白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2004年07月31日(土) 愛されるろくでなし

お気に入りのサイトを徘徊していると中島らもの死について語っている人が思ったよりも多かった。「へぇっ。この人も好きだったんだ」などと再発見しつつ、その呟きをキャッチした。

どこも申し合わせたようら「ろくでなしだったけど愛された作家だった」てな感じの事が書かれてあった。実際、その通りだと思う。ろくでなしだったし、愛されてもいた。そして私も愛していたし、もちろん今も愛している。

それにしても「ろくでなし」という人種は、どうしてこうも愛を得る能力が高いのだろう?

死んだ父も、相当なろくでなしだったが、葬儀の際、男泣きする仕事仲間や友人などがいたのに驚かされたものだ。亡父は家族だけでなく周囲の人に迷惑を掛けまくって死んだので「葬儀に出てくれる友人なんているのかなぁ……」と思っていたのだが、一部の人は、亡父の「ろくでなし」な部分をひっくるめて愛してくれていたらしい。

まっとうな良い人よりも、ろくでなしの方が愛されるような気がする。

まっとうな良い人は「愛される」と言うよりも、むしろ「好かれる」とか「慕われる」感じなのだ。「好かれる」とか「慕われる」ってことが「愛される」よりもレベルの低いことだとは言わないけれど、遮二無二な感情を持たれにくいには違いない。

自称「まっとうな良い人」である私は、そんな「ろくでなし」達を苦々しく思うと同時に、羨ましくも思うのだ。そして、ろくでなしだと分かっていても愛してしまったりもする。願わくば私も「まっとうな良い人」を卒業して、ろくでなしになりたい。

ろくでなしになるには、どうしたら良いのだろう。悪いことをするから「ろくでなし」って訳でもないし(←それだと単なる悪人である)なかなか難しいものだなぁ……などとツマラナイことを考えてみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月29日(木) それなりに。

中島らもの急死はショックだったけれど、だが、しかし、それなりに元気で生きている。てか、普段と寸分も変わらない日常だったと言ってもいい。いつもと同じように起きて、トースト齧って、珈琲立てて、メールチェックして、出勤して……そして働いて、残業して帰ってきた。

昨夜はFから電話アリ。中島らもの死について語るための電話……ではなくて、ごくヲタクな用件で。ついでに中島らもの話もした。「あの人らしい死に様だよね」ってことと「自殺でなかっただけ救われるよね」ってこをと。早過ぎれる死ではあるが、彼らしい死でもあった。そして何より大きな意味では自然死だったってことは素晴らしい。

今日からAIRをプレイしはじめた。ほんのさわりしかしてないけど。夏だし。

ヲタク的趣味関係のことで愚弟と多いに盛り上がる。週末は愚弟の遊びに付き合うことになりそう。天気が良いといいのだが……台風がちょっと心配。

今日は色々と書きたいことが山盛りだけど、高揚する気持ちとは裏腹な身体がついてこない感じ。とにかく、もう寝よう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月27日(火) 好きだったのに…

中島らもが死んでしまった。

アルコールと麻薬が大好きな、気のいい関西人のオッサンが死んでしまった。「らもさん、なんぼなんでも人として最悪やで」と思っていたけど、どうも私は中島らもを激しく好きだったみたいだ。好きな作家さんだってことは分かっていたけど、ここまで好きだとは思ってもみなかった。死んでしまってから、どれくらい好きだったかってことに気がついた。出所してまだ日も浅いのに、これからまだ楽しませてくれるだろうと期待していたのに。

階段から転がり落ちて死ぬって、どうよ? そう言えば激しく愛していた声優の塩沢兼人も階段から転がり落ちて死んでしまったっけか。私も死ぬ時は階段から転がり落ちたいとさえ思う。

まだ52歳だったのに……

あのオッサンの書いたものにどれだけ笑わされ、励まされたことか。困った行動の多かった人だが、少なくとも私は彼の書いたものに支えられていたよ。彼自身が問題アリな人だったせいか、問題アリの人にも優しく寛容だったなぁ……たぶん私は彼の寛容さを愛していたのだ。自分の拠り所になるくらいに。

自分が直接かかわったことのない人の死で凹んだのは遠藤周作以来かも知れない。彼の場合は、ある程度予想のついていた死だったので、ショックは少なかったのだけとれど。中島らもの場合は階段から落ちたのは知っていたけど、死んでしまうとは思ってもみなかったのだ。

なんてことだ……

こんなに好きだったのになぁ。人の死は「好き」とか「嫌い」とか、そういうこと関係ないものなぁ。どんなに好きでも、ずっと一緒なんてことはありえない。まして直接的に係わり合いのない人は、なおさらのこと。

中島らもが死んでしまったなんてなぁ……。あぁ……。


2004年07月26日(月) 涙腺の強度。

「年を取ると涙もろくなる」って言うのは年寄りの感傷だと思っていた。

なので徳光和夫や西田敏行がテレビの向こう側で、なにかというと号泣しているのを見ても「演技なんだろうなぁ」ずっと思っていた。が、最近彼らの姿を笑えない。ここ数年、涙腺のゆるみに加速がついて、ちょっとしたことでも泣けてしまう自分がいるのだ。

もっとも泣くと言っても実生活で涙することは、まずない。テレビや映画、本といったバーチャルな形で受信したものに対して涙するのだ。活字よりも映像がヤバイらしくて「はじめてのおつかい」みたいな番組でも、うっかり泣いてしまうことが多々ある。

バーチャルなものと言っても何でも泣ける訳ではない。悲恋ものでは、あまり泣かないし、お涙物の定番「別れた家族とのご対面」も大丈夫。だが「ひたむきさ」を前面に出してくる映像は無条件で駄目みたいだ。

「はじめてのおつかい」に限らず「廃部寸前のクラブを存続させようと奮闘する高校生達の日々」とか「縁の下の力持ちをクローズアップ」なんて物に弱いのだ。今日は更衣室での昼食時にかかっていた番組で8歳の少女がパティシエ体験をする……というコーナーがあり、少女のキラキラした瞳を見ていたら「ああ。なんてひたむきな瞳なんだろう」と思うと胸が熱くなって泣きそうになってしまった。(←辛うじて耐えたが)そんな些細なことで熱くなってしまうだなんて、これでは先が思いやられる。

32歳で涙腺がこんなにゆるいってことは、40代、50代になったらどうなるのだろう……考えるだに恐ろしい。徳光和夫や西田敏行を笑っている場合ではない。

そりゃ、そうと。自分以外の人の涙のツボは、どうなっているんだろう。

ちょっと聞いてみたい気がする。たぶんそれぞれに「私のツボはこれだ」ってのがあるんぢゃなかろうか。それとも、いい大人はそんなにピーピー泣くものではないのだろうか。実生活で泣いてしまう派の人もいる訳でだから、そうなってくると単純な分類では済まないだろうし、その辺の仕組みは、ちょっと気になる。

ふと気になったことを書いてみたところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月25日(日) シエスタ。

午前中、家事をしたり図書館へ行ったり。それなりに活動。午後から何をしようかと心ときめかすも、うっかり昼寝をしてしまった。昼寝という行為は身体は休まるようだけれど、心の休息には成り得ない気がする。気がつけば、夕方だなんて、あまりにも虚しいぢゃあないか。

私の心はスペイン人。夏の午後はシエスタ……などと自分を慰めてみたが、慰めきれる訳もなく。時間の区切りから、区切りへと、ひとっ飛びしてしまったような1種のブッチギリ感は、なんと表現したらいいんだろう。

美味しいお茶でも飲みながら、まったりと語り合いたいような気分。話したいことが沢山ある。でも、たぶん本当に話したいことというのは、ろくに表現できないのだろうなぁ……とも思う。

それにしても、ここのところの暑さに押されているせいか、自称「ご飯作り大好き」な私も台所に立つのが億劫でならない。お弁当も作れていないし、今日の夕食も思いっきり手抜きだったし。私も歌人、山川登美子の日記に習って「食べたいもの」を書き連ねてみようか。明日か、明後日か……気が向いたらば。

さて。新しい1週間、どんな風に過ごそうか。週末は楽しみにしている芝居があるし、あたしいサイトのオープンもあるし、今週はそれを糧に頑張るぞ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月24日(土) 人に優しく。

人に優しくありたいと思う。マジで。

「優しい」というのは微妙な言い回しだけど「いつも、にこやかでいる」とか「誰にでも愛想がいい」とか、そういう意味合いではなくて。優しさを貫くためには、時には強さも必要だし、場合によっては何かを切り捨てるくらいの覚悟と気合も必要だと思う。ま。そういう意味も含めて優しくありたいと思うのだ。

しかし身の回りを見渡してみるだに、たぶん私は「人に優しい」タイプではなく、「人に厳しい」タイプなんだと思う。初対面の印象とか人当たりには自信あるのだが、表面的なところは、どうとでも繕えるし装える……ってところが問題なのだ。日々自分と、自分が伸ばした手の内にあることだけで、いっぱい・いっぱいなので、他に気が回っていないと言うか。周りがあまり見えていないらしい……てか、持っている包容力とか、持ち合わせている容量が狭いと言うか。今日は、そんなことを自覚してみた。

それはさておき、今日は家族で『ハリー・ポッター』を観に行ってきた。

まあ「そこそこ」って感じだった。チビッコの時に、あれだけ男前だったドラコ・マルフォイが、少年になったとたん、イマイチ君になり下がっていたのに驚いたってこと以外は、だいたい予想通りだった。なんて言うのか……『ハリー・ポッター』の映画については、もはや客観的な評価は下せなくなっている自分がいる。親戚の子供の成長を見守るオバチャンの心境と言うのだろうか。面白くても、面白くなくても「あんたら、しばらく見ぃひん間に、えらい大きぃ〜なったなぁ。オバチャン吃驚するわぁ」てな感じなのだ。良くも悪くも微妙な作品である。

前の話にも、映画の話にも、なんら関係はないが久しぶりに食べたソフトクリームは美味しかった。130円の安物だったが、安直な味に郷愁を誘われたというか。高級ソフトクリームは食べたときに「ムッ」とくるようなところがあるが、安物のソフトクリームの持つ食後の物足りなさは、独特の味わいがあって良いと思う。

明日は図書館へ予約本を迎えに行かなくては。暑さを避けて午前中に行くのが吉……ってことで今日の日記はこけにてオシマイ。


2004年07月23日(金) 仲間意識。

通勤電車で「まいった」って顔をしている人を見ると嬉しくなってしまう。

「あなたもですか。まあ仕方ありませんね。こう暑くては、まいるのも当然ですよ。昨夜は寝苦しかったのですか? そりゃぁ、そうでしょうとも。それにしても日本はいつから亜熱帯地方に分類されたんでしょうねぇ」

……なとど心の中で1人呟くのだ。「仲間意識」って感じなんだろうか。集団活動はあまり経験がないのだが、暑さな立ち向かっていく(あるいは耐える)日本人達……ってシュチュエーションと言うか。素敵な趣味とは言い難いが、何某かの楽しみがなけれぱ、この暑さは乗り切れない。妄想こそ我がスタミナ。ツマラナイことでも考えてなければ本格的にバテてしまいそうだ。

明日はハリーポッターを観に行く予定。

乙女な母を映画や、食事に連れ出すのがルーチンワークのようになってしまった今日この頃。実写版育てゲー(育成ゲーム)をしているような錯覚に陥る。育てゲーは能力値の調整が命……って、そう言えば最近はゲームから遠ざかっているなぁ。夏だし『AIR』でもプレイしたいとろだが、いまひとつゲームに、ぶっこむ集中力がない感じ。そういやネット徘徊も低調だなぁ。

ま。とりあえず明日は仕事に行かなくていいってだけで、ありがたいや……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月22日(木) 蝉捕り男爵。

いま、気になる男性がいる。

出勤の道すがらに会うその人は、スマートで浅黒い肌をしている。白い歯キラリの爽やかな彼の手には虫網。ちなみに虫捕り網は蝶やトンボを採るような短めの物ではなく、蝉ようの柄の長いものだ。肩から虫取り籠を襷がけにして、毎日元気にウロウロしている。年の頃なら小学校2〜3年生ってところだろうか。今日、彼の虫取り籠には6匹の蝉が入っていた。昨日は2匹。たぶん明日も彼は朝っぱらから蝉捕りに興じるのだろう。

今時、朝っぱらから蝉をしている小学生ってのは、なかなか珍しいんぢゃなかろうか。宿題をしていたり「夏休み子供アニメ劇場」を観ていたりする子の方が多いんぢゃなかろうか。私は毎朝、蝉捕りに励む小学生に敬意を表して彼に「蝉捕り男爵」という呼び名を進呈した。進呈と言っても、1人勝手に思っているだけなのだが。

それにしても、女も見知らぬ小学生を捕まえて話しかけるようになったら立派なオバサンだと思う。

最近、どうにも彼と語りたい衝動を抑え切れなくて、うっかり話し掛けるようになってしまった。話をすると言っても「何匹捕れたん?」とか「その蝉、なに蝉なん?」という程度のことだが。蝉捕り男爵は、あまりオシャベリではないらしく、雄弁に語ることはないが、しかし誇らしげに虫籠を差して「6匹も捕ってん!」などと返事をしてくれる。

いいねぇ。蝉捕り。蝉ってあんまり好きではないけど。この暑い中、大人達が駄目駄目になっている中、油ギッシュに蝉を追いかけ回している蝉捕り男爵は素敵だなぁ……と思う。愉快な夏休みを過ごしてくれたまへ。オバチャン、影ながら君の蝉捕りを応援するよ。捕って、捕って捕りまくるがいいさ!

さてと。明日は金曜日。この週末は何をして過ごそうか……なんて暢気なことを考えるより前に、もう1日、頑張って働かねばなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月21日(水) 切なさの行方。

私は「切ない」って言葉が好きぢゃない。

言葉そのものを嫌っているという訳ではなく「切ない」を多用するのが嫌いなのだ。特に女性は「切ながり」が多いような気がする。女は黙って札幌ビール(←ミルクティでも、ミックスジュースでも日本茶でも可)と思う私としては、やたら滅多と「切ない」を求めたり、口にしたりする人と言うのは、どうにも信用できないのだ。もともと根が意地悪に出来ているせいか「わざわさぜ求めたり、口にするほ余裕があるなんて上等じゃないの。まっ、勝手にやっれば」とか思ってしまう節があるのだ。

それを感じるな……と言うつもりはない。誰にも見せないつもりの日記に、こっそり書いたり、あるいは現実生活とは離れた場所(WEB日記などは最適かも)で、呟きつつ、現実生活ではガッツリ頑張っている人は、むしろ好きだし。

ま。それはともかく「切ない」ってフレーズはあまり使いたくないと日頃から思っているのだが、今日は、とある人のメールに「それは切ないですね」みたいな一文を書いた。その人の状況が、あまりにも切ないというか、大変そうだったので。意識せず。ポイッっと。したらば、相手から「切ないって言葉は哀しいけれど、温かい言葉ですね」と返信があり、目から鱗が落ちた。

自ら求めたり、アピールしたりという風に使われる「切ない」は自己中心的で、見ようによっては見苦しいが他者に対して使う場合は「温かさ」を含んでいるのだなぁ。そう言えば、そういう使われ方をした時に限っては「勝手にやってれば」なんて風には思わなかったような気がする。馬鹿とハサミは使いよう。言葉も使いよう。もっとも、これも匙加減を間違えば偽善的で見苦しくなる可能性はあるのだが。

それはともかく、私の中では、ものすごい大発見だった。

今日は残業もそこそこに、乙女な母を病院へ送迎。病院の待ち時間の間に100円ショップでお買い物。最近、コンビにでも、とんと見かけなくなった森永の牛乳プリンを購入。食後のデザートにした。美味しかった。子供だましな味と乳臭さが、たまらなく良い。何かと草臥れがちな夏のオヤツには最適ではなかろうかと思った。

さて。今週は、あと2日。もうちょっと頑張らなくてはなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月20日(火) 寝言。

最近、寝言が酷いらしい。てか、毎晩言うらしい。

昨夜はあまりにも大きな声で寝言を言っていたらしく「大丈夫?」と乙女な母に起こされてしまった。「しんどい……」と唸っていたらしい。そう言えば起こされた時は、草臥れる夢を見ていたような気がする。どんな夢だったか忘れちゃったけど。昨夜はあまりにも酷くて起こされたのだが、乙女な母の報告によると、ここのところ毎晩「辛そうな寝言」を言っているのだとか。そうは言われても自分では意識がないだけに、どうしようも、こうしようも。

イヤラシイ妄想だの、恨み言だの、ろくでも無いことを口走らないことを祈るばかりだ。

たぶん寝言の原因は、ここのところの暑さと、それによる疲れが原因なのだとは思う。関東地方は気温が39.5度まで上がったとか。日本の夏って、こんなに暑いものだったっけか? 激しく首を捻る。

夏休みに突入したチビッコ達が羨ましくてならない。長い夏休み欲しいなぁ……朝顔の観察日記も、お天気調べも、図工の作品もちゃんとするし、ラジオ体操にも行くので夏休みください……などと思う32歳の夏。現実逃避などしている場合ではないのだが。とりあえず今夜は寝言を言わずに寝れるといいな……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月19日(月) 家事活動とメイド萌え。

本日は週末恒例の家事活動DAYだった。

食料のまとめ買いをしたり、掃除をしたり。今日の重点掃除箇所はトイレとお風呂。ビニール手袋着用の上、カビキラー大作戦。水周りって、うっかりしているとすぐに汚くなるから厄介だ。そして水周りが汚いのって、衛生的にも問題だし。

エマのように、しとやかで有能なメイドさんに掃除してもらいたいなぁ……などとブツクサ思う。ちなみにエマってのは『エマ』という題名のメイド漫画のヒロインで、最近かなり好きだったりする。作者である森薫の公式HP『伯爵夫人の昼食会』を覗いていただけたら、その萌えな世界を分かっていただけるかと。興味のある方は是非。

乙女な母はが病人モードに入ってから(←モードも何も正真正銘の病人なんだが)家の中が小汚いのが悩みの種。

まあ、もともといつもピカピカな家ではなかったけれど、なんちゅーか私1人では自宅清掃をカバーしきれないのだ。大人ばかりの家庭なので散らかることはないのだが、ちょっとしたところ……たとえば換気扇とか、ガス台とか、玄関先などが微妙に嫌な感じ。できるだけ気をつけるようにしているのだが、なにぶん私も掃除ばかりしている訳にもいかないからなぁ。

世界中の兼業主婦が神々しく思われる休日の午後だった。

買い物帰り日傘をさしてフラフラと歩いていたらば、向日葵だとか、ノウゼンカズラだとか、原色系の花がやたらと目についた。夏の花って、どうしてあんなに色鮮やかなんだろう。空の青にも負けない感じ。あの花のようにありたいと思う人間は負けっぱなしなのだけれど。

三時のオヤツには西瓜を食べた。夏のオヤツ万歳。

明日からまた一週間がはじまるが、この週は1日少ない分だけ、ちょっと得しちゃった気分。身の回りも、ちょびっと小綺麗になったことだし、また頑張らなくちゃなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月18日(日) 断髪。

昨日、髪を切った。

風になびくロングヘアーを目指して春先から伸ばしていたのだけれど、ここのところの暑さに耐えかねて、ついうっかり美容院へ行ってしまった。気分転換程度に「伸ばしているので揃えるくらい」にしておけば良いものを、こともあろうか「ご自分でも分かってはるかと思いますが、絶対ショートの方が似合いますよ。ヨーグルトのCMに出てるモデルさん(←私はテレビを観ないので名前忘れた)みたく、キュートなイメージのベリーショートにしてみませんか」という美容師の兄ちゃんの甘言に乗せられて、ありえないほど短く 切ってしまった。

「やっぱ似合いますよ」とて美容師の兄ちゃんは満足げだった。

確かに似合う。中途半端な長さよりも、ずっと似合う。が、しかし「キュートなベリーショート」ではないような気が。原型がキュートな女性がするから「キュートなベリーショート」になるのであって、私の場合はむしろ「漢!」 男前過ぎて、どうしよう……てな感じである。すげー、かっちょイイんですけど。こりゃ、まいった。

ま。いいか。髪はすぐ伸びるし。何より涼しいのがありがたい。髪洗うのも楽チンだし。「しばらく、このままでいいか♪」などと、なんだかんだ言ってお気に入り。

今日は休みだって言うのに引きこもってPCの前に座りっぱなしだった。東京のFと新しくサイトを立ち上げることになって、その準備など。ぼつぼつとサイトを作りながら「今くらい知識と経験があれば、自分のHPも、もっと素敵になるのになぁ」なんてことを思った。思い切って改装したいけど、データ整理の手間を考えるだに、とてもやる気にはなれなかったりする。

遠くに地元り祭り太鼓を聴きながら、ボソボソと陰気に作業をしていた。

今年の祭りは、なんだか地味でいただけなかった。子供の数が減ったせいか、例年子供が引いていた布団太鼓を大人が引いていたし、その上人力では力が足りなかったのかモーターまでついていたし。仕方がないとは言え、ちょっと寂しい気がした。

それにつけてもベリーショートは、あまりにもガッツリなのでお化粧とかお洒落に気を使わないとヤバイよなぁ……なんてことを思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月16日(金) 沸いていたの?

下着ドロにやられてしまった。

帰宅するなり乙女な母が「ねぇ、白蓮。昨日はちゃんと服着替えたよね?」とのたまう。いくら私が無精者で大雑把だからって、2日も同じ服を着るだなんてこと、あるはずもないのに失礼な……と思っていたらば、私のブラジャーとパンツが見当たらないとのこと。乙女な母は洗濯物を取り入れている時に気付いたらしい。いわゆる、下着ドロってヤツだ。

酷い。なんて事するんだ!

乙女な母は「私のは持っていかないんだから失礼よね」とて、なんだか別の方向で憤慨していた。今日は乙女な母の通院日だったので、恐らく乙女な母の留守中に被害に遭ったものだと思われる。「家にいたら気付いたはずなのに」と乙女な母はブツクサ言っていたけれど、いない時で良かったと私は思う。鉢合わせをして犯人に何かされたら一大事だし、もしアッサリ引き下がってくれたとしても万が一、犯人が顔見知りだったりした日にゃぁ、お互い気分が悪いだろうし。

「それにしても気味が悪い」と乙女な母は不安顔だったが、私は気持ちが悪い云々よりもムカついてならなかった。窃盗は犯罪だ。女性の下着が好きな倒錯者を擁護するつもりはないが、そういう性癖はある程度仕方が無いことだと思う。だが、それにしても見るからに、つつましい暮らしをしていそうな民家から盗むことはないだろう。もっとお金持ちそうな家から盗んだらどうだろう。黒の下着は1セットしか持ってないのにぃぃ。酷いぢゃないか。

この暑さで下着ドロも頭沸いてたんぢゃないかなぁ……などとツマラナイことを思ってみた。

とりあえず下着を買わなくちゃ。そして下着の干し方も考えた方がいいかも。そんなに取りやすい場所ではないはずだが、1度盗まれたってことは2度目がないとも限らない訳だし。

ま。とりあえず数が足りないのは困るので、早々に下着を新調せねばなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月15日(木) 蝉・西瓜・葡萄

梅雨が明けたから……って訳でもなかろうが、朝っぱらから蝉の活動が旺盛だ。

蝉の声を聞くと、暑苦しさが倍増するような気がする。もっとも同じ蝉でも夏の終わりに登場するツクツクホウシの声はさほど憎らしく思わない。音質よりも気持ちの持ちようなのだろうなぁ。夏本番に鳴く蝉と、夏の終わりを告げる蝉。印象が違うのも無理からぬことだ。鳴き声はウルサイし、なんの断りもなく道端でゴロゴロ死骸になるし、蝉ってあんまり好きぢゃない。しかし「地中に潜むこと七年」という彼らのサイクルを思うと本気で嫌いにはなれなかったりもする。こういうのって日本人的発想なのかも知れない。

蝉の声を聞くと藤沢周平の『蝉しぐれ』という時代小説を読みたくなる。幼馴染のむくわれない恋とか、武士道とか、いうベタベタなテーマの小説で、めちゃめちゃ面白いかというとそうでもないのに、じわっとツボに入るのだ。夢破れたり、諦めたりしながらも、捨て鉢になるでなく、自分達が置かれた状況の中で、幸せを掴んでいくだろうことを予感させるラストが日本人的で気に入っている。ああいうノリは海外物の恋愛小説では、ほとんど見られないような気がする。

突然話が飛んでしまうが、いま我が家の冷蔵庫はスイカに占拠されている。大人ばかり3人の家族なのに、どうしたものか戴き物が重なってしまった「頑張って食べなくちゃ」という状態だ。子供の頃スイカは嬉しいオヤツではなかった。スイカよりもカキ氷。カキ氷よりもアイスクリームと、よりバタ臭い物の方が好きだったのに、今はむしろその逆で、スイカを美味しいと感じている。年とったのかなぁ……と思ったり。

夏だなぁ……まっこと夏だ。

今年の夏は衝撃的なこともなく、淡々と過ぎていきそうな気がする。だけど何故かそんな夏を愛しく感じたりするのだ。西瓜がはけたら、1年ぶりに葡萄屋のおばぁに会いに行こうかと思ったりしつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月14日(水) 名前の妙。

昨日は日記のタイトルの中に「もう1つの名前」を使っていたことにアップしたあと気がついて、1人こっそり恥ずかしい思いをした。

私には本名と、ここで使っている「白蓮」の他にもう1つ名前がある。主にFとヲタクな活動をする時に使っていた名前。ちょうどその頃は遠藤周作に傾倒していて、彼のもう1つの名前「狐狸庵(こりあん」のように語呂の良い名前が欲しくて付けた若気の至り爆発な名前なのだが、ぢつは本名の次に馴染みが深いのは「白蓮」よりも、もう1つの名前だったりする。

ゲームをする時、プレイヤーの名前を入れられるものは必ず、その名前を使うし、HNもそれで通していた。白蓮という名前は、不貞腐れモードの時に書き始めた日記のためだけに作った名前で『白い木蓮の花の下で』を縮めただけという、至極いい加減な由来しか持っていない。白蓮を名乗り始めた頃は、まさか、こんなに長い事この名前を使うとは思っていなかったのだ。

しかしスタートはどうあれ、今となっは「白蓮」と呼んでくれる人の方が、ずっと多い。もっとも以前使っていた名前で自分から働きかけをしなくなってしまったのだから、呼ばれないは当然なのだが。寂しくはあるが、むしろ、その名前で呼んでくれる人がいまだにいるという事実を幸せに思うべきだろう。

それにつけても、こんなに長く使うなら「白蓮」なんて名前を付けるのではなかった。美しい名前だと思うが、綺麗過ぎて、私のイメージとは離れすぎていて、いまだに少し馴染めずにいるのだ。身の置き所に困るというか。(←だからって「ゆら」とか「ゆらら」とかって名前が似合ってるという訳でもない)長く使うと分かっていればカッコイイ名前とか、気安い名前にすれば良かったと後悔しつつ、改名するのも面倒なので使い続けて現在に至っている。

ちなみに本名(姓名の名)は、語感がキツイので、性格キツソウだとか意地悪そうだとか言われることが多い。が、しかしこちらは自分にピッタリな名前だと思っている。ずっと、その名前で呼ばれ続けていると中身が名前に馴染んでくる……なんてこともあるんだろうか。もし、そうだったら白蓮という名前が馴染む日が来ないとも限らない訳だ。自分に似合わない名前を背負うってのも、そう考えると悪くないのかも知れない。

それにしても今日はいつにも増してまとまりの無い文章だなぁ……暑さで脳味噌がやられてしまったのかも知れない。

さてと、明日はお給料日。先月は頑張ったのでプチ・バブル。もっとも派遣社員はボーナスがないので、そう浮かれてもいられないのだけど、ここは素直に喜んでおこう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。

<ご報告>
「おにぎりを語る掲示板」は、こっそり撤退いたしました。参加してくださった方、のぞきにきてくださった方、ありがとうございました。有意義なおにぎりトークができた楽しかったです。また楽しいネタがあれば、期間限定で掲示板遊びをするのも良いなぁ……なんて思ってます。


2004年07月13日(火) ゆらゆら仕様。

今、三十路が熱い……

いま、一緒にお弁当を食べているメンバーの8割が30代の独身女性なのだが、彼女達はすごく濃い。前にも、そんな話を日記に書いたけれど、今日もそんな話。

ちょっと「いまさら」な感じがするのだけれど、何故だかしら今日の話題は「負け犬について」だった。誰かが『負け犬の遠吠え』を読んだとか、そういうところから盛り上がったような気がする。そりゃぁ、まあ刺激的な話題なので熱くなるのは分かるけれど、それにしても熱くなり過ぎ。

「まったく失礼にもほどがある」「女が1人で生きていくって大変なんだからね」「結婚してるからって何さ!」「負けたと思ってる人が負けてるんであって、私は決して負けてない!」と、ものすごい剣幕の者2名。追従するもの大多数。私も同じ立場の人間だから、その気持ちは分からなくはないけれど、あまりの熱さに圧倒された。

うっかり「私はもう負け犬でいいや」っと思ったくらいだ。

しかしながら、そのエネルギーには感服させられる。エネルギッシュに生きるってのは悪くないなぁ……と思う。パワーがあった方が人生楽しめてお得な感じ。私も時折「悪い病気にでも罹ったか?」と思うほどエネルギッシュになることもあるが、今はちょっと、ゆらゆら仕様で駄目駄目モード。ほとんど風まかせで漂っている状態なので、ついていけない感じだった。ま。秋になるまで、体力を温存しつつ、ゆらゆら暮らしていよう……と思ったり。

話は変わるが、昨日設置した「おにぎりを語る掲示板」は予想以上の大反響である。こんなにおにぎり好きの勇者がいたとは驚きだ。たくさんの勇者達のおかげで内容の濃い掲示板になっているので、お気が向かれたらお立ち寄りくだされ。おにぎり好きなら楽しめること受け合いです。明日の夜には撤去する予定なのですが、ギリギリまで書き込み歓迎。
↑おにぎりを語る掲示板は2004年7月14日夜をもって撤去しました。

さて、明日は週の半ば。週末は遠いけど頑張らねばなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月12日(月) おにぎりについて語りあいませう。

昨日の日記に「おにぎり」への愛をを書いたらば、ある方から興味深いメールを頂戴した。

「自分の家で味噌を塗ったおにぎり(焼きおにぎりではなくて、生のままのものを塗る)を作っていて、それが大好きなのだが、地域的に食べられているものなのかは不明です」という内容だった。

私は味噌を塗るおにぎりの存在を初めて知った。メールの主に使用する味噌は、どんな種類なのかを詳しく聞いて、ぜひとも我が家でも再現してみたいと思う。

これはおにぎりに限ったことではないが、自分ちの「あたりまえ」が世間一般的ではない……なんてことは多々ある。そして食べ物の場合は地域や世代によって様式が違ったりするので、調べていくと奥深いだろうと思われる。おにぎり好きとしては、他のおにぎり好き達の「おにぎり感」などを聞いてみたいような気がした。そう大げさな話ではなくて「我が家では、こんなおにぎりを作る」とか「私の好きなおにぎりベスト3はこれだ」とか「おにぎりと聞いて思い出すこと」とか、そんな程度のことで。

思い立ったが吉日ということで本日から期間限定(2004年7月12日〜2004年7月14日夜頃)でおにぎりを語る掲示板」を設置してみた。
↑2004年7月14日夜をもって撤去しました。ありがとうございました。

「おにぎりを語る掲示板」に書かれたことを統計にとって、どうこうしよう……という大志がある訳でなく、おにぎり好き達の「私のおにぎり感」を読んで「へー」っと思いたいという低レベルな趣向なのだけれど「我こそは」という勇者は、ぜひお立寄りくだされ。手作り・コンビニを問わず、おにぎりについて語り合うではありませんか。

日記というよりも「遊び仲間募集」の告知になってしまったけれど、たまには、こういう遊びもいいかな……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月11日(日) おにぎりドリーム。

以前「カレーライスには夢がある」てな日記を書いたことがあるのだけれど、私はカレーライスよりも、おにぎりにドリームを感じてしまうタイプである。今日はおにぎりドリームな話。

昨日は休日出勤だったので、今日は思う存分朝寝坊をしようと思っていたのに七時起床。うっかり約束をするんぢゃなかったと公開しつつ、手早く朝食を済ませて作業に取り掛かった。そう……7人の若者のためにおにぎりを握ったんである。

愚弟は年明けからコスプレ写真にハマっていて、今日は京都の竹藪で撮影会とのこと。忍者ネタの作品らしい。前日、愚弟から「なんか撮影に使える小道具ないかなぁ」と相談を受けて「そうだねぇ。竹皮につつんだ『おむすび』なんていいんじゃないかなぁ。時代物だったら、無骨な感じの大きいヤツが3つほどあったら写真映えするだろうし」と発言したのが運の尽きだった。

「それ、いいね♪」となったはいいが愚弟は片手が不自由なので、おにぎりなんて握れない。勢い、握るのは私……ってことになる。そして小道具の『おにぎり』を用意するのに「差し入れ」もしない32歳女というのは、どうにも格好がつかないということで、撮影部隊7人分のおにぎりをと、小道具用のおにぎりを握るハメになってしまった。

小道具用のは無骨で大きなおにぎりで良いとしても、差し入れに無骨なものはいただけない。しかもメンバーの大半はうら若き娘さんときている。食べやすい小ぶりのおにぎりを3種類(梅・昆布・鮭)を用意することにした。自分が参加する訳でも、食べるわけでもない物を作るだなんて、どうかしている……と思いつつ、せっせと握った。艶々な海苔を巻き、1つ1つサランラップでくるみ、もはやコダワリの領域である。

我ながら馬鹿過ぎる……てか、そんなにコスプレ写真が好きか? てか、むしろ「おにぎり」フェチ? と自問自答すること小1時間。たぶん私は「おにぎり」が好きなのだ……という結論に達する。おにぎりを握っているだけで、なんだかワクワクしてしまうのだ。おにぎりフェチと言っても過言ではない。そして贅沢を言うなら「おにぎり」を「お弁当」まで昇華させることが出来れば最高だ。通勤弁当では駄目だ。「行楽弁当」なら最高だ。私は「ピクニック」とか「外ご飯」ってシュチュエーションに滅方弱い。当然ながら「差し入れ」も可。

ああ……お弁当持ってどっか行きたい……

自分のおにぎりドリームに呆れつつ、愚弟を送り出した。そして本日は図書館へ行ったり(給料日前で懐が淋しかったため)、食料の買出しへ行ったり、選挙へ行ったりして地味に過ごした。つくづく自分の食べない差し入れも好きだが、自分も参加する行楽弁当を造りたい……と思った次第である。

行楽弁当どころか、明日からまた1週間が始まる。コツコツ働かねばなぁ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月10日(土) 寸借詐欺。

どうやら寸借詐欺に遭ったらしい。

今日は土曜日だったのだけれど出勤で、しかも大阪地方は朝っぱらから豪快な雨模様だった。とうぜん気分が良いはずもなく、ムスッとした顔で自宅から最寄駅に向かう途中、年の頃なら45歳くらいの濡れ鼠の男性から「道を教えて欲しい」と声を掛けられた。

「トラックターミナル」を教えてくれと言うのだけれど、近辺にそんなものはないし、隣の市にあるのは知っていたが、行き方は知らないと告げたらば「じつは新潟から来たのだけれど、置き引きにあって携帯も財布も持っていない。警察に届けを出したが、お金は貸してくれないとのことで途方にくれている」とのこと。運送関係者なのか、トラックターミナルまで行って、今の状況をなんとかしたい……とのこと。

で。必ず返すのでお金を貸して欲しいと言われた。

冷静になって考えてみると、大阪と言っても田舎びた街で、しかも朝っぱらから「置き引き」なんて犯罪に遭うとは思いがたいのだが、どうしたものか、うっかりお金を渡してしまった。水知らずの人にお金を貸すのだから、あげるつもりで1000円ばかり。「持ち合わせがないので、これだけしかありませんが大丈夫ですか?」というと「電車賃になるので助かります」とのこと。男性は「必ずお返しします」とてフルネームと連絡先を教えてくれた。

同僚や家族に話をすると「そりゃぁ寸借詐欺だよ」と一笑されてしまった。確かにそうかも知れない……が、もしかしたら本当に困っていたのかも知れない。善良な人なら落ち着いたら連絡をくれるかも知れないぢゃないか……と思いたいところなのだが、残念なことに私は電車に乗り遅れそうだってことに気を取られてしまって、彼に自分の連絡先を教えなかったのだ。私は彼の連絡先を預かったけれど、まさか「あの時のお金を返してください」とは言えるはずもなく。

もしも詐欺だったとしても僅か1000円のことだし、もしも本当に困っていた人だったら「大阪にも親切者いるんだよ」とアピールできて良かったぢゃないか。もっとも、そんな暢気なことを考えるよりも、むしろ自分の迂闊さをどうにかするべきだろう。私には「オレオレ詐欺」の被害者を笑う資格はないようだ。

ある意味貴重な経験だったような気がする。

今日は休日出勤だったが、明日はちゃんと休みが取れた。とりあえずは朝寝坊だ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月09日(金) 完璧な花婿。

世の中捨てたもんぢゃない。

ついに来た完璧な花婿! 31歳。独身。次男。身長181センチの爽やか系男前。しかも、乙女な母と私をまとめて面倒見てくれるという気甲斐性。もう、こんな人は現れないんぢゃなかろうか。完璧な花婿とは、ああいう人のことを言うんだろうと感激した。しかも相手さんから言ってきてくれたのだ。こりゃぁ、一本釣りどころか、期待もしてない定置網に鯨が迷い込んできた……てな勢いである。

そんな訳でここは流れに乗って勢い良く結婚……ってな話になるはずなのだが、なんと自分から断ってしまった。まだ恋人とは呼べないような段階で「ごめんなさい」をしてしまった。私に選択の余地などあるはずがなかったのに、なんて暴挙に出てしまったのだろう。

ぶっちゃけ。条件によろめいた部分はあった。てか、条件を聞いたとたんに「どうでもいい人」から「付き合ってみてもいいか」ってな気持ちの変遷があったと言っても過言ではない。見た目とか仕事とかも重要だが「乙女な母の面倒も見るよ」ってところに、かなり惹かれた。それだけで充分だと自分に言い聞かせたのだが……いかんせん好きになれなかったのだ。惚れられなかったのだ。嫌いになる理由もなかったが、好きにもなれなかった。またしても同じ過ちを繰り返してしまったような気がする。

毎度、何か大きな壁にブチ当たったり、辛いことがあると「今度プロポーズしてくれる人がいたら、好きであろーが、なかろーが結婚して、気楽に生きる」と心に堅く誓うのに、いざとなったら「やっぱ嫌だ」となるのはどうしてだろう。馬鹿すぎて泣けてくる。

親しい友人に言わせると「それが白蓮のいいところだ」と言ってくれるし「なんだかんだ言いながらも結婚に逃げないってのは偉いよ」とか言ってくれるのだが、私自身は自分のこういうところが死ぬほど嫌いだ。打算もOKだと思う。むしろ打算って素敵だとさえ思う。思うのに……できないんだなぁ。これが。

恋愛淡白質で、ちっとも惚れっぽくない自分が呪わしく思う。恋愛感情が希薄であるという部分は私にとって最大のコンプレックスだろう。Fが「恋愛できないなら、いっそ諦めて家族になれそうな人を探すって方向に切り替えろ」と言われるのも無理からぬ話である。

まあ、嘆いてもしょがないので、明日からまたコツコツ生きるかな。とりあえず週末だけど、とりあえず休日出勤だし。暑かろうが、なんだろーが働かねばならぬのだし、早く寝て明日に備えるかな……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月08日(木) 興味のベクトル。

携帯ストラップのマスコットが行方不明になって久しい。

「明日こそ買おう」と言い続けて1ヶ月以上放置しているような気がする。携帯ストラップがないと不便なので、一応そのままにしてあるのだけれど、あれは携帯ストラップではなくて、ただの「紐」である。先日愚弟から、いいかげんストラップを買うように忠告されてしまった。そして、ついでに「携帯電話自体を買い換えろよ」とも言われた。

愚弟曰く「姉の携帯電話はどこの戦場を駆けまわってきたんだ?」

確かに私の携帯電話は傷だらけだが「戦場」とはあんまりだ。抗議したらば「戦場」を「荒野」に訂正してくれた。もっとも、訂正してくれたからって嬉しいとは思えない訳だが。ちなみに今、使用している携帯電話は買ってから1年半。まだまだ行けると思っているのだが……

だいたいからして私は持ち物に対してコダワリが無さ過ぎるのだと思う。物の扱いが乱暴なのも良くない。そう言えば定期入も「今月こそ買おう」と思いつつ、もう2年くらい経っている。前の定期入を落とした後、その場しのぎで買った100均のラミネートケース(カードが8枚入るカード整理ケース)を、それ以来ずっと使っている。いい年した大人が持つには、あまり格好の良いものとは言えないので、いいかげん卒業したいのだけれど、どうしても「面倒臭い」が先に立つ。

興味のベクトルが「すごく好き」な方向にしか向いてくれないのが敗因なのだろう。どうしても読みたい本があれば、新刊だろうが、手に入れにくかろうが、比較的簡単に手に入れることが出来るのに。携帯ストラップ1個買えないでどうするよ……

壊れた携帯ストラップを付け続けるのは見苦しいので早急に購入しなければ。次に買う携帯ストラップは長持ちするよう「丈夫さ」を重視しよう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月07日(水) 海から山へ。

昨夜は小学生並みに早く就寝してしまった。

就業後の時間を「食事→入浴→就寝」にしか使わないというのは、なんとも情けない話だが、不甲斐ない魔法使いから賢者にレベルアップをするためには必要なことだと諦める。この際、イイカッコしている場合ではないのだ。

そりゃそうと最近高まっている「海に行きたい熱」が、どうやら別の方向に向いているよだ。「海へ行きたい」という気持ちが無くなってしまった訳ではないのだが、体力値が落ちてくると「海」は、いささかパンチがキツ過ぎる感じ。都会よりも、ちょっぴり涼しい「山」で、ぼんやり過ごしたいような……

山とってもお洒落な別荘地は不可。かなり山奥の鄙びた村がいい。温泉があるのだけど、宿は民宿に毛が生えたような規模のものが5軒ばかりと、村営温泉が1軒。バイク乗りの人や、温泉マニアの間では有名だが、あまり一般的ではないような場所。鼻腔に緑の香がむせかえるような、そんなところ。

旅行と言うより湯治のノリ。何もせず温泉に浸かって昼寝をするのだ。持ち込んだ文庫本に目を通したり、散歩をする以外は、ボンヤリ過ごす。宿のお風呂は内風呂で小ぢんまりとしたヒノキ造。宿の女将さんから「村営温泉には露天風呂もありますよ」と話を聞いて、露天風呂へ出掛ける。

露天風呂には観光客よりも、むしろ地元の人の方が多くて、岩造りの露天風呂に浸かっていたらば、地元のおばあさんに声を掛けられる。そして世間話など。なんとなく意気投合して「大阪から来たんです」と告げると「そりゃぁ遠いとこから」と感激されて、温泉からあがった後、おばあさんが作ったと言うトマトを戴く。トマトはツンと青い味がして、とても美味しい。

などと「海に行きたい熱」が高まっていた時と同じく妄想ばかりが膨らんでいる。海もいいけど、山もいい。しかしながら、そんなことばかり考えている場合ではない。働かねば……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月05日(月) 毒女。

成り行き上、更衣室で昼食を取るチームに組み込まれてしまった。

いま派遣されている職場では、お弁当持参組も自席ではなく、食堂もしくは更衣室で昼食を取ることになっている。いままでは食堂で食べていたのだが、成り行き上、更衣室で昼食をとることになってしまった。派遣社員の気楽さで、人間づきあいは「適当」にしていれば良いので、どこで昼食を食べようと、さしてコダワリはないのだが、更衣室のメンバーは濃いキャラ揃いで、毎日が刺激的だ。

メンバーは年齢層が高く20代後半の女性が2人いるだけで、あとは全員30代。しかも全員独身である。女性も30代になって独身でいると、とかく「ろくでもない」というレッテルを貼られがちだが、私が今まで知り合ってきた30代の働く女性は、おしなべて素敵な人が多かったので「世間の評判なんてアテにならないよなぁ」と思っていたのだが、今の職場の更衣室メンバーを見るだに、まったくもって「ろくでもない」人が多くて、世間の評判もあながち馬鹿にしたものではないのかも……などと思ったりしている。

更衣室にはテレビがあるので、昼食時はなんとなくテレビを観ていることが多いのだが、老後の生き方だの、痴呆症だのといったことがテーマになっている番組を観ている最中にとんでもない発言をした女性がいた。

「ボケ老人は舌噛んで死んで欲しい」
「老人なんて長生きされても迷惑だ」
「姥捨て山は必要」
「若者の迷惑にならないようにして欲しい」

怒りを通り越して呆れ果てて物も言えなかった。人間はそれぞれ考え方が違うので、正しいとか間違っているとかを一刀両断に決め付ける訳にはいかないけれど、言っていいことと悪いことがある。第一、同じテーブルを囲んでいるメンバーの中に、祖父母と暮らしている人がいないとも限らないのだ。毒舌家というよりも、常識と配慮に欠ける馬鹿者だとしか思えない。

物事の通りの分からない年齢の人間の言った言葉ならともかく、30代女性の発言なのだ。同じ世代の独身女性として恥ずかしく思う。某巨大掲示板では独身女性のことを「毒女」と呼ぶ風習があるが、馬鹿発言の主はまさに毒女だと思う。私は声を大にして言いたい。「あなたこそ他人の迷惑にならないようにして欲しい」と。

もっとも、もっと驚いたのは彼女の発言に賛同する者が多かったって事実なのだが。酷い言い方かも知れないが、こういう人は結婚しないで、子孫を増やさないで、一代限りで絶えて欲しいと強く思う。

世の中には色々な人がいる。まったく分かり合えそうにもない人もいる。こればかりはどうしようも無いことなのだろうなぁ……。なんとなくワダカマリを抱えたまま今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月04日(日) 木漏れ陽を歩く。

午前8時起床。立ち上がり極めて悪し。一瞬、出掛ける予定をドタキャンしようかと思うも、昨日よりは元気になっていたので出掛けることに。行き先は相手まかせで、あまりハードな場所を予定されていると困るなぁ……と心配していたのだけれど、体調不良を伝えてあったせいか「今日はのんびり過ごしましょう」と、のんびりコースを用意してくれていた。感謝。

京阪電車(おけいはん)に乗って京都へ。哲学の道を散策。暑いかと思っていたが木漏れ陽の美しい哲学の道は、人も少なく、風も心地よく快適だった。少し歩いて、ランチを堪能。やはり日本料理は身体に優しくて良い。哲学の道では紫陽花、ヒメジオンが花盛りだった。黒揚羽に出会って感激したり。

南禅寺まで歩いて、境内でボンヤリ。豪快な造りの寺は、器の大きさの分だけ時間がゆっくり流れているような気がした。南禅寺の後は京都市内へ行き、カフェでボンヤリ。話をしたり、ボンヤリしたり。ボンヤリしたり。話をしたり。とにかく、あまり動かなかったので、肉体的には楽チンだった。緑の空気を吸い込んで、ちょっとリフレッシュしたような気も。

夕方も早々に引き上げて帰宅。夕食の準備はしていないし、愚弟が宝くじで小金を当てたので、何かご馳走してくれると言うので地元のベトナム料理店で夕食。はじめて行った店だったのだが、とても美味しくて大満足。どの料理も野菜たっぷりで「ベトナムのお母さんが作った味」って感じの店だった。地元にこんな名店があったなんて知らなかったなぁ。

のんびりペースの外出だったけれど、やはり草臥れた。なんとなくグッタリな感じ。今夜は読書録を更新しようと思っていたけれど断念。また明日。明日からまた1週間がはじまることだし、早めに寝ようかな……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月03日(土) 健康のバロメーター。

昨日、今日は、ものの見事にダウンしていた。

金曜日は出勤したものの激しい頭痛と嘔吐と下痢の三重苦。1度に3つもの症状が現れるだなんて、ほとんど「仮病の言い訳」って感じで我ながら驚き。早退したくても動きが取れないほどの状態で、暑さの中を帰るなら、職場にいた方がマシだと判断して、休み休み仕事。残業もそこそこで帰宅。家路の遠さに涙した。

早めに帰宅したからって、何ができる訳でもなく、早々に布団の住人。血圧低すぎて視界に星がチラチラと舞う中、乙女な母から「今年に入って、何度寝込んだら気が済むの」との苦言。今年は確かに週末の寝込み率が高くなっているような気がする。ここのところ朝起きるのも辛く、本も頭に入ってこなくて、ヤバいなぁ……とは思っていたに、事前に防げず無念なり。

気持ち的にはこんなに充実しているのに、身体がついてこないだなんて!

ゲームに例えるならHPと防御力が低い魔法使いなのに、前衛に出て頑張っていたら、あっけなく戦闘不能になってしまった……ってところだろう。バランスよく成長していく勇者殿が羨ましい。せめて強い防具が装備できる賢者様にならねば。ここは1つ経験値を溜めて転職すべきだろう。

思えば日記書き率と読書録の更新ペースは健康のバロメーターかも知れない。毎日欠かさず日記を書いて、さらに読書録まで更新していたなんて時代があったなんて信じられないくらいだ。つい最近までそうだったのになぁ。なんとも不甲斐ない。

そんなこんなで今日も1日寝て過ごし、夕方からやっと元気になってきた次第。明日は出掛ける用事があるのだけれど、この調子なら大丈夫だろうと思う。養命酒飲んだり、健康雑誌をチェックしたりした方がいいんだろうか。何もかもが大雑把過ぎるってのは、良くないと思ったりする。ま。それはともかく今夜も早く寝よう……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年07月01日(木) 味噌キャラメル

愚弟が『味噌キャラメル』なる食べ物をくれた。

先週の日曜日に名古屋から遠征にきたヲタク仲間がお土産にくれたとのこと。愚弟は仲間達と食べたらしいのだが「珍しいから1個あげるわ」と手渡してくれたのだ。本当ならすぐに食べるべきだったのだが、その時はキャラメルを食べる気分ではなかったので、昨日までずっと温存していた……と言うよりも、むしろ食べるのが嫌だった。

変化球系の食べ物や、笑いの取れそうな食べ物というのは、その場にいる人とワイワイ言いながら食べるから、そこそこ美味しく食べられるのであって、1人で食べるものではないと思う。

そして勇気を出して口に運んだ味噌キャラメルは微妙な味わいだった。

不味くはなかった。が、美味しくもなかった。甘露煮のような、みたらし団子のタレのような味わいで、ほんのり味噌風味。食べられなくはないが、もう1個食べたいとは思わなかった。もっとも、そのテの食べ物にしてはそこそこのクオリティだとは思ったけれど。きつねうどん味の飴『きつねの涙』だの、たこやき味の『たこ焼き飴』だのの強烈さに較べれば、100倍は美味しいと思った。

それにつけても名古屋人のセンスって好きだなぁ。大阪人の馬鹿さ加減と通じるところがあるように思う。チャレンジスピリッツが逞しいのだろうか? 愚弟は味噌キャラメルをくれた名古屋の人とは、これからも、なんだかんだと会う機会があるらしく、これからも定期的に名古屋の不思議な味が頂けそうだ。←なんだかんだ言いながら楽しみだったり。

美味しかろうが、美味しくなかろうが愉快な気持ちにさせてくれる食べ物って、良いよなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


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