白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2006年11月30日(木) しわ1号

私にも、とうとう「しわ1号」が定着しつつある。

笑うと目の下…ちょうど頬骨の上あたりに、大きな笑い皺が出来るのだけど、ここのところ口の端をちょいと上げただけでも出てくるようになってしまった。しかも日に日に濃くなってきている。たぶん、これはそう遠くないうちに定着して、私にとって記念すべき「しわ1号」になるものと思われる。しわ1号が、笑い皺の進化系で良かったなぁ……と、つくづく思う。眉間の皺だったら、ちょっと切ない。実際、私にも眉間の皺が耐えない時期があったのだ。

私よりもずっと年輩の方から言わせると34歳なんて、まだまだ若造なのだと思うが、それでも日に日に老いていく…と言うのか、ゆっくりと下り坂を進んでいるを実感している。皺や白髪と言った目に見える変化もそうだし、体力の衰えもそうだ。自分よりも年下の人と話をしていて「あぁ…若いなぁ。キラキラしてるなぁ」と眩しく思ってしまうのも、年を重ねた証拠だと思う。

体力その他諸々のことが下り坂になるのは残念なことだけど、気力も体力も充実していた時代よりも、今の方がずっと楽しい。長生きしたいなぁ…と思えるようになったのは30代を越えてからだ。20代は生きることに一生懸命だったのも事実だが、やぶれかぶれと言うか「いつ死んでもいいや」みたいなことを思っていた。さらに遡って10代は……恥ずかしくて書けないほどにエキセントリックで、小っ恥ずかしいガキんちょだった。

きっと10代の私が、今の私を見たら、さぞやッカリすると思う。なんてツマラナイ大人になったのだろう…と。だけど私はツマラナイ大人になった自分が、かなり好きだ。

などと調子の良いことを書いているが「明日は仕事帰りに整骨院に行って、腰の調子を整えよう…」なとど、イケてない日々を送っているのが現実だったりする。それでも捨てた物ではない訳で、しわ1号、2号、3号と増殖していくのを愛でながら長生きしたいものだなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月29日(水) 待っている時間

ご近所の家でクリスマスのイルミネーションが灯った。

一般のご家庭でクリスマスイルミネーションをする…と聞くと、なんとなく立派なお屋敷を連想してしまうけれど、近くの家はいわゆる「狭小住宅」と呼ばれるような小さな家。だけど何軒か合同でイルミネーションを灯すので、その一角だけは夢のように美しい。狭い突き当たりの路地の一角なので、別世界に切り離されたような錯覚さえ覚える。

私も唐突にクリスマスの準備がしたくなり自作のクリスマスリースを玄関先に飾ってみた……と言っても、我が家は古い家なので、玄関の戸はお洒落な開き戸ではなくて、ガラスのはまった昔風の引違い戸。アンバランス感は否めないが気にしない方向で。

クリスマスに限らず、季節行事は「待っている時間」の方が楽しいように思う。お正月しかり。お誕生日しかり。人を恋うる気持ちと似ているかも知れない。メールや手紙を出す時とか、待ち合わせの時間とか。もちろん、その瞬間も嬉しいものではあるのだけれど。

待ちわびる…ってのは自分1人だけで味わう密やかな楽しみ。

そんなこんなでクリスマスを待ちわびつつ、今夜も咳止めを飲んで早寝しよう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月28日(火) 知恵熱ではなく

このあいだ風邪が完治したばかりだと言うのに、またしても体調を崩してしまった。

身体はしんどくないのだけれど、ここ2日ほど朝夕にやたらと咳が酷い。夫からは「慣れないこと(編み物)に熱中して知恵熱が出たんじゃないか?」と言う。咳は酷いがまったくもって平熱なので、知恵熱とは言わないだろうけど、いささか興奮し過ぎというか熱中し過ぎた…って事が影響しているのは否定出来ない。編み物がよほど気になっているのか手芸の得意な友人に手ほどきを受けようとしている夢を見た。肝心のところで目が覚めたのが無念でならない。昨日もちょこっと編んでみたのだけど、少しだけ上達したような気がする。

観念して近くの病院へ行って薬を貰ってきた。炎症を起こしているとのこと。今夜は編み物もほどほどにして早く寝よう。ノリノリの時に水をさされて、ガッカリしたと言ったら無い。気力は充実してるのだけどなぁ。問題は充実しているのが「気力だけ」って事だ。無念。

今日は昼食時に「はじめて書いたファンレター」って話で盛り上がったのだけど初ファンレターの相手が藤山寛美と言ったら、散々笑われてしまった。適当にチェッカーズとか中森明菜とか言っておけば良かったのかも。まぁ、ほど良い笑いを提供出来たのである意味において職場に貢献した…って事でヨシとする。

そんなこんなで、今日はいまいちパッとしない1日だった。今夜は病院で貰った、昔懐かしい甘い味のする水薬(咳止め)を飲んでから寝るとしよう。早く治して編み物に熱中したいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月27日(月) 毛糸と鶏頭

昨日は雨で出掛けることが出来なかったので、かねてより計画していた「編み物」をはじめた。

夫をほったらかして、1人編み物に夢中。「手芸は苦手」と言う物の、新しい玩具はそれなりに楽しい。毛糸に編み棒、編み物日記を付け流ためのノート、初心者向けの編み物教本。コタツに道具を広げて、せっせと励んだ。流石に苦手なジャンルだけあって、なかなか上手くは進んでくれない。四苦八苦して、なんとか数段編んだものの、あまりにも出来が酷いので仕切り直すことにした。本番の毛糸は、しばらくお預けにして、100円ショップでアクリルの毛糸を買ってきて、練習してから本番用の毛糸に取り掛かることに。

編み物とは何ら関係ないのだけれど毛糸玉を見ていて、ふと子供の頃のことを思い出した。私はずいぶん大きくなるまで「ケイトウ」という花は「毛糸」が語源だと思い込んでいた。ビロードのようなあの花を見て毛糸玉を連想していたのだ。「ケイトウ」のあの赤いビラビラが「毛糸」でなく鶏の鶏冠……「鶏頭」であると知った時の驚きと言ったらない。小学校6年生くらいだったか…華道の師匠から教わったように思う。

まぁ、そんなこんなでくだらないことを思いながら、せっせと編み棒を動かしていた。どうにかこうにか編めるようにはなったけれど、いかんせん手つきがもどかしい。鋏や包丁を使うように編み棒を動かせるようになりたいものだ。

今夜もちょっとだけ編もうと思っている。この情熱がいつまで続くかは激しく疑問ではあるけれど、買った毛糸を無駄にしないように頑張りたいものだ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月26日(日) ワインの宴

昨夜は愚弟を招待してワインの宴を開催した。

ボージョレ・ヌーボーの騒ぎにあやかって……と言う訳ではないけれど「たまには、お洒落な料理を並べてワインを飲みたいね」との趣旨で。最近、愚弟が落ち込みがちだったので景気づけに……という意味もあり、自分の母親がいると愚弟が話し辛いだろう…とて今回は乙女な母には内緒で、こっそりと集まった。「愚弟だけを招待する」というのは夫の発案。夫の心遣いがしみじみ嬉しかった。

そんな訳で、昨日はいつもより余計に張り切って料理を作ってた。ちなみに料理はこんな感じ。外に食べに行くことを思えば、断然安くで美味しいし、炬燵に足を突っ込んで気楽な服装で食事が出来るのが良い感じだ。毎度ながらボージョレ・ヌーボーはそんなに美味しいものじゃないけれど、美味しい食事を食べながら親しい人と食事をするのは楽しいものだ。

心配してい愚弟は、ひとつ山を乗り越えたみたいで元気を取り戻していた。話を聞いていると自分の気持ちの切り替えもさることながら、友人の力も大きかったようだ。頑張っているようで、ひと安心。食事の後はお茶を飲みつつヲタク話など。3人で4時間ばかり楽しいひと時を過ごした。乙女な母は単独で食事に呼ぶ機会もあるけれど、愚弟と食事をする時は「乙女な母も交えて全員で」となってしまいがち。だが、たまにはこういう機会も良いものだなぁ……と思った。次は和食をベースに「日本酒を楽しむ会」にしたいと思う。

愚弟の元気そうな様子を見ることが出来てとても嬉しい。食事も美味しくて良い時間を過ごすことが出来た。こういう時間を持つと「また明日から頑張ろう」って気持ちになれるから不思議である。今日は自宅でのんびりDay。しっかり鋭気を養って、明日からまた働くぞ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月24日(金) 挑戦する冬

この冬は苦手な事に挑戦しようと思っている。

結婚して9ヶ月。家事活動にもすっかり慣れたし、仕事もまずまずな感じでこなしている。独身時代の生活を思えば心身共にのんびりしていて、日々安穏と時間を過ごしている。家事も仕事も頑張っている…という自負はあるものの「楽させてもらっている」ということに変わりは無い。毎日、幸せだと言えばそうなのだけど……これでは、牧場で暢気に草を食んでいる家畜とたいして変わらない。人間としての尊厳を取り戻し、人としての成長を追求せねば。

秋頃から「何か新しいことを始めたい」と思い続けていた。資格の勉強…なんてことも考えたが、新しい資格よりも今は職場で得られる知識を増やすのが先かな…ってことで、その先は却下。そうかと言って自分の好きなことや、楽しいことをするなら意味は無いなぁ……思案していたのだが、このほどやっと「これだ」という物を見つけて、挑戦しうかと思っている。

恥ずかしながら、いまさらながら編み物など……はじめてみようかと。

私は手芸の類は滅法苦手で、その上、自分が可哀想になるくらいデザインだの色彩だののセンスに欠ける。裁縫は雑巾縫いとボタンつけ以外は全て外注しようと心に決めているし、編み物は中学校の家庭科の時間にマフラーを1本編んだっきりだ。(ちなみにそのマフラーは現役で使用している)

本当なら手芸とか洋裁をはじめるのが良いのだろうけれど、針と糸を親の敵のように憎んでいる私にとって、それはあまりにも敷居が高い。まだ編み物なら、なんとか頑張れるかも知れない……とて、今日は仕事帰りに書店へ寄って初心者向けの編み物の本を買ってきた。まずはマフラーから……とページを開いてみたものの、なんだかいきなり挫折してしまいそうな予感満載。マズイ兆候である。明日は夫が寝ている間に毛糸を買いに行こうかと思っているのだけれど、頑張れるかどうか我ながら心配になってきた。

しかし誰だって最初は初心者なのだ。私にだって出来ないことはあるまい。この冬の目標は夫と私のマフラーと、できれば小物をもう1つ……なのだけど、どうなることやら。人としての尊厳をかけて、この冬はひとつ頑張ってみようかなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。

【追記】 途中で挫折したとしても経過はちゃんと記します。


2006年11月23日(木) ひとりあるき

週半ばの休日。

夜勤から帰宅した夫と朝食。食事の後、夫と一緒に眠りたい衝動に駆られる。が、なんとか我慢して家事活動など。掃除だの料理の仕込みなどを済ませて「ちょいと休憩」などとPCに向かったら、うっかりのめり込んでしまった。「寒いし、今日は1日家で過ごそうかなぁ…」と思ったのだけど、それでは駄目人間になってしまいそうだったので奮起して出掛けることにした。

帽子にマフラー。手袋まで装備して散歩がてら花屋・図書館・業務スーパーと一連のコースを歩いた。花屋は定休日で休みだった。図書館も特別休館日で閉館していた。花も本も手に入れることが出来ず、軽く凹む。公団住宅の隙間を埋めるようにして点在する公園を、ゆっくりと歩いた。銀杏の黄色、楓の朱色、地面に点在するドングリの茶色が美しく、外に出てきて良かったとひとりごちた。

歩いている時間ってのは考え事をするのに向いていると思う。部屋でじっとしている時よりも、良い事が思いついたりする。1人で歩くのも良いし、誰かと歩くのも良い。そう言えば、大切な話をするのも、ひとところで座っているよりも、歩きながらの方が良いように思う。誰かと話をしながら歩く……ってのは、なかなか贅沢な時間の過ごし方だと思う。手を繋いで歩けたなら最高。

業務スーパーでは定番の食材を購入。ちょっと気が早いけれど黒豆なども買ってみたり。12月に入るとお正月食材が値上がりするので、日持ちする物は今頃が用意しておきたいのだ。業務スーパーの店内に流れる有線放送で中村中の『友達の詩』を聞いて思わず立ち止まってしまった。やられるなぁ…歌詞にも曲にも。

夕食は豚のスペアリブの煮込みなど。じっくりと煮込むような料理が出来るのは休日ならではのこと。夫と2人で堪能した。今日はまったく地味な休日だったが、夕食が美味しいとそれだけで「今日も良い日だった」と思ってしまうから不思議だ。夜勤へ出掛ける夫を送り出して現在に至る。明日1日働いたら週末。早く寝て明日に備えなくてはなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月22日(水) 夢は枯野を…

『旅に病で夢は枯野をかけ廻る』てな句が頭を過ぎる今日この頃。随分と寒くなったものだ。20代の頃はピンとこなかった松尾芭蕉を「ちょっとイイかも」と思うようになってきた。たぶん、これは加齢により好みの変化だろう。

関西は紅葉が丁度良い感じらしい。が…残念ながら祝日だと言うのに夫は仕事なので遠出はかなわず。1人で出掛けちゃうのもアリだと思うのだけど、家でじっとしている予定。先週末は日帰りの小旅行をした事だし、落ち着いて家の用事に励もうかと。

芭蕉の句では無いけれど、紅葉よりもむしろ「枯野」が見たいように思う。ススキ野なんか良いなぁ……と。ススキ野が無理なら、いっそセイタカアワダチソウでも良いとさえ思う。ガサガサと枯野を掻き分けて闊歩してみたいのだ。最近、子供帰りではないけれど、単純な遊びがしたくてたまらなくなる事がある。芭蕉が最後に見た夢が「枯野をかけ廻る事」ってのも、なんだか分かるような気が。五感に触れる遊びと言うのかな。「見る・愛でる」だけでなく、触感を楽しみたいのだ。

いっそ、お隣の子供と一緒にカマキリの卵を探しに行きたいくらいだ。今年は暖冬だから、カマキリのいる原っぱに行けば今頃でもまだあるんじゃないかなぁ。せめて、もうちょっと浪漫な心を持っていたら、自然に恋焦がれつつ俳句や歌や詩のひとつでも作りたいところなのだが、生憎とそういう類の感覚には恵まれていないようだ。残念。

仕方が無いので明日は秋らしい花でも買ってきて活けてみるかなぁ…って事を考えつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月21日(火) 親密度を増す

一昨日、義兄一家と日帰り旅行に出掛けてあれこれ思ったことなど。

夫と知り合ってから義兄一家とは何度か一緒に食事をしたりして一緒に過ごす時間を作ってきたのだけれど、今回のように長時間一緒に過ごすのは初めてなので、出発までは少しだけ不安だった。

義兄も義姉も気持ちの良い人で、気を使うような相手では無いとは言うものの、どんな相手であっても「長い時間一緒に過ごす」となると、歪みが出てくる事がある。短時間なら楽しく過ごせても、長時間となった時に「ちょっと、しんどい相手かも」と思ってしまう事はよくある話。なので、いささか緊張気味で出発した訳である。

が……心配は杞憂だった。気を使うことなく旅を楽しむことが出来たぱかりか「この分だと、今後も仲良くやっていけそうだなぁ」と思えたほとどだ。たぶん私以上に義兄と義姉が気を使ってくれていたのだと思う。帰りの車では、義兄が運転席、夫が助手席に座り、義姉と姪と私が後ろのシートに座っていたのだけれど、後ろのシートの女3人は爆睡していた。私は「お義兄さんに運転してもらっているのだから起きてなきゃ…」と途中まで頑張っていたのだけれど見事に挫折。

夫は「なかなか良いビジュアルだったよ」と笑っていた。「ごめんね。運転してもらっていたのに…」と謝ったが「車の中で寝れる…ってのは、それだけ気を許しているって事だから嬉しいよ。兄貴もそういう考えの人だし…」と言われた。夫が気を使って言っているのではなくて、本当に義兄もそう思ってくれているのだろうなぁ…って事は、なんとなく分かるので、とても嬉しかった。

人と人との関係は相性の問題も大きいけれど「この人と上手くやっていこう」という意思や努力も大きいように思う。義兄一家とは仲良くお付き合い出来るように、努力したい。義兄一家が夫や私を大事にしてくれるように、私達も義兄一家を大事にしなくては。

そんなこんなで、今回の小旅行では、うどんが美味しくて楽しかった以上に、義兄一家と親密になれたのが何よりも嬉しかった。義兄一家とは、ちょくちょく一緒に過ごす時間を作りたいなぁ……なんて思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月20日(月) 香川うどん旅行

昨日は義兄一家に誘われて、日帰りで香川県までうどんを食べに行ってきた。

数年前から「讃岐うどん」が流行っているのは知っていたし、美味しい讃岐うどんを求めて行脚する人がいるのも知識としては了解済みだったけれど、義兄一家はまさに「そんな人達」だったらしい。誘われた時は「讃岐うどんにちょっぴりハマっている」程度かと思っていたのだけれど、かなり本気の讃岐うどんマニアで驚いてしまった。

「食事は食べずにきてね」という義姉の言いつけ通りに食事を抜いて、午前6時、迎えに来てくれた義兄の一家の車に乗って自宅を出発。岡山経由で一路香川県へ。最初のうどん屋に入ったのは9時半。結局5軒のうどん屋に連れて行ってもらった。

義兄一家は「うどん初心者」の私達夫婦の為に、タイプの違ううどん店を選んでくれていた。マスコミに露出して大人気のうどん店もあれば、それほどでもない店もあり。一般のうどん屋さんに製麺所。地元の人がほとんどの店……どれもそれぞれに美味しかった。香川県のうどんは、鰹節の出汁ではなくて、いりこ出汁。好き嫌いは別れてしまうと思うけれど、私はかなり好きな味だった。うどんは1杯100円前後。トッピングの有無で値段が変わる。1杯は少なめ。私は5軒中4軒食べて、1軒は夫のを横から味見させてもらった。思っていたよりも、たくさん食べられたのに驚き。やはり「小麦粉と水」というシンプルな材料で作っているから、胃腸への負担が少ないのだろう。

5軒、連れて行ってもらったけれど、全てのお店が美味しかった訳ではない。「これなら大阪でも充分なのでは?」というお店もあったし、超有名店なのに「そんなに美味しいかなぁ?」と首を傾げる店もあった。ただ「うどん感が変わった」ってほどに感激するほど美味しいお店があったのも本当の話。帰宅してから、自分達の行った店の評判をネットで検索してみたが、ある程度のレベルになると個人の好みが大きく左右するらしく、自分が美味しいと思ったからと言って、評価が高い訳でもないようだった。この辺の感覚はラーメンと同じなのかも知れない。

義兄一家は、何度も「うどん旅行」に来ていて「うどん日記」を記録していた。ビックリマンシールを集める感覚に、ちょっと似ている。うどんにハマる…って、大人の道楽なんだなぁ…と思う。うどん自体は安くても、交通費もかかるし田舎なので移動手段も必要である。しかも出向いたからと行って美味しい店に当たるとは限らないのだ。お金と手間暇、時間をかけて、記録をファイリングして……という過程に醍醐味があるのだろう。

美味しかったし、しかも楽しかった。「また誘って下さい」とお願いしたのは言うまでもない。

美味しいうどんを食べたのは勿論のこと、香川県の田舎びた風景も堪能できたし大満足の休日だった。今日は有休休暇を1日取って自宅で休養。すっかりリフレッシュすることが出来た。明日からまた頑張って働かねばなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月18日(土) 悩ましいかな「おせち料理」

気の早い話だが「おせち料理」をどうしようかと考えている。

私の実家は「おせち料理」を作らない家だった。亡父のお誕生日が元旦だったので、お正月…特に元旦は家族にとって「お父さんの誕生日」という意味合いが濃かった。亡父が「俺は結婚するまで誕生日を祝ってもらったことが無かった」とて、元旦は、おせち料理ではなく「自分のお誕生日の料理を希望したため、元旦から誕生日ケーキと亡父の好きな料理が食卓に並んでいた。なので、私には「母を手伝って、おせち料理を作った経験」ってのが皆無である。

夫に「おせち料理どうする?」と聞いたらば「夫婦2人だし、そんなに無理して作ることはないけれど、なんだったら数品作ってみたら?」とのこと。なにぶん初めての事なので、早めに心積もりしておかねば……と、おせち料理のレシピ等、ちょこっと検索してみた。

おせち料理って、地方によって中身が変わるようだけど、定番と言われるものは、普段食べているような物ばかりのような気がする。流石に、普段から黒豆を炊いたり、数の子を並べたりはしないけれど、高野豆腐だの蒟蒻だの小芋を煮たのや、叩きゴボウ、大根や人参のナマス、鶏肉やブリの照り焼きなんて、盛り付けが違うだけで定番メニュー。要するに「煮物+縁起かつぎ食品」ってことなのだろうか。

お客様がたくさん来る訳ではないので「どれを作る」のか悩ましいところだ。しかも重箱さえ持っていないし。悩ましい……実に悩ましい。義母にも相談してみるけれど、義母のおせち料理は年始のご挨拶をした時に戴くので、まったく同じラインナップってのもなぁ。

……とまぁ、そんな訳で頭を悩ませている訳だが、今日は自宅に籠ってHPをクリスマス仕様にしたり、読書録を書いたりして1日を過ごした。夫は友人とバーベキュー。本当は私も参加する予定だったのだが、病み上がりなので遠慮させてもらった。ちらし寿司の具を煮ながら(夕食はアッサリした物が良いとのことで)PCに向かうのもオツなものだ。

明日は義兄一家と四国にうどんを食べに行く予定。四国は寒いらしいので、暖かくして行かなくちゃなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月17日(金) 空白の時間

今週は風邪を引いて寝込んだりしたので、たいして働いていないはずなのに1週間がやけに長く感じられた。なにもかもが停滞していて家の中にポッカリ穴が出来たような錯覚を覚える。

先週の土曜日に購入したピンクの薔薇の花がテーブルの上で萎れかけているのを見て、ちょっと哀しい気分。途中で水切りをしたり水を変えたりしなかったのが悪かった。もっとも、そう思った時に手を加えれば良いのだろうけど。ひとまず今日までは「食事の仕度以外は何もしない」と心に決めたのだ。初心貫徹。じっと我慢。

夫は送別会に出席するとのことなので1人で夕食。自分1人のために手間暇かけて料理をするだけの気力も体力も無かったのでレトルトのパスタで簡単に済ませた。レトルト食品って、ほとんど使わないのだけれど、こういう時には便利だなぁ……としみじみ思う。割高には違いないけど、それなりに美味しい。

今日はあれこれ欲張らずに、お茶でも飲みながらクリスマスカードを書くつもり。型通りの事しか書かないだろうと思うのだけど、クリスマス前後「ポストに何か入っている」ってことに意義があるという方針で。長い手紙やメールなら、いくらでも書けるのだけど、文字数に制限のある葉書になると、心なしか肩の力が入ってしまって、思うような言葉が出てこないのだ。いっそメッセージ欄は真っ白のままで、カードだけ送ろうかと思うほどに。言葉というのは自分が思っている以上に不自由な物みたいだ。

さてさて。そろそろ炬燵に移動して(我が家はすでに炬燵スタンバイ済)、ぬくぬく温まりつつカードでも書こうかなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月16日(木) 回復の朝

風邪がようやく回復してきた。今朝、目が覚めて「あっ。やっと山を越したかも」と感じた瞬間の嬉しかった事と言ったら。

前回の日記で最近の病院はやたら薬だの点滴だのをしたがる云々…と書いたのだけど、きっちり点滴のお世話になってしまった。自分で治すのが1番だけど、薬の力ってヤッパリ凄いなぁ……と感激した次第。たぶん点滴が無ければ、もっと長引いていたと思う。

今日は仕事帰りに用事があって駅構内の書店に寄ったのだけど、ふと「前回書店に立ち寄った時の自分」ってのを思い出した。そういえば、あの時は「とにかく綺麗な写真集とか、画集とか、詩集とかそういうのが読みたい」と思っていたのだ。結局、駅構内の書店では好みの本が見つからずに購入しなかったのだけど、あの時すでに「疲れてますよ」のシグナルは出ていたのだと思う。うかつであった。

今回も夫が、あれこれ世話を焼いてくれたので助かった。「夫婦は病める時も健やかなる時も…」と言うけれど、私がへたばってしまう事の方が断然多い。不甲斐ない妻で申し訳ない。

今日はひさしぶりに「ちゃんした食事」を作った。夫に美味しいものを食べてもらわなきゃ…ってのも勿論の事だけど、私自身も病人職ばかりで、まともに食べていなかったので、しっかり食べて元気にならなくちゃ。台所に立って、あれこれ料理をしながら「そうそう。これこれ。この感じ」と、なんだかとても嬉しかった。

今週は仕事を休んだり早退したりと、あまり働かなかった訳だけどやたらと1週間が長く感じられた。それもあと1日。無理せず乗り切っていきたいなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月14日(火) 寝床より

今日は仕事を欠勤してしまった。

無理すれば行けなくもなかったのだけど、仕事の山は昨日、片付けたので養生する事に。

今回の風邪は熱よりも胃腸トラブルが大変。身体は小さいながらも、食欲だけは人一倍の私も、吐き気と下痢にぐったり気味。おかゆだの、林檎だのがやけに美味しく、元気なら好物の食べ物が美味しいとは思えない。こう言う時は古式ゆかしく「おかゆさん」が良いと思う。

寝室にはテレビが無いので、本や漫画をボンヤリ眺めたり、うつらうつら寝てみたり。携帯から日記を書いてみたり。病人は寝るのが仕事…って事で、怠惰に過ごしている。

私がダウンして、夫はやけに張り切っている。気持ちは嬉しいけど、彼にも仕事があるのだし、急に寒くなったせいで体調を崩しやすい時期なので、ほどほどにして身体を休めて欲しいなぁ…と思う。

一昨日は懐かしい方からメールあり。当時の事を思い出して感慨に浸った。風邪のせいで意識がボンヤリしているせいか、ゆらりゆらりと打ち寄せる波のように過去の記憶が甦ってくる。知らぬ間に変質してしまった自分に気付かされて、誇らしく思うと同時に、ほんの少しばかり寂しさを感じた。

それはさておき、早く良くなって、バリバリ動きたいなぁ…って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月13日(月) 先駆ける

冬が来るのに先駆けて風邪を引いてしまった。無念。

取り立てて疲労するような生活をしている訳でもないし、冷えないように気をつけていたのになぁ。昨日、日曜日は午後からグダクダだった。「こういう時こそ、しっかり食べねば」とて夕食の準備をしたものの、あまり食べることが出来なかった。胃腸にくる風邪らしい。

仕事が暇なら休むのに…と思いつつ出勤。マーフィの法則なのか、なんなのか昼休みが取れないほどに大繁盛の図面の山。なんとか定時で上がらせてもらって、スーパーでお惣菜を買い帰宅。近くの病院で薬を貰って帰ってきた。ひとまず薬を出すけれど、具合が悪ければ点滴においでとのこと。お世話になっておいて減らず口もなんだが、最近の病院は薬と点滴が過剰に好きな気がする。

いまの体調から推察するだに高熱が出たりすることは無さそうな雰囲気なので、このままジワーッっと治ってくれると良いのになぁ。今夜は早く寝よう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月11日(土) 同僚と会う

今日は元同僚と会ってきた。夫は「白蓮さんは(以前働いていた職場の)知り合いが多くて良いなぁ」と言うけれど職種は変わらないと言うものの、職場を転々とするのは良し悪しだと思う。所詮派遣は浮き草稼業。なんだか、こぅ……イマイチお尻が定まらない。だが、夫の言うようにこうやって知己は増えるのは嬉しいことだ。

元同僚は1年ほど図面描きをしていた会社の人で御年62歳の女性。。同僚…と呼ぶにはおこがましいほどの年長者なのだけど「先輩」ではないので、便宜上「同僚」と書いてみた。定年後も嘱託として勤務を続けているとのこと。「まだまだ人生これからよ」とて、元気の塊のような笑顔が印象的だった。

彼女は私が大嫌いな選挙活動に熱心な某宗教団体の信者さんだ。彼女は私に宗教的な事を勧めたいと思っているだろうと思うのだけど、1度新聞を渡された以外は、決して勧めてこないので、トラブル無く、お付き合いが続いている。私自身は新興宗教的なものを、こよなく憎んでいるのだけれど、宗教で友人を選別していたら、誰とも付き合えなくなってしまう。相手を尊重しつつ、自分の信念は守りつつ関係が続けられると良いなぁ……と思う。

「私が頑張れるのは信仰のおかげ」と言い切る彼女を見ていると、少し羨ましく思ったりした。

遠藤周作の『沈黙』のテーマではないけれど、もしも神のような存在があるなら、どうして人々を救ってくれないのか? どうして、このような世界を作ったのか? という疑問が納得出来ない限り何か1つの宗教を信じることは出来ないような気がする。宗教は魂の安らぎだ…と言う人もいるけれども、魂の救済よりも現金が欲しい時だってある訳だし。などと泥臭いことばかり考えているので宗教に縁が無いのかも知れない。

知人の訃報を聞いたばかりなので、今日はいつもより余計にそんなことを考えたりした。まだ、ちょっと頭がグルグルしている。

それはそれとして、久しぶりに会う年長の同僚が元気そうで何よりだった。「なんだか、ちょっと見ない間に可愛らしくなったみたいよ」と言われ、社交辞令だと思いつつも良い気分になってしまった。さてと。そろそろPCから離れて夫が帰宅するまでにお風呂に入っちゃおうかなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。

【ちょっとしたお知らせ】
こんなのはじめてみました。
気の向くままに更新したいと思っています。


2006年11月10日(金) 訃報

訃報ってヤツは唐突に訪れる。昨夜、ネットで知り合った年下の知人が亡くなったとの知らせを聞いた。しかも、あまり良い形ではない死だった。昨夜はまんじりともせずに夜を過ごした。

彼女は私とFと共通の知人で、何度か会い、飲み、そして数回個人的なメールのやり取りをしていたが「年下の友人」と呼ぶには希薄な関係だった。何故だか私のことを慕ってくれていて大型のワンコみたいに可愛らしい女性だった。7月から日記の更新が止まっていて「ネット以外の居場所を見つけたか、別の興味の方へ走っていったんだねぇ」と勝手に思っていたのだけれど、どうやらその時に亡くなったらしい。

「せめて、もう1度メールをしておけば良かった」なとど悔いは残るが、すべて「いまさら」である。それに私は彼女を抱え込んであげるだけの覚悟は無かったのだ。精神的に弱っている人と係わる時は全身全霊で対峙出来ない限り、中途半端に首を突っ込まない方が良い……と思っていたのだけど、果たして本当にそうだったのか……。それも、これも「いまさら」である。

彼女は、この場所ではないところでの知り合いで、そちらの繋がりの中で「せめてお線香を…」という話が出ているのだけど、まったく乗り気になれずにいる。ちょっと複雑な形で娘を亡くした親御さんの気持ちを……いままで彼女の死が知らされなかった事を考えるだに、そっとしておくのが優しさのように思ったりしたのだ。

「仏壇の前で手を合わせたって故人に通じる訳じゃない」って想いもある。「遺族の気持ちより自分の気持ちを優先させるのは自己満足に過ぎない」って考えもある。そんな話をFとメールでやり取りしたらばFからは「そういう問題ではないし、それを言い出したらお墓参りの意味だって無くなる」と言われて、それが普通の感覚なのだろうなぁ……と、ぼんやり思った。

お葬式も、お墓参りも生きている人を慰めるためにある行事だと思う。そう言えば私は実家に行っても父の仏壇には手を合わせないけれど、夫の実家の仏壇には手を合わせる。自分の亡父と夫の亡父に差を付けている訳ではなくて、乙女な母は、その類のことに執着のない人だけど、義母はそういう類のことを大切にする人だからに過ぎない。死んじゃった人よりも、生きている人を…って気持ちがどうしても強い。

信仰心が無いので「あの世」とか「仏」とか「神」の存在が信じられないのだ。死んでから手を合わせるよりも、生きている時に精一杯しておかねば……と思う。せめて自分が大切だと思う人には気持ちを出し惜しみしないようにしたい。

あれこれと思うことが多過ぎて1日中考えがまとまらずにいた。若すぎる知人の冥福を祈りつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月09日(木) お裾分け

夫の実家から柿が山ほど送られてきた。

自宅の庭木の柿(渋柿を焼酎につけて渋抜きをしたもの)と、御祖母ちゃんちで作っている和歌山の平田種柿。それに、蜜柑と梨が少し。我が家は果物好きだけど、夫婦2人で食べるには、あまりにも量が多い。義母にお礼の電話をしたら「近所に分けてあげてね」とのこと。たぶん、そのつもりで沢山送ってくれたのだろう。昨夜は柿をいくつかのビニール袋に詰めて、今日はそれを配り歩いた。

配達先はご近所がほとんどなのだけど、1軒ばかり自転車で遠征。子供の頃に住んでいた家の近くに「柿と心中したいくらい柿が好き」なおじさん(と言っても血縁者に非ず)がいて、柿を見るとその人を思い出さずにはいられなかった。帰宅して家事よりも先に遠征したが、生憎お留守だったので郵便ポストにメモと柿を入れてきた。ポストを開けて、大好物の柿を見つけた時、彼はどんな顔をするのだろう。帰り道、想像しながらニヤニヤとしてしまった。

ごく稀に「○○を見ると○○さんを思い出す」って人がいる。干し柿を見ると亡くなった祖母を思い出すし、チューリップの花を見ると友人のFを思い出す。何かを見て誰かを思い出す時って、不思議と気持ちが温かくなるような気がする。

沢山あった柿をそれぞれのお宅に届けることが出来てホッっとした。お裾分けって戴くと嬉しいものだけど、配るのもけっこう楽しいものだ。なにげに良い日だったなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月08日(水) 度が過ぎる

最近、自分自身の行動に「度か過ぎているなぁ」と思うことが多い。

たとえば家事。結婚した当初の方が、もっとのんびりとしたペースでこなしていたように思う。家事に慣れてきて、段取りが良くなった分「もっと出来るのでは?」と熱中し過ぎている感がある。昨日など、仕事はそれほど忙しくなかったのに、帰宅してあれこれ張り切り過ぎたせいか、ベッドに入る頃には泥のように草臥れていた。気持ちよく生活するための家事活動なのに、これでは本末転倒である。

なんでも一生懸命に取り組むのは良いことだけど、やり過ぎは良くない。私の場合、この現象は別に家事に限った事ではなくて、ちょっと気になったり夢中になったりする事があれば、とめどなく突っ走ってまうところがある。たぶん、それは私の長所でもあると思うのだけど、いつまでも20代の体力をキープ出来る訳ではないので、自制するとも覚えていかないとなぁ……と思う。

何につけ、もう少しゆったりとした生活を心掛けたいものだ。

まずは、明日は食事の仕度を少し手抜きさせてもらうかなぁ。全力で突っ走るだけが良い訳ぢゃない。節度って物をわきまえて、自分を大事にしなくちゃなぁ……なんて事を思いつつ、今日の日記きこれにてオシマイ。


2006年11月07日(火) 御祖母ちゃんの家

昨日は夫の御祖母ちゃんに会いに行って来た。

自宅から電車を乗り継いで2時間の旅。最近は御祖母ちゃんちから少し大阪側出来たニュータウンのおかげで随分と電車の便が良くなったらしい。夫に子供時代の思い出話をしてもらいつつ、御祖母ちゃんの家へ。御祖母ちゃんの家は紀の川の側。山の麓。柿の木と蜜柑の木に囲まれた昔ながらの日本家屋だ。向井潤吉の絵の題材になりそうな、そんな家。

初めてお目にかかる御祖母ちゃんは、鶴のように痩せていたけれど、腰も曲がっていなくてシャキシャキしていた。96歳と聞いていたけど、本当は97歳だった。耳が遠い以外は至って健康で毎日畑に出ているとの事。10年ぶりに会う夫に抱き付いて涙を零す御祖母ちゃんと、いつになく神妙な表情の夫のは傍で見ていて気持ちの良い、微笑ましい絵だった。

おじさんや従姉妹への挨拶と仏壇へお参りを済ませて、広縁に面した和室で、お膳を戴いた。田舎のお膳は都会のそれとは比べ物にならないくらいの大容量でビックリ。私など、半分も食べられなかったし、夫でも完食出来なかったのだが、夫の従兄は自分の分をペロッっと平らげ、御祖母ちゃんの残りを食べ、その上、別に卵を焼いてもらっていた(だが彼は肥満している訳では無いの)やはりキツイ農作業をこなすには相応のカロリーが必要なのだろう。

御祖母ちゃんは旺盛な食欲で、お膳を食べながら、精力的荷昔語りをしてくれた。御祖母ちゃんの先祖から現在に至るまでの壮大な物語。家族は聞き飽きているようだったが、私は初めて聞く話だったので、かなり面白かった。御祖母ちゃんは同じ話を2周半して「お腹も膨れたし、くたびれたから寝るわ」とて自分の部屋がある離れへ戻ってしまった。御年寄りを「可愛い」なんて言うのは失礼なのだけど、そういう無邪気さは少女っぽいと言うか、ちょっと可愛いなぁ…と思った。

御祖母ちゃんがいなくなった後は、写真に凝っている従兄弟から、昔の写真を見せてもらった。親戚の家にあった写真を年代、家族別に整理したアルバムは「一族の歴史」って感じで見応えがあった。「自分のルーツを知っておくのは大事な事だ」と言う従兄弟の言葉が印象的だった。従兄弟は帰り際に家の前で、みなの集合写真と私達夫婦の写真を撮ってくれた。あのアルバムに私達が写った写真が収まるかと思うと、不思議な感じがする。

ともあれ田舎ののんびりした空気に触れ、御祖母ちゃんの話を堪能して、夫の従兄妹達ともお喋りして、とにかく楽しい時間だった。「御祖母ちゃんって、いいなぁ。田舎って、いいなぁ」と思うと同時に、御祖母ちゃんと一緒に暮らしてお世話をしてくれている人がいるから、私は「お客様」でいられるのだ……って事を思った。実際、一緒に暮らしてみたら楽しいだけでは済まされない。たまに聞くから楽しい話も毎日となればウンザリするだろうし、御年寄り特有の頑固さや我が儘に振り回されることもあるだろう。私が楽しんだ田舎は「いいとこ取り」なんだ…って事は忘れちゃいけない。

なんと言っても夫の御祖母ちゃんなのだから、今後はもう少し心配りをしていきたいなぁ……と思った次第。気持ちよく迎えてくれた御祖母ちゃんと、夫の親戚に感謝しつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月04日(土) 96歳の御祖母ちゃん

明日は夫の御祖母ちゃんに会いに和歌山の田舎へ行く。

義母は兄弟の中でも下の方らしく御祖母ちゃんは御年96歳。結婚式は高齢を理由に欠席されたので、私が御祖母ちゃんに会うのは初めて。夫も10年近く会っていないとのことだったので、私はテッキリ「寝たきりに近いくらい弱っている御祖母ちゃんだと思っていた。なので1度お会いしたい……と思っていたのだけれど、押しかけて行くとなると「御祖母ちゃんの介護をしている人がかえって大変かなぁ」と思って足踏みしていたのだ。

先の敬老の日に御祖母ちゃんにカステラとお花を贈って電話をかけたら、御祖母ちゃんではなくて伯父さんが電話口にに出てきて「御祖母ちゃんは今、畑に行っているからいない」とのこと。96歳で畑仕事? 私の想像していた御祖母ちゃん像とは全く違っていて驚いた。夫に問い正してみたら「俺もそんなに元気だとは知らなかった」とのこと。「だったら会いに行かなくちゃ」とて、やっと遊びに行くことになった。

義母に「手土産は何がいいですか? 御祖母ちゃんの好きなものがあれば…」と聞いてみたら、義母が言うには「食べ物よりもお金にしてあげて。おこずかいを渡してあげたら、それでいいから。御祖母ちゃん、お金が大好きなのよ」とのこと。この話を聞いて、私は会った事のない御祖母ちゃんが大好きになってしまった。バイタリティ溢れるしっかり者の御祖母ちゃんなのだろう。

お祖母ちゃんに会いに行くにあたって、昨日、義母と電話で話をしたのだけれど、孫夫婦が行くにあたり、御祖母ちゃんはいたく張り切っているらしくて、お膳を用意してくれるとのこと。そんなに喜んでくれるなら、もっと早く行けば良かった。

御祖母ちゃんの住んでいるところは電話番号の市外局番が一ケタ…ってくらいの田舎である。私自身は母方の曾祖母が死んでから「田舎」というものが無くなってしまったので、夫の田舎に行くのが嬉しくってしょうがない。明日は御祖母ちゃんに会うのが楽しみだなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月03日(金) 食べる日々

三連休初日。なのに夫は仕事。しかも夜勤。

「1人で休みなんてツマラナイね」と言われるけれど、以外とそんな事はない。平日、外に出て働いていると「しなくちゃいけないこと」とか「したかったこと」が多くて、バタバタしているうちに1日がアッと言う間に過ぎてしまう。たぶん「主婦っぽい活動」が物珍しいのだと思う。結婚して9ヶ月が過ぎたと言うのに、いまだママゴトと言うか遊び感覚が抜けないでいる。

今日は冷蔵庫に食料を補充した。野菜を買い込んだり、1パックに6匹入った鯵(なんと1パック100円)を捌いて冷凍保存したり。頭のついている魚を買うのは正直なところ嬉しくはない。手捌き出来るくらいの小さなイワシならまだしも、そこそこの大きさでしっかりと頭のついている魚の鱗を取ったり、臓物を取り出したりするのは「殺してるなぁ」という実感があるし、第一見た目に気味が悪い。

しかし……だ。よくよく考えてみれはパックに切り分けられている魚や牛・鶏・豚肉だって、そういう工程を経て手元に届いている訳で、自分が他の生き物の命を貪っているという事実に変わりは無いのだ。生きるとは沢山の屍の上に成り立っているのだと思う。だからと言って「可愛そうだから殺生はしない」なんて事は思わない。生きていたいし、もっと単純に言うなら美味しい物を食べるのが好きだから。

私はまだ「生かされてある自分」を自覚出来るほど人間が出来ていないのだけど、生きている限りは、とりあえず生きなければならないし「よりよく生きる」ように努力しなくちゃいけないなぁ……とは思う。恵まれた暮らしをしていても、たまに「なんで生きてるんだろ?」と言うような虚無的な意識に囚われる事があるのだけれど「何故?」という疑問よりも「生きている」という事に視点を置く必要があるのかも知れない。

……とまぁ、悶々と書いてみたけれど憂鬱になっている訳ぢゃない。今夜は今年最後の栗ご飯。夕食の用意をして夫を起こさなくては。さてさて張り切って台所に立ちましょうかね……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月02日(木) サンタブック

11月に突入したばかりだというのに百貨店の外壁がクリスマス仕様になっていた。「もうそろそろクリスマスのことを考える時期なんだ」とて、夜勤に出る夫を送り出した後、フェリシモから贈られてきたクリスマス特集カタログ(サンタブック)を見ていたら、1人で興奮してしまった。

サンタクロースを信じていた子供の頃からずっとクリスマスが大好きだ。

サンタブックにはクリスマスの贈り物にしたら良いだろうなぁ…って商品が満載で困ってしまう。大切な人全て気の効いたクリスマスの贈り物をしたいと思うのだけど、そんなことをしていたらお金がいくらあっても足りない。極身近な人以外は今年もカードを送るくらいになっちゃうんだろうなぁ……と思うと、ちょっぴりサミシイ気もするが、何もしないより良いだろうと自分を慰めてみたりする。

贈り物をあれこれ見ながら、しかし毎年贈り物をしている人には、今年も同じ物を贈ってしまうような気がする。クリスマスの贈り物は、私の場合、純粋な「プレゼント」という意味合いの他に「お歳暮」のような気持ちもあるので「絶対に外さないもの」を選んでしまいがちなのだ。

ちなみに夫への贈り物はもう決めている。夫は普段、ラフな格好で働いていて、ディバッグを愛用しているのだけど、そうでない服を着たときに持つ鞄で適当な物を持っていないので、ビジネスケースほどカッチリしない感じの革製のショルダーバッグを注文した。かなり奮発しちゃったけれど、夫は日頃贅沢をしない人なので、たまには良いかなぁ……と。それに私がフルタイムで働いている今はお金の自由がきくけれど、ずっとそうだとは言い難いので、出来る時にしておきたいと言う気持ちもあった。

そして、今日は帰宅したら鞄の納期が12月の末になるとの連絡が。手作りの鞄で人気が高い…と聞いていたので早めに手を打ったつものだったが、目算を誤ってしまったらしい。まだクリスマスにもなっていないのに、クリスマスプレゼントを失敗してしまうの巻。しかし「絶対コレだ」と決めていたので、気長に待つことにした。クリスマスに夫を驚かせようと思っていたのに残念無念。

いきなり躓いてしまったけれど、冬の寒い時期の「贈り物」って素敵だと思う。たとえばカード1枚、花1輪でも、なんとなく温かくなるような気がする。夫への贈り物は失敗確定だけど、せめて友人達に贈るクリスマスカードは、しっかり選ぼう……なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年11月01日(水) 学校の必要性

最近、いじめが原因で自殺…なんてニュースが続いていて、なんだかとっても、やりきれない。

ニュースキャスターやコメンテーターが「学校や親や社会の責任」について語っていたり「子供たちに生命の尊さを教えていく必要性」について論じていたりするのをを聞いると、なるほど正論が多いのだけど机上の空論のような気がしてならない。たとえば……「子供たちに生命の尊さを教える」と言ってもそう簡単に到底出来ないと思うだけに。ペットの死を看取ったとしても、生命の尊さを謳った映画や小説に触れさせたとしても、死にたくなったら死んじゃうのが人間だろうしね…と思うだけに。

生まれてから1度も本気で自殺を考えたことのない大人なんていないと思う。もし、存在したとするならば余程恵まれた人か、あるいは感性の鈍い人だろう。

しかし、ちょっと不思議なのは「死にたくなるほど辛いなら学校行くの辞めちゃうのもアリなんじゃない?」って意見をあまり聞かないことだ。私とて成長過程において「学校で学ぶ」ことの大切さは理解しているが、死ぬほど嫌なら「行かない」って選択肢もアリだと思う。確かに学校は成長過程で必要な場所ではあるけれど、大人になれずに死んでしまうくらいなら、別の道を探したら良いのに……と思うのだ。

確かに規定の教育を受けないとなると社会へ出る時に困難はついて回るけれど「地域の学校に通う」ことだけが教育を受ける手段ではない。現実問題として通信制の学校や大検を利用して大学に行く人も多いご時世である。それなりの苦労は覚悟しなければならないけれど「正規のルートを通らずに大人になった」人ってのは案外多い。

しかしながら、子供の頃は「学校」という狭い社会がが世界の全てで、そこで躓いたら絶望的になってしまったりするものだ。しかも大人達が「学校に行く事」にコダワリを持っていたら尚更である。そりゃぁ、行かないより行った方が良いとは思う。だが、誰もが同じルートを歩けるとは限らないのだ。横道からひょいひょうと公道に紛れ込む歩き方もアリだと私は思う。

学校でも会社でも「死ぬほど辛い」なら行かなくて良いと思うのだ。「行かない」という選択肢を選ぶのも大変だけど世の中、どうとでも渡っていける。だけど、そりれは、とりあえず生きていれば……の話。

ちなみに私は「いじめ」については、どんな理由があったとしても問答無用で否定する。「いじめ」を無くすことは重要だし、それに対処する方法も考える必要はあろうと思うが、ちょいと逃げ道を提案するのも良いんじゃないかと思ったりするのだ。躓いたり、横道にそれるのは、ちっとも恥ずかしいことじゃないのだから。ジタバタしてこそ人間だしね……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


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