私が借りている『エンピツ日記』には漏れなく「簡易アクセス解析」がついている。
あくまでも簡易版なので訪問者が「どこのサーバーを経由した」ってところまでは分からないのだが「エンピツ関連リンクから」とか「検索サイトから○○というキーワードで」なんてことくらいは分かるようになっていて、毎日簡易アクセス解析を覗くのが、けっこうな楽しみになっている。
最近ヤフーの検索システムが強化されたのか、ヤフー経由からの訪問客がドッと増えた。それも地味なキーワードが多い。芝居や本のタイトル、食べ物、CAD関連の検索が多いが、意外と奮闘しているのが「義指」だったりする。わざわざ辺境の地まで訪ねてきてくださったのに、たいした情報もなくて申し訳ないなぁ……なんて思う必要はないのだろうが、WEB日記ってのは公開するのを前提に書いている訳なので、訪問者を意識せずに書くというのは存外ムツカシイ。
そんな訳で今日は久しぶりに愚弟の義指の話など。
愚弟が事故で指を落として来る7月で3年になる。色々あったが、もはや遠い世界の物語になりつつある……と言いたいところだが、そうは問屋が卸さないのが現実だったりする。何度にもわたる手術を重ね、社会復帰して半年余り。義指はまだ完成していないのだ。労災のオプションとして「装飾用義指」と「作業用義指」を作ってもらえるのだが、どちらも完成までまだまだ時間がかかりそうなのだ。
普通にスパッっと切断していたのなら、かなり早く出来るらしいのだが、愚弟の場合は残っている部分の変形が酷いので、なかなか上手くいかないらしい。採寸をして、作って、借り合せをして、不具合を直して、また借り合せをして……と繰り返すこと4回以上。義肢屋さんも親身になってくれているし、愚弟も病院で合わせるだけでなく、義肢屋さんまで出向いたりと努力しているものの、既製品の洋服を買うような訳にはいかないようだ。
検索サイトから「義指」と入れて訪れてくれる方が多いってことは、身体の一部を無くして、以後の生活を模索している方が多いってことだろうなぁ。他人事ではないだけに「頑張ってますか?」と呼びかけたい気分になってしまう。それはともかく、愚弟の義指状況はこんな感じ。身体の一部を復元するのがこれほど大変だとは思わなかった。人間の身体って複雑に出来ているのだなぁ……とつくづく思う。
ちなみに「早く出来たらいいのになぁ」とボヤいている愚弟だが、社会復帰後、ディープな「ヲタク」の世界にハマったおかげで見違えるようにアクティブな毎日を送っている。愚弟がアクティブになったはの事故とは直接関係ないが、そういうことがあっても、けっこう楽しく生きることは可能だという実例には違いない。
さてと明日は週の真ん中。週末は遠いが、頑張らねばんぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
<おまけ>
検索キーワードで、いっとう笑わせてもらったのは「若者 裸 スッポンポン」である。ナイス検索。ナイスセンス!
昨日はゲロッパと戦いながら1日中横になって本を読んでいた。
壇一雄『火宅の人』など。二日酔いに苦しみつつ飲んだくれな作家さんの作品を読むってのもなぁ……とは思ったが好きなんだからしょうがない。病の供は再読本に限る。乙女な母からは「そんな状態でも本が読めるだなんてねぇ」と半ば呆れられていたが、そんな時だからこそ読むのだ。ただでさえ気分の悪いときは、せめて気持ちだけでも楽しくありたいぢゃないか。もっとも、深刻な症状だったら、本を読む余力もない訳だが。
有吉佐和子だの、久世光彦だの、遠藤周作だのが「病床で本を読む楽しみ」について文章を書いていたけれど、実際のところ病床で本を読むというのは病気の時のお楽しみと言うか儀式のようなものだと思う。身体的な苦痛というのは、誰とも共有できない訳で、体調が最悪の時というのはとかく孤独に陥りがちだ。悶々と耐えるよりも道連れがいた方がいい。本でなくても漫画でもいいと思う。寝たままで自由になるもので、そこそこ夢中になれるのであれば。
などと訳知りなことを書いてみた訳だが、昨日のゲロッパの原因が二日酔いなので、偉そうなことを書けた義理ではない。
昨日はロクに食事ができなかったので、今朝の朝食の美味しかったことと言ったら! 大げさではなく感涙ものだった。しかも「日曜日はちょっと贅沢な朝ごはんにしよう」とて前日に「スーパーの食パン」を買わず、ちょっと張り込んでパン屋さんの贅沢食パンを買っていたのだ。予定より1日遅れになってしまったが、嬉しく賞味した。
そりゃそうと、体調を崩したおかげて肌がすっかり荒れてしまって吹き出物が花盛りだ。今週はちょっと節制していかなきゃなぁ……と心に誓いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は酷い二日酔いで寝込んでいた。
昨日はご贔屓役者さんが出ているお芝居を観に行ったのだが、帰宅してから食事の支度というのも億劫だし、お給料日後で愚弟が「なんかご馳走したるで」というので家族で子供の頃からお世話になっている小料理屋さんへ出掛けたのだ。家族で飲んでいて深酒……なんてことは、あるはずもなく「いつもなら普通に大丈夫」な量のビールを飲み、泥酔した訳でもなく、ほろ酔い加減で床についたはずなのに、今日は朝から夕方まで吐きまくりで夜になって、やっと復活したというテイタラク。
私は「飲み会」嫌いだが、食事の時のお酒は大好きで「夏はビールと冷やしたワイン。冬は熱燗なんかも良いね」とシュチュエーションに酔いしれる派である。そして「小柄なのに、以外と飲めるんだね」と言われることをチョッピリ自慢に思っていた。
最近あまりアルコールを飲まなくなったこともあり、酒量が減ったような気がするなぁ……とは思っていたのだが、ここまで飲めなくなっているとは思いもしなかった。「付き合い程度に飲めます」というレベルから「お酒、飲めなくはないけど弱いんです」レベルまで降格してしまったらしい。
アルコールの強さなんて自慢になりはしないのだが、今まで飲めていたものが、飲めなくなるというのは、ちょっと切ない。私の理想は壇一雄。よく飲み、よく食べ、人生を目一杯謳歌する人間でありたいと思うのに。こういうことは努力したからといって改善される訳でない……ってあたりが情けない。
嘆いてみたところで酒量が回復するとは思えないので、ここは1つ方向転換。これからは「渋茶の似合う女」を目指すことにする。
明日からまた頑張って働かなきゃいけないのだし、今日は早く寝て体調回復にいそしもう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は、どういう話の流れからか職場の同僚と恋愛談義。恋愛談義と言ったところで恋愛淡白質の私は、人様にお聞かせするような話もなくて、ほとんど聞き役に徹していたのだが「ひとぼれ」をしたことが無いと、何気に言ったらば、ひどく驚かれたしまった。
私は31年間、1度たりとも「ひとめぼれ」をしたことがない。
しかし今まで、ひとめぼれをした事がないのを特別変だとは思わなかった。ひとめぼれ経験者を羨望の眼差しで見つめることはあっても……である。ひとめぼれと言うのは、限られた人にだけが体験できる特別な経験……言わば銀河鉄道999のパスのような物かと思っていたのだ。
しかし、どうやら「ひとめぼれ経験者」というのは私が想像していたよりも多いらしい。ひとめぼれをした事がないという私の話を聞いた同僚達は驚いたようだが、私だって驚いたさ。ひとめぼれが、そこここに転がっているだなんて!
死ぬまでに……死ぬまでに1度でいいから、ひとめぼれをしてみたい。
しかし努力して出来ることではなさそうなので、そこが問題である。出雲の神様にお願いするべきだろうか。それとも雑誌の広告に出てるような胡散臭い「愛のお守りグッズ」を買うべきだろうか。せっかく生まれてきたのだから、人として出来うる経験はしておきたいと思うのだがなぁ。
明日は待ちに待った土曜日。ご贔屓の役者さんが出ている『ドナインシタイン博士のひみつ学会』を観に行く予定。あまりにも楽しみにし過ぎていたので、今週は1週間が長く感じられた。もしかすると明日、劇場でひとめぼれするような人と巡りあうかも知れないなぁ……なんて馬鹿なことを考えてみたとろこで今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は1日眠たくてたまらなかった。寝不足だった上に、さっぱり意味の分からない構造計算の資料を作っていたということもある。図面ならなんとなく読めるのだけど、計算式はサッパリ駄目だ。だいたいからして数学は苦手中の苦手だし。CADオペレーターといっても、ずーっと図面を描いていられる訳でない……ってあたりが悩ましい。
寝不足の原因は向かいに住む一人暮らしの婆さまである。昨夜、にわかに具合が悪くなって救急車で病院へ運んだのだ。小さい子供と年寄りってのは、どうして急に具合が悪くなったりするのだろう。今回は生命に別状があるような状態ではなかったのだが婆様は救急車で運ばれてそのまま入院。なんとなく、わやわやと落ち着かない夜だった。
向かいの婆さまは、もう80歳を越えていて「いつお迎えがきてもおかしくない」お年頃なのだが、その場にたってみると「ま。仕方ないか。年も年だし」とは思えないから不思議である。もっとも亡父の時は「もう充分だよね」とか思っていたのに。たぶん、家族と他人の違いなのだろう。責任の有無っていうのは人の思考を左右するらしい。
最近、家ではアルコールを飲まないことにしているのだが、今日は缶ビールを1本。「昨日はお疲れ様」と自分に乾杯。私はなんだかんだ言って「自分に乾杯」が好きみたいだ。
あと1日働いたらお休み。明日は構造計算とガッツリ取り込むぞ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
長崎の小学生の事件、昨日も吃驚してニュースを聞いたのですが、今日はさらに吃驚。殺意があったとはねぇ。昨日のニュースを聞いたときに、サシで渡り合って殺しちゃってるみたいなので「殺してやろう」という意思はあったのだろうと予想はしていたのですが、そうキッパリ断言されると腰が抜けてしまいます。
小学校も6年生ともなれば、もう大人張りにドロドロした感情生活があると思われます。被害者と加害者は「仲良し3人組み」だったそうですが、あの年頃の「女子3人組」が上手いこといく訳がないってことくらい想像はつきます。そりゃあ、色々とあったのでしょうが殺しちゃうとはなぁ……
被害者と、そのご家族が気の毒なのは言うまでもないけれど、私は加害者の小学生も不憫に思えてなりません。日本に少年法がある限り、彼女はそこそこの処分を受けて社会に復帰するのだろうけれど、こんなに早い時点で「殺人」なんて罪を犯して、この先どんな風に生きていくのかな……と思うと、なんだか泣けてきて。
私は人間歴31年、社会人歴10年と、まだまだ若輩者だけど、今まで生きてきた道程を思うだに、これから先の人生が途方もなく長く感じられてウンザリすることがあります。定年まで頑張ると仮定しても「まだ30年」もある訳ですし、もしも80歳まで生きるとすれば「どんと50年」もある訳で「50年も生きなきゃならんのか」と思うと、面倒臭いような気がしたりもするのです。
こそこ波風立てずに生きていても、生きてるってだけで大変だし、面倒なのに、彼女はあんなに若いのに、大きな罪を背負って生きねばならないのだものなぁ……想像するだに大変そうで気が遠くなります。
同じ少年犯罪でも、酒鬼薔薇事件とは趣が違うだけになぁ……。被害者も加害者も不幸過ぎるし不憫過ぎる。正直なところ他人事とは思えないのです。
正直言って、すごく恐い。
人を殺すことの簡単さとか、その可能性とか。「自分は絶対大丈夫」とは言い切れないところとか。うーむ。イマイチ考えがまとまらないのだけれど、被害者のご冥福を祈りつつ今日の日記はこれにてオシマイ。
唐突だが髪を伸ばそうと思っている。
毎度、髪をバッサリ切るたびに「長い髪は手入れが面倒だし、もう2度とロングヘアーにするものか」と思うのだが、喉元過ぎれば熱さを忘れる……ではないが、短い髪を見慣れてくるとロングヘアーが眩しくなって「また伸ばそうかな」と思ってしまうのだ。私にとって髪型のチェンジは周期的に訪れる病のようなもので、これからも何度も同じ罠にハマっていくのだろうと思われる。
現在、髪の毛は肩のあたり。美容院の兄ちゃんからは「小柄だしロングヘアーよりもショートの方が似合いますよ」と言われるのだが、外野の声は気にしない。とりあえず今は伸ばしたい気分だから伸ばすのだ。
せっかく髪を伸ばすのだったら綺麗に伸ばしたいよね……と、これまた唐突に髪のお手入れが気にしてみたり。脳味噌で考えるより先に即実行派の私は、早速「髪に良い」といわれる椿油を買ってみた。
椿油は「臭そう」とか「ベタベタしそう」とかいうイメージがあったが、私が買った椿油は臭くもなければ、それほどベタベタもしていなかった。
野暮ったい感じのパッケージだが、しかし中身は素敵なデザインのガラス瓶だったりして、女心に超ヒット。見た目で髪が綺麗になる訳ではないが「深窓の令嬢が使ってそう」な雰囲気のロマンチックな瓶にすっかり満足してしまった。「なんか、これ持ってるだけで素敵な女性になれるような気がする」などと酔い知れてみたりするあたりは、ちょっと浅はかですらある。
長く使ってみなければ、その効果は分からないが、今のところ使い勝手は悪くない。これなら使い続けていけそうな気がする。夏の暑さで伸ばすのを断念しなければ、秋頃には美しい黒髪になっているはずだ。せっかくなので柘植の櫛も買ってみようかと思ったりして、なんだかウキウキしている。髪を伸ばす時のトキメキは殿方には分かるまい。
しかし、どこまで頑張って伸ばせるか……ってところは激しく疑問が残る。暑さどころか、梅雨に耐えることも出来なかったりして。とりあえずは「頑張って伸ばす」って方向で今日の日記はこれにてオシマイ。