白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2006年10月31日(火) 秋の旅

私が今働いている職場は新大阪にあるのだけれど、ここのところ団体旅行者が、やたらと目につく。「秋は旅行の季節なんだなぁ」と横目に見ながら出勤するのは、なんとも微妙な心持ちである。

いっとう目につくのは修学旅行の団体。小学生〜高校生まで年齢は様々。自分自身も通ってきた道なだけに思わず目を細めてしまう。どのクラスにも1人くらいはちょっと興奮気味に鞄を開けたり閉めたりしているオッチョコチョイな子がいたり、そうかと思えば憂鬱そうに人の流れを見ている子がいたり。楽しくても、そうでなくても彼らにとっては大イベント。月並みだが良い思い出を作って欲しいなぁ……と思う。

その次に目につくのは定年退職を向かえたくらいの年齢の人で構成されるツアー。旅はツアーやパックよりも自力で動く方が楽しいと思うけれど、高齢になってくると添乗員さんがいるツアーも良いよなぁ……と思う。若い頃のように体力は無いだろうけれど、その分は経済力でカバーすれば良いのだから、定年退職後に旅行…ってのは良い時間の過ごし方だと思う。私はまで34歳。夫は35歳。定年旅行を楽しむ前に、しっかり働かなくてはいけない。

そんなこんなで旅心がウズウズとしてたまらない。泊りがけで出掛けたのは7月のこと。「ぜんぜん旅行してないから」と言うほど大人しくしている訳でもないのだけれど「乗り物に乗って遠くに行く」とか「自分のベッド以外の寝床で眠る」ことに渇望しているようだ。松尾芭蕉とか、山頭火に憧れてしまう今日この頃。自分自身は風来坊的な生き方をしてこなかったし、今後もたぶん生真面目に生きるのだと思うけれど、そういう生き方にとても惹かれる。

だからって、ふらりと出掛ける訳にはいかない。とりあえず明日も仕事なので山頭火の句集でも読んで気を紛らわせようかなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月30日(月) 孫さんのマジック

携帯電話はずっとソフトバンクの流れを組む会社を利用している。

初めて携帯電話を買った当時は、たまたま周囲にJフォン利用者が多かったのでJフォンにした次第。そして、現在もなお周囲にはソフトバンク利用者が多いので、ソフトバンクの新しいプランは打って付けだなぁ…とて、先週の金曜日にプラン変更するべくソフトバンクショップへ出向いた。

新しいプランは新規加入者か機種変更者のみ…との事だったが、今の携帯電話は2年ほど使っているので、そろそろ買い換えても良いかと思ていて、ウェブで確認済だったので、それについては納得していた。が、詳しい説明を聞いているうちに承服しがたい部分が出て来たので、プラン変更も買い換えもしないで帰宅した。

予想外割引ってプランには、あれこれ縛りがあるのだけれど、どうしても受け入れ難かったのは、携帯電話を購入するのに現金払いは出来ない…と言う点である。

店頭で申し込みをした時点では1円のお金もかからないのだが、購入した携帯電話は2年かけて、月々の支払っていかねばならない。しかも、対象機種は新しい物が多くて高額だったりする。

私は「いつもニコニコ現金払い」を主義としていて、家の購入以外にローンを組んだ事はない(ローンの名義は夫だが、共に払っていく…って事で) 高いと言っても所詮、携帯電話。賃金労働をしている34歳の私に払えぬ額では無いのだ。分割払いなんて御免こうむりたい。しかも、ざっと試算してみるに、基本料金に携帯電話の分割払い分や、パケット料金、ちょっとしたオプションを付けていくと、今より安くなるとは思えなかった。

それにしても携帯電話購入は2年に渡る分割払い限定にするだなんて、孫さんってばアコギな商売をするものだ。途中で機種を変更する場合はそれ相応の金額を払う事になっている訳だが、携帯電話が2年間トラブル無く動き続ける保障など、どこにも無いのに。

そんな訳で、プラン変更は辞める事にした。すっかり興を削がれてしまったので、機種変更も今使っているものが駄目になってからする事にしたのだけれど、昨日一昨日とソフトバンクの申し込みが殺到している…てなニュースを聞いて、ちょっと吃驚した。使い方によっては安くなる人もいるとは思うけれど、そんなにお得では無いように思うので。

今、使っている携帯電話は大事に使って長持ちさせたいものだなぁ……と思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月29日(日) 愚弟の恋

愚弟が恋をしているらしい。とても嬉しい。

「そんなんじゃないよ」と愚弟は言うかも知れないけれど、今まで抱いたことのない感情は「恋」と呼ぶに相応しいと思う。たとえ、それが「性欲」であったとしても、「自分が幸せになれる都合の良い相手の気がする」と言うようなご都合主義の感情だしとしても、「なんだか分からないけど、一緒にこの時間を共有したい。自分が感じた気持ちの良い時間を相手に伝えたい」という不確かであやふやな感情だったしても、それはたぶん恋だと思う。

日本人という種族は常時肉食の西洋人に較べると「情熱的な恋」に疎いかも知れない。しかしがら、そういった気持ちが無いと言えば嘘な訳で。だからこそ、その微妙な機知を逃し欲しくないと思うし「この人こそ」と思えるなら、全力で取り組んでもらいたいと思う。相手を本気で愛そうとすれば、色恋と言うにはほど遠い部分を感知しなけれぱならないかも知れないけれど、タイミングとチャンスは逃して欲しくないと思う。

色恋に目覚めるのが遅過ぎた姉だからから言ってしまうお節介である。

今夜は久しぶりに愚弟に会って話をしたのだけれど、いささかお説教めいた事を言ってしまった。なんちゅ〜か。愚弟も年齢のわりには苦労人だし、自身も途中で左手を失って苦痛を味わってきただけに、他人の繰ろうも分かるだろうし、それに応えてあげられるような男に育っていると思うだけに、姉としてはあれこれ思ってしまうのである。

愚弟の恋が首尾よく花開くと良いなぁ……などと願いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月28日(土) トイレ掃除ブーム

最近「トイレを念入りに掃除する」って流行っているのだろうか?

私は週刊誌の類は読まない人間なのだけど通勤電車の吊革広告に「トイレ掃除で運気をアップ」みたいな文字をよく見かける。ためしに、ちょいと検索してみたらば『ツキを呼ぶ「トイレ掃除」』なんて本まで出ているようだ。家の中が綺麗になるのは良いことだと思うけれど「どうだかなぁ」と思ったりも。

仕事で家の図面を描いていた時、家相とか風水ってのはあながち馬鹿にしたものじゃないと思ったことがある。「快適に暮らすための術」と言うのか、理に叶っている部分も多かった。が、それと同時に「誰のための家相・風水だよ」と思うほど、振り回されている人も多く、とんでもなく使い勝手の悪い家が出来上がってしまったケースもあったりした。

もっとも、トイレは汚れやすい場所なのでマメに掃除するの越した事はないと思うけれど「これをしたから運気が良くなる」と思っているうちは、何ひとつ良くならないんじゃないかなぁ……と思ったりするのも事実だ。「○○をしたら運が良くなる」なんてインチキな新興宗教と変わらない。何かに依存したり、すがったりしたい……って気持ちは私にもある。だけど、そういう類の事にハマっている人で幸せになった人…ってのを私は1人たりとも見た事がない。だから懐疑的にならざるを得ないのだ。

私の周囲にも残念ながら「ハマっている人」や「思い込んでる人」は何人もいる。だが信仰やそういった類の事だけは、面と向かって批難することは出来ないのが、もどかしい。「信じる者は救われる」的な流行も「本人が良いと思っているなら、良いんじゃない」と思う気持ちもあるのだけれど。

トイレ掃除ブームなど、いっときの流行だと思う。しかし1つの流行が去ればまた、新しい流行が出てくるだろうから、こういう流行ってずっと続いて行くのだろうなぁ。なんだかなぁ……と思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月26日(木) 入園を拒否訴訟について

たんの吸引措置が必要なことを理由に保育園への入園を拒否された子供の両親が越した入園拒否訴訟で原告の言い分が通った……とのニュースを聞いて「良かった」と思うと同時に「どうして、こんなことが裁判になるのか?」と不思議に思った。

私が通っていた公立小学校には色々なタイプの障害を持った生徒が通っていた。「養護学級」に在籍している生徒もいれば重い心臓疾患のため養護教諭が専任で付いている生徒もいた。障害の程度にもよるとは思うのだけど、身体的な障害のために介助の人が付いている生徒もいた。なので、ハンディキャップを持った生徒がサポートを受けるのは「当たり前」の事だと思っていたので、今回のことに限らず就学問題での訴訟が起きるたびに、いつも違和感を覚えていた。

夫にその話をしたら、夫の通っていた市の小学校では養護学級こそあったが、介助の人がついていた生徒はいなかった……という。その辺のガイドラインは市の方針によって変わってくるのだろうか。今回の訴訟で市側は「看護師が付きっきりで看護できる態勢にない」と主張していたそうだが、体勢なんて物はその都度作っていけば良いことだと思う。

学生の頃……かれこれ14年前にもなるけれど、ボランティアをしていた施設の勉強会で「弱者が1人で活動できる環境を造る事も大切だが、それ以上に、弱者が出来ないことを誰かに頼ることが出来る体制と意識付けが大切」というような事を学んだ。たとえば……日本では障害者が「1人で何でも出来る」ことに重点が置かれて、ハード面(バリアフリー的なこと)の改善には熱心だが「出来ないことは、出来る人が助ければ良い」というような意識が育っていない…って話。

たとえば……目の見えない人が白杖を持って歩く訓練を受けて1人で出歩けることは素晴らしい。だが「1人で歩くのは恐いから、そんな時にちょっと手を引いてくれる」ような友人関係や公的な体勢が整っていれば「頑張ることを強いなくても良いじゃないか」っって考えらしい。

14年前、この考えを聞いて目から鱗が落ちる思いだった。もっとも、この考も両手を挙げて「素晴らしい」とは言えない部分もあるけれど、社会的に弱い立場の人のための施設を作るばかりではなく、そういった意識的な改善も必要なんじゃないかと思う。人生がスタートしたばかりの子供には等しく生きる喜びを享受して欲しいと思う。そのためにサポートが必要ならサポートすれば良いじゃないか。

なんとなく普通っぽく生きていると、ややもすればこういう問題に対して「自分には関係ない」と思いがちだが、自分や自分の周囲にいる人が死ぬまで健康でいられる保障なんてどこにも無いのだ。こういう事は真面目に考えて取り組んでいかなきゃいけないよなぁ……と自分自身に言い聞かせつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月25日(水) 身だしなみ

今日は夕食後、鏡に映った自分の姿を見て愕然とした。

髪はボーボー。エプロンはヨレヨレ。目のあたりも疲れが出ていて、加齢臭が漂っていた。いちおう「オフィス」と名のつく場所で仕事をしているので、化粧だの服装だのには最低限気を使うようには心掛けているけれど、身だしなみ…って言うのだろうか。ちょっとした事が、ちっとも出来ていなくて、これではお洒落も何もあったものではない。

これは「結婚したから、そうなった」という訳ではなくて、独身時代も定期的にやってくる現象である。油断し過ぎていると言うか、気を抜き過ぎていると言うか。ちょっと忙しかったりバタバタしていたりすると「うっかり」な事になってしまうらしい。

いつも綺麗に身なりを保っている人って凄いなぁ……と思う。

綺麗な女性、可愛らしい女性でいたいと思うのだけど、ふと気が付くとギスギスしている自分がいる。これでは100年の恋も醒めるというものだ。ちょっと反省。

明日は、ちょっくら気を入れて可愛らしい格好をしてみようかと思う。もちろん、髪やお化粧もちゃんとして。自分自身を磨いてやらないとなぁ……と反省しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月23日(月) 抱き付き太郎

夫のために抱き枕を購入した。

結婚した当初は夫が「抱き付き族」であることを意識する機会がなかったのだけど、夏から秋へと移ってゆく時期、寒がりな私は厚い掛け布団を、暑がりな夫は薄い掛け布団を別々に使っていた時期がある。しかし夫は布団を布団として使わずに、いつも丸めて抱きついていた。

私自身は抱き付き族では無いけれど、実家にいた頃、愚弟は抱き付き族だった。何年か前の誕生日に抱き枕を贈った記憶がある。抱き付き族なのは構わないが、毎日、布団を丸めて抱きつかれては布団が早く傷んでしまうので、取り急ぎ抱き枕を購入した次第。

抱き枕は流線形と言うのか、ジュゴンのような不思議な形をしていた。全国に散らばる抱き付き族達が改良に改良を重ねて、あの不思議な形になったのかと思うと感慨深い。そして夫は誰に教わることなく「正しいポジション」で抱き枕に抱き付いたのである。抱き付き族達は抱き枕の使い方情報を何等かの手段を用いて一族に伝播しているのだろうか? 謎である。

抱き枕は「抱き付き太郎」と命名した。抱き枕からの視点だと「抱き付かれ太郎」が正しいと思うが気にしない方向で。抱き付き太郎は今後、良き相棒として夫の眠りをサポートしてくれることだろう。

ちなみに睡眠中の私は「多動族」…ってところだろう。朝、目覚めて初めて見たものは夫の顔ではなく足だった…なんて日常茶飯時。どういう経緯で、そんなポジションに落ち着くのかは未だ謎である。

今夜も穏やかに眠れると良いなぁ…って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月22日(日) 祭り囃子を聞きながら

夫は自転車に乗ってサッカー場に。妻はコタツに潜ってお昼寝を……てな具合で今日は1日ダラダラ過ごすことにした。

午前中に簡単に掃除をすませて、近くのスーパーに食料を買いに行った他は何もせずにグウタラ過ごす。昨日の疲れが残っているせいか「頑張って用事をしよう」という気になれず、夕食は鍋料理をすることに。豚肉と野菜をドッサリ入れて、味噌と豆板醤で味付けをする辛い鍋はすっかり定番の手抜き料理。毎日全力投球……って訳にはいかないのだ。

地元の神社は秋祭りらしくて祭囃子の音が聞こえてくる。祭りに参加する訳ではなくても、祭り囃子を耳にするだけでワクワクした気持ちになれるのは不思議だ。思うに「リズムとメロディー」ってだけでなく、微妙に伝わってくる「振動」がポイントではなかろうか。

昨日、従妹の結婚式に出席して「自分の時はどうだっただろう?」と思い出そうとしたのだけれど、まだ1年も経っていないというのにサッパリ思い出せなかった。私とって、結婚式は記憶に残っていくほど重要な行事では無かったのだろう。義母も乙女な母が喜んでくれたので「して良かった」とは思う。結局のところ私にとっての結婚式&披露宴は社会的な付き合いと親孝行だったのだろうなぁ……と思う。

今日は頭も身体もピリッっとしなくて非常にもどかしい。こういう日はジタバタせずに休養するしかないのだろうなぁ。明日からまた1週間が始まることだし、とにかくのんびり過ごしませう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月21日(土) 花嫁の兄

今日は従妹の結婚式に出席してきた。

思い入れ度の低い従妹なのでテンション低めでの出席ではあったけれど、それなりに楽しませてもらった。この秋に出来たばかりの「今時な一軒家結婚式場」だったので、新しい分だけ綺麗な建物だったけれど、各階にお手洗いが無かったり、間取りがやたらと狭かったりとお年寄りには不親切な会場だった。若者だけでパーティーをするなら良いかも知れないけれど、親戚を集めて盛大にする場合はお仕着せな感じでもホテルや結婚式場の方が良いように思った。

新婦が音楽系の短大を卒業しているだけあって、披露宴は出し物が多くてなかなか楽しかった。新郎側の親戚で「よさこいソーラン節」を家族で踊った人がいたのだけれど、飛び入りで踊りに加わる人がいたのが印象的だった。歌舞音曲というものは祭礼と深く係わっているのだと実感させられた。

私は……と言うと、1週間の疲れが出たらしく途中はやけにしんどくて意識が朦朧としてしまっていた。気楽なポジションだったので気を使うことが無かったのもボーッっとしてしまった要因である。

披露宴の途中で、新婦の兄(従弟)が新郎新婦に話す場面があったのだけど、新郎に「よろしくお願いします」的なことや「安心した」と言った後で「妹を取られてこんちくしょう…ってのが正直な気持ちです」と言い残し、自分の席に戻って泣いていたのが微笑ましかった。お兄ちゃんって、あんなにも妹が可愛いものなのだなぁ。実際、彼は子供の頃から妹の面倒をよく見ていて大人になっても、いささか頼りない妹のことを始終気にかけていた。私にとって彼は「あまり好きじゃない従弟」なのだけど、妹を想う兄としての彼は好きだと思った。

帰宅してバタバタと夕食の準備。メニューは炊飯器で作るパエリアと野菜スープにサツマイモのサラダ……というお手軽なもの。夫が仕事から帰宅するので、これからお昼寝(夕寝?)をするつもり。くたびれたけれど、それなりに良い結婚式だったなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月20日(金) 夢の中で涙

明日は従妹の結婚式。従妹……と言っても、それほど親密な付き合いをしていないので、思い入れ度はほどほどな感じ。「おめでとう」という気持ちはあるけれど、ワクワク度は限りなく低め。

しかしながら「週末は結婚式に行かなくちゃ」ということが心に引っ掛かっていたのか、今朝は明け方に「友人の結婚式でスピーチをしている夢」を見た。親しい友人の結婚式で、私はみっともないほど大泣きしながらスピーチをしていた。友人は今のところ結婚の予定も無いし、だいたいからして「いかにも」なスタイルの結婚式が減っているので「友人代表でスピーチ」なんてシュチュエーションは滅多と無いのになぁ。しかしながら夢とは言うものの大泣きしている自分に、ひどく面食らってしまった。

そう言えば最後に大泣きしたのは、いつだったかなぁ……なんて事を思いながらベッドを出た。ちょろっと涙を流した覚えならあるのだけどなぁ。

今週は何かと忙しくて疲労困憊。明日も半日拘束されてしまうので、のんびりする時間が無いだろうと思う。日曜日は、ゆっくり過ごしたいものだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月19日(木) 主婦(主夫)的労働

役割分担としての専業主婦(主夫)って、重要なポジションだと思う。厳密に「専業」でなくても「家事をメインとして働く人」でも構わない。

私は派遣労働者で「残業は基本的にしない」と言う契約をしていて、夫も家事については協力的なので、なんとか回しているけれど、夫婦共にガッツリ働くとなるとキツイだろうと思う。ましてや子供や病人を抱えていたどうにも身動きが取れないだろう。

比較的に恵まれた環境で働いている私でも、突発的に残業が入ったり、雑事があったりすると、心身共にくたびれてしまう。やってやれない事はないが「消耗したなぁ…」って感じが否めない。

温かい食事、気持ちの良い寝床を整えるって、こんなに大変な事だったのかと呆然とする。ガッツリ働くなら「すべて外注」って方法もアリだと思うが、経済的な問題を考えると、それが可能な人はひと握りかと思われる。賃金労働では無いけれど、主婦業だって立派な労働。

……などと、電車で携帯に向かって泣き言めいた事を書いている訳だが、これから帰宅して夕食の支度をしなくては。猫村さんみたく行き届いた家政婦さんがいたら良いのになぁ…なんて夢想しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。

【追記】
帰宅してちょっと反省。人間、楽にはすぐ慣れますなぁ。
まだまだ、やれるはず…なのですが。


2006年10月17日(火) 距離感の相違…とか。

ものすごく心が狭い考えだ……って事は承知しているのだけど、出会ってすぐ、いきなり馴れ馴れしく(親しく)してくる人って、どうにも信用することが出来ない。

もっとも時と場合によっては「出会ってすぐに意気投合」なんて事もあるし、初対面でも文字媒体で交流があった場合は「ずっと昔からの知り合いみたい」なんて事もある訳だけど、職場でいきなり猛接近されると引いてしまう。たぶん相手と自分とが持っている「距離感」がズレているだけだとは思うのだけど。

先週から職場の同じグループに新しく委託の男性が入ってきたのだけれど、いきなり妙に親しげに話しかけられて面食らってしまっている。仕事上の質問だったりする分には積極的に質問してもらうのも構わないのだけど、プライベートのことをガンガン話してこられてもなぁ……って感じ。40代後半の男性なのだが「それはちょっと職場の話題としてはどうかな?」って話を振ってくるので辟易している今日この頃。

他人と仲良くしていくためには自分から飛び込んでいかなければいけないと思う。相手の出方を待つのではなく、むしろ自分から胸の内を開いていかないと……とは思うものの、お互いを知らないうちに飛び込んでこれられてもなぁ。恐いもの知らずの若者なら仕方がないかと思えるのだが、今回入ってきた委託の男性は40代後半。ちょっとなぁ……って感じ。まぁ、適当に仲良くしようとは思っているけれど。

愚痴ともつかぬツマラナイ話を書いてしまったが、ふと気が付けばエンピツ日記を書き始めて丸5年が過ぎ、6年目に突入していた。

我ながらちょっと感激。日記を書き始めた頃にメールや何かでやりとりしていた人でフェードアウトしちゃった人はとても多い。元気でやっているのかなぁ……と、ふと思ったりすることがある。WEB日記なんて書こうとも思わないほど現実の生活が充実していると良いのだけれど。当時仲良くしていた人達には「クラブ活動で仲良かった人」みたいな思い入れがある。そんな中、日記を通じて知り合った人と現在進行形でお付き合いが続いているのは得難く嬉しいことだ。

滅多と読み返すことの無い日記だけれど、きっと恐ろしく見苦しい文章が多いことだろう。だけど、これから書いていきたいなぁ……と思っている。10年続いたら日記仲間と同窓会が出来ると良いなぁ……なんて夢想してみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月15日(日) 母達と過ごした日曜日

今日は街に出掛けて義母とランチを楽しんできた。

義母が気に入りの焼き菓子と今朝炊いた栗おこわを持って駅で待ち合わせ。最初は我が家に来てもらおうと思っていたのだけれど、義母が「たまには外でご飯が食べたいわ」と言うので外食をすることに。確かに、たまには義母も外の風にあたって目先の変わった食事をするのも良いかも知れないなぁ……と思う。

外食……と言っても、私達は滅多に外食を知らないので「おすすめのランチスポット」なんてのは持ち合わせておらず、ネットで調べたお洒落っぽいカフェレストランへ。メインディッシュもデザートも美味しくて、義母も満足してくれたようだった。「夫婦で栗を剥いた話」とか「田舎の祖母(もうすぐ100歳!)に会いに行く話」とか、そんなこんなで楽しくお喋りをして過ごした。

義母は足が少し悪くて、長時間引っ張りまわす訳にはいかないので、食事の後は解散したのだけど「足悪いのに、どうやってそんな重い物を持ってきたの?」と吃驚するほど沢山のお土産を持たされた。カステラにリンゴに蜜柑。夫も私も「気をつかなくても…」と再三、話しているのだけれど、あれは性分だろうから治らないんだろうなぁ……と思う。まぁ、そうやって元気に過ごしてくれているなら嬉しいことだと思う。

義母と別れた後は、夫の秋冬服を買いに行った。夫は着る物にあまり頓着しない人で、結婚してからボチボチ服を買い足している。なかなか1度にたくさんの物は買えないけれど、少しずつ夫の服も増やしていきたいなぁ……と思う。

夕方、帰宅して夕食の準備など。夕食は乙女な母を招いてスキヤキ。牛肉と言ってもオーストラリア産だけど今の私達には分相応かと。味の方が心配だったが、なかなか美味だった。乙女な母も満足してくれたようで何より。食事中、義母から電話があり「栗おこわ美味しかったわぁ」とのこと。お隣の婆様にお裾分けしたそうな。作り甲斐があって嬉しいことだ。

この週末は夫の服も買ったし、母達にも喜んでもらえた。充実した時間が過ごせたと思う。これを糧にして明日からも頑張って働こう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月14日(土) 大人限定・ボードゲームの集い

昨日、お昼休みに「ボードケーム」の話で盛り上がった。

私が子供の頃はファミコンがまだ出回っていなかったので友達と遊ぶゲームと言ったら、もっぱらボードゲームだった。「オセロ」や「ダイヤモンドゲーム」といった対戦パズル系もあれば「人生ゲーム」のような双六タイプでも、よく遊んだ。。ボードゲームとは言えないけれど、子供向け麻雀の「ポンジャン」「ドンジャラ」「ジャラポン」といった代物も人気だったように思う。

「けっこう熱くなって遊んだよねぇ」なんて話していたら、無性にボードゲームがしたくなってしまった。いい年した大人を集めてボードゲームをする……ってのも案外楽しいんじゃないかなぁ。お昼頃、我が家に遊びに来てもらって、ボードゲームで遊んだ後に宴会をする……名付けて「ボードゲームの集い」。参加資格は大人げなく本気になってボードゲームで遊べる、いい年した大人であること。

今朝、夜勤明けで帰宅した夫に「ボードゲームを買おう」と提案したら、夫も乗り気の様子。わざわざ買わなくても誰か持っている人がいれば、それでも良いんだけど。ボードゲームは今時のキャラクター物でなくて、出来るだけ古臭いものがいい。ちょうど寒い時期に突入することだし、この冬の行事として本気で考えてみたい所存。

ボードゲームの調達もさることながら「大人げなく本気になってボードゲームで遊べる、いい年した大人」を集めなくては。やるからには本気じゃないと面白くないもの。考えただけでもワクワクするなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月13日(金) ぎゅう・ぎゅう・ぎゅう

今日は帰宅時に大変なラッシュに巻き込まれてしまい、帰宅途中で40分かかる区間を2時間かけて帰ってきた。

1週間の仕事を終えてホッと一息つきながら、いつもの電車に乗り込んだ……までは良かったが、途中の駅で電車が来なくなってしまった。駅の放送によると、線路内に人が立ち入った云々…とのこと。復旧の見通しは、まだ先になると言っていたので、ちょっぴり風が寒いホームで待っているのもツマラナイので、ひと駅先の乗り換え駅まで歩いて行った。その駅は商業地なので、買い物でもして時間つぶしをしたら良いだろう……と。

途中、パトカーが集結していて、何やら不穏な感じであったが、きにせず歩いて乗り換え駅に到着。久しぶりに、ちゃんとした花を活けたくて、贔屓の花屋で花を物色。スーパーの花を買って、花瓶や一輪挿しに活けたりはしていたけれど、枝物を使って、じっくり華道に取り組みたいなぁ……と。ちょうどお給料日だったので、少し贅沢な花を買った。店の人と意気投合して、たくさんオマケをしてもらう。その後トイレのお香(我が家では消臭剤代わりにトイレでお香を焚いている)を購入。なんだかんだと暢気に時間を潰した。

そろそろ復旧しているかな……とて駅のホームに降りてみたものの、すごい人出だった。人がどっさり。テレビの取材もどっさり。いっそ戻ってお茶でも飲もうと思ったが、すでに引き返せない状況に陥っていた。かなり遅れてやってきた電車は鮨詰め状態で「乗りたくないなぁ…」と思うものの、自分の意思では身動きの取れる状態ではなくて、ぎゅう・ぎゅうと車内に押し込まれてしまった。こんな事になるなら、花なんて買わなきゃ良かった…と激しく後悔。

最寄り駅までは、ひたすら我慢大会。

人に埋もれて忍の一字。少し車内が空いてきた頃、近くにいた大学生くらいのお嬢さんが、途中で様子がおかしくなった。体調が…というよりも精神面が。やたらとキョロキョロして具合が悪そうだったので、声をかけようかしら…と思ったら、何やら独り言がはじまったので、声をかけそびれてしまった。弱点を持っている人には、あの時間と空間はキツよね…と不憫に思ったもものの、どうしてあげようもなく。つくづく可哀想だった。

ヘロヘロとなんとか帰宅。お花をバケツに突っ込んで、とりあえず食事を取った。これから気を取り直して花でも活けてみましょうかね……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月12日(木) 身辺整理…ではないけれど

縁起でもない話なのだけど、いま死んじゃったら仲の良い人に連絡が行き渡らなかったりする可能性が高いなぁ……なんて事を、ふと思った。

実家にいる頃は親しい人の所在は家族に把握してもらっていた(と思う)のだけど、私がいま死んでしまったら夫は私の友人関係を把握しきれていないから友人達からは「不義理をして自然消滅した人」って感じになっちゃう可能性が高い。これは私の不徳のいたすところで、友人といっても全てを紙ベースの情報として残していなくて「PCの中にはデータであるんだけど……」なんて人も、けっこういたりする。

特にWEB繋がりの友人は、はじまりがメールだったこともあって、すごく親しく行き来しているのに紙ベースの住所録に情報を残していない人が多いのだ。

友人のWEB日記を読んでいて、夫にも分かるように、紙ベースで友人の連絡先を網羅しておかなくちゃいけないなぁ……と思った次第。連絡先と友人と私との関係(学生時代の友人とか同僚とか、WEB繋がりの友人とか)を、ちゃんと残しておかないと「もしも」の事があった時、人でなしになってしまいそうだ。

もっとも「もしも」の事があったとしたら、私は既にこの世にはいないので、後のことなど知ったこっちゃない……てな考え方も出来るのだけど。「もしも」が逆の立場だったとすると、私はかなり凹んでしまうだろう事が簡単に予想出来るので、ちゃんとしておこうと思った。

早急な、そういう類のリストを作っておこうと思う。「早く死にたい」と思っている訳でも、早死の予感がする訳でも無いのだけれど、生きていれば「絶対大丈夫」ってことは無いと思っているので、備えておく必要はあるかなぁ……と。もっとも、普段からちゃんと整理整頓が出来ていれば、気にする必要もない話ではあるのだけとれど。

なにげに今週末の「する事リスト」に書き加える項目が増えてしまった。ぼちぼち手をつけていこうかなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月11日(水) 来年の手帳

ものすごく気が早いのだけど来年は手帳をどうしたものかと迷い中。

私は数年前からシステム手帳を使っていて、毎年「中身」だけ変えていたのだけれど、携帯電話を持つようになってから手帳をとんと使っていない。スケジュールもカレンダーもメモ帳も、携帯電話に入れる癖がついてしまって「手で書く」ことが無くなってしまったのだ。手で書くことの良さは充分わかっているのだけれど、嵩張るばかりで使わない物を後生大事に持っているのも馬鹿らしいように思うのだ。

いっそのこと手帳は廃棄して小さな住所録とメモ帳があれば良いかな……と思ったり。システム手帳を使わないとは言うけれど、書く物を持たずにいるのも不便だったりする訳で。

ここのところ意識して「手で文字を書く」ようにしている……と言っても、友人に宛てた手紙や葉書くらいの事だけど。大切なことは、やっぱり紙の媒体がいいと思う。たとえ一行こっきりだったとしても、メールでは伝わらない事が伝えられるような気がするのだ。たぶん、それは人に宛てたものだけでなく、自分自身に対しても同じじゃないかなぁ。そんな訳で来年に向けて、邪魔にならないメモ帳や住所録をボチボチ探していこうと思っている。

などと暢気なことを書いているけれど、今日は残業だった上に家に帰ってからも雑用だのに追われて、いまだお風呂にも入っていない。そろそろ日付も変わることだし、さっさと用事を済ませて寝なくてはなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月10日(火) 煮込み料理の夜

昨夜から夫は夜勤週間。なので今週は「前日の夜に作り置きした料理を食べてもらう」というスタンスでの、すれ違い生活。今日の夕食は鯖の味噌煮がメインだった。明日はハヤシライス。

煮込み料理をするには良い季節になったなぁ……と思う。私は鍋から立ち上る湯気をこよなく愛しているのだが、しかし真夏の煮込み料理は、ちょっぴりキツイ。煮込み料理は鍋の湯気で台所が温かくなる……という気候が最適だと思う。

鍋の具合を見ながら、ちょろちょろっと用事をしたり、本を読んだりするのは楽しいものだ。料理って食べる楽しみもあるけれど、作る楽しみもあるように思う。出来上がっていくのを見守るワクワク感とか、匂いや湯気を感じてホッっとしたりとか。もっとも、楽しい作業よりも汚かったり臭かったりする作業の方がずっと多いのだけど。

1人で夜を過ごすのは、寂しいと言えば寂しいけれど、それはそれで良いものだと思う。私には、なんとなくテレビを付ける習慣が無いので(勿論、観たい番組がある時は付ける)鍋がぐつぐつしている音以外は静かものだ。涼しくなってくると、夏の暑い時よりも「1人だなぁ」と感じるのは何故なんだろう。

……などと、他愛も無いことを書き連ねていないで、そろそろ鍋の具合を確認して、お風呂にでも入るとするかなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月09日(月) こたつ登場

夫と過ごす秋の連休。

昨日は劇団新感線の舞台『Cat in the Red Boots』を観に行ってきた。お得意の童話モチーフで、それなり……と言う印象。ジャニーズが噛んでいるせいか、新感線の持ち味が出し切れず、かなりマイルドテイスト。むしろ昨日はお芝居よりも、御堂筋パレードや、たまたま行きあわせたジャズフェスティバルの方が印象的だった。

そして今日は自宅に籠って冬の支度など。洋服の入れ替えをしたり、こたつを出したり。「こたつを出した」なんて事を書くと、大阪がよほど寒いように思われるかも知れないけれど、そんな事は無い。単に私が寒がりなだけなのである。まだ、流石にコードはつけていないけれど、電気を入れなくたって、こたつ布団が掛かっているだけでも温かくて幸せな気分。

夕食は栗ご飯を炊いた。今回の栗は戴き物で、甘く美味しかった。

冬の支度が済んで、なんとなくホッっとした……と同時に「この秋、やり残した事は無かったかな?」なんて事を考えて1人でジリジリ。夫は今夜から夜勤週間。1人で過ごす時間がドッっと増える訳だが、居住まいを正して過ごしたいと思う。

とりあえず考え事も、やり残した用事も明日でいいかな。まずは、お風呂に入ってビール(発泡酒)でも飲もう。そして明日からまた頑張って働くのだ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月07日(土) ちらし寿司

友人が素敵な日本手ぬぐいを送ってくれた。すぐに使いたかったので今日の夕食はちらし寿司。ちらし寿司にはサランラップより濡らした日本手ぬぐいが似合うと思う。

贈り物は「とっておく派」ではなく、断然「使っちゃう派」である。死蔵するなんて、勿体ないことだ。使っていくうちに古びたりもするし、壊したりもする。いつかは捨てなくちゃいけない日だって来るだろうけれど、それらを愛用した記憶は決して薄れていかないと思う。

週末は念入りに掃除をするのが定番行事になっているのだけれど、今日はゆっくり寝て、朝昼兼用の食事を済ませ、そのままの流れでダラダラと過ごしてしまった。夫も私もいまいち「頑張ろう」という気になれなかったのだ。連休だもの。掃除は明日で良かろう……ってことで。

ダラダラしながら、ちょいちょいと、ちらし寿司の具を煮たり、錦糸玉子を作ったり。実家ではちらし寿司を作る習慣が無かったので、私のちらし寿司歴は結婚してから始まったのだけど、回数を重ねるごとに美味しくなっているように思う。一般的に「おばあちゃんの作る料理」が美味しいのは、きっとそれまで積み重ねてきた経験があるからなのだろう。私など、まだまだ卵の殻を被ったヒヨコのよなものだ。ちらし寿司マスターへの歩みは、まだ始まったばかり。

なんとなく草臥れ気味なので、今日はダラダラ過ごしてしまった訳だけど、それはそれで良い休日の過ごし方だったと思う。たぶん身体が休養を欲していたのだろう。もともと家で過ごすのが好きな方なのだけど、家で過ごすのが良い季節になったなぁ…と思う。もうちょっとしたら炬燵を出したいものだ。あたたかい家って良いよなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月06日(金) 知らない街

電車に乗って知らない街へ行くのが好きだ。オフィス街や商業地じゃないような街。ありきたりなご家族が、たくさん住んでいるような場所。駅前にスーパーと本屋さんと喫茶店があれば上等……みたいな。

今日は仕事で知らない街の市役所に行ってきた。朝のラッシュに紛れて、自分のテリトリーではない場所に行くのって、恐ろしく草臥れるのだけれど「はじめての街に行く」ってだけでテンションが上がり、雨降りだというのに鼻歌交じりで車窓を見ていた。線路沿いに園芸屋さんが経営しているであろう薔薇園を発見して「休日だったら途中下車したのになぁ」と残念に思った。

市役所での用事はいしいしんじの小説に出てくるような、優しい目をした丁寧な言葉遣いの男の人が対応してくれて、予想外に簡単に終わった。帰りに駅構内のジューススタンドで季節限定の「梨ジュース」を飲んだのだけど、無難にバナナジュースとかミックスジュースを飲めば良かった……と、少し後悔。

初めての街に行くと必ずするのが「この街で暮らす」という脳内シュミレーション。こういうアパートの、こんな部屋を借りて、行き付けのスーパーはここで、お気に入りの花屋はここで……と、考え出したらキリがない。独身時代に、このテのシュミレーションをする時は、きまって「1人暮らしをしている私」という設定だった。そして、今日のシュミレーションは…というと、やはりの「1人暮らしをしている私」という設定だった。

誤解の無いように付け加えておくと、夫との暮らしに嫌気が差しているから……という訳ではない。たぶん、これは癖なのだと思う。長年行ってきた1人遊びの癖は、そう簡単には治らないのだ。

今週は仕事が忙しくて1週間がやけに長く感じられた。明日らか待望の3連休。まずは身体を休めたいなぁ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月05日(木) 部屋干し〜

しっとりとした秋の雨。本を読んだり、ぼんやり考え事をしたりするには良い季節。適度な湿度は気持ちを落ち着ける作用があるような気がする。雨も存外悪くない……なんて事を自分に言い聞かせてみるのだけれど、雨はやっぱり困るのだ。何が困るって洗濯物が乾かないのだもの。

我が家には乾燥機なんて素敵な物がないので、雨の日の洗濯物は、もっぱら「部屋干し」である。ベランダの広いお家だったら「天気が良くなってから、まとめて洗う」なんて技もつかえるのだけれど、ベランダも狭いので毎日洗って干すしかないのだ。

私は部屋干しの匂いを心より憎む。ただでさえ部屋干しすると嫌な匂いがするのに、我が家は洗濯に合成洗剤ではなくて石鹸を使っているので、その匂いも格別なのだ。夫は肌が弱くて、結婚するまでは身体に湿疹が絶えなかったようだけど、結婚して石鹸を使うようになってから、めっきり肌が綺麗になった。だから、部屋干しが臭くても、あえて石鹸を使っているのだけれど雨が続くと、いささか憂鬱だ。

石鹸で洗濯すると、匂いもさることながら、落ち具合もイマイチ良くない。今時の石鹸はかなり良くなっている……と言うものの、白いタオルなどは目に見えて、薄汚れてきている。「汚れた頃にお取替え」ってのが理想だと思うのだけど「合成洗剤だったら綺麗な白が保てるのになぁ」と思ってしまうのも事実である。

部屋干しする時だけは妥協して、除菌作用のある漂白剤を使い、ちょっとでも匂いを押えるようにはしているのだけど、何か良い方法は無いものかと探求中の今日この頃。それより、何より天気が良くなってくれるのが1番手っ取り早くて良いのになぁ……なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月04日(水) 宝石と女

今日は祖母の形見のオパールを身につけて出勤した。

私は常に指輪かペンダントといった装飾品を身につけているのだけれど、その実、アクセサリーにはたいして興味が無かったりする。それらは全て贈り物で構成されていて、年長者(母や親戚)から貰った本物のアクセサリーもあれば、仲の良い友人からもらった手作り品もある。「アクセサリーにはあまり興味が無い」とは言いつつも、身を飾ることは嫌いじゃないし、贈り物だからこそ「大切にしよう」という想いも生まれる。

一般的に女性は宝石が好きだと言われるけれど、私にそれらをくれた年長の女達も、やはり宝石が好きだった。(過去形で書いているが、形見ばかりではなく現在も生きている人も多い) 宝石を見る時の彼女達は「うっとり」を通り越して「魅入られている」ように思う。子供の頃から私を可愛がってくれている母の友人から「これ、私にはデザインが若すぎるから、あなたにプレゼントしてあげる」と、自分の身につけていた指輪を外して手渡された事があるのだけれど、嬉しいというよりも、彼女の好意と思い入れが重た過ぎて面食らった記憶がある。

しかしながら高価過ぎる宝石も、思い入れの重い宝石も、ひとたび自分が身につけてしまえば、ちゃんと自分の物として認識出来るから不思議だ。なんだかんだ言って、けっこう気に入って使っている。

いつか私も若い女の子に「これ、もう私には派手過ぎるから、あなたにプレゼントするわ」と、彼女達から贈られた宝石を手渡す日が来るのだろうなぁ。ずっと先の事だと思うのだけど、たっぷり年を重ねて「もう私には宝石なんて必要ないから」と持っている物を手放せるような人になれると良いのだけれど。理想はスッキリと身奇麗な婆様。もっとも、業突張りな意地悪婆さんにならないとも限らない訳だが。

晩年なんて、まだまだ先のことだけど、物よりも記憶が残るような生き方をしたいなぁ……なんて事を思った。最近、やけに「どう生きるか」的なことばかりが頭をよぎる。秋だからかなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月03日(火) ひらひらの服

昨夜から、いまいち元気が湧いてこないので、週末に買った新しい服を着て出勤してみた。新しい服や靴をおろすのは、なるべく「特別なイベント」の時にしたいと思うのだけど、私は「思い立ったが吉日」的に、気が向いた時におろしてしまう。毎日、思いつきだけで生きているようだ。

少しくすんだピンク色のカットソー。ハイネックの部分はレース仕立て、ゆるくリボンで飾っている。袖口と裾は簡単なレース。ちょっと可愛らし過ぎるような気もしたが、ひらひらとロマンティックな服を着ると、それだけで気分が盛り上がってくるから不思議である。だからって、仕事に行くのだし、帰宅したら食事の用意だってする訳だけど、自分が喜ぶためだけの、ささやかな幸せを満喫した。

独身時代にお洒落をすると「恋をしてるの?」と聞かれ、結婚してからは「おや、今夜はご主人とデート?」と聞かれることが多いけれど、私の場合、お洒落はパートナーのためと言うよりも「自分が嬉しいから」って部分が大半を占めている。もちろん、素敵な装いに身を包んでいる時は好きな人に見て欲しいと思ったりもするのだけれど。

「毎日お洒落な服を着て優雅に暮らしたいなぁ」なんて思ってみるが、いざそうなると、飽きてしまうだろうなぁ。だらしない服が心地良い時もあれば、汚れても良い服でバタバタ動きたい事もある。ひらひらした服に、うっとりするのは「たまに」だから良いのかも知れない。

帰宅して、ひらひらの服に割烹着を着用して夕飯の支度など。日本の女は割烹着。最近はお洒落なデザインになっている……とは言うものの、よくよく見れば軽くダサい。だけど機能的なので手放せないのだなぁ。

明日は直行で客先に出向くのだけど何を着て出勤しようかなぁ。気温が定まらないうちは、毎日来て行く物に悩みますなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年10月02日(月) なんだか寝てばかり

昨日の日曜日は、なんだか寝てばかりの1日だった。

すっかり涼しくなってきて体調万全。しかも土曜日は1人でぶらぶら遊びに出かけて精神的にもリフレッシュ。日曜日は精力的に活動しよう……と思っていたのに起床したのは午前8時30分。夫はすでに目覚めていた。ベッドから起き出したのは、さらに1時間後。滑り出しからしてイマイチ。

朝食後、夫と連れ立って日用品のお買い物。夕食は乙女な母のお誕生日祝いをする予定だったので、いつもより多目に食料を買い込んで帰宅した。朝食が遅かったので、お昼はサツマイモ入りのホットケーキで軽く済ませる。夕方まで、あれこれ用事を済ませようと思っていたのに……不覚にも居間でタオルケットにくるまって爆睡。夫は1人でゲームをしたりサッカーの録画を観ていたらしい。

午後5時を過ぎたくらいから、ぼちぼち夕食の準備。献立は味噌仕立ての豚鍋と、帆立とマグロのお刺身。乙女な母を招いて、ささやかな誕生祝いなど。夫は乙女な母を大切にもてなしてくれる。つくづく有難いことだ。来週は義母とお昼ご飯を食べに行く予定。互いの親と仲良く付き合っていきたいと思う。

天候の加減か、夫、体調不良につき夫婦揃って午後11時に就寝。朝もゆっくり寝て(ちなみに前夜も午後11時就寝)、お昼寝もたっぷりしたので、夫よりも寝付くのが遅かったのだけど、ふと半年ちょっとの生活を思い起こしてみるだに、寝るのはいつも私が先だ……って事に気が付いた。夫の寝息を聞きながら眠りに付くこともあるけれど、知らないうちに寝てしまっている事が断然多い。そして目覚めるのも夫より後……どうにもこうにも寝てばかりの印象が。

そんなこんなで日曜日は1日寝てばかりだった。なのに、まだ寝足りない気がする。冬に突入していないのに冬眠状態なのだろうか? 謎である。平日はそうそう早寝もしていられないのだけれど、今夜も全力で早く寝よう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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白蓮 |MAILHP