白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2007年11月30日(金) 銀杏の木

今日は天気が良かったので買い物帰りに遠回りして地元の神社へ行ってきた。

神社には社よりも高い銀杏の木が植えられている。銀杏の葉はどの葉も見事な黄色に染め上げられていて秋の終わりを告げていた。子供の頃は銀杏の落ち葉を束ねて薔薇の花を作ったりしたっけなぁ……なんて事を思い返していたら、唐突に祖母から聞かされた話を思い出してしまった。

銀杏の木には死んだ人の魂が集まってくる。

だから銀杏の木は寺社に植えられていることが多く、そして高い木が多いのだと祖母は言っていた。死んだ人の魂が迷わないための目印になっているのだと。

祖母の話は迷信とは言うものの、全国的に見てメジャーな話なのかどうか、ふと気になって調べてみたけれど、似たような話は見つからなかった。あれは祖母の住んでいた場所にだけ伝わる話だったのか、それとも私の勘違いなのか。幼い頃の記憶は、あまりにも曖昧で今となっては調べる術もない。真偽の云々はさておいて、私は祖母が話してくれる「古い言い伝え」が大好きだった。

銀杏の木に死んだ人の魂が集まってくるかどうかはともかく、少なくとも今日は祖母の魂に触れた気がする。娘が大きくなったら「お母さんがお婆ちゃんに聞いた話」を聞かせてやりたいと思う。言い伝えって、こうやって伝承されていくのだろうなぁ。

ちなみに娘は私が感慨深く銀杏の木を見上げている時、知らぬ顔をしてグウグウ眠っていた。願わくば娘にはベビーカーではなくベッドの上で眠って欲しいものだ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月29日(木) 片思いのような

最近、娘がやっと私のことを好きになってくれつつあるような気がする。

娘が産まれて49日。彼女がこの世に産まれ落ちた瞬間から、私は彼女が大好きだし、せっせと愛情を注いでいる訳だけど、彼女も同じような愛情でもって私を見ていたか……と言うと、それは違うと思う。「赤ん坊は母親が1番よね」ってのは、ロマンティックなドリームではあるけれど、現実問題として赤ん坊が「母親が1番」と感じるのは、ある程度成長してからの事だろう。

娘にお乳を与えながら「きっと、このお乳が違う人のとすり変わったって、この子は何にも困らないんだろうなぁ」と何度となく思った事がある。新生児って、お腹を満たしてもらったり、抱っこしてもらったり、お尻をサッパリさせてもらったり……と言う原始的な要求を満たしてくれる人であれば、母親でなくても良いようだ。ぶっちゃけ、娘はちゃんと世話をしてくれる人であれば、私ぢゃなくても……たとえば彼女の祖母だったり、もっと過激に言うなら「知らないオバチャン」でも別段、困りはしなかっただろう。

しかし……だ。それだと私は困るのだ。何しろ私は娘が可愛くて仕方ないのだから。

まだ自分のことを母親だと認識していない娘を抱きながら「これは強烈な片思いに似てるなぁ」と思っていた。「想い・想われ」って形の愛は楽チンだ。恋人や夫婦なら、そういう間柄でいられるのだけど、親子間だとそうもいかないようだ。よく「親の愛は無償の愛」と言うけれど、今までピンとこなかった。あれは「無償」と言うよりも「一方通行」って事だったのだなぁ。

片思いが1人でも成立するように、一方通行でも愛の形は成立する。

そんな中で娘が私のことを好きになってくれている節が伺えるようになったのだから、嬉しくってたまらない。もう少ししたら「母親が1番」になってくれるのだろうか。今から楽しみで仕方がない。

……とは言うものの、娘が「お母さん大好き」なんて言ってくれるのは、かつて私がそうだったように、わずかな歳月に過ぎないのだろうなぁ。今のうちに、しっかりベタベタしておこう。とりあえず、今は「お母さん大好き」となってくれるのを楽しみにしていよう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月28日(水)

ご近所の方から蕪をいただいた。家庭菜園で作られたという蕪は小ぶりだけれど新鮮で艶々としている。

いただいた蕪を昨日は鶏肉と茸とでクリームシチューにして食べた。今日はお味噌汁にして食べる。昨日、クリームシチューにして食べた蕪は、とろけるように柔らかくて美味だった。旬の野菜ってありがたいなぁ……と思う。

蕪を料理していて不意に『おおきなかぶ』というロシア民話を思い出した。幼稚園やなんかで読まれているので知っている人も多いかと思う。なかなか抜けない大きな蕪を、みんなで協力して抜く……というお話。単純だけど、ちょっと温かい感じのする楽しいお話だ。子供の頃、あの話の続きを想像して楽しんだ覚えがある。「あの大きな蕪は一緒に掘り出した人達みんなで食べたんだろうなぁ……」と。そして何の根拠も無く「あの蕪は煮込み料理にして食べたに違いないと」思い込んでいた。

冬の温かい料理って身体だけでなく、心も温かくなるような気がする。

子供の頃、寒い日に外で遊んだ日の夕食が、豚汁や粕汁だったらすごく嬉しかったのを覚えている。当時は猫舌だったので、熱々の物は食べられず、料理が冷めるのを待ちながらお椀から立ち上る湯気と匂いにドキドキした。寒いのは大嫌いだけれど、寒い日に食べる温かい料理は大好きだ。

作ってもらって食べるばかりだった私も、気が付けば自分が作る側に立っている。料理は食べる側にいるよりも、作る側にいる方がずっと楽しい。料理を食べると時の喜びに加えて、作る楽しさと、食べてもらう幸せが味わえるのだから。

そんなこんなで、蕪を料理しながら子供の頃のことを思い出したりして1人感慨にふけってしまった。こうやって子供時代を思い出す時って、楽しいことしか思い浮かばないから不思議だ。子供時代だって悲しいこともあったのだけど。

今夜のメニューは鯖の竜田揚げ・がんもの炊き合せ・大根葉の炒め物・蕪の味噌汁。午後からやけに寒くなってきたので、あったかメニューの方が良かったかなぁ……などと今さらながらに思ったりしつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月27日(火) 楽をする

昨日は腰痛のため整骨院へ行ってきた。

以前、痛めたところが再発してしまったらしい。原因はやはり「抱っこ」だった。有効な解決方法が無いではないのだけれど、子育て中にするとなると無理なことばかり。「上手く付き合いつつ、子供の成長を待ちましょう」と言われて帰宅した。帰宅後、育児中の腰痛仲間にメールして生活上のちょっとした注意点などについて教えを乞う。今後は腰痛と上手く付き合っていくよう心掛けたいと思う。

昨日、ある方から「産後は身体を大事にしなくちゃ駄目ですよ」とのメールを戴いた。そのメールには「無理しない」ではなくて「楽をする」のだと書いてあって、なるほどなぁ……と腑に落ちる思いだった。確かに私は無理をした覚えは無かったけれど、楽をした覚えも無かったのだ。

「無理しない」じゃなくて「楽をする」……いい言葉だなぁ。

頑張り屋さんな友人に「無理しないでね」なんて言うことがあるけれど、そもそも頑張り屋さんってのは何かにつけて頑張るから「頑張り屋さん」と呼ばれるのであって「無理しないでね」と言ったところで、きっと無理しない程度に頑張ってしまうのだ。今度からは「無理しないでね」と言うのを止めて「出来るだけ楽をしてね」と言うことにしう。

「楽をする」って、ついつい怠け者のように思ってしまいがちだけど、これもまた大事なことだと思う。そりゃぁ、始終ダラダラするのは良くないけれど、楽して身体や心を休めるって必要な事だと思うのだ。

そんな訳で私も楽をするよう心掛けたい。でもって、毎日元気に笑って過ごしたいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月26日(月) ふんだりけったり

この週末はふんだりけったりだった。

土曜日の午後から喉が痛くて、あれよあれよと言う間に風邪引きの症状が。帰宅した夫に家事をお願いして、生姜湯など飲んで早目に就寝。発熱こそしなかったけれど日曜日もグダグダですっかり夫に世話をかけてしまった。しかもご丁寧に口内炎まで出来る始末。

季節の変わり目なので風邪の1つや2つ仕方が無いなぁ……とは思うものの、重なる時には重なるもので腰痛まで勃発してしまった。もともと腰痛持ちではあっのだけど、少しずつ重くなってきた娘の抱っこでガッツリやられてしまったらしい。動くたびに「いててっ」と腰をさする状態。今日は乙女な母に1〜2時間ほど娘をお願いして整骨院に行く予定。

「産後1ヶ月ちょっとだと言うのに全力で頑張り過ぎるからだ」と夫から言われた。確かに、いささか張り切りすぎた感があるのは否めない。自分では無理してる自覚は無かったのだけど。それにしても風邪・口内炎・腰痛とトリプルで攻めてこられると流石にウンザリ。早く治してしまいたいものだ。

風邪の方は随分とマシになったのだけど、今日は大事を取ってゆっくり過ごすつもり。娘の世話と食事の用意以外は動かないぞと心に決める。1日2日、掃除しなくったって問題無いのだし。

娘が産まれる前は「これくらいの風邪なんて平気」だと思っていたけれど、今は「無理せず大事にしよう」と思うようになっている。私が本格的に動けなくなったら娘が可哀想なことになってしまうもの。ドラクエの作戦でいうなら『いのちだいじに』でいこうと思う。

今日は動かないと決めたのだから本でも読んで、のんびり過ごそう。全力で働くのは体調が戻ってから……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月24日(土) 晩秋あるいは初冬

3連休の中日。しかし夫は昨日も今日も出勤なので、我が家はいつもと変わりない朝を迎えた。

流石に3連休ともなると、どこかへ出掛ける人が多いらしく、昨日など家の周囲は静か過ぎて恐いくらいだった。普段なら子供の声や、子供を叱る母親の声が聞こえてくるのに、何も聞こえず。家の前の通りに出ても人影さえ見当たらず。お天気の良い行楽日和。家にいる方が難しいと言うものだ。かく言う私もじっとしていられず娘をベビーカーに乗せてお散歩に出掛けた。もう少し娘が大きくなったら図書館へ行きたいのだけれど、まだちょっと早過ぎるのが残念なところ。あてもなく、ブラブラと近所を散策した。

今頃の季節は「晩秋」と呼ぶのが良いのか、それとも「初冬」と呼んだ方が相応しいのか。

見上げた空は恐いくらいに澄んでいたけれど、山の色も草むらの色も茶色く枯れた色をしていて風景が寂しくなっている。知らないお宅の庭に、オレンジ色のコスモスが1輪だけ枯れずにいたり、熟した柿が木の高いところに2つ3つだけ残されていたりと、冬の気配をそこここに感じた。

四季の中で、春を再生。冬を死になぞらえたりすることがあるけれど、それだと今は死に向かっていく最中……しかも死の寸前ってところだろう。日本では昔から「秋=寂しい」という図式が定番化しているけれど、死に向かっていく季節とあれば寂しいのも当然なのかも知れないなぁ……なんて事を思ったりした。

今日もまた娘を連れて外を歩こう。

北の方で雪が降っているとのニュースを観た。大阪はまだ本格的に寒くはなっていないけれど、そろそろ冬の仕度を整えなければ。寒さが苦手な私にとって冬は最も苦手な季節だけれど、それだけに心身共に少しでも暖かく冬を迎えたいなぁ……と思う。季節の変わり目は寂しかったり、忙しかったりで落ち着かないものだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月23日(金) たそがれる娘

ここのところ、昼食が終わったら速攻で夕食の支度をしている。

「♪お昼休みはウキウキウォッチング」の歌と共に昼食が始まりテレフォンショッキングが終わるか終わらないかで食べ終えて、食器の片付けと同時に夕食の支度を始める……という感じ。夕食の準備をするには早過ぎる…ってのは分かっているのだけど、夕方になると娘がグズグズするので、娘の機嫌の良いお昼間に夕食の仕度を済ませ、洗濯物を取り込んで夕方を迎える必要があるのだ。

夕方になるとグズグズするのは『黄昏泣き』ってヤツらしい。

育児書などには3ヶ月くらいになると黄昏泣きが始まる書いているけれど、個人差があるらしく早い子だと1ヶ月くらいから始まるとのこと。娘はまだ1ヶ月ちょい…母に似て気が早い性質らしい。そういう訳で毎日夕方までには家事を済ませて「どこからでも、かかってこい!」と、娘に付き合う体勢を整えているのだ。

夕方になると大人だって、訳も無く寂しくなったり心細くなったりするのだから、ついこの間までこの世にいなかった赤ん坊がグズグズするのは無理もない。人間は赤ん坊の頃から「寂しい」とか「心細い」とかいう感覚を持っているのかと思うと、なんとも切ない気持ちにさせられる。赤ん坊であっても、そういう負の感覚からは逃れることが出来ないのだなぁ。

楽しいことも、そうでないことも、経験してこそ人間……って事なのだろうか。

グズグズすると言っても1人で寝かせておけないと言うだけで、抱っこしてゆすったり、歌をうたったり、部屋の中をウロウロ歩いたりしていれば大人しくしている。面倒と言えば面倒だけど「かまってもらえたら泣き止む娘」ってのは可愛らしくて良いものだ。「お母さん、かまって」と全力でぶつかってくれるのなんて、僅かな間しかないのだろうから、母と娘の期間限定のお楽しみだと思っている。

今日は何故だか泣き出す時間だと言うのに娘はグウグウ眠っている。グズグズが夜にズレ込むのを覚悟して、オヤツでも食べて気力・体力を養っておこうかな……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月22日(木) なる前。なってから。

出産前、母親になったら自分がどんな風に変わっていくのか…って事について、少し不安を持っていた。

周囲の人から「母親になったら女性は変わるよ」ってなことを聞かされていたので、今まで積み上げてきたものを根こそぎ崩されてしまうんじゃないかと思って心配だった。「子育ては楽しいよ」と聞かされる反面で「自分の時間なんて全く持てない」とか「出産前の友人関係など続けていけないよ」などと憂鬱になってしまうような話もたくさん聞かされていた。

娘が産まれて今日で42日。娘は私の生活の中心にいる。私は賃金労働をやめて専業主婦生活に入り、育児と家事が仕事となった。……が、今までお金を貰ってしていた仕事が、育児と家事にスライドしただけで、それ以外の部分は出産前と変わらないような気がする。

「育児は24時間休み無し」と言われるけれど、私の場合は「毎日が日曜日」という感覚だ。確かに娘のお世話は大変だが、楽しい部分の方が断然多い。学生時代に一般教養課程が終わって、自分の専門だけ勉強すれば良いようになった時に「嫌いな科目を勉強しなくて良いなんて、毎日遊び暮らしているようなものだなぁ」と思ったことがあるのだけれど、今は丁度その感覚と似ている。

自分自身が自由に使える時間は減ってしまったのは事実だけど「自分の時間が全く持てない」ってことはない。ガッツリと何時間か遊ぶ…って訳にはいかないけれど、合間の時間にはネットで遊んだり、本を読んだり、編み物をするのも可能だ。友人関係については、時間的な面でも金銭面でも、それまでのようなお付き合いは出来なくなってしまったけれど、だからって私にとって友人はそれまでと同じように大切な存在であることに変わりない。「忙しい」を理由に関係が途絶えてしまわないよう努力しなくちゃなぁ……と思っている。

出産して育児一筋になった友人を見ていると、こんな事で良いのかなぁ……と思ったりもする。私はいささか余所見が多い母親のような気がする。「合間の時間」は、もっと気を入れて家事に取り組む……とかすれば良いのだろうと思うのだけど、完璧な母親になどなれそうにも無いので、ここは1つ毎日楽しく暮らしていくことを選択したい。

夫をはじめ周囲の人からは「子育て大変でしょ? 無理しないでね」と気を使ってもらっているのだけれど、内心では「いやいや。本当に毎日愉快に暮らしているのでお気遣いなく」と、かえって恐縮してしまう。「人として、こんなことで良いのかなぁ…」と心配になる事もあるけれど、しばらく…娘が小さいうちは、娘との暮らしをノンビリと楽しませてもらおう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月21日(水) 産後太り

……産後太りに陥ってしまった。私ではなく夫が。

夫は結婚してから食生活の変化にともない、良いペースで体重が落ちていたのだけれど、私が出産してからと言うもの体重は落ちるどころか鰻登りに増加している。授乳のため食欲モリモリの私に付き合ってオヤツをつまんだりしているのが良くないようだ。それに、私が専業主婦になったことで家事の負荷がいちじるしく減少したのも要因らしい。夫の体重は私が退院して床上げしたあたりから右肩上がりだ。

私は……と言うと、出産前の体重まで戻っていないと言うものの、食欲モリモリで食べているのに体重は良い感じで減っていて、出産前のジーンズもはけるようになっている。この調子だと、そう遠くないうちに出産前の体重に戻りそうな勢いだ。

幸せ太りの1種…と言えなくもないが、今回の事について夫はかなりショックを受けたようだ。オヤツを控えるのと同時に、バイク通勤から電車通勤に切替えて、ひと駅先の駅まで歩くようにしようか……なんてことを検討している。「運動量が格段に減ったからなぁ」と夫談。家事の負荷が減ったと言っても、掃除機をかけたり、床を磨いたり、遠くのスーパーまで歩いて出掛けたりといった、ちょっとした運動が減ったに過ぎないのだけど「ちょっと」の事がずっしりと効いているらしい。家事の負荷って案外大きいものなのだなぁ。

夫の「産後太り」は、娘が産まれて生活パターンが変わった事によって生じた思いがけない変化だった。

娘が産まれて最初の頃はバタバタしていたけれど、最近ちょっと落ち着いてきたように思う。ここらで私自身についての「産前と産後の変化」を書いてみるのも良いかもなぁ……なんて事を唐突に思った。明日以降、きが向いたら書いてみようかな……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月20日(火) お宮参り

娘、生後39日目。昨日はお宮参りに行ってきた。

お宮参りの時期と七五三が重なったので、混雑する土日を避けて夫が休みの平日に行ってきた。朝早くに起きて、バタバタとお赤飯を炊いたり、お料理を作ったりして母達が来るのを待った。

夫の母&乙女な母が到着したところで、気持ちの良い秋晴れの中タクシーで地元の神社へ。平日なので神社は私達だけしか織らず、静かで落ち着いた雰囲気。早速お参り。祝詞は5分ほどで終了。アッっと言う間だった。それにしても初穂料が高かったのには驚いた。お酒だの、お食い初めに使うお茶碗やお箸などをお土産に貰ったのだけど「お土産はいいから値段下げてくれた方が助かるのになぁ」なんて不埒なことを、チラリと思った。

お参りの後はタクシーで子供専門の写真館へ移動。記念写真撮影など。が、これがなかなか大変だったのだ。ほどよく外気に触れて、車で揺られた娘はご機嫌で眠ってしまったのだ。なかなか起きてくれずに四苦八苦。娘が目を開けた瞬間を狙っての撮影となった。子供専門の写真館だけあって、スタッフ達の赤ちゃんの扱いの上手さは素晴らしいもものだった。夫と「プロの仕事って感じだね」と驚嘆した。

娘1人の写真と、集合写真をプリントしてもらうことに。それと母達にキーホルダーを。夫に携帯ストラップを。夫は娘が産まれるまで、そういうグッズを毛嫌いしていたのだが、写真を選ぶ段になって「○○君が持ってるストラップはこんな感じだったかなぁ」とモソモソ言い出したので「せっかくだから、作ってみる?」と促して、夫の分だけ作ることに。夫も人並みのお父さんだったらしい。

人並み…と言えば、今年の年賀状はスタジオで撮った写真で年賀状を作ることにした。我が家は夫婦して年賀状には情熱を持っていないのだけど、今年は出産報告を兼ねることだし……ってことで。子供の写真入り年賀状を作るなんて気恥ずかしいことこの上ない。誰の年賀状だか分かるように、自分達が映っている集合写真と2つあわせで作るのだけど、自分の写真を年賀状にする…ってのも、それはそれで恥ずかしいことだ。

それにしても娘が無事にお宮参りを迎えることが出来て本当に嬉しい。

お宮参りには。1ヶ月生きられない赤ん坊が多く、それだけにお祝いと今後の成長を祈る意味がある…と聞いている。祝詞の時「若竹のごとく、すくすくと成長して……」という文言があったのだけど、元気に育って欲しいなぁ……と心から思う。お婆ちゃん達にもお祝いしてもらえてありがたかった。良いお宮参りになって良かったなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月18日(日) 童謡が熱い

いま、童謡が熱い。娘のために童謡のCDを購入して数日、毎日童謡のCDを聞いて悦に浸っている。娘でなく私が……なのだけど。

初めて買った童謡のCDは想像以上に刺激的だった。記憶の底に埋もれていたような歌も1度聞いてみると思い出してくるもので、案外楽しく歌えるものだ。あらためて聞いてみると、長く歌い継がれている童謡ってのは、曲も歌詞も素晴らしいってことに気が付いた。

特に私の心を鷲掴みにしたのは「歌詞」である。

童謡の歌詞を作った詩人さん達って天才だなぁ…と感心する。子供の頃は童謡よりも、むしろアニメの主題歌や歌謡曲の方が好きだったが、当時は童謡の本当の良さを分からなかったのだろう。大人になって童謡を歌ってみると、その歌詞にマジ泣きさせられると言うのに。童謡ってのは子供のためのものだけど、むしろ大人のためのものなのかもみ知れない……とさえ思う。

たとえば「からす なぜなくの」から始まる『ななつのこ』など、カラスは「かわいい かわいい」と泣くのだ。七羽の子を育てるカラスが夕暮れの空を飛んでいく姿は、家族のために遅くまで働いて家に帰ってくるサラリーマンのお父さんを彷彿とさせる。子育て中の私には泣けてしょうがないのだ。

童謡って人間の営みの温かい部分とか、優しい部分だけを抽出して作られているんじゃないかなぁ……なんてことを思う。

毎日ノリノリで童謡を歌いまくる私だが、娘が喜んでいるかどうかは激しく疑問だ。娘が童謡を楽しむのはもう少し先なんじゃないかと思う。まぁ、私がご機嫌ってのは娘にとっても良いことだろう……と1人で納得している。

ちなみに童謡のCDが届いたらデタラメの歌(替え歌)を歌わなくなるかと思っていたが、そうでもなかった。むしろバリエーションが増えたような。以前と違って、ちゃんとした歌も歌うようになったのだからヨシとしましょうかね……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月16日(金) ご近所付き合い

娘も1ヶ月が過ぎたので、このところ、しょっちゅう外に連れ出している。

抱っこして家の前をウロウロすることもあれば、ベビーカーに乗せてお散歩することも。娘はまだ右も左も分からない新生児だというのに、家の中にいるよりも外にいる方が好きみたいだ。大人だって1日中家の中にいればクサクサするのだから、新生児だってそうなのだろうと思っている。

それにしても娘を連れて外に出ると色々な人が話掛けてくれてるので、かなり楽しい。小さななお子さんのいるお母さんだけでなく、年輩のご婦人もあれこれ話しをしてくれる。子育て1年生主婦としては先輩の話が聞けるのは、とてもありがたい。

年の近いお母さんから「子供がそれくらいの年の時は精神的に不安定で、よく泣いてた」とか「家に籠っていると煮詰まるからベビーカー押して○○百貨店(ベビーカー押してだと1時間くらいかかる)まで行ったよ。今、思えば無謀だったわ」なんて話を聞きながら、私も自分の話を彼女達に聞いてもらったりしている。

すごく面白いなぁ……と思うのは子育てを終えた年輩のお婦人のお話。何人もの子供を育て上げた肝っ玉母ちゃん風の人から「初めての子供の時は勝手が分からないから、一瞬でも赤ちゃんから離れられなくて、1日中赤ちゃんの顔を見て過ごしたわよ」なんて話を聞かされるても、今の堂々とした風貌からは想像もつかなくて、ちょっと不思議な感じがする。そして失礼ながら「可愛らしいなぁ」と思ってしまう。年輩の人って、どうしても「自分と掛け離れた世界の人」という目で見てしまいがちだけど、そう言う訳ではないのだなぁ……と。

ちゃんと向き合って話をしてみるって大事なことなんだなぁ……と当たり前のことを今さらながらに思ったりしている。私の住んでいる地域は下町っぽい…と言うか、田舎びた雰囲気が残っていてママ友云々なんてことを考えなくても、誰かれなしに立ち話をしたり出来る環境にあるってのは、恵まれていると思う。

毎日外に出掛けているのだけど、今日は朝から寒くて1日家に籠っている……と言うのも娘の防寒具が無いのだ。明日、何某かのものを買いに行く予定。寒さ対策をして、またせっせと外に連れ出してやらねば。そんなこんなで、最近はすっかりご近所付き合いが密になっているなぁ……なんて事を書いてみたところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月14日(水) ほうれん草からバッタ

今日は朝から笑えないミスの連続で、すっかり凹み気味だった。

誰しもウッカリすることはある訳だけど今日のミスは我ながら「それにしても、どうよ?」と思うような類のもので、自己嫌悪でベコベコになっていた。そういう空気を察するのか、娘はいつになくご機嫌斜め。赤ん坊は母親のイライラを敏感に感じるらしいと言うけれど、娘を泣かせる原因は自分なんだと思うと、娘に申し訳なくてさらにベコベコと凹んだ。

思えば、こんなに上手くいかない1日は娘が生まれて初めてのこと。今までどれだけご機嫌に過ごしていたか…ってことをシミジミと感じつつ、午後になっても気持ちを盛り上げるキッカケが作れずにいた。

そんな中、娘が寝ている隙に台所仕事など。近所の八百屋で買ってきてほうれん草を茹でようと、ほうれん草を包んでいる新聞紙を開いたら……バッタが飛び出してきた。しゅるりとスマートなショウジョウバッタだった。

近所の八百屋は卸売り市場から仕入れた野菜以外にも地元産の野菜を商っている。ほうれん草は見栄えの悪い特売品だったし、麻取れた地元の野菜だったのだと思う。バッタは、どこかの畑から心ならずも連れてこられてしまったのだろう。

台所でぴょんぴょん跳ねるバッタを追いかけていたら、台所で必死にバッタを追いかけている自分の姿があまりにも可笑しくて凹んでいた気持ちが一気に晴れた。1匹のバッタに救われた午後だった。

バッタは捕まえて外に放した。運が良ければ近所の子供に捕まることなく逃げおおせることが出来るだろう。縁あって我が家に来てくれたバッタが上手く生き延びることを祈りつつ台所仕事にに戻った。

今夜はハヤシライスとほうれん草のサラダ。ほうれん草にバッタが潜んでいたことを夫に報告しなくては。子供の頃は散々っぱらバッタを捕りまくったものだが、この年になってバッタを捕まえるとは思わなかった。ちょっと凹みがちだったけれど、それなりに良い1日だったなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月13日(火) デタラメの歌

育児書等には、赤ん坊をお世話する時には、話かけたり歌をうたってあげたりすると良いと書いてある。そりゃぁ、そうだろう。は自分で話が出来ないと言うものの赤ん坊だって立派な人間なのだ。一緒にいる人間がムッツリしていたら面白くないのは当然である。

そんな訳で私も巷の母親達のするように、毎日娘に話しかけたり歌をうたったりしている。話かける方はごく普通に…大人と話しをするのと同じようにあれこれ話しをしているのだが「歌」の方は、ちょっとアヤシイ感じだ。

娘がグズグズ言うときや、あるいはご機嫌で遊んでいる時など、下手くそな歌をうたって聞かせているのだが、それらは全て白蓮オリジナルの替え歌なのだ。子守唄に娘の名前を織り込むのは当然として『ぞうさん』のメロディーで娘の様子をうたったり『さっちゃん』を娘の名前に変えたり……と言った具合。

それはそれで楽しいのだけど、娘がデタラメの替え歌しか知らない子供に育ってしまうのではないかと少し心配になり「たまには、ちゃんとした童謡をうたおう」と唐突に思った。が、いざ「ちゃんとした童謡」うたおうとすると、歌詞がアヤフヤで覚えていないことが多く、自分が思っていた以上に童謡のレパートリーは少ないことが分かった。途中で歌が分からなくなると、やはりデタラメの替え歌をうたってしまう。

これではマズイと言うことで童謡のCDを購入することにした。独身時代はCD屋さんに並んでいる童謡のCDを目にしても「こんなCDって幼稚園や保育所以外で需要があるんだろうか?」なんて思っていたけれど、私のような大人のためにあるんだ……ってことに気が付いた。

それにしても、私も幼い頃は母に歌をうたってもらったり、あるいは幼稚園で歌を教わったりしたはずなのに大人になると忘れてしまうものなのだなぁ。娘と生活は子供時代のおさらいのようなものだ。忘れてしまった事を1つずつ取り戻しているような。大人って生き物は自分が大人になっていく途中で大切な物を取りこぼしているような気がする。もっとも、そうでなければ大人にはなれないのだけれど。

娘に大切なことを伝えられる…そんな親になりたい思う。まずは娘が毎日楽しく過ごせるところから始めよう。童謡のCDがその一端を担ってくれると良いのだけどなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月12日(月) 冬のお楽しみ

週末は出産祝いの内祝いを買いに行ってきた。

百貨店はお歳暮商戦がはじまっていて大変な賑わい。全て百貨店で買うつもりだったのだけど、あまりの混雑っぷりに辟易して、一部をネット通販で購入することに。「せっかく出てきたのだから何か買わなくちゃ」的な気持ちで買い物をしたのだけれども、最近は通販も良い物が揃っているので全てネット通販で買った方が楽ちんだったかも……と後で思った。

内祝いを買いに出たついでに手芸店で毛糸を購入した。今年もまた編み物の季節到来。出産前は、赤ん坊が産まれたら編み物なんてする余裕は無いだろうと思っていたのだけれど案外そうでも無かったので、家事と育児の合間をみて作ってみようかと。

隙間・隙間の時間で作る手仕事なので、難しい物に挑戦する自信は無くて、昨年編んで要領の分かっている小物を編むことにした。お世話になった人への贈り物をいくつか編むつもり。クリスマスか年末までに仕上げたいと思っている。編み物をすると言っても、もともとが不器用なものだから素敵なものが出来る訳ではないけれど、なるだけ暖かい毛糸を選んでみた。手編みの贈り物ってのは相手によってはNGだけど、喜んでくれる人達なので張り切って編もうと思う。

今年の冬は娘を外に連れ出す機会は少なそうなので娘の物を編む気は無いのだけれど、来年の冬は娘に手編みの物を身につけさせたいなぁ……なんて夢想している。

寒い日に家に籠って編み物をするのは、かなり楽しい。一昨年まで毛嫌いしていたのが嘘みたいだ。妊娠時の絶対安静状態の時は周囲の人に世話を掛けっ放しで「早く元気になって誰かのお役に立ちたいなぁ」と思っていものだが、知人の贈り物を編めるようになって本当嬉しい。

してもらうばかりの生活ってのは案外つまらないものだ。

この冬の間、いくつくらい編めるだろう? 年内に目標が達成したら年明けは、ゆっくり時間をかけて夫に何か編みたいと思う。この冬もまた心温かに過ごしたいものだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月09日(金) ひと区切り

今日は私の1ヶ月健診だった。

乙女な母に来てもらって娘を託し、いざ出発。娘と離れて長時間過ごすのは初めての事で後ろ髪引かれる思いがしたが、今後はこういう機会もあるだろうから慣れないとね…と自分に言い聞かせた。妊娠中は遠く感じた駅までの道程をサクサク歩き、休み休み昇っていた駅の階段を駆け上がり「無事に出産したんだなぁ」ってことを実感した。

病院で検査と診察を受け「もう普通の生活に戻って大丈夫ですよ」と太鼓判を押してもらった。娘も順調に育っていることを告げると「良かったね。これから頑張ってね」との言葉を戴く。「寒くなったし、ゆっくりお風呂に浸かりなさいね」と主治医がニッコリ。妊娠中は厳しい顔ばかりしていた主治医の笑顔は値千金。主治医に「今までお世話になりました。ありがとうございました」とお礼を言った時、少し泣きそうになってしまった。

私は妊娠・出産生活を卒業ていく訳だけど、産婦人科の人達は延々と妊婦さんや赤ん坊を受け入れているのだなぁ……なんて思うと感傷的な気分になってしまった。あの病院を頼ってくる妊婦さんや赤ん坊が健やかな妊娠・出産が出来ますようにと心の中で手を合わせた。

何度となく書いてきた事だけど感謝してもしきれない。あの病院でお世話になったことは一生忘れないと思う。

病院帰りに駅前の書店で文庫本を1冊購入。あまり品揃えの良い書店では無いのだけれど新鮮な活字が読みたかったのだ。スーパーで食料品を買い早足で帰宅。2時間半ほどの外出だった。娘は乙女な母とお利口に留守番をしていたようだ。

これで私の妊娠・出産生活にひと区切りがついた。夫に健診結果の報告がてら「今までありがとう。これからもよろしく」と携帯メールをして「これから頑張っていこう」と、あらためて自分に言い聞かせた。これまでの事を忘れる訳ではないけれど、これまでの事よりも、これからの事を大切にして進んでいかなくちゃなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月08日(木) 顔の変化と競争心。

先日、娘の顔を見に来てくれた伯父から「優しい顔になった。出産すると女性の顔は変わるなぁ」と言われた。

私は周囲の人間から「気がキツイ」と言われ続けてきた女なので「優しい顔になった」と言われるのはとても嬉しい。でも、これは出産したから……って訳ではないように思うのだ。もちろん、母になったことで変化した部分もあるとは思うのだけれど。

顔が優しくなったのは仕事を辞めて専業主婦になったからじゃないかと思う。社会に出て仕事をしている時は、どうしても「競争」していく必要がある。出産まで働いていた職場は、とても居心地の良いところではあったけれど、賃金を貰って働いている以上は常に「競争」の中に置かれていると言っても過言ではない。たとえば、仕事の相棒がいたとする。彼女は相棒であると同時に競争相手でもあるのだ。「相棒よりも劣った仕事をする訳にはいかない」という競争心が無ければ、より良いものを作ってはいけない。

それに較べて育児は他者と競争する必要がない。勝ち負けの世界では無いだから、子供のペースで事をすすめていける。そりゃぁ、自分の子と他人の子を較べて云々…って考えもあるだろうけど、結局のところ育てていくのは自分の子であって他人の子では無いのだから較べるなんて無意味だと思うし。

競争しなくて良い生活ってのは、こんなにも穏かでゆったりしているのか……と感心する。今の生活は心地良くはあるけれど、別の見方をすれば生温いほうけた生活であるとも言える。競争のある世界で生きていく方が良いのか、いま生活の方が良いのかは、一概にどうこう言える問題では無いけれど、しばらくはこの穏かな日々を楽しんでいきたいと思う。いつかまた、キツイ顔に戻らざるを得ない日だって来るだろから。

明日は私の1ケ月健診。これで妊娠・出産のドタバタにも区切りがつくなぁ。小さな行事をこなしていく度に「働く社会人」の皮が剥けて「専業主婦・母親」にシフトしているのを感じる。出産前は「専業主婦の生活を楽しめるだろうか?」と少し心配していたけれど、想像以上に馴染んでいる自分がいて吃驚する。そうやっていくうちに、どこからどう見ても「お母さん」の顔になるのかも知れないなぁ……なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月07日(水) はじめての遠出(1ケ月健診)

今日は娘の1ケ月健診へ行ってきた。娘にとっては初めての遠出。

昨日までは1人で連れて行く気満々だったのだけど、義母から電話があり「お母さん(乙女な母)に付いて行ってもらうんでしょう? もし都合が悪いなら、私が行くわよ」と言われた。「タクシーを利用して1人で行くつもりですが……」と言ってみたのだけれど「とんでもない!」ってな反応が返ってきたので、急遽乙女な母に付いてきてもらうことに。乙女な母曰く「白蓮が1人で行くと言うから黙ってたけど、私も最初はついて行くつもりだった」とのこと。母達の世代では、孫の1ケ月健診についていくのが定番なのかなぁ……なんて事を思いつつ、いざいざ娘を出産した病院へ。

病院へ行ってみて、なるほど納得。母達が付いていくつもりだった理由が分かった。どの赤ん坊も2人〜3人の大人を従えていたのだ。「赤ん坊・母親・祖母」という組み合わせが多かったが、中には「父親・祖父・兄弟」なども加わっているご家族もいて、小児科ゾーンはちょっとした賑わいだった。入院している時に一緒だったお母さん達と少し話をしたり、大きくなった赤ん坊達の顔を覗いたりと、楽しい待ち時間を過ごした。

娘はスッポンポンで体重や身長を測定してもらった後で、小児科医の問診を受けた。「母乳も足りているようですし順調な成長ぶりです」とて、ありがたくも健康優良児のお墨付きを戴く。問診の後、出血予防のビタミンK2シロップを飲ませてもらって健診は終了。次は4ケ月健診とのこと。

娘はスクスクと成長してくれているようで嬉しい限り。あまり目先の数字にこだわり過ぎるのもなぁ……と思うので、自宅では娘の体重等は測っていなかったのだけど「これだけ大きくなりました」と数字を見せられると感慨深いものがある。今後も娘のペースでボチボチ成長して欲しいと思う。

娘は家の前の道や徒歩1分の児童公園で外気浴をするようになり、少しずつ近所の方に顔を覚えてもらいつつある。そして今日は初めての遠出。そうやって娘は外の世界と係わっていくのだなぁ。娘が社会の中で楽しく生活が出来るように導いてあげたいと思う。娘の世界はどこまで広がるんだろう? のびのび育って欲しい。

今日は私にとっても久しぶりの外出だったので帰宅したらグッタリしてしまった。夕方、娘と一緒に少しお昼寝など。今夜の夕食はは出掛ける前に作ったクリームシチューとサラダ。温かいシチューを食べながら夫に健診結果の報告をしよう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月06日(火) ひとやすみ

今日は朝から停滞気味だった。天気が悪いせいか体調がイマイチ。寝不足が堪えているのかなぁ……ってな感じ。なので夫を送り出した後は家事をせずに娘と横になることにした。

思えば床上げをしてから「朝から何もしない」ってのは初めてのこと。専業主婦になったのだから家事と育児は「仕事」だと心得ていて、グウタラするのは少し心苦しくはあるのだけれど、私がしんどくてイライラしたりするよりも、多少グウタラしてもニコニコ娘と接することが出来る方が娘だってよろしかろう…とてゴロリと横に。

ウトウトしかけたところに大きな揺れが。慌てて飛び起き娘を抱いた。震度3とのこと。地震対策なんて考えてもいなかったのだけど、家具に転倒防止金具をつけようと心に決める。いままでは「何かあったら、あった時のことさ」なんて思っていたが、今日は恐くてたまらなかった。守るべき者が出来ると、こうも考え方が変わるのか。

「今日は休憩日」と決めた日に限って、電話だの来客だのが多かった。義母からの電話、町内会の用事、娘のために購入を決めた浴室暖房機取付けのてめの業者さんの下見。予定外のことが次々とあって、結局バタバタ1日を過ごした。せめて夕食は手抜きでいくぞと、本日の献立は麻婆茄子丼・中華スープ・叩き胡瓜の胡麻和え。

今日は退院してから初めて疲れを感じた。「疲れたなぁ」と思えるくらい、心に余裕が出てきたのかも知れない。明日は娘の1ヶ月検診。一緒に入院していた赤ん坊やお母さん達とと再会するのが楽しみ。今週は何かと小さい行事が多いのだけど、気負わずこなしていきたいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月05日(月) 愛された記憶

子供が産まれたら写真やビデオの撮影にハマってしまうんじゃないかと思っていたのに、私自身は全くと言って良いほどそれらの機器を使っていない。娘を可愛いと思う気持ちはあるのだけれど、撮影云々よりも直接娘の相手をしている時間を重視すると、ついついおざなりになってしまうと言うか。夫は比較的マメに娘を撮影してくれているので、すっかり任せっぱなしになっている。

昨日、乙女な母から「もっと貴女も撮ってあげないと駄目よ。特に0さん(夫)が抱いているところとか、お風呂に入れてあげてるところとか」と注意を受けた。確かに夫と娘が一緒に映っているものは私しか撮影出来ないのに、私ときたらカメラもビデオカメラも興味無し…とて手を付けようとしなかったのだ。

乙女な母に注意を受けて、これはイカンと反省した。

そんな訳でビデオカメラの勉強がてら夫が撮影していた「娘の記録」を観ていたのだけど、そこには「両親や周囲の人から愛される娘」の記録が綴られていて、自分は1つも撮影していないくせに「こうやって記録が残るって良いものだなぁ」と思った。

娘はまだ赤ん坊なので両親や周囲の人から愛されてのんびり日々を過ごしているけれど、成長したらそうも言っていられない。いずれ自分の力で生きていかねばならないし、生きることは楽しい事ばかりではない。生きているのが嫌になるほど辛い目にだって遭うだろう。娘が辛くてたまらない時、親は何もしてやれないけれど「愛された記憶」を娘に贈る事は出来る。「愛された記憶」は娘が生きていく上で大きな力になっていくんじゃないかなぁ。

そんなことを考えていたら、なんだか泣けてきてしまった。娘が「愛された記憶」は娘だけでなく、私達夫婦にとっても大切な記憶になるだろう。最近『天才バカボン』のアニメを使ったヨドコウ物置のCMを観るだけで泣きたくなってしまうのだ。娘が大人になった時、それらの記録を観たりなんかしたら、きっと私は泣くだろう。

日々の生活を過ごすことばかりに目がいってしまいがちだけど、これからはカメラやビデオで娘の記録を残してあげることにも少し力を入れようと思う。まずは夫が娘をお風呂に入れているところを撮るところから……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月04日(日) ソワソワな時間

夜、娘が寝てくれない事に関して対策を講じることにした。

娘はまだ夜も昼も無いので、少しずつでも昼夜の区別をつけてもらうため、日中の暖かい時間帯に少しでも外に連れ出して外気を浴びてもらい、夜は決まった時間にベッド連れていくことにした。

私達家族は小さな戸建住宅に住んでいる。寝室は2階で生活空間は1階。日中、娘と私は居間にしている和室にいる。今までは夫婦が眠る時に娘を連れて寝室へ上がるようにしていたのだけれど、それだとどうしても娘の就寝時間が遅くなってしまう。今さらだが、それでは具合が悪いと言うことに気付き、娘だけひと足早く寝室へ連れていくことにした。

赤ん坊の娘を寝室で1人きりにしておくのは心配なので「ベビーモニター」ってグッズを購入した。居間にいても寝室で寝ている娘の姿と声を確認出来る優れ物。昨日、品物が届いたので早速「早寝早起き大作戦」を決行することにした。

娘をお風呂に入れて寝室のベビーベッドに寝しつけたた後、ベビーモニターで娘の様子をチラチラ見つつ居間で夕食を取ったのだけど、どうにもこうにも落ち着かなかった。よくよく考えてみると、娘が産まれてからずっと私と娘は密着して暮らしていて、離れることが無かったのだ。なんとなくソワソワしている私を見て、夫は「『余計なことしたら噛むよ』ってガルガル言ってる動物みたいだ」と言った。

そう言えば以前飼っていた犬が出産した時の状態と似ている。母犬と小犬を離すと母犬はやけにソワソワ落ち着きが無くなり、気が立ってガルガル唸っていたのだ。私のソワソワもきっと、それと同じなのだろう。人間も動物の1種類に過ぎないのだなぁ。あのソワソワ感は娘への愛情云々と言うよりも、もっと根本的な感覚だった……たとえるなら「お腹が空いた」とか「眠たい」と言うような。

しばらくは「ソワソワ」するだろうけれど、いつまでも娘を大人ペースの時間帯で暮らしてもらう訳にはいかないし、ちょくちょく様子を見にいくのだから「これは必要なこと」と覚悟して私が慣れないといけないなぁ……と思う。「早寝早起き大作戦」が早いところ威力を発揮してくれることを祈りつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月03日(土) 成長の証

娘、生後23日。ここ数日、夜中にグズって寝てくれなくなった。

退院してからというもの、夜は2時間〜3時間毎のペースで授乳していたのだけれど、ここ数日は1時間〜それ以下でグズグズ言うようになってしまった。突然、どうしたのだろう……と調べてみると、赤ん坊の生後3週目は『魔の3週目』と言って、赤ん坊が急激に成長し、外界に適応しようとする負荷からグズグズしたりするとのこと。これもまた成長の過程なのだと思えば可愛いものだ。「お母さん、とことん付き合ってあげるから、あなたも頑張りなさい」とて、夜を過ごしている。

それにしても我が子の成長が、こんなにも嬉しいものだなんて知らなかったなぁ。

退院してきた時はミルク飲み人形みたいだった娘に、少しずつ表情が出るようになった。あやせば笑うし、抱っこを要求するようにもなった。本能と反射だけで生きていた娘に、人間らしい情緒が芽生えはじめているようだ。「抱っこ、抱っこ」とグズっても、スクスク育っている証だと思えば愛しくなってしまう。もっとも、この余裕がいつまで続くかは激しく謎。今後はきっとイライラしたりする事もあるかとは思う。

娘のことはそれとして。私自身は専業主婦生活に随分と慣れてきた。娘があまり手の掛からないうちは、自分自身の趣味や楽しみもしていこう……ってことで、育児と家事の合間を見てはネットや読書、ヲタク的活動など、ちょいちょい息を抜いている。今はまだ外出が自由に出来ないので、生協の宅配と近所の八百屋とで食材をやりくりしているけれど、娘を連れて買い物に行けるようになったら、凝った料理を作ったりパンを焼いたりするつもり。

寝不足から不意に猛烈な睡魔が襲ってくるのがたまに傷だが、今のところ、新人母親生活は毎日愉快だと言っても良いと思う。昼間、娘と2人で家にいても声を出して笑うことが多いのだ。これはひとえに娘のおかげ。明日もたくさん笑って過ごしたいなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年11月01日(木) お襁褓にはじまり…

今日から11月。今年もあと2ヶ月で終わってしまうのかと思うと少し感慨深い。今年は妊娠、出産と娘に関する事で過ぎてしまったなぁ……と言う印象。その結果、私の生活パターンは根こそぎ変わってしまった。日々の生活は娘を中心にしてまわっていく。太陽を追いかける向日葵の心境……とでも言おうか。それは楽しい追いかけっこだ。

乙女な母は孫の顔を見に毎日家へやってくる。病院帰りに我が家に寄って数時間、娘の相手をするのは乙女な母にとって良い気分転換になっているらしい。娘が産まれてから乙女な母は心身共に元気になった気がする。孫パワー恐るべし。

そんな乙女な母に娘の変化を報告するのは定例行事になっていて、昨日は「娘にウンチをかけられた話」を報告した。お襁褓を変えて、お尻を拭いている時に娘がウンチをして、私の着ていたパジャマからベビー布団のシーツからウンチまみれになり、夫と大笑いした……という話。乙女な母はその話を聞いてポツリと言った。

赤ちゃんのお襁褓は汚しても何をしても親は笑って始末するのに、同じお襁褓でも、老人のだとそうはいかないのが不思議だね。

確かに私は娘のお襁褓の始末を不快だとは思わない。が、亡父がお襁褓をしている時は、そんな風には思っていなかった。母乳だけを飲んでいる赤ん坊の排泄物と、色々な食べ物を口にする大人の排泄物とでは、量も匂いも違うので無理からぬ事ではあるけれど、それ以上に「可愛いくてたまらない」と感じる赤ん坊のそれと、そうでない大人のそれとを同じように感じることは出来ないのだと思う。乙女な母はこうも言った。

人間はお襁褓にはじまって、お襁褓で終わるのかも知れないねぇ。

確かにその通りかも知れない。ポックリと病みつかずに亡くなる人もいるけれど、お襁褓の世話になって亡くなっていく人は多い。赤ん坊はニコニコ笑って世話をしてもらえるのに、同じ作業でも老人となるとそうはいかない……という事実は、やるせなく、そして切ない。

「切ない」と感じるくせに、今後、老人のお襁褓の世話をする機会があったとしても、私はきっと娘のお襁褓の世話をするように、ニコニコと世話をする事は出来ないだろうと思う。せいぜい、嫌な顔を前面に出さないでいるのが関の山だろう。人間って残酷な生き物だとつくづく思う。

生まれたばかりの娘の世話をしながら、やるせない事を考えてしまった。「人間はお襁褓にはじまって、お襁褓で終わる」ってのは、なかなか興味深い事実だ。遠い将来、私もお襁褓の世話をしてもらう日が来るってことを心のどこかで覚えておかねばならないなぁ……なんて思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


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