夫、出勤の土曜日。今日は愚弟が休みなので実家へはのんびり出勤。時間に余裕があるなぁ…とて、娘をベビーカーに乗せて遠くのスーパーへ行ってみた。
今日は風が強くて少し寒かったけれど気持ちの良い天気。天気が良いってだけで歩いていても気持ちが晴れる。娘は生後2ヶ月を過ぎたので、少しずつお出掛けの距離を伸ばしている。遠くのスーパーへは初めて行くのだけど、私は自宅からそのスーパーへの道中が気に入っていて、この日をとても楽しみにしていた。
そのスーパーに行く途中には空が広く見える場所があるのだ。
周囲は高い団地があって窮屈なのだけど、団地群の外れにテニスコートと変電所があり、そこは高圧線の鉄塔はあるけれど高い建物が無いため、空に向かって大きな空間がスポッっと出来ていて、空を広く感じることが出来るのだ。
電線越しに見える冬空は青く澄んで気持ちが良かった。
娘には広い空を…広い世界を見て欲しいと思う。広い世界を見て飛んで行ってしまうのも良し。広い世界を見てなお、生まれた場所で生きるのも良し。
私は生まれ育った場所に骨を埋めることになるとは、みじんも思っていなかった。残念ながら飛び立ちたい時分、家族を助けなければならない状況にあったため、自由にする事が出来なかったのだけど、それについて後悔はしていない。あれは私の意志だったし、あの時、何もかも捨てて飛んで行ってしまっていたら、きっと後悔していたと思うから。
私は生まれ育った場所で新しい家庭を築いて、生まれ育った場所で死んでいくのだと思うけれど、それはそれで満足
している。それだけに娘には自由にさせてあげたいなぁ…と思うのだ。娘が成人するまでは、夫と2人、元気に生きていなくては。空が広く見える場所を歩きながら、そんなことを思った。
今はまだ私の手の届く範囲の世界しか知らない娘も、そう遠くない未来、広い世界を知るのだと思うと少し不思議な気がする。娘の未来が明るいものでありますように……と願いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。
ここのところ、娘を連れて毎日実家に通っているのだけれど、正直言って、ちょっとキツイ。
自分の家の家事も実家の家事も目一杯手抜きをしているし、実家には愚弟もいるので、全部私が抱えている訳では無いのだけれど「乳児連れ」となると、1つ行動するにしても大掛かりになってしまうあたりがネックなのだと思う。しかしながら、実家のご近所さん達に随分と助けてもらわなければ、もっと大変なのだろうなぁ……と思うと、ご近所付き合いってありがたいものだと、つくづく思う。
実家では犬を飼っているのだけど、乙女な母が動けないので散歩に連れて行ってやれないのだが、お向かいの人が朝夕に犬を迎えに来てくれて、散歩に連れて行ってくれている。「朝夕に散歩しているから、ついでにね」と言ってくれているのだけれど、ありがたい事この上ない。
他にも、ちょくちょく様子を見に来てくれる人がいたり、「買いも物でも、なんでも言ってくれたら手伝うよ」と申し出てくれたりするのも心強い。ベビーカーを押して歩いていて「お母さんの具合どう?」と声をかけてくれるだけでも、ちょっと気持ちが和んだりするのだ。
いま、ちょっと大変でウンザリしているけれど、孤軍奮闘だったらもっともっと大変だっただろうと思う。助けてくれる人がいるって嬉しいものだなぁ。乙女な母は時期が来たら治るのだし、助けてくれる人もいるのだし、頑張らねばなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は朝からどんよりと雨。午後からは晴れるとの予報。
お天気の加減か、心身共に停滞気味ではあったのだけど、バタバタと家事を片付け、夕食&昼食の準備。夕食は白菜入りのクリームシチューと野菜サラダ。昼食のメニューが思いつかなかったので、ありあわせの野菜と冷凍庫の鶏肉を使ってピラフを炊いた。炊き上がったピラフを持って、娘と共に実家へ出勤。
乙女な母と昼食を取った後、実家の家事など。「なんだか
猫村さんみたいだなぁ」なんて事を思う。実家から帰宅する途中でローソンへ寄って、元同僚達への内祝いに使うクオカードを購入。帰宅後は簡単なクオカードにかける熨斗を書いたり、同封する手紙を書いてクオカードの発送準備など。
……と。ここまで頑張ったところで、気が抜けてグッタリ。するべき事は色々あるのに、まったく動く気になれず漫然と時間を過ごしてしまった。いっそ横になって寝てしまえば良かったのだけど、娘の授乳とのタイミングが合わなくて、それも叶わず。なんとも勿体無い時間の使い方をしてしまった。
外灯をつけてポストを覗いたら、遠くの友人からクリスマスカードが届いていた。組み立てて飾れるタイプのカードだったので、窓辺に飾って娘と眺めた。ホッっとするひと時だった。本日の良かったことナンバーワンの出来事だった。
今日はずっと停滞気味で本意な1日だったけれど、明日はシャキッっとしたいと思う。こんな日があるのも仕方ありませんなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
ミミズクのトトロが死んでしまった。
トトロは実家のご近所のお宅で飼われていたミミズクだ。野良ミミズクの出身なので正式な年齢は分からないが、ミミズクの寿命は20年とすると、まだ死ぬには早過ぎるような気がする。トトロは、あのお宅で暮らすようになってから、まだ10年も経っていないのだ。
成り行き上うっかり拾ってしまった野良ミミズクを、ご家族はよく育てたと思う。トトロはペットと言うにはあまりにもお金の掛かるヤツだった。大きなミミズク小屋に、毎日の餌。しょっちゅう体調を崩しては動物病院に通ったり、入院したりしていた。ご家族にとっては家族同様に可愛がっておられたのだと思う。
大切に飼われて死んでいったトトロは野良ミミズク出身にしては幸せな末路だったのかも知れない。だけど、やっぱり心に引っ掛かるものがあるのも事実だ。本当なら自然の中で野垂れ死にしていたであろうトトロが人間の庇護の下で死ぬだなんて。
野生の動物を捕まえて売る。あるいは、捕まえてきた野生の動物を繁殖させて売る。人間のエゴでしかないその行為を私は憎まずにはいられない。
トトロは優しい飼い主の下で幸せだった……と思いたいけれど、本当に幸せだったんだろうか? 野良ミミズクになって道の真ん中で立ち往生していた時点で、トトロはすでに自然の中では生きられないミミズクだったけれど、毎日金網越しに空を見て「外に出たいなぁ」と思わなかったのだろうか?
ミミズク小屋で死んでいったトトロのことを私は一生忘れないと思う。
トトロの冥福を祈ると同時に、全ての動物達が尊厳を奪われること無く生きられる世界になるようにと願いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は朝から雨模様。毎日、家の用事を済ませてから娘と実家に出勤しているのだけど本日は休業。雨が降ったらお休みだなんて、ハメハメハの子供のようだ。(←
『南の島のハメハメハ大王』という童謡参照)雨の中、娘をベビーカーに乗せて連れていく訳にはいかないのだ。乙女な母のことは愚弟にまかせることにした。愚弟は出勤前に食料等を用意して家を出るみたいだ。実家の用事は明日まとめてすることに。
乙女な母には申し訳無いけれど私にとっては恵みの雨。
最近、ちょっと頑張り過ぎたのか草臥れ気味だったし、おまけに今日は腰痛の具合がよろしくないのだ。これは神様のくれた休日に違いない……とて、のんびり過ごすことにした。夫を送り出し、簡単に掃除を済ませた後で娘の横で毛布にくるまってにゴロリと横に。1時間ほど朝寝してしまった。
実家に行かない。買い物にも行かない。散歩にもいかない。これだけで、随分とのんびり出来るものだなぁ。午後からも煮込み料理など作りながら、ゆっくり過ごすつりでいる。外に出掛けられないのは、お出掛け好きの娘にとっては少し可哀想だけれど、これからもそういう日はあるのだし、そこは勘弁してもらわねば。
暖かい部屋で娘とグウタラ過ごすって悪くないなぁ。
今日はグウタラ過ごさせてもらって英気を養い、明日からまた頑張ろう。これから雨の音でも聞きながら、クリスマスカードを書くかなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は乙女な母に付き添って病院へ行ってきた。
都合の良いこと夫が休日だったので娘は夫とお留守番してもらうことに。まだ生後2ヶ月になってばかりの娘を病院へ連れて行きたくないと思っていたので助かった。
予約診療…って事だったけど、それでも待ち時間はある訳で待っている間、待合室で爆睡してしまった。乙女な母から「寝不足?」と聞かれたが、娘がある程度成長するまで寝不足は仕方ないかなぁ…と思っている。その分、吃驚するほど寝つきが良いのだ。油断したら最後アッと言う間に夢の国だ。
乙女な母は検査の結果、背骨にヒビが入っていることが分かった。コルセットをつけたまま、しばらく安静にしなけれぱならないとのこと。「後々、大変な事になるから、絶対に動かないように」と主治医から言い含められて、乙女な母はシュンとしていた。診察を受けるまでは「痛み止めがあれば、少しくらい用事も出来るから。白蓮はもう用事しに来なくてもいいよ」などと、調子の良いことを言っていたのだ。
乙女な母は持病のこともあり、ちょっと様子が変われば即入院とのことだけど、今日のところは帰宅することが出来た。来週、また検査して経過観察をするとのこと。大変と言えば大変だけど、酷い事にならなくて本当に良かった。
そんなこんなで、明日からも娘を連れて実家に出勤することになった。年内に落ち着いてくれたら助かるのだけど、あれこれ思わず気長に構えていようと思う。家事等は適当にして、私自身も休息を取りつつ動くようにしなくては。自分が元気でいないと、娘の面倒も、実家への出勤も出来なくなってしまうものなぁ。しばらく大変そうだけど、ぼちほち頑張りましょうかね……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
先日、クリスマスの贈り物を編むために買った毛糸を使い切ってしまい、編む物が無くなってしまった。
編み物をするには毛糸がいるのだけれど、自宅から歩いて行ける範囲に手芸店が無いので、残念ながら毛糸が手に入らない。通販だと手触りを確認出来ないので、いまだ踏み込む気になれず悶々としていたら、昨年、練習用にと100均で購入したアクリル毛糸が目についた。
ふと、思い立ち、今さらながらアクリルタワシを編んでみることにした。アクリルタワシとは洗剤無しで食器が洗えるってことで数年前に流行して、母の友人のオバチャン達が熱狂的に編みまくっていた記憶があるのだけれど、私自身は使ったことが無かった。
かぎ針での編み物は全く初めてなのだけど、ネットで検索したら丁寧に解説してくれているサイトがあったし、アクリルタワシの編み方も分かったので、早速作ってみることに。
ヤバイ……アクリルタワシにハマってしまいそうだ。
アクリルタワシの性能云々…以前に、編むのが楽しくて病み付きになりそうだ。ボーッとしていても編めるような簡単さと、簡単なわりに、ちゃんと作品が仕上がるというお手軽さがたまらない。ほど良い単純作業を繰り返す事によって、少しずつ大きくなっていくタワシを見るのが楽しくてたまらない。
この感覚、何かに似ているなぁ……と頭を巡らしていて思い出した。そう…子供の頃に熱狂した「リリアン」に似ているのだ。リリアンとは、組み紐を編む子供向けの小さな編み機のようなもので、私が小学生の頃に大流行していた。編んだ組み紐で何かを作る訳でも無いのに、ダラダラと長くなっていく組み紐を見るのが楽しくて、毎日ひたすらに編みまくっていた覚えがある。
そう言えば、母の友人のオバチャン達は大量に編んだアクリルタワシを大きなビニール袋にギッシリと詰め込んでいたっけか。当時の私は「あんなに編んでどうするつもりなんだろう?」と不思議に思っていたのだけれど、あのアクリルタワシは使うための物と言うよりも、むしろ編むのが楽しくて編み過ぎてしまった産物だったのだと思う。
このままでは私も大量のアクリルタワシを編んでしまいそうだ。ここは1つ、複雑な編み方に挑戦して大量生産に歯止めをかけるべきだろうか。とりあえず今はアクリルタワシを編むのが面白くって仕方が無い。今夜も滋養熱的に編んでしまいそうだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。
昨日、お世話になった人達に贈るクリスマスプレゼントが編み上がった。もっと手間取るかと思っていたけれど、編み物も2年目ということで手が早くなったらしい。年末までに仕上がれば上々だと思っていたので、上出来だったと自画自賛。
今日から実家で用事をこなす合間にクリスマスカードを書きはじめた。毎年、年賀状を書く(PCで表も裏も印刷だと言うのに)のは億劫に感じるのに、クリスマスカードを書くのは楽しみなのだ。年賀状は義理で出さなきゃならない人が多いのに対し、クリスマスカードは好きな人にしか出さないから、その辺の違いなのだろうと思う。
クリスマスカードも毎年贈るとなると、そこに書くメッセージは定型化してきている。寒いからご自愛くださいませ…とか、良い年末年始を…とか。ありきたりな事しか書かないのなら、出しても出さなくても同じぢゃないかと思うのだけど、相手のことを思いながら、1枚1枚メッセージを書いていく作業が好きなので、今年もやっぱり贈ることにした。自己満足の世界なのだ。クリスマスカードを書いている瞬間は、その人のことだけを考えている。そうそう会うことは出来なくても、その人が大切な存在だってことを再確認したりして。
クリスマスの準備は、自分の内に埋もれている優しい気持ちを引き出してくれるような気がする。
夫へのプレゼントはもう準備したのだけれど、娘へのプレゼントは、まだ何も考えていない。帽子くらい編んであげたい気がするのだけど、近くに手芸店が無いので毛糸を買いに行けないのが難点。ネット通販もあるけれど、通販だと触り心地を確認出来ないしなぁ。クリスマスにはまだ時間があるので、もう少し考えてみようかな……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
ここ数日、乙女な母の世話をしに娘を連れて実家に出勤している訳だが、乙女な母はいたってご機嫌に過ごしている。
身体は痛いけれど病気ではないので案外元気だし、毎日孫が来てくれて長時間孫を眺めていられる事に満足しているらしい。「だけど、早く良くならないとね」などと殊勝なことを言うので、良い傾向だと思っていたら「年明けには雛人形を買いに行かなくちゃいけないもの」ときたもんだ。愚弟や私に迷惑をかけて悪いから…ではなく、雛人形を買いに行きたいからというのは、いかがなものかと思うのだが、機嫌よく療養してくれているのだからヨシとしよう。
今年はなかなか寒くならないなぁ…と思っていたのに、ここ数日でグッっと寒くなったような気がする。夫は出勤時にマフラーと帽子を着用するようになった。娘が眠る時の防寒対策も考えなくては……とて、湯たんぽを購入した。今年は石油高騰の煽りを受けて、燃料節約に湯たんぽが流行っているらしい。
私が子供の頃、冬の寒さ対策には電気アンカを使ってた。私の親世代の人達は高度成長期に働き盛りを過ごしていたから、どこか「電気製品=かっこいい」という図式があったのだろうと思う。今になって、昔に回帰していくような湯たんぽが流行するなんて、ちょっと面白い。懐古主義に走ると言うのではなく、昔の良い物を賢く取り入れるのは良いことだなぁ……と思ったりする。
しかしながら「昔の良い物云々」なんて書いておきながら、購入したのは昔風の湯たんぽではなく、見た目に可愛らしい湯たんぽだったりする。購入したのは
『みのじろう』と言うぬいぐるみカバー付きの湯たんぽ。娘には可愛らしい物を使わせたい…という母親ドリームが発動してしまったのだ。たぶん……性能だけを言うなら、ぬいぐるみ式でなくても良いはずなのだけど。
この冬は湯たんぽが娘を温かく包んでくれることだろう。やけに満足度の高い買い物だった。それにしても、年末年始に向けて風邪をひかないよう防寒対策はキッチリしておかねばなぁ。何をおいても元気に乗り切っていかねば……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
昨日の午後は実家で過ごした。娘の世話と実家の用事。それに昨日はご近所の人がお見舞いに来てくれたりしたものだから、何かとバタバタ時間が過ぎてしまった。
2軒向こうの婆様が様子を見に来てくれた時のこと。婆様は机の上に置いてあった編みかけのマフラーを見つけると「これ、白蓮ちゃんが編むの?」と瞳をキラキラさせて編みかけのマフラーを見聞。決して得意とは言えない編み物を見られて、恥ずかしいなぁ……と思いつつ私は「娘が寝ている時なんかに、ちょこちょこっと……」なんて返事をしたのだけれど、婆様大絶賛。乙女な母は「この子は子供が1人しかいませんし、働いている訳でもないですからねぇ」と謙遜するも「なかなか出来る事じゃないわよ。時間があっても、やる気の無い子はしないしね」と、少し興奮気味のご様子だった。
婆様が帰られた後「なんで、あんなに絶賛されたんだろう……」と不思議に思いつつ、頭を巡らしていてハッっとした。私達の世代の編み物は「趣味」でしかないけれど、婆様世代の方にとっての編み物は「節約」だってことに気付いたのだ。あの婆様は古いセーターを解いて、毛糸を湯のしして使う世代なのだと思う。そう言えば、婆様は手編みの帽子をかぶっておられた。だからこそ、編みかけのマフラーを見て絶賛してくれたのだろう。
自分の生活をかえりみて身の縮む思いがした。
私自身、簡単に物を捨て過ぎている。今の時代でツギの当てた服を着たりするのはどうかと思うけれど、それでも、もう少し物を大切にしなきゃいけないように思う。もったいないの心を忘れがちになっているなぁ。昔の主婦のように暮らすのは無理としても、彼女達に学ばなければならない事は多い。
しばらく実家に通わねばならないので、また婆様とお会いする機会もあると思う。その時は編み物について、色々お聞きしたいところだ。今日もこれから実家に出勤。娘の荷物や、出来たてのお惣菜なんかをベビーカーに積んで、張り切って参りましょうかね……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
夫、夜勤週間スタート。昨夜、夫を送り出し、あとは娘を入浴させたら1日のお仕事オシマイ……と言うタイミングに叔母から電話があった。実家に電話をしても、乙女な母の携帯に電話をしても繋がらないとのこと。不審に思って私から乙女な母に電話をしたら繋がったのだけど、とんでもない事が起こっていた。
なんと。乙女な母ってば、台所で転んで起き上がれなくなり救急車のお世話になったとのこと。
幸いにも入院するほどのことでもなく、これからタクシーで帰宅するとの話だった。娘に防寒着を着せてベビーカーに乗せ、慌てて実家に駆けつけた。もともと足の悪い乙女な母は急に寒くなったのが堪えたのか、ここ数日足が痛いと話していて、私も気にしていたのだけれど、こう言うことって防げないものなのだなぁ。
乙女な母は仰向けに倒れたらしく、背中の打ち身が酷いけれど、今のところ骨折等は無いらしい。ただ、こういう場合は後日、骨折する事があるらしく、1週間後にまた受診が必要とのこと。昨日はコルセットを付けてもらって、薬を貰って帰宅してきた。私はお布団を敷いたり、乙女な母の夕食の世話をしたりして娘を連れて帰宅した。
乙女な母はしばらく動けないので、今日から娘を連れて実家に出勤することになった。朝食を食べたら夕食の準備だの家事などを済ませて実家に出勤。乙女な母と昼食をとって、実家の用事などをして帰宅する予定。愚弟は「お姉さんは乳飲み子抱えてるんだから、俺がなんとかするよ」とは言うけれど、愚弟も今は激務なので、私も手伝ってやらねば。普段は気ままな愚弟だが、こういう時には案外頼りになるものだ。
今日はこれから実家に出勤。PCで日記なんて書いている場合ぢゃない訳だけど、こういう時こそ息抜きをせねば。乙女な母には安静にしてもらって、出来れば骨折は避けてもらいたいのだけど。しばらく、頑張りましょうかね……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。
週末は元職場の同僚がお祝いを持って遊びに来てくれた。
来てくれたのはCADの相棒と、事務職のTさん。CADの相棒は私が妊娠中、切迫流産で安静にしていた時期に乳癌で片方の胸を切除する手術を受けている。彼女の乳癌が発覚したのと同時期に、私は切迫流産になってしまったものだから、彼女の為になんの助力も出来ず、今までメールや電話だけでのやりとりだった。なので彼女が胸を切除してから4ヶ月ぶりの再会。正直なところ、最初になんて言葉をかけたものか緊張していたのだけど、結局のところ「いつも通りにしていよう」ってところに落ち着いた。
CADの相棒は私が想像していた以上に元気になっていた。そりゃぁ、心の中では色々あっただろうけれど、仕事にも復帰して充実した生活を送っているとのことで心底安心した。
一方、事務職のTさんは私が安静生活中、職場に置去りにした荷物を持ってきてくれたり、それ以外にも何度か様子を見に来てくれたりしていて、足を向けて眠れないくらいにお世話になった人である。が、彼女は仕事が忙し過ぎて可哀想なくらいズタボロに疲れていた。今まで私は彼女の愚痴聞き役だったのだけど、それも出来なくなってストレスが溜まっているとのこと。仕事も大事だけれど、それ以上に身体を大事にして欲しいと切実に思った。
職場の人達は相変わらずの激務で大変そうだけれど、仕事の話を聞いていると懐かしいと言うか、今でも、そこに所属しているかのような錯覚に陥ってしまった。辞め方が急で送別会どころか挨拶もしていないせいか「白蓮さんって、まだ辞めた気しないんですよねぇ」と言われているらしい。
私はあの職場が大好きだったし、仕事にも誇りを持っていたので、同僚達に会ったら「また働きたい。外に出て仕事したい」と思ってしまうんじゃないかと、内心では心配していたのだけれど、以外にもそんな事は欠片も思わなかった。同僚達の話は懐かしかったけれど、むしろ「あそこはもう、自分の居場所じゃないんだなぁ」と思った。
私の居場所は夫と娘のいる我が家なのだなぁ。
専業主婦を「働いている」と定義して良いかどうか…と言う問題はさて置き、私が成すべき仕事は「育児と家事」なのだと再確認した次第。いつかまた、賃金労働に返り咲く時もあるだろうけれど、今の私が大切にするべき事ではないようだ。
それにしても週末は懐かしい人達の話が聞けて本当に楽しかった。年明けには別の面子が遊びに来てくれるとのこと。職場を辞めても、こうやって訪ねて来てくれる人がいるのはありがたい事だ。職場の人達が健康で無事に年末年始を過ごせるように祈りつつ、私も自分の成すべき事を頑張るぞ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。