こんばんわ。白蓮です。
なんだか、キツイ感じのタイトルですね。私もそう思います。
しかも「ちょっと、どうよ?」ってタイトルですね。私もそう思います。
このテの話が苦手な方は読まないでね。ほんとに。
気分悪くなっちゃったりするといけないので。
*****「読んでもいいよ」って方はここから↓****
私が「エンピツ日記」で間借りしているジャンルは
苦悩とか悩み…といった「暗いめ」の日記の多いジャンルだったりして
リスト・カットだの、自殺志願だの
そ〜ゆ〜方がたくさん日記を書いておられるので
「自殺」というテーマについては、ちょっと書きにくいというか
気を使っちゃうところがあったりして……
ぢつを言うと私個人としては
「人の生き・死に」は個人の自由だと思っていますし
リスト・カットについても「それは・それ」だと思っていたりするので。
↑だいたい自分の事で手一杯なもので人のことまで考えてられないと言うか。
それよりなにより、思うのですよ。私。
辛い状況ぢゃなけりゃぁ〜そんな事、考えたりせぇへん〜ちゅ〜ねん!
なので……
誰かを批判したり、攻撃したりするつもりは、まったくありません。
……って言うか「そのテの日記」を書いている作者さんに
「嫌がらせ」らしきメールや掲示板への書き込みなどをしている人には
めっちゃ、ムカツク!!
……と、さえ思っていたりします(現実問題として多いみたいですね)
日記に表現できる部分なんて
その人の「切り取った部位」にしか過ぎないでしょうに。
文章だけで「人」が理解できりゃぁ〜
世の中に苦労なんて、ないっちゅ〜〜ねん…ってん感じです。
「あんた、その人のこと、どんだけ知ってるの? で、ところで何様?」
……なんて思って色々な日記を読ませていただいている次第です。
正直なところ、私は「自分が1番大切」な人間ですし
「できるだけ、やっかい事には係わりあいたくないな」
……なんて思っているので
今日のような日記は、あまり書きたくなかったのですが……
今日は、ちょっとだけ書かせてちょんまげm(_ _)m
なんだか「美しい自殺」とか「楽な自殺」とか
色々と研究したり、想像したり、妄想したりしておられる方が
とても多いように思われるのですが
私が実際に見た限りでは「自殺体」ってぇヤツは
はっきり言って汚いし、惨たらしいです。
「私は自殺した人のお葬式に参列したから。自殺体はよく知ってるし」
……ってことで、自殺を美化している人がいらっしゃったら
私は声を大にして言いたいのです。
葬式までに自殺体は綺麗に復元される場合が多いってことを。
私が見た自殺体は祖母の「首吊り自殺」でした。
しかも老人の自殺だったので、高いところに紐をかけるのではなくて
箪笥の取っ手に紐をかけての首吊りでした。
↑ご老人の自殺では、とてもよく使われる手法だそうです。
首吊り自殺、けっこう苦しいようですよ(某医師談)
祖母の死体は、そりゃぁ、もぅ……
惨たらしくて、汚くて、醜くて、異様でした。
縄をつけた首筋も「くっきり・はっきり」でしたしね。
顔色も変色していましたよ。めっちゃ醜く。
翌年、父が長く病んで逝きましたが
2つの死に顔は「月とスッポン」ほどに違っていました。
もちろん自殺した祖母の顔の方が「スッポン」です。
葬儀は「自殺」ということを伏せて行われましたし
それまでに「自殺体のメンテナンス」は済ませていましたから
何もしらずに参列している方は
「まぁ。まるで眠っているみたい……」
なんて、ことを、おっしゃってました。
↑現在の葬儀屋さんの技術ってスゴイですよ。マジで。
でも洞察力の鋭い方は気付いてらっしゃったみたいです。
いくらもメンテナンスしても、よく見りゃ分かっちゃうようで。
何度も繰り返しますが、自殺体って、めちゃめちゃ汚いです。
だいたいからして「死体」は「死体」ってだけて汚いものです。
そりゃぁ、当然でしょう。
生きているはずの物体が、そうでない物体に変化したのですから。
親しい知人の「死体に詳しいドクター」と
以前、そんなネタで話をしたことがあるのですが
死体に詳しいドクターは、こんなことを言っておられました。
「死体は汚い。自殺体はもっと汚い。できるなら見たくない」
↑世界に「絶対」という言葉は存在しないので、念のため
ごくまれに「美しい自殺体」がある事を書き添えておきます。
ドクターは「すっごく楽ちんな死に方」を教えてくださったりしたのですが
↑その人は「俺が自殺するなら、これにする」って言っておられました。
でも、残念ながら素人には、ちょっと無理みたいです。
医学知識と、技術を総動員すれば「できなくもない」ことですが
普通に思いつく「自殺方法」であれば
「楽」だったり「綺麗」だったり……なんて事は幻想みたいです。
首吊りも、飛び降りも、手首きりも、飛び込みも、服毒も……
楽に、綺麗には死ねないみたいですよ。えぇ。
もがき苦しんだり、醜く、ぐちゃぐちゃになって死んだり
……まぁ、そんな感じみたいです。
私は身内に自殺者のいる人間なので
「自殺」なんて選択は嫌いですし
出来れば止めて欲しいと思っていますが
「自殺」を全面的に否定する気もありません。
どんな生き方、死に方を選んだとしても
それは、その人の道でしょう。
だけど「自殺」を美化するのだけは、いただけません。
人間、生まれてくる時だって母親の血にまみれて
母子ともに苦しみまくって「この世デビュー」するのですから
「あっち」の世界に行くのが楽な訳ないってのが真理だと思うです。
選ぶのは個人の自由だけど「覚悟」して逝ってよね。
……とか、お節介なことを思ってしまいます。
ごめんよ。今日はヘビー&陰気な日記です。
「ムカついた」って人がいらっしゃったら
「Myエンピツ」や「お気に入り」から消してくださっても
ぜんぜんOKですし、そりゃぁ「それは・それ」だと思ってます。
こんな「炸裂日記」を読んでくださった「あなた」
ごめんなさい&ありがとう……です。
気分悪くされた方には(って言うか、いい気分の人はいないよね)
心から、お詫び申し上げますm(_ _)m
では、心のままに書き綴ってみたところで
今日の日記はこれにてオシマイ。
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誤解のないように付け加えておきますが
私「リスト・カット」については肯定も否定もしません。
だいたい、その経験のない人間が(この場合は私自信ですが)
「そんなのオカシイ」とか「頑張って立ち直って」
……と言うのは筋違いだと思っています。
そして、最近、多くなっている「ネットがらみの嫌がらせ」の類には
怒りを感じずにはいられません。
つい、さっきも「ネットがらみの嫌がらせ」を受けたというメールを戴き
さらに怒り心頭です(リスカがらみ日記の方ではありませんが)
そして自殺と、その美化について……
「自殺の美化」については賛成できないので
今日はそれについて思うことを書いてみました
「何、言ってんだ、こいつ ?美しい自殺もあるんだよ!」
……と思われる方もいらっしゃるかとは思いますが
「それは・それ」これは「あくまでも私の考え」なのです。
2002年02月05日(火) |
羽根とスパンコールと私(変身願望とか) |
今朝、私は「休日」だというのに、なんとなく憂鬱で陰気な気分だった。
原因は色々とあるのだけれど「陰気の虫」に憑かれてた
……という感じの、たいそう根の深い陰気さ加減だった。
起床して、PCを繋いでみたものの、このままでは
「1日コタツで昼寝してオシマイ」という1日を送ることは明白だった。
そうだ。とりあえず、外に出よう。
私は駅前の小さな書店で『関西ウォーカー』を購入して
目的地は雑誌まかせ…ということで都心向かう電車に飛び乗った。
しかし……
私が「観たい」と思う映画は、あつらえたように陰気な作品だったし
美術展はイマイチ良いものはなかったし
京都に「梅見」ということも考えたのだが
歴史の因習が色濃く残る町で1人梅見とは切ないというものだ。
どちらを選んでも「陰気の虫」を増長させることはあったとしても
撃退するのには役不足である。
……そこで私は考えた。
そうだ。宝塚へ行こう!!
昨年、宝塚の「宝塚変身写真館」でドレスアップして写真を撮った
その瞬間に味わった「いい気分♪」の記憶が私の頭の中を駆け巡った。
「乙女」のパラダイス、宝塚……
あの場所は奇妙なエネルギーに溢れているので
ちょっと、エネルギー下降気味の私には持ってこいの場所!!
まさに「神の啓示」とも思えるナイス・アイデア!
大阪だが「限りなく奈良に近い」場所に住んでいる私は
ほとんど「小旅行」とも言える場所……
兵庫県、宝塚市、乙女のパラダイスへ向かった。
「宝塚変身写真館」を訪れるのは2度目とは言うものの
↑「宝塚変身写真館」とは宝塚歌劇で上演した作品のコスチュームをきて
プロのカメラマンが写真をとってくれる…という奇異な写真館である。
そんな場所1人で行く場所ぢゃないよなぁ〜などと思いつつ
↑昨年は友人と2人で出向いたのだ。
それでも、29歳の「おなご」は恥らいというものが減少しつつあるらしく
まったく平気で写真館の門をくぐったのだ。
ちなみに私が着たコスチュームは……
『珈琲カルナバス』のヒロインの真紅のセクシードレスと
『うたかたの恋』のヒロインの貴族的な趣のある純白のドレス
……の2着だった。
「馬子にも衣装」とは、まったくもって、その通りで
私は自分のコスプレ姿に非常に満足した。
写真館を出る際、写真館のスタッフから
「3時の公演(もちろん宝塚歌劇)をご覧になるのですね?」
……と不意に問われて、お調子者の私は」チケットも持っていないのに
「えぇ。もちろん♪」と「うっかり」答えてしまった。
宝塚という場所はチケットを持っていなくて会場に行っても
チケットが余ってる人がいて、ゆずってもらえる事が多いんだよ〜〜
なんて話を「宝塚ファンキー」の知人から聞いたのを思い出した私は
とりあえず宝塚大劇場へ足を運んでみたりした。
流石は「宝塚ファンキー」の情報である。
私はチケットが余っているという妙齢のご夫人から
いとも容易くチケットを入手することができた。
そんなこんなで、私は5年ぶりくらいご無沙汰していた
宝塚の「生・舞台」を観ることになってしまった。
朝の10時には、そんなことになるなんて思ってもいなかったのに
まったくもって、人生は不思議に満ちている。
久しぶりの「生・宝塚」は「それなりの・これ」った感じだった。
私は熱心な宝塚ファンではないので(しかしドレスは好きなのだ)
華やかなスパンコールだの
ラストでトップさんが背負ってくる「でっかい羽根」だの
それらを観られただけで充分過ぎるほどに満足だった。
異世界へのトリップ……
それが宝塚歌劇の持つ最大の魅力だと私は思っている。
帰り際に取りに行った「変身写真」はムフフな出来栄えだった。
不貞腐れモードで始まった休日ではあったが
思えば素晴らしい1日だったように思う。
休日の覚え書を記したところで
今日の日記は、これにてオシマイ!
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昨年『宝塚変身写真館』で写真を撮ったよ〜〜
……と友人、知人に話をしたところ
「何、着たの? オスカル? アンドレ? それとも黒のタキシード?」
10名中、9名は私が「男役」の扮装をしたと思っていらしい。
身長が143cmの男役がいるとしたら??
あぁぁぁぁ。私はドレスが好きなのに〜
どうやら私は友人、知人から「おっさん」と思われいるようだ(笑)
私は毎日かかさず、何がしかの「本」を読むタイプの人間で
しかも無類の本好きなのですが
このところ、どうも「本のアタリ」がイマイチです。
「あぁ。良かったぁ」と心に染み入るような本や
「この本と出会えて幸せだよ」と思う回数が激減しています。
理由は分かっているのですけれどね。ええ。
「忙しさ」にまかせて、巷の書評で好評を得ている本や
「今月のオススメ」のような形で書店で平積みになっている本や
「100円だから、まぁ、いいか」という気持ちで古書店で買った本や
そんな、いいかげんな気持ちでもって本を選ぶことが多いので
だから「本のアタリ」がイマイチなのです。
♪ 我が家は貧乏〜〜 生活は辛抱〜〜 ♪
なんてことを日記にも、よく書いていますし
実際のところ「お金持ち」とは言い難い暮らしっぷりなのですが
私も社会人のはしくれなので、文庫本の新刊本の1冊や2冊や3冊……
とにかく、本を買うくらいの「おこづかい」は確保できている訳です。
学生で親から「おこづかい」をもらっていた頃は
自分の自由にできる金額なんて、たかだか知れていましたから
本や漫画を買おうと思っても、今とは違って真剣勝負でした。
図書館で借りたりもしていまいたが「どうしても欲しい本」となると
やはり自分の手元に置いていたいというのが人情というもので
今の私には、とても真似のできない「情熱」や「愛情」でもって
1冊の本を選び、そして愛おしむように読んでいたように思います。
これは、なにも「本」に限ったことではないのですが
「愛だね。愛」
……という、あの言葉は的を得ているなぁ〜と思うのです。
働いて、自分の力でお金を得るようになってから
物質的なこと、精神的なこと……
とにかく、たくさんの物を手に入れてきましたが
失ってしまった物もあるのだなぁ〜と思わずにはいられません。
いくら心を入れ替えて……と思ってみたところで
やっとの思いで新刊本を手に入れた時の
恍惚としたドキドキ感は…あの頃の感情は戻ってこないのです。
だからって「お金を稼ぐのは不幸である」という訳でもないのです。
たとえば……
大人達(特に男性陣)の間に一大ブレイクを巻き起こした
『チョコ・エッグ』のまとめ買いや
これから私が挑もうとしている『松本零士の世界』のいっき買いも
大人ならではの「お楽しみ」という感じですから。
↑自由になるお金がなければ、こういうバカな真似はできません。
もっと本に……本に限らず、全てのものに対して
「愛しむ」気持ちでもって関わっていきたいなぁ〜〜
などと思うのですが、これまた理想論なんですよね。えぇ。
「おざなり」「てきとう」「なすがまま」「流れゆくまま」
ついつい、そうなって、しまいがちです。私の場合。
失うものとか、掴むものとか……
色々ある訳でございますな。はい(江戸の噺家さん風で)
この休日は「愛しむようにして本を選んで、買おう」
……などと誓いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
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今日の日記とは関係ないのだけれど
海老一染太郎さんが、お亡くなりになったのですね。
70歳というお歳を考えると自然の成り行きなのでしょうけれど
大好きな芸人さんだったので残念でなりません。
ある種「癒し系」の芸人さんだったような気がします。
ささやかな幸せの種を日本中に撒き散らして逝ってしまったあの方の
心からご冥福をお祈りしつつ。
2002年02月03日(日) |
雪ではなくて雨が降り |
昨日から今日にかけて大阪の天気予報は「雪」だった。
雪国に住む方にとっては「雪かき」や「雪降ろし」など
なかなか厄介な仕事が多いようなのだけれど
雪なんて、滅多に見られない地域で暮らしている人間にとって
「雪」ってヤツは恋焦がれずにはいられない対象なのである。
寒さは苦手だが、雪は見るのも触るのも大好きだ。
雪景色……などと贅沢は言わないけれど
せめてこの手で、ちょこっとだけでも雪に触れてみたかった。
それなのに……
降ってきたのは「雨」だった。
雪が降れば寒さだって、平気なのだが
冷たい雨はいただけない。
1人で盛り上がって、1人でがっかりした。
しかも「昨日」と「今日」は土曜、日曜で
世間的には休日なのに、私は出勤日という
1週間のうちで、もっとも切ない2日間だったのだ。
大阪と奈良を隔てる山並みは、薄っすらと雪景色だったが
私は、ただ通勤電車の中で遠くの山並みを垣間見ただけだった。
この手で触れることのできない雪は
私が待ち望んでいた「雪」ではなくて、単なる「風景」な過ぎなかった。
残業帰りの電車の中で、誰もいない車両に
暖房があまり効いていない薄ら寒いシートに
1人、ポツンと座っていると
誰でもいいから自分以外の人間に逢いたいと思った。
それは凶暴な「欲望」でもあり「飢え」でもあった。
仕事帰りに、コンビニに寄って
フルタ製菓のフィギュアシリーズ『松本零士の世界』を買おう
……と、ひそかに決心していたのに
なんとなく、そんな気にもなれなくて、真っ直ぐ家へ帰った。
帰る場所があるということは、非常にありがたいことなのだけれど
そんな事では埋めつくされないような
どことなく空虚で満たされない……そんな夜だった。
雪ではなくて雨が降る……
思い通りにいかないことなんて山ほどあるのに
それっぽっちの小さなことで、酷く、がっかりしてしまった
そんなチンケな夜だった。
もしも……
もしも、今年中に雪が降ったら……
もしも、この手で雪に触れることができたら……
「雪だるま」と「雪ウサギ」を作って冷凍庫に保管してやるぜ♪
訳もなく、そんなことを思いながら
「雪ではなくて雨が降った」という事実は
どこか日々の暮らしに似ているなぁ……などと思いつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。
2002年02月02日(土) |
銀河を駆け抜けた旅人達に…… |
今日はなにやら浪漫ちっくなタイトルを付けちまいましたが
ちっとも、そんな話題ではなくて「オタク的」なネタでござりまする。
「興味ないし〜」って方もおられるかも知れませんが
そうだったとしたら、野良犬に噛まれたと思って諦めてくださいまし。
「それは・それ。これは・これ」って事でお付き合いいただけると嬉しいです。
↑このセリフ、ほとんど口癖になっておりまする。
私は自他共に認める「オタク人間」なのですが
最近は日々の生活に追われて「オタク的活動」もすっかり停滞していて
アニメも観なければ、漫画もほとんど読んでいませんし
あんなに大好きだったゲームだって、ほとんど手を付けていません。
しかしながらオタク魂はいまだ健在なので
たま〜〜にオタク魂がウズいてたまらない事があります。
今、私の心を捉えて離さないのは
フルタ製菓から発売されているフィギュアコレクションの第3弾。
『松本零士の世界』だったりします。
松本零士とは、かつてオタク達のハートを鷲掴みにした名作
『銀河鉄道999』『キャプテン・ハーロック』『宇宙戦艦ヤマト』
などの産みの親にあたる人で、私の大好きな漫画家さんです。
私がフルタ製菓のフィギュアコレクションにハマったのは初めてだはなくて
以前に発売した『永井豪の世界』を全種類揃えてしまった過去があるのですが
なにしろ、我が家は収納スペースが少ない上に
フィギュア人形は、どう好意的に考えてもみたところで
「今後の人生において、たいして役には立たないだろうもの」なので
『永井豪の世界』で打ち止めにしよう……と思っていたのです。
が。
店頭に並べられたフィギュア人形を見てしまった私はオタク魂は
もう、どうしようもないほど燃え上がってしまったのです。
長い髪をなびかせた柳腰の見目麗しい女性キャラクターや
「できることなら乗船したい」と思いを馳せた宇宙戦艦や
「男の中の男だねぇ」と惚れちまった男性キャラクターや
物語の核となるべき「重要アイテム」が
そりゃぁ、もぅ素晴らしい出来生えで再現されているではありませんか。
ちなみに、全種類揃えた『永井豪の世界』は箱に入れて
サランラップで梱包した上、大切に保管してあります。
……しかし、保管しているだけで、何かに使う訳ではありませんから
それは単なる自己満足の世界なのです。
遠い将来、そいつらを売っぱらう事もないでしょうし
ただ、そこに「ある」という存在のみが重要なのであって
そいつらは、まったく生活の役に立ちそうにもありません。
分かっちゃいるのですよ。えぇ。
収納スペースがあるならまだしも、狭い家にフィギュア人形なんてものは
無用の長物だってことくらい。
だけど……分かっちゃいるけど……
漫画の中で、そしてアニメの中で
凛とした瞳でもって、敢然と、ただひたむきに
銀河を駆け抜けた彼らの熱い想いが私を呼ぶのです。
今のところは店頭で「見てるだけ」の姿勢を守っていますが
このまま確固たる意志を貫き通せるかどうかについては
ちょっと自信がありません。
もしかすると明日にでも買ってしまうかも知れません。
万が一『松本零士の世界』を揃えちゃったりしたら
喜びの日記なんかを書いちゃうかも知れません。
どこまで我慢できるかどうかが勝負の分かれ道って感じです。
明日も我慢できることを祈りつつ、でも負けそうと思いつつ
今日の日記は、これにいオシマイ。
2002年02月01日(金) |
平気なふりしてラ・ラ・ラ♪ |
現実世界を見渡しても、ネットの世界を見渡しても
「みんな、うまいことやってるなぁ〜」と思うことが多い。
↑これは、あくまでも良い意味で。
「隣の芝」が青く見えたり「友」が、みな我より偉く見えたりして
「ぢっと手を見る」あの心境である。
自分以外のものを「羨ましく」思ってしまうのは向上心にも繋がるけれど
度が過ぎると「ヒガミ根性」というものに変化する訳で
なかなか、やっかいな種類の感情だと思う。
こうやって、日記を書いているおかげで
ネットでは顔見知り、あるいは全く未知の方から
メールを戴くことがあるのだけれど、ちょっと吃驚することが多い。
自分の目からみると「日々、快適に暮らしている」ように見える方が
ぢつは、すっごく大きな荷物を抱えておられたりするのだ。
そんな方からメールを戴くと「大人だよなぁ」と思わずにはいられない。
私のように日記で「愚痴」っぽいことを書いておられる方だって
現実世界の方では「真面目でいい人」だったりするんだろうなぁ
……などと、そんな事も思ってみたりする。
平気なふりしてる人も、平気ぢゃなかったりするんだよね。
「隣の芝」は、それほど青くもなったりして
青く見えるのは、すっげぇ努力と手間暇の賜物だったりして
「友」は偉く見えるけれど、偉く見えたからってそれほどイイ事もなくて
実際は偉く見えなくてもいいし〜なんてジタバタ困ってたりて
それでも、たくさんの人が平気なふりして
♪ラ・ラ・ラ〜〜なんて歌を口ずさみながら歩いたりする訳で。
それぞれの持ち歌って平均すると1人何曲くらいなんだろうか?
……などと、つい、つまらない事を考えてみたりする。
平気なふりして歌っている人が、これまたコーラスではなく
「独唱」だったりすると、なんか泣けてきたりなんかする。
今、なんだか流行っちゃってる「ハモネプ」ぢゃないけど
「あのぅ。私で良かったらヴォイス・パーカッションやりますが?」
なんてこと、口走ってしまいたくなったりする。
うむむむ。今日はいつにも増して自分でも訳わかんない文章だ。
要約すると、日々、色々なことを思いつつ細々と綴っている
……みたいな感じだろう。たぶん。
ほとんど「力技」でもって強引にオチをつけたところで
今日の日記はこれにてオシマイ。