2日前に自分で書いた日記を読み返してみて「偽善的だなぁ」と嫌になってしまった。実のところテーマは「偽善」ではなくて「自分に言い聞かせる」だったのだけど。
本当は幼馴染に会った時のことをギュギュッっと濃縮還元ジュースのように、くどくどと書き連ねかかったのだけど、あまりにも見苦しくなりそうで手加減したのがマズかった。が、少し時間が空いたので、そろそろ冷静に書けそうな気がする。
彼女のことを「友人」ではなく「幼馴染」とあえて書くのは1年に1度程度しか会わないし、さほど突っ込んだ間柄では無いと思ってのこと。小学校の時は、よく遊んだものだけど高校、大学、社会人といった人間が大きく成長する時期の彼女のことはよく知らなかったりするのだ。
土曜日は幼馴染と会って、正直なところツマラナイ時間を過ごしたのだけど、最後の方で吃驚するような発言に出くわした。幼馴染は積極的に恋人を作る気もなければ、結婚する気もないらしいのだけど、保育士のアルバイトをしているせいか「子供」に対して執着が強い。「子供はどうするの?」と問うた彼女に対して「授かり物だから、なんともねぇ。最近は不妊のカップルも多いし、絶対に…とは思っていないよ」と答えたのだけど、それに対する返答が「だったら、向井亜紀みたいにすればいいやん!」ときたもんだ。気分を害するとか、怒るとか以前に「鳩が豆鉄砲」状態になるほど吃驚してしまった。
こういう言葉をサラリと言い放ってしまえる幼馴染って、いったい……私の頭の中はクエスチョンマークで埋め尽くされてしまった。ひとまず無難に「そういう方法を否定はしないけれど、私達夫婦は子供を産むために一緒になった訳ではないて、子供は授かり物だと思ってる。子供が授かるのは夫婦にとって嬉しいことだけど、もし無理だったら、それはそれで夫婦で仲良く暮らしていこう…って夫とも話しをしてるから」と言ったのだけど、なんだかなぁ…って感じだった。
「子供云々」って話は、ただでさえナイーブな問題だけど、子供を望んで努力しているのに授からない人から、そういう言葉を聞いたとしても、吃驚しなかったとは思うのだけど、幼馴染の口から聞かされた…ってところに驚いたと言うか、なんと言うか。
まぁ、色々と思うことはあったのだけど、とりあえず彼女とはこれからも「幼馴染」として、1年に1回程度、お茶だけして無難に別れるくらいの関係で良いかな……と思ってしまった。世の中は色々な人がいて、人それぞれに考え方があるので、違う考え方を否定したくはないけれど苦手に思ったりするのも事実なのである。
そんなこんなで今さらながらに、幼馴染の吃驚発言について書いてみたところでも今日のなッ気はこれにてオシマイ。
今日の夕食は餃子だった。
独身時代、実家では「餃子を作る」という文化が無かったので、結婚してはじめて餃子を作った。ちなみな本日は通算4度目の餃子ファイト。最初は「見た目は完璧だけど味はイマイチ」の餃子しか作れなかったのだが、4度目にして初めて納得のいく味が出るようになった。感無量である。
参考にしたのは某掲示板のレシピ板。有効だった手段は『野菜は挽肉の2倍(中国の留学生レシピ)』と『中華スープをゼラチンで固めた物を刻んで入れる』と『パリパリタイプの餃子にするなら具は少なめ』の3点だった。我が家の新定番メニューがここに誕生。これからは餃子の皮を手作りする……という段階へ突入したい所存。餃子ファイト…さらなる高みへ。
お昼間は「夫→ゲーム」「私→ネット遊び&夫のゲーム鑑賞」と、いたくインドアな時間を過ごした。ここ何度かの週末は、もっぱら自宅で過ごしている。夏の疲れが出ていたのか、遊びに出掛ける元気が無かったのだ。まぁ、これも少しずつ回復していくだろうと思う。
明日から、また新しい1週間。そろそろ意欲的にあれこれと動きたいなぁ…と思っている。今のところ、あくまでも「希望」に過ぎないけれど。地味ながら平穏に過ぎて行く日々に感謝しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は幼馴染と1年ぶりに会った。
率直な感想を言うと、これっぽっちも楽しいとは思えない時間を過ごした。幼馴染は心優しい女性で、これからもずっと友人付き合いを続けていきたいとは思うのだけど、私とは生きる道があまりにも違い過ぎる。今日、1年ぶりに会って話したこと(彼女は聞いたこと)といったら「今年初めて腰痛になって吃驚。腰痛って辛いね」って話と「ここ1年で観た映画」と「義姉の出産について」だった。腰痛と映画はともかくとして、友人の義姉の出産の話なんて聞かされてもなぁ……って感じだった。
幼馴染は定職を離れて6年。ニートとまでは言わないけれど、実家暮らしでアルバイトなどして日々を過ごしている。幼馴染は仕事に生きるでも、趣味に生きるでも、恋に生きるでもなく、何か1つのことにに打ち込めないほど背負うべき重荷があるでもない。だからって今の生活に満足している訳でもない彼女は、私の目には「無気力」としか映らない。「まった、しょうがないなぁ……」って感じ。
私にとって彼女は異星人くらい理解の出来ない存在である。だけど、自分には理解できないからって、どうこう言える筋合いではない。自分とは相容れない考え方だからって、片っ端から否定したくはないのだ。それは誰かのためでなくて、自分の世界を狭くしないために。決して同意は出来ないけれど「それは、それでアリかも」と最近、やっと思えるようになった。「また会おうね」と別れたのだけど、次に会うときは彼女が今よりも生き生きしてたら良いなぁ……とは思う。
幼馴染を見送った後、なんだか色々と考え込んでしまった。もっとも、あれこれ考えるよりも自分にとっては「目の前のこと」が大切なのだけど。幼馴染が今よりも楽しく暮らせるようになると良いのだけどなぁ…などと思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。
今シーズン初めて秋刀魚を買った。
秋刀魚と言っても、今は1年中食べることが出来るのだけど「秋に食べる秋刀魚」は特別な気がする。佐藤春夫の『秋刀魚の歌』ではないけれど、暑い夏や、凍りそうな冬には似合わない、しみじみと秋らしい魚だなぁ……と思う。調理法は色々あるけれど、まずは塩焼きで。もちろん大根おろしを添えて。
明日は幼馴染が遊びに来てくれるのだけど、いささか気重だったりする。
彼女の事は友人だと思っているし、これからも付き合っていこうという意思はあるのだけれど、いまいち一緒にいて楽しくないと言うか。自分のエネルギーを吸い取られるような気がすると言うか。吃驚するほど無気力な人で、以前は会うたびに、もどかしく思っていたものだ。最近は自分と違う生き方もアリだなぁ…と思えるようになったので、イライラすることは無いのだけれど、ちょっと疲れる。
もちろん、だからって嫌いじゃないから友人でいられる訳で彼女の思いやりの深さは見習うべきところがある。あえて何かにたとえるなら『若草物語』のベスを健康にした感じだろうか。久しぶりに会うことだし、楽しく過ごせるといいなぁ……と思う。
今週は、いしいしんじ『プラネタリウムのふたご』を読んだせいか、いしいしんじの事ばかり考えていた。彼の書く「誰かと繋がっている感じ」とか「誰かを想っている感じ」が好きでたまらない。大人になると綺麗事ばかりは、言っていられないのだけど、そういう部分はどうしても捨てきれないものだから。
さてと。そろそろ夕食の仕上げをしなくては。明日も良い日だといいなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
まとまった雨のせいで、いっそくとびに涼しくなった。
ここのところお風呂はシャワーで済ませてしまうことが多かったのだけど、帰宅するなり湯船にお湯を張った。雨と冷房で、すっかり身体が冷えてしまったので、夕食の準備をするより先に湯船に浸って身体を温める。これから、どんどん寒くなっていくのかと思うと、寒がりの私はちょっぴり憂鬱。
皇室に男の子が生まれた……とのことで、世間は大騒ぎなのだろうなぁ。帰宅してテレビを付けていないので、騒ぎのほどはイマイチ知らないのだけどネットのニュースでちらりと読んだ。赤ん坊が生まれたという事に対しては、素直に「おめでたいなぁ」と思うのだけど、この世に生れ落ちた瞬間から人生の方向を決められた子供なのだと思うと、ちょっぴり余計なことが頭をよぎった。
私は子育ての経験も、出産の経験も無いので、子供について云々を言えるような立場ではないのだけれど「もし、自分の子供がいたら…」と想像してみると、自分の子供はさほど立派でなくてもいいから、自分の好きなように生きて、ヤンチャしたり、親に反抗したりしながら、それなりの大人になってくれて「生きてるのが楽しい」って思える大人になってくれたらいいなぁ……と思う。そして、その原点は「自分の好きなように生きて…」ってところから出発しているのだと思う。
皇室に生まれたからには、それ相応に育てられるので、一般人が思うほどに辛いものでは無いのかも知れないけれど、1人の人間が生まれた瞬間から人生の選択肢の多くを制限されている……ってのは、気の毒に思えてならない。もっとも、一般人だって、そうそう「自由」に生きられるような状況の人ばかりではないので、気の毒がるのは筋違いなのかも知れないけれど。
しばらく巷のニュースが皇室一色になるのだろう。どんな風に報道されるのかを見るのは、ちょっと楽しみだ。それにつけても窓を閉めていても家の中が涼しくて驚かされる。明日は着る物を考えなくちゃなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は駅の駐輪場に自転車を置き去りにして帰ってきてしっまった。
今朝はいつも通りの時間に起きたのに、どうしたものだか朝食やら出勤準備やらにモタモタしてしまったので最寄駅まで自転車で出掛けたのだ。なので帰りも自転車に乗らなければいけないのに自転車を置き去りにして歩いて帰ってきてしまった。昨日から、ずっと空回りばかりしている。
月曜日は乙女な母が総合病院で検査をしてもらう…とのことだったので、帰宅してすぐに電話をかけたのだが、どうやら心配するほどの事ではなかったらしい。乙女な母は悪びれる様子もなく「心配かけて悪かったわねぇ」と、しれっとしていた。思えば、独身時代にも同じようなシュチュエーションで振り回された記憶が。酷く脱力したけれど、何事もなくて良かった。「週末にあれこれ動いたり、愚弟に軽く釘を刺したりといった私の労力を返してくれ!」などとケチ臭い事など言いますまい。無事で何より。
季節の変わり目で体調がパッとしないせいか、昨日から今日にかけて生活面での小さな失敗がやたらと多い。仕事にまで侵蝕していないのは不幸中の幸い。自分では気付かなかったけれど、けっこう草臥れていたのか昨夜は湿疹に悩まされた。一晩でおさまってくれたのは、これまた不幸中の幸い。
昨日は日記を書く余力が無くて書けなかったのだけど嬉しい報せもあったのだ。友人が絵画展で入賞したとのこと。昨年も入賞だったので、嬉しい反面ちっょとガッカリしているらしいけれど、実は私も「もしかしたら、今年は…」なんて思っていたので、遠く大阪の空の下でちょっとガッカリした。
人間はどうして「もっと・もっと」と思ってしまうのだろう。たとえば……。恋をしていない時は「誰かを好きになれたらいいなぁ。好きな人がいるだけでどんなに素敵だろう」と思うのに、好きな人が出来たら「ちょっとでも親しくなりたい」と思う。親しくなったらなったで「自分の想いが通じたらいいなぁ」と願い、想いが通じたとしても「もっと・もっと」と思ってしまって、その気持ちは留まることを知らない。
「もっと・もっと」と思うのが人間らしいとも言えるし、「いまの幸せに感謝して生きる」のも大切だとも言える。感謝しなくちゃいけないと頭で理解していても、なかなかそうはいかないところが人間臭さなのかも知れない。
空回りしている時は何をやっても上手くいかないと相場が決まっているので、自転車は駅の駐輪場に置き去りしたままで、明日引取ることにした。今日は夫の帰りが遅そうなので、食事の前に入浴をすませて、ゆっくり過ごさせてもらうことにする。夕食の時に発泡酒でも飲んで、ぐっすり寝るとしようかな……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。
夫と過ごす日曜日。取り立ててイベントはなく。
敢えて、何某かを挙げるとするなら地元百貨店の無印良品で枕カバーを買ったくらい。白い枕カバーって、洗濯していてもすぐに駄目になるのだなぁ。結婚半年ちょいで、取り替えることに。ミドリ電化でプリンター、モロゾフでプリン(実家用&我が家用)を買って帰宅。
午後、夫は『ワンダと巨像』など。私は夫のプレイを観たり、PC遊びをしたり、本を読んだり。夫婦して「頑張らない休日」を実践する。私達夫婦は、なんだかんだ言っても、子供がいないので気ままに過ごしているけれど、子供が授かったら、そうも言っていられないのだろうなぁ……などと、漠然と思ったりした。
夕食は鉄板焼き。鶏つくね3種(黒胡麻・チーズ・青紫蘇)と、季節の野菜にお豆腐、コンニャク。〆にガーリックライスなど。たいした事のない1日でも、夕食が美味しく戴けたら「良い1日だった」と思えるから不思議だねぇ」と夫と話をした。鶏つくねは、とても美味しかったので定番メニューにしたいと思う。おもてなしメニューにしても良いなぁ。
お昼間、愚弟がオヤツを持って来てくれた。仕事が大変そうだけど、頑張っているみたい。つつがなく働いてくれることを望まずにはいられない。仕事をするのは生きるため。だけど、ほんの少しでも好きなことを仕事にしていけるのは幸せなこと。そう思って働いてくれると嬉しいのだけど。
明日から、また新しい1週間。とんでもなくバタバタしそうで、いささか憂鬱なのだけど、鋭気を養ったことだし、張り切って参りませうて……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
待ちに待った週末。ほどほどに家事をこなす。
昨日の疲れが取れていない感じなので全力で頑張らないことにした。夜勤明けの夫は「いっそ、一緒に寝ようか。楽になろうよ…」と魅力的な言葉で私をそそのかそうと企むが、ここは初心貫徹。寝室に夫を置き去りにして、あれこれ働く。掃除は「四角い部屋を丸く掃除する」ような感じで。買出しも遠征はやめて近くで済ました。どれも、これも「しないよりマシ」という低レベルな仕事っぷり。本当はダラダラ・ゴロンゴロンとしていたかったのだけど、どこかで居住まいを正していかないと、気持ちよく過ごせないもの。
ご飯だけは、ちゃんと作ることに。ウナギを使った贅沢なチラシ寿司とジュンサイ&筍(水煮)のお吸い物。それに茄子の生姜醤油とコンニャクのお刺身。
チラシ寿司の具を煮る匂いがたまらない。あの田舎臭い匂いをかぐと、懐かしさを感じるから不思議だ。実家にはチラシ寿司を作る習慣なんて無かったのに。「乾物を醤油とミリンで煮る」という調理法は、日本食らしさが凝縮されているのかも知れない。
チラシ寿司を実家に宅配。どうも乙女な母は体調が良くないらしい。明日は乙女な母の代理で実家の地域のドブ掃除に出ることになった。愚弟は日曜日も出勤とのこと。乙女な母は週明けに総合病院で検査してもらうことになっているらしい。ややこしい病気でなければ良いのだけど。まぁ、ややこしい病気だったとしても、選択肢は「とりあえず頑張る」しか無い訳だが。
ほどほどに、ちゃんと作った夕食は美味だった。食卓にお汁物を出すのを忘れてしまったのはご愛嬌。明日の朝かお昼のご飯に食べることに。明日は、ちゃんと起きて実家のドブ掃除に参加せねば……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は結婚して初めて、まとまった残業をした。
今までも、ちょっとした残業はあったけれど、フロアの人口密度が極端に下がるほど、遅くなった事は無かった。独身時代は毎日、今日みたい(正しくは今日以上)のペースで働いていたのだと思うと、少し懐かしいような気さえした。結婚してからは、残業もほとんどしないで、楽をさせてもらってきたので、独身時代のペースで仕事をする生活には戻れないと思っていたけど、案外あっさり感覚が戻ってきた。自分自身、ちょっとビックリ。
長時間集中していると変なテンションが上がってきて、かえって元気になったりする。だからこそ、オーバーワークでも働き続ける事が出来るのだろう。しんどいと言えば、そうなのだけど、妙な充実感があるから不思議だ。どんな事でも熱中してしまえば、それなりの楽しさや喜びってものがあるように思う。
だけど、やっぱり「仕事ばっかり」な生活には戻りたくないなぁ…と思う。家事が疎かになるとか、夫に申し訳ないとか、そういう意味ではなくて、私自身「ゆっくりした今の暮らし」が気に入っているのだと思う。丁寧に作ったご飯(インスタント出汁とかは多用しているけれど)を食べて、それなりに掃除した家でのんびり時間を過ごして。もっと、もっと生きることを楽しみたいと思うのだ。
今週は夏ばて気味で、いささか手抜き感の溢れるメニューが多かったので、明日はちゃんとした食事を作りたいと思う。ウナギ入りのチラシ寿司&副菜とお椀物の予定。掃除もしたいし、図書館へ本も借りに行かねば。とにかく、いい加減ベッドに入って、明日は楽しく過ごそう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。