップ麺って身体に悪いって分かっているし「美味しい・美味しくない」の基準からすると、決して美味しいものでは無いのかも知れないけれど、たまに食べたくなるから不思議だ。

外に出て働いている時、お昼にお弁当を作っていない時はコンビニでカップ麺を買って、それで済ませることがあった。私の魂のカップ麺はカップヌードルSIO。黒胡椒の風味と、偽物臭いジャガイモの食感がお気に入り。

夫に「カップ麺が食べたいんだけど娘がいたら無理だよねぇ」なんて話をした。カップ麺ってお昼か夜食に食べるものだと思うのだけど、今は夜食を食べるような生活をしていないし、夕食にカップ麺だなんて暴挙に出るつもりはない。お昼は娘と一緒に食べるのでカップ麺を食べるのは不可能だ。

夫はしばらく考えて「じゃあ、朝ご飯に食べたらどうだろう…」と言った。

「その手があったか!」と目から鱗が落ちる思いだった。朝ごはんにカップ麺だなんて反則だと思うけれど、夕食に出すよりはまだ罪悪感は低い。私達夫婦が朝食を食べる時、娘はたいてい眠っているのでその辺の問題も大丈夫。

そんな訳で明日の朝はカップヌードルを食べることにした。カップヌードルとヨーグルトと果物(たぶんバナナ)を出すつもり。ヨーグルトと果物は、パンでもご飯でも出しているので出そうと思う。

どれだけ大人げないか…ってことは承知している。でも食べたいのだ。「明日の朝はカップヌードル」って考えただけでドキドキしてしまうほどに。久し振りに食べるカップ麺はどんな味がするだろう? 明日の朝を楽しみにしつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2009年03月01日(日) 大阪城の梅

土曜日は大阪城公園へ梅を見に行ってきた。

遠出をする予定は無かったのだけど、先週はちょっとしんどい事続きで気分的にウンザリしていたので「ちょっと流れを変えたいね」と遠出することに。最近、電車にハマっている娘を電車に乗せたい…ってこともあった。

私は夫に娘を託して朝一で腰痛治療のため整骨院へ。整骨院から帰ったその足で家を出た。ベビーカーを持っていくかどうか迷ったのだけど、娘もしっかり歩くようになったのでベビーカーはあえて置いて行った。親の都合的にはベビーカーに乗せた方が楽なのだけど、それでは娘のためにならないだろう……ってことで。

出先で腹ごしらえをして大阪城公園へ。公園の入口に大がかりな遊具のあるスペースがあったので、娘をそこで遊ばせた。「子供天守閣」といって大阪城をイメージした巨大ジャングルジムにたくさんの滑り台があって、娘は滑り台を滑ったり、階段を上って「子供天守閣」の天辺に登ったりして1時間ばかりはしゃいだ。

娘が遊び疲れてきたところで子供天守閣から撤収。天守閣の近くにある梅園を目指した。が、途中、噴水広場で脱線。娘はしばらくハトを追いかけて遊んだ。そして「いざ梅見」という段になって娘はダウン。抱っこ紐で夫に抱かれて眠ってしまった。

娘が寝てくれたおかげで、ゆっくり梅を堪能することが出来た。花見的には桜よりも梅の方が風情があるように思う。桜だと酔っ払いと焼き肉の臭いが付きものだけど、梅にはそれが無い。もっとも浮かれた感じの桜の花見もそれはそれで嫌いではないけれど、花を楽しむなら桜よりも梅の方がゆっくり出来ていい。

大阪城公園を出て電車で帰ろうか……という途中、スタバのテラスで休憩した。私はハニーオレンジフラペチーノを。夫はキャラメルフラペチーノを。私の中でスタバはコーヒーを飲む店ではなくて「コーヒー風味の甘い飲み物を飲む店」だったりする。普段は質素に暮らしていてお茶を飲むと言えば、家かもしくは家で沸かしたお茶を持参してそれを飲むのだけど、たまにはこういう無駄遣いもいいものだ。

「スタバで休憩」だなんて娘を産むまでは特別なことでもなんでもなかったのだけどなぁ。だけど私はこの不自由感が嫌いじゃない。久し振りにスタバの空気を満喫出来て嬉しかった。甘いハニーオレンジフラペチーノがやたらと美味しくて、こんな休日を過ごさせてくれる夫と娘に感謝した。

結局のところ「大阪城に梅を見に行く」と言うのは建前だったのだと思う。娘を電車に乗せて、遊ばせて、ついでに大人もささやかなお楽しみを満喫出来たら、どこでも良かったのかも知れない。暖かく穏やかで良い1日だった。今週もまた頑張ろう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。

左は高台から見た梅園。右は梅のアップ。「梅は建前」だったと書いたけれど、美しかったのは言うまでもなく。春はもうすぐそこですね。








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