昨日、外出から戻ってきたら郵便受けに小さなプレゼントが入っていた。
それは可愛くラッピングされたクッキーだった。贈ってくれたのは以前、
娘にお手紙をくれたMちゃん。クッキーには手書きのメッセージが添えられていた。クッキーは娘あてだったのだけど、チョコレートがコーティングされていたりして、娘に食べさせるのは少し早いので、申し訳ないけれど大人2人でいただいた。
Mちゃんは前日に「クッキー焼いたらあげるね」と言ってくれていたのだけれど、本当に持ってきてくれるとは思ってもいなかった。子供の約束って絶対なんだなぁ。そんなMちゃんの気持ちはキラキラしていて大人の私にはちょっぴり眩しく感じる。
クッキーが美味しかったのもさることながら、可愛らしくラッピングしてクッキーを届けてくれたMちゃんの可愛さに感激してしまった。夫と「娘もいつか、こんなことをするようになるのかもねぇ」としみじみ。
それにしてもMちゃんにクッキーを作らせてあげるMちゃんのお母さんって凄いなぁ……と感心した。小学校2年生のMちゃんがあれだけ上手に1人でクッキーを作って、ラッピングしたとは思い難い。Mちゃんのお母さんの手が多分には言っているのだと思う。Mちゃんにはもうすぐ3歳になる弟がいる。弟くんはまだまだ手がかかると思うのだけど、そんな中、じっくりMちゃんに付き合ってあげているMちゃんのお母さんは、つくづく偉い。
クッキーを戴きっぱなしと言うのもなんなので、ミニカードにお礼を書いてMちゃんちのポストに入れてきた。我が家でもお菓子を作ったらおすそ分けしなくては。最近、娘と外に出る時間が長くなっていてお菓子を作る余裕が無くなっているのだけれど、Mちゃんが喜びそうなお菓子でも作るかなぁ……なんて思っている。
それにしても、お礼のミニカードが手元にあったのはラッキーだった。最近、ちょっとしたカードや便せんも揃っていなくて、たまに友人にはがきや手紙を書く時も、パッっとしない物で済ませてしまうことが多い。こういう物は普段から揃えておかないといけないなぁ……と反省した。
Mちゃんのクッキーは私がおざなりにしている大切なことを色々と思い出させてくれた。必ずしも大人が子供より偉い訳じゃない。子供から教わることも多いのだ。Mちゃんが喜んでくれるような御返しを考えなくゃなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
【追記】昨日の日記に書いた慶沢園は日本庭園と言っても、京都や奈良のお寺のお庭や、きっちり整備された兼六園のようなお庭よりも、もう少しくだけた感じのお庭です。飲食可で、食事の出来る東屋などもあります。私達家族が小石で遊んだ場所も立ち入り出来る場所。芝生でお弁当を広げる人もチラホラ。もっとも家族連れよりも、年配のグループ連れでお弁当を囲んでいる人の方が多いかも。ご指摘があったのですが、静かな日本庭園で騒いだり飲食をしたり…って訳ではありません。
今日は天気が良くて暖かかったので家族で天王寺公園へ出掛けた。
大阪は素晴らしいお天気でコートを着ていたら汗ばむ陽気。コートを脱ぎ捨てて公園を散策。天王寺公園内にある日本庭園(慶沢園)で娘と遊んだ。1歳4ヶ月の娘は子供向けの遊具があるような場所でなくても「知らない場所を探検する」ってだけで楽しいらしい。綺麗な小石が敷き詰められている庭にしゃがみ込んで、長い時間小石で遊んでいた。
娘が小石で遊んでいる間、ちょっと退屈だったので夫と私は「キャラメル石」を集めることにした。色とりどりの小石の中にはキャラメルの欠片に似た石があって「どちらが、より美味しそうなキャラメル石を集められるか」という競争。「綺麗な石を見つけた方が優勝だからな」と夫。優勝…と言っても2人しかいない競争なのに、やたらムキになってキャラメル石を集めた。
お昼前、昼食を買いだしにいったん外へ。外でごはんが食べられるくらい暖かいと分かっていたら、お弁当を作って来るのだったと激しく後悔。コンビニでおにぎりとサンドイッチ、それに焼き芋を買った。ふたたび日本庭園へ戻って昼食。娘は自分の離乳食(娘の分だけは食べ物を用意していた)を平らげた後で、大人用のサンドイッチと焼き芋をパクパク食べた。外で食べるとなんだって美味しい。
昼食後、芝生の上に寝転がって休憩した後、茶臼山方面へ移動。娘は池のそばでハトと遊んだり階段を上り下りしたり。娘はハトが飛び立つたびにキャッキャと声をあげて笑っていた。子供とハトって絵になるなぁ……なんて事を、ぼんやりと思った。
眠くてグズりだした娘をベビーカーに乗せて2時半に撤収。せっかく都会に出掛けたのだから、ちょっと寄り道をしたいような気もしたのだけれど明日からまた1週間がはじまるし…ってことで、自粛して真っ直ぐ帰宅した。
この暖かさは今日までとのこと。実際、夕方になるにつれて寒くなっている。束の間の暖かさを目いっぱい満喫することが出来て良かった。親子してリフレッシュしたことだし、また1週間頑張ろう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。
(右)晴天の慶沢園。(左)キャラメル石。キャラメル石はもちろん元の場所に返した。子供だったら「宝物にする」と言って持って帰るところだけれど、私もいい歳をした大人なので流石にそれは。
昨日、夫は職場で貰ったと言うバレンタインデーのチョコレートを持って帰ってきた。
今までは「職場女子一同」というチョコだけだったのだけど、昨年から夫は職場での立ち位置が変わり、職務は一緒だけど外に出る機会が多くなったため、今年はそれに客先から貰ったチョコレートが加わった。
義理チョコなんて制度、無くなっちゃえばいいのに。
結婚したからそう思うようになったのではなく、独身時代からそう思っていた。本当に好きな人にチョコレートを贈るのはむしろ微笑ましいけれど「義理ってなんだよ?」と思わずにはいられない。独身ならまだしも既婚者へのチョコは本気で勘弁していただきたいところだ。
たとえそれが心のこもっていない義理チョコだったとしても、おざなりな御返しを返す訳にはいかない。職場での夫の立場を思えば、それなりの御返しを考えなくちゃいけないのが辛いところ。妻としては、それなりに美味しかったり、それなりに気が利いていたりする御返しを考える訳だけど、たいして気持ちのこもっていないチョコレートに対して、あれこれ頭を悩ませて立場相応の御返しをしなきゃならないのは、なんだかなぁ……と思うのだ。
「チョコレートの数は男のステイタスだよ」と笑って受け取って、美味しく戴いちゃえばいいものを「上っ面だけの贈り物なんて糞食らえだ!」と思っていてはサラリーマンの妻失格だろうか。
贈り物は気持ちありきだと私は思う。
ちなみに夫へバレンタインチョコは買わなかった。昨年はチョコレートケーキを焼いたのだけど、今年は夫の実家へ遊びに行ったのでケーキを焼く余裕は無かった。その代わりに…と言ってはなんだけど、気になっていたケーキ屋さんで2人分のケーキを買った。夫は「バレンタインデーだしチョコレートのケーキを選ぶべき?」と言ったのだけど「自分の食べたいものを選んだ方がいいと思うよ」と私が言うと、夫はレアチーズケーキを選んでいた。
そんな訳でバレンタインデーの今夜は夫と2人、チョコレートではなく、ケーキを食べて紅茶を飲んだ。ロマンには欠けるけれど、これはこれで良いと思う。それにしてもホワイトデーには何を用意したものか。面倒臭いことこの上無いけれど、何某か考えなく来ちゃなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は娘がご機嫌斜めで大変だった。
どうしたものか娘は朝からずっとひっつき虫。「剥がされたら死ぬ!」と言う勢いでひっついていて家事の間は当然おんぶ。ベタベタ甘えてくる娘はしんどいけど可愛い。しかし、その愛は少し重い。娘は1歳4ヶ月の標準からするとかなり小さい方だけど、それでも長時間のおんぶや抱っこはキツクなってきた。娘は1日中グズグズしていたけれど、食欲は旺盛だったので体調が悪い訳ではなさそうなのが、せめてもの救い。
大人にも子供にも「楽しくない1日」ってあるものだ。
何か大変なことがあったりとか体調が悪い訳ではないのに、特に理由はないけれど何をやっても楽しくなくて、1日中気分が悪い……なんてことは誰しも経験していると思うのだけど、子供にもそんな日があるようだ。
そんな日は何をやっても駄目なのだ。ただ、じっとやり過ごすが吉。
娘は「楽しくない1日」を過ごしたようだけど、私も当然楽しくなかった。もっとも、私は娘と違って「娘がひっつき虫で困る」と言う明確な理由があったのだけど。
明日は夫の実家へ遊びに行く予定でいる。楽しい1日になるといいなぁ。
娘に手が掛かり過ぎたため、草臥れ過ぎて出涸らしの茶葉のような状態。何も書く気が起こらなかったのだけど「今日はとても大変な1日だった」ってことを残しておきたくて、奮起してPCに向かってみた。今日はもうPCは落としてゆっくり過ごそうと思う。明日は娘にとっても私にとっても楽しい1日になりますように……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
今日はやたら暖かいなぁ…と思っていたら、大阪は最高気温が15°もあったらしい。春が勇み足でやってきたのだ。
午前中、娘を連れて公園に遊びに行ったら、日向ではコートがいらないくらいの暖かさ。公園にいる間、コートは自転車の籠に入れっぱなしだった。いつも人の少ない公園なのに、今日は子供達が沢山集って賑やかだった。暖かくなると外に出たくなるのは人も虫も同じなのだ。
暖かいってだけで気持ちまで和んでくるのはどうしたものだろう。娘と砂場で遊んでいる際、本気で砂山を作ってしまった。いつもは娘の相手をするためだけに砂場にしゃがむのだけれど、今日は私自身が本気で遊んでしまった。もっとも、娘が面白がって砂山を壊していたので、そう大きな砂山にはならなかったのだけど。
このまま春になってくれれば嬉しいけれど、来週はまた寒くなるとのこと。明日もまだ暖かいらしいので、今のうちにこの暖かさを楽しんでおこうと思う。娘と私は午前と午後で4時間ばかり外にいた。寒さがピークの時には考えられないことだ。
今の暖かさは一時的なものとの事だけど、こんな日が積み重なって本当の春が来るのだろうなぁ。私は寒いのが滅法苦手なので春が来るのが待ち遠しくてならない。本当の春を心待ちにしながら、まだまだ襲ってくるだろう寒い日を乗り切っていきたい。それにしても、今日の勇み足は心身共に楽しませてもらったなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
娘は今日から1歳4ヶ月。最近、お別れの時に泣くことが多くなった。どうやら娘は「別れの寂しさ」を知ったらしい。
今までも、お気に入りの曲が終わる時や、大好きなTV番組が終わる時、あるいはお客様が帰る時に泣いたりすることはあったのだけど「気分良く遊んでいたものを取り上げられた」事に対して、抗議する意味で泣いていたのだけど、最近の泣き方は明らかに「お別れするのが寂しい」と泣いている。なので「バイバイしないさね」と促しても、バイバイを拒否したり、あるいはワーワー泣きじゃくりながら手を振ったりする。
娘はまだ上手くお喋り出来ないので、彼女の口から聞いた訳ではないけれど、娘は「楽しい時間がずっと続けばいいのに」と思っているような気がする。「これでオシマイ」あるいは「さようなら」という言葉に、とても敏感だ。
こんなに幼い子でも別れの寂しさを知らなくてはいけないなんて、人間は切ない生き物だなぁ。
娘が泣いてしまう気持ちは私にもよく理解できる。楽しい時間や、あるいは大好きな人と「お別れ」するのは寂しい。楽しい時間が永遠に続いていったら、どんなにいいだろう。大好きな人とずっと一緒にいられたら、どんなにいいだろう。
だけど、人は別れから逃れることが出来ない。たとえ、それが1歳4ヶ月の幼子であったとしても……だ。
別れは寂しくて切ない。泣きたくなるのも仕方がない。だけど、別れが待っていると分かっているから、その存在がよりいっそう愛しくて大切に思えたりもするのだ。娘にはまだ分からないと思うけれど、いつかその事を伝えたいなぁ……と思う。私はずっと娘と一緒にいてやれない。だからこそ娘とお別れするまでの時間は大切にしたい。
今日も娘は、おばあちゃんとおじちゃんにバイバイするのが嫌だと言って大泣きした。お別れが寂しいといつまでも泣いている娘が愛しくて、思わずギュッっと抱きしめてしまった。寂しさや、悲しみを覚えるのも成長の1つなのだなぁ。これから娘はもっと複雑な感情を知ることになるだろう。出来るだけそばにいて見守ってやりたいなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
娘の友達のHくんが喘息性気管支炎で入院した。
Hくんは生れつき気管支が弱い性質らしく、しょっちゅう風邪をひいていて先週もグズグズで甘えたになっていたのだけれど、どうも具合が悪かったらしい。24時間点滴とのこと。小さいだけに可哀想なことだ。Hくんも大変だけど、付添いするHくんのお母さんも大変。早く良くなりますように。
娘を連れて外に出ると「白蓮さんは上手に子育てしてるね。Yちゃんはいつみても元気そうだし、スクスク大きくなってるね」とお褒めの言葉を戴くことがある。娘がすくすく育っているのは私の手柄…って訳じゃないことは分かっているのだけれど、正直なところ悪い気はしない。しかし、Hくんが入院してみて「いい気にならないように気をつけなきゃ」と思った。
Hくんのお母さんは私と同じくHくんが初めての子供。だけど、ものすごく頑張っているお母さんだ。だけどHくんは娘よりも身体が丈夫じゃない。これはHくんの資質であってHくんのお母さんが悪い訳じゃない。
子供って、親の育て方によって変化していく部分も大きいけれど、その子が生まれ持ってきた資質によるところも大きい。親は子供が成長していくのをサポートすることは出来ても、親が子供を成長させている訳じゃないのだ。娘が元気に育っているのは、娘がもともと元気に生れついているからであって、私が上手くやっているからじゃない。
母親ってヤツはうっかりすると我が子が自分の作品のように思えてしまう時がある。でも、それは違う。娘は私の所有物でもなければ、私が作り上げた物でもない。その辺のところを勘違いしないよう気をつけなくちゃなぁ……なんてことを思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
次の週末は夫の実家へ遊びに行くことになった。
昨日、義母と週末の段取りを電話で話していたら義母からお土産のリクエストがあった。私達の自宅最寄駅にあるケーキ屋で焼き菓子を買ってきて欲しいとのこと。以前、手土産で持って行ったのがとても美味しかったからまた食べたいのだとか。
言っちゃあなんだが、そのケーキ屋はそれほど美味しい店ではない。決して不味くもないのだけれど、垢ぬけない味というのだろうか。取り立てて褒めるところのない凡庸なケーキ屋なのだ。ケーキはまだマシなのだけど、日持ちのするお菓子については「イマイチ」のひと言に尽きる。手土産で持って行ったことはあるけれど、その時は事情があって他の物が用意出来ず「こんなものですいません」というような気持ちで持って行ったものだ。
しかし義母はお世辞を言ったり、変に気を使ったりするタイプでは無い。嫌いな物は嫌いとハッキリ口にする人なので、わざわざ食べたくない物を「持ってきて欲しい」とリクエストしたりはしない。本心からそのケーキ屋の焼き菓子が美味しいと思っているのだろう。
夫の実家の最寄り駅には百貨店があり、いわゆる「デパ地下」には、美味しい洋菓子店がたくさん入っている。私達が手土産に持っていくお菓子よりも、義母が私達に持たせてくれるお菓子の方がずっと美味しいと思うのに、義母はパッっとしないケーキ屋の焼き菓子が美味しいと言う。
「どうしてだろう?」と考えていてハッっとした。私や夫にとって、そのケーキ屋は「イマイチなお店」という評価なのだけど、違う見方をすると「昔風なケーキを出すお店」なのだ。ケーキにしても焼き菓子にしても、あまり凝っていない。私達が子供の頃に食べた焼き菓子の味そのままなのだ。
義母の口には「今風の洒落た洋菓子」よりも、ちょっと懐かしい感じのする凝っていない焼き菓子の方が美味しいと感じたのだろう。
食べ物の「美味しい・美味しくない」って、人それぞれの主観に過ぎないのだなぁ……なんて事を思った。最先端が良いって訳ではないようだ。確かにお料理だって、創作料理系のお店へ行って、あまりにも凝り過ぎた料理を出されると「うへぇっ」っと辟易することがあるものなぁ。
そんな訳で週末は地元のケーキ屋の焼き菓子を持って夫の実家へ遊びに行ってくる。その時、私達も自分達が持って行ったお菓子を食べることになると思うので「この店の焼き菓子はパッっとしないよねぇ」なんて先入観を持たずに、味わいたいと思う。案外、新しい発見があるかも知れないなぁ……なんてことを思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
週末に娘のお雛様を出した。お雛様は女の子を護ってくれる御守りのような存在なのだとか。娘をしっかり護ってやってね…とお願いしておいた。
今日は久しぶりにトンカツを揚げた。
土曜日だと言うのに我が家は取り立てて予定が無かった。私は午前中、腰痛治療のために整骨院へ。夫と娘は保育園の園庭開放へ。昼食をとり、娘とお昼寝をして夕方に娘を外遊びに連れて行って……と、せっかくの週末だと言うのに、平日と大差ない1日になってしまった。そもそも整骨院へ行かなければ、お出掛け出来たのだけど、整骨院だけはどうしても外せなかったのだ。
せっかくの土曜日だと言うのに「何もしなかった」では、あまりにも切ない。せめて夕食は美味しい物を作ろう……ってことで、久しぶりにトンカツを揚げることにした。トンカツとポテトサラダ(さつま芋とジャガイモ混合)それに白菜の和えもの。それに、野菜をごちゃごちゃと入れた具だくさんのお味噌汁。
大人はトンカツ。1歳3ヶ月の娘は、鳥ササミを薄くたたいたものを揚げたササミカツ。ちなみに娘は揚げ物を食べるのは初体験。食べてくれるか心配だったけれど、娘はササミカツを手掴みで美味しそうに食べてくれた。もちろん、大人のトンカツも美味しかった。
手前味噌で恐縮だが私は揚げ物が得意だ。
我が家の献立はは魚とか煮物が多くて、揚げ物は滅多にしないのだけど、揚げ物作りには自信がある。今日は夕食を食べながら「私がもしも食べ物屋をすることがあれば、揚げ物屋をしようかと思う」と言うようなことを話した。これまでは、もしも食べ物屋をすることがあれば、小料理屋かお好み焼き屋をしようと思っていたけれど、揚げ物屋の方が向いているような気がしてきた。
店の名前は「油大王」にしようと思う。揚げ物オンリーの定食屋さん。トンカツ、天麩羅、鳥の唐揚げ、魚フライにetc。揚げ物が美味しく食べられる付け合わせと、炊きたてご飯にお味噌汁。お腹いっぱいに食べてもらえるようなお店にしたい。
……なんて妄想に耽ってしまった。
もちろん妄想レベルのお話。食べ物屋を開業する予定なんて全く無いけれど、こういう妄想は楽しくて良い。万が一「油大王」を開店することになった暁には「エンピツ日記を読んできました」と言っていただければ、通常価格から20パーセント引いたお値段でご提供させていただきたく。
そんなこんなで今日は土曜日にしては地味に過ごしてしまったけれど、それなりに楽しく良い1日だったと思う。日曜日は何をして過ごしたものかなぁ……などと明日の予定を考えつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
昨日は結婚記念日だった訳だが取り立てて何もしなかった。
結婚3年目にして「何もしない」ってのはどうなんだろう…と思いつつ、夕食に夫の好きなグラタンを作っただけだった。夫が仕事帰りに、お気に入りのヨーグルト(ちょっと高くて普段は買わない)を買ってきてくれたので、それをデザートにした。だが、私達夫婦も最初からこれほどまで結婚記念日に淡白だった訳ではない。
1年目は写真館へ記念写真を撮りに行った。その時は「毎年、結婚記念日前後に記念写真を撮ろうね」と誓い合った。その時、娘はまだお腹の中にいた。
2年目の結婚記念日は結婚記念日に近い週末に実家の母が「孫は私が見てあげるから、たまには2人でランチでも行ってらっしゃいよ」と言ってくれたので、ありがたく甘えさせてもらった。
そして3年目の今年は何もしなかった。
1年目に誓った「毎年記念写真を撮る」と話は翌年、すでに断念していた。寒い時期に乳児を連れて撮影なんてとんでも無い話だと思ったのだ。もちろん娘自身の記念日なら話は別だが、結婚記念日は夫婦のものであって娘のものではない。そして2年目でつまずいた記念写真は3年目の今年は話題にも上らなかった。
2年目の結婚記念日のように実家の母に娘をお願いすれば、ランチくらい行けたのだろうと思うのだが、昨年は実家の母が申し出てくれたのでそれに甘えさせてもらったけれど、自分達からお願いするのは、ちょっと違うような気がしたので、それも無し。
何もしない結婚記念日だったけど取り立てて不満は無い。娘が成長してお留守番出来るようになれば、結婚記念日に夫と2人でデートすることもあるかも知れないけれど、今はまだその時期ではないのだ。
夫婦の間に子供が生まれると、どうしても子供中心の生活になってしまう。でも、それはそれで幸せなことなんじゃないかなぁ……と思うのだ。たぶん、そんな時期はアッっと言う間に過ぎてしまうだろうから。
来年か再来年の結婚記念日は娘を連れて外食したいと思っている。来年の今頃、どうなっているかなんて想像もつかないけれど穏やかに暮らしていたいものだなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
2009年02月05日(木) |
結婚記念日(3年目) |
今日は3度目の結婚記念日。今日から結婚生活4年目がはじまる。
おかげさまで夫との3年間は平穏無事に過ごしている。ごくたまに小さな諍いを起こすこともあるが、ほとんど喧嘩をすることもなく毎日楽しく暮らしている。これはひとえに夫の努力の賜物だ。もちろん私も努力しているが、比率にすると夫8、私2ってところだろう。私は夫の努力にこたえているだけじゃないか……という気さえする。
夫と3年間も一緒に暮らしたのかと思うと感慨深いものがある。私は夫と結婚するまでに、何人か恋人と呼べる人がいたけれど、まったく長続きしたことが無かった。嫌いになったとか、浮気をされたとか言う以前に「一緒にいるのに飽きた」という理由でダメになるパターンがほとんどだった。それだけに、1人の人と3年間も一緒に暮らしているという事実に感謝せずにはいられない。
ちなみに。私は、いまだ夫には飽きていない。
夫と結婚して3年。互いに30代になってから結婚したせいか、結婚当初から世間で言うところの「ラブラブ」と言う感じは薄かったように思う。上手く説明出来ないのがもどかしいのだけれど、あえて例えを出してみるなら「ものすごく気のあった友達と一緒に暮らしている」という感じに近いかも知れない。
娘が生まれ夫と私は「お父さんとお母さん」になった訳だが、夫は娘の父親であると同時に私の夫でもあるのだってことを忘れないようにしたいと思う。3年間、つつがなく暮らせたことを夫に感謝しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
昨日は節分だったのに我が家は節分らしいことを、ほとんどしなかった。
関西では恵方巻きを食べる習慣があるのだけれど、スーパーでいつもより高い巻き寿司を買う気になれず、かと言って自分で作る気力もなくて夕食は普段と変わらない献立だった。豆まきくらいしようかと思ったのだけど、夫の帰りは遅いし、娘はまだ豆まきを理解する年頃ではないので省略することに。娘が保育園の園庭開放(園庭開放といっても室内遊びの日もある)で作ってきた鬼のお面を娘にかぶせて遊んだのが唯一、節分らしいことだった。
そんなこんなで節分らしからぬ1日を過ごし、娘をお風呂に入れて絵本を読みつつ「さあ、あとは娘を寝かしつけるだけだ」という午後7時45分。外から「鬼は外。福は内」という声が聞こえてきた。「近所の子が豆まきをしてるんだなぁ」と頬をゆるめたのだけど、その声の大きさはどんどん大きくなってきた。娘が外で子供達が騒いでいるのだと勘違いして「お外に行きたい」とソワソワしはじめるほど。
豆まきの主は近所の子供ではなく隣の住人(70代と50代の母娘)だった。
隣の住人は最近、
ご近所トラブルで警察のお世話になっている。それゆえに私自身が神経質になっているのかなぁ…と思ったりもしたけれど、豆まきの勢いはエスカレートする一方。外に向けてまいた豆が私の家の出窓や樋に豆がパラパラと当たる音がして「これは豆まきを装った嫌がらせか?」なんて発想をしてしまった。しかし、隣の住人は何かあったら直接苦情を言いに来るタイプで、回りくどい嫌がらせをするような人達ではない。
どうやら、単純に豆まきをしていたらしい。
しかし……だ。大人が本気で豆まきをしている姿(私は声と音しか聞いていないけれど)は、かなり怖い。この家に住んで丸3年になるけれど、少なくとも昨年は「本気豆まき」ではなかったように思う。何が隣の住人を本気豆まきに駆り立てたのかは知らないが、私は心底驚いた。それくらい凄い豆まきだったのだ。
お隣のことはさておき、来年は我が家も豆まきをしなければならないだろうなぁ……なんて事を今朝方、落ちていた豆を掃除しながら思った。「本気の豆まきは怖い」36歳にして初めてしった事である。節分も済んだことだし、今週末あたり雛人形を出さねばなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
私の母親世代だと子育て中の主婦は「いかにもお母さん」な感じの人が多かったように思うのだけど、最近の子育て主婦は小奇麗な人が多い。
それこそ私の母親世代の人は「結婚して子供を産んだら母であって女性ではない」というようなノリの人が多かったのだろうか。私が子供の頃「お母さん」と言えばいかにも「オバチャン」な人が多かったように思うのだけど、今にして思えば結婚も出産も今よりも若くしているはずなので彼女達は案外若かったんじゃないかと思う。
それを思えば最近のお母さん達は頑張っていると思う。お金持ちはお金持ちのように。そうでない人はそうでないなりに。しかしながら「努力で垢ぬけて見える人」とか「センス良くお洒落に仕上がっている人」は沢山いるけれど「目を見張るような美人妻」には滅多とお目にかからない。そりゃそうだ。本当の美人は活かす職業についている率が高いので、そうでない世界で目を見張るような美人を探すのは難しい。
しかし絶望してはいけない。たまにいるのだ。本物の美人が。
最近、娘を通じて知り合った人が、それこそ吃驚するほどの美人さんなのだ。保育園の園庭開放で顔見知りになり、先日お宅にお邪魔させていただいたのだけど、園庭開放に集まった奥様方の中で彼女はひときわ輝いていた。
背は高からず、低からず。色白で細身。しかし痩せぎすではない。目もとは涼やかで鼻も口も形が整っている。美人と言っても派手な感じではなく、上品で清楚な感じ。それなりの服装をすれば街ゆく人が振り返るだろう美人さんなのに、子育て中のママらしくジーパンにセーターという地味な服装で、染めていない真っ直ぐな髪は、ざっくりと1つにくくっただけ。言っちゃあなんだが、普通レベルの容姿の人が彼女と同じ格好をしたらそうとう残念なことになるだろうけれど、彼女がするとそれほど野暮ったく見えないから不思議だ。
地味に装っているので目立ちはしないけれど、たいていの女性は彼女が地味に装っていても「あっ。負けた…」と思うだろう。彼女はそれくらいの美人さんなのだ。
夫に「ものすごい美人妻と知り合ったよ!」と興奮気味に報告したが、夫は「女の言う美人ほど当てにならない物はない」とまともに取り合ってくれない。写真を見せることが出来れば納得してもらえるのに、それが出来ないのが残念でならない。
ちなみに……彼女は美人妻である上に「団地妻」だったりする。美人の団地妻……こんな小説やテレビや映画の設定に使われそうな人って、本当にいるのだと感動を覚えた。美人の団地妻なんて妄想の国にしか住んでいないと思っていたのに!
真実は小説よりも……とは言うけれど、まったくもってその通り。小説やテレビや映画は作りものに過ぎないけれど、ベースがあってのことなんだって事をしみじみと感じた。美人の団地妻と知り合えたことを嬉しく思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
昨日は山の上のお寺へ遊びに行ってきた。
本当のことを言うと日曜日は夫も私も「出来ることなら1日中家のなかにいてダラダラ過ごしたい」と思っていたのだけれど、娘がエネルギーを持て余し気味だったので致し方なく出掛けることに。と言っても、取り立てて用事もなく、インフルエンザが流行っている時に都会へ出ていく気にもなれず。そんなこんなで山の上のお寺へ遊びに行くことにした。
そのお寺は大阪と奈良の県境にある生駒山脈にある。生駒山脈はお寺や神社がが多い。由緒正しそうなものから、胡散臭そうなものまで各種取り揃えている感じ。私達が遊びに行ったのは信貴山にある朝護孫子寺。寅に縁のあるお寺で、阪神タイガースが勝利祈願にくるとのこと。大きなトラの張りぼてがシンボルになっている。
特に行事のある日でもなかったので誰もいないかと思いきや、それなりに参拝者がいたのに驚いた。階段を上り下りするのがマイブームの娘はお寺の石の階段を上るのが嬉しかったらしく、やたら張り切って歩いていた。道行く人に「こんにちは」と頭を下げ「1歳!」と人差し指を立てて見せては「お利口さんねぇ」と褒められてご満悦だった。
朝護孫子寺は私は子供の頃から何度も足を運んでいる場所なので、取り立てて珍しい場所ではないのだけれど、山の中にあるので空気が気持ち良いのが気に入っている。観光地のお寺のように人が多くないのもいい。面白味のないお寺なのかも知れないけれど、娘は知らない場所へのお出掛けってことで、じゅうぶん満足していたし、私と夫もリフレッシュすることが出来た。
小さな子供がいると出掛けるとなると、つい「子供を遊ばせる場所」ってことで考えてしまいがちだけど、子供は自分なりの視点で楽しみを見つけてくれるから、あまり考え過ぎなくてもいいのだなぁ…なんてことを思った。もちろん子供を連れて行くには不似合いな場所があるのは理解した上でという前提付きだけど。
帰宅した娘の髪からはほんのりとお線香の匂いがした。もちろん私と夫もお線香の匂いが移っていただろうと思う。またお寺へ遊びに行きたいものだなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。