Mary Christmas!
「クリスマスなんて外国の行事だから関係ないね」って人もおられるでしょうが、昨今ではすっかり季節行事になってしまいましたね。季節行事なんてぇのは、そうやって定着していくのだろうなぁ……と思います。なんとなく「クリスマスムード一色」という街を歩くのは楽しいものです。もっとも、パートナーがいないとサミシイ季節ではあるのですが。
話は変わりますが、WEB上で、こうやって書いた物を公開していると、未知の方からメールを戴くことが稀にあります。HPも日記も、ささやかな規模ですので、しょっちゅうではないのですが。たいてい好意的な内容です。たまに読書の感想を読まれて「あの書き方は酷すぎる」とお叱りを受けることもありますが、それでもWEBの辺境まで、わざわざ足を運んでくださった上に、メールしていただけるのは嬉しいことだったりします。私は大好きなサイトマスターさんにも、自分からメールなど出せない性質で、よほどの事がない限り、初恋中の乙女のごとく(?)ひっそり物影から見ている……というパターンが常なので。
まぁ。そんな訳で、未知の方からメールを戴くのは嬉しいのですが、12月に入ってからは、謎なメールが、ちょろちょろと舞い込んでくるようになりました。日記を読んでの感想でも、HPの読書禄に関することでもなく、いわゆる「恋人になりたいですね」とか「仲良くなりましょう」って感じのメールなのです。
いまどき、そのテの迷惑メールなんて珍しくもないですし、季節柄、人恋しいって気持ちも分かります。なので、さして気にせもせず返事もせずに、そういうメールは、速効削除していましたが、放置していたメールの主から「掲示板を見てメールしたのに、どうして返事をくれないのですか? ひょっとして、私をからかっているのですか?」とのメールが届いて、はじめて「ただの迷惑メールではない」ってことに気が付きました。
どうやら、出会い系サイトかなんかの掲示板で、私のメールアドレスを使って、何某かのメッセージが書き込まれていたようなのです。
そういうのって、ありがちな悪戯だと思いますし、メールをくださった方(真面目な雰囲気の文章だったので)には気の毒だと思いますが、私自身への「実害」ってのは、たいしたもんぢゃあありません。メールの数も知れたものですし、それ以前に見たくなければ受信拒否をすればいいことなので、被害レベルは、どうってことはありません。
しかしながら、自分に「悪意」を向けられているってのは、正直、良い気はしませんね。軽く凹んでいます。そりゃぁ、まあ私にも「虫の好かない人間」とか「嫌いな人間」はいますし、私自身も人から嫌われるのも当然なのですが。なんちゅうか「嫌われるのかまわないけど、仕掛けられるのは嫌だな」と言うか。「私は、あんた(←悪意の悪戯をした本人)みたいにツマンナイこと考えてる暇なんて無いだよ。バーカ」と思ったり。それと同時に「そ・ゆ・ことされるような人間だったんだなぁ。私ってば」なんて、ツクヅク実感してみたり。
愚痴っていても、仕方ないし、もう終わったことにので、気を取り直していきましょうかね……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
<追記>
これを読んでくださっている方のクリスマスが、あたたかく満ち足りたものでありますよう、お祈りしつつ。
年内のCAD講習が終わってしまった。年明けまでフリーレッスンも停止されるので、しばらくは遊び暮らそうと思う。何事もメリハリが大事よね……ってことで。年末はヲタクの祭典見物&恋月姫の人形展目当てで江戸へ行くのだ。鎌倉なんぞにも足を伸ばすつもり。27日の仕事納めと共に大阪脱出を試みる予定である。
毎度のことだが東京では、Fん家の世話になる。27日は友人がしゃぶしゃぶ用のお肉を届けてくれるとのこと。私は誕生日にもらって、いまだ開けていないワインを持って行くので「とりあえずビール」を用意しておいてね……とFに連絡。「わざわざ買わなくても、Y君(←愚弟のこと)の快気祝にもらったビールが、まだ残っている」とF。私の友人達には、愚弟の快気祝は紅茶にしたのだが、飲んだくれのFには、茶よりもビールが良かろうと選んだのに、まだ飲み終えていなかっただなんて。ショックだ。Fも年取ったなぁ。ま。私も戴き物のワインを半年も開けていないのだから、人のことは言えないのだけれど。
年末に向けて、すっかりウキウキモードなのだけれど、心配なのは老犬&乙女な母。
今回は愚弟もヲタクの祭典で江戸へ行くので、姉弟揃って家を空けることになる。乙女な母ってば、生まれてこのかた1人で過ごしたことがないので、愚弟と私の旅が重なったことを知ったから、なんだか大変な様子なのだ。箱入り奥様にも困ったもんである。が。しかし。ここは1つ気にしない方向で。いちいち気に病んでいたのでは、乙女な母とは付き合えないし。
とりあえず私は年内の仕事を済ませることに全力を尽くそうと思う。仕事面でも、私生活面でも。江戸旅行までに、実質、動けるのは3日しかないのだなぁ……と思うと、ちょっと焦ってしまうが、成せばなるかも、成らないかも……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
この週末の昼食は2日続けて、とても豊かなものだった。なので覚書など。
土曜日は、やたら滅法寒い中、午前中出勤。昼食は帰宅してから、有り合わせのものを食べようと思いつつ帰路につくも、乗り換え駅のコンコースで立ち食い蕎麦の誘惑に負ける。きざみ蕎麦1杯260円也。あたたかい蕎麦は、草臥れた身体に染み渡る美味しさだった。立ち食い蕎麦って、なんか好きだ。
そんなに美味しいとも言えない麺と、そんなに美味しいとは言えない出汁。だけど美味しい。対面式で「はい、どうぞ」と出てくるのも、カウンターの向こうが湯気でけむっているのも好きだ。立ち食い蕎麦屋のオバチャンの笑顔はとてもチャーミングで、あれこそ最高のサービスなのだと思う。ただ一瞬、立ち寄るだけの刹那的とも言える空間に、安らぎのようなものを感じてしまうのだなぁ。
日曜日は友人達と積み立てている「美味いもん貯金」を使っての豪華ランチ。毎月1000円(ボーナスや臨時収入も含)積み立てて、半年に1度、贅沢な食事へ行くのだ。「けっこう貯まったし新刊本でも買おう」とか「セーターの1枚でも買おう」なんてことをせずに「食べるためだけに使う」というコンセプトが貫けるのは、友人がいてこそのことだと思う。
今回はフレンチレストラン「K」へ行った。4500円のランチコースにワインを少々。鹿肉のグリルが最高に美味しかった。鹿肉を食べたのは初めて。牛肉よりも脂っこくないのに、コクがあって深い味わい。高級店だからか店員さんの応対が素晴らしかった。痒いところに手が届きまくりと言うか。映画『マイフェアレディ』でレディとして扱われるうちに、本物のレディらしくなっていったヒロインの感覚が、ちょっとだけ分かったような気がした。やっぱり人から丁寧に扱われるというは、とてもいい気分だ。
立ち食い蕎麦と、フランス料理。私にとっては、どちらも美味しく豊かな食事だった。立ち食い蕎麦からは「頑張る元気」を、フランス料理からは「友人達と過ごす楽しい時間」を貰った。私の食に関する姿勢は亡父&乙女な母の仕込みである。「フランス料理だの、懐石料理だのでも物怖じせず美味しく食べられて、お茶漬けだのカップラーメンも、美味しく食べられる人になりなさい」と言われ続けて大人になった。
食事に関することについては、両親に心から感謝している。「なんでも美味しく食べられる」ってだけで、今ままで愉快に暮らしてこれたし、これからも愉快に暮らしていけるような気がする。要するに「食事を楽しめる」ってのは幸せだってことだ。
長々と書き散らしてしまったけれど、今日の日記はこれにてオシマイ。
私が通っているCAD教室は、そこそこ高いビルの9階にある。
比較的新しい建物なので、超高層ビルという訳でもないのにエレベーターが充実していて、私が利用しているエレベーターは常時8機が行き来している。低層階はショッピングフロア。中層階はオフィスと専門学校。最上階はレストランフロアになっている。
ショッピングフロアや、レストランフロアを利用する人は、別のエレベーターを使っているらしくて、私が利用するところは、ほとんど働く人か、何がしかの専門学校に通っている人達だ。専門学校といっても、資格取得系がほとんどなので利用する人達の顔は「勉強するぞー」という意気込みが感じられる。なのでエレベーターホールでエレベーターを待っていると、なんとなく気持ちがピリッとしてくる。ごく稀に、違う学校の人とすれ違い様に「何を習っておられるのですか?」なんて話をするのも楽しい。
しかしながら、たま〜に最上階のレストランフロアを利用する人もいて、昨日はレストランフロアを利用するだろう40代のカップルを見かけた。ご夫婦だとは思うのだが、いかにも「成金でござい」という感じのカップルで、ご主人は腕を通さずにキャメルのコートを引っ掛けて、金の時計をしていた。そして奥様は、毛皮のコートを着ておられた。まあ、これと言って珍しい光景ではなかったのだが、問題は奥様の毛皮である。コートというよりも「マント」のようなデザインで、もこもこもと温かそうな茶色い毛皮だった。いかにも高そうだったんだが……
モモンガみたい!!
思わず叫んでしまいそうになった。それくらい彼女の姿はモモンガそっくりだった。小柄な女性なので、余計にそう思ったのかも知れないし、大きすぎるマントゆえにそう思ったのかも知れない。「どうしたの? ここは貴女のいる場所ぢゃないわ。森へお帰り」とか「もしかして屋上から滑空するつもりなの?」とか思いながら、ニヤケてしまう口元をキリッと引き締めるのに必死だった。
あの毛皮を売った店員さんは「モモンガみたいですよ」とは言わなかっただろうが、彼女の毛皮姿は、どこをどう見てもモモンガで、同じエレベーターに乗り合わせた人々が、彼女をどう見ていたのか、やけに気になってしまった。これを読んでいる方に、彼女のモモンガっぷりをお見せできないのが本当に残念です。まさか携帯で写真を撮るわけにもいかないし。
さてさて。暢気にこんなことを書いている場合ぢゃあない。今日は午前中仕事なのだ。午後から図書館へ仕入れに行かなくちゃ。そして明日はお楽しみが待っている。頑張って行くぞー……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
最近、物欲が猛烈に高まっている。
私は人間がトコトン地味に出来ているのか、同じくらいの年齢の人と比較してみるだに、あまり物を欲しがらない方だと思う。食料以外の物……洋服だの、アクセサリーだの、鞄だの、CDだの、そういう物は滅多に買わない。本にだけは執着心があるけれど、それも図書館を利用するようになってからは、めっきり買わなくなってしまったし。横丁のご隠居さんぢゃああるまいし、もうちょっと消費生活に貢献した方がいいかも……という勢い。
何か「欲しい」と感じたときは、必ず大好きな漫画に出てきた言葉を思い浮かべる。「それは、あなたの人生にとって本当に必要なものなの? 本当に必要なものは、ちょっぴりしかないのよ」そう考えると、欲しいと思う大抵のものは「必要のないもの」のような気がする。そして私の中で高まっている物欲は、すべからく「必要のないもの」ばかりのようだ。せっかくなので、今欲しいものを書き出してみよう。
欲しい物 その1 「黒い革の手袋」
犯罪者御用達というような、黒い革の手袋が欲しい。装着する時に「キュキユッ」っと音がするようなタイプのもの。革の手袋は暖かいらしいので、興味津々。買ったら喜んで使うだろうが、高価なのがたまに傷。落し物大魔王の私には、ちょっと危険過ぎるアイテムである。
欲しい物 その2 「白いコート」
今年は街を歩いていると、やたらと白いコートの女性が目につくのだ。私は「あんたは死神かい?」というような黒っぽい服装をしていることの方が多いのに、なんだか猛烈に「白いコート」が着てみたいのだ。だが、しかしこれも危険アイテム。汚れるのを着にしない勇気が必要。
欲しい物 その3 「マウス&マウスパッド」
ソフマップで、すんごくスムーズに動く使い心地の良い物を見つけた。マウスとマウスパッドを買うと1万円近くする。仕事で使うならともかく、自宅PCは、もっぱら遊び用なので、そんなな高価な物は勿体無いんだなぁ。そうかと言って、職場に「マイ・マウス」を持っていくほど、今の職場を愛していないしなぁ。
欲しい物 その4 「アンジェリーク エトワール」
天下の光栄が出した女性向の恋愛ゲームの最新作。第一作目から、ずっとプレイしているので、いずれは買うことになると思うのだが、今は買ったところでプレイをする時間を作れそうにもない。最新作を買うより前に、達成率44%のまま放置している「金色のコルダ」をなんとかするべきだろう。
欲しい物 その5 「宝くじ」
宝くじは買わない主義なのに、今年は何故だか「浅はかな夢」を見てみたい心境。飲食店・店主の妄想が、後押ししているという説もアリ。
ずらっと書き上げていくと、年末商法に踊らされているだけのような気がする。そう言えば、昨年の今頃は『太鼓の達人』が欲しいと喚いていたような。あれは結局欲しい時に手に入らず、市場に出回るようになった頃は、すっかり熱が冷めていたんだっけか。今、書き連ねたものも、熱が冷めたら「なんじゃこりゃぁ」って感じなのだろうなぁ。
「買うべきか、買わざるべきか、それが問題」ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
ほんの、いっときの事だったけれど、大阪地方は、すんごい風雨に見舞われた。豪気に雷まで鳴っていた。意味不明の図面と格闘しながら「帰りどうしようか」などと思いながら漫然とやり過ごした午後九時であった。
帰り道。自宅最寄り駅の広場に、黄色い銀杏の葉っぱがビッシリと地面にへばりついていた。もう年末だというのに、銀杏の葉が木に残っていただなんて驚きいた。それより何より、駅前に銀杏の木があったってことを、今のいままで気づかなかったってことにも驚いた。目を開けて歩いているからといって、それらを、ちゃんと見ているとは限らないらしい。
生きている間に享受できるものは、あまりにも少な過ぎるように思う。
色々なことが通り過ぎたとしても、その痕跡を確認できるものは、ほんの僅かしかない訳で。そう思えば「覚えていること」ってのは、自分にとって余程重要な記憶だったり痕跡だったりするのだろうと思ったり。
そろそろ眠くなってきたので、今日の日記はこれにてオシマイ。
小さい子供が仮面ライダーやセーラームーンになりたいというようなレベルでもって「飲食店・店主」という職業に憧れてしまう。そりゃぁまぁ、今からでも頑張れば実現は可能だろうけれど、そういうのぢゃなくて。老後のジャム屋はそれなりに本気だが、「飲食店・店主」はあくまでも妄想のお話。「飲食店」といっても、色々な種類があるけれど、私が憧れるのは「喫茶店のママ」と「小料理屋の女将」である。なんだか単純に憧れちゃうのだ。
喫茶店はお洒落なカフェぢゃなくて、あくまでも「喫茶店」がいい。珈琲と紅茶、モーニングと軽食があって、ケーキは日替わりで手造りのものを1種類。パフェ類はおかない。せいぜいクリームソーダかアイスクリームがある程度。BGMは静かめの室内管弦楽。照明は暗め。純粋に「喫茶」のための店なのだ。もちろん珈琲と紅茶は美味しくなくっちゃいけない。
小料理屋だったらカウンターのみの小さな店がいい。大皿に野菜の煮付けとか、菜っ葉のお浸しなんかを並べていて「女将さん、これと、これ頂戴」って言ってもらえるような雰囲気で。季節の料理を出して、ちょこっと飲んでもらえるような気安い店がいいなぁ。BGMは、あえて流さない。たいして儲かりもしないけど、常連さんがいて、細々と商売ができる……ってのが理想形。
「喫茶店」と「小料理屋」とでは、同じ飲食店と言っても毛色が違うのだけれど、私の中で共通しているのは「ふらりと、いつ立ち寄っても、いつもそこにママ(女将)がいる」というシュチュエーション。逆をかえして言うならば、私は「いつもここにいる」という場所が定まっているということなのだけれど。
ここのところ急に寒くなったので、街を歩いていて、ふと「喫茶店でお茶でも飲みたいなぁ」って思うことが多いのと、花街が舞台の小説を読んでいたのとで、唐突に妄想が膨らんでしまったらしい。「勉強するぞ体制」に慣れてきて、つまんないことを考える余力が出てきたってのも、妄想の花が咲いた原因の1つだと思う。
宝くじが当たったら、CADの勉強なんて、ほったらかして喫茶店か小料理屋を開くことにしよう。小料理屋を開いたら、開店祝いに来てくださいまし。「エンピツ日記を見て来ました」と言ってくださったら、生中1杯または、お銚子1本サービスさせてもらいます……って、その前に宝くを買わなくちゃなぁ。いったい、いつまで売ってるんだっけか? あてどなくツマラナイことを書いてみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。
昨日、一昨日は、忘年会2連チャンで、鍋料理2連チャンだった。
私は「鍋奉行」という人種があまり好きではないが、まったく鍋のルールを知らない人に較べると、むしろ鍋奉行の方が好ましいかも知れない……と、生まれてはじめて思った。私は、「葱が先でも、白菜が先でもいいぢゃないか」という程度の鍋意識しかもっていないが、ま一昨日は、まだ出汁が煮えていない鍋に「私は豆腐が好きだから」とて豆腐を全部、ぶち込んだ同僚の姿を見て「いくらなんでも、あんまりだ」と思ったのだ。
鍋の順序なんて少しルーズなくらいの方がいいとは思うが「入れるのは煮立ってから」とか「出汁の出る物(肉類・魚介類から入れる」とか「煮えにくい物から入れる」というくらいの事は常識だと思っていたので、たいそう驚いた。しかも、その同僚が十九や二十歳ならともかく、私と同じ年なのだ。そして、もう1つ驚いたのは、自分で鍋を突付けないポジジョンにいる人に対して、彼女は何もとってあげようとしなかったということ。何気に促してみても「ああ。あの人は飲むのが好きだから、飲ませておけばいいのよ」とて、取ってあげようなんて気は、さらさら無いのであった。
私は「女性だから気を使わなきゃ」なんてことは、これっぽっちも思わない。だが「食べること」に無頓着であったり、何も出来ないというのは大人として欠けているように思うのだ。そして私は、そういう人とは女であろーが、男であろーが、あまり仲良くなれないような気がする。食生活で人づきあいを考えるというのも視野が狭いような気がするが、食生活の価値観が違いすぎる人と、深くつきあったり長時間過ごすのは、けっこう苦痛だったりするから。
そりゃそうと。鍋を囲むと、普段は見えない人となりが見えるものだ。自分で鍋を突付けないポジションに座った56歳女性は、私が取り分けてあげるたびに「人にしてもらって食べるって嬉しいわねぇ」とシミジミしていた。彼女はいつも家族のために「してあげる」ばかりの人なのだろう。そして、仕上げの雑炊の用意をさり気無くしていた36歳男性も印象的だった。卵を溶く手つきが堂に入っていて「慣れている」感じ。「ここは女性陣に任せて」なんて野暮なことを言わないのが素敵だと思った。
食事の周りに見えるドラマが、妙に気になる忘年会だった。鍋って好きだが、どうせ食べるなら気の合う友人や家族と食べる鍋がいいよなぁ。などと思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。
2003年12月13日(土) |
確信犯的人付き合い。 |
昨夜は職場の忘年会だった。「会社の飲み会」をマラソンと算数の次に忌み嫌っている私は、一次会だけで、とっとと帰宅。CAD教室へ行く日よりも、ずっと早く帰ってこれちゃったりした。だいたいからして、そんなに気が進まないならキッパリ断った方が潔い訳だが、そこは大人の狡さというものだ。「まぁ、テキトーに合わせておこう」という知恵が働くのだな。確信犯的狡さでもって「気は進まないけど、とりあえず行っとけ」なのである。
宴席で直上司から「もうすぐ1年だね。本当によくやってくれて感謝してる」とシミジミ語られてしまった。直上司はとても私を買ってくれているらしい。適当に話を逸らしてみたが、謙遜と受け取られてしまったらしい。違う……そうぢゃない。そんなに期待されても、期待にはこたえられないのだ。「ごめんさない」と心の中で手を合わせつつ、ビールを注ぐ私であった。
そして今日も忘年会。今度は職場の仲間内だけで。これもまた気が進まないのだけれど、やっぱり出席するのである。今日はお誕生日の人がいるらしくて、忘年会の最後はケーキで締めることになっている。最近、飲酒欲が減退しているので「お誕生日ケーキ」は楽しみだ。今日も適当なところで、さりげなく抜けてこられるといいのになぁ。こんなに嫌だと思っているのに、その場に入ると「ごっつう楽しそう」に出来る狡さ加減は、なんとも計算高い。
以前は、こういう狡さを快く思っていなかったのだが、最近は「それもアリ」だと思っている。自分の周りを見渡してみて「ちょっとの我慢」で、それ以上の利益を得れるなら利益を求めてみたいぢゃないか。ピュアな心よりも、少しでも安楽な生活を選んじゃうな。私は。
午後から夕方までCAD教室。忘年会までは時間があるので1時間ばかりウォーキングして行く予定。それにしても時間に追われているような気がするなぁ。明日あたりは、のんびりジャムなど煮たいのだけど、今日・明日で年賀状を作らなきゃ。とりあえず、いったんPCから離れなくちゃ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は仕事帰り、張り切ってCAD教室のフリーレッスンへ出掛けたのに、手違いがあって席が取れていなかった。明日は教室じたいが閉まっているし、金曜日は忘年会で行けないので自習は土曜日までオアズケ。すごすごと帰宅。
肩すかしを喰らったせいか、帰宅してからも漫然と時間を過ごしてしまった。何をするでなくネットでCADの求人情報を見たりして。仕事探しをするには気が早過ぎるのだけど、なんとなく情報収集。「へー」とか「ほー」とか思うのだけど「けっきょく就職って、運とか縁って要素も大きいからねぇ」ってなところに考えが行き着くのは、どこか転職を舐めているのかも知れない。
姫野カオルコの新刊本を読了。感想を書いておかなくちゃ……と思いつつ、なんとなく気が乗らないので明日することに。そう言えば読書のペースは思いっきりダウンしているなぁ……ってか、1日1冊に迫るペースで読みまくって、感想を書きまくっていた頃の方が、どうかしていたようにも思う。なんと言うか、これも「波」なのだなぁ。2〜3日に1冊のペースが自分のベストのように思う。
この1年は、仕事が楽ちんだったのと、プライベートも安定していたのとで、馬鹿みたいに沢山、本を読んだ。せっかくなので「2003年のベスト本」を挙げてみようかと思ったのだが、いざとなると、ちっとも思いつかない。面白い本に出会わなかったのではなくて、自分の中の分類法に問題があるのだと思う。
感動したことが「1年」という括りで囲まれていないのだ。「ものすごく好きな本達」とか「ものすごく好きな作家さん達」とか「目から鱗の1冊」とか、そういう大雑把な分類しか出来ていないのだ。来年からは、本の感想に日付を入れようかと思ったりもするが「らしくない」ので、しないような気がする。
明日も自習できないなんて、つまんないなぁ。職場でも、ちょっとくらいなら出来なくもないし、3次元モデルを作るのは歓迎されるだろうが、内緒の習い事だもの。秘密の計画は密やかに進めねば。土曜日が待ち遠しいなぁ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
こんばんわ。日記は飛び飛びになっちゃってますし、浮世の義理も欠きまくりですが、元気に生存しておりまする。1日、ものすごい勢いで彼方へと飛び去っていくのを、せっせこ追いかけている……という今日この頃。
今日は最近気になっていることなど。
ここのところ買い物をしてレジで会計をするときに、やたらと手を握られているような気がします。それはレジのお姉さんがお釣りを渡してくれる時に発生します。片手でお釣りを渡されて、もう片方の手で「ギッュ」っとな。唐突に手を握られて吃驚すること、1週間に数回。知らない人に手を握られるのって、すっごく吃驚します。嫌な気はしないけれど、純粋に驚くのです。特にレジで順番待ちをしている時は放心していることが多いですし。
あれは、社員教育かなんかで指導があったりするのでせうか? 「お客様にお釣りを渡す時は両手で行い、空いた方の手で、お客様の手を握るようにしましょう」とか。「お客様の手を握ることでコミュニケーションを構築しましょう」とか。なんか、そういう意図が?? それとも、私がボンヤリしているから「ボーッとしないで、ちゃんとお釣り受け取ってね」という合図を送られているだけなのかも??
全国的な現象なのか、たまたま握られることが重なっただけなのか妙に気になるのですが、なんとなく職場などで「ねぇねぇ。レジで手を握られたりする?」とは聞きにくく、わざわざ友人に電話をかけてまで聞くのもなぁ……とて、ちょっと日記に書いてみたのでありました。
とりあえず、レジ待ちしているときに、ボンヤリし過ぎないように気をつけなくっちゃいけないかな……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
先日、通勤電車の窓ガラスに映った自分の姿を見て愕然とした。あまりにも不細工過ぎて。髪はボーボー。眉はガタガタ。化粧は崩れまくっているし、洋服の合わせかたもチグハグで、不細工光線、発射しまくりといった風情。
私は何かに熱中しだすと他のことがほとんど目に入らなりがちで、優先順位の低いものから、どんどん手を抜いていくことになる。その結果「お洒落に身を入れない」ということになる訳だが、これは相当いただけない。
一般的に「何かに熱中している人って目が輝いていて素敵」というが、目が輝いているだけで素敵だなんてことはありえない。人間の内面的なところは素敵かも知れないが、ある程度は「身なり」もともなっていないとなぁ。そりやぁ、熱中している横顔だったり、そのことについて語っているところなんかは、身なりがイマイチでも輝いて見えたりもする訳だが、そうでなければ、ただ単純に「冴えない人」でしかないように思う。
あまりにも情けなかったので、ここ2日ほどは身づくろいに気をつけている。
最低でも「うっかり化粧をしてなかった」とか「うっかりアクセサリーをつけない」とか「うっかり変な組み合わせの格好」をするということくらいは改めないと、小汚い三十路になってしまう。(←入浴はしているので臭くはないが)スッピンでも、全身ユニクロでも素敵に見えちゃうくらい別嬪さんに生まれたかったなぁ。ふうっ。
まぁ、実際。見た目だけが全てではない訳だけど、見た目もそこそこキープしていた方が、より素敵だということは言うまでもない。気をつけなくっちゃなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
しばらく日記を「休みがち」にしようかと思っています……と言うか物理的に「休みがち」にならざるを得ないのでありまする。
3次元CADの教室が本格始動したのですが、自分の考えの甘さに打ちのめされておりまする。今、仕事で使っているCADはまだ1年足らずなのですが、他種CADで4年やっていたという自惚れと、まかりなりとも現役のCADオペレーターとして、やっていけているという自負があり、ちょっと頑張ったら、なんとかなるかと思っていたのですが、ちょっと頑張ったくらいぢゃあ、どうにも追いつきそうにないのです。
授業についていけない訳ぢゃないんですが、やっとこさって感じで授業を受けているようでは、とても仕事ぢゃ使えない。2次元のCADでさえ、授業中に「えっ。こんな使い方があったんだ!」と劇的な発見が多くて、この1年どれだけグウタラ仕事をしていたかってことが、嫌と言うほど思い知らされた次第で。
自分が負けず嫌いだったってことを久しぶりに思い出しちゃいました。
ちょっくら身を入れて勉強に励みます。遊んでる時間があれば、少しでもCADを触って感覚をつかみたいと。そりゃぁ、まあ。1日中CADと戯れている訳ぢゃあないですし、前職場では一日の大半をCADの前で過ごしていたのですから、勉強しながらネット生活も今まで通り出来そうなものなのですが、やっぱり仕事は勉強は違うというか。脳みその容量がパツンパツンなのです。三十路の手習いなだけに、吸収力がイマイチよろしくないようで。
まぁ、そんな調子なので日記を書いていなくても、よろしくやっていると思っていただけると幸いです。勉強のペースが掴めたら、またガンガン書けると思います。HPの読書録の方はできるだけ書くつもりですし、少なくとも毎日ネットはのぞいているので、掲示板なりメールなりで「おーい」と呼んでくだされば「はーい」とお返事できる準備はこざいます。
気が向いたり、余裕があるときは出来るだけ書くつもりですし、希望としては最低でも週1くらいで生存報告が出来れば良いかな……と。そんなこんなで「休みがち」になりますが、よろしくお付き合いいただけると嬉しいな……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。