白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2004年01月31日(土) 江國香織が好きぢゃない訳。中山可穂が好きな訳

先日、エンピツ日記繋がりのしえちゃんと「江國香織ファンの女性って多いけど、彼女の作品って好きになれないんだよね」という話をした。「どこが嫌い」という具体的なことは分からないまま「なんか嫌い」という結論でもって話が終わった。彼女の感性や文体だけなら、どちらかというと好きな部類のはずなのに、何故だかしら嫌いなのだ。

自分でもずっと「どうして嫌いなんだろう」と不思議に思いつつ、今回『冷静と情熱の間に』を読んでみた。で、今日は江國香織ネタ。どちらかと言うと読書日記的。なので読書に興味のない方はサラッと流していただきたいな……と。

結論から言うと『冷静と情熱のあいだ』は恋愛小説で、かつ私の大嫌いなパターンだった。ちなみに、恋愛小説を書く大好きな女性作家さんは中山可穂。酷い話も、下手な小説も多いのに「やっぱ好きなんだなぁ」ってところに落ち着いてしまう作家さんである。彼らの作品のどこがどう好きで、嫌いなのかを自分の中で分析してみた。

たとえばゴールのボールを運ぶ……というようなサッカーとかバスケット的ゲームがあったとする。でもコートの中には色々な色と形のボールが転がっていて、そのボールをゴールに運べば1点。というゲームをプレイしてみた……というパターンで考えてみた二人の印象。

まずは江國香織。ゆっくりコートを見渡して、いくつかお気に入りのボールを見つけて、それを同時に運ぼうとする。どれも大切に、だけど1度で運ぼうとするので危ういバランスで。慎重に歩いてみたり、時には小走りになってみたり。長所はボールの丁寧な扱いと危ういバランス感覚。

一方、中山可穂。コートの中の「特別なボール」をすかさず見つけて両手で鷲掴み。胸のあたりでガシュッっと抱え、ラガーマンのように猛ダッシュ。他のボールのことは、チラッとも考えない。長所は一途で潔いプレイ。

どちらも魅力的だが、しかし、どちらにも短所はある。江國香織は同時にボールを運ぼうという姿勢が狡猾な感じ。自分の中では一生懸命であっても、ボールに対する力の配分は決して真摯ではない。中山可穂の「思い込んだら」の姿勢は素敵だけれど「飽きちゃったし、もういらないや」となると、それまで夢中だったボールをゴミ屑のように捨てる残酷さを含んでいる。それまで抱えていたボールに対して、これ以上酷い仕打ちはないだろう。

で。敢えて自分を当てはめてみるなら、断然、中山可穂のプレイタイプなんだな。恋愛に限らず、生きる姿勢が。今まで江國香織が嫌いなのも、中山可穂が好きなのも自分の中でイマイチ納得できる理由が見つからなかったのだけど、たぶんこの辺が好き嫌いの分かれ目なんぢゃないかな……なんてことを思った次第。

自分の中で燻っていた数年来の疑問が解けて、ちょっとスッキリした。もちろんこれは、あくまでも私の感じた作家感、作品感なので合っているとか、間違っているとかってのは別問題である。

とりあえず来月に出る中山可穂の新刊は買うぞ……って方向で今日の日記はこれにてオシマイ。

<追記>
しえちゃんも猛ダッシュ型だとお見受けしたけれど、どうでしょう?


2004年01月30日(金) エネルギー過多。

最近、ものすっごく語りたいモード。オシャベリな目玉焼きよりオシャベリだぜベイベーという勢い。とりあえず今、最高潮に語りたい話は2つばかり。

1つは最近読んだ本のこと。『かめくん』北野勇作@徳間デュアル文庫。じぶんちの読書録にも、ちらっと感想を書いたのだけど、それではちっとも書き足りなくて。語りたいことは山盛りなのだけど、強烈なネタバレ抜きにしては書けないことが多いので、読書録に書くのは憚られるのだ。『かめくん』について語れる同志はいないだろうか。たとえるなら『かめくん』をオカズにご飯3杯は食べられる。お下劣なたとえだと『かめくん』がオカズに3回は抜ける……というくらい燃え上がっているのだ。昨夜も愚弟を捕まえて語ること、語ること。

明日もきっと『かめくん』を読む。明日は『冷静と情熱の間に Rose』を読み終えると思うのだけど、その後に読むだろう。『かめくん』『かめくん』と書いているだけで、胸がキュウっとなる。こんなにツボな本も珍しい。

もう1つの語りたいことは、月曜日に入社した40歳の女性のこと。噂話好きだし、仕事もイマイチだし、PC使えないし、社会常識は欠如しがちだけど、朗らかで大らかな人だし、そんなに長く付き合う訳ぢゃないから気にしないけどさ……などと思っていたのだが、今日はなかな衝撃的なことをしてくれた。水を打ったように静かな事務所で、上司がいるにもかかわらず、携帯で私用電話をするんだもん。お姉ちゃん吃驚しちゃったよ。

よく「今時の若い子は教育がなってない」というけれど、今時のオバちゃんだって、なかなかどうして。あまりに堂々とオシャベリをしているので一瞬「私の考え方が古いのかな。どちらかというと堅い系の人間だしな。うむうむ」とか思ったりもしたが、勤務中のオフィスフロアで私用電話はNGだよなぁ。それまでも会社勤めをしていた人なのに、ええ年した大人なのに、人の子の親なのに、何故に故にそういうことになるんだろう? 謎過ぎる。

ああ。こうやって書いていても、喋りたい情熱が……。なんだか色々な意味で漲ってるような気がする。きっとエネルギー過多なんだろう。さて、いつまでも日記に向かっていても仕方がないので、読みかけの本は置いといて、ちょっとだけ『かめくん』を読んで寝るかな……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月29日(木) 噂話

新入社員のAさんは3度の飯より噂話が好きみたいだ。

昼休みに弁当隊女子からO女史と上司Jの愛人関係の情事……ぢゃなくて事情から、社内プライベート情報を耳聡く収集していた。私など10年働いたって知りえないであろうことを、わずか20分で収集してしまうだなんて、ある意味において素晴らしい能力だと言わざるを得ない。

夕餉時、なんの気なしにその話を乙女な母にふったらば、乙女な母いたく憤慨。「他人のプライバシーなど詮索するものではない」と。まったくもって、その通りだと思う。乙女な母の意見はもっともだ……などと遠い目をしながら、憤慨する乙女な母の話をたっぷりと聞かされた。どうやら私はネタの選択を誤ったらしい。それにしても自分とは何のかかわりもない人のプライベートに熱くなれる人も凄いが、それに対して熱く怒りを覚える乙女な母も凄い。

猛女の話を聞かされながら私が考えていたとは、週末に誘われている「歓送迎会ランチ(女子のみ)シェラスコ食べ放題の集い」のことだった。

だいたいからして食べ放題って好きぢゃないんだなぁ。そんなに一杯食べられないしさぁ……とか、て・ゆ・かシェラスコじたい、そんなに好きぢゃないし……とか「歓送迎会」って銘打ってなければパスしてるのに……とか、そう言えばシェラスコって某乙女ゲーム、炎の人の好きな料理だったっけ……とか。熱く語る人を前に、気だるく、くだらないことを考えていた。

そんなこんなで今日はエネルギーを吸い取られた気がする。美味しいお茶でも入れて気を取り直すか……ってことで、今日の日記は、これにてオシマイ。


2004年01月27日(火) ダシ昆布のような人も…

職場で人物評をしている際「あの人は、いい人だよ。だって面白いから」ってな言葉を聞いた瞬間、脳内がハテナマークに占拠されてしまった。なにも「いい人」と評された人の人柄に疑問をいだいた訳ぢゃない。「面白い人=いい人」という図式に疑問を持ったのだ。

つらつらと思うに最近(←昔のことを覚えちゃいないだけなんだが)やたらと「面白い」ばかりがスポットライトを浴び過ぎちゃいないか? 面白い人というのは「個性があって魅力的な人」という意味ではなく「明るくて、人を笑わせるのに長けている人」という意味である。「誠実」だとか「真面目」だとかを抜いて、ダントツで「面白い」がリードしているように思う。

面白いコンプレックス……のような気がする。むしろ単純に人間の表層に振り回されていると言うべきか。

TVで人を笑わせる仕事をする芸人さんに「ぢつは暗い」人が多かったり、鬱で苦しんでいる人が以外と多いのは周知のことだし、寡黙だが、ひっそりと人を笑わせてくれる人だっている。なのに、どうしても表立って「明るい」ということにスポットが当てられてしまうのだな。女性に男性の好みを聞いてみると、かなりの確立で「明るい人」「楽しい人」「面白い人」って答えが返ってくるし。

なにも私は「面白い」のが良いことだって風潮を否定いている訳ぢゃない。人の気持ちを明るくさせるのって素晴らしいことだと思うし。だが、しかし。噛めば噛むほど味が出るスルメのような人や、じんわりと湯や水に漬けているだけで何時の間にか味が染み出ているダシ昆布のような人ってのも、いいんぢゃないかな……と思ったりするのだ。

面白かったり、調子が良かったりするだけが美徳じゃないぜ!

……なんてことを声高に、こっそり叫んでみたところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月26日(月) 及ばずながら教育係。

職場に新人さんがやってきた。設計担当の27歳男子と、年齢は分からないけれどそこそこ年配の女性と。年配の女性に仕入関係の事務を教えることになった。どうも私の引継ぎ……って訳ではないようだけど。設計の人にはCADを少々。私は根っから「人に教える」のが好きみたいで、すっごく楽しい。

たぶん私は「教える」って作業に向いているのだと思う。
↑私にも、ちょっとくらい、いいところがあるらしい。

書道だの、華道だの、茶道だの、ピアノだのを習っていた頃に、散々っぱら「この人は、どうしてこんな口の聞きかたしか出来ないんだろう」などなど、疑問に思っていたのが今頃になって役立っているように思う。言っちゃあなんだが、たしなみ系の御稽古事の先生(師匠)というのは、その道に優れているかも知れないが、教えるのが下手くそな人が多いように思う。比較的メジャーな御稽古事のピアノあたりだと「ピアノの先生って大っ嫌いだった」って思い出のある人は多いんぢゃないかなぁ。あと自動車教習所の講師もしかり。

新人さんのおかげで、刺激的な時間が過ごせそうで嬉しい反面、手抜きが出来ないのは辛いなぁ……って、いや、なに。サボってばかりいる訳ぢゃあないんだけどさ。

自分が辞める時のためにマニュアルは作っていたのだけれど、暇を見つけて『困った時のQ&A』のようなものも作っておこうかしらん。ああ、でもそりじゃあ甘やかし過ぎかも。

それより何より「預かっておきます」となっている退職話について、ちゃんと話を進めていかなくては。むしろ先になんとかしなければいけないような気が。CAD教室の授業内容も、どんどん濃くなってきて、やっと「3次元風味」なことが増えてきたことだし、気を抜かないようにしなくては。

フレッシュな人がいるといいよね。なんかドキドキして楽しいやね……ってことを書いてみたところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月25日(日) 力いっぱい遊ぶ

昨日はエンピツ日記で知り合った、しえちゃんとデートのお約束。しえちゃんが大阪へ遊びにくるとのことだったので、仕事帰りにお茶など。約束の時間まで、少し予定が空いたので梅田の古書店へ。

図書館生活をするようになってから、すっかりご無沙汰していたのだけれど、やっぱ古書店って好きだなぁ。ブック・オフなんかも好きだけど、ほんのり埃臭い古書店ってのは、清潔な書店とは違った味わいがある。『尼は笑う』『冷静と情熱の間にRoss』『冷静と情熱の間にBlu』『芽むしり 仔撃ち』を、それぞれ100円でゲット。薄井ゆうじが、ずらっと並んでいて「買占めようか?」と思ったのだけれど、大荷物で「お久しぶり」ってのも、なんなので4冊だけ買って待ち合わせ場所のホテルへ。

再会ってのは、どうしてこんなに嬉しいんでしょうなぁ。

そろそろネット暦も5年目になるし、ネットを通じて人と知り合うってのも、普通なことのように思えるけれど、それでも遠くに住む人とこんな風に話ができたり、まして友人としてお付き合いができるようになるなんてのは、不思議なことだと毎回思う。この感覚は、きっと何人の人と知り合ったって変わらないんじゃないかなぁ。この不思議さと感激は、なかなか表現しきれない。

しえちゃんとはホテルのカフェで色々な話をした。本の話。ネットの話。ゲームの話。仕事の話。喋っても、喋っても喋り足りないくらい。しえちゃんからは「前も思ったんだけど、日記の印象と違う」と言われる。確かに日記は自分の一部゛かクローズアップされるものなぁ。オッサン志向なところがあるけれど、じつはドレスマニアだったり、仕事好きだけど、家事大好きでエプロン好きだったり。カラオケではバラードを歌うのは恥ずかしいけど『ハクション大魔王』は平気で歌えたりするのですが、これからも、どうぞよろしく。

しえちゃんは、日記のままに素敵な女性でありました。前回は時間が短かったので、それほど話ができなくて、知らない気付かない部分が多かったのだけれど。すんごく可愛い女性なのに、吃驚するくらいサッパリし気性なのねぇ。その混じり具合がまた素敵で。ネットで知り合ってリアルで会った人で再会した人達って、みんなステキングで困ってしまう。こういう人と話ができたりするのって、ホントに嬉しい。

3時半に待ち合わせて6時まで喋りまくり、お別れの時間まで、あっと言う間だなぁ……と思っていたらば、思わぬお誘いを受けてしまった。「夜に会う人達から良かったら夕食を一緒にどうですか?」ってメールがあったんだけど……と。しえちゃんとはともかく、まったく初対面でネットで知っている訳でもなんでもない人達と、食事に参加しちゃって大丈夫かな……と心配したのだけれど「まあ、しえちゃんが仲良くしている人なら大丈夫だろう」と思い、厚かましくも喜んで参加することにした。

まったくもって「はじめまして」の慈雨さんと、むーむーさんは、どこの馬の骨とも分からぬ私を気持ち良く受け入れてくださって、非常に感動してしまった。はじめましてと言うよりも「お久しぶり」というか、同窓会のノリ。「こんなことって、あるのねぇ」と我ながら吃驚。ものすごく……ものすごくリラックスして、なじんでしまっていたように思う。

居酒屋さんで「とりあえずビール」で乾杯。光栄の乙女ゲームシリーズについて、熱く語った。そりやぁもう楽しかったさ。趣味が合う人と話をするのって、どうしてこんなに楽しいんだろう。慈雨さんも、むーむーさんも「毎日楽しく生きてます」って感じがビンビン伝わってくるような素敵な女性だった。エネルギッシュな人と時間を過ごすのって、いいよなぁ。自分まで元気になっちゃうような。

あまり楽しかったので、ついうっかりカラオケまでご一緒してしまった。「カラオケは好きぢゃない」と公言して憚らない私だが、偏屈に「大嫌い」という訳ではなくて、相手によっては楽しめてしまうんである。昨日もホントに楽しかった。電車の時間が気にならなければ、もっともっと一緒にいたかったなぁ……と思うくらい。しえちゃんとは通算7時間半も一緒にいたのにね。

そんなこんなで昨日は、力一杯、目一杯遊んでしまった。楽しかったぁぁ。この休みに得た活力は、明日からの一週間に生かしていかなくちゃね。それにしてもゲーム談義をしていたら、むしょうにゲームがしたくなってしまった。CAD教室が終わるまでブレーキを掛け続けていられるかどうか微妙だなぁ。おっと明日はCAD教室だ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月24日(土) おやすみ3秒。

私は寝つきが良い性質ではないらしい。寝床に入ってから、くだらないことを考えるのが敗因かと思われる。なので寝つきの良い良い人を心から羨ましく思うし、かつ尊敬もする。そして私は寝つきの良い人達をこう呼んでいる。

おやすみ3秒……と。

身近なところでは、愚弟や同志Fなどが典型的な「おやすみ3秒」だ。彼らは話が盛り上がっていようが、いまいがおかまいなしに「おやすみ」と言った3秒後には夢の国へ行っているという実に恨めしい……もとい羨ましい体質である。

だが、しかし。今夜は私も「おやすみ3秒」の仲間入りができそうだ。とても楽しい1日で思い切り遊んだ。とりあえず今日は思い残すこと無し……てな感じ。楽しかった1日については、明日また書くことにして、もう寝ようかな……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月23日(金) 覚書。あんこ玉など。

ウォーキングを意識しはじめてから、肩凝り&腰痛とはキッパリ縁を切ったのだと思っていたのに、知らない間に復縁したらしい。たぶん原因は急激な冷え込みだろうなぁ。自分1人が寒いわけでもないのだけれど、寒いと侘しい気分になったり、殺伐とした気分になるのは何故だろう。もっとも、その分だけ、温かい物を飲んだり食べたり、温かい部屋にはいったりするだけで単純に幸せ気分を味わえるのだけれど。

ここ2週間ばかりテンションが上がりっぱなし。明日もムフフなお楽しみが待っているし。ああ、こんなに楽しくっていいんだろうか? そりゃあ、まあ心配事とか不安なこともあるわけだけど、差し引きしたら愉快度の方が断然優勢。こんなに浮かれていていいのかなぁ……まあ、いいって方向で。

今週末も図書館へは行かない予定。もう本格的に遠ざかっちゃったなぁ。また調べ物か何かがあったら行くかも知れないけど。あっ。そうだ、読書録にも書かなくちゃいけない本が溜まっているなぁ……って、もうとても追いついていきそうにないんだけど。こちらの方は、ぼちぼち行こう。

肩凝りが酷くなると甘い物が食べたくなるのだけど、何か関係があるんだろうか? 今日は頂き物の「あんこ玉」を食べたのだけど、外側がカリッっと硬くて、甘いあんこが妙に美味しかった。「あんこ玉」って見た目にも可愛らしくて、なんか好きだ。

さて明日は午前中出勤。そろそ寝なくちゃ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月22日(木) 妊婦さんの伝播

ここのところ私の周囲は出産ラッシュで、友人・知人に身篭っている人が多い。私も妊娠の経験こそないものの、親しい人の妊娠はとても喜ばしく、そうでない人の妊娠もそれなりに喜ばしく受け止める訳だが、妊婦さんと接していて不思議な共通点を発見した。

妊婦さんというのは何故、同性に、自分のお腹を触ってもらいたがるのだろう?

親しい友人のお腹なら「触ってみたい」と思うのだが、そうでもない相手となると、正直言って触りたいとは思わない。なのに妊婦さん達は幸せな笑みを浮かべつつ「ほら、動いた。ちょっと触ってみて」などと、生命保険のセールスレディにも負けないほどの押しでもって攻めてくるのだ。

妊娠という感動を「ねぇ、ちよっと聞いてよ」ってなノリで伝えたいという部分もあるだろう。また、もっと単純に「幸せを自慢したい」という気持ちもあるだろう。しかし、それ以上に動物的な本能が、彼女達を、そういう行動に駆り立てているんぢゃないか……と思ったりする。

妊娠、出産における感動と幸せを「産む性」を持つ同性に伝播させようとしているのではないか……と。

着実に子孫を残していかなければ種は絶えてしまう。子孫を残すのは生物の義務であると言ってもいいだろう。ゆえに身篭った女は、他の女に妊娠の喜びを伝えることで、新しい妊娠・出産を促し、子孫の繁栄を促進させているのではなかろうか。実際、妊婦さんと接していると、この世の中に子供を産むより大切なことなんて存在しないような気がしてくるから不思議だ。

閑話休題。

今日は本当に寒かった。今年1番の寒さだったとのこと。気温が極端に傾くのって、身体的には遠慮したい感じだけど、コミュニケーション的には、これほど盛り上がることはない。巷の事件や、流行の食べ物について語るよりも「暑い・寒い」を語る方が、ずっと盛り上がるし、何より失敗が少なくていい。今日は誰もが一丸となって「寒さを憎む」という目標に向かって進んでいるんぢゃないかと思った。

明日も寒いんだろうか? 今日より暖かいといいんだけれど。春が恋しいなぁ……だけど、あと2ヶ月もすれば木蓮の花も咲く。梅や桜だって、そうそう先の話ではないのだ。とりあえず暖かくなるのを、じっと待つべし……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月21日(水) 寒い夜につらつらと。

今日は友人宅にお呼ばれ。ハワイでの挙式の写真などを見る。鍋を突付いていたらば、ふと異変に気付く。飲兵衛の友人が、ちっとも飲んでいないじゃないか。「体調が悪いの?」と問うたらば、母になったとのこと。なるほど、納得。おめでたい。酒もタバコもヘビー級だった友人だが、いさぎ良く酒とタバコを絶っている姿に、しみじみと感動を覚えた。

高齢出産になるので、できるだけ不安な要因は取り除きたいとのこと。なんとなく大丈夫のような気がする。なんの根拠もないのだけれど。友人としては男の子が欲しいらしいのだが「どっちでも元気で生まれてきてくれたら充分なんだけどね」とこのこと。先日「女の子だったら、いらない」てな話を聞いてショックを受けたあとだってので、妙に嬉しかった。やはり、生まれてくる子供は祝福されていなくっちゃね。

帰り道はやたらと寒かった。この冬、何番目かの寒さになるんじゃなかろうか。

考えごとをしながら、星を見上げて歩いていたらば、止まっている車と正面衝突して派手にコケる。まるでドリフターズのコントのよう。それにしても、酔っ払ってもいないのに止まっている車にぶつかるって、どうよ? 自分に自身が持てなくなった夜だった。

帰宅したらば、ネット通販で頼んだ「パパウオッシュ」という洗顔料が届いていた。生まれてはじめて自分の意思で頼んだ洗顔料。いままでは無印良品を買ったり、友人・知人がらみに頼まれて「ぢゃあ、ちょうど切らしてるから買わせてもらうわ」などと、無気力な選択しかしたことが無かったのだ。ささやかながらも「顔に手間・暇・お金」をかける幸せを感じた。

つらつらと、とりとめもなく書いてみたところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月20日(火) 漢!

今日、書店で平積み雑誌チェックをしていたらば、唐突に「漢」というゴシック体の文字が目に飛び込んできた。

「お……おとこ!」と思わず、立ち止まったさ。(←漢と書いて「おとこ」と読んでくだされ)そりゃあ、もう。だって「漢」が大好きなんだもの。よくよく見れば、クロスワードパズル雑誌の「漢字」の「漢」の字を見て、一人勝手に「おとこ」と読んでしまっただけだったのだが。

私は「おとこ」が好きだ。

……なんてことを書くと、非常に妖しい感じだけれど正確に書くならば「男たちのドラマ」とか「男の浪漫」とか「男の友情」とか「男気」が好きなんである。なので年明けから放映されている『新撰組』はもちろん大好きだ。ドラマを観ない私が何年かぶりに観ようと思うドラマである。(ついでに書くなら最後に見た連続ドラマも朝日系列で放映されいた8時代時代劇の『新撰組』だったりする)男のドラマだったら、なんでもござれなので『プロジェクトX』も好きだし『三国志』も好きだし、とりあえず『幕末物』はたいてい好きだし、『北斗の拳』でも『トキワ荘の青春』も大好きだ。

もっとも……私にとって主人公が「おとこ」である必要はあまりないのだが。

女でもいいのだ。だが、残念なことに女は『女一代記』のような形のドラマはあっても、『女達のドラマ』(←「女達」の「達」ってところ、ココ重要)ってのは、ほとんどないのだ。せいぜいあって『女の友情』程度だろう。映画で表現するなら『フォーエバーフレンズ』とか『カラーパープル』ってところだろうかなぁ。現実問題とするなら『女の友情物』ってのも、かなり少ない。

女ドラマが少ない理由には「女は出産というビッグイベントがある」ということと「単純に社会的地位が低い」ということが挙げられるだろう。いつか遠い日……『女達のドラマ』なんてものが出来るといいなぁ……とは思うのだけど。

そういうのって、ムツカシイと思う。現実問題として考えても、女の性質とか、それまでの歴史を見ても「ありえねぇ」と思う。でも夢だっていいのだ。夢見がちだと言われても、夢を見続けていたいと思う。

現在進行形で『新撰組』に猿夢中の夢見がちな三十路女の戯言を書いてみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月19日(月) ヲタクの花道

愚弟が社会復帰してから、はや4ヶ月。最初の頃は生活のテンポが戻らず、ちょっと辛そうだったが最近は元気一杯働いている。「もう心配いらないよねぇ」ってことで、愚弟の話が日記に登場することもないだろう……と思っていたのだけれど、今日はちょっとだけ彼の日常を書かせてもらうことにした。

愚弟と私は眉毛の形と「ヲタク」という共通属性と以外に似ているところはあまり無い。なんちゅうか姉から言わせりゃ覇気がないというか、仕事に関しても遊びに関しても「真面目なのは認めるけど、生きてるんだか死んでるんだか」という印象が強く、物足りない男だと常々思っていたのだけれど、事故に合ってからは、覇気のなさに拍車がかかり、どうにもこうにも……ってな感じであった。

しかし愚弟は突然目覚めてしまったのだ。カメラ小僧という生き方に。

もともと愚弟は高校時代、写真部にいたので、風景だのなんだの、地味に撮ってはいたのだが、取り立てて「のめり込む」こともなく、1番の趣味は「自作パソコン」って感じだったのに、昨年末にコミケデビューして以来「コスプレ写真を撮る喜び」に目覚めてしまったらしい」ものの見事にカメラ小僧の一丁上がりである。

カメラ小僧用の名刺を作り、機材を抱えてイベントに行き、写真を撮り、コスプレイヤーさんとコンタクトを取り、現在アニメーターの友人と共同で作っているサイトとは別に、コスプレ写真サイトを開くらしい。身贔屓バリバリだが、外のカメラ小僧サイトと較べてみてもサイトも写真も、いい線いっていると思うので、そこそこのサイトになるだろう。今では内に篭りがちで、どちらかというと他者とのコミュニケーションを避けていた部分があった愚弟が、カメラ小僧に目覚めたおかげで、すっかりコミュニケーション好きになっているようだ。

姉としては、人生で1度くらいは、仕事とか勉強に打ち込ん欲しいんだがなぁ……という気持ちがあるのも事実だが、愚弟がいまだかつてないほど生き生きとしている姿を見るのは、とても喜ばしい。そしてその勢いでコスプレイヤーの彼女を連れてきてくれるともっと嬉しいんだが。いや……なに。姉もヲタクなので、妹になる人とは共通の趣味が1つでもあると楽しくて良いな……ってだけのことなんだが。

ヲタクでもいい……逞しく生きていって欲しい。そしてヲタクとして生きるなら、ヲタクの花道を爆進してもらいたいと姉は願うのであった。近頃の愚弟のことを書いてみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月18日(日) 無限ループ2つ。

胃の調子が悪い。積極的に痛みがあるわけではなくて「うげー」って感じ。原因は不摂生。珈琲&紅茶の過剰摂取と不規則な生活が祟っているようだ。たぶん私は死ぬまで同じループの中でウロウロしているんぢゃないかと思う。【不摂生→体調を崩す→反省→元気ムンムン→不摂生】てな感じで。こいつは、もう無限ループのようなものかも知れない。

無限ループといえば、もう1つ。

今年はたぶん図書館生活とオサラバする方向に流れていくんぢゃないかと思っていたけれど、実際問題として年明けから1度も図書館へ足を運んでいない。私の図書館生活は、前職場を退職してからはじまった。のんびり生活と共に歩んでいった図書館遍歴と言っても過言ではない。

振り返ってみるだに図書館暮らしも悪くはなかった。新刊本はガスガス手元に入ってくるし、欲しい本は百発百中で手に入っちゃうし。テクテク歩いて図書館へ行き、帰りにお気に入りのパン屋でパンを買って、果物屋でジャム用のB級品を買って帰るってのはお気に入りの散歩コースだったし。

それはそれで楽しかった。が、自分の読書スタイルとは微妙に違う……と言うか、しっくり身体に馴染まなかったなぁ。ブックオフの100円本でもいいから自分のお金で本を買い、1冊の本を舐めまわすように読み、そして断腸の思いで本を売り、また仕入れ……という無限ループで足掻いている方がしっくりくるようだ。

読書スタイルが元に戻ると、HPの読書録の更新スタイルもきっと変わってくるだろうと思う。今の調子では毎日1冊というようなハイペースで更新するなんて、到底無理な話なのだ。取り憑かれていたような勢いだったものなぁ。いまさら無くしてしまうのも勿体無いので、とりあえずダラダラと続けていこうかと思う。

穏やかだが、しかし自分らしくなかったこの1年間は、エネルギー充填のための期間だったのかも知れないなぁ……なんてことを思う。マイ読書における、かつてないほど激しい乱読&早読みも、長い目でみれば必要なことなのかも知れない。今のところは「なにやってたんだか?」って感じなのだけれど。

さて。明日からまた一週間。今週はちょっと清く正しい暮らしを心掛けよう(←ただいま無限ループの反省期)……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月17日(土) どうでもいい話

どうでもいい話なのだが……というよりも、むしろ私には関係のない話なのだが、ちょっと気に入らなかったので書いておこうと思う。職場に今月末、出産のため退職するアルバイトの女性がいるのだけれど、私にとって彼女は「好きでも嫌いでもない」アウト・オブ・眼中な人だったのだが、ここのところ彼女と話をする機会がやけに多い。長くつとめた職場を去る感慨から、彼女をおしゃべりにさせているのかも知れない。

最近は出生前に生まれてくる子供の性別が分かるのが当然らしい。彼女もお腹の子の性別を教えてもらったという。女の子だそうな。まぁ、とりあえず「へぇっ。楽しみですねぇ。お父さんメロメロになっちゃうかな」なんて言ってみた。実際、私にとって、ももう2度と会わないだろう同僚の子の性別なんて、どうだっていい訳なのだが。

私は「そうねぇ。まぁ、男でも女でも健康で五体満足に生まれてきてくれたらいいんだけどね」なんて返しを予想していたのだけれど、彼女の返事は違っていた「もう、ショックやわぁ。めっちゃガッカリしてんねん。腹たって、寝られんかったわ」であった。

なんじゃ、そりゃあ?

彼女も、彼女の夫もどうしても男の子が欲しかったのだそうな。初めての子供ならば、色々な夢が膨らんでしまうのも無理はないと思うのだが「女やったら、いらんねんけどな」は、あんまりぢゃなかろうか。確かに、まだまだ日本社会では「跡取りの男の子」って考えがあるのも分かるが、彼女の夫は三男であり、彼女自身も次女。そして双方の親は孫が女の子だと知って、すっかり浮かれているとのこと。

まぁ、人の考えってのは、それぞれ違って当然だし、私にとっては他人事なので、知ったこっちゃないのだが、なんだかちょっぴりショックだった。母親である彼女の口から「いらない」「がっかり」「ショック」を連発されるってのは、なんだかなぁ……と思ってしまった。どういう発想から「女の子はいらない」となるのか、私にはサッパリ理解できない。

ま。私には関係ないことなので、深く考えるのはよそう……

話は変わるが、上司に「3月をめどに辞めたい」と申し出た。が、そう簡単にはいかなさそうな予感満載。「とりあえず、その話は預かっておきます」とのこと。
ぢつは最近、うちの会社では増員計画が見込まれていて(私はこんなに力が余っているのに!)私のような下っぱにも、人選について、あれこれ意見を求められたりなんかする自体が進行形なので「うっしっし♪こいつは、この機に乗じて、さり気なくオサラバだぜ」と、内心ほくそえんでいたのだけれど……甘かったか?

なにげに景気の良くないブルー・ティスティ話を2つばかり書いてみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月16日(金) 自問自答癖

昨日は劇団☆新感線の舞台へ行ってきた。

前から2列目センター。いくらファンクラブに入っていたからといって、こんな席は、そうそう当たるもんぢゃぁない。張り切って行ってきたのだが、脱力するほどイマイチな舞台だった。主力メンバーに「寄る年波」が重くのしかかってきたのと、若手が育っていないのとが原因ぢゃないかと思う。それにしても大阪の劇団☆新感線ファンって懐が広いなぁ。あれくらいイマイチな舞台でも、ちゃんと笑って、拍手して、みんなで盛り上げようとしているのだもの。阪神タイガースだの、吉本新喜劇だのを甘やかせる構図と似ているように思った。

劇団☆新感線の舞台は、セットと衣装が不必要に派手で、殺陣と、踊りと、歌が濃くて、下品な笑いがあって、物語に深みも厚みもないが、テンションだけは高い……というのが特長なのだけに、最重要ポイントである「テンションの高さ」が少しでも下がってくると、どうしようもなくイマイチになってしまうのだなぁ。

もっとも「テンションの高さ」ってのは、自分のテンションとの兼ね合いもあるので、なんとも言い難いのだけれど。

自分のテンションが下がっている時に観ると「エネルギー貰ったなぁ」って思えるのだが、自分のテンションが上がりまくっていると「ちぇっ。なんでぃ」となってしまう。昨日は芝居のテンションよりも自分自身のテンションの方が、よほど高かった。昨日は……というよりも、ここのところずっとテンションが上がりっぱなし。昨日も芝居の前にIさんと話をしていて「すいません。ちよっとアドレナリン過多みたいで」と言い訳したりしていたし。

F曰く。「天才と呼ばれる人は別かも知れないけれど……人間が持っている愛と情熱の量は決まってるんやで。白蓮は、いつも愛と情熱の方向が偏ってるだけ。これはどうしようもない事だから、諦めた方がいいわ」

なかなか含蓄のある言葉である。しかしながら31歳にもなって、これって、どうよ? 日々、自分の欲望の赴くままに突っ走り「世のため人のために」なることは一切せず、動物の義務ともいえる繁殖活動をも放棄して……こんなことでいいんだろうか?

……などと、悩んでるふりをしてみたり。

「世のため人のため」になることも、繁殖活動も、私ではない外の人に任せちゃっていいかな……と思う。適材適所って言葉もあることだし。自分の中で答えはとっくに見つけているのに「これでいいのか? いや、これでいいんだ」と自問自答してしまうのは、もはや性癖の域かも知れないなぁ……なんてことを思いつつ、今日の日記は、これにてオシマイ。


2004年01月13日(火) 泣きのツボ。

今日はうっかり娯楽本を買ってしまった。この週末、図書館に購入希望を出そうと思っていたのに、待ちきれなかったのだ。本のタイトルは『負け犬の遠吠え』電車の中、ページに顔を埋めて、肩をふるわせた……あまりに面白くって。笑ってる場合じゃないよなぁ。負け犬一号としては。でも、すんごく面白かったのだ。また詳しい感想は、後日、読書録にでも。

帰宅したらば、ちょうど『プロジェクトX』が放送されていた。……って言っても、終わりしなだったので、話の筋はイマイチ掴めなかったけど。ああ、それにしても『プロジェクトX』っていいなぁ。私は、あれを観ると毎回泣きそうになる。ダム建設のようにドラマチックな命がけものなら泣きたくなるのも当然……って感じだが、たとえば『アイボの開発』のように「それが世の中になくたって困りはしないだろう」という突っ込みを入れたくなるような物の開発話でさえ、泣けてくるのだから困ったものだ。

あれは人の感動のツボを狙ってくる番組だってわかっているのになぁ。手練のホストにハメられるごとく『プロジェクトX』には、毎度ハメられる。あの番組は私の中の「泣きのツボ」に直接ヒットするらしい。ほとんどボディブロー状態。乙女な母(←私と乙女な母の泣きのツボは、かなり異なっている)の手前、流石に泣いたりはしないのだが、1人で観てたら、まずもって泣いてしま番組である。

閑話休題。

今夜はむしょうに甘いものが食べたい。ガツンと大福とか、オハギとか。ああ、このさいコンビニのプリンでもいいんだが……いかんせん外は寒い。おーい。おーい……と、お使いアリさんを呼んでみるが、そんな都合のいいアリさんがいるはずもなく。仕方ないので、ミルクティで我慢するか……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月12日(月) お祝いとか…とか。

お久しゅう。すっかりサボり癖がついてしまいましたが、それなり棲息しておりまする。この週末は珈琲サーバーを買ったので珈琲三昧でござりました。それ以外にも色々と。隠し立てするほど色っぺぇ事件があった訳でもなく、相変わらずの地味生活でありまする。

まぁ。そりゃ、そうと。

思い起こせば……25歳を過ぎた頃から、とんと諦めが良くなったというか、根気がなくなったと言うか。何かあったらすぐに「もう駄目だぁ」とか「嫌になっちゃった」と簡単に思ってしまいがちな私なのでありまするが、端からは「なんでも長続きする」とか「根気がある」とかいう風に思われがちのようです。

どうして、そういう誤解を産んでしまうかと言いますと「駄目だぁ」と投げ出そうとしたタイミングに、何故だか知らん救いの手のような物が伸びてくるのでありまする。それはチャンスだったり、人の言葉だったり、1冊の本だったり色々な訳ですが。で、投げ出さずに済んだりなんかするのですなぁ。日記をサボっていた間にも、ちょうど、そういうめぐり合わせがあり「なんて嬉しいんでしょうねぇ」と感じ入ったりしておりました。

まぁ。そりゃ、そうと。

こっそり掲示板を休止しておりまする。最近、ちょっとお返事が滞りつつある感じだった……という理由で。S気質アリな私ではありまするが、放置プレイは趣味でなく、自分ちのお客様には、それなりのおもてなしをしたいと思っておりまする。また、おもてなしが出来るようになりましたら、ボソッと再開する予定。

まぁ。そりゃ、そうと。

サボり癖に流されつつも「今日は頑張って日記を書くぞ」と勇んで書いた最大の目的を果たしておかねばなりますまいか。今日は成人式。新成人Sちゃんに、お祝いの言葉を書いておきたいな……などと。Sちゃん、おめでとう。今日まで生きてこれた不思議と感動を大切に、これからの人生がもっと素敵にありますように。関西のお姉ちゃんより、心からの祝福を!

関西地方、明日は寒いらしいです。関西地方の方も、そうでない方も、お風邪など召されませんよう、ご注意くださいまし。連休明けのダルダルさにも負けず、新しい一週間も頑張ってまいりましょう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月07日(水) ずるっこ

元・同僚のお誕生日だったので、携帯に簡単なお祝いメールを送ったら、いたく感激されてしまった。「覚えていてくれるてるなんて思ってもみなかった」と。(←誕生日が正月明けということもあってか、何故かしら友人からも忘れられがちなのだそうな)実際、私も覚えちゃいなかった。PC&携帯の予定表に登録してあったから「ああ、今日はYさんのお誕生日なんだ」と思っただけだなのだ。しかも「最近、疎遠だし、メールしなくてもいいかな」とまで思ったくらいなのだ。だのに「お祝いメール貰って悪い気する人もいないだろうし」と、何の気なしに出したんである。本当に良いことをしたのかどうか、なんだか微妙な味わい。

機械の力に頼らなければ成り立たない付き合いなら、しない方がいいような気がする。だが「じゃあ、いらない」と思い切れないところが私の弱さ。ついつい「ま。しないより、する方がいいか」とか思ってしまう。で「気配りの人」とか思われる訳だが、大抵ずるっこなのだから、性質が悪い。

年賀状なども「年賀状だけの付き合いなら、いらないか」というのが本音なのだが、ある人から「1年、たった50円で付き合いが存続できるなら安いもんや。長いこと生きていく途中で、もしかしたら、年賀状だけの付き合いをしている人から助けてもらえることもあるかも知れんしな。これは投資やで」と言われて「なるほど。割り切って出すのも悪くないかも」と思うようになったのだが、それでもなお、胡散臭さは拭い切れない。

先日、高校の担任から届いた年賀状には驚かされた「年賀状ありがとう。お元気そうで何よりです。いまもデパート勤務ですか?」とあった。誰だ? デパートに勤めてる人って? 完璧に誰かと混同しておられる。実際、その先生は私自身も思い入れのあった人ではなく、忘れられていて当然とは思うのだが、なんとなく習慣で出し続けていたのであった。来年からは、出さなくてもいいだろうか。それとも年中行事の一環として知らん顔して出し続けるべきだろうか。それが問題だ。

人間の言葉って、ホントにいい加減。思ってもないことが平気で言えちゃったりするのだから。そうかと思えば、ものすごく伝えたい事を伝えられなかったりする……なんてことも多々ある訳なのだけれど。結局のところ使いようなのだろうなぁ。どう使うかは、その人の人柄ってことになるのかなぁ。

機械に頼らず、ずるっこをせず、曇りのない目と心で、人と付き合っていければいいなぁ……と思うのだけど、私には無理かも……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月06日(火) 普通というライン。

気負いばかりが先走っていて、やろうと決めたことが1つも前に進んでいない。

志と計画だけは素晴らしくても、実行が伴なわなければ、何の意味もありゃしない。一度身についた悪癖はなかなか治らないらないのだなぁ。もとい、楽な方へ、楽な方へと流されていくのは癖なのではなくて本質なのかも知れないけれど。荒療治を試みようかと思ったりもする。たとえば春まで禁日記とか、禁読書とか。禁ジャム作りとか。

だがもしかし「何かを我慢する」ということと「何かに集中して頑張る」ということは、まったく別次元の問題で、何かを我慢したからといって、何かが出来るようになるかと言えばそういう訳でもなさそうなので「禁○○」には踏み切れないでいる。精神的に自分を追い詰める事で、気持ちを高めていく効果はあるかも知れないけれど、そういう体育会系のノリは好きぢゃないので、たぶんしないだろう。

閑話休題。

最近「普通って、どういうものなのだろう」とよく考える。最近思い立ったというよりも、むしろ幼い頃から持ち続けている大きな疑問ではあるのだけれど。「普通」という言葉の定義は、あまりにも曖昧過ぎる。今、読みたい本に『負け犬の遠吠え』というエッセイがあるのだけれど(←図書館に購入希望を出すつもり)その作品の定義によると私のような人間(30代・独身・子なし)は負け犬ということらしい。勝ち組み、負け組みなんて言葉もそうだけど、勝ち負け分かれ目には「普通」というラインがあるんじゃなかろうか。

統計学的な「平均値」を普通と仮定するのか、それとも「みなが普通だと思う理想」を普通と定め、それ以外を「負け」とか「勝ち」とか「変っている」という風に定めているのか。だいたいからして他人から承認されることなのか、自ら名乗るものなのかさえ定まっていないだ。言っちゃぁなんだが、平均値測定を採用しても、理想像当てはめ方式を採用したとしても、半数以上の人は「負け」とか「変っている」とかいう駄目な方に分類されるんぢゃないかなぁ。

世の中は「普通」よりも「駄目」な人間達によって構成されている……と言っても過言ではない。

駄目な人間が、より普通に近づき、そしてその上を目指していくのが崇高なのか、それとも「駄目だっていいぢゃん」と悟りつつ、悠々と生きていくのが崇高なのか、その辺がよく分からない。どちらの道も、それなりに魅力的に思えてしまうのは私の中に、1本、筋の通った物が無いからだろうなぁ。土台がちゃんと出来ていないから、ぐらついてしまうのだと思う。

始終こんなことばかり考えている訳ぢゃないのだけれど、たまにはこういうことを書いてみるのもアリかな……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。

<追記>
昼休みに日記を書きテイクアウト。自宅でネットチェック。ちょっとショックな出来事アリ。私は、どうしてこんなに雑なんだろう……と。年明けは喪中はがきがこなかったからって、親しい人に年賀状を送るという失態を犯してしまったが、今回の失敗もそれに近い。そういうことには敏感な人でありたいと思っているのに。何事も巻き戻しはきかないのだ……深く反省。


2004年01月05日(月) 嗜好品

ここ数日、自宅で珈琲をたてることを習慣化しようかと目論んでいる。

我が家は珈琲を飲む習慣がないので、珈琲豆なんて買ったこともないし、珈琲フレッシュだって常備していない。一応、インスタント珈琲は常備しているが私がカフェ・オレを作らないかぎり、それも減ることはなく、もっぱら日本茶と紅茶で生活している。私自身は紅茶党なので、珈琲がなくたって日常生活に不自由はなく、珈琲豆を買わない暮らしを「当たり前」だと思っていた。

しかし先日、東京のFん家で珈琲に目覚めてしまったのだ。Fは紅茶も珈琲も好きだってことは知っていたが、1人暮らしをするようになってからも珈琲豆(挽いたもの)を買って、珈琲を立てていたとは知らなかった。なんとなく「どちらかというと紅茶好き」なのかとも思っていたのだが、紅茶はティ・バッグで入れるのに、珈琲は豆から……というほど珈琲好きだったらしい。

で。Fん家で、生まれて初めて自ら珈琲を立ててみて、その楽しさと美味しさとで、珈琲に目覚めてしまったという訳なのだ。珈琲を立てるのが、あんなに楽しいこととは思わなかった。私は取り立てて珈琲好きではないので、インスタント珈琲をわざわざ飲みたいとは思わないのだが、あんなに楽しくて美味しいなら、自宅で珈琲を立てないテはないな……と。

そんな訳で、ただいま珈琲について勉強中なのである。いきなり本格的なものに入るつもりはなくて、挽いた豆を買ってきて、サーバーで入れるという程度のことを考えているのだけれど、どういう道具があるのかな…とか、お値段はどれくらいするのか…とか。この週末までには「珈琲道」を歩きはじめているだろう。

それにしても嗜好品をたしなむのって、どうしてこんなに楽しいのだろうなぁ。

タバコ大国キューバには「恋とタバコがなければ生きている意味がない」というような言葉があったように思うが、タバコ・酒・珈琲・紅茶・お茶などという嗜好品は、それが無くても生きていけるはずなのに、無くてはならない存在なのだなぁ。世の中に嗜好品は沢山あるけれど、2つか3つくらいはたしなむものがあった方が、人生がより一層楽しくなるような気がする。

そんなこんなで「珈琲」は私にとって、今年のテーマの1つだ。1つのことを追求していくのも楽しいけれど、新しいことに手を出すってのもかなり楽しい。もっとも、そうやってキョロキョロしているから何もかもが中途半端になってしまう訳なのだが。珈琲で頭をスッキリさせて、今年は「違いの分かる女」になりたいなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月04日(日) 遠慮の塊

「遠慮の塊」という言葉が共通語では無いらしいということを知って驚いた。

私が暮らしている関西地方では複数名(三名以上)で食事をしていて、不味くて残っているんぢゃないけど、なんとなく遠慮がちに残っている最後の1個をのことを「遠慮の塊」と呼ぶならわしがある。幼い頃から当然のように使っていたが、関東出身のKさんがそれを知らないということが判明して「どうやら共通語ではないらしい」ということに気付いたのである。

「遠慮の塊」は「食べ残し」とは微妙に違うニュアンスがあり、どちらかというと肯定的に使われることかせ多い。わざわざそういう名前を付けているあたりは、食道楽が多い関西ならでは言葉なのかも知れない。

食事の場に「遠慮の塊」が出現した場合、そのテーブルで「その食べ物を好物だと思っている人」もしくは「最年少男子」に「遠慮の塊を食べちゃってね」と年長者から指令されるケースが多い。そういう場合は「遠慮なくいただきます」と美味しくいただくのがベターである。本気で食べたくない場合は仕方ないが、遠慮の塊は「ほんの一口」であるからして「ちょっとお腹いっぱいなんだなぁ」ってくらいなら、食べておくのが礼儀である。

また「誰も食べないなら最後の1個は自分が食べたいなぁ」と思っている場合は「遠慮の塊、食べちゃってもいいですか?」と聞いてみるといい。まずまちがいなく「どうぞ食べちゃって」となるはずだ。もし、その場面で「えー。俺(私)も狙ってたのになぁ」という人がいても、その人に場の空気を読めていない人というレッテルが貼られるだけで「食べたい」と最初に意思表示した人に、非難の目が集まることは、まずもってない。

……てなことをKさんに説明しながら、関西は「ざっくばらんな人付き合い」が尊重されていると思われているが、案外と湿度の高いルールが存在するよな気がした。京都のそれとはまた違った感じではあるが、サバけているとも思えない。「ボケ・突っ込みが出来ないと駄目」なんてのも関西の閉塞性だと思う。もっとも本当に大らかで懐の広い関西人はボケ・ツッコミのできない人をいじりつつ、場に馴染ませていくだけの器量があったりする訳だが。

結局のところ、どの土地でも人付き合いの妙というのは、どこまで出して、どの辺を隠していくか……ということの終始するのかも知れない。

そんなこんなを書きつつ明日からの生活を思うと、ちょっと気が思い。本当ぱ「長期休暇の総括」になるような日記を書く予定だったのだけど、ついうっかり別のことを書いてしまった。こうやって、今年も「つい、うっかり」なことばかり書いて過ごしてしまうような予感満載。ああ。なんだか……

さてと気を取り直して、明日からまた頑張って働きましょうかねぇ。休みの間はずしていた万歩計も装着して、通常生活に戻らなくちゃね……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月03日(土) 『ラストサムライ』の話など。

今日は『ラストサムライ』を観に行ってきた。密かに応援している時代劇役者、斬られ役の名優、福本清三のハリウッドデビュー作ということで、気になってはいたものの、正月休み中に乙女な母を何某か映画に連れて行かねばならぬという義務感で行ったも同然だったので、ぢつは期待していなかったのだが、これがそこそこ面白かった。今日の日記は多少ネタバレがあるので、ネタバレの嫌な方は遠慮してくださいませ。

ものすごく良い作品だとは思えなかったが3時間という長さを感じさせない面白さだった。私自身が時代劇フリークだからかも知れないけれど「楽しいチャンバラが観れたなぁ」という印象。「殺陣の役者さんが揃っているからトム・クルーズも大変だよなぁ」なんて思っていたが以外と上手にこなしていたし。私の大好きな福本清三も美味しい役で出ていたし。

滅びゆくものの美学が上手く描かれていたように思う。『ラスト・オブ・モヒカン』とか『ダンス・ウィズ・ウルブス』とか『ジェロニモ』とか、古いところだと『折れた矢』のようなタイプのネイティブ・アメリカンが登場する映画と撮り方とかシュチュエーションが似ているように思った。主人公が異文化コミュニケーションに触れて成長するというか、変わっていくというか。ま。そ・ゆ・類の物語だった。

面白かったのだけれどラストは「やっぱりアメリカ人の作る映画だなぁ」という印象。ラストでトム・クルーズが天皇に進言するシーンは良いとしても、その後の扱いがなぁ。日本人が作ったら、もっと不幸というか厳しいオチを付けるんじゃないかと思う。私だったら優しく描いたとしてもトム・クルーズに出家させるな。きっと。

まあ。それにしてもチャンバラは楽しかったし、美術も素敵だったし、役者さんも格好良かったので満足。満足。安心して楽しめる作品だと思った。

さてと。閑話休題。昨日「正月ってイマイチなぁ」ってな話を日記に書いたら、お返事をくださった方がおられた。もちろんメールで返事をしたのだが、ちょっと心に染みる話だったので日記にも書いておこうかな……と。

お正月は、毎年無事に生きてこられたことを思い返す時期で、周りを見渡すいい機会……というような内容のメールだった。なるほどなぁ……そんな風に謙虚に誠実に「新しい年」を受け止めるのって素敵だな……と思った。そして私も、これからは、そういう風に考えようかなと。誰かの誕生日に「ああ。今日は○○さんの生まれた日なんだ」と1人勝手にシミジミと盛り上がるように、お正月も、自分が生きてこられたことをについて思い、自分の大切な人を見渡してみようと思う。

映画で愉快な時間を過ごした後で、思いがけない素敵なメールを戴いて、今日は本当に良い1日だった。お正月休みも明日で最後。心残りの無いようにしたいなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2004年01月02日(金) 反正月論

一応、日本人として暮らしているので「私って、なんだかんだ言ってもクリスマスより、お正月の方が好きなんです。やっぱ日本人はお正月ですよね」などと公言しているが、ぢつは私。正月に対してもビタ一文の思いいれもない。クリスチャンでない人間がクリスマスに肩入れできないというのが道理というのと同じならば、神道でない人間が正月に肩入れできなくたって当然だろうと思うのだが、しかし、クリスマス以上に「正月なんて、どーでもいいや」とは言い難いのも事実である。

正月のどこがいいのか、私にはまったく理解できないのだ。

正月が、時間を区切る節目という認識はあるので「新しい年は、自分にとっても、自分が大切に思う人にとっても良い年であるといいな」と思う気持ちに嘘はないし、文化的に「なるほど」と思う部分もあるが、私の中では「正月は冬場の長期休暇」以上の認識が持てないのだ。

しかし、だからといって「正月」を完全否定するつもりはない。もしも私に養育義務のある子供がいたら、おせち料理も作ったり、お年玉をあげたり、初詣に行ったりするだろう。だが、それは「愛する子供が、これから先の人生で困らない知識を与えるため」の教育であって、正月そのものに心酔しているからではない。自ら「ビバ! 正月!」な姿勢をとっているのは「そういう風にしていた方が何かにつけて、生きていくのに都合が良さそうだから」に過ぎないのである。

「お正月だから贅沢しよう」なんてノリをみても「本当にしたかったら、正月でなくてもすればいいじゃないの」と思うは「お正月はテレビが詰まらなくてねぇ」なんて話を聞いても「つまらないなら観なくてもいいのに」と思ってしまう。何故にゆえに、こだわってしまうのだろうなぁ。私には、つくづく理解できない。

ぶっちゃけた話「あまり大きな声では言えないけれど、正月なんて、どーだっていいや」って思っている人間も多いんぢゃなかろうかと思うのだが、どうなんだろう? やはり少数派の意見なのだろうか。桜が咲いたことを喜んだり、コタツの虜だったり、鍋料理が好きだったりという感覚は肌感覚的な部分で理解できるのだけどなぁ。歴史的な作り上げられた文化に共感できない……ってのは、動物的ってことなんだろうか?

要するに冬の休暇は楽しんでいるが、正月は楽しんでいないな……て事なんである。そりゃそうと正月は滅多に出てこない芸人さんの顔が拝めるのでお笑い好きとしてはありがたい。正月休みもあと少しで終わっちまうなぁ…サミシイなぁ……ってことで今日の日記は、これにてオシマイ。


2004年01月01日(木) 元旦の過ごし方&年末旅行の感想。

あけましておめでとうございます。なんて書いてはみるものの正直なところ「元旦だからって目出度い気分にはなれないんだなぁ」などと思ってみたりもする。毎年、訳大晦日には気分が盛り上がる私だが、元旦になると、とたんに萎えるのである。大晦日で燃えつきてしまうのだろうなぁ。うむ。

今日は家族で映画を観に出掛けるも、スタートダッシュが遅かったのか映画館はすでに満員。何も観ずにスゴスゴと撤収。地元の映画館は毎年、元旦も空いているのだけが取柄だったのに。『元旦=映画の日で1000円』という認識が広まってしまったのだろうか。仕方がないので、お気に入りのケーキ屋さんでケーキなど買って、テレビを観つつお茶を飲んだ。

そんなこんなで予定が崩れてしまったので久しぶりに腰を据えてPCに向かった。日記を書いたり、メールを書いたり。ネット生活上の義理を欠かしまくりな今日この頃。この三が日のうちに、溜まっているメールを書こうと思う。あの人にも、この人にもと思うのに、冬眠中の亀のように引き篭もる日々。いかん。いかん。「ずっと気になってはいたんだけど」なんて言い訳をするようになっちゃあオシマイである。どんな事だって言わなきゃ、書かなきゃ、伝えなきゃ。黙っていては分からないのだ。

夕食はHさんが贈ってくれたお肉でスキヤキなど。我が家は滅多にスキヤキなんてしないのだけど、スキヤキという料理の持つ特別な雰囲気はとても好きだ。なんとなく「家族的」な感じがして。同じ薄切り肉の鍋料理でも「しゃぶしゃぶ」になると、家族で食べるより「仲間」で食べるのが似合うような気がするから不思議である。まったくもって私感なのだけれど。

なんとなく、だらりん気分で今年の抱負なんてのもイマイチ思いつかない。取り立てて大事件が起こらずに、なるようになる年であればいいなぁ……とは思う。あ。そうだ。人間関係は積極的に広げたいなぁ。だいたいからして私は人間としての容量が小さいので、今ある人間関係だけに終始してしまう傾向にあるのだけれど、今年は、意識して世界を広げたいように思う。もっともっと、広い世界を見てみたい。

お。今年の抱負なんて思いつかないと書いたけれど、ちゃんと思いついたではないか。「書くことの効用」ってスゴイなぁ。私の場合は物に書いたり、人に喋ったりして考えがまとまることが多いように思う。もう1つ今年の目標。書くべし。書くべし。書くべし。

そんな訳で旅行中の日記などもまとめ書きしてみたので「読んでもいいよ」って方はコチラから。とりあえず、そんなこんなで今日の日記はこれにてオシマイ。

<追記>
これを読んでくださっているあなたにとって新しい年が「あたり年」でありますようお祈りしておりまする。愉快に暮らせるといいですね。


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