白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

目次過去未来

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年02月28日(木) 大失敗。って言うか存続の危機かも(泣)

身から出た錆びに蝕まれてしまうかも知れないです。
……ってな感じの大失敗をしてしまいました。私。
↑ちょっと、泣きが入っています。

以前にも何度か書いていますが
この日記を書く時の名前は「日記用のハンドルネーム」だったりして
普段、ネット上では「もう1つの名前」で遊んでいます。
ネット知人でも「この日記」の存在を知らせている人には
当然、名前を2つ使っているという事も知らせていますが
そうでない人には「日記の存在」も知らせていなかったりするのです。

それなのに……

私ってば、よく遊びにうかがっている掲示板に
「この日記」のアドレスを残してきてしまったのです。
「うっかり」しないように気を付けていたつもりなのに
今さら「うっかり」だなんて情けなくて涙も出てきません。
管理人さんに削除依頼をしたのですが
掲示板を経由して、すでに何人かのぞきにこられた足跡が……

この日記には「人に恥じるようなこと」は書いていないつもりなのですが
嘘1つないプライベート満載の日記だったりしますし
馬鹿馬鹿しいことも書いてますが
上に「糞」が付くくらい真面目に語っていたりするので
生知人にしろ、ネット知人にしろ
日記の存在を知らせている知人というのは
ある種「プライベートのお楽しみ」を分かち合いたいと思った人限定
……だったりするので

「趣味」で出入りしている場所に裾野を広げるつもりはありませんでした。

「うふふのお楽しみ」が「うふふのお楽しみ」でなくなったりしたら
ちょっと日記の存続さえ考えなきゃいけないなぁ〜と思っています。
まずは私が残した「足跡」から何人、人が遡ってくるかを確認して
今後のことは、それから考えたいと思っています。
↑削除依頼はしたものの、まだ連絡が取れてなかったりします。
はぁ。それにしても「何人」通ってきたのかは分かっても
「誰」というのが限定できないのは恐いなぁ。

それにしても「掲示板の効果」ってスゴイですね。
宣伝なんて書いてなくても、チェック入っちゃったりするんですね。
……って言うか、泣きてぇ。

まぁ、自分の不始末ですから仕方ないです。
ここはキッパリ腹をくくって、成り行きにまかせることにします。
……って言うか、気になって眠れねぇ。

すっごくご機嫌で「日記生活」を送っていただけに
こんな失敗で閉鎖するとなると、もったいないような気がしますが
なにより「自分のペース」で書けなくなっちゃったりなんかしたら
それこそ日記を続ける意味もなくなっちゃいますし……

私のしでかした失敗が、あまり大きな傷跡を残さないことを祈りつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年02月27日(水) 働くアリ。働かないアリ。

アリは世界的に「働き者」の代名詞になっていて
特に日本人は働きアリだと馬鹿にされることが多いようだ。
日本人が働き者かどうかという問題はさておいて
アリ…女王アリや戦闘アリではない「働きアリ」についてだけ言うは
働きアリは、働きアリという名前だからといって働き者とは限らないらしい。

ある学者の研究によると働きアリを、じっくり観察していると
八割のアリは懸命に働くが
二割のアリは働かないという結果が出たそうな。
さらにアリを「働くアリ」と「働かないアリ」に分別すると
働くアリのグループからは、同じ割合で働かないアリが出現する。
働かないアリのグループからは、同じ割合で働くアリが出現する。
……という珍妙な現象がみられるらしい。

分別したアリを、さらに分別しても同じ割合でもって
「働くアリ」と「働かないアリ」でもってアリの群れは構成されるのだとか。
働くアリが働かないアリになるのは、なるほど理解できるのだけれど
働かないアリが働くようになるのは、ちょっと笑えてしまう。
↑働かないと全滅してしまう状況になるので仕方なく働くのだろうか?

アリに限らず、群れで暮らす生き物には同じ現象がみられるらしい。
人間でたとえてみるならば
独身時代はチャランポランだったヤツが所帯をもって急にしっかりした
……ってなところにピシャリと当てはまる。

自分を分析してみるだに、今の私は完璧に「働くアリ」だと思う。
働くアリになりたいという訳ではないのだけれと
夢は「働かないアリ」になること♪
働くアリと、働かないアリ……どちらがより幸せか……とか
どちらの生き方が人として素晴らしいものか……とか
そ〜ゆ〜観点を飛び越えても、私は働かないアリになりたい。
↑どうしたら働かないアリになれるかどうかの具体案はないのだが。

大橋巨泉みたく、夏はカナダ、冬はオーストラリア居を構えて
自分の好きなことだけして日々を過ごす……
もちろんお金は使い放題♪
「よくってよ〜。よろしくってよ〜〜」
……みたいな、お蝶夫人のように生きるのだ。

そう。究極の野望は遊び人生活〜♪

なんて事を考えながら、明日からまた1週間なのである。
残念ながら今の私は「働かないと群れが全滅」という群れにいるので
とりあえず働いてこようかな? ってな感じ。
働かないアリになるための道は険しそうなのだけれど
そう遠くない未来に、できるだけ近い未来に
「働かないアリ同盟」を結成したいと切に思う。

うだうだと、つまらない事を考えながら今日の日記はこれにてオシマイ。


2002年02月26日(火) 『オルガニスト』〜行き着く先に果てなどなくて〜

『オルガニスト』 山之口 洋 新潮文庫 を読んだ。

風邪引きで寝込んでいる時の道連れに選んだ1冊だったのだけれど
風邪の友としては「難しくもなく」「つまらなくもなく」
ちょうど良い相棒だった。

ここでいう「オルガン」とは
学校の音楽室にある「オルガン」のことではなくて
教会や、コンサート・ホールでしかお目に掛かれない
「パイプオルガン」の事である。
題名になっている「オルガニスト」とはは主人公の親友であり
オルガニストになるべくして生まれてきた天才だった。
たとえるとすると……
『ガラスの仮面』で言うこところの北島マヤであり
『ヒカルの碁』で言うところの進藤ヒカルであり
凡人が努力しても行き着くことのできない世界に住んでいる人間である。

数年前、私はクラッシック音楽に夢中だった時期があって
オルガンは3度ばかりコンサート・ホールで生演奏を聞いたことがある。
マリー・クレール・アランという女性オルガニストの演奏を1度と
↑春の陽だまりを感じさせる優しい演奏だった。
トン・コープマンという男性オルガニストの演奏を2度ばかり。
↑真面目という言葉を音楽にしたかのような襟の正しい演奏だった。
この頃は滅多に聞かなくなってしまったけれど
CDも何枚か買い揃えてしまうほど「ハマっていた」時期があったので
なんとなくスムーズに読みすすめる事ができた。

『オルガニスト』は分類的にはファンタジー小説という事になっているけれど
ちょっと別の角度から見ると「ホラー」とか「サスペンス」に近い小説で
「謎解き」の部分が多くあるので
ストーリーを語ることが出来ないのが残念なのだけれど
ちょっと「印象」だけでも書いてみようかと思う。

パイプオルガンが奏でる音楽は、宗教をベースにしたものなので
「なんとなく厳粛な感じ」だったり「神聖な感じ」だったりするのだけれども
不思議と「血なまぐさい場面」が似合ってしまうのも事実なのである。
↑ゴシック・ホラー映画のBGMなどで、こっそり活躍していたりするし。

「善・悪」「生・死」「明・暗」「聖・邪」といった
まったく対極に位置する物(感情)は、それぞれを突き詰めていくと
行き着く先は「突き当たり」でも「果て」でもなくて
正反対のところへ通じているような気がする。
メビウスの輪が無限であるように、ぐるぐると繋がって回っているような……

『オルガニスト』の軸になる「天才・オルガニスト」の青年は
みずから「音楽になりたい」と口にするほど
オルガンのことしか考えられない人間で
生きること=オルガンを演奏すること……であり
彼のオルガンへの想いは
突き詰める果てを知らぬほどだったりするのである。

で。

彼の「想い」が物語を悲劇へと発展させてしまうのだ。
彼は人間として超えてはいけない一線を越えちゃったりするのだ。
無限ループをたどり「まったく正反対のところ」へ突き進んだ彼は
人間ではなくて、完璧なオルガニストとして生きることになる……

「破滅的なもの」というのは
実生活では関わりたくないというのが本音なのだけれど
芸術的な物や、非・現実的な物となると、破滅的なもの」に惹かれてしまう。
自分自身が凡人だから、天才という存在に惹かれてしまうのかも知れない。
↑天才には破滅型の人が多いですしね。

壮烈で、哀しくて……それなのに何故か心惹かれた1冊だった。

風邪っぴきの時に読んだ本の感想を書いたところで
風邪っぴき三部作(自分で勝手にそう読んでいる)は堂々完結。
↑ちなみに一部は『自分の居場所』 二部は『アブトロニック』
そんな、こんなで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2002年02月25日(月) わがままは承知なのですが。

すっごくワガママな発想だって事は充分承知しているのだけれど
私は「職場の飲み会」って集まりが大嫌いです。
「お酒」も「宴会」も嫌いではくて、どちらかと言えば好きなのですが
「職場の飲み会」は「出来ることなら参加したくない」と思うほど嫌いです。

今の職場の人間関係に不満があるとか
飲み会になるとセクハラする上司がいるとか
そういう訳でもなくて、今の職場の飲み会は、世間的にみても
「比較的仲の良い職場の人間の集い」といった感じなので
取り立てて腹立たしく思ったり、怒ったりする事はありません。

ですが。

長時間、1つ屋根の下で共ら働いていた人間と飲むのなら
私は親しい友人や知人と飲みたいと思うし
飲むことに、こだわらないいなら
自分の自由な時間が欲しいと思うのです。

「職場の飲み会」って職場内の人間関係の潤滑油だと思っていますし
上司や同僚が、酔っ払って「ぽろり」とコボス本音を聞くのは
彼らと付き合っていく上で、ちょっとしたツボを知ることにもなりますし
本音をコボシあった後で、ちょっぴり親しくなったりする事もあるので
「職場の飲み会」がイケナイとは思わないのですが……
「職場の飲み会」に参加するならプライベートな時間を大切にしたい
……などと激しく、思ってしまいます。

えぇ。ワガママな発想だってのは百も承知しています。

「職場の人」とはプライベートで付き合いたくもない。
……なんて事を思っている訳ではなくて
職場の人とでも「公式な飲み会」ではなく、プライベートで
飲み行ったり、食事に行ったり、お茶したりするのは好きなのですよ。

今夜は職場の飲み会でした。
↑ようは、これが書きたかったのです。

「忘年会」も「新年会」も「歓送迎会」も悪くはないと思うのですが
「形だけ」ってのは好きになれないんですよね。
だからって「私は絶対に行きません」とキッパリ言っちまうとなると
大人げないと言うか、社会人らしくないと言うか。

私は職場の飲み会なんて大嫌いだぁぁぁぁ!
↑言えない分、書いてみました。

グチグチと、つまんないこと書いていないで
いい加減PC切って寝ることにします。
そんな訳で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2002年02月24日(日) 「生きると死ぬって何なんですか?」と質問を受けて。

「生きると死ぬって何なんですか?」

……と質問されたら、あなたは、どういう答えを出しますか?

日々、生ぬるく生きている私は、このシンプルでストレートな問題について
あまり突き詰めて考える事がなかったりするので
そんな質問を受けて、しばらく「うむ」と頭を抱えてしまいました。
「アブトロニックの謎」なんて足元にも及ばないくらいの大問題です。
たぶん、この問題の答えは出ないのではなかろうかと思うのですが
個々の「とらえ方」や「考え方」「感じ方」には違いがあろうかと思います。

私は信仰というものを持たない人間なので
「死んだらどこへ行くのか」「生まれ変わり」「天国と地獄」
……ということについては、ほとんど興味がなかったりします。
もちろん、よそ様のお宅に伺って仏壇があったら手を合わせる
……といった常識的な事は身に付けているつもりなのですけれども。

「生きること。死ぬこと」については大人になってからよりも
むしろ子供の頃の方が真剣に考えていたように思います。
私の知人に「父親が医者」という女性がいるのですが
彼女は幼い頃「死とはなにか?」を自分の父親にたずねたのだそうです。
彼女の父親は、幼い娘に即答しました。

「死んだら、しまい(大阪弁でオシマイの意味)や。死んだら、しまいや」

この言葉を聞いた時、当時の私は「なんてデリカシーのない人なのだろう」
と思ったのですが「死」が身近なものだという事を体感した今では
彼女の父親の言葉は「死」について
これ以上ないほど雄弁に語っているなぁ…とさえ思っています。

ちょっと話が横道へそれますが、肉親の葬儀の時
「さぁ。最後のお別れをしなさい。ほら、触わってあげて」
……と周りの人間にすすめられて、私はひどく困惑した覚えがあります。
故人が「好き」とか「嫌い」とかに関わらず
私は死体を「嫌い」だと感じ、できることなら触れたくないと思ったからです。
死んでしまったら、人は人から物体に変わるのだと身体で感じたからです。
我ながら「なんと薄情な事を感じるのだろう」と思いながら
それでも世間並みに見栄があったりしたので、仕方なく死体に触れました。
死体はやはり死体以上のものではありませんでした。
その肉体に「その人」が宿っていないのが「死」なのだと
しみじみと感じた瞬間でした。

個人的に「説教臭い」話は好きではありませんし
道徳的な語りも好きではありませんが

「死」はとりかえしのつかないこと。「生」はとりかえしのつくこと。

こんな風に私は「死と生」について考えています。
死んでしまった人は絶対に戻ってはこないし
自分が死んでも戻ってはこれない。
どんなに悔やんでも「してあげたい」とか「したい」とか望んだとしても
「死」という壁を飛び越えることはできません。
可能性も、希望も、情熱も……全ては
生きていれぱこそ発揮できるのだと思っています。
だからこそ、生きている「今」が大切なのだと思っています。

死んでしまったら本当にオシマイです。

ですが「死」が訪れた後は、何もかもが終わってしまうとも思っていません。
生きている人間は「死」を受け止めなければなりませんし
太陽が沈んだからといって大地が急激に冷たくっなったりしないように
形こそ無いけれど、残る「何か」があるという事も感じています。
それは「死」の数だけある「何か」であって
具体的に「こんなものです」と説明は出来ないのですが。

「生きると死ぬって何なんですか?」

確かな答えを導き出すのは難しいのではないかと思いますが
しかし「考えること」や「感じること」は出来るので
何かの折りには立ち止まって考えていこうと思います。

私なりの「考え」はこんな感じなのですが

「私は、こんな風に考えている」とか
「ちょっと、ひとこと、言わせてくれ」とか
「あなたの考えは、どうも賛同できない」とか

なにか「書きたい」と思った方がいらっしゃいましたら
私の掲示板か、質問者であるandさんの日記「気分転換」の掲示板まで
ひとこと書き込み、よろしくお願いします。

やたら滅多と真面目に語ってみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年02月23日(土) 「アブトロニック」に哀愁を感じて。

この間は風邪で3日間もベッタリと寝込んだ時は
なんだか時間を無為に過ごしてしまったように思えて
どうにも、こうにも、情けない思いを味わったのだけれども
「家」にベッタリ貼り付いていたお陰で「ちょっとした発見」があった。
どうやら私はTVを観る時間が一般平均値よりも低いらしい。
TVを見なくても、生きて聞くのに不自由はない。
新聞やネットで情報は収集できるのだし。
ただニュースになるほどでもない「ちょっとした流行」には
酷く疎いという弱点があったりするのだけれども。

そして私は風邪のおかけで久しぶりにTVと向き合う時間を持った。

3日間「ぼんやり」見過ごしていたテレビ番組やCMの中で
私の心を鷲掴みにしたのは「アブトロニック」の通販CMだった。

アブトロニックは長い通販(健康機器部門)の歴史の中では
史上最強の商品ではなかろうかと、そう思わずにはいられない。
かつて多くの日本人を「宙づり」にした後「室内洗濯物干」となった
あの驚異の健康器具「ぶらさがり健康器」のCM以上に
アブトロニックは衝撃的で、かつ大胆なCMであり、商品だと思うった。
それまでの商品にはなかった「画期的」な試みが、なんと斬新なことか。

何一つ努力しないで筋力がアップする商品だなんて夢のようではないか?

それまでに発売された、どんなに素晴らしい健康機器も
すべては「ちょっとした努力」と「毎日の積み重ね」がポイントだったのに
「身に付けるだけで引き締まったボディ」「運動は一切必要ありません」
とは、もはや、最強と呼ぶ以外に、なんと呼べばいいのだろう?

素晴らしい……じつに素晴らしい!!!

素晴らしさに心奪われて、つい、うっかり
あのCMの胡散臭さを見逃してしまいそうになるほどだった。
どうして旅行中や仕事中にアブトロニックを付ける必要があるのか?
……とか
どうしてCMに出ている女性のヘソはキラキラ輝いているのか?
……とか
素朴な疑問だが、本当にそんなことで筋力がアップするのか?
……と言った、基本的な疑問さえ忘れてしまいそうになる名CMだと思う。

だいたいからして「アブトロニック」のCMは
どのチャンネルを付けても朝から晩まで流れているような気がする。
通販大国アメリカで、TV通販の基本は「ガンガンCMを流すべし」
……とされているようなので、とても正しい戦略かと思われる。

うむむむ。おそるべし「アブトロニック」

ただ「アブトロニック」には、あまりにも「スキ」がなさ過ぎるので
そこが少し残念だなぁ……と思わずにはいられない。
従来の商品は、どれだけ省スペースを意識したものでも
「かさばる」物ばかりだたったのに対して
「アブトロニック」はあまりにもコンパクト過ぎるのだ。

これでは「旬」が過ぎて、無用の長物と成り果てた時
それまで通販商品がたどってきた「哀愁」を背負うことなく
キレイ、サッパリと、その存在が消えてしまうのではなかろうか?
もしもアブトロニックが
健康機器の王者「スタイリー」や
哀愁を背負いつつ第二の人生をも活躍した「ぶらさがり健康器」のように
「お役御免」になった後も強烈な印象を漂わせながら
購入した御家庭で「素敵な余生」を送ろうとするのならば
「ちょっと存在感に欠ける」のではないかと推察される。

画期的な商品なだけに、それだけが残念でたまらない。

あの程度の大きさでは「役目」を終えたらが最後
押し入れ収納ボックスに入れられて
引越しでもしない限り、ふたたび日の目を見ることはないだろう……

なにも私がアブトロニックの行く末の心配などする必要は
これっぽっちも無いって事くらい
充分過ぎるほど承知しているのですけれどね。
なんとなく「刷り込み」状態で観ていたもので、気になって、気になって。

アブトロニックの「その後」も気になるのですが
「その効果」についても、非常に気になるところです。
どれくらい役に立つ物なのか、まったく役に立たない物のなのか……
気になりだすと、何をしていても頭のどこかに「気になる」が占拠する訳で。

どなたかアブトロニックをお買い上げになられた方はいらっしゃいませんか?
↑とりあえず、呼びかけてみたりする。
「私は買った」という方に、その効果のほどをご一報いただけれぱ
こんなに嬉しい事はありません。

さてと。気になる事を思い切って、たずねてみたところで
今日の日記はこれにてオシマイ。


2002年02月22日(金) 自分の「居場所」

今日は3日ぶりに社会復帰(職場復帰)することが出来た。
まだまだ風邪が抜けきっていなかったので
正直なところ「もう1日くらい休みたいのになぁ」と思いながらの出勤だった。

それなのに。

いざ、出勤して、慣れ親しんだPCの前に座ってみると
「あぁ。私の居場所はココなんだなぁ……」という感慨が込み上げてきて
家で寝ているよりも、よほど心穏やかだったりして、ちょっと驚いてしまった。

私は、毎日、嫌々仕事をしていると言う訳でもないし
この仕事に就いて3年目に突入した今では
人並みに「やりがい」とか「責任感」は感じているのだけれど
私が今の仕事を選んだ理由は、たいていの人がそうであるように
「今、私が出来そう仕事で1番、お金が儲かりそうだったから」
……というシンプルな理由でもって選択したに過ぎないので
もしも、今の仕事以上に「楽して儲かる」仕事があれば
いつだって、転職したいと思っているし
それ以上に「働かなくても食べていけるのなら敢えて働きたくはないな」
……というのが本音だったりもする。

日頃から、そんな風に考えているだけに
自宅より職場のPC前の方が「なんとなく落ち着く」という感覚は
私にとって「衝撃の新事実」だった。
思えば自宅で家族と過ごしているよりも
職場で過ごす時間の方が長いのだから
職場にいる方が「なんとなく落ち着く」と感じてしまうのは
当然と言えば、そうなのかも知れないし
「職業人」としては喜ばしいことだと思ったりもしたのだけれども
「そんな場所」が私の居場所なのか……と思うと
一抹の「さみしさ」を感じてしまった。
もちろん「家に帰るのが嫌だ」とか
そんな風に思っている訳ではないのだけれど。

世の中には、たくさん「働く人」や「勉強する人」がいて
その人達は、たいてい「自分の家」以外の場所で
1日の多くの時間を「そこ」で過ごしていると思うのだけれども
それぞれ「どこ」を自分の居場所だと認識しているのだろう……
などと、つまんらない事を考えてしまった。

「専業主婦」という立場にある人は
「働く場所」と「自分の家」が直結しているから
「そこ」が自分の居場所なんだろうか?
とか思ったりもしたけれども「女、三界に家無し」
……と言う、ちょっと古風な言葉を鵜呑みにするなら
「そこ」が居場所だというのは、単純すぎるような気がした。

あるいは、ちょっとロマンチック方面に思考を発展させてみると
「愛する人がいる場所が自分の居場所」
という言葉もあったりなんかするけれど
これもまた、人によっては感じ方が違うのではないだろうか?
……などと疑問に思ったりする。
少なくとも私には当てはまらない(愛する人がいる、いないに関わらず)

うだうだと屁理屈をこねてみるよりも
「いま居る場所が自分の居場所」だと割り切ってしまうのが
1番、てっとり早くて、気持ちの良い結論のような気もする。

「居場所」について、あれこれ考えてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。

******************************

ちなみに、現在、私の職場には「元気な人間」が見当たらない。
風邪引きを引きずっている人間。
持病が活性化している人間。
出勤できなくて「本当に姿をくらましている」人間。
この3種類の人間でもって構成されている職場って……
「それって、どうよ?」と思ったりしつつ明日も出勤するのである。


2002年02月21日(木) 「今年の風邪は酷いよ」と毎年人は言うけれど。

「今年の風邪は酷いよ」と毎年、人は言いますし
私も毎年、そのフレーズを使っていますし
実際、毎年、それが「しっくり」くるように思われるのだけれど
「毎年同じフレーズだなぁ」などとチラッと思ったりしながら
「今年の風邪は酷いよ」という言葉を使っていたのだけれど

今年の風邪は酷かったです。私にとっては。

何日も熱を引きずる……なんて事態に陥ったのは本当に久しぶりでしたし
それより、何より「高熱」には、ほとほと参りました。
なんとな〜く、いまだシャッキッとしないのですが
そろそろピークは過ぎたかなぁ……という感じですし
2日も欠勤するのもなぁ……という事もありますし
私の希望としては、明日あたりから「社会復帰」したいと思っています。

毎年「風邪を引く」って行事が、こんなに大変だったのか……
それとも、本当に久しぶりの体験なのか……
もしかすると「感受性」とか「記憶力」が鈍くなっているのか……
とにかく「今年の風邪は酷かった」と心から思いました。

シーズン行事にも「とりあえず」参加したことですし
もう、いつ「春」が来ても準備OKです。
……と言うか、スッキリ治したいです。風邪。

ともかく山は越えたので、まずは良かった。
そんな訳で、今夜も「早寝」に徹します。
明日の目標は社会復帰ですから。

では「今年の風邪」を語ってみたところで
今日の日記はこれにてオシマイ。


2002年02月20日(水) ずるっぱ!

風邪引っ引き……
私的には休日のうちに治す予定でしたが
予定は「予定」でしかないようで……治りませんでした。
熱は少しつづマシになってきましたが
まだ身体に篭っている感じですし
鼻は見事なまでに「ずるっぱ!」ですし。

この調子では明日の出勤は無理そうです。
「たかが風邪」に、してやられた…って感じです。

日記のカウンター気が付けば11111(ぞろめ)を越えていました。

どなたが、お踏みになられたのかは謎ですが
見知らぬ方に「ふみふみ」していだたくのも、また一興。
10000は自爆しましたから余程、嬉しかったりします。

今日は「なに」ですね。「日記」と言うよりは
正真正銘「ひとりごと」です。えぇ。

日記、今日は休むかなぁ〜〜
……とか思ったのですが「キリ番」御礼ってことで。

2月も残り8日。
もうすぐ冬もオシマイです。
冬の名残りに、お風邪など召されませんようご自愛くださいませ。

私は、自分を可愛がって、風邪の治療に専念します。
では、今日は日記と言うよりも、ご報告と御礼までにて。

                     ずるっぱ白蓮


2002年02月19日(火) 画面の向こうに「人」がいるから。

昨夜、日記を書いて検温したらば8度6分の高記録(?)だった。
9度以上熱があって仕事をしていた人を見て
「そりゃないぜ、セニョール」とか思っていたけれど
私だって、似たり寄ったりという感じなのかも知れない。
積算担当の彼は計算機を手にすると変身して人が変わるように
CADオペレーターの私fマウスとラフスケッチを手にすると変身するのだ。

そして日記書きの私はキーボードを前にすると日記書きに変身……

思えば、以前書いていて途中挫折した『さるさる日記』は
昨年の2月頃にはじめているので
私が『公開日記』の世界に足を突っ込んでから、ざっと1年になる。
途中「休憩期間」があって『エンピツ日記』で再デビューしたのだけれど
よくよく考えてみると『さるさる日記』時代に知り合った方とは
もう1年のお付き合いになると言うことだ。

昨日、私が日記につけている『雑談も白い木蓮の花の下で』という
なんの、ひねりも無いタイトルの掲示板に

人の日記を読むというのは、内容や文章もあるけれど
人柄に惹かれて……と言う部分があるのでは?

……という書き込みをしてくださった方がいらして
↑詳しく読んでみたい方は掲示板を覗いみてください。
「それは一理あるなぁ」と激しく納得してしまった。

まったく知らない人の「日記」を読んだり
まったく知らない人に「日記」を読んでもらったりという行為は
冷静に考えてみると「変」なのかも知れない……と思うことがある。
自分自身、こんなに「夢中」になるとは思ってもみなかったし
「この日記」をはじめた時の私は
タイガーマスクの子供時代と同じくらい「ひねくれモード」だったので
ネット知人にも、リアル知人にも「絶対教えない」とか思っていたのに
今では、良い意味で方向性まで変わっている。

ネットで日記を公開するのは「育成ゲーム」や「シュミレーション・ゲーム」と
少し似た感覚があるような気がするなぁ
……と元・ゲーマーの私は思ったことがあるのだけれど
ゲーム以上にハマってしまう理由は
画面の向こうに「人」がいるから……だと思う。

素晴らしい文章が読みたいのであれば
プロが書く「小説」や「エッセイ」の方がよほど面白いと思う。
それなのに「素人の書く公開日記」に入れ込んでしまうのは
書き手の人柄に惚れて……と言う部分があるようだ。
ずっと読みつづけている日記の作者さんには
ネット上だけの付き合いでも、どこか「思い入れ」が出来てしまう。

画面の向こうに人がいて、その人に惹かれて読んだり、書いたり。

……と、そんな感じなのかも知れない。

などと、何を講釈たれているんだか? 私?
熱のせい? ちょっとハイ・テンション?
……って言うか、もう寝ろ?
熱は7度台まで下がったけれど、まだまだ「へなちょこ」のままなので
「うざうざ」のままオチも付けずに(関西人は、ついオチを付けたがる)
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年02月18日(月) 流行の「物」に身をまかせ……

昨日はドミノ倒しのように男性陣が倒れていった話を書いたけれど
私も「流行り物」には弱いらしく、風邪を引いてしまった。
昨夜は「早めのパプロン」と「咽喉に優しい花梨酒」をのんで
小学生のように早く休んだというのに
……その時点で、すでに「無駄な抵抗」だったのだろう。

朝、熱を測ると7度2分。まだまだ上がりそうな気配。
休みたい。休みたい。休みたい。
……と言うか本当だったら、大事をとって欠勤するところだれど
なにしろ3人もの人間が倒れている上に
しかも相棒のCADオペレーター前日飲みに行くと言っていたしず。
↑相棒は二日酔いの常習犯で飲んだ翌日は遅刻か欠勤する癖がある。

「風邪」をおして出勤だなんて、ワーカー・ホリックっぽくて
自分でも嫌でたまらないのだけれど、まぁ動けないほどの熱ではないし。
食欲もないので、プリンを食べて、お茶と風邪薬を飲んで
自分の図面だけ仕上げたら「早退」させてもらうつもりで出勤した。

出勤途中のコンビニで
「ポカリスエット」「咽喉飴」「風邪ドリンク」「レトルト粥」
……など「風邪引きの友」を買い込んで、万全の突撃体制♪

やはり……行って良かった。

なんと。出勤したらCADオペレーターの相棒は欠勤していた。
派遣社員との私と相棒は「働いた時間」がお給料として返ってくるし
遅刻も欠勤も、契約者が「OK」であり仕事が回っていけば「OK」なので
ふだんは、気に障ったりする事もないのだけれど
今日ばかりは、思わず「憎しみ」を感じてしまった。
↑もちろん、本当に体調不良だったのかも知れないが。
いつもなら職場に電話を入れ後で
私の携帯にもメールをいれてくれるのだが、今日はメールさえな無かった。

今日は「早退」を前提として出勤したつもりだったのに
そんな訳でフルタイム働かねばならない状況に陥ってしまった。
ポカリスエットを飲み、水を飲み、風邪滋養ドリンクを飲み
とにかく、色々なものを飲みつつ仕事。仕事。仕事。

それにしても、ついてない……

不慮の体調不良での欠勤には同情できても
正直なところ、遊び過ぎや二日酔いでの欠勤なんて同情できやしない。
相棒と私は、同じように机を並べて働いているけれども
「働く理由」が違うのだから働く姿勢が違っても
それは仕方のない事なのだと自分に言い聞かせていたのに。
すっかり「ふてくされモード」になってしまった。

残業して、タイム・シートに印鑑を貰う時
社員の建築士さんと、私は
「お互い、この2日で体調を快復させましょうね」
……と互いを励ましあって苦笑いした。
休日を「寝て過ごす」ほど情けないことはない。

帰宅途中コンビニでポカリスエットと
今、躍起になって収集している『松本零士の世界』を購入。
たった1個しか買わなかったのに、なんと!
最後の1個として狙っていた「アルカディア号」をゲット!
そうさ……これは頑張った私への御褒美に違いない。
……などと自分勝手な解釈をしながら
フィギュア・コレクションをコンプリートした幸せに浸った。

明日から2日間ある休みで風邪を、すっかり治してしまわねば。
……って言うか、私、今、熱、何度あるんだろう??
……って言うか、日記書いてる場合か??
めくるめく検温タイムを前にして
今日の日記は見苦しく愚痴を並べ立てて、これにてオシマイ。


2002年02月17日(日) ドミノが倒れてゆくように。

今朝、いつものように家をでて
いつものように電車に揺られて
いつものように奈良盆地を闊歩して職場に出たらば……

中堅の建築士のNさんが高熱を出して欠勤しておられた。
ここのところ、連日、忙しかったし
なによりも「風邪」や「インフルエンザ」の季節だから無理はない。
今日は「日曜日」だったので、お客様との接客もあっただろうに
それでも欠勤するということは、そうとう酷いのだろうと思った。
↑もっとも風邪っぴきで接客するとるなる、それもまた問題なのだが。

そして昼過ぎ。
夢見る建築士Kさん、持病の尿道結石が勃発してダウン。
痛みと闘いつつ、Kさんは静かに早退。
連続、深夜の二時、三時まで仕事をしていたのだから
過労が祟ったのだろうと思う。

そして夕方。
見積もり担当のYさんが、九度以上も熱がある身体なのに
それでも仕事をしていた事が発覚。
気が付いた同僚に迫られたYさん、渋々早退。
↑大人で九度以上発熱したら普通は立っているのも辛いはずなのに。

たった1日の間で、次々と3人もの人が倒れてしまうだなんて!!
まるでドミノ倒を見ているように
バタバタと倒れていってしまわれた3人の男達。
しかも、今が働き盛りの屈強な男達が……である。
なんとなく気の毒すぎて「おだいじに」としか言えなかった。
「ゆっくり休んでくださいね」とか言ってみたところで
気休めにしかならないだろうから……

いったい、人は何故、働かなければならないのだろう?

……などと、思わず思春期の若者のような事を思ってしまった。
考えなくても、答えは身体で知っているのだけれども。
みな、それぞれに、養っていかねばならない「家族」がいたり
そうでなくても自分の「食い扶持」を稼がなければならなかったりするのだ。
ただでさえ不景気なご時世、しかも不況の建築業界。
みな「今のポジション」を守るだけでも必死だったりして
ついつい、過労するまで働いてしまうんだろうなぁ。

そんな、こんなを考えていると、どこまでも「考え」が膨張してゆき
なんだか私もナチュラル・ハイ♪
↑人間は草臥れたり、嫌な事があると妄想に走りがちな生き物なのです。

どんな状況の人でも、とりあえず死なずに生きていて
「いま」「ここにいる」ということだけでも
スゴイことなんだなぁ〜〜〜〜とか思ったりして〜

ビバ! オヤジ!
ビバ! オバチャン!
ビバ! オニイチャン!
ビバ! …長くなるので以下略。

まったくもって、♪〜ハァ・ビバ・ドン・ドンってなもんだ。
仕事をする「人間」が倒れてしまったので仕事は完全停止状態。
おかげで私も早く帰宅できたのだけれど
人のことを語っていないで、まずは我が身を振り返れ……と。

今日はこれから、歯を磨いて、宿題はないので、もう寝ます。
まだ「小学生」でも起きている時間ですが
お布団に入って身体を休めよう……

これを読んでくださっている「あなた」
くれぐれも、お身体には、お気を付けくださいませ。
人間って「倒れる」時には、容赦なく「倒れて」しまうようです。
↑今日は3連発を目にして、驚いてしまいました。
もちろん身体だけぢゃなくて、気持ちの方も、ごゆるりと。
バタンと倒れてしまわない程度に、ゆるゆるお過ごしくださいませ。

倒れてしまった3人が、早く元気になることを祈りつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年02月16日(土) 「激しいボタン」があればいいのに…1票の重さに思うこと。

先日、WEBニュースの記事で読んだのだけれど
最近はアメリカにも「WEB公開日記」が流行しつつあるらしい。
「インターネット」の主な利用方法は国によって異なっているらしく
私が慣れ親しんでいる「公開日記」「掲示板」「チャット」という形でもって
インターネットをコミュニケーション・ツールとして使用するのは
世界的にみると、まだまだ一般的ではないらしい。
ちなみにアメリカで「WEB公開日記」が流行しているという記事には
少々、辛口なコメントが付けられていて私は思わず苦笑してしまった。

人は何故に「公開日記を書くのか?」

その目的も、はじめた理由も、人それぞれではないかと私は思う。
純粋に「日記」だったり「記録」として書いている人もいるだろう。
「創作物」を掲載するスペースとして活用している人もいるだろう。
「王様の耳はロバの耳」と言えない事を叫んでいる人もいるだろう。

私も一時はは「どうして公開日記を書くのか?」
……と言う事について迷ったことがあったのだけれど
色々な方に「背中ポン」「お尻ポン」とプッシュしていただいたおかげで
今は確かな目的意識を持って「公開日記」を書いている。

私の日記は、私の毎日の暮らしを少しでも楽しくするため手段。
私の日記は、私に起こった出来事を自分の中で整理するための手段。

……だから私は自分の書いた日記を、数日後に読み返してみたりする。
いつも感情の赴くままにキーボードを叩くので
誤字脱字や、文章の乱れを発見する事が多くて赤面もなのだけれど
それも、これも、自分が辿ってきた軌跡という感じだろうか。

「ある日記」の出現によって「エンピツ日記」内では
「ランキング論」や「投票ボタン論」が白熱しているが
私は、それぞれを興味深く拝読させていただいている。

ただ、私の場合「投票ボタン」や「ランキング論」に関しては
正直なところ「どうだっていいや」と思っている。
投票ボタンを細工したい人は細工すればいい。
上位ランキングを狙う人は、それに向けて努力すればいい。

「公開日記」に対する心構えが、人それぞれに違うのならば
公開の方法が変わってくるのは、当然の成り行きだと思うのだ。

これは、もう「クドイ」ほど何度も書き続けていて
たぶん、これからも書きつづけていくと思うのだけれど
「公開日記」と言うものの、日記はあくまでも「個人」のものなので
個人に対する攻撃だけは「やっちゃイカン」とは思うのだけれども。

ただ1つだけ……
「投票ボタン」については日頃から思っていることがある。

私は日記を読んだら「読みましたよ」という足跡として
「投票ボタン」を「ポチッ」と押させていただいている。
これは偽善であるとか、そういう訳でも、なんでもなくて
私自身が「ポチッ」の重みに幸せを感じている人間だからである。
カウンターが回っていれば、誰かが訪ねてくれた証にはなるのだけれど
「投票ボタン」は「読んだよ」という何よりのメッセージだと思うのだ。
もちろん、どうしても「同意できない」ような文章だったりしたら
ごくまれに「ポチッ」と投票しないで戻ってしまう事もあるのだけれど。

ただ「ポチッ」の重みってヤツは
「読みましたよ」…という足跡でも
「激しく感動しました」…という熱い思いでも
「上手い! 山田君〜座布団十枚」…という気持ちでも
「ポチッ」は「ポチッ」と言う単なる1票にしか過ぎないのだ。

「激しいボタン」があればいいのに。

激しく感動した時は日記作家さんに気持ちを伝えたいと思うのだけれど
そのたびに「メール」したり「掲示板に書き込み」できる訳ではないし
だいたいからして、そんな手段を置いておられない方もいらっしゃるのだ。

だから、そんな時のために「投票」と「激しく投票」に
違いが付けられたりなんかしたらどうだろうか?

大笑いしましたよ…と「ポチッ」
思わず涙しました…と「ポチッ」
激しく同意したよ…と「ポチッ」

……みたいな感じで
日記作家さんにダイレクトな感情が伝えられたらいいのになぁ
……などと思ってみたりするのだけれど
もしも、そんな事が可能になってしまったら
「エンピツ日記」内は、たくさんの人々の激しい感情のぶつけ合いで
そりやぁ、もぅ大変な事態におちいってしまうかも知れないし
いちいち激しい感情をぶつけたり、ぶつけられたりした日にやぁ
それこそ、おちおち日記なんて書いていられなくなってしまうかも知れない。

「ポチッ」と1票は、やはり1票分だけの重みであるのが
ちょうど良いのかも知れないなぁ……などと自分に言い聞かせつつ
それでも「激しいボタン」があればいいのになぁ…と思ってしまう。

なんとなく「エンピツ日記で流行っている話題」に乗っかってみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年02月15日(金) 『黄落』〜親の死を望む瞬間〜

『黄落』 佐江衆一 新潮文庫 を読んだ。

還暦を迎えようという初老の夫婦が
92歳になる父親と87歳になる母親の介護の日々を描いた物語である。
人間が避けて通ることのできない
「生」「病」「老」「死」という道程の中でも
出来る事なら目を背けていたい「病」「老」「死」が鮮やかに描かれていて
読み応え抜群の作品だった。

「老人介護」などというテーマは「ありきたり」な事であり
どこのご家庭にもある問題なので
ある意味において「まったく珍しくも、なんともない物語」なのだけれど
そこは作者の筆の巧みさでもって見事にカバーされていたように思う。
なによりも私の心を直撃したのは
主人公の男性が、自分の親にたいして
「死んでくれ」と心の底から願う場面である。

親に対して「死んでくれ」とは人道に反する感情だとは思うのだけれど
じつは、私も過去に同じ感情を抱いた経験があるので
正直なところ、とても他人事とは思えなかった。

私の父はアルコール性の肝炎が進行して、脳が萎縮してしまったために
最後の8ヶ月は50代にして「痴呆症の老人」と同じ症状に陥ってしまった。
凶暴になったり、暴言を吐いたり、暴れたり。笑ったり。
もっとも、暴れるだけの力もなくなるほど病状が進んでからは
「いつもニコニコ笑っている赤子のようなオッサン」になったのだけれど。

父にはもう快復の見込みが残されていないと主治医に告げられた日に
主治医と私達家族の間で「その後の処置」につてい話し合いが持たれた。
ポイントは「どこまで延命」するのか……という事だった。
父は脳が正常な頃に「医学にしがみついて生きるなら死んだ方がマシだ」
……と言っていた事から、父の意志を尊重して
「延命はしない」という方向で治療がすすめられることになった。

本来なら病院は「病を治療する機関」であるため
まったく何もしないという訳にはいかないということで
法律的にも、保険制度的にもギリギリのラインで
緩慢に治療が進められることになった。
父の主治医は心の熱い人だったので
「病院の方針」と私達の意志の間に立って
最後まで私達の意志を貫く方向でもって尽力してくださった。
本来ならホスピスでもない限り、今の日本の病院では
「治療をしない患者」というのは受け入れられない場合が多いようなので
私はいまだに、父の主治医には心から感謝している。

私は「父の意志を尊重して」と書いたのだけれど
それには少し語弊がある。
なぜなら「延命しない」というのは父の意志でもあったのだが
私達家族……母や愚弟の意志はともかくとして
「延命しない」という事は少なくとも私の意志であったのだ。

「お父さん。悪いけど、もう死んでちょうだい」

私は心の底から父の死を願った。
良心の呵責など微塵も感じはしなかった。
そんな状態で生き続けられても困ると思った。
私にはもう治る可能性の無い父の「生」よりも
私と母や愚弟の「生」の方が大切だったのだ。

親の死を心から願うなんて人として最低の感情だと思うのだけれど
同じような経験をされた方は以外と多いのではないかと思うし
これから先、そんな経験をされる方も多いのではないかと思っている。

『黄落』という小説は、その辺の生々しい感情が見事に描かれていて
老人介護の問題云々……と言うよりも
むしろ人としてのタブーを感じてしまった人の
哀しみと、憤りと、悔恨が織り込まれた小説だと私は思った。
↑もちろん、その中には家庭内での激突や葛藤などもあったりする。

しかも、この小説には、それ以外に
「もう1つ」ピリッとしたエッセンスが秘められていたのだ。
70年間連れ添ってきた夫婦の間に秘められた
……と言うよりも「妻は夫に従うべし」という時代に生きた妻が
痴呆により、人から遠ざかっていく過程で
自分の感情を取り戻していく……という姿に
私は胸を打たずにはいられなかった。

病に臥し、老いて、そして死んでいく……

その過程は誰1人として逃げることのできない道であるがゆえに
ドラマがあり、その中で人間の「本性」のようなものが
見え隠れしてしまうのだと思った。

現在、私は恐らく自分より先に死んでいくだろう母と
「それなりの・これ」で生活している訳なのだけれど……

「お母さん。悪いけど、もう死んでちょうだい」

そう思う瞬間が来るのかも知れないなぁ……などと思いつつ
静かに本を読み終えた。
もちろん、あっさりした死に際の方もたくさんおられる事だろう。
親の死…あるいは夫や妻の死を願う瞬間など
できれば味わわずに生きていきたいと思うのだけれど
今の進んだ医学では死ぬのも、なかなか大変なようである。

突き詰めて考えてみると「何もかもがとにかく大変」で
生きている事さう嫌になってしまいそうなのだけれど
『黄落』の中には小さな「救い」が2つばかりクッキリと描かれていた。

1つは死に逝く母が息子夫婦に残していった哀しくて大きな愛。
↑その「愛」の形はネタバレになると興ざめなので伏せておきます。
もう1つは「自分の子供達には、決して同じ思いをさせない」
……という親を見送った息子夫婦の強い意志である。

大きな愛と、強い意志が「今」の世の中を作ってきたのだなぁ
……と思った。
現在ある「福祉サービス」も10年前に存在しない物も多いのだ。
もちろん、まだまだ充分だとは言えないのだけれども。

貪るように、一息で読んでしまった1冊だったが
もう1度、ゆっくり味わって読みたいと思う1冊だと思う。
「読書感想文」を書いてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。



親の介護や面倒を見るのがが辛くて、ここに辿り着く方が多いようです。
参考になればと思うサイトを貼っておきます。

親の面倒をみたくない。これって法律的に許されるの?


2002年02月14日(木) ネカマ疑惑。

二月です。如月です。それも半分を過ぎようとしています。
私が「うっかり」している間に五輪の開会式は終わってしまいましたし
「ぼんやり」生活している間に、今年の目標として高々と掲げた
「この冬のあだにヒレ酒を飲む」と野望も実現出来ないまま
なんとなく3月に突入してしまいそうで、ちょっぴり恐いです。

さてさて。今日はバレンタインデーですね♪
「何年も恋を休んでいる」私には、あまり関係のない行事だっりしますが
クリスマスには散々「淋しい」だの「つまんない」だの愚痴りまくって
不貞腐れていた私ですが、バレンタインデーは心穏やかだったりします。
原因はハッキリしています。えぇ。
バレンタインデーは「チョコをあげる行事」であって
クリスマスのように「あげたり」「もらったり」という行事ではないからです。

私は「尽くすよりも、尽されるのが好き♪」なタイプの人間なので
「あげるだけの行事」というものには、あまり心が動かないようで。
↑もちろんホワイトデーには「おかえし」があったりしますが
「おかえし」を期待しての「何かをしてあげる」ってのは
これまた私の好みではなかったりします。

まぁ、それはともかくとして……
もしも「白蓮にチョコをやってもいい」という方がいらっしゃいましたら
チョコレートは随時受け付け中です。多少、遅れてもOKです♪
ただし義理チョコはいりません。
いつも本気の「おなご」なので「本命チョコ」が欲しいのですよ。
……なんて、こんな事を「うっかり」書いちゃうからなんでしょうか?

私、何故だか「ネカマ」疑惑を掛けられる事が多いのです。

流石に「日記」で知り合った方は
私を「女性」だと思ってくださっていると思うのですが
たとえば「趣味」のHPの掲示板等で知り合いになり
メールを交換するようになって、ある程度親しくなった頃に
「女性だと書いておられましたが、実は「男性」だと勘繰っていました」
……などと打ち明けられたことが過去に何度かあったりします。
↑上に書いてみた「チョコレート云々」と言った類の冗談や
 あやしい事をほのめかしたりした事は無いのに…です。

まぁ、ネット界には「ネカマ」だの「ネナベ」だのが存在しますから
疑心暗鬼に陥っちゃったりするのは
それはそれで仕方のない事だとは思うのですが……
「出逢い系サイト」でもなく、比較的「真面目な話題を語るHP」の中で
性別を偽ることに、どんなメリットがあるのだろうか???
などと、毎度、ちょっぴり首を傾げずにはいられません。

ネットの世界は危険がいっぱいですから
性別や年齢、居住地を「伏せる」のは理解できるのです。私。
でも正直なところ「詐称」するのは理解できなかったりします。
「嘘は泥棒のはじまり」と昔の人も言っていますし
基本的には「嘘」や「詐称」は「いけない事」だと思います。

ですが。

たとえ相手が「ネカマ」であっても「ネナベ」であっても
目的が「それ」とハッキリしている出逢い系のサイトや
自分を偽ることで相手を傷付けようという「悪意」があるような場合
……言うなれば「悪質な詐称」でないのならば
「そっと」しておいてあげてもいいんぢゃないかなぁ〜〜
……なんて思ってみたりもするのです。私は。
これって、ちょっと甘い考えかも知れないですけどね。

親しくなると「相手のことを深く知りたい」
というのが人間の持つ当たり前の心理ってなものですが
もともとネットの世界はリアルではないのですから
「住所を打ち明けられるくらいの仲」とか
「プライベートな相談事もできるような仲」になるまでは
ある程度の「距離」や「秘密」があってもいいかなぁ
……なんて思っています。
それに、どれだけ「真実」を語ったとしても
ネット上だと、それを「証明」する方法はありませんしね。

たとえば私が書いていることに対して
「色々書いてるけど、それって嘘ぢゃないの?」と問われた場合
↑今までそんな失礼なことを問われたりした事は1度も無いですけど。
「いや。だから全部本当なんだってば」ってことを証明しようとするなら
「住所を教えるから、生の私を見に来るかい?」
……とでも言ってみて、実際に見てもらうくらいしか
「真実の証明」をする方法なんてない訳ですし。

「ほんのちょびっと」だけなら「嘘」を見逃したっていいんぢゃない?
……という気持ちとか
リアルでない世界なんだし「遊び」とか「すきま」があってもいいんぢゃない?
……という気持ちとか
だいたいからして「性別」に固執する必要は無いんぢゃない?
……という気持ちがあったりするのです。私には。

あくまでも、私には…の話ですけど。

今日はバレンタインデーということなので
男と女……ではなく、ひとひねり入れて「ネカマ」と「ネナベ」について
ちょっと語ってみたりなんかしました。
自分で読み返すと、どこか「うざい」語りだったりしますが(^^ゞ
そんな日もあるって事で今日の日記は、これにてオシマイ。

***************************

ちなみに、私が派遣されている職場では
バレンタインデーは「女性全員」で「職員全員分」のケーキを買って
みなでケーキを食べる習慣になっていて
ホワイトデーのお返しも同様の形で行われます。
「義理チョコ」を買わなくていい……というのは
面倒臭がりな人間にとっては、とてもありがたいです。
そして今日は「老若男女」打ち揃ってケーキを食べました。
ケーキは普通に美味しかったです。
そして来年は「バレンタインデーの渦の中心」に自分が居たいと思います。


2002年02月13日(水) 『フロム・ヘル』切り裂きジャックの話や諸々の話

昨日は『日記更新しません日記』を更新しましたが
おかげさまで「復活」いたしました♪
心配してくださったみなさま、どうもありがとうです。

さて。今日は「昨日」書こうと思っていた日記など。

昨日は朝から張り切って苦手な美容院へ行き
「ただ今、おためし価格キャンペーン中」になっている
1度やってみたかった「矯正ストレート・パーマ」にチャレンジしました。
↑サラサラにはなりましたが、とても時間が掛かって、くたびれました。

そして大阪田舎地方から都会地方へ映画を観に出掛けたのです。

ジョニー・ディップ主演『フロム・ヘル』でございます。
あの有名な「切り裂きジャック」については
私自身、ちょっと興味のある対象なので
一時期は研究本だの、モデル小説だのを読み漁った事があり
「こりゃぁ。どうしてもはハズせないなぁ」
……とて、もうすぐ上映が終わってしまいそうなので勇んで突撃したのです。

テーマが「切り裂きジャック」ですし15R指定になっていましたし
「気持ち悪かったり、グロかったり、後味が悪いのは覚悟しよう」
との心構えでもって挑んだ映画だったのですが

案外グロくもなくて、恐くもなくて、後味もサッパリした♪
↑これは、あくまでも私感なので参考にいならないと思います。

この系統の映画は「ネタ命」なのでネタバレが書けないのが
とっても残念なのですが、けっこう面白かったです。
ネタ的……と言うか、切り裂きジャックの正体的には
色々な文献と照らし合わせて考えてみるだに
「それはないでしょ。それは」という感じなのですが
物語的には面白い作りになっていましたし
なによりも「切り裂きジャック」の一連の事件を
あそこまで出来上がった「ドラマ」にしたのは素晴らしいなぁ
……などと思いました。

どちらにせよ「切り裂きジャック」の正体は永遠の謎になるのでしょうし
まぁ、どんな形で味付けしても「面白ければ良し」って感じです。
どこまで人物を掘り下げられるのか、ストーリーを構築できるのか
あるいは映像美や音楽の良さをどこまで追求できるか……
その辺を点数の付け所とすると
『フロム・ヘル』は私の中では80点……といったところでした。

あっ。念のため付け加えておきますが
私は「切り裂きジャック」のような事件を支持している訳ではありません。
あくまでも、その「謎」や「人間に潜むドス黒い部分」などに
惹かれたり、興味があるというか……
言うなれば「悪魔的なお楽しみ」であって
「大人」だからこそ許される「15R」のお楽しみだと思っています。

映画の後で大きな書店へ出向き、新刊本を3冊購入。
『黄落』 佐藤衆一 新潮文庫
『オルガニスト』 山之口洋 新潮文庫
『後日の話』 河野多恵子 文春文庫
……『オルガニスト』以外は渋い選択になってしまいました。

そんなこんなで充実した時間を過ごした私は
家族へのお土産に「和菓子」など買ったりして帰宅したのですが
ちょっと活発に動き過ぎたせいか
久しぶりの「雑踏」にまいってしまったのか
すっかりグロッキー状態になってしまいまいた。

なのに「今日の夕食は鉄板焼きよ♪」などと言う母。
↑材料はあるから「あとはヨロシク頼む」という意味。
1人で遊びに出掛けた手前「勘弁してくれよ」などと言えるはずもなく
仕方なく鉄板焼きの準備をして、夕食をとったのですが……

暴飲・暴食をしたわけでもないのに「ゲロッパ状態」に。
身体が疲れている時は、当たり前ですが臓器はみんな疲れている訳で。
……って言うか、疲れは自分の「弱い」部分に出てくるようですね。
せっかく「今日は映画の話でも日記に書くぞ〜」とか思っていたのですが
あえなく断念。昨日の『更新しません日記』となった訳でござります。
↑しかも、後で読むと日記も掲示板も誤字だらけ。

そんな、こんなで3連休最終日の今日は
家で大人しく本を読んだりPCで遊んだり地味に過ごしておりました。
なんだか、だらだらと長い日記になってしまいましたが
「昨日の分&今日の分」ということでご容赦のほどを。
では、そんな、こんなで今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年02月12日(火) 「今日は更新しません」ってのもアリですか?

こんはばんわ。あ
るいは、おはようございます&こんにちちわ。
せっかく、足を、お運びいただいましたが……

本日は日記の更新はごさいませんm(_ _)m

……って言うか
私、個人的に「体調・最低」なので

日記は「おやすみ」して
掲示板のレスのみ…させていただきますm(_ _)m
かたじない……

そんな訳ですので、また。。。。。


2002年02月11日(月) 夢見る建築士・2〜なんと家族が増えたのです〜

昨日は、なにやら「暑苦しい日記」を更新してしまいましたが
「あの日記作家」さんが文中リンクをしてくださったおかげで
びっくりするほどの人が訪ねてくださり
びっくりするほどの人が「ぽちっ」と投票してくださって

白い木蓮の木の下に「わらわら」人が集うの図。

……というような感じで、大感激でございました。私。
もう直ぐ木蓮の季節がやってまいりますしね。
たまには、こんな日も良いものです(しみじみ想う私)
たいした「おもてなし」はできませんが
また、いつか、何かの形で「幸せのおすそ分け」が出来たらいいなぁ
……などと思っている次第です。

やっぱり文章を書く人間は、たとえ素人でも
「ランキングなんて気にしないわぁ〜」とか言っても
やっぱり上位にくると嬉しいものなのです。
↑そんなに「ズバリ本音」を言っていいものかどうかは謎ですが。

昨日は、いつになく『エンピツ日記』上位ランキングしちゃいましたが
ふだんは「なんとなく・そんな感じ」程度で彷徨っている状態ですので
うっかり「Myエンピツ」や「お気に入り」に入れちゃった方がおられましたら
ご期待に添えないかも知れません。
私は私流の日記…しかも「私のための日記」しか書きませんので
「それは・それ」って事で、ご容赦のほどを。
↑「うんにゃ。許せん」とか言われても、どうしようもありませんし。

そして本日は、なんてことのない話など。
……って言うか昨日、書こうと思っていたお話などを。

以前、この日記で「夢見る建築士」Kさんの話を書きましたが
覚えておられる方はいらっしゃいますでしょうか?
家を設計する際、自分の理想の家族「妄想」して
そして、その妄想家族で物語を作ってしまう、あの彼です。

最近、Kさんの「妄想家族」に新しい人間が加わりました。
それまではKさん一家は「俺」と「可愛い妻」の新婚家庭だったのですが
どうやら妄想のパターンに行き詰まりが出てきたらしく
このほど妄想の活性化をはかるためか
「年頃の娘」が登場するようになりました。
妻の妊娠も、出産も、育児も、娘の思春期も、気前良くぶっ飛ばして
いきなり「年頃の娘」が登場です。息子ではなく娘。
しかも幼児ではなく「年頃」ってあたりは流石、妄想人です。

★Kさん「洗面・脱衣室」について妄想する★
娘が風呂に入ってるの知らずに、俺が洗面・脱衣室に行く訳ですよ。
でね♪ 選択籠に娘の下着とかあるの見つけて
「あっ」とか思ってると、娘が「お父さんH〜」とか言ったりして……

★Kさん「広いバルコニー」について妄想する★
俺の書斎の隣りが娘の部屋な訳ですよ。
でね♪ 俺が書斎で本を読んでたりすると
バルコニーで娘の楽しそうな声がするんですよ
窓から覗いたら、娘がボーイフレンドとイチャついてたりするんです。
俺、一瞬、出て行こうかと思うんですけど
コーヒー持ってきた妻が「あなた。だめよ」とか言って……

★Kさん「素敵な庭」について妄想する★
休みの日、俺は寝坊してリビングに出てくる訳ですよ。
でね♪ リビングと繋がってる庭を見ると娘が花に水やってるんです
俺が「たまには、お父さんと散歩にでもいかないか?」って言うと
娘が「じゃぁ、お父さん、私のお買い物付き合ってくれる?」とか言って
俺に、おねだりするんです。「勘弁してくれよ〜」とか俺は思うんですけど
けっきょく娘に押し切られちゃって……

Kさんの妄想は日を追うごとに進化しています。
ただKさんの妄想は、あくまでも妄想なので
「妻の介護をする俺」とか「寝たきりになった俺」とか
そ〜ゆ〜設定が登場することはなさそうです。

老人化社会が杞憂されている今だからこそ
そのテの妄想も取り入れて欲しいなぁ〜とか
そこまで妄想が進化すれば、建築士としても「一皮剥ける」のになぁ〜とか
そんな事を思わないではないのですが
仕事の合間に作るKさんの「幸せ妄想ワールド」を侵害するのも
これまた無粋と言うか、残酷かなぁ……と思うので
Kさんの「幸せ妄想ワールド」は、そっとしておこうと思っています。

……って言うか、私も図面描いてて妄想することありますし。

注文建築の家って、べら棒にゴージャスだったりするので
夢も妄想も膨らみがちってものなのです。
なんてったって「私が住んでる貧乏長屋」がすっぽり入っちゃうくらい
広いリビング・ダイニング・ルームだの
徒競走ができるくらい長い廊下のある家の図面を見た日にゃぁ!!
ついつい「遠い目」になってしまうこと受け合いです。

ちなみに「妄想家族ごっこ」は誰でも気軽に体験できます。
お近くにある住宅展示場(できるだけゴージャスなヤツ)ヘ足を運べば
そこは、もぅ、ファンタスティック・ワールド。
「妄想家族ごっこ」は今後の人生に対して役には立たないかも知れませんが
ちょっとした「遊び」として楽しめること受け合いです。
なんだか私、住宅会社の宣伝マンみたいですね。

ちょっと趣向が脱線してきたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。

<追記>
「あっ。またKさんの妄想が!」とか「Kさんの妄想家族」などと
私が「うっかり」ツッコミを入れてしまったのを機に
Kさんの「妄想」は職場の名物となってしまいまた。
Kさん。ごめんよ。ツッコミ入れた上に日記ネタにして(苦笑)

*****************************

★緊急企画のお知らせ★

日記のカウンターが思っていた以上に早く回っているようで
もうすぐ10000HITを迎えます。
キリ番を「ふみふみ」された方がいらっしゃいましたら
メールか掲示板でご一報くださいませ。
「本当に・つまらない贈り物」をいくつか考えてございます。
もしも「こいつは、あまり係わりたくないんだなぁ」って方が
「ふみふみ」されました場合は
勢い良く、通りすがってやっておまんなさいまし。
では、よろしくお願いいたしますm(_ _)m
↑自分自身で踏んでしまうのが何より恐かったりするのですが(笑)


2002年02月10日(日) 売れるものなら安くしときますよ。不幸ってヤツ(怒)

今日『エンピツ日記』のある日記を読んでいたら
「不幸を売り物にすんじゃねぇ」というメールがきた
……という話が更新されていなました(読まれた方も多いのかしらん?)
2週間に1回くらいの割合で、何かと怒っている私ですが
その瞬間「マジ切れ」してしまいました。えぇ。

その日記作家さんが「不幸」かどうか……
そ〜ゆ〜客観的な問題は、おいといて
そ〜ゆ〜失礼極まりない事をメールしちゃう御仁にキレたんです。私。

だいたいからして「不幸」なんて売り物になるんでしょうかね?
「売り物にするんじゃねぇ」と言うくらいですから
その御仁は、ちょこっとでも「買おう」とか思って
TVショッピングを見ている視聴者のように
自分の財布の中身とにらめっこしたのでしょうかね???

意味不明です。まったくもって意味不明です。

私が実際に経験したり、隠し持ってたりする不幸なんて
そんなに自慢できる逸品ぢゃぁございませんが
もしも不幸が売り物になるなら、喜んでお売りしたいですね。不幸。

今なら、特別にお安くしておきますし
それでも足りないとおっしゃるのでしたら
「七福神親子財布」とか「布団圧縮パック余分に2枚」とか
ドーンと、オマケまで付けちゃったりするので
ぜひとも、この機会にお買い上げいただきたいものです。はい。

「公開日記」って、あくまでも「個人の日記」だと思うので
「なんでもアリ」だと私は思っているのですが
このところ「人の日記を批判する日記」なんてものまで出現して
流石に「それは人として、どうよ??」と思わずにはいられません。

公開日記やテキスト・サイトには批判、批評が付き物だけど
「嫌がらせ受けちゃってる」って、あなた!
「過去に嫌がら受けちゃった」って、あなた!
不愉快な目に遭遇しちゃったら凹んぢゃうかも知れないけれど
そうまで思わなくても不愉快になっちゃうかも知れないけれど
「屁のカッパ」で受け流していってくださいまし。
私は、なんにも応援できませんが「こっそり」読んでおりますので。
↑猫の手、犬の足よりマシって程度の応援ですか。

ふうううっ。また熱く語ってしまいました。
今日は「夢見る建築士」のその後談を書きたかったのにさ。
また、気が向いたら書くことにします。はい。

では、今日の日記は、これにてオシマイ。

****************************

「文中リンク」とかした方が読んでくださる方には親切だと思いますし
私自身、過去に2度ほど「文中リンク」をしていただいて
「大感激」したことがあるのですが
私自身は「文中リンク」は「しない」方向でいこうと思っています。

紹介したい「日記」が多すぎる…という事と
私の日記経由で繋がりが出来たとして
もしも不愉快なことが起きちゃったりしたら
どうにもお詫びのしようがありませんし………なんてね。
ホントは面倒臭がりなだけなのです。私。
そして、何よりも……
1度でも「文中リンク」とかはじめるとハマってしまいそうなので
自粛しています(^^ゞ

*****************************

過去に私の駄日記ほ「文中リンク」をしてくださった

『はき出す想い』のさえぐささん
↑驚くほど頭の良い女性の日記作家さんで、私の憧れの人です。
 この方の「背中ポン」が無ければ
 今まで日記は続けていなかったかも(^^ゞ

『ふと感じたこと』の朱夏さん
↑たまらなく「あったかい」文章を書かれる日記作家さんです。
 「癒し系」なんて安直な言葉ではなく直接触れていただきたいです。

『胸に降る雨、胸に咲く花。』の哀月壊韻さん
↑なんだ、かんだとバッシングを受けられがちなようですが
 「命懸け」で日記を書かれているようにお見受けいたします。
 感じるのも、反発するのも「あなた次第」かと思われるので
 まず「あなた」の心で感じてくださいませ。

文中リンク、ありがとうございした。
リンクから飛んでくれる方がいらして
「こういう繋がりも良いなぁ」とか思ったりして嬉しかったです。
↑それなのに、やっぱりリンクしてません。かたじけない。

……って言うか……
私の紹介文を読んでみて気になるなら
エンピツ日記検索で自力で探しやがれ!

などど思ってます。↑ランキングでも探せる方々ですしね(^^ゞ
それくらいに「大好き」で「感謝」しています。
そして、それだけして読んでも価値のある「日記」だと思っています。
↑実際、ダグ打ちした方が早いような気もするのですが
あえて「求めて」いただきたいのです。
傲慢は承知で。

「いかれポンチ・怒り爆発日記」を更新している私の日記を読むよりも
余程、人生の糧になるかと思われますので「探しても飛ぶ価値アリ」です。
へなちょこ白蓮ですが、オススメする時は「マジ」なのでm(_ _)m

<取り急ぎ・大急ぎで追記と私信>

『隆介に逢って、隆介が死ぬまで。私。』の登紀子さん
そうです。私ブチ切れてしまったのは、あなたの日記でした。
日記名とお名前、出しちゃっていいものかどうしようか
迷ってていたので両方伏せしまったのですが……
早速の「文中リンク」ありがとうございます。

メッセージが伝えられたようで、嬉しいです。
私、激しく心に感じると、言葉にできないことがあるので
「ひとこと感想」で書く言葉は思い浮かばないのですが……
最初から順を追って読ませていただいてます。ありがとう……
↑それでも「文中リンク」はしていません(^^ゞ
この方の日記をお読みになりたい方は、あえて「求めて」ください。
傲慢は承知です。でも「求めて」いただきたいと思います。


2002年02月09日(土) シンデレラと人魚姫〜2人の恋模様に思うこと〜

乙女な母が言うのです。
いま、上映中の『プリティ・プリンセス』が観たい』のだと。
私は俗に言うところの「シンデレラ・ストーリー」というものが
あまl好きではないので、出来れば遠慮したいところなのですが
なにしろ先週、足の手術の後の抜糸を済ませた母なので
月曜日からはじまる、私の3連休中に連れて行ってやらねばなぁ……
などと、思っちゃったりしています。

「シンデレラ」はグリムやペローなどが作品化した名作御伽噺ですが
女性の間では、意外と好き嫌いがハッキリしているようで
「シンデレラはやっぱりお姫様の基本だわぁ」って方と
「幸せを待ってるだけの女は嫌い」って言う方がおられるようです。

ちなみに、私は、どちらの考えにも属していなかったりします。
だって私にとっての「シンデレラ」は好きでも嫌いでもない
「無関心」としか言いようのない物語なのですから。

「シンデレラ」は青い鳥を待つ女の代名詞のように使われがちですが
私は「それは、ちょっと違うんぢゃないかい?」と思っています。
シンデレラが幸せを掴んだのは
苦境の中でも、ひたむきに、誠実に、日々を過ごした結果でありましょうし
彼女がそんな人間だったからこそ
お節介な魔女が登場したのでありましょうし
「棚ぼた」的な幸せに回り逢ったシンデレラが
もしも人生に諦めて「ガラスの靴の片方」を捨てていたりなんかしたら
「自分が、あの時の美女である」という証明はできなかったでしょう。
↑足のサイズの同じ女なんて国中捜せば、他にもいるでしょうから(笑)

私の中での「シンデレラ」は「青い鳥を待つ女の物語」ではなくて
純粋で単純な「女のサクセス・ストーリー」でしかないので
さほど、好きにも、嫌いにもなれなかったりするのです。

ちなみに世界に数ある「お姫様物語」の中で
私が、いっとう愛しているのは「人魚姫」だったりします。
寒い北の国で出身の作家、アンデルセンが残した、あの名作童話です。
「不幸な恋」の代名詞的に使われがちな、あの作品です。

物語的には「不幸」な物語を歩んでしまったのだけれど
私は、どうしても人魚姫を愛さずにしいられないのです。
だって、あなた……
惚れた人と一緒に居たいという、ただそれだけの想いから
自らの声と引き換えに「足」を手に入れて
↑現在に置き換えると整形手術をした…って感じでしょうか。
叶わぬ恋と知りながら、肉親達がすすめる「安楽な道」を蹴っ飛ばして
ただひたすらに「わが道」を貫いた、あの異種族の女性に
私は深い憧憬と、賞賛を抱かずにはいられないのです。

強い……強すぎるぜ……女の中の女だぜ……

愛も強けりゃ、意志も強い。
結果的には「不幸」であったかも知れないけれど
そこまで「我」を貫き通すことができた彼女を
私は「不幸な女」だと決め付けることができないのです。

……なんちやってね。

屁理屈を書き連ねてしまいましたが
ようするに私は情の深い女(あるいは男)が好き…ってだけみたいです。
シンデレラで描かれていた恋物語は
あまりに刹那的で「情」が感じられませんもの。
↑「めでたし。めでたし」の後で「情」が生まれたかも知れませんが。
恋の陶酔に「ドップリ」浸かって旅立った人魚姫は
幸せ者だったのではないかなぁ……なんて思ったりしています。

そんな話はおいといて。
私は近いうちに恐らく『プリティ・プリンセス』を観ることになると思われます。
この際ですからストーリーはともかく
「豪華なドレス」とか「きらびやかなティアラ」でも鑑賞して
それなりに楽しんできたいと思います。

まずは明日も頑張って仕事に行かねば……
そんな、こんなで、今日の日記は、これにてオシマイ。


*****************************

ここのところ、ちょいと「くたびれモード」なので
ネット接続時間が激減しております。
あちこち不義理をしつつ、メールも溜めておりまするが
「日記」や「HP」見てるだけ〜〜〜は続けています。かたじけない。
↑それなのに自分の日記と掲示板だけはフル稼動中(^^ゞ
では、みなさま方、明日も良いお休みを。
明日もお仕事の方は、頑張ってお仕事を。

         白蓮@読み逃げ・押し逃げ・通りすがり名人 拝


2002年02月08日(金) 家族だから分かり合えるだなんて幻想だと思う。

えぇっと。毎度、馬鹿馬鹿しい話にお付き合いいただき
不肖、へなちょこ日記書き白蓮
ありがたくって座布団になんざ座ってる場合ぢゃござんせん。
↑ちょっと落語家さん風で。
今日も、1つ馬鹿馬鹿しい話にお付き合いしていただけると
感謝、感激、雨、アラレ、「うんざり麦チョコ」の嵐でございます。

なんて口上はこの辺にして。
↑こんなこと書いてるから長い日記になってしまうのですな。
かたじけない。タイトルから容易く想像できると思いますが
本日もまた、湿っぽい日記を更新させていただきます。


「家族だからこそ理解できる」
なんて言葉がありますは、あれは、いかがな物だろう?
……と私は常日頃から思っています。
少なくとも我が家の場合は「理解」できてません。マジで。

あれは私が3歳の時でございました。
母と2人で私が「乳児」だった頃のアルバムを見ていると
母の手でコメントが添えられている写真がございました。
ちなみに、コメントはこんな感じ↓

「つつましく、心豊かな女性になってほしい……」

まだ脳味噌が未発達だった当時の私には
「つつましい」という言葉の意味が理解できなくて
母に真意をたずねました。母は3歳児の私にも理解できるように
「つつましい」という言葉の意味を教えてくれたように思います。
そして3歳児の私は思ったのです。

私と、この女性は別の次元で生きているのだなぁ……と。

3歳児の私は、幼いながらも自覚していたのです。
私は、どう頑張ったって「つつましい女性」にはなれないってことを。
事実、こうやって自分のくだらない日記を公開しちゃったり
「宝塚変身写真館」に出掛けてコスプレをするというのは
「つつましい」とは言い難い行為だと思われます。

しかし、母も私が理解できないと苦しんだ事があったのだそうです。

それも、また、私が3歳児だった時のことです。
ある日、私は愛用の三輪車ごと、ドブに落ちてしまったのです。
汚いドブから私を救い出した母はどうしてドブに落ちたのかを
私にたずねました。
で。
私が母に返した返答は母の脳味噌では考えられないことだったそうです。

あのね。目を瞑って三輪車を漕いでみたの。
そしたら、どこか違う世界に行けるんぢゃないかと思ったの。
でね。気がついたら私、ドブに落っこっちゃってたの。

この時の記憶を、私は26年経った今でも鮮明に思い出すことができます。
未知への世界への期待と、不安に満ち溢れて
目を瞑って三輪車を漕いだ瞬間の、恍惚とした陶酔感も
ハッと気がついた時、ドブの中にいた自分の姿も
その時感じた、この世の果てを覗き見てしまったような
とてつもなく、こっぴどい絶望感を。

三輪車で異次元にトリップすることに失敗した3歳児の私は
突拍子もないことをするのは子供の特権だが
それも度が過ぎると世間から変な目で見られるようだ
……という自覚ができるまで
様々なチャレンジを繰り返し、その度に母を悩ませたのでした。
↑どれも、これもが馬鹿げたチャレンジではありましたが。

そんな、こんなで理解し合えない「母と娘」ではありましたが
今では凡庸な「乙女がちなオバチャン」と「世間並(?)のオナゴ」として
そこそこ穏やかな生活しています。
もちろん、今だって理解できているとは言い難いのですが。
これに「死んでしまった父」と「愚弟」が加わると
「まったく理解しあっていない家族」の一丁上がりです。

家族だから理解できるというのは幻想ではないかと私は思っています。
「幻想」とい言葉が適切でないなら「願望」とか「理想」
……というような言葉に置き換えてみてもいいかも知れません。

理解することはできていませんが、なんとか「歩み寄って」
狭いながらも「まぁ、それなりに楽しい我が家」という感じです。
もっとも「それなり」というあたりは微妙な言い回しですから
いつ「険悪」とか「最低」に変化したって不思議ではありません。

さてと。
なんとなくオチがついたところで今日の日記はこれにてオシマイ。
私、日記なんて書いている場合ぢゃないのです。
フィギュア・コレクション『松本零士の世界』についてくる
麦チョコを頑張って食べなければいけないのです。

麦チョコを頬張りつつ、今日の日記を読んでくださった方の3連休が
楽しくて、ラッキーで、有意義なものでありますように♪


2002年02月07日(木) 夢か現か幻か…魔がさした?それとも?

昨日「鬱陶しいティスティ」な日記を更新しちゃった訳ですが
今日はその釈明なんかを書いてみようと思ったりして。
えぇ。思いのたけをブチ撒ける
……という意味があったのも事実ですが
ひと言で説明してみるとするならば

「魔がさした」

……みたいな感じでしょうか?
いや、いや。ぢつは、これも違います。
私が今後も日記を書き続けていくのであれば
どこかの時点で「考え方の表明」みたいなことをした方が
気楽に書けるのではないかと思って、書いてみた次第なのでした。

ちなみに今の私は「自殺」なんて微塵も考えちゃいません。
↑だいたい昨日、散々「自殺を美化するな〜」って書いてますしね。

そうでなくても、今、私が「うっかり」死んぢゃったりしたら

生活力が激しく欠損した乙女な母と
指2本、切断しちゃって、現在療養中の愚弟と
自分が世界で1番可愛いと信じて疑わない12歳の駄犬と

この2人と1匹が、いきなり翌日から路頭に迷ってしまいますので。
まぁ。こうやって日記で愚痴などコボシながら
ボツボツやっていこうと思っている次第です。

たぶん、今後も……
「ご機嫌日記」だの「愚痴炸裂日記」だの「シリアス日記」だの
「読書日記」だの「人間ウォッチング日記」だの「トホホ日記」だの
「日記、書きてぇ」って情熱の続く限りは書いていくだろうと思います。
そして、今後も……
うっかり魔がさしてしまうことも多いだろうと思われます。
そんなこんな日記ではありますが
これからも遊びにきていただけると非常に嬉しいです。

今日の日記の内容には、まったく関係ありませんが
フルタ・フィギュアコレクション『松本零士の世界』
『キャプテン・ハーロック』と『アルカディア号』がまだ当たりません。
しばらく私は「麦チョコ」と正面から戦わねばならないようです。
あぁぁぁぁ。
「麦チョコ」はいらないからオマケだけ欲しい……

うだうだと、なんとなく、釈明(?)してみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


***************************

『エンピツ日記』をはじめて、まだ半年にも満たないのに
今日も「こっそり」読んでいた日記さんが閉鎖されしてまいました。
↑しかも有名どころだったので「My登録」はしてなかったりして。

つい先日も大好きな日記が休眠体制に入ってしまわれたし……
なんだか「さみしん坊モード」がたかまってしまいました。
ネットの繋がりは夢か、現か、幻のようで……
ちょっぴり泣けた夜だったのでした。


2002年02月06日(水) 自殺の美化に思うこと(クドイ話なので苦手な方は遠慮してください)

こんばんわ。白蓮です。
なんだか、キツイ感じのタイトルですね。私もそう思います。
しかも「ちょっと、どうよ?」ってタイトルですね。私もそう思います。
このテの話が苦手な方は読まないでね。ほんとに。
気分悪くなっちゃったりするといけないので。

*****「読んでもいいよ」って方はここから↓****

私が「エンピツ日記」で間借りしているジャンルは
苦悩とか悩み…といった「暗いめ」の日記の多いジャンルだったりして
リスト・カットだの、自殺志願だの
そ〜ゆ〜方がたくさん日記を書いておられるので
「自殺」というテーマについては、ちょっと書きにくいというか
気を使っちゃうところがあったりして……

ぢつを言うと私個人としては
「人の生き・死に」は個人の自由だと思っていますし
リスト・カットについても「それは・それ」だと思っていたりするので。
↑だいたい自分の事で手一杯なもので人のことまで考えてられないと言うか。
それよりなにより、思うのですよ。私。
辛い状況ぢゃなけりゃぁ〜そんな事、考えたりせぇへん〜ちゅ〜ねん!

なので……
誰かを批判したり、攻撃したりするつもりは、まったくありません。

……って言うか「そのテの日記」を書いている作者さんに
「嫌がらせ」らしきメールや掲示板への書き込みなどをしている人には
めっちゃ、ムカツク!!
……と、さえ思っていたりします(現実問題として多いみたいですね)
日記に表現できる部分なんて
その人の「切り取った部位」にしか過ぎないでしょうに。
文章だけで「人」が理解できりゃぁ〜
世の中に苦労なんて、ないっちゅ〜〜ねん…ってん感じです。
「あんた、その人のこと、どんだけ知ってるの? で、ところで何様?」
……なんて思って色々な日記を読ませていただいている次第です。

正直なところ、私は「自分が1番大切」な人間ですし
「できるだけ、やっかい事には係わりあいたくないな」
……なんて思っているので
今日のような日記は、あまり書きたくなかったのですが……

今日は、ちょっとだけ書かせてちょんまげm(_ _)m

なんだか「美しい自殺」とか「楽な自殺」とか
色々と研究したり、想像したり、妄想したりしておられる方が
とても多いように思われるのですが
私が実際に見た限りでは「自殺体」ってぇヤツは
はっきり言って汚いし、惨たらしいです。
「私は自殺した人のお葬式に参列したから。自殺体はよく知ってるし」
……ってことで、自殺を美化している人がいらっしゃったら
私は声を大にして言いたいのです。

葬式までに自殺体は綺麗に復元される場合が多いってことを。

私が見た自殺体は祖母の「首吊り自殺」でした。
しかも老人の自殺だったので、高いところに紐をかけるのではなくて
箪笥の取っ手に紐をかけての首吊りでした。
↑ご老人の自殺では、とてもよく使われる手法だそうです。
首吊り自殺、けっこう苦しいようですよ(某医師談)

祖母の死体は、そりゃぁ、もぅ……
惨たらしくて、汚くて、醜くて、異様でした。
縄をつけた首筋も「くっきり・はっきり」でしたしね。
顔色も変色していましたよ。めっちゃ醜く。
翌年、父が長く病んで逝きましたが
2つの死に顔は「月とスッポン」ほどに違っていました。
もちろん自殺した祖母の顔の方が「スッポン」です。

葬儀は「自殺」ということを伏せて行われましたし
それまでに「自殺体のメンテナンス」は済ませていましたから
何もしらずに参列している方は
「まぁ。まるで眠っているみたい……」
なんて、ことを、おっしゃってました。
↑現在の葬儀屋さんの技術ってスゴイですよ。マジで。
でも洞察力の鋭い方は気付いてらっしゃったみたいです。
いくらもメンテナンスしても、よく見りゃ分かっちゃうようで。

何度も繰り返しますが、自殺体って、めちゃめちゃ汚いです。

だいたいからして「死体」は「死体」ってだけて汚いものです。
そりゃぁ、当然でしょう。
生きているはずの物体が、そうでない物体に変化したのですから。
親しい知人の「死体に詳しいドクター」と
以前、そんなネタで話をしたことがあるのですが
死体に詳しいドクターは、こんなことを言っておられました。
「死体は汚い。自殺体はもっと汚い。できるなら見たくない」
↑世界に「絶対」という言葉は存在しないので、念のため
 ごくまれに「美しい自殺体」がある事を書き添えておきます。

ドクターは「すっごく楽ちんな死に方」を教えてくださったりしたのですが
↑その人は「俺が自殺するなら、これにする」って言っておられました。
でも、残念ながら素人には、ちょっと無理みたいです。
医学知識と、技術を総動員すれば「できなくもない」ことですが
普通に思いつく「自殺方法」であれば
「楽」だったり「綺麗」だったり……なんて事は幻想みたいです。

首吊りも、飛び降りも、手首きりも、飛び込みも、服毒も……

楽に、綺麗には死ねないみたいですよ。えぇ。
もがき苦しんだり、醜く、ぐちゃぐちゃになって死んだり
……まぁ、そんな感じみたいです。

私は身内に自殺者のいる人間なので
「自殺」なんて選択は嫌いですし
出来れば止めて欲しいと思っていますが
「自殺」を全面的に否定する気もありません。

どんな生き方、死に方を選んだとしても
それは、その人の道でしょう。

だけど「自殺」を美化するのだけは、いただけません。

人間、生まれてくる時だって母親の血にまみれて
母子ともに苦しみまくって「この世デビュー」するのですから
「あっち」の世界に行くのが楽な訳ないってのが真理だと思うです。
選ぶのは個人の自由だけど「覚悟」して逝ってよね。
……とか、お節介なことを思ってしまいます。

ごめんよ。今日はヘビー&陰気な日記です。
「ムカついた」って人がいらっしゃったら
「Myエンピツ」や「お気に入り」から消してくださっても
ぜんぜんOKですし、そりゃぁ「それは・それ」だと思ってます。

こんな「炸裂日記」を読んでくださった「あなた」
ごめんなさい&ありがとう……です。
気分悪くされた方には(って言うか、いい気分の人はいないよね)
心から、お詫び申し上げますm(_ _)m

では、心のままに書き綴ってみたところで
今日の日記はこれにてオシマイ。

**************************

誤解のないように付け加えておきますが
私「リスト・カット」については肯定も否定もしません。
だいたい、その経験のない人間が(この場合は私自信ですが)
「そんなのオカシイ」とか「頑張って立ち直って」
……と言うのは筋違いだと思っています。
そして、最近、多くなっている「ネットがらみの嫌がらせ」の類には
怒りを感じずにはいられません。
つい、さっきも「ネットがらみの嫌がらせ」を受けたというメールを戴き
さらに怒り心頭です(リスカがらみ日記の方ではありませんが)

そして自殺と、その美化について……
「自殺の美化」については賛成できないので
今日はそれについて思うことを書いてみました
「何、言ってんだ、こいつ ?美しい自殺もあるんだよ!」
……と思われる方もいらっしゃるかとは思いますが
「それは・それ」これは「あくまでも私の考え」なのです。


2002年02月05日(火) 羽根とスパンコールと私(変身願望とか)

今朝、私は「休日」だというのに、なんとなく憂鬱で陰気な気分だった。
原因は色々とあるのだけれど「陰気の虫」に憑かれてた
……という感じの、たいそう根の深い陰気さ加減だった。
起床して、PCを繋いでみたものの、このままでは
「1日コタツで昼寝してオシマイ」という1日を送ることは明白だった。

そうだ。とりあえず、外に出よう。

私は駅前の小さな書店で『関西ウォーカー』を購入して
目的地は雑誌まかせ…ということで都心向かう電車に飛び乗った。
しかし……
私が「観たい」と思う映画は、あつらえたように陰気な作品だったし
美術展はイマイチ良いものはなかったし
京都に「梅見」ということも考えたのだが
歴史の因習が色濃く残る町で1人梅見とは切ないというものだ。
どちらを選んでも「陰気の虫」を増長させることはあったとしても
撃退するのには役不足である。
……そこで私は考えた。

そうだ。宝塚へ行こう!!

昨年、宝塚の「宝塚変身写真館」でドレスアップして写真を撮った
その瞬間に味わった「いい気分♪」の記憶が私の頭の中を駆け巡った。
「乙女」のパラダイス、宝塚……
あの場所は奇妙なエネルギーに溢れているので
ちょっと、エネルギー下降気味の私には持ってこいの場所!!
まさに「神の啓示」とも思えるナイス・アイデア!
大阪だが「限りなく奈良に近い」場所に住んでいる私は
ほとんど「小旅行」とも言える場所……
兵庫県、宝塚市、乙女のパラダイスへ向かった。

「宝塚変身写真館」を訪れるのは2度目とは言うものの
↑「宝塚変身写真館」とは宝塚歌劇で上演した作品のコスチュームをきて
  プロのカメラマンが写真をとってくれる…という奇異な写真館である。
そんな場所1人で行く場所ぢゃないよなぁ〜などと思いつつ
↑昨年は友人と2人で出向いたのだ。
それでも、29歳の「おなご」は恥らいというものが減少しつつあるらしく
まったく平気で写真館の門をくぐったのだ。

ちなみに私が着たコスチュームは……
『珈琲カルナバス』のヒロインの真紅のセクシードレスと
『うたかたの恋』のヒロインの貴族的な趣のある純白のドレス
……の2着だった。
「馬子にも衣装」とは、まったくもって、その通りで
私は自分のコスプレ姿に非常に満足した。

写真館を出る際、写真館のスタッフから
「3時の公演(もちろん宝塚歌劇)をご覧になるのですね?」
……と不意に問われて、お調子者の私は」チケットも持っていないのに
「えぇ。もちろん♪」と「うっかり」答えてしまった。

宝塚という場所はチケットを持っていなくて会場に行っても
チケットが余ってる人がいて、ゆずってもらえる事が多いんだよ〜〜

なんて話を「宝塚ファンキー」の知人から聞いたのを思い出した私は
とりあえず宝塚大劇場へ足を運んでみたりした。
流石は「宝塚ファンキー」の情報である。
私はチケットが余っているという妙齢のご夫人から
いとも容易くチケットを入手することができた。

そんなこんなで、私は5年ぶりくらいご無沙汰していた
宝塚の「生・舞台」を観ることになってしまった。
朝の10時には、そんなことになるなんて思ってもいなかったのに
まったくもって、人生は不思議に満ちている。

久しぶりの「生・宝塚」は「それなりの・これ」った感じだった。
私は熱心な宝塚ファンではないので(しかしドレスは好きなのだ)
華やかなスパンコールだの
ラストでトップさんが背負ってくる「でっかい羽根」だの
それらを観られただけで充分過ぎるほどに満足だった。
異世界へのトリップ……
それが宝塚歌劇の持つ最大の魅力だと私は思っている。

帰り際に取りに行った「変身写真」はムフフな出来栄えだった。
不貞腐れモードで始まった休日ではあったが
思えば素晴らしい1日だったように思う。

休日の覚え書を記したところで
今日の日記は、これにてオシマイ!

*****************************

昨年『宝塚変身写真館』で写真を撮ったよ〜〜
……と友人、知人に話をしたところ
「何、着たの? オスカル? アンドレ? それとも黒のタキシード?」
10名中、9名は私が「男役」の扮装をしたと思っていらしい。
身長が143cmの男役がいるとしたら??
あぁぁぁぁ。私はドレスが好きなのに〜
どうやら私は友人、知人から「おっさん」と思われいるようだ(笑)


2002年02月04日(月) 愛しむように。

私は毎日かかさず、何がしかの「本」を読むタイプの人間で
しかも無類の本好きなのですが
このところ、どうも「本のアタリ」がイマイチです。
「あぁ。良かったぁ」と心に染み入るような本や
「この本と出会えて幸せだよ」と思う回数が激減しています。

理由は分かっているのですけれどね。ええ。

「忙しさ」にまかせて、巷の書評で好評を得ている本や
「今月のオススメ」のような形で書店で平積みになっている本や
「100円だから、まぁ、いいか」という気持ちで古書店で買った本や
そんな、いいかげんな気持ちでもって本を選ぶことが多いので
だから「本のアタリ」がイマイチなのです。

♪ 我が家は貧乏〜〜 生活は辛抱〜〜 ♪

なんてことを日記にも、よく書いていますし
実際のところ「お金持ち」とは言い難い暮らしっぷりなのですが
私も社会人のはしくれなので、文庫本の新刊本の1冊や2冊や3冊……
とにかく、本を買うくらいの「おこづかい」は確保できている訳です。

学生で親から「おこづかい」をもらっていた頃は
自分の自由にできる金額なんて、たかだか知れていましたから
本や漫画を買おうと思っても、今とは違って真剣勝負でした。
図書館で借りたりもしていまいたが「どうしても欲しい本」となると
やはり自分の手元に置いていたいというのが人情というもので
今の私には、とても真似のできない「情熱」や「愛情」でもって
1冊の本を選び、そして愛おしむように読んでいたように思います。

これは、なにも「本」に限ったことではないのですが
「愛だね。愛」
……という、あの言葉は的を得ているなぁ〜と思うのです。
働いて、自分の力でお金を得るようになってから
物質的なこと、精神的なこと……
とにかく、たくさんの物を手に入れてきましたが
失ってしまった物もあるのだなぁ〜と思わずにはいられません。

いくら心を入れ替えて……と思ってみたところで
やっとの思いで新刊本を手に入れた時の
恍惚としたドキドキ感は…あの頃の感情は戻ってこないのです。

だからって「お金を稼ぐのは不幸である」という訳でもないのです。
たとえば……
大人達(特に男性陣)の間に一大ブレイクを巻き起こした
『チョコ・エッグ』のまとめ買いや
これから私が挑もうとしている『松本零士の世界』のいっき買いも
大人ならではの「お楽しみ」という感じですから。
↑自由になるお金がなければ、こういうバカな真似はできません。

もっと本に……本に限らず、全てのものに対して
「愛しむ」気持ちでもって関わっていきたいなぁ〜〜
などと思うのですが、これまた理想論なんですよね。えぇ。

「おざなり」「てきとう」「なすがまま」「流れゆくまま」

ついつい、そうなって、しまいがちです。私の場合。
失うものとか、掴むものとか……
色々ある訳でございますな。はい(江戸の噺家さん風で)
この休日は「愛しむようにして本を選んで、買おう」
……などと誓いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。

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今日の日記とは関係ないのだけれど
海老一染太郎さんが、お亡くなりになったのですね。
70歳というお歳を考えると自然の成り行きなのでしょうけれど
大好きな芸人さんだったので残念でなりません。
ある種「癒し系」の芸人さんだったような気がします。

ささやかな幸せの種を日本中に撒き散らして逝ってしまったあの方の
心からご冥福をお祈りしつつ。


2002年02月03日(日) 雪ではなくて雨が降り

昨日から今日にかけて大阪の天気予報は「雪」だった。

雪国に住む方にとっては「雪かき」や「雪降ろし」など
なかなか厄介な仕事が多いようなのだけれど
雪なんて、滅多に見られない地域で暮らしている人間にとって
「雪」ってヤツは恋焦がれずにはいられない対象なのである。

寒さは苦手だが、雪は見るのも触るのも大好きだ。
雪景色……などと贅沢は言わないけれど
せめてこの手で、ちょこっとだけでも雪に触れてみたかった。

それなのに……

降ってきたのは「雨」だった。
雪が降れば寒さだって、平気なのだが
冷たい雨はいただけない。

1人で盛り上がって、1人でがっかりした。

しかも「昨日」と「今日」は土曜、日曜で
世間的には休日なのに、私は出勤日という
1週間のうちで、もっとも切ない2日間だったのだ。

大阪と奈良を隔てる山並みは、薄っすらと雪景色だったが
私は、ただ通勤電車の中で遠くの山並みを垣間見ただけだった。
この手で触れることのできない雪は
私が待ち望んでいた「雪」ではなくて、単なる「風景」な過ぎなかった。

残業帰りの電車の中で、誰もいない車両に
暖房があまり効いていない薄ら寒いシートに
1人、ポツンと座っていると
誰でもいいから自分以外の人間に逢いたいと思った。
それは凶暴な「欲望」でもあり「飢え」でもあった。

仕事帰りに、コンビニに寄って
フルタ製菓のフィギュアシリーズ『松本零士の世界』を買おう
……と、ひそかに決心していたのに
なんとなく、そんな気にもなれなくて、真っ直ぐ家へ帰った。
帰る場所があるということは、非常にありがたいことなのだけれど
そんな事では埋めつくされないような
どことなく空虚で満たされない……そんな夜だった。

雪ではなくて雨が降る……

思い通りにいかないことなんて山ほどあるのに
それっぽっちの小さなことで、酷く、がっかりしてしまった
そんなチンケな夜だった。

もしも……
もしも、今年中に雪が降ったら……
もしも、この手で雪に触れることができたら……

「雪だるま」と「雪ウサギ」を作って冷凍庫に保管してやるぜ♪

訳もなく、そんなことを思いながら
「雪ではなくて雨が降った」という事実は
どこか日々の暮らしに似ているなぁ……などと思いつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年02月02日(土) 銀河を駆け抜けた旅人達に……

今日はなにやら浪漫ちっくなタイトルを付けちまいましたが
ちっとも、そんな話題ではなくて「オタク的」なネタでござりまする。
「興味ないし〜」って方もおられるかも知れませんが
そうだったとしたら、野良犬に噛まれたと思って諦めてくださいまし。
「それは・それ。これは・これ」って事でお付き合いいただけると嬉しいです。
↑このセリフ、ほとんど口癖になっておりまする。

私は自他共に認める「オタク人間」なのですが
最近は日々の生活に追われて「オタク的活動」もすっかり停滞していて
アニメも観なければ、漫画もほとんど読んでいませんし
あんなに大好きだったゲームだって、ほとんど手を付けていません。
しかしながらオタク魂はいまだ健在なので
たま〜〜にオタク魂がウズいてたまらない事があります。

今、私の心を捉えて離さないのは
フルタ製菓から発売されているフィギュアコレクションの第3弾。
『松本零士の世界』だったりします。
松本零士とは、かつてオタク達のハートを鷲掴みにした名作
『銀河鉄道999』『キャプテン・ハーロック』『宇宙戦艦ヤマト』
などの産みの親にあたる人で、私の大好きな漫画家さんです。

私がフルタ製菓のフィギュアコレクションにハマったのは初めてだはなくて
以前に発売した『永井豪の世界』を全種類揃えてしまった過去があるのですが
なにしろ、我が家は収納スペースが少ない上に
フィギュア人形は、どう好意的に考えてもみたところで
「今後の人生において、たいして役には立たないだろうもの」なので
『永井豪の世界』で打ち止めにしよう……と思っていたのです。

が。

店頭に並べられたフィギュア人形を見てしまった私はオタク魂は
もう、どうしようもないほど燃え上がってしまったのです。

長い髪をなびかせた柳腰の見目麗しい女性キャラクターや
「できることなら乗船したい」と思いを馳せた宇宙戦艦や
「男の中の男だねぇ」と惚れちまった男性キャラクターや
物語の核となるべき「重要アイテム」が
そりゃぁ、もぅ素晴らしい出来生えで再現されているではありませんか。

ちなみに、全種類揃えた『永井豪の世界』は箱に入れて
サランラップで梱包した上、大切に保管してあります。
……しかし、保管しているだけで、何かに使う訳ではありませんから
それは単なる自己満足の世界なのです。
遠い将来、そいつらを売っぱらう事もないでしょうし
ただ、そこに「ある」という存在のみが重要なのであって
そいつらは、まったく生活の役に立ちそうにもありません。

分かっちゃいるのですよ。えぇ。
収納スペースがあるならまだしも、狭い家にフィギュア人形なんてものは
無用の長物だってことくらい。
だけど……分かっちゃいるけど……
漫画の中で、そしてアニメの中で
凛とした瞳でもって、敢然と、ただひたむきに
銀河を駆け抜けた彼らの熱い想いが私を呼ぶのです。

今のところは店頭で「見てるだけ」の姿勢を守っていますが
このまま確固たる意志を貫き通せるかどうかについては
ちょっと自信がありません。
もしかすると明日にでも買ってしまうかも知れません。
万が一『松本零士の世界』を揃えちゃったりしたら
喜びの日記なんかを書いちゃうかも知れません。

どこまで我慢できるかどうかが勝負の分かれ道って感じです。
明日も我慢できることを祈りつつ、でも負けそうと思いつつ
今日の日記は、これにいオシマイ。


2002年02月01日(金) 平気なふりしてラ・ラ・ラ♪

現実世界を見渡しても、ネットの世界を見渡しても
「みんな、うまいことやってるなぁ〜」と思うことが多い。
↑これは、あくまでも良い意味で。
「隣の芝」が青く見えたり「友」が、みな我より偉く見えたりして
「ぢっと手を見る」あの心境である。

自分以外のものを「羨ましく」思ってしまうのは向上心にも繋がるけれど
度が過ぎると「ヒガミ根性」というものに変化する訳で
なかなか、やっかいな種類の感情だと思う。

こうやって、日記を書いているおかげで
ネットでは顔見知り、あるいは全く未知の方から
メールを戴くことがあるのだけれど、ちょっと吃驚することが多い。
自分の目からみると「日々、快適に暮らしている」ように見える方が
ぢつは、すっごく大きな荷物を抱えておられたりするのだ。
そんな方からメールを戴くと「大人だよなぁ」と思わずにはいられない。

私のように日記で「愚痴」っぽいことを書いておられる方だって
現実世界の方では「真面目でいい人」だったりするんだろうなぁ
……などと、そんな事も思ってみたりする。

平気なふりしてる人も、平気ぢゃなかったりするんだよね。

「隣の芝」は、それほど青くもなったりして
青く見えるのは、すっげぇ努力と手間暇の賜物だったりして
「友」は偉く見えるけれど、偉く見えたからってそれほどイイ事もなくて
実際は偉く見えなくてもいいし〜なんてジタバタ困ってたりて
それでも、たくさんの人が平気なふりして
♪ラ・ラ・ラ〜〜なんて歌を口ずさみながら歩いたりする訳で。

それぞれの持ち歌って平均すると1人何曲くらいなんだろうか?

……などと、つい、つまらない事を考えてみたりする。
平気なふりして歌っている人が、これまたコーラスではなく
「独唱」だったりすると、なんか泣けてきたりなんかする。
今、なんだか流行っちゃってる「ハモネプ」ぢゃないけど
「あのぅ。私で良かったらヴォイス・パーカッションやりますが?」
なんてこと、口走ってしまいたくなったりする。

うむむむ。今日はいつにも増して自分でも訳わかんない文章だ。
要約すると、日々、色々なことを思いつつ細々と綴っている
……みたいな感じだろう。たぶん。

ほとんど「力技」でもって強引にオチをつけたところで
今日の日記はこれにてオシマイ。


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