昨年末の日記で「年賀状だけの付き合いなんていらない」
……などと私は声高に宣言した。
その考えは、やはり今年も変わっていない。
しかしながら私は「無視」という行為が徹底的に嫌いなので
「なんで、この人から年賀状が?」と思う方からいただいた年賀状にも
それなりに、お返事を書いて投函した。
元旦にも、正月3日にも、せっせと書いて投函した。
まぁ、たいていは「それなりの・これ」だったのだけれども
1枚だけ、どうしても理解できない年賀状があった。
なんとなく愚痴っぽく、かつ見方によれば悪口めいた話になっちまうので
少し二の足を踏んでしまうのだけれど、やはり書いておくことにする。
この日記は誰の日記でもなく「私」の日記なのだから。
仕事始め早々に終電帰宅するほど残業して
しかも、草臥れ過ぎて、寝過ごして
「タクシー帰宅」で8000円も浪費しちやったりして
脳味噌の調子がイマイチで書いている文章だったりするのだけれど
「それは・それ。これは・これ」なのである。
私が理解できなかった年賀状はネットで知り合った方から戴いた。
互いに住所を教え合うような関係になった方だったのだけれども
その方はネット世界から半分、足を洗って
ネット世界の人間関係を清算されたような経緯があったり
私が出したメールにも返事がなかったりなんかしたので
私自身は「もう、これっきりだなぁ」と思っていた。
喧嘩をした訳でもなく、嫌いになった訳ではなかったのだけれど
反応が返ってこない相手を追いかけるのは、私の趣味ではないし
相手にとって「うざい」と思われるような関係に持ち込みたくはなかった。
緩慢に切断されていく人間関係があってもいい……そう思っていたのだ。
そんな経緯があっただけに、その方からの年賀状は非常に驚いた。
↑しかも手書きメッセージ付きだった。
私が1人勝手に「終わった関係」だと思っていただけで
本当はそうではなかったのだろうか?
とにかく申し訳ない気持ちで一杯になった私は、慌てて年賀状を書き
年賀状を出していかなかった理由と、近況報告などをメールした。
メールの内容はこんな感じ。
思い掛けず年賀状を戴いて、とても嬉しかったこと。
ネット世界の人間関係を清算されておられたようなので
私の方から年賀状を出そうかどうしようか迷ってしまった末
結局、出さずじまいで終わってしまったこと。
今年は弟の再手術があるかも知れないが、まずは頑張ろうと思っていること。
今年が、その方にとって素敵な年であるように祈っているということ。
ちなみに、そのメールに対する返事は無かった。
毎日PCを繋いでおられる方なので
メールは届いているだろうと思われる上に
基本的には「筆まめ」な方から6日以上返事がこないということは
「もう返事は来ない」という事だろうと推察される。
それにしても……これは私の失策だったのだろうか?
たとえ、それが「どこから、どう見ても嘘」であったとしても
「忙しくて年賀状を出すのが遅れちゃいました」と一筆添えるか
あるいは、まったく知らぬ顔をして年賀状を出した方が良かったのだろうか?
それよりなにより「メールもしない相手」に年賀状を出すというのは
どういった気持ちがあっての事だったのだろうか?
それが人間の「義理」とか「付き合い」といったカテゴリーに属するものなら
私は今まで、自分が考えていた以上に
「義理に薄く・付き合いも薄い」人間ということになっしまう。
だとすれば、少しばかり認識を変えた方がいいのかも知れない。
新年早々、色々と考えてしまった。
たかが年賀状。されど年賀状。
私が理解できなかった年賀状を出してこられた方との関係はともかく
今後、人間関係には、もう少しナイーブな心でもって挑みたいと思う。
2002年01月05日(土) |
新年の憂鬱。気休めなんていらない。 |
1月4日……
日本社会では、まだ「あけましておめでとう」が通用する、その日。
私は憂鬱のどん底にいた。
理由は自分自身が1番よく理解している。
よい年になるといいですね……とか
今年はきっと、よい年になると思います……とか
ありがたい言葉を頂戴しても私は知っているのだ。
↑実際、私も「なにげ〜」に使ってるし。
ありがたいけど、でも、気休めだってことを。
いや。だからって私自身は悲観している訳でもなく
「まずまずの年」になるだろうなぁ…とは思っているのだけれど
それでも新年の憂鬱だけは、どうにもできない訳で。
しかも、明日からは出勤して食い扶持を稼がねばならぬ身としては
鬱々としていても拉致があかないので
とりあえず「憂鬱撃退」に励むことにした。
まずは昨年、ほったらかしていた「本の整理」に手をつけた。
とりあえず70冊〜100冊ばかりの本を処分して、あらたに本を購入。
最初に手にした本が坂口安吾『堕落論』だったりして
それって、いったい……なんて思うと、お笑いだったけれど
私にとっては精一杯の「お片づけ」であった。
次にしたのは「衣類」の購入。
近頃、ダーク・カラーしか身につけなかったのだけれども
気合を入れようとて
通勤用にちょっと明るい色目のローズ・レッド色のセーターを購入。
ついでに、寒さ対策をかねてダーク・グリーンのパンツ(ズボン)を購入。
で、もって、最後の〆は……
「お正月休み」のラストを飾るべく夕食の食材フグを購入。
……っていっても王者「トラフグ」ぢゃなくて
お正月特別ご奉仕品の「サバフグ」だったけど。えへっ。
フグチリにしてさ。雑炊までいただいたよ。
美味しかったよ。フグ。王者ぢゃなくても充分にさ。
関西人はフグ好きなんだよねぇ。なんだか知らないけど。
そうやって、私は「心の隙間」を「物品」でもって塗り込めて
今年も頑張ろうと誓うのであった。
いや。なに? なんだ、かんだ言って楽しそう…っか?
楽しいと言えば楽しくもあり。
苦しいといえば苦しくもあり。
曖昧なところなんですねぇ。はい。
まぁ、そんな感じの年明けなんでありました。
では、今日の日記はこれにてオシマイ。
2002年01月04日(金) |
あの世の人は助けてくれない。宝くじは当たらない。 |
少しづつではありますが
「お正月まったりモード」がうすらいでいますね。
日記日付的には1月4日。
今日から出勤という方もおられるかと思います。
ところで「宝くじ」はお買い求めになられましたか?
もしかして当たっちゃったりしまいたか?
宝くじ、私は買いませんでした。だって当たらないもの。
買わなきゃ当たらない宝くじですが
買っても当たらないのが宝くじです。
「宝くじなんて買っても当たらない」
29年生きてきて、ずっとそう思っていた訳でもないのですが
「やっぱり当たらないなぁ」と実感してからは
もう2度と買うもんか! と思っています。
あれは昨年の夏……
弟が酷い事故に遭遇して、父の初盆を迎えたあの日。
そうとう真剣な思いを込めて買ったのですよ。宝くじ。
そして私は心の底から祈りましたとも。
父の仏壇に手を合わせたのは、その時が初めてだったかも知れません。
お父さん。お願いだから宝くじ当ててください。
1等とは言わないけど100万でいいから当ててください。
当ててくれたら借金残して迷惑掛けまくって死んだこともチャラにします。
お盆には毎年、文句を言わずにキュウリとなすびで「牛」と「馬」を作ります。
↑私の家の宗派ではお盆の飾りに「牛」と「馬」を作ります。
お父さん。あんたの実の息子の一大事です。だから、どうぞ当ててください。
私が生まれて初めて捧げた「熱い」祈りでした。
当然ですが当たりませんでしたよ。宝くじ。
当選発表の日は本気でがっかりしたものです。
そして本気でがっかりする私を見て乙女な母は言いました。
もしかして本気で当たると思ってた?
思ってましたよ。本気で。私はいつだって本気です。
だからこそ確信したのです。宝くじは当たらないって。
最近、なにかと言うとTVに宜母愛子が出てきて
「亡くなった方による霊触が……」なんて言ってるようですが
私はそんなの信じません。
死んだ人は生きてる人に悪さなんてしないのです。
ただでさえ大変なことが山盛りの世界で生きてるってぇのに
あの世から足引っ張られたりした日にゃぁ
こっちの世界に引き摺り出してボコボコにしてやる…ってなもんです。
死んじゃった人は何も助けてくれないんです。
宝くじだって当ててくれませんでした。えぇ。
ちなみに我が家では母と愚弟が宝くじを買っていたようですが
当然ながら当たっちゃいませんでした。
私は買いませんが「当たったら分け前ちょうだいね」
なんて虫のいいお願いをしていたので、ちょっぴり残念です。
この日記を読んでくださっている方の中で
「私は宝くじで大金を当てた」って方はいらっしゃいませんか?
↑大金と書くと曖昧なので100万円以上ってことで。
見ず知らずの方に奢ってくれだの、分け前よこせとは申しません。
掲示板が「なに」でしたら、メールなどでこっそりと。
身近に宝くじで大金を当てた方がいらしたら
次回の宝くじは買っちゃうかも知れません。
はぅぅぅっ。
当たらない「宝くじ」に八つ当たりなんてしていないで
お正月がすんだら勤勉に出勤することにします。
2002年01月03日(木) |
『アメリ』〜噛みあった歯車が奏でた音楽 |
このお正月休みは、たいした理由もなく
「映画に浸かろう」と思っていて
年末年始の慌しい時期にコソッと映画を観に行っていた。
日付は随分とズレているけれど年末30日は
『アメリ』 ジャン・ピエール・ジュネ監督 を観たので、その感想など。
↑元旦に観た『ムーランルージュ』はどうした?とかツッコまないでね。
雑誌などでは、かなり評判の高い作品のようだけれど
実際に「いい映画」だと思った。
ヒロインのアメリはフランス人の若い女性。
年齢的には、もう立派な「大人の女性」なのだけれど
いまいち「現実世界」との折り合いが付けることが苦手で
自分をコントロールできていない不安定な女性だ。
彼女の両親は2人とも、悪い人ではなかったのだけれど
彼ら自身が「現実世界」との折り合いをつけるのが下手なタイプで
アメリは、その影響を多分に受けて大人になった。
ネタバレのない程度にストーリーを書こうと思うと
「あえて書くほどのものはないかも」という曖昧な物語だが
言葉のセンスが楽しくて、映像がピカイチに良かった。
どのシーンを切り取っても、そのままポストカードにできそうなほど
映像として完成されていたように思う。
ようするに映画そのものが「小粋」な感じだったのだ。
そして『アメリ』の1番の良かったなぁ…と思ったところは
曖昧な物語がゆっくりと進んでいく中で
噛みあわなかった世界(アメリを含む)の歯車が、あるべき位置に定まって
ゆっくりと回りだしていくところだと思う。
噛みあった歯車が奏でた音楽は
オーケストラでも、ロックでも、ポップスでもなく
古いオルゴールの音色のように素朴で、しかし確かな音楽だった。
最上の音楽である必要はない。
ただ「そこに音楽がある」という事実が何よりも重要である
……そう感じられるような旋律だった。
女性に観てもらいたいなぁ…と思う1作だった。
男性が観ると、どんな反応がかえってくるのだろう。
「映画的年末年始」を目論んだ私としてはムフフな1作だった。
2002年01月02日(水) |
元旦に己の未熟さを知る |
2002年、元旦。午前7時。
大阪の空は「あほちゃうか?」と思うほど晴れ渡っていた。
元旦に相応しい日本晴れ。元旦の朝は清々しかった。
まい・さんくちゅあり(台所)に隣接する四畳半の部屋では
夜遊びをして帰宅した愚弟と
その友人が暑苦しく雑魚寝をしていた。
せっかくの元旦。
せっかくの休日である。
何かしなければ、もったいない。
私は乙女な母を自動車に乗っけて映画に出掛けることにした。
↑私は宗教活動に熱心でないので初詣より映画の方が魅力的だった。
毎月1日は映画の日。1000円で映画が観れちゃうのだ。
こんなお得な機会を見逃す手はない。
乙女な母の希望で『ムーランルージュ』を観ることに。
↑映画の感想は機会があれば、また。
道はこれまた「あほちゃうか?」と思うほど空いていた。
あまり運転が好きでない私も空いた道なら運転だって楽ちんプー。
が。そんな心地良い運転もつかの間
自動車はバッコンバッコン変な音を立てだした。
前輪のタイヤがパンクしちまったのだ。
自慢ぢゃないが私は自動車の知識は皆無である。
ジャッキさえ、まともに使えない。
「こいつは困った」と途方にくれた私だったが
数メートル先にレンタカー屋があるのを発見。
もぅ「おあつらえ向き」としか言いようのない展開だった。
レンタカー屋の主人は、たいそう親切で
無能なドライバーを貶すでもなく、気持ち良くタイヤを交換してくれた。
新年早々ついてない…と思ったが世の中は捨てたものではなかった。
親切なレンタカー屋の主人のおかげで、映画の上映には間に合った。
しかも映画館は「ガラ空き」でラッキーだった。
元日の初回。しかも地元映画館だけのことはある。
映画は、まずまず面白くて「おなご」も「乙女」もたいそう満足した。
アクシデントはあってものの滑り出し快調…って感じがした。
軽く遅めの昼食を済ませて帰宅。
ポストを開けたら、当然のことながら年賀状が届いていた。
「おなご」の私は年賀状の束を見て非常にあせった。
年賀状を出してない人から、いっぱい届いてるぢゃん。
悪気はなかったのたがうっかり出し忘れた人。
私の中では付き合いが終わたと思っていたので出さなかった人。
出したいと思っていたのだけれど付き合いが薄くなっているのに
出すのはかえって迷惑かなぁ迷った末に出さなかった人。
誰しも経験することだろうとは思うのだけれど
今年はちよっと枚数が多過ぎた。
「これって社会人としてどうよ?」と思う枚数だった。
この年賀状の枚数は私いう人間の未熟さを表す
ある種の指標ではなかろうかと思った。
単にうっかり忘れていた人には、ていねいに。
私の中でふっ切れていた人にも、それなりに。
迷った末に出さなかった人には、思いを込めて。
せっせと年賀状を書いて夕方に投函した。
私の中で「もう切れちゃってる人」には罪悪感は感じなかったけれど
そうでないのに年賀状を書かなかった人には
なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
↑ここで謝ってみても、なんの意味もないってことは承知しております。
自動車のパンクといい、年賀状といい
なんとも私らしい年明けではあったのだけれど反省しきりである。
今年は、もう少し思慮深い大人の女性になりたいと思った。
自動車を運転するならタイヤの交換は出来た方がいい。
人と付き合うなら年賀状はキッチリ出した方がいい。
新年早々反省しきりのスタートだった。
海よりも深く反省したところで今日の日記はこれにてオシマイ。
2002年01月01日(火) |
めでたくもあり。めでたくもなし。 |
あけましておめでとうございます。
本年も私、馬鹿馬鹿しく書き連ねていく所存ですが
なにとぞ、よろしくお付き合いのほどを。
新年です。元旦です。まずは目出度いです。
正月は 冥土の旅への 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
……なんてハスかまえた歌なぞを思い出している場合ぢゃありません。
いや。好きなんですけどね。一休さん。
まぁ、そんなことはおいといて。
年明けですから、ほら。抱負とか予定とか書いておこうかと。
現在、分かっている大きな予定としては……
三月に入ったら愚弟の手の詳しい検査が予定されていて
その結果次第で再手術があるようです。
でも今回の手術は前向きな手術なので、ちょっと気が楽ちんちん。
なんと。医学っちゅ〜のは日進月歩なものなのですね。
怪我をした左手が安定していて、血の流れが良ければ
「さらに動くようになる手術」ができるのだそうです。
足とか右手の使っていない神経や筋を左手に移植したり
腰の骨を削って「新しい親指」を作るのだとか。
弟と似たケースだった20歳の患者さんは「21回の手術」をへて
「素敵な手」を手に入れたのだそうです。
愚弟の場合は怪我をする前の「7割」の状態まで快復する見込みがあるのだとか。
愚弟曰く「神経とか筋の手術は頑張るつもりやけど、親指については悩み中」
……なのだとか。
「親指」を作ったとしても「人差し指」はどうなるのか?
……という部分が愚弟を悩ませているらしい。
その辺の話は主治医と詰ていないので不明なのですが
「親指」があったも「人差し指」がない状態だと「人差し指」は義指になるので
いっそ、どちらも義指にしてしまおうかと思っているようです。
もっとも検査の結果が悪ければ手術じたいが流れてしまうので
私、姉として、ひと言だけガツンと言ってやりましたとも。
悩むのは検査の後にしとき。今から悩んでたらエネルギー切れるし。
そんな訳なので今年の前半〜中盤は、バタバタ馬車馬生活になりそうです。
あとになって後悔のないよう、愚弟には適当に頑張ってもらいたいと思いますし
何より、協力を惜しんで愚弟から恨まれるのは嫌ですし
まぁ、今のうちにたっぷり恩を売っておいて
ゆくゆくは倍返しにしてもらうのも悪くないかと(笑)
愚弟の手術が落ち着くであろう、後半戦は、パーッとはじける予定。
手始めに旅行。なにをおいても旅行。
昨年は大阪と奈良の土しか踏んでいないので、そろそろ腐ってきそうです。
前半〜中盤にお金を溜めてパーッと行ってこようと思っています。
そして最大の野望はパートナーを作ること!
これも愚弟の件が落ち着くまでは
「家」「仕事」「病院」で手一杯になっちゃうかと思うので
その間は「ブイブイ押していく」余力がないだろうと思うのですが
晴れて放免となった暁には「ブイブイ押していく」を実践しようかと。
今年も張り切っていきたいと思います。
これを読んでくださっている「あなた」の新しい年の滑り出しが
「イイ感じ♪」でありますように、念力などお送りして
年頭のご挨拶とさせていただきとうござりまする。
おりゃぁ〜〜〜〜〜〜〜っ!!
↑念力。届きましたか? (笑)
白蓮拝