ひょんな事から職場の女子更衣室で
盗みを働いている人の正体に気づいてしまった。
やはりと言うべきか、当然と言うべきか。犯人は女子更衣室の住人だった。ちなみに正社員さんだ。相手も、私が気付いた…ってことに気付いたらしい。詳細は割愛するが、お互い「あっ」って感じだったもの。うむ。なんだか妙な雰囲気である。だからって私は騒ぎ立てるつもりは毛頭ない。物的証拠(たとえば現場を押えた映像とか)がある訳でないし。そして何より派遣社員という立場上、私が何かして得になることなんて、1つもありはしないのだ。ずるい選択だと思うが「なかったこと」にするつもり。
だけど、当人はそう思えないのだろうなぁ。私に接する態度が、手のひらを返すどころか、足の裏を返すほどの豹変してるもの。腹立たしい時期は通り過ぎてしまい、なんだか哀れでさえある。彼女は自分と同じく独身で働く女性……しかも先輩格の人だなだけに複雑な心境である。あんな風にはなりたくないものだ。そりゃぁ私も恥ずかしいことや、人には言えないことは沢山してきている訳だけど。複雑な心境だ。
ま。そんな陰気な話はおいといて。ここからは別の話。
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日記のカウンターが10万HITを越えました。
今日は遊びに来てくださる方に感謝しつつ、しみじみ感慨に浸っています。まだ先の話ですが、10月になったら日記をはじめて丸3年になります。毎回、半年、1年といった日付的な区切りや、カウンターの区切りが近づくと、通過儀礼のように「キリがきたら辞めよう」なんてことを思いつつ、色んな人に、うっかり「長続きするよう頑張ります」とか言っちゃってる手前、引っ込みがつかなくなって、現在に至ります。
こういう形で文章を書き続けていくということについては、いまだに迷いを持っています。一応、日記という形を取ってはいるものの、人の目にさらされる以上、日々の暮らしや、今考えていることなどを赤裸々に書ける訳ではありません。「ぼかして書くなら最初から書かなきゃいいのに」と思ったりもします。だいたいからして自分に都合の悪い事は書きゃしませんし、アンフェアーな記録なのでありまする。日記をはじめる時に、書くにあたっての方向性を決めていれば、もう少し違っていたのかも知れませんが、私の場合は、日記を続ける限り、この迷いと連れ添っていかなきゃいけないのだと思います。
だけど、できる限り書き続けていくつもりでいます。ぶっちゃけ。書き続けていくってのは、楽しいことばかりではないのですが、プラスとマイナスを秤にかけるとプラスの方が勝っているので。
はじめて日記のカウンターが回っているのを確認した時の感動。
掲示板をつけて、はじめて書き込みをもらった時の喜び(←お名前も覚えてます)
見知らぬ人から戴くメール。
この場所のおかげで仲良くなった人とのリアルでの対面。
……それらは、私にとって大切な宝物です。
そして何より書くことで自分の気持ちの整理をしたりしている訳で。長々と続けていきたいと思っていますので、これからもよろしくお願いします。大きな区切りを迎えられたことに感謝しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
いつも、つきあってくださってありがとうございます。
仕事帰りの道すがら、地蔵盆の飾りつけを目にした。
地蔵盆が来ると夏が終わるんだなぁ……って気がする。私の地元は盆踊りの盛んな土地で、8月のギリギリまで踊り狂っていたりするので「地蔵盆・盆踊り」なんて名前を掲げているところもあったりして、まだまだ勢いは良いのだけれど。今週末あたりで花火大会もオシマイだし、蝉は気前良く死んでいるし、向日葵は種っぽくなってきたし。
今日は地蔵盆の飾りつけを見て、なにやら胸の内に温かいものを感じた訳だが、こういう物を見て、そんな感傷に浸るだなんて、私も年を取ったんだなぁ……と思う。お菓子をもらう子供達を見て「お地蔵様に見守られて元気で大きくなると良いなぁ」などと、年寄りのようなことを思ってしまった。信心深い性質ではないが、お地蔵様って、なんか好きだ。
話は変わるが相変わらずオリンピックは1度たりとも観ていない。
せっかくだから、このまま観ずに通すのも良いかと思ったりする。テレビ鑑賞まで手が回らないのだ。日曜日の新選組は観たけれど。山南さん、死んじゃったなぁ。源さんの差し出した「おにぎり」が胸キュンだった。万感の思いを込めたおにぎりか……深いなぁ。
夏が終わるといったところで、日々の生活は続いていくわけで、気持ちの方も切り替えていかなくちゃなぁ……なんてことを思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
『サンダーバード』を観に行ってきた。
『サンダーバード』は子供の頃に放送していた覚えがあるのだけれど、ちょっと世代がズレるのせいか、取り立てて思い入れは無い。一緒に行ったのは『サンダーバード世代』の人なのだが、私は思い入れが無い分だけ、真っ白な気持ちで映画に挑むことができた。どうやらマニア的にはNGな映画だったらしい。確かに安っぽい映像だった。あの安っぽさは、わざと狙ったものなのだろうか? 微妙である。
映像のイマイチ度を無視するならば、まずまずの映画だったと思う。子供と一緒に楽しむにはいいかな……と言うような。大きな欠点のない優等生映画という気がした。が、数年後には観たことさえ忘れてしまいそうな、ツマラナイ映画でもあった。大きな欠点もない代わりに、人を惹きつけて止まない魅力もなかった。
優等生は愛されないと相場が決まっている。
一目を置かれることはあっても、ただそれだけの存在になりがちだ。優等生より「お馬鹿まる出し」だったり「手のかかる不良」だったりする方が断然面白いのだ。総合力で上を狙うよりも、得意分野で他と差異を付ける方が得策ということだ。『サンダーバード』はまさに優等生だったと思う。それも学級委員クラスの小物な優等生ってな感じ。
閑話休題。
最近「砂糖」への欲求が高くていけない。もともと甘い物好きではあるのだけれど、異常にその熱が高くなっているような。さっきも戴き物の『東京ごまたまご』をムグムグと食べていた。金曜の夜など、どうしてチョコレートパフェが食べたくて、居ても立ってもいられなくなり、愚弟をそそのかして車を飛ばし、ファミレスへパフェを食べに行ったりもした。午後10時を過ぎて「チョコバナナパフェ」を弟と食べる32歳。なんだか間違っているような気がする。色々な意味において。砂糖を食べると「幸福度」が上がると何の本で読んだ気がするが、どうなんだろう。
さて。そろそろPCから離れなくては。イマイチまとまらない日記になってしまった。さて頑張って1日を過ごしますかな……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
なにやら生き急いでいるような気がする今日この頃。
あれもしたいし、これもしたい。「したい」のではなく、現在進行形で「している」ことも多いのだけど、ちっとも満たされない感じ。「もっと。もっと」と欲張ってしまう。この飢餓感は、どこからやって来るのだろう。そんなにガツガツする必要なんて、これっぽっちも、ありゃしないのに。
とりあえず、明日すること。「食料買出し」「図書館へ仕入れ」「家の掃除」この3つは必須。明日は出掛ける予定も入っているので、午前中に用事を済ませて、夕食の用意をして出なくちゃいけない。早起きは必須。
それにしても「働く主婦」の人達って、どうやって時間をやり繰りしているのだろう。仕事もちゃんとして、家のこともちゃんとしている人って凄いと思う。私にとっては神にも等しい。
女性が家事をしなきゃいけない……なんてことはサラサラ思っていないのだけれど、我が家の場合、どうしても私がやらざるを得ない状況にある。愚弟も事故をする前は「食器洗い」から、何から同等に働いてもらっていたが、片手が不自由になってからは物理的に無理なので「家事全般」を分担してもらう訳にはいかないのである。「ゴミ捨て」とか「食器片付け」とか、出来ることは手伝ってもらっているけれど。義指の完成が待ち遠しくてならない。
亡父が入院中も、なにかと大変だったけれけど、あの時は愚弟がバリバリ家事に参加してくれていたし、私も20代で、今よりはずっと油ギッシュだった。過去を振り返って、あーだ、こーだ言うのは愚かなことだが、失ったものを振り返ってみたりする。
今夜はなんだか愚痴っぽくていけないなぁ。もう寝よう。そして明日も頑張ろう……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
盆休み明け3日目。ようやく日常を取り戻しつつある。
盆休み中は、とんと読書をしなかったものだが、出勤するようになってからは、すっかり調子が戻ったようだ。読みやすいものを選んだってこともあるけれど『石ノ目』『お縫子テルミー』『嘘つきアニーャの真っ赤な真実』など、片っ端から読了する。週末には読書録を更新しなくちゃなぁ。「本の感想を書く」という作業も、ここのところルーチン化してしまって、以前ほどの意気込みが無くなっている。誰かのためでなく、自分のためでもなく……強いていうなら惰性の域。役に立たないことを続けるってのも、粋なんぢゃないかと。
今日はチョコレートパフェが食べたくてならない。
もはや、それは凶暴な衝動。どうして、こんなに思いつめているのかと自分でも不思議になるくらいだ。チョコレートパフェが特別好きかというと、そういう訳では無い。むしろ私はチョコレートパフェとは相性が悪いのだ。まずもって食べたら数時間以内に「返品の儀式」を通過せねばならない。何度か酷い目に遭っているにも係わらず、それでも嫌いになれないってところは不思議としか言いようがない。
もうちょっと余力があったら、今からでも食べに行くのに。
もしも今、親切な妖精がやってきて「貴女の願いを3つ叶えてあげるわ」と言われたら、後先を考えずに「チョコレートパフェが食べたいです」と言ってしまいそうな勢いである。あの生クリームにチョコレートソースがかかったところとか、シャクャクとしたコーンフレークとか、ちょっぴり酸っぱく感じるトッピングのバナナとか。身体に悪そうな色とりどりのスプレーチョコとか……ああ。食べたい。
これを読んでくださったあなたが「うぉぉっ。そんなこと書かれたら、唐突にチョコレートパフェが食べたくなったぢゃないか」って思ってくださったなら、今日の日記はそれだけで書いた甲斐があるというもの。
こんなことを書いていても、親切な妖精さんがやってくるわけでもないし、明日も働かなくてはいけないので、今日の日記はこれにてオシマイ。
私は、とんとスポーツ観戦に興味がないので、オリンピックは1試合たりとも観戦していない。それどころか開会式さえ観ていない。私の預かり知らぬところで試合が行われて、知らない間にメダルが増えているという有様で、遠いところの花火を観ている心持ちである。
オリンピックには、まったくもって興味が持てないでいる訳だが、ぢつは私。密かにメダリストの親戚だったりする。親戚といっても、しょっちゅう行き来のある間柄ではなく、法事だの葬式だのという行事がなければ顔を合わせないという程度なのだが。流石に出場するのは知っていたが、それでもやっぱり観ていない。かの人がメダルを取った事は、翌日のヤフーニュースで知った次第。乙女な母も「へぇっ。○子さんは、さぞ喜んではるやろうねぇ。思えばあの頃は……」とて、メダリストの母の昔話を語る程度で、さほど興味はないらしい。
オリンピックに熱中できない奴は非国民……とは思わないが、社会人としては失格のような気がする。時事問題や、流行物などは、ある程度把握していてこそ、人との会話が成り立つのであって「自分は興味ないからいいや」では済まされないように思うのだ。以前の私は、そうぢゃなかった……たとえ興味が無くたって、プロ野球ペナントレースの順位くらいは知っていたし、それなりに流行物のチェックも余念がなかった。なのに、その辺のところが、年々ダメになっているような気がしてならない。
「人に迷惑かけてる訳ぢゃないし、まあ、いいか♪」と思う部分もあるのだけれど、現実問題として考えてみるだに、誉められたことではない。野生動物ではないのだから、やはり社会の一員としての自覚とか、協調してやっていこうという心構えは必要だろう。
日々、現実を生きているのに、どうも足元が浮ついているような気がする。そんなところに遠くの友人から電話アリ。久しぶりの声に嬉しくなった。友人の赤ん坊は、すくすくと成長しているとのこと。こういう話題は、いつ聞いても良い。お互い、軽く近況報告など。
ちゃんと現実を見据えて生きなくちゃ……と思うのだけど、もう少し夢を見ていたい……って部分もある。それも、これもほどほどにしないとなぁ。ふわふわしていないで、お風呂にでも入るか……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
2004年08月17日(火) |
地獄の有無はさておいて。 |
盆休み明け初日。休みボケのせいか、今日はちっとも気合が入らなかった。なので仕事も適当なところで切り上げて早々に帰宅。早めの夕食など。我が家では食事の時はテレビがついているのだけれど、今日は細木数子が出ている番組がかかっていた。私は占い活動に熱心なタイプではないので、細木数子は好きでも嫌いでもない。まあ、言うなれば「どうでもいい人」に過ぎないので、番組を持つほど流行りの人になっていたとは、ちっとも知らなかった。
なんの気になしに観ていたのだが、細木数子が、あんな酷いこと言う人だとは知らなかった。他人に向かって「地獄に送ってやる」とか「地獄に落ちるよ」だなんて言うもんぢゃないと思うのだ。まあ占いの結果がそうあったとしても「ろくな死に方しませんよ」とか「そのままでは不幸になりますよ」とか、物の言い方はいくらでもあるだろうに。
地獄をを信じる、信じない、あるいは地獄の有無はともかくとして、決して気持ちの良い言葉でないってことは確かである。
書き言葉としては機能していても、実際の話し言葉として使わない言葉って多いように思う。特に人を罵ったり、貶めたりするような言葉なんかは、そうぢゃないだろうか。「地獄に落ちろ」にしてもそうだが、たとえば「あんたなんか死んでしまえ」なんて言葉も、酷い目に合って、思わずそう呟いてしまうのはアリだと思うが、面と向かって使う言葉ぢゃないと思うのだ。
もう何年も前のことだが、面と向かって「お前なんか、こっちから願い下げじゃ!」と言われたことがあるのだが、その時は腹立たしいよりも先に「そんな言葉を実際に使う人っているんだなぁ」と、しみじみ感激した覚えがある。今日、細木数子が言った「地獄に送ってやる」は、その時と同じくらい……いや、もっと衝撃的だった。
私が知らないだけで、世の中では以外と日常的に、そういう類の言葉を使っう人が多かったりするんだろうか? あまり根の暗いと言うか、汚い言葉は使わない方がいいんぢゃないかと思ったりする。それこそ、そんなこ言葉ばかり使っていると、不幸がまとわり付いてきそうではないか。物知らずな若者が使うならまだしも、いい年した大人が使ってのはなぁ。
もっとも細木数子が汚い言葉を撒き散らそうが、何を言おうが私には何ら関わりのないことである。そんなことを、あーだの、こーだの考えているよりも、休みボケをなんとかしなくっちゃな……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
昨日、今日と意味不明のメールが届いた。
昨日届いたメールは「掲示板にメル友募集されてましたよね?」というメール。書き込みが気になってメールしてみたとあった。最初は出会い系HPの宣伝メールかと思っていたのだが「好きな作家」まで書いてあったので、なんだか気になってしまった。一応、読書系っぽいHPのサイトオーナーとしては、読書好きと思しき人のメールを放置するには忍びない。
が、しかし私はメル友募集をした覚えもなければ、自分のHPに掲示板はつけていない。そりゃあ、ごく稀に人様の掲示板に書き込みをすることもあるが、よほど、それまでに経緯があって義理を感じている人か、情を感じている人でなければ、書き込まないし、それらを感じている人でも甘えられる相手には、遠慮なく疎遠にさせていただいている。まずもって、宣伝メールか、間違いメールだと思ったのだが、どうにも気になったので、メル友募集をした覚えはないことなどを書いて返信してみた。
そして今日は「私のPCにメールが届いたのですが、どなたですか? 本文に何も書いていないのですが、間違いだったら、ごめんなさい」とのメールが届いた。私の知らないアドレスだったが、相手は丁寧に苗字を名乗ってくれていた。これには、ちょっと驚いた。もしかしたら私のメルアドを語った第三者が、その人にメールをしたのか? もしくは私のPCがウィルスに感染しているのか、メールの主の知人がウィルスに感染しているのか?
私はサーバーでウィルスをはじいているのでメールから感染することはないと思いつつ、ウィルスチェックをかけてみた。感染はしていなかったので、第三者の悪戯か、もしくはメール主の知人がウィルスに感染している可能性があるので、その旨を書いて返信した。なんとなくPC慣れしていない人のような気がしたので、お節介とは思いつつ見ず知らずの人に説明付きでメールを送った。
2日も続けて、意味不明のメールが届くなんて、こんなことあるだろうか? ちょっと気になったので検索をかけてみたら……出るは、出るは。2通とも、出会い系に誘い込むための迷惑メールだったらしい。同文のメールがあちこちに出回っているようだ。
ああ。それにつけても、そんなメールにまで親切・丁寧・キチンキチンと返信しちゃった自分が情けない。どうやら、このテのメールは延々と続いて最後にHPへ誘導されるらしいので、1度目で気付いただけ良かったと言えばそうかも知れないが。自分の日記やHP等を経由していない不審なメールを貰ったら、まず検索してみる方がいいかも知れない。まっこと世知辛い世の中ぢゃのぅ。
さて。今日でお盆休みもオシマイ。明日からまた頑張って働かなくちゃね……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
昨日は遊園地へ行ってきた。
毎年、エキスポランドでは「人が演じるお化け屋敷」ってのが開催される。プロの役者さんが迫真の演技で迫ってきて、相当恐いとの評判なので、行ってみたいと思っていたのだが、今まで一緒に行ってくれる相手がいなかったのだ。加齢と共に、遊園地に行ってくれそうな人も減り、もはや無理かと思っていたらば、意外な人が「あ。それ行きたい」と乗ってきた。その人は「遊園地なんて馬鹿にしちゃうタイプ」なのだが、かなりディープな横溝生史ヲタクで、今年のおばけ屋敷は『八墓村』だったのだ。ラッキー。
夕方からウキウキとエキスポランドへ。
お化け屋敷は、けっこうな行列だったが挫けずに並んださ。しかし、なんだ。お化け屋敷ってのは「入ってから」よりも、むしろ「入るまで」の方が恐いような気がする。案内係の人から「恐くて前にも後ろにも進めなくなったら大きな声で『リタイヤ』とおっしゃってください。係員がお迎えにまいります」なんてアナウンスを流していたりするので「そんなに恐いのか?」と心配になったり。
そしてお化け屋敷へ潜入。なかなか凝った作り。そして熱演・怪演する役者さん達。恐い……と言えなくもないが、見ようによっては笑える感じ。いい年した大人なので、死ぬほど恐いってこたぁ〜なかった。「それほどでもなかったね」とて出てきたのだが、その後、既設のライド型お化け屋敷に入ってみて「やはり人が演じるお化け屋敷って素晴らしい」と思った。子供の頃、あんなに恐かったお化け屋敷が恐くなくなっている事実に、甘酸っぱいものを感じてしまった次第。
お化け屋敷の後は乗り物など。いま、ちょうど遊具の図面を描いているので「あ。この遊具の座席、先週描いたんだ」とか思いつつ、遊園地を探索するのは愉快だった。急流すべりで水浸しになったり、観覧車に乗ったり。子供のように遊びまくる「みそじ〜ず」であった。日が落ちてからは、ジャズライブを聞き、閉演前の花火まで粘る。
花火を間近で観たのは何年ぶりかのことだったので、素で感動してしまった。遊園地の花火なので、有名どころの花火大会に較べたら、それはチンケな物だと思うのだけど。最近の花火は緑色とか、ピンクとかって色が鮮やかに出るものだのだなぁ。女性花火職人を描いた津村節子の『千輪の花』を再読したくなってしまった。
帰り道、食事もせずに遊びまくっていたことに気付き、途中、ラーメン屋さんで夕食。かなり遅い時間だったにも係わらず、ラーメン屋は満員だった。腹ペコで食べたラーメンは、いつも以上に美味しく感じられた。「これ以上、遊べない」ってくらい満喫した1日に感謝。
今日は午後から友人と待ち合わせ。気になるカフェに行く予定。お盆休みも後半に入って、やっと調子が出てきた感じ。昨日に引き続き愉快な1日になるといいな……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
午後7時30分。愚弟から電話アリ。
皆と無事に逢えて、楽しい時間を過ごしたとの連絡だった。私と愚弟は世間一般から言うと比較的、仲の良い姉弟ではあるけれども、わざわざ電話で連絡を取り合うほどの関係ではない。が、今回は私が「ヲタクの宴」のスポンサーになったので、多少は気を使ったのであろう。愚弟が多少なりとも世話になるってことで、本当はFに土産でも持たせようかと思ったのだが、品物を買いに行くのも面倒で「これでご飯でも食べておいでよ」と現金を渡した次第。なので、太っ腹と言うより、むしろ面倒臭がりと言った方が適切な感じ。
宴は非常に盛り上がったらしい。予想通りFは「大阪のオバチャン」気質を余すとこなく発揮して、乙女と楽しく時間を過ごしたとのこと。思う存分飲んで、食べて満足したとのことだった。が……しかし午後7時半30分解散ってのは、どうよ? まだまだこれから飲もうかって時間ではないのか?
普通ならそんな突っ込みを入れるのだが追求はするまい。ヲタクの祭典は3日間もあるのだ。彼らは明日も、明後日も、ぶっちぎりで饗宴に参加するのだ。それでなくても、旅先で、この暑さである。「早いとこ、お開きにして明日に備えたい」ってのは頷ける話だ。それにしても乙女のOちゃんは、短時間でかなり酔っ払ったらしいが明日は大丈夫なんだろうか。オバチャンちょっと心配である。ま。若いから大丈夫だろうけど。
一方、西で留守番をしている私は今日も非常に地味だった。お坊さんが早い時間に来てくれたらば、神戸の美術館に足を伸ばそうと密かに画策していたのだが、時間的にそれも叶わず。自宅で細々とエロゲーなどをプレイしていた。エロゲーはやっぱりエルフ製が最強だと思う。作りこみの度合いが全然違う。
夜は昨日の戴き物の海老を殻ごと唐揚に。タコの酢の物。奮発したお豆腐の冷奴、コチの煮付け。etc。今日から小料理屋を開けそうな勢いの食卓だった。ビールとトマトジュースでレッドアイを作って晩酌。
明日は私もちょいとばかり出掛ける予定。都に集結したヲタク達には、是非とも力の限り遊び倒してもらいたいと思う。ヲタク達が明日も愉快に過ごせることを祈りつつ今日の日記はこれにてオシマイ。
年に2回のヲタクの祭典に参加するために愚弟は旅立って行った。
前日からコミケカタログをチェックして「宝の地図」を作ったり、写真撮影をさせてもらったコスプレイヤーさんに配る名刺(ハンドルネーム・メールアドレスHPのURLを書いた物)を印刷したり。「一人でしてたんじゃ間に合わない」と言うので、私も名刺作りに借り出されていた。まるで女工哀史である。「なんで遊びに行く子の手伝いをせにゃならんのだ」と思うも、まあ気持ちは良く分かるので快く手を貸した。
私も愚弟のカメラバッグに入ってコミケに行きたいなぁ。
今回のイベントは姉弟で相談の末、愚弟に道を譲ることにした。昨年の冬は2人とも参加したものだが「お盆」であるという事と、今は乙女な母を1人に出来ないということで私が涙を飲んだ次第。ちなみに冬のコミケ参加権は私が貰ったのだけど。
明日の晩、愚弟はヲタク仲間にFを交えて飲みに行くらしい。「恐ろしい保護者の目が光ってるから不埒なことは出来ないね」と愚弟談。実際。Fは猛々しい女だ。そして私の2倍は口喧しい。が、姉御肌なので、若いヲタク達と楽しい時間を持ってくれるだろうと思う。みなで楽しんできてくれ……私はオサビシク西で泣き濡れているから。
今日は保険屋さんが来たり。明日のお参りに備えて買い物へ行ったり。実に湿気た1日だったが嬉しい臨時収入があった。向いの婆さまがポチ袋を渡してくれたのだ。「お盆のこおづかい」ってことらしい。一応固辞するも「毎年、孫には渡しているんだけど、実の孫と同じくらい世話かけてるからね」とのことなので、ありがたく頂戴した。なんと1万円も入っていた。昨日、1万円抜かれて、今日は1万円を貰う。嫌なこともあれば、ありがたいこともあるものだ。婆さまに感謝。
そして今日は戴き物が、もう1つ。ご近所さんが魚釣りに行ったとかで釣果のおすそ分けを戴く。小鯛・シャコ・海老・タコ・太刀魚等。小ぶりだが新鮮で美味しそうだ。せっせと下ごしらえ&調理。今夜の食卓は海の幸祭り。日記書いたら食事にしよう。
明日は朝から、お坊様がやってくる。それが済んだら、ちょっと一休みかな。とりあえず今夜はご馳走だ……ってことで今日の日記はこけにてオシマイ。
職場で盗難にあってしまった。
女子更衣室で着替えを済ませて、大きな荷物はロッカーに。財布などは席に持っていくのだけれど、今日はうっかり財布をロッカーに置き忘れたのだ。ロッカーには一応鍵がかかるけれど、その気になればヘアピン1本で開けられるチンケな代物。帰りに財布を確認したら「お盆休み軍資金」として用意した1万5千円のうち、1万円が抜き取られていた。
ぢつは……今回が初めてではないのだ。
最近、お財布の収支が合わないことが多かった。合わないといっても数千円のことなのだけれど。私が使っている財布は、私個人の財布なのだが、生活費財布で賄うべき買い物の立替えなどをすることも多いので、多少の誤差が出てることがあり、さして気にも留めていなかったのだが、最近は、あまり出歩いたり派手な買い物をしていないのに、やたらとお金の減りが早い気がする……と気にしていたのだ。そして、ちょっぴり更衣室のロッカーを疑うようになり「財布は鍵を掛けていてもロッカーに置かない」と思っていたのに、今日に限ってうっかり置き忘れてしまったのである。自分の迂闊さが腹立たしい。
全額抜いていかないあたり、常習犯だろう。女子更衣室は人通りの多いところにあるので、男性はまずもって入室し難い。そして女子更衣室は掃除屋さんの掃除からは対象外になっているので、お掃除のオバサンが入ることも、ありえない。嫌な話だが、どんなに考えたところで内部に手癖の悪い人がいるとしか思えないのだ。
3年ほど働いている派遣社員の女性に「みんなに笑われるけど、私は絶対ロッカーに荷物を置くの嫌なの」とて、毎日大きな鞄を机まで持ち歩いている人がいるのだが、今にして思えば彼女も被害者だったのではなかろうか。
同じ派遣会社で働いている「いちらー」の同僚に、たずねてみると彼女にも心当たりがあるらしい。ただし彼女はいくら抜かれたのかもサッパリ分からないし、ただ「最近、そういうことが多いな」と思っていたに過ぎないらしいのだが。ともかく証拠もないのに騒ぎ立てるわけにもいかないので、私と「いちらー」の同僚は、お盆休み明けから鞄を持ち歩くことに決めた。お金を取られることも腹立たしいが、自分の鞄の中身を覗かれているというのも不愉快である。ぶっちゃけ。住所などを書いた手帳や、通帳などが入っている日もあるのだ。
盗られたお金は戻っちゃこないので、授業料を払って、人生勉強をしたと諦めることにする。それにしても、犯人は仕事をしないで何やってるんだろう……まぁ。ある意味それも仕事といえなくもないが。今日は連休前で、たっぷり稼げたのだろうなぁ。
そんなこんなで連休前に不愉快なことに出くわしてしまったが、気持ちをリセットして休みを楽しみたいと思う……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
2004年08月10日(火) |
本を抱えて山に登れば。 |
本を抱えて山に登る。山の名は「オサビシ山」と言う……今日はそんな心境。
いまさらながら京極夏彦『魍魎の匣』を読んでいる。色々な人から「京極夏彦くらい読まなきゃ駄目だよ。きっと好きになるって」と言われ続けて、やっと重い腰を上げたのだれけど、ビタ一文ハマらない感じ。悪くはないがドキドキもしない。だいたいからしてミステリ音痴なので、基本的にミステリは苦手なのだ。ミステリ音痴を打破して、明るい読書人生の一歩を踏み出そうと思っていたのだけに、がっかりなことこの上ない。
何かの「私の趣味は読書です」と言ったり書いたりする時はいつも思う。なんて陰気な趣味なんだろう……と。一番の趣味が陰気なものだなんて、いただけない話だが、これほどまで身に馴染んでしまった趣味だもの。今さら、どうにも出来やしない。
もちろん読書以外にも趣味はある。アニメだの漫画だのゲームだのといったオタク趣味、芝居・映画だったり。が、しかし。ヲタク趣味や芝居・映画といった趣味は「語り合える友」が比較的多いのだ。歯に絹きせず批評したり、語り合ったりできる相手が、それなりにいるのだけれど、読書という趣味に関してはその辺の基盤がとても弱い。それを趣味としている人口比率の問題が1番かとは思うのだが、それ以外にも「何か」あるような気がしてならない。
ヲタク・映画・芝居の仲間と語る時、リアル・ネットに係わらず、互いに批判的な意見を言ったとしても「自分にとっては萌えでない」とか「自分のツボにはハマらなかった」という、超個人主義的なところに議論が収まるが、読書で同じような状況になると、不必要に、こじれてしまったり、遺恨を残すことが多いような気がする。なので、イマイチ踏み込み難いところがあるのだ。
自分自身HPで、読書録を付けているのに、掲示板を付けたり、あるいはもっと大掛かりに活動できない理由は、その辺にある。同じ読書でもミステリ畑になると、リアル友にも手練がいるのだがなぁ。自分の読むような本に関しては、熱く語れる相手に事欠いている。こんなにたくさんの本が流通しているのに語る相手に事欠くだなんて、げに不思議也。
本について熱苦しく語りいのになぁ……オサビシイ。実にオサビシイ。
ま。もっとも、痛みをともなっても語りたい覚悟がなくて、踏み込んでいけないとう事実があるだけに、文句を言えた義理ではないのだが。語り合う相手がいようが、いまいが、今後も、ぼそぼそと読み続けていくのだろうと思う。
「京極夏彦にハマれば語る相手に不自由しなさそう」なんて動機で読むってあたりが、そもそも間違っているようにも思う。とりあえず、読了しなくては……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
今週から、また毎日、日記が書けそうな予感。
油断はできないけれど、たぶん大丈夫のはず。抱え込んでいたことを1つ手放したのだ。放棄した……と言うよりも、むしろ元の場所へ返したと言うべきか。かのイエス・キリストも言うたはる。「カイザルのものはカイザルへ返しなさい」と。ナウシカも蟲に言っていたではないか「森へお帰り」と。1つのことを手放しただけで、こんなに余裕が出来るだなんて、驚きである……てか、抱え込み過ぎていたという説もアリ。
話は唐突に変わるのだけど、今、私の心を鷲掴みにしているCMの話など。
ペプシコーラのCMで、古代ギリシアのコロセウムで、アマゾネスが歌っているものなのだけど、あれを観るたびに「ええなぁ」とウットリしてしまうのだ。私の理想とする女性像がそこにある。強く逞しく。武器よりも歌。素敵だ……ちょっと素敵過ぎる。
心も身体も強くあるのが最高だと思う。ソフトもハードも強くあれ……といきたいところだが、私の場合は、ソフト面は、そこそこいけているが、ハード面はイケていない。CMを観ながら、乙女な母に「心も身体も逞しいって理想よねぇ」と言ったらば「そうやねぇ。白蓮は気持ち的に逞しいけど、身体はサッパリやもんねぇ。お母さんは、心も身体も駄目だけど。てへ」ときたもんだ。やれやれ。
何かと草臥れる夏な訳だが、あと2日働いたらお盆休み。遠出の予定がある訳ぢゃないが、とりあえず5日も働かなくても良いというところが尊い。何をして過ごそうかと休日に想いを馳せつつ今日の日記はこれにてオシマイ。
<追記>
ペプシコーラのCMに惹かれるのは、その内容が第一の要因。しかしヒロイン達のダイナマイトバディを愛でて「羨ましい〜」と思う部分も多分にある。
ちょっぴりお久しぶりです。もう日記なんて書けないくらい恋に溺れていました……とか書いてみいたですが、そんな事はありません。ぢつは色々あって泣き暮らしていました……てのも嘘っぱちです。1つことに夢中になったり、張り切り過ぎてエネルギー切れになって、くたばっていたり。ようは、たいして変わり映えのない日々だった……ってことです。
今日は愚弟の写真撮影の手伝い……ってことで海へ行ってきました。午前三時半に家を出て日の出前に大阪南エリアの海辺に到着。空港のご近所まで行ってきました。人のいない時間を狙って撮影。朝日が昇り、犬の散歩のおぢさんが多くなってきた頃に撤退。避けたのは人間だったのですが、よくよく考えてみるとお天道様を避けるようなスケジュール。犯罪者めいている……と言えなくもありませんでした。
この夏は海へ行きたくて、行きたくてたまらなかったので、今日は楽しみにしていたのですが、大阪の海は潮の香りがしないのです。空へと続いている大量の塩水からは「生」の息吹が感じられず、なんだか大きな水溜りを観ているようでした。それは、私が恋焦がれていた海とは、夢に見た海とは、どうしようもないほど違った海でした。
私が望む海を観ようと思うなら、もっと大阪から離れたところへ行かなくちゃならないのでしょう。まあ、それにしても、この夏の間に海を観れただけでも良しとします。泳ぎはしませんでしたが、足だけジャバジャバ浸かってきました。
今週は、あと3日働いたら盆休みに突入です。お盆を過ぎると、夏ってヤツは急いで通り過ぎていってしまうんだと思うと、寂しくてなりません。暑い、暑いと文句を言いながらも、私は夏が好きなのです。だけど毎年、大好きな夏を味わい尽くす前に夏は行ってしまいます。今年もたぶん、そんな感じなのでしょう。
お盆休みまで、あと一息。頑張りましょうかね……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
しばらく居留守を決め込むことにしました。
ちょっと忙しくて日記にまで手が回らないのであります。ここ1〜2週間の日記は「書かなくちゃ……えいっ。やぁっ」てな感じで、なんとか書いていたのですが、そろそろエネルギーが切れてきました。
やらねばならない事が山積になっていて、にっちもさっちもいきません。自分が2人欲しい……あるいは2倍働ける身体が欲しいです。日記と言わず「週記」くらいなら、なんとか書けるかな……とは思っているのですが。日記とかHPの更新を休むことなく続けているサイトマスターさんって、私の目には神のように映ります。
まあ。機嫌良くやっていると思っていてください。日記はしばらく夏休みって感じですかね。
この週末は台風到来で少し涼しゅうございましたが、またまた暑くなるとか、ならないとか。体調など崩されませんよう、夏の楽しみを満喫しつつ、暑さをやり過ごしてくださいませ。
ささやかな
お楽しみを残していきますので、気分転換に是非。
では、そんなこんなのご報告をしたところで今日の日記はこれにてオシマイ。
約束なんてものは軽々しくしちゃいけない。
大人って、どうして安易に約束をしてしまうのだろう。幼い頃「嘘ついたら針千本飲ます」と指切りをする真剣さでもって約束をすることなんて、まずない。安易に約束する分、安易に破ってしまう。針千本の責任がないからか、それとも別の理由があるからか。
もしかすると大人は本能的に「約束は破られるものである」と知っているから、安易に約束をしてしまうし、安易に破ってしまうのかも知れない。それとも、存外、子供の頃の真剣さをもって約束に挑んでいるのだろうか。
約束を破ってしまった。
悪気があった訳ではないが、破ったことには変わりない。守れない約束はするものではない……というか中途半端に人と係わってはいけないのだと思う。相手を大切にするということは自ら動くということだ。労を惜しむくらいなら、最初から係わらないのが得策だと思う。中途半端な付き合いは、ぬるま湯のように心地良いが、美しいものとは言い難い。ぬるま湯に浸かって、その場をしのぐというのも、1つの手段ではあるのだけれど。
今日は夕方から楽しみにしていた芝居を観に行く。前評判を耳に挟むだに、大泣きしてしまいそうな予感大。そう言えば、ここのところコンスタントに芝居を観ている気がするなぁ。
芝居を観て渇を入れてこよう。そして明日からまた頑張って働こう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。