白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2007年10月31日(水) 母乳部その後

娘生後20日。区切りの良い数字を通過する時って訳も無く嬉しい。

今日は夫を送り出そうと娘を抱いて玄関に立ったら、お隣の奥さんと斜め向いの奥さんと顔を会わせた。なんとなくの流れでそのまま外に出て、娘はご近所デビューを果たした。「赤ちゃんを外に連れ出すのは1ヶ月たってから」となっているけれど、まぁ良いだろう。お隣と斜め向いの奥さんは、それぞれ男の子2人、3人のお母さんなので「女の子羨ましいわぁ。可愛いわねぇ」と言われた。社交辞令と分かっていても嬉しくなるのが親心。それが正しい親馬鹿道。

今日で退院してから……もとい、母乳部を退部して2週間。母乳育児は順調に進んでいる。むしろ母乳の生産は過剰気味。近い将来、娘が成長して母乳を飲む量が増えてくるとどうなるかは分からないけれど、今は娘が飲む量よりも母乳の生産の方が多いので、毎日せっせと絞っては冷凍したり捨てたりしている。

来週は私の検診があり、乙女な母に娘を見てもらうことになっているので、その時のために母乳を冷凍して置いているのだけど、母乳の冷凍パックを作っている私を見て「なんだか妙に楽しそうなんだけど」と夫。これが実際楽しいのだ。「こんなに採取出来たぞ」というようなマニアックな喜びがある。「これは、耳掃除をしていて大きな耳垢を取った時の喜びに似てるの?」と夫が言うので、それに近いと答えておいた。自分の身体から、乳が迸っているなんて、いまだ不思議で仕方が無い。

ただ捨てるのは勿体無いような気がするので、せっかくなので味見をしてみたが、決して美味しい物ではなかった。人間の乳は牛乳よりもはるかに薄くて、ほんのり甘いい。こんなに不味い物を美味しそうに飲んでくれるなんて、娘はなんて愛いヤツなんだろう。

母乳育児をしていて最も楽しいのは娘に乳を含ませている時だが、次に楽しいのは毎日の食事が美味し過ぎるって事だ。食べる物が美味し過ぎて困るくらい。そしてかつてない食欲。食べ盛りの思春期の頃よりもよく食べているのに、体重は少しずつ減っているのだ。それだけのエネルギーを母乳に持っていかれるのだろう。

私は今、人生で1番ご飯が美味しい時期にいるのかも知れない。

そんな訳で「よく食べるなぁ」と半ば呆然としている夫を横目に、毎日もりもり食事をしている。食べても食べても猛烈にお腹が空くなんて初めての経験に戸惑いながらも、食事が美味しい幸せを日々満喫している。今日のオヤツも夕食も美味しくいただけそうだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月30日(火) 拍子抜け

入院生活について、まだ書いていない事が沢山あるのだけとれど、日々の暮らしについても書いていきたいので、回想録的なものは前回でオシマイと言うことで、今日からは普通日記。娘生後19日目。頬っぺたが少しふっくらしてきた。言葉通り娘は「すくすく」と育っている。

私も順調に回復していて、一昨日には床上げを済ませた。産後1ヶ月は無理しない方が良いと聞いているので、床上げをしたからってフルパワーで家事をするつもりはないけれど、もう乙女な母の手を借りなくて大丈夫。娘のお風呂は夫が帰宅後に入れてくれることになっているし、食事の支度等のお手伝いも不要なので「私が来てもすることが無いね」と乙女な母は物足りなさそう。「これからは孫の顔を見に来るつもりで気楽に来てね」お願いしておいた。

そんなこんなで、やっと子育て専業主婦生活が本格始動した訳だけど、ちょっぴり拍子抜けしている。

出産前、周囲の人らか「出産したら子育ては大変だよ」と聞いていたし、初めての子供ってことで慣れない育児にイライラしたりして、自分の時間なんてこれっぽっちも持てないだろうと決死の覚悟でいたのだけれど、実際娘を産んでみると、出産前の予想していたほど大変でもなくて吃驚している。「子育て頑張るぞ。しばらくは娘のことだけを考えて生活するぞ」と気負っていたので「こんなに楽しちゃって良いのかしら?」と思わずにはいられない。

夜中の授乳もあれば、夜にぐずって娘が寝てくれないこともあるけとれど、翌日出勤する訳ではないので、寝不足分は娘とお昼寝したって良いのだもの。身重の身体で仕事に行っていた時を思えば、ずっと楽ちん。

いまは専業主婦なので、万事自分のペースでのんびり出来ているし、初めての子供と言っても女の子で育てやすいせいか、家事と育児の合間に本を読んだりネットで遊ぶ余裕もありそう……どころか、内職くらいは出来そうな勢い。娘が「ねんねの赤ちゃん」を卒業して、自分で動くようになったら目が離せなくなって、そうも言っていられないのだろうけれど。

現在、いささか元気が余り気味で、娘が1ヶ月検診を終えて外に連れ出せるようになるのが楽しみで仕方がない。

産後欝…どころか産後躁状態の今日この頃。毎日が楽しくって仕方が無い。出産後のハイテンションでそうなっているだけかも知れないけれど、しばらくは暢気に生活させてもらうかな……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月26日(金) 出産のこと【3】

昨日までの日記で出産の経緯は書き終わったのだけど、今日は少しだけ書き加えたいことなど。出産前に想像していた「出産の知識」と「実際の出産」のギャップについて。

出産前、本読み虫の私は「小説等に表現される出産シーンと実際の出産はどれくらい似ているのか」ってことを検証するのが楽しみでならなかった。女性作家さんの描く出産シーンでは「股の間で鮮魚が跳ねたような……」とか「ぬるりと温かい塊が云々…」とか「最後の力を振り絞った瞬間に……」なんて描き方がされていて、自分はどのパターンに属するんだろう……なんて想像していたのだけれど、実際はどのパターンにも当てはまらなかった。

また出産の痛みを説明する時に「鼻の穴から西瓜を出すよなう」とか「大きなウンコをするような」とか「腰をハンマーで殴られたような」とか「下痢(生理痛)を100倍強烈にした感じ」なんて表現が使われるけれど、正直どれもピンとこなかった。

陣痛が不規則だったこともあり「ウンコをしたい感覚」には見舞われなかったし、辛いと言えば辛いけど「最後のを振り絞って云々」というほどの格闘も無かった。助産士さんの指示通りに呼吸したり、力を入れたりするのに無我夢中で、ハッっと気が付いたら「赤ちゃん出てきましたよ」との声と同時に産声が聞こえていた……といえ感じだった。

結局のところ、出産ってのは産まれてくる子供の数だけパターンがあるので、どの出産も似ているようで似ていないのだろうなぁ……って事を思った。だから、もしこれから出産する人から「出産ってどんな感じ?」と聞かれても私には説明することは出来ないだろうと思う。私や私が係わる大切な人達や、あるいは全く係わりあう事のない人達も、それぞれの形でこの世に生を受けたのだなぁ……と思うと感慨深い。

そして最後にもう1つ。「女は子供を産んで一人前」って言う価値観の人がいて、私も出産したらそう思ってしまうんじゃないかと危惧していたけれど、そんな事は無かった。それが私にとって人生のビッグイベントであったって事も、感動したのも事実だが、それまでの生き方や価値観をひっくり返すほどの出来事では無かった。

こんな風に書くと「女は子供を産んで一人前」と言う人から非難されそうだが、出産は経験値の1つとして人生が豊かになるかも知れないけれど、たぶんそれは海外旅行に行った事がある人と無い人の違いくらいじゃないかと思う。

これから始まる(すでに始まっている)子育てにつては、まだ始まったばかりで、何某かを書くことは出来ないけれど「出産」という事だけを取り上げて書いてみると、私の感じた事はこんな感じだった……って事で出産についての覚書きを〆てみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月25日(木) 出産のこと【2】

分娩室に入った私は、もはや「まな板の上の鯉」も同然だった。ここまで来たら産むしかない。産むには助産士さんの指示に従うしかない。

まめまめしく夫が介助してくれる中、頭の中では母親教室で教わった事を復唱しつつ、出産に挑んだ。出産にはエネルギーがいるから分娩室では飲食OKだった。長期戦に備えて、お茶とおにぎりを用意していたが、おにぎりを食べるどころではなくて、お茶を飲むのが精一杯。用意したおにぎりは、ろくに夕食を取らなかった夫の夜食となった。

「初めての出産は1日がかりだと覚悟しておきなさいね」と聞かされていたのだが、私の場合は経産婦さん並のスピードで出産が進んでいった。途中、助産士さんから「ここまできて声を我慢出来るなんて辛抱強いですね」と、お誉めの言葉を戴くが「だって母親教室で声出すな…って言ってたじゃないですか」と突っ込みたくて仕方がなかった。が、流石に突っ込みを入れる余裕などあるはずもなく、痛みを逃すのに必死だった。

ちなみに母親教室ては「声を出すと体力を使うばかりで力が逃げるから声は出さない」「いきんで良いタイミングが来るまで痛みを逃す」「決して目を瞑らない」の3点を強く言われていた。「そうしないと、お母さんだけでなく赤ちゃんがしんどくなりますよ」とも聞かされたので、私は生真面目に遵守していたのだ。

それにしても感心したのは、助産士さんの「産ませる技術の高さ」だった。母親教室で受けた注意事項は理にかなっていたし、言葉がけ1つ取っても産婦を上手く導く素晴らしい物だった。私は必死ながらも「素晴らしい技術だなぁ」と、つくづく感心していた。分娩室に入って4時間と少し。11日の午前3時15分に娘を出産した。産声を聞いた時は嬉しいよりもホッとした。小さいながらも元気な赤ん坊だった。胸の上にヒョイと乗せられた産まれたての赤ん坊はグロテスクで可愛いとは言い難い様相をしているのに「可愛いなぁ」と思えたのが不思議だった。

夫はビデオで娘が産後の処置を受けているところを撮影。私は胎盤を出したり、処置を受けたり。出産って赤ん坊が出てきて終了…ではないのだ。赤ん坊が出てきてからも、案外辛くて、痛みから解放されたのは臍の緒を切られ、産湯を戴いた娘を連れてきてもらった頃だった。

出産の瞬間は感動も何もあった物では無かったけれど、初乳を与えた時はグッっと来た。低体重児で小さいながらも、逞しく乳を吸っている娘の姿を見て「ちゃんと生きてるんだなぁ」と心底嬉しかった。不器用に乳を吸う娘の姿は、きっと一生忘れないと思う。

……ってな感じで、出産についてサラッっと書いてみた訳だけど、まだ少し書き足りない事があったりする。それらの事柄については次回に続く……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月23日(火) 出産のこと【1】

入院生活について少しずつ書いていると言うのに、そう言えば最大のイベントとも言える出産については、ほとんど触れていなかった……ってことに、今さらながら気が付いた。

あの時のことを思い返すと今でも感動が押し寄せてくる……と書きたいところなのだけど、実はそうでも無かったりする。大変だったし辛かったけど、ものすごい勢いで記憶が薄れているのだ。出産前まで体調がイマイチだったり、早産だのなんだのといったプレッシャーがあったりしたので「出産」よりも「それまでの日々」の方が大変だったように思えてならないのだ。

記録として書いておくなら、こんな感じ。

娘の出産は陣痛からのスタートではなく破水からはじまった。スタートは10月10日の午前中。それも破水とは分かりにくい高位破水だったので「これって破水かな?」と様子を見つつ、いちおう玄関に入院セットを準備して待機。「たぶん破水だ」と核心して病院に連絡したところに、タイミング良く乙女な母が覗きにやって来た。乙女な母と2人、タクシーを呼んで病院へ。破水と診断されたのでそのまま入院。入院したのは正午頃。乙女な母には午後3時頃に帰宅してもらう。

抗生剤の投薬と点滴を受けつつ陣痛を待つが気配無し。夕方、主治医から「明日の朝までに陣痛がはじまらなければ促進剤を使います」との説明を受ける。夕方からやっと「陣痛かな?」という痛みが来るが、本格的な陣痛には至らず。夜、仕事を終えた夫が来てくれた頃にやっと痛みが本格化。

しかし、痛みに規則性はなく、出産前からの腰痛が痛いのか、お腹が痛いのか判別がつかず、しかも我慢出来ないほどの痛みでは無かった。状態を説明すると「これは陣痛じゃないですね。前駆陣痛だと思います」とガッカリな診断。「前駆陣痛でこんなに痛いなら、本当の陣痛は、どんだけ〜」と少しびびる。「念のため機械で測ってみましょうか」と測ってもらったら、どうやら陣痛だということが判明。子宮口もガッツリ開いていて「こりゃ大変。分娩室に行かなくちゃ」となったのが午後11時過ぎ。

病室から分娩室に行く途中、車椅子に乗った私は促進剤を使わずに出産がはじまってホッっとしていた。痛いし大変なはずなのに、心の中で「やれやれ」などと呟いていたのだ。分娩室に行ってからのことは次回に続く……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月22日(月) 赤ん坊のいる生活

入院生活について、もう少し書きたい事はあるのだけど、今日は近況について。

娘が産まれて今日で11日目。母娘共々、ちょっと慣れてきたように思う。日々、変化していく娘を見るのはかなり面白い。

私も少しずつ回復している。産後の肥立ちは良い方だと思うのだけど、自分が思っているよりはシャッキリしていないらしく、週末に娘を見にきてくれた親戚のお相手をしたら、それだけでフラフラになってしまった。色々な人から「産後ひと月は無理しちゃ駄目」と言われたけれど、なるほど納得。日記をPCから更新出来るのは、もう少し先の事になりそう。

フラフラ…と言えば、赤ん坊を母乳で育てるのなら、かなり頑張って食事をしないと、すぐにフラフラになのだ…って事も実感した。ありがたい事に母乳は充分過ぎるほど出ていて、新生児ならもう1人育てられそうな勢いで、大絶賛製造中。

それにしても、赤ん坊が母乳やミルクだけで育っていくのが不思議でならない。娘は私の母乳だけを頼りに生きているのだなぁ…と思うと、娘がいっそう愛しく思える。娘は私と夫の子供だけど、母乳を与える喜びは私だけのもの。なんだか得しちゃった気分だ。

育児は始まったばかりで、大変な事に遭遇していないせいか、今のところは娘可愛さが先に立っている感じ。寝不足等大変…と言えばそうのだけど想像していたより辛くは無かった。この余裕がずっと続くとは思えないけれど、しばらくは娘との密着生活を単純に楽しみたいと思う。

赤ん坊のいる生活って、いいもんだ。

少し、くたびれてきたので、これを書き終えたら夜に備えて少し昼寝でもするかなぁ。くたびれながらも楽しい毎日…って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月19日(金) 病院で働く人々

入院中、母乳指導が厳しくて「母乳部」などと茶化してみたりしたけれど、それはそれとして、病院のスタッフには心から感謝している。

産婦人科は人手不足だと聞いていたけれど、実際に自分が入院してみてスタッフの少なさを実感した。お世話になった病院は出産の受付を制限していて、妊娠に気付くのが遅れようものなら出産を断られてしまうのだけど、そうでもしなければ、やっていけないのだと思う。

私が娘を出産した日に病院で産声を上げた赤ん坊は5人。もちろん時間差はあるのだけど、助産士さんやドクターは分娩室を行ったり来たりしていた。5人全員がスムーズな出産ならまだしも、命のやり取りをするようなケースもあっただろう。少ないスタッフで、いくつもの出産をこなすのは相当キツいと思われる。

また、病棟スタッフの数も少ないように思った。スタッフはいつも早足。傍目から見ていて「目一杯頑張ってます」と言うのが見て取れるのに、合間に看護実習生の指導も受け入れていた。自分の仕事をしながら人を教えるのはエネルギーがいるって事は私も理解出来るので「大変だなぁ」とて、彼等の仕事を眺めていた。

それでも彼等は笑顔でいるのだ。仕事だから当たり前…と言ってしまえば、それまでだけど、そうそう出来る事では無いと思う。大変な仕事に従事しているのだから、それに見合った収入があると良いのだけど。

退院の挨拶をする時、ナースステーションには1人の看護士さんしかいなかった。「お世話になりました」と頭を下げたが、本当はお世話になった全ての人に頭を下げたかった。

今の私のするべき事は娘を育てる事だけど、いつか自分がしてもらった事を何かの形でお返ししたいと思う。

娘を抱っこして、お乳を飲ませる時の幸せは表現出来ないくらいに強烈なものだ。この幸せは自分1人の力によるものでは無いって事を忘れないようにしなくては。お世話になった病院の人々に心から感謝しつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月17日(水) ズタボロな人達

初めての妊娠…って事で、出産前は妊婦の情報交換サイトをちょくちょく覗いていた。深刻な悩み相談もあれば、そうでない物もあり、後者で特に印象深かったのは「入院中の服装とか化粧はどうしますか?」と言う質問。

妊婦とは言ったって、女性なら身なりは気になるもの。まして出産したら、お祝いに駆け付けてくれる人もいる訳で「見苦しい自分は見せたくない」って気持ちは当然の事。そして、その質問への解答はこうだった。

出産後は身体がしんどくて、そんなの気にする余裕はありません。お見舞いに来る人は赤ちゃんの顔を見に来るのだから、あなたの顔なんてどうでも良いのです。そんな事気にしなくても問題ありません。

しかし私は、この回答が信じられなかった。ちまたで見掛ける赤ちゃん連れの若い母親達は独身の娘さんと見紛うほどに小綺麗な人が多いのだ。私自身はそう言うタイプじゃないけれど、入院中も案外綺麗な人だっているんじゃないかなぁ…と思っていたのだ。

果たして現実は……と言うと、回答者の言う通りだった。出産を終えた母親達は、みな一様にズタボロで我が子にお乳を与えるのが精一杯で、自分の身なりどころでは無いようだった。

もっとも、私が入院していたのはNICUのある総合病院だったから、お洒落な産婦人科病院に較べると「出産が大変だった産婦」が多かったのかも知れないので断言は出来ないが、命を産み落とすのは、母体がズタボロになるくらいエネルギーがいる事なのだなぁ…と思った。

私は夫立ち会いで出産したのだが、夫は義母に出産を報告した際「自分も、あんな風にして産んでくれたかと思うと、本当にありがたい。産んでくれてありがとう」と言ったらしい。退院に駆け付けてくれた義母が嬉しそうに教えてくれた。

女性はズタボロになって命を産み落とすのに、いつしか出産の辛さを忘れ、再び、三度と出産に挑む逞しさも備えているのだから不思議だなぁ…と思う。赤ちゃん連れの綺麗な母親達もズタボロだった時期があるのかと思うと、ちょっと微笑ましいようにも思う。

私は明日で産後1週間。乙女な母に手伝ってもらいつつ、育児メインで家事を少々。まだ寝たり起きたり…って感じだけど、身体がシャンとしたら、バリバリ用事がしたいなぁ。今しばらくは甘えさせてもらって、早いとこ回復したいなぁ…って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月16日(火) 激闘!母乳部!

今日から入院生活で感じた事を少しずつ書いていけたらなぁ…と思う。出産のための入院なんて滅多に無い経験なので。

入院中、最も印象深かったのは出産…ではなく、出産後から退院まで続いた母乳指導だった。母乳なんて赤ん坊を産んだら出る物…ではあるけれど、全ての産婦に母乳育児が出来る訳ではなく、入院中はスムーズに母乳が出るよう指導が行われる。

初産婦は母乳が出にくかったり、赤ん坊に母乳を飲ませるのが下手くそなため、乳首を傷付けてしまったりする。私もセオリー通りの失敗に悩まされた。おかげさまで、なんとか母乳オンリーで育児が出来そうなところまで漕ぎ着けたが、熱血指導に辟易する事も多かった。

指導の熱さは運動部のようで、なんだか母娘で「母乳部」の合宿に参加しているような気分になってしまった。病棟には何人か助産士さんがいるのだが、それぞれに個性的で、中には「それは行き過ぎでは?」と思うような人もいた。

ある助産士さんからは「とにかく母乳だけ飲ませなさい。乳首から血が出たら止めてもいいけどね。乳首からの出血か、赤ちゃんからの出血か分からないと困るから」と言われてドン引き。最近は乳首に傷がある時は保護カバーをかぶせる…って方法があるのに「血が出るまで」なんて、あんまりだ。上手くいかなくて煮詰まっている人なら「だったら、もうミルクでいいや」って思っちゃうだろうに。

母乳スパルタ派がいるかと思えば、赤ん坊の体重増加に命をかけるミルク礼賛派もいて、さっき母乳を飲ませて寝かせた子を無理矢理起こして哺乳瓶を口に突っ込み「体重を増やさないといけないんだから、時間ごとにミルクを飲ませなきゃ駄目でしょ」と言う人もいた。そこまでしなきゃ生命が危ないなら理解出来るが、なんだかなぁ…と思ったり。

大抵の助産士さんは許容範囲内でだったけれど、それでも全般的にスパルタちっくなムードがあった。

母乳は母親と赤ん坊が共に頑張って作るのだ。私も頑張ったが娘もよく頑張った。なんとか母乳部の合宿を終える事が出来て嬉しい限りだ。厳しかったが、その分慣れたし自信もついた。

今日は乙女な母が付き添ってくれて午後、退院する。義母は、お赤飯と鯛を持って駆け付けてくれるとの事。

ありがとう母乳部。さよなら母乳部…って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月15日(月) 退院前夜

今日は私と娘の退院前診察があった。母子共に順調で予定通り明日、退院出来るようだ。娘は低体重児なので、一緒に退院出来るか少し心配だったけど、まったく問題無いらしい。

今日は娘が診察や沐浴で居ないスキに、安静生活中から書いていた日記に、ここ数日の記録を書いたついでに、娘にあてたメッセージを書いてみた。(日記は遠い将来、娘に渡そうと思っている)

安静日記を読み返して、今日までの事を振り返っていたら、たまらなくなって1人ベッドで泣いてしまった。安静を言い渡された時も、出産した時でさえ泣かなかったのに。

「私と夫の子供になってくれてありがとう」

明日から我が家で、親子3人で生活出来るのだと思うと、これを書いている今でさえ、涙が込み上げてくる。嬉しくって泣けてくるのだ。

私達を支えてくれた人達には、どんなに感謝したって、足りないくらいだ。主治医をはじめとした病院のスタッフ、家族や親戚、友人、知人。電車で席を譲ってくれた見知らぬ紳士。娘が無事にここまで来られたのは自分達夫婦の力だけじゃない…って事を肝に命じておこう。

そんなこんなで、今夜は感慨深く病院で夜を過ごしているのだが、育児が本格的にスタートしたら感慨に浸っている余裕なんて無いのだろうなぁ。

しっとりモードは今日を持ってオシマイ。明日からは、しっかり前を見てブリバリ育児に励みつつ、家族3人、愉快に暮らしたいなぁ…って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月14日(日) 思わぬ弱点

自分で言うと鼻に付くけど、私は真面目で優等生な産婦だと思う。

出産の時も「辛抱強いですね」と、お誉めの言葉を戴いたし、母乳指導についても「頑張ってたのが分かりますよ。完全母乳で頑張れるそうですよ」と言われた。しかし、これは体質が左右する部分が多いので、いちがいに私が頑張っているから…とは言い難いが、一生懸命取組んでいるのも事実だ。娘のために…と言う思いもあるし、自分自身のためだと言う気持ちもある。

「頑張ってるよ! 頑張ってる自分エライ!」と自画自賛したいところだが、このたびの入院生活で、私には情けない弱点がある事を思い知らされた。

どうやら私は「管理」とか「拘束」が滅法苦手で「自由が無い」って事に極度のストレスを感じるらしい。

安静生活を送っていた時だって、自由は無かった。が、あの時は自宅静養だったから動けないなりに自分自身で工夫したり、落ち込みがちな気持ちをなだめたりする事が出来たのだ。しかし病院での生活となるとそうはいかない。

母子同室…って事で、娘と一緒に過ごせるのは良いのだけど、自分でミルクを作れる訳でもなく、当然ながら全ての事柄が病院のペースで進んでいく。「早く家に帰りたいなぁ。規則は分かるけど、娘のペースに合わしてあげたいのになぁ」と、2日目あたりからホームシックで「あと○日で退院…」などと、退院までの日を数えはじめる始末。

我が家が恋しくてたまらない。

私は個室に入らせてもらっているので、大部屋の事を思えば、随分気ままにやっている。大部屋だったら、夜中の授乳やオムツ交換の時、我が子に言葉をかけるのにも気を使うのだろうなぁ…と思うと、大部屋で頑張っているお母さん達が眩しくて仕方がない。

わずか6日間ほどの入院なのに、いい年してホームシックだなんて恥ずかしい。今まで、どれだけ我儘かつ気ままに過ごしていたかを身に染みて思い知らされた。

退院は明後日の午後。

ホームシックだなんて舐めた事言ってる場合では無いなぁ。帰宅してからの方が大変だろうし。気持ちをシャンと持たねば。病院で過ごす夜も、あと2晩。こんな気持ちも思い出になっていくのだろうなぁ…って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月13日(土) 新人母親生活

新人母親生活スタート。

お世話になっている病院は「母子同室」と言って、赤ん坊と母親が同じ部屋にいて、母親が赤ん坊のお世話をするシステムになっているので、初日から眠れませんでした。授乳は3時間おき…なんてマニュアル通りにいくはずもなく、はじめて育児をする母親達が通ってきただろう道を、私も爆走しています。

幸せには違いないのですが、やはり大変です。まだ身体が回復していないところに慣れない育児。「赤ちゃんの顔を見てたら、しんどさなんて、これっぽっちも感じないわ」なんて嘘八百は言いますまい。しんどい物は、しんどい。

……が、体調悪くてギリギリなのに出勤&残業していた頃や、娘が無事に産まれてくるかどうかも分からずに不安で一杯だった安静生活の事を思えば、屁のカッパなのも事実だったりします。

娘は人間1年生。私は母親1年生。最初から上手く出来っこないさと心得て、慣れない者同士、仲良くやっていきたいものです。

イラッとする事もありますが「自分を囲む世界は天下太平」と言う面持ちの娘を見ていると、イラつくのがバカバカしい事のように思えます。見ため云々…って意味じゃない可愛いらしさに、やられ気味です。

どうやら私も人並に親馬鹿のようです。

このたびは、沢山のお祝いメールありがとうございました。嬉しく拝読させていただきました。気にかけてくださった事、娘の無事を喜んでくださる事、ありがたくて泣けてきました。戴いたメールには、それぞれにお返事する主義ではありますが、今回ばかりは我儘させていただきます。恐縮ですが、この場を借りてお礼申上げます。ありがとうございました。

新人母親生活は始まったばかり。今はまだ余裕な発言をしていますが果たしていつまで続くやら。「お母さんになった喜び」を忘れないよう頑張って行きたいなぁ…って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月11日(木) 出産しました

今日、午前3時15分。女の子を出産しました。2350グラムとチビッコですが、よく泣き、しっかりお乳を飲む元気な子です。

妊娠中はトラブル続きで何かと心配ばかりしていましたが、出産自体は超安産でした。予定日超過で、来週には促進剤を使う予定でしたが、自然な形で出産出来ました。経産婦さん並のスピード出産で、思いがけず楽をさせてもらいました。

ドラマなんかによくあるように、出産したら泣いちゃうかと思っていましたが涙は出ませんでした。出産直後に出た言葉は「ありがとうございました」でした。それは助産師さんや担当医への言葉でもあったのですが、とにかく無事に産まれてきてくれた事に対して、何に対してだか分からないけれど感謝の気持ちでいっぱいになってしまったのです。

お世話になっている病院は母子同室制なので、今日から娘との生活がはじまりました。月並みですが、可愛くてたまりません。と同時に、自分の腕に抱いている娘が少し前まで、お腹にいただなんて信じられなかったりもします。

しばらく日記は不定期化するかも知れませんが、自分自身の記録として、ボチボチ書ければなぁ…と思っています。まずは娘の世話と自分の身体の回復を第一に考えていくつもりです。

今日は今までの人生で1番嬉しい日となりました。感謝の気持ちでいっぱいです。今日感じた喜びは一生物の宝物だなぁ…なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月09日(火) 待つのも仕事

今日は出産予定日超過の検診日。

お腹の娘は異常無し。ご機嫌で過ごしているらしい。出産がはじまる条件は充分過ぎるほど満たしているとのこと。「どうして、陣痛始まらないかなぁ」と主治医談。ここまで来たら、のんびり待つ覚悟は出来ているのだけれど、今週中に生まれなければ少々強引に出てきてもらわないといけないらしい。3日後の検診までに産まれていなければ促進剤云々の説明を受けて、来週には出産することになりそうだ。

お腹の娘にとっても私にとっても自然な形での出産するに越した事はないので、そろそろ出てきて欲しいところだ。散歩も床掃除も頑張っているのだけれどなぁ。「のんびりするのも良いけれど、引っ張り出される前に自分の意思で出て来てちょうだいね」と娘にお願いしてみた。

それにしても、お腹の中って、どれくらい居心地の良いものなのだろう?

出産予定日を過ぎると羊水が濁ってきたりして、子宮の中の環境は少しずつ悪くなってくるそうだけど、今のところは大丈夫みたいだ。お腹の娘がニョロニョロと機嫌よく動いているってことは、いい感じなのだろうなぁ。自分が生きているってことは、お腹の娘が気持ちよく過ごしている…ってことに繋がるのかと思うと、嬉しいような、ありがたいような、なんとも言い難い気持ちが込み上げてくる。

のんびり屋の娘が、いつその気になってくれるかサッパリ分からないけれど、待つのも仕事と心得て、その瞬間を待ちましょうかねぇ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月08日(月) なんでもない休日

今日は朝からお天気いまいち。出産の気配無し。

午前中は雨。午後からも、どんより曇り空。出掛ける気にもなれず、かといって何かに取り組む気にもなれず。夫がDSでゲームをしている横で本を読んだりゴロゴロしたり。手持ち無沙汰で退屈なのでトイレ掃除をしてみたり。湿度が高くて天気が悪いと「頑張ろう」って気分になれないから不思議だ。

あまりにも気が晴れないので、せめて美味しいおやつが食べたいと、冷やし白玉ぜんざいを作ることに。小豆は缶詰。白玉は自作。耳たぶの固さに白玉粉を練って丸め、お湯の沸いた鍋にポンポンと落としていく作業は、ちょっと楽しい。浮き上がってきた白玉はつるんとして可愛い。ガラスの器に入れたあんこの上に冷やした白玉を乗せたら冷やし白玉ぜんざい出来上がり。

三時のおやつに夫と2人で冷やし白玉ぜんざいを食べた。甘い物を食べると心が和むような気がする。家で作ったおやつは特に。たった、それだけのことなのにダラダラした気分が一掃されたので外に出掛けることにした。

書棚から溢れている本や漫画をまとめてブックオフまで。夫は自転車の前カゴと荷台に本を載せ、背中のディバッグにも本を詰め、私は小さな布の鞄を持って湿気った道をボチボチ歩いた。ブックオフに持ち込んだ本で値段のついたものは70冊。あとは廃棄処分をお願いした。帰り道、リサイクルショップを覗いて赤ちゃん用品のリサーチなど。まだ用意していないけれど、そのうち必要になりそうな物の値段を確認してきた。

夕食後、夫とお茶を飲みながら「それなりに良い1日だったねぇ」なんて話をした。昨日みたいに遊びに行くのも良いけれど、なんでもない休日ってのも楽しいものだ。夫は明日から1週間スタート。私は明日検診日。良い1週間になりますように……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月07日(日) てくてく遠足

お腹の娘はまだ産まれてくれる気が無いらしい。主治医から「しっかり歩きなさい」と言われている事だし……とて、今日は夫と2人で遠足へ出掛けた。

遠足と言っても今日は朝寝坊気味だったし、何よりも病院からあまり遠いところへ行く訳にはいかないので、ゆっくりペースで1時間ほど歩いたところにある河川敷へ行くことに。リックサックにお握りとお茶を入れて、てくてく出発。今日の大阪は雲が多めだったので、少し暑かったものの、歩くのには丁度良かった。

河川敷は私達以外にも家族連れ何組かいてもお弁当を食べたり、ボール遊びをしたりしていた。赤ちゃん連れのご家族もいて「私達もあんな風になるのかなぁ」なんてことを思ったりしつつ、お握りを頬張った。娘が産まれたら今度は家族3人で遊びに来なくては。自然を感じられる場所にいると、なにげにホッっとさせられる。

昼食の後は天満宮まで足を伸ばした。ちょっぴり田舎びた街並を歩いている途中、3つばかり秋祭りに遭遇した。布団太鼓が練り歩いていたり、神社で子供達が遊んでいたり。自分の地域のお祭りも良いけれど、傍観者として見るお祭りも悪くない。

天満宮で「いい子が生まれますように」とお祈りをした。帰り道々、鄙びた商店街のパン屋さんで食パンを購入。知らない街のパン屋さんって、ちょっと面白い。店主と思しき男性がラジオを聴きながら店番をしていた。1斤160円也。明日の朝がとても楽しみ。帰りは歩きではなく電車を利用。いっきに地元駅へ戻り、てくてく遠足は無事終了。

取り立てて観光をした訳でも無かったけれど、なかなか楽しい遠足だった。心身共にリフレッシュ。こういう地味な遠足も良いなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月06日(土) 予定日超過

今日は本当ならお腹の娘が産まれてくるであろう日。しかし全く気配無し。「頼むから 出てきてくれよ 娘さん」と呟きつつ、朝からせっせと床磨き。夜勤明けで帰宅した夫と「ついに予定日だね」とて顔を見合わせて、複雑な思いに駆られた。

今日は乙女な母の買い物にお付き合い。「ちょっと付き合ってくれる?」ってのは名目で、気分転換に連れ出してくれたのだ。地元百貨店の近くにあるインド料理屋さんでカレーランチなど。古くからあるインド料理屋さんなのだけど入るのは初めて。インド人のマスターが「はじめてですね?」とあれこれ話しかけてくれた。お料理は文句無しの美味しさ。帰り際に「おめでたですか? 今度は赤ちゃんと一緒に来てください」と声をかけられてジーンとした。娘が産まれたら絶対に連れてこよう…と心に誓う。

昼食後、百貨店で乙女な母の買い物を済ませた。産まれてくる娘のための用意はもう済んでいるので、今日はそのテの買い物はしないだろうと思っていたのに、乙女な母は足取りも軽く呉服売り場へ。なんと七五三の着物の偵察だった。乙女な母、まだ産まれてもいない孫娘のための着物を熱心にリサーチ。「子供なんてアッっと言う間に大きくなるからねぇ」と、乙女な母はひとりごと。とても嬉しそうだった。

用事を済ませた後、催し物会場の『北海道展』を冷やかし、食品を少し購入後、帰路に着いた。出産予定日を経過して、少しばかり気持ちが沈み気味だったので今日のお誘いは有難かった。近親者からの「まだ産まれないの?」コールはいっそう激しく、私自身「そろそろ出できてくれないかなぁ」と思っていて、煮詰まり気味だったのだ。乙女な母のお誘いは良い気分転換になった。

出産予定日を過ぎて少しジリジリしているものの「夫が夜勤の深夜に出産」という事体を回避出来たのぱ良かった。娘を抱く日はそう遠くないのだろうけれど待ち遠しくてたまらないなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月05日(金) 次は火曜日

今日は切腹(帝王切開)の申し渡し覚悟で検診に臨んだ。

結果……すぐに切腹って事だけは免れた。少しホッとする。この調子で産まれなければ分からないけれど、しばらくは様子見と言ったところ。良かった探しをするならば、のんびりお腹にいてくれたので、小さめの娘がまた少し大きくなった事だろう。未熟児ギリギリのところまで育ってくれたようだ。これは文句無しに嬉しい。「母も頑張るから、あなたも頑張りなさい」とお腹の娘に言い聞かせつつ帰宅した。

次の検診は来週火曜日。それまでに産まれてくれると嬉しいんだけどなぁ。

ホッとしたせいか、帰宅したら口をきくのも億劫なほど草臥れていて、夕方までお昼寝。出掛ける前に夕食の段取りをしておいて良かった。今日の献立は秋刀魚、薩摩芋の甘露煮、ほうれん草のお浸し、白菜と人参のお味噌汁など。秋刀魚に薩摩芋……何気に秋仕様。

なんとなく、まだボーッと呆け気味。窓から入ってくる風が心地良くて、もうちょっとボーッとしているつもり。妊娠生活はまだ少し続きそうだし、1日1日を大切に過ごさねばなぁ。シャキッっとしたら秋刀魚を焼かねば……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月04日(木) 予定外検診

「いつ産まれても不思議ではない状態です」と言われて2週間。「1週間以内に出産だと思います。次の検診はないと思います」と言われて1週間。どちらの予言もことごとく外れ、明日はまた検診日がやって来る。

明日は骨盤のレントゲン等、いくつか検査をするらしい。断言された訳では無いのだけれど、明日の検査の結果によっては帝王切開や誘発剤を使った出産の可能性もあるようだ。自然な形で出産したい…というが正直な気持ち。お腹の娘に向かって「のんびりも良いけれど、そろそろ出てきてくれないかな?」と語りかけること数回。明日の検診までに産気づく……なんて逆転劇があると良いけど。

しかし、私は分かっているのだ。最終目標は元気な状態で娘をこの世に送り出してあげることだって事を。少しでも楽な出産をする事でもなければ、私が納得の出来る出産をする事でもない。手段はどうあれ、娘にとって安全な出産が最高の出産なのだ。

……とは言うものの、ちょっぴり未練は捨てがたい。逆転劇を祈るばかり。

もっとも検査の結果によっては、もう少し猶予があるかも知れないのだから、今から思い煩うのは早計と言うものだ。それに、こればかりは、なるようにしかならないのだ。全てはお腹の娘のご機嫌次第。

昨日はダラ妊婦に徹したおかげで今日は少し元気になった。お掃除だの散歩なども通常通りに。昨日の夕食は手抜きだったので、今日は夫の好きな献立に。炊き込みご飯、高野豆腐の炊き合せ、長ししとうのオカカ炒め、ホッケの開き、根菜のお味噌汁など。出産したらしばらくは手の込んだ料理は作れないだろうから、料理を楽しんでおかねば。炊き込みご飯ではなくて、栗おこわにすれば良かったかと少し後悔。

そんなこんなで明日は「無い」と言われた検診日。行きしなに文庫本でも買いましょうかね……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月03日(水) ダラ妊婦

昨夜は、お腹が苦しくて一睡も出来なかった。

妊娠経験の無い人にその感覚を説明するのは難しいけれど、妊婦に起きる症状の1つに「お腹が張る」というのがある。「食べ過ぎて苦しい」って状態をパワフルにした感じ。子宮が収縮している時「お腹が張る」と感じるらしい。出産が近くなると、お腹が張る回数が増えてゆき、やがて陣痛が起こるのだが、昨夜はひたすらにお腹が張って眠りたくても眠れなかった。

昼夜逆転生活になると辛いので、よく眠れない時も昼間は起きて活動するようにしているのだけど、今日は朝から身体がダルくてそれどころではなかった。夜勤明けの夫の横で朝寝。正午を随分と過ぎて目が覚めた。服に着替えてみたものの、散歩に出掛ける気にもなれず、家事をする気にもなれず。今日は1日ダラダラ過ごすことに決めた。

思えば安静生活から脱出してから今日まで、ちょっとシャカリキ過ぎたかも知れない。

出産が近づくと多くの妊婦は出産が軽くなるようにと「しっかり歩きなさい」「床掃除などをしなさい」と指導を受ける。それまで安静に寝てばかりいた私は「身体を動かせる」ってことが嬉しかったし「出産(娘)のために自分自身で頑張れることがある」ってことにやり甲斐のような物を感じていたので、それはそれは生真面目に散歩だの掃除だのに務めてきた。おかげで家中ピカピカである。

だけど、よくよく考えてみたらそこまで頑張らなくても良かったのだ。私自身が元気でいないと、お腹の娘を元気に産んでやれないのだから。何かに熱中するのは良いことだけど、ちょっと煮詰まり過ぎの感がある。

そんな訳で今日は夕食も手抜きにしてダラ妊婦に徹しようと思う。散歩も床掃除もまた明日。ゴロゴロしながら本でも読んで過ごしましょう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月02日(火) 脳漏れ…とか。

最近「脳漏れ」が激しくて困る。

我が家では物忘れ系の失敗や「そりゃないぜ」と言うようなウッカリをやらかしてしまうことを「脳漏れ」と呼んでいる。「ふとした拍子に脳漏れ」ちなみに言い出したのは夫だ。

昨日は実家に携帯電話を置き忘れた。そして今日は帽子を置き忘れた上に、拭き掃除の時に玄関のインターホンに通じる電話の受話器をちゃんと掛けずにいたため、1日中インターホンが使えなかった。今日はチャイムを使わずに、直接声をかけてくれる人が多いなぁ……と思っていたのだが、チャイムが鳴らなかったのだ。

なんとなく気がそぞろで、1つの事に集中出来ていないのだと思う。

そろそろ周囲から「赤ちゃん産まれた?」コールが激しくなってきた。「それが、まだなんですよ」と何度言ったか分からない。今まで早産傾向だった上に、実際に身体の方はすでに出産体勢に入っていて、そろそろ産まれてもらいたいのだけど。

今日は乙女な母から「具合はどう?」と電話があった。実は乙女な母は今日が60歳のお誕生日だったのだ。

「もしかしたら孫と誕生日が一緒になるかも」なんてことを密かに期待していたらしい。私も、そうなったら良いなぁ……とは思っていたのだけれど。私自身、亡き曽祖父と誕生日が一緒で、曽祖父から熱愛された覚えがあるので、身内でお誕生日が一緒であることの良さを身を持って知っているのだ。

曽祖父は孫や曾孫を可愛がるようなタイプの人では無かった。洒落者の怠け者で「働くのは嫌いだから」ってだけの理由で40代から隠居生活に入り94歳まで気ままに生きた。自分勝手な人で「ダメンズ」の典型のような人だったとのこと。そんな彼が私だけを可愛がってくれたのは「自分と誕生日が一緒」だったから。お腹の娘にも、そういう楽しい繋がりがあると良いなぁ……と思っていたのだけれどなぁ。

しかしながら、笑える範囲の脳漏れなら良いけれど、大きな失敗をしないように気をつけなくちゃなぁ。明日は「慎重に行動する」を目標に1日を過ごしたいと思う……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年10月01日(月) 人間関係の変化

今日から夫は夜勤週間。お腹の娘はまだ出てくる気配無し。週末は2日続けて義母から電話がかかってきた。孫の誕生が待ち遠しくて、居てもたってもいられないのだろう。「おばあちゃんも首を長くして待ってることだし、そろそろ出できたら?」と、お腹の娘に語りかけてみるが、お腹の娘は知らん顔。

泣いても笑っても妊娠生活ももうすぐオシマイ。あらためて妊娠生活を振り返ってみると感慨深いものがある。嬉しかったことも多かったが、辛かったことも多かった。妊娠したことで人間関係が変わった。もっとも大きく変わったのは乙女な母との関係である。

妊娠したおかげで乙女な母との親密度は確実に増した。大きな要因は以下の3点。

1 自分が妊娠したことで「母親」の偉大さを知った。
2 乙女な母の気持ちを理解出来るようになった。
  (乙女な母は最初の子を死産していて、その関係の話とか…)
3 何かにつけて私に依存しがちだった乙女な母が
  自分でなんとかしよう…という意識を持つようになってくれた。

乙女な母は私にとって実の親ではあるけれど一緒にいて「しんどいなぁ」と感じることが多かったのだが、最近は少し楽になった。これは私が妊娠して良かったと思えるこの上位に位置する。これをキッカケにして、乙女な母と良い感じでやっていけたらなぁ……と思う。

ちなみに乙女な母だけでなく、義母や義兄一家との距離もグッっと縮まったような気がする。「子はカスガイ」と言うけれど、夫との関係は妊娠前と妊娠後で変わったようには思わない。大変な時期を一緒に過ごしたことで、信頼感や仲間意識のようなものは生まれたけれど、基本的なところは変わっていない。お腹の娘が繋いでくれたのは夫ではなく、乙女な母や義母や義兄一家だ。

こういう嬉しい変化って、ありがたいなぁ……と思う。産まれてくる娘のめにも良い人間関係を作っていきたいものだ。

それにしてもお腹の娘はいつになったら顔を見せてくれるのやら。夫のいない深夜に破水なんかしたら面倒だなぁ…と思っていたが、今となっては「それでも良いから早く顔を見せてね」なんてせっかちな事を思ったりする。その瞬間を心待ちにしつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


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白蓮 |MAILHP