リハビリ生活2日目。身体を慣らすのが、こんなに大変だとは思ってもみなかった。安静生活中は「安静が解除されたら、こっちのものだ」と思っていたのだけれど、甘かった…としか言いようがない。
今日も少し買い物に出掛けて、夫と家の掃除をちょこっとしただけでグッタリ。掃除…と言っても子供のお手伝いレベルだったと言うのに。不甲斐ないやら情けないやら。だが、出産までこうやってリハビリ期間があるというのはラッキーだったと思う。妊娠中のトラブルで、出産まで寝たきりで過ごして育児を開始する人も存外多いと聞いている。身体がシャンしないままでの育児はさぞかし大変なことだろう。妊娠は病気ではないし「案ずるより産むが易し」とは言うけれど、全ての人に当てはまる訳ではないのだと、しみじみ思う。
妊娠話ばかりになってしまうのだが、夫から「野良妊婦」という言葉を聞いた。1度も妊婦検診等を受けずに、かかり付けの病院もなく出産する時になって突然病院へ行く妊婦のことを指す言葉とのこと。奈良でたらい回しにされた妊婦さんなどは、このケースにあてはまるようだ。検診費が出せない等の理由から、意図的に検診に行かない妊婦がいることや、そういう妊婦は産み逃げ…あるいは産み捨てする可能性が高いと言うことは知識として知っていたけれど「野良妊婦」とは上手いこと言ったものだと感心してしまった。一般的な妊婦は鑑札付妊婦…って感じだろうか。もちろん私も鑑札付だ。
それにしても世の中には色々な人がいるものだなぁ。
妊娠して吃驚したことの1つに「赤ん坊っていうのは周囲から大切にされて生まれてくる」ってことがある。当事者夫婦はもちろんのこと、血縁者や友人、知人などからも祝福されたり、気遣ってもらったりして大切に大切に育まれるのだなぁ……と。私の場合はちょっとしたトラブルがあったから余計にそう思うのかも知れないけれど、周囲の気遣いはありがたかったし、だからこそ大切に育てたいと思った。
妊娠、出産って、そういう物だと思っていたけれど「野良妊婦」と呼ばれる人のお腹にいる赤ん坊が、一般的な妊婦のお腹にいる赤ん坊のように大切にされているとは思い難い。人は生まれる前から、これほどまでに違うものかと思うと哀しくてならない。
どの命も祝福され、大切に育てられて欲しいと思うのだけど。
なんとかならないものかと思うものの、自分のお腹にいる命を守り育てるだけで精一杯。口先で案じるばかりで自分では何一つ出来ないのが現状だ。ここにきて初めて、ナイチンゲールだのマザー・テレサだのの偉大さを思い知った。
いまはとにかく、お腹の娘を無事に出産することだけを考えて日々を過ごしていきたいと思う。そして出来ることなら、1人でも沢山の赤ん坊が祝福されて大切に育ててもらえるようにと願いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
安静生活が終了して今日から通常モード。2ヶ月も寝ていたので、身体のあちこちが萎えていて驚かされっぱなしの1日だった。
特に筋力の低下はおびただしくて、ふくらはぎを触ると羽二重餅のようにプニプニしている。昨日、病院帰りに駅から歩いただけで今日は筋肉痛になっていた。何をやっても疲れやすくて「無理しちゃ駄目だよ」と言われる以前に、思ったほど動けない……という感じ。ちょこっと家事をして横になり、散歩がてら出掛けてお昼寝をして。そうこうしていくうちに、また元に戻っていくのだろう。
安静生活中、自分で食事を作るのを楽しみにしていて、今日は朝から何を作ろうかとワクワクしていた。夫の好きなオカラを炊こうか…とか、鯵の南蛮漬けなんかもいいな…とか。だけど、自分の駄目駄目っぷりを思えば無理は禁物と簡単に出来るものにした。
本日の献立は「鯵の塩焼き・茄子・シメジ・ピーマンと豚肉のピリ辛炒め・南瓜の煮物・シメジと麩とワカメのお味噌汁・麦飯」など。
いたって地味なメニューだったが、夫が用意してくれたシャンメリーで乾杯をした。妊娠前の私なら子供向きのシャンメリーは甘過ぎて好きじゃないのだけれど、今は味覚が変わっていて甘い物が普段以上に大好きなので、甘ったるいシャンメリーがとても美味しく感じられた。夫は「人が作ってくれる料理」に感無量のようだった。地味ながらも豊かな夕食だったとか思う。
安静生活が終わったといっても、取り立てて何も出来なかったのだけど、すること成す事、いちいち感動的だった。箒を持って床を掃くとか、ツッカケをはいて玄関先に出るとか。少しずつ動いて身体を慣らしていきたいなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は検診日。前回、前々回と経過が思わしくなくてベコベコに凹んでいたのだけれど、臨月に入ったこともあり「どっからでも、かかってこい!」的な強気な姿勢で検診に臨んだ。
そして……お腹の娘は相変わらず小さめだった。ただ絶望的ではなくなってきたらしく、大きくなるペースが少し追いついてきた感じ。正産期に突入するので、服用していた薬は卒業することとなった。と同時に安静解除。「だからって無理しちゃ駄目ですよ」との忠告付きで「畳1畳の囚人生活」から解放される運びとなった。私の貧血は、まだ標準値には入らないものの、一時を思えばグッっと良くなっていた。レバーもりもり生活はまだまだ続けなくちゃね…という感じ。
長かった……ここまで辿りつくのは実に長かった。
安静生活が解除されたので電車で帰路についた。(往時はタクシー利用)その足で美容院へ飛び込み、落ち武者のようになった髪を短めに切ってもらった。いつもは無口な美容師さんが今日は饒舌だった。子供好きの人だったようだ。私よりも随分年長だと思うのだけど、お子さんが5歳とのことだから、私と同じく高齢出産をされたのだろうか。あれこれ気を使ってくれて、良い感じの髪型に仕上げてくれた。休憩がてらパン屋の2階でお昼を済ませ、スーパーに寄り道をして帰宅。
帰宅したらば、夜勤から戻った夫が起きてきたので「今までありがとう」と、ここまで漕ぎつけた喜びを分かち合った。夫の協力が無ければ、ここまで無事に来れなかったと思う。
そんな訳で、今日からは心穏かに妊娠生活を送ることが出来る。お腹の娘は小さめだけど「もう出てきても良いよ」ってところまで漕ぎつけたのだ。安静生活の間は不安と自分自身の不調とで悶々とした日々を過ごしていたけれど、今日から出産までは身も心ものんびり過ごしたいと思う。今日は嬉しくって仕方が無い。「ありがと〜」と言いながら、あちこち歩き回りたいくらいだ。
今日はここ2ヶ月のうちで、いっとう良い日だったなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
乙女な母の知人から梨をいただいた。鳥取の20世紀梨。農家から直接送ってもらったという梨は、たっぷりと水分を含んで美味だった。まだまだ暑い日が続いているけれど、季節は着実に移行しているらしい。つい、この間まで西瓜ばかり食べていたのに。
この夏は全く動けずに食事の支度も夫にまかせっきりだったので、例年よりも季節を感じることが少なかった。暑い中を通勤することもなく、毎日寝転がって天井とにらめっこ。暑いに暑いと感じ、寒い時に寒いと感じ、それ相応の生き方をするのが、あるべき姿なのだろうなぁ……と思う。
明日は検診で「もしかしたら安静生活解除かも」と今からワクワクしている。たとえ自由な身の上になっとしても、無理は出来ないし、そうこうしているうちに出産だろうから、自由を満喫するのは無理かも知れないけれど、まずは夏の間中、文句ひとつ言うことなく食事の支度をしてくれた夫に美味しいものを食べさせてあげたいなぁ……と思っている。
義姉から借りた『24』はセカンドシーズンまで見終わった。やっぱり私は好きじゃないかも。面白いとは思うのだけど、どうにも全編を通して流れているアメリカ的な価値観が肌に合わないと言うか。普段は、じっくりと考えたことも無いのだけれど「私は日本人なんだなぁ」と思わされることしきり。アメリカと日本、どちらの国の価値観が正しいとか、そう言う訳ではなくて、2つの国の間には大きな溝があるのだと実感せずにはいられない。
明日の検診、お腹の娘が元気に育ってくれていると良いのになぁ…と思う。前回、前々回では主治医から「小さ過ぎるな…」とイエローカードを喰らって凹んだのだけど、いまは「小さくてもいいや。とにかく産まれてきてくれたら頑張って育てるから」って気持ちでいる。お腹の娘のエコー写真を楽しみに検診を受けよう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
夫、夜勤週間。臨月に入ってからの夜勤って、ちょっとドキドキする。夫のいない深夜に産気づいちゃうと面倒だなぁ…と。
取り敢えず今週はまだ大丈夫だと思うのだけど、次の夜勤あたりは怪しさ満点。お腹の娘に「いつ出てきてくれても良いけれど、夜勤の夜は遠慮してね」と話し掛けている。
病院くらい1人でタクシーに乗っていけるが、深夜になるとタクシーを捕まえるのが難しいのだ。実家にいた頃、酔っ払った父を迎えに行かねばならず、深夜にタクシーを呼ぼうとして難儀した記憶がある。大阪市内なら深夜でもそれなりにタクシーが走っていそうだが、大阪と行ってもベッドタウンの田舎びた市だと、深夜はタクシーが激減するのだ。
念のためにタクシー会社に問い合わせてみたら、深夜2時を過ぎるとタイミングが悪ければ1〜2時間待たされる事もあるとの事。
どういった形で出産が始まるか分からないのだし、第一、夫が夜勤の深夜に始まるとも限らない。今からあれこれ思いわずらうのは馬鹿げているとは思うのだけど、チラリと不安になるのも事実だ。
どうにもならない場合は実家の愚弟に車を出してもらおうと思うのだけど、愚弟もまれに泊まりで仕事をする事があるのだ。なので、お昼間か、もしくは深夜でも夫のいる時に出産が始まると良いのになぁ……と思う。
まぁ、その場に立ってみれば案外どうにかなるのだろう。土壇場に立ってみてはじめて思いつく事だってあるだろうし。勿論、いつ何が起っても良いように、準備だけは万全にしている。
それにしても、ようやく指折り数えて待ちわびる…って感じになってきた。いまは安静にしていなくてはいけないので毎日寝てばかりだけど、娘が産まれたら、ぼんやりする時間も無いんだろうなぁ……なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
今さらながら『24』を観ている。楽しんで…と言うよりも、課題図書に取組むような感じだ。
「白蓮さん、毎日退屈でしょう?」とて義姉が貸してくれたのだ。しかも、シーズン1〜4の全巻セットで。好きな人にはたまらないシリーズだと思うのだけど、残念ながら私はサスペンス系のドラマが、とんと苦手だったりする。
「返すのはいつでも良いから気を使わずに借りてね〜」との申し出を受けた時に断らなかったのが悔やまれてならない。
義姉は気を使うような堅苦しいタイプでは無いので「私、サスペンス系は苦手なんです」と、ひとこと言えば済んだのに、義姉が気にかけてくれるのが嬉しくて、うっかり「ありがとうございます。喜んで!」と口走ってしまったのだ。
いまに始まった事ではないが、私は人の善意に滅法弱い。悪意を向けられた時には、かなり強気で対応出来るのだけど。
私が『24』にハマれないのは、結果が見えているドラマだからだと思う。死人がドッサリ出るわりに、主人公のジャック・バウアーはピンチになっても絶対に大丈夫だし、彼と深く関わる人々も死なないし、最後は大団円…って分かっているので、観ていてドキドキしないのだ。時代劇のような、お約束の展開も1話完結なら嫌いではないけど。
なんて文句を言いながらも「課題がある」って生活は悪くない。単調な毎日に張りが出ると言うか。出産までに全シーズン攻略するのは無理そうだけど、半分くらいは観たいと思う。
今日も、これを書き上げたら『24』を観なくては……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
なんだかんだとトラブルの多い妊娠生活も臨月に突入。
母子共に何かとイマイチ続きで、あれこれ心配事が尽きなかったたけれど、マタニティブルーに襲われる事もなく、気持ち的な部分では比較的安定していたんじゃないかと自分では思っている……のに、やたらと涙もろい今日この頃。実生活で泣く事は皆無だけど、テレビや本で泣く回数がグッと増えた。
夫といる時は泣いたりしない(夫がいる時はテレビや本に集中しないため)のだけど、1人になると野放し状態。ちょっとしたドキュメンタリーなどを観ていても、ダダーッと泣いてしまったりするのだ。あらすじを知っている本でさえ「うっ」ときたりする。
これは妊婦の標準装備なのだろうか? それとも俗に言う「年を取ると涙もろくなる」と言う現象なのだろうか? あるいは、外界と接触せずに毎日寝てばかりいるので、バーチャルな世界にのめり込みやすくなっているだけかも知れない。ある一定方向からの刺激が無くなっちゃった分を、感覚を鋭くする事でバランスを保っているのか?
何かとすぐに涙ぐむお年寄りの気持ち、今なら少しは理解できる。ちょっと恥ずかしいけれど、気付いた時にはツツーッと涙が流れていたりするのだ。
出産したら涙もろいのが治るのか、それとも今後の人生を「涙もろいオバチャン」として暮らすのか……どちらに転ぶのだろう? 自分でもまったく想像がつかない。
出産まであと何回くらい泣いてしまうのかなぁ……なんて事を考えつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
今日のお昼は夫にマクドナルドのハンバーガーを買って来てもらった。
妊娠してはじめてのマクドナルド。久し振りに食べたからか、妙に美味しかった。マクドナルドのハンバーガーって、モスバーガーのに較べたら美味しい物では無いのに、それでも、独特の味わいがあって、たまに食べたくなるのだ。
私はテリヤキバーガーを。夫はビッグマックを。それにサラダとポテト。マックフルーリーを半分こして食べた。マックフルーリーは初めて食べたのだけど、なかなか美味しいなぁ。ハマってしまいそうな予感。
久し振りにジャンクフードを堪能して、満足のいく昼食だった。こう言う類の食べ物って、しょっちゅう食べるのは問題かも知れないが、たまには良いものだと思う。
身体に悪い物だからこその背徳的な美味しさ…ってのも悪くない。
そんな訳で今日は久し振りにジャンクフードを食べてご機嫌。明日から夫は夜勤週間。少しばかり心細いけれど、シャキッっと頑張ろう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
2007年09月07日(金) |
ジリジリ。ワクワク。 |
明日から、いよいよ臨月に突入する。さらに1週間経てば「もう赤ちゃん産んじゃっていいよ」と言われる正産期に入る。長かった安静生活もゴールが見えてきた。
諸先輩方の話を聞くと、早産傾向で安静を言い渡された妊婦でも正産期に入ると安静が解除されるケースが多いようだ。「もしかしたら私もあと1週間で安静生活卒業かな?」と想像すると、ワクワクしてきてしまった。
安静生活が解除されたと言っても臨月にバタバタする訳にはいかないし、第一お腹が重くて、安静生活に入る前のようには動けないと思う。……が、待遠しいったら無い。
動けるようになって1番にしたいのは美容院へ行く事。安静生活を過ごしている間、1度たりとも髪にハサミを入れていないので、落ち武者のようになっている。子供を産んですぐは身動きが取れないだろうから、短めに切ってもらいたい。
次にしたいのは買い物。重たい食料などは、引き続き夫にお願いするけれど、ちょっとした「おやつ」を自分の目で見て、選んで買いたい。洋菓子や和菓子の専門店で買い物したい…なんて贅沢は言わない。コンビニでいいから自由に買い物がしてみたいのだ。安静生活を過ごしてみて「自分で何も選べない」って事に、もどかしさを感じていたのだ。自分の意思で自由に動けるって事が、こんなに素敵な事だとは思わなかった。
正産期となる1週間後を楽しみにしている。私のワクワクっぷりが目に余るのか、夫からは「あまり先走らない方がいいよ」と釘を刺された。確かに、今の時点では「安静解除になったらいいな」と言う仮定の上での計画に過ぎないだけに夫の忠告は、もっともな話だ。
……なんて、あれこれ楽しみにしているのだけど、1番楽しみにしているのは娘の顔を見る事なのは言うまでもない。
待遠しくてジリジリしてしまうけれど、着々とその日は迫っている。ワクワクが押さえられないなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
2007年09月06日(木) |
手のひらよりも小さな写真 |
毎日、家で寝てばかりなので、外の様子がサッパリ分からない今日この頃。
9月に入って日差しの強さはどうなったのか? 空の色はどんな風に変化しているか? 木々の色は? どんな花が咲いているのか? 些細な事かも知れないけれど「知らない」と言うのは寂しい事だ。勿論、テレビくらいは観ているので、ある程度の事は分かるのだけど、テレビで流れる映像は悲しいくらい現実味が無い。
そんな時、ありがたいのは友人が送ってくれる携帯メールの添付写真。たかが写真とは言うものの、友人の目を通して写された写真は、テレビや新聞には無い臨場感がある。
携帯メールは便利だと思いながらも、PCほどスムーズに文章が書けないので、ちょっと面倒に思っていたのだけれど、今回の安静生活では携帯メールのお世話になりっぱなし。手のひらよりも小さな写真に励まされる事があるだなんて、思ってもみなかった。
携帯電話が無かったら、安静生活は今よりもっと味気無かっただろうなぁ……と思う。それとも、無いなら無いなりに別の楽しみを見つけたのだろうか?
昨日は年下の友人が富士山に登って撮った御来光の写真を送ってくれた。写真の素晴らしさもさる事ながら、休日に富士登山する友人のエネルギッシュさと若さが眩くてならなかった。
単調な毎日を過ごしていると、手のひらよりも小さな写真や、メール1通、葉書1枚が嬉しくてならない。
写真やメールや葉書と言った目に見えるものと共に送ってくれた人の気遣うが嬉しい。いつか、お返し出来たらいいなぁ……と思ったところで、今日の日記はこれにてオシマイ。
2007年09月04日(火) |
折り込みチラシの世界 |
新聞の折り込みチラシを丁寧に読むのがマイブームだ。
毎日、家で寝ていると世間の様子がサッパリ分からなくなってしまう。テレビや新聞は毎日チェックしているので「全国的な主要ニュース」については、安静生活に入る前より詳しいくらいだが、身近なローカルニュースについては、お手上げ状況。そこで役に立つのが新聞の織り込みチラシ…と言う訳なのだ。
安静生活に入る前もチラシチェックはしていたけれど、スーパーのチラシ等、自分の生活に役に立ちそうな物だけを選んでいた。が、今は全てのチラシを入念にチェックしている。
驚かされるのはチラシの種類が抱負だと言う事。
スーパー、百貨店、住まいの賃貸情報、マンションや戸建て住宅の売買情報。求人広告に、パチンコ店の改装案内。健康食品の通販に、怪しげな新興宗教の勧誘……などなど。興味がある物も無い物も片っ端から読み散らかしている。
チラシは僅かな紙面で人の心を掴まなければならないため、読み物として、かなり面白い。誇大表現に突っ込みを入れるのも楽しいし、詐欺紛いのチラシを見て憤慨するのも良い。仕事から帰宅した夫に「今日のオススメチラシ」を報告するのは単調な生活の中のちょっとした楽しみになっている。
立ち位置が変わると、物の見方も変わるのだなぁ。たかがチラシ1枚で、こんなに楽しめるとは今まで知らなかった。
……とは言う物の、自由に動けるようになったら、チラシ熱も醒めてしまうのだろう。安静生活も先が見えてきた事だし「今しか楽しめない事」は、しっかり楽しんでおこう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
安静生活50日目。最近、退屈を感じなくなってきた。退屈に慣れたから…ではなくて、退屈を感じるほど覇気が無いのだ。
細切れにしか睡眠が取れないので、1日中夢うつつ。1〜2時間眠っては起き…の繰り返し。昼夜逆転と言うよりは、むしろ昼も夜も無いような感じ。妊娠すると、お腹の子のサイクルで眠くなるとか、出産後3時間おきの授乳をするために身体のリズムが変わってくると聞くけれど、そうかも知れないなぁ……と身を持って感じる。
もっとも、仕事なり家事なりが出来るのなら、生活リズムも違っていたのだろう。朝寝や昼寝をするのには抵抗があるのだが「無理せず眠れる時に眠ってください」と指導されているので、身体のリズムに沿って生活している。
毎日、食べて、寝て…の繰り返し。お腹が空いたから食事して、眠くなったら寝て……動物的な生活だなぁ…と思う。
妊娠してから「私(人間)も動物の一種類に過ぎないんだ」と言う事を強く感じる。周囲から「妊娠生活楽しんで」と言われるが、楽しむと言うよりも、お腹の娘と動物的な本能に振り回されっぱなしだ。
……早く人間になりたい。
ジリジリと時が経つのがもどかしくてならない。「あと少し」って、どうしてこんなに長く感じるのだろう。自由に動きたい…娘をだっこしたり、お世話したりしたい…と気持ちばかりが大きくなっている。近い未来を想像して悶々とするのは人間的かも。
ままならない時間を過ごしているのだけれど、こう言う感覚もそうそう体験出来ないだろうから、しっかり覚えておきたいものだ。ジリジリ&悶々しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
昨日は検診の結果が思わしく無くて目一杯凹んでいたのだけれど、1日、1人で悶々と考えていたら、すっかり気持ちが落ち着いた。安静生活に入ってからノートに書き続けている安静日記最初から読んでみて、自分が贅沢になり過ぎている事に気が付いたのだ。
医師から安静生活を言い渡されたばかりの頃は小さくても、身体弱くてもいいから、とにかく生きて出てきてくれたら充分」と思っていた。早産で小さく生まれてきた子は何かとトラブルが多くて大変だって事は承知していたけど、そんな事は親になる私達夫婦が頑張れば良いことなのだ……と。
安静生活に入ってしばらくは「○日まで頑張ってくれたら生存率がここまで上がる」とか「○グラムまで育ってくれたら、低体重でも大抵は生きられるらしい」とか、毎日そんな事を夫と話していたものだ。
しかし、いつの間にか目標は、すり変わっていたらしい。「小さくても、身体弱くてもいいから、とにかく生きて出てきてくれたら充分」と言う慎ましい願いから「標準的な重さの赤ん坊を標準的な時期に出産する」と言うマニュアル的な欲望へ。
安静生活が始まった頃の私が今の状況を見たら、どんなに羨ましがるだろう。出産に「絶対大丈夫」と言う保証は存在しないけれど、いまの時点で早産したとしても、お腹の娘はまずまず生きていけるはずなのだ。
知らないうちに欲が深くなっていたのだなぁ。……反省。
「出来るだけ良い状態で産んであげたい」と言うのは当然の思いではあるけど、生まれても無事に育つ大きさまで頑張って育ってくれたのだ。あまり標準値を気にし過ぎずに、のびり構えていていようと思う。
娘との対面を楽しみにしつつ、残りの妊娠生活はゆるゆるした気持ちで過ごしたいなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。