昨夜は「この冬1番?」と思うほど冷え込んだ。
残業して帰宅したのが9時半。まぁ、早く帰れた方だと思う。
「さっさと食事して、お風呂入って、日記書いて寝よ〜」
……なんて思いながら私は、普段と寸分変わらぬ心構えだった。
が。
帰宅したらば、母の様子が「変」だった。
なんでも隣りの「オッサン」に性的表現を含む失礼な事を言われたらしい。
「奥さん、旦那さん死んで身体もて余してるんぢゃないの」みたいな。
ぢつは2回目なのだ。そのテのこと。
そして対処方も教えたはずなのだ。
気を付けなあかんで。って、あんなに言ってたのに。
だが母は、ずっと専業主婦で、子供は産んでいるが、心は乙女なので
「今まで生きてきて、そんそな失礼な事を言われたのは初めて!!」
……とヒステリックになっていた。
あのさ。悪いけど、私だって疲れたりするんだけど。
そう思うながら私は、うんざりするほどは母の話を聞いた後で
「どうしても我慢ができないなら、嫌って言わなきゃ」と助言した。
しかし母は「でも、ご近所だからキッパリ言うのもどうかと思うし」
……なるほど、それはうなずける。毎日顔を合わす相手だしね。
「ぢゃぁ。子供達も大人ですから好きにさせてもらってます
みたいな感じで上品にかわしたらどうよ?」
私は、そう提案してみたが母は言った。
「でも、あの人が、そんな程度できくわけないと思うし」
……確かに。隣りのオヤヂは少々性質の悪い「エロオヤヂ」なのだ。
私は適当に受け流したり無視したりしているが。
「ぢゃぁ。1度、ガツンと言う方がいいよ。大人しくしてるとつけあがる。
エロ話には、エロ話で切りかわしていけばいい」
しかし母は言った。
「でも、ガツンって言葉が思い浮かばない」
……そうだねぇ。
母は『若草物語』や『家庭画報』の世界に住んでるんだものね。
仕方がないので私は2つ、3つ
「ガツン」っぽいセリフをご用意した。
おかげさまで私、チ●ポには不自由していないんですよ。
夫が死んで忙しいくらい♪
あなたの、臭いチ●ポをしゃぶるだなんて、考えただけでもゾッとします。
たまってらっしゃるなら、奥様に、しゃぷってもらってね♪
あなたのフニャ●ンでは私、とても満足できないでしょうから辞退します。
……みたいなことを標準語ではなくてバリバリ大阪弁でキメたら迫力あると思う。
↑未成年者も読んでおられるりで「バリバリ大阪弁」で書くのは遠慮いたしました。
相手は母を「大人しくて、いじりやすい女」
……だと思われているので、反撃作戦は、案外有効だと思うのだ。
あのオヤジは他に喋る人がいないから近所に広まる心配もないだろう。
↑うちの近所に住む女達は貧乏暇なしで働いていて忙しい人が多い。
だいたいエロオヤヂの話を信用する人も、そぅいないだろうし。
しかし、母は娘が口にした「お下劣」な言葉に呆然としたようだった。
その後も「あ〜でもない」「こ〜でもない」と散々愚痴り倒した後で
「傷ついた母を、さらに傷付けるようなことを言うなんて酷い娘だ」
「あんたって子は、思いやりの欠片もありゃしない」
「あぁ。どうして私ばかりが、こんな目にありのだろう」
「私は、ひっそりと暮らしたいだけなのに、世の中って酷い」
……と喋ること1時間半。娘を罵倒すること30分。
母は、思いっきり泣いて……そして寝た。
泣かないでおくれよ。セニョリータ。泣かれても困っちまうぢゃないか。
眠れなかったのは私の方だった。
乙女な母に「チ●ポをしゃぶる」
なんて言葉を使っちまったのは失敗だったのかも知れない。
冷静に考えてみれば娘が母親に言う言葉としては不適切だったと思う。
が。
未亡人の母は、これから先も、その手の事態に遭遇することは必然である。
冷たいようだが「慣れる」か「真正面から闘うか」どちらしかないのだ。
私は「性的嫌がらせ」なんて絶対認めないし
善悪だけで判断するなら、そりゃぁ「する」あるいは「した」人間の方が悪い。
だが、降りかかってくる火の粉は払わにゃならんし
なによりも自分の身は、自分で守っていかなければならないと思う。
母の場合は子供ではなく、大人の女性なのだ。
↑もし、今回のことが幼い「娘」や「妹」なら対処は違っていると思う。
……って言うか。
しっかりしてくれよ。母。
いつまで「箱入り奥様」でいるつもりなんだい?
母はいつだつて「でも」なのだ。
母親が自殺して、夫に先立たれて、息子が事故で指を2本なくして
その上、ちょっぴり足が不自由(日常生活には支障のない程度だが労働はできない)
……となれば、そりゃぁ、不憫だとは思う。
だからって「でも」を言い続けたところで前には進まない。
……ったく、困ったものである。
もちろん、私自身、こんなところで母の行状を愚痴ってたって仕方がない。
私は、どうも「乙女心」の分からない野暮天なので
母の扱い方がいまいち分からずウロウロしている次第ですが
なんとか、ぼちぼち頑張ります。
あぁ。
やはり1日おいて、頭を冷やしたのは正解だった。
昨夜は疲れているところに愚痴られた上に罵倒されて
もはや「脳天ブチ切れ」状態だったので
昨日書いてたら酷い文章を書くところだった。
最後まで愚痴(しかもお下劣話アリ)に付き合ってくださった「あなた」
どうも、ありがとうね。
不愉快に思われた方がいらっしゃいましたら「Myエンピツ」から削除してね。
↑いっきにイメージが崩れちゃった方も多いかと思うので。
……って言うか友人なくしちゃうかも(^^ゞ
私は愚痴ってスッキリ。明日も元気にで仕事へ行きます!
2001年12月08日(土) |
花も人も色々なので。 |
年齢を重ねるごとに視野や許容量が狭くなる
……なんて一般的に言われるけれど
そんなこたぁ無いと私は思う。
少なくとも私の場合は
子供の頃の方が今よりずっと狭量だった。
好きな花はなんですか?
そう問われたら
木に咲く花なら「白い木蓮」 地に咲く花なら「都忘れ」
今は、そう思っているけれど子供の頃は違っていた。
世の中がどうあろうと私は薔薇以外の花は花と認めない。
子供の頃の私は頑ななまでに、そう思っていたのだ。
百合は「ラッパみたいな形で滑稽だから嫌い」だったし
向日葵は「大きいばかりで品がないから嫌い」だったし
カーネーションは「ひらひらして人に媚びているみたいで嫌い」だったし
チューリップは「俗っぽい形が馬鹿っぽくて嫌い」だった。
ただ、どこか狡猾なところのある子供だったので
世間の子供はチューリップが好きみたいだし
そんな風な事を言ったら嫌な子供だと思われるから
「薔薇以外の花は花と認めない」って考えは黙っておこう。
……と思っていて、実際にそうしていた。
桜の花を見て嬉しそうな顔をしていたし
お姫様のイラストの横にはチューリップだって配置していたし
タンポポの花って強くて可愛いね…と心にもない事を言ったりしていた。
思い起こせば、そうとう可愛くない子供だったと思う。
そんな私が「あぁ。花って、それぞれに綺麗なんだなぁ」
……と感じられるようになったのは
小学校6年生の時、心ならずも華道教室へ放り込まれてからだった。
↑華道は十数年続けたが、貧乏になってから辞めた。
花と向き合って、花を切り、そして活ける……
そんな作業をするようになってから、初めて花の美しさを知った。
子供の頃の方が「物の考え方」の柔軟性に欠けていたと思う。
現在、私の座右の銘……らしき物を、つらつら上げてみると
「お寿司もいいけど、カレーもね」
「それは、それ。これは、これ」
「そういうこともアリだってば」
……などとと、イージーな物が多い。
子供の頃の私を思えば、信じられない変貌だと思う。
年齢を重ねることで、自ら不自由な檻に入ってしまう人もいれば
年齢を重ねることで、自由な世界な飛び込んでいく人もいる。
色々な人の日記を読んでいると特に思うのだなぁ。
若い人だからって、柔軟な心を持っているとは限らないし
「おばぁ」「おじぃ」でも驚くほど柔軟な心を持つ人がいる。
突き詰めて考えていけば「個人」の問題なのだろう。
年齢と心の柔軟性は決して比例しない。
……世の中がどうあろうと私は頑なにそう思っている(笑)
***************************
明日はたぶん、ぶち切れた日記(?)を書くと思います。
本当は「今」書きたかったのだけれど
脳味噌が煮えているので、違う話でお茶を濁してみました。
……だから今日は、いつにも増して理屈っぽいのです(苦笑)
自宅にシャワー設置した記念に髪を伸ばそう!
なんだか曖昧な理由から私は髪を伸ばそうと決意した。
計画通り、髪は順調に伸び進んでいる。
……と言えば聞こえは良いけれど
ほったらかしになっている。と言う方が正しい。
ふと鏡を見ると髪ボーボーといった状態まで進化している。
「伸ばす」のと「ほったらかす」の間には広くて深い川。
最後に美容院へ行ったのはいつだったのか?
美容院のスタンプ・カードを見れば一目瞭然なのだけれど
あまり追求したくない気分だ。
その上、カラーリングがすっかり落ちてしまっているので
「オニギリ用味付け海苔」に負けないくらい真っ黒な髪の毛になっている。
ちょっと今時の若い者にしては珍しいんぢゃないかと思う。
ほとんど風紀委員が厳しく目を光らせている私立女子校生のノリかも知れない。
↑本物の女子高生なら、こっそりお洒落を楽しんでいそうなものだが。
私にとって美容院とは、ちょっと不思議で苦手な空間なのだ。
自分の方が「客」の他立場なのに
何故か美容師さんに対して遠慮してしまう部分がある。
美容師さんは私が唯一「苦手」とするサービス業従事者なのだ。
「前髪、ご自分で、お切りになられたのですか?」
なんて聞かれた日にゃぁ
「えぇ。ちょっと…鬱陶しかったので」
などと、しどろもどろになってしまうし
シャンプーしてもらっている最中に
「痒いところはありませんか?」
と聞かれて、たとえ痒いところがあったとしても
「ありません」
とキッパリ言い切ってしまう自分が情けない。
↑「頭頂から3センチ左後ろあたりが痒いです」なんて言えやしない。
シャンプーしてもらったり、髪をいじってもらうのは気持ちがいいし
かなり好きだったりするのだけれど
どうしても「あの空間」「あの雰囲気」が馴染めなくて困る。
「おしゃべり」は好きだが、美容師さんとの「世間話」は好きぢゃないし
美容院の「華」とも言える女性週刊誌にも興味がない。
ジーンズのポケットに文庫本なと突っ込んでおいて、それを読めばいいのに
「用意してくれているもの」に目を通さないのは悪いような気がして
ついつい『女性自身』とかを読んでしまうのだ。
↑たまに面白いと思うこともあるのだけれど。
だけど……
正月までには行かないと、女として、ちょっとヤバイ。
来週の休日こそ、絶対に行くぞ。行くぞったら、行くぞ!
決意も固まったところで、今日の日記はこれにてオシマイ。
2001年12月06日(木) |
聖・家族…中山可穂に寄せて |
『サグラダ・ファミリア』 中山可穂 新潮文庫 を読んだ。
中山可穂は「レズビアン作家」と称される
本年度の山本周五郎賞を受賞した実力作家でもある。
彼女の作品は、かなりの数の作品を読んできたが
どれも骨太で「作者の思い入れ」がギッシリ詰まっているような気がして
それゆえに「出来のほどはイマイチ」だったりする作品でも
何故か嫌いになれない作家さんである。
『サグラダ・ファミリア』の女主人公はレズビアンのピアニスト。
愛に不器用で、ピアニストとしても躓いていた彼女は
精神的に、相当まいっている最悪の時に
最愛の恋人(女性)を事故で亡くしてしまう。
女主人公と
恋人が残していった2歳児の男の子と
その子の父親を愛していたゲイの男性と
まったく血の繋がらない人間が家族として暮らしはじめる。
「血」ではなく「情」という危うい絆ではじまる家族。
愛に不器用な人間が、不器用ながらも人を愛し
家族を築いていく……そんな物語だった。
サグラダ・ファミリア(聖家族)
やや感傷的で、理想主義的なストーリーだったけれど
まるで、やみくもに刃物を振り回すような
刹那的で激情に身を任せるような愛し方しかできなかった女主人公が
それまで知らなかった「人の愛し方」を知り
人間として、さらなる高みへと昇っていく姿に
私は崇高なものを感じた。
中山可穂は「レズビアン」を題材にした作品ばかりを書いているので
「レズビアンものは食傷したから他の物が読みたい」
……との声も、ちらほら聞くが
私はむしろ、彼女が求めるスタイルを、題材を
一途に追いつづけて欲しいと思っている。
木原敏江の名作漫画『摩利と新吾』に出てきた一節を思い出してしまった。
……どんなに馬鹿みたいに思えることでも
最後までつらぬき通せば本物になるのですよ……
私も「最後までつらぬき通す馬鹿」になりたい。
どんな些細な事であっても「つらぬき通す」のは大変だ。
つらぬき通すのに必要なのは、意志。情熱。努力。真摯さ……
色々は条件はあるだろうけれど「強さ」だけは絶対必要だと思う。
強い女。強い人間になりたい。
そんな事を考えさせられた1冊だった。
昨日、ネットで知り合った友人からメールが届いた。
日記にも書いた「12月生まれでプレゼントの手配をした友人」からだ。
↑12月2日の日記を参照。
ちなみにプレゼントといっても「ほんの気持ち」だった。
本好きの方なので(それが縁で知り合ったのだけれど)本を贈るった。
小説だと、もうお手持ちだったりする可能性が高いので
ロマンティックな『ミュシャ』の詩画集(詩歌は与謝野晶子)と
耽美で妖しげな『ジャン・コクトー』の詩画集。
とても、喜んでくださった様子で、私も嬉しかった。
画集やイラスト集や写真集って、贅沢な感じがして欲しくても買い辛いしね。
うん。我ながら、いい選択だったかもなぁ。
ちょっと鼻高々で、いい気分……と思いきや
「あのね。ぢつは私の誕生日は11月だったりして」
なんと。
私、お誕生日を勘違いしていた!!!!
うひぁぁぁぁ。穴があったら入りたい〜〜。
……って言うか、誰か穴掘るの手伝ってください〜〜〜。
ぢつは私、その方にお誕生日プレゼントを贈るのは初めてで
「ふぉっ。ふぉっ。ふぉっ。今年は、ひとつ驚かせてやろうかのぅ」
などと思っていたのだが……うむ。
別の意味で、たいそう驚かれたであろうと推察される。
その方は、たいへんよく出来た心の広〜い方なので
「でも、かえって嬉しかった」
などとフォローしてくださったのだけれど。
うっかり・うっかり。
「ほんの気持ち」が伝わったので今回は「それは、それでヨシ」として
お誕生日は住所録にメモいたしました。
母と弟の面倒をみる大黒柱。29歳、女。働き者の「オヤジ」ちっくアニマル。
「しっかり者」の皮をかぶっているが、かなり手練れの「うっかり者」。
それが私だ。
悪いヤツではないが「キレ者」ではないな。うむ。
いつの日か キレ者ですねと 言われたい 白蓮
*******************************
今日……って言うか日記的には「昨日」の休日
家族で、地元では美味しいと評判の串カツ屋さんに行きました、
もちろん私のオゴリです(残業代、溜まってるし)
なんだか「平日は家族に目を向けないオヤヂの家庭サービス」
……的なノリで切のぅございました。
まっ。実際、その通りなのですが。
中山可穂の新刊(新潮文庫版)もGETしたことですし
今夜は日記を更新してネットから退散しま〜〜す。
2001年12月04日(火) |
どうしても慣れないこと。 |
今の仕事(建築CADオペレーター)に就いて3年目を迎えた。
OLをしながら、夜にCADスクールへ通い
スクールを卒業したと同時に飛び込んだ世界だったので
当時はCADのことも、建築業界のことも、まったく知らなかった。
知らない言葉や、業界用語にとまどいながら
がむしゃらに過ごした3年。
気が付けば、すっかり仕事にも職場にも慣れた私がいる。
が。
3年たった今もなお「どうしても慣れないこと」が1つだけある。
それは職場を支配する「体育会系のノリ」
なにしろ私は学生時代から、ずっと「文科系」の人間で
まともにスポーツに取り組んだことがない「へなちょこ人間」で
「体育会系」の中に身を置くのは生まれて初めてなのだ。
↑それまでも何度か転職しているが「体育会系」とは縁がなかった。
「体育会系」のノリが嫌いという訳ではなくて
「いいよなぁ」と思うこともある。
1つの事に向かって、まとまり良く突進していく姿など
端で見ていて、なかなか気持ちの良いものだし
先輩、後輩の間にある厳しさも、信頼関係があってこそと知れば
これも、また良し…ってなこともある。
が。
やればできる。根性だ。死ぬ気でやればできる。上の命令は絶対だ。
このノリだけは、いただけない。
どう考えたって出来ないことは出来ないのだから。
正直なところ「体育会系」の人の「根性論」にはついていけないし
どうしても出来そうない仕事や問題があれば「妥協点」を探して
できるだけ良い方向を模索した方が健全だと思うのだ。
私の職場は「死ぬ気」で仕事をしている人が多くて
「同じ職場で働く人に過労死者が出たら嫌だなぁ」
……などと本気で心配してしまうくらいの働き蜂が勢揃いだ。
不景気を打破するためには
ある程度の激務は仕方がないと思うのだけれど。
「どうしても慣れないこと」はいつまでたっても慣れないだろうなぁ
……そんな気がしてならない。
願わくば、私の周りに過労死者が出ませんことを。
<追記>
「体育会系」のノリの人が「みんな」そうだと言っている訳ではありません。
あくまでも「物のたとえ」と言うことで。
12月。年末。忘年会。
宴会シーズンがやってまいりましたねぇ♪
アルコールで肝臓いわして死んだ父の血を引く私は
けっこうアルコール好きだったりします♪
↑あらためて宣言しなくても、すでに「酔っ払い日記」とか書いてますし。
美味しい物を食べる時に、ちょっとお酒があると、美味しいです。
仕事の終わった後にキュッって飲むのは、たまらなく幸せです。
本を読んだりPCに向かいながら、チビチビやるのも、いいもんです。
でもね。
私はアルコール性の肝炎で死んだ身内を持つ人間なので
あんまり度が過ぎた「飲みっぷり」とか「酔っ払い」とか「酔っ払い自慢」
なんかに遭遇すると、気ぃ悪い……と言うよりも
あんたねぇ。ちょっと控えた方がいいわよ。身体、大事にしてやんなきゃ。
……などと、お節介なオバサンみたいな気持ちになってしまいます。
私の亡父の場合は、脳が肝炎に冒されて萎縮して
「痛み」が分からない状態だったので
「悶え苦しむ」ようなことはなくて、始終ヘラヘラ笑っていましたので
ある意味において介護する人間も気楽だったのですが
そうでない場合、肝臓いわして亡くなる方は
まずまず「悶え苦しんで」逝かれるようですよ。ホントに。
実際、そんな方、たくさんいらっしゃいましたから。えぇ。
これがまた「ウィルス性肝炎」だったら
「どうして私がこんな目に」みたいに
気持ちの持って行きようもあるってものですが
自分の不徳の致すところ……だったりした日にゃぁ。
もぅ、後悔先に立たずなんてもんぢゃ、ありませんよ。たぶん。
↑私自身「嫌だ」っちゅ〜ほど目にしてきました。そんな人。
もしも「あなた」が親も兄弟も親戚も友人もいない「みなしごハッチ」なら
それも、まぁ仕方ないかと思いますが
そうでない場合は、周囲の人間に迷惑を掛けまくって死ぬのは必然です。
だから、やっぱり、やめた方がいいです。
自分のため
……って言うか、自分の周囲で棲息している人間のために。
「ぢつは苦しみたい願望」を持つM気質の方にはオススメかも知れないですけど。
オバサンちっくな話を書いちゃいましたが
今日は「しらふ」ですし、その上「ハード残業」で帰宅したところで
ちょいと疲れているので
まぁ「ばばくさい」部分はご容赦いただけるとありがたいです。
もう1日働いたら2日休みなので、明日は
余裕だ「ラ♪・ラ♪・ラ♪〜〜♪」
……で書いていると思います。
そんな、こんなで。今日のところは、おやすみなさい(^^)/~~~
とうとう12月に突入してしまいましたね。
なんと申しましょうか……
「走ってやってきた」感じがいたします。
私など年末に向けて何の準備もしていないのに。
年賀状は購入しましたが、まだ真っ白いままです。
クリスマスカードも購入しましたが、まだ真っ白いままです。
クリスマス・プレゼントも買っていませんし
もちろん、お正月の準備なんて、まったく考えていません。
私がした「12月らしいこと」と言えば、たった、これだけ↓
遠くに住んでいる12月生まれの友人&知人に
お誕生日プレゼントの手配をした。
……これだけでも「自分を誉めてあげたい」ってな感じです。
自分で言うと値打ちが下がるのですが、私、イベントにはマメな性質で
本来ならクリスマス・カードを書くのも
年賀状を書くのも大好きなのですが
今年は何故だか「面倒くさい」という気持ちでいっぱいです。
思えば2年続けて「喪中欠礼」のハガキを出しているので
「久しぶりの年賀状だし頑張るぞ〜」
……みたいな展開になっていても良いのですが。
まぁ。そう定番通りに進まないのが世の習いっちゅ〜もんです。
思えば2年前の、ちょうど今頃から父の具合が悪くなったのでした。
アルコール性肝炎が悪化して、脳を冒された父が
ちょうど痴呆症になったお年寄りのように「徘徊」をするようになって
徘徊する父の後を追っかけていたのが、今ぐらいの時期だったなぁ
……などと、思い出に浸っちゃったりして。
人の魂とか、心って、どこにあるんだろう?
とか
「胸が痛みます」なんて表現がありますが
まだ50代にして自己を失い、徘徊する父の姿を見て
私はしみじみ思いました。
人間をつかさどっているのは「脳」なんだなぁ…って。
はうっ。
のんびり思い出に浸っていたりなんかした日にゃぁ
走ってきた師走が、そのまま走り去ってしまいますね。
ちと気合いを入れて、年末の用事を片付けていきたいと思います。
*************************
日記を書き続けていく自信がついてきたので
以前「さるさる日記」で親しくしていた方々に
「エンピツ日記」の存在をカミングアウトすることにしました。
あまりにも「ス」な日記なので反応がドキドキなのですが
ちょっとだけ、進歩したかなぁ……と自己満足の世界に浸っております。
↑それでも「生・知人」に知らせる勇気は、まだ無いんですけど。
まっ。少しづつ歩いてる…ってな感じです。
2001年12月01日(土) |
常識と非常識の間で。 |
『心に太陽をもて』
……という本を書いたのは山本有三。
心に太陽。くちびるに歌。なかなか素敵なフレーズです。
なんて前フリは置いといて。
ネット散歩をしていると
「言葉に責任持てよなぁ」
……と思うことがこの頃、多いのです。
少し前も、そんなネタで怒りの日記を書いたのだけれど
またしても暑苦しく怒ってしまっている私であります。
最近、傍若無人な人(あるいは発言)が目についちゃって。
今日は個人的な「怒りぶちかまし日記」なので
聞き流す……もとい読み流していただけると幸いです。
最近ネット上で非常識な場面に遭遇する事が多いと思いませんか?
流行のウィルスメールは腹立たしい限りですが
↑私のところにもきました。
ネットの匿名性を武器に好き勝手な発言や
複数のハンドルネームを使用しての暴言ってのも
相当、むかっ腹が立ちます。
私自身、この場所では「日記用のハンドルネーム」を使っている訳ですが
「いいっぱなし」的な発言だけは避けたいと思っています。
もしも「現実生活の私」あるいは「普段仕様ハンドルネームの私」
を知っている方が、この日記を読んで
「もしかして○○さんですか?」と問われたりすることがあったりしたら
ちゃんと答えるつもりでいますし
そもそも日記の最初に詳細な自己紹介を書いているので
私を知っている方なら、たぶん「私」だと特定できると思っています。
まぁ。そんな言い訳も置いといて。
ネット上で発言するというのは
友人、知人にしか知らせていない場所や、
パスワード制を用いている場所以外では
公共の道路で発言するのと同じだと私は思います。
たとえ、それが「小さな輪」の中であったとしても……です。
インターネットは言葉通り「網の目」のように繋がっているのですから
完全にリンクの輪から外れた、孤立した場所でない限り
ネット上での発言は「筒抜け」だと言ってもいいと思います。
自分の発言だと特定されなければ何を言っても良いのですか?
言葉が凶器になるってことを知らないのですか?
私だってネット上で「失礼な発言」をしてしまったことのある身なので
そう、偉そうなことは言えた義理ではないのですが
↑「失礼な発言」に対しては謝罪しております。
謝罪すれば、どんなことでも許されるとは思っていませんが
少なくとも「いいっぱなし」という形だけは取りませんでした。
暴言を言いっぱなしというのは許されることですか?
はう〜〜っ。
今日は頭の中が整理できていないまま、感情にまかせて書いているので
なんだか文章が支離滅裂です。
要約するなら
私はネット上での非常識な発言や行動をする人に腹を立てている
……ってだけのことなのです。
もちろん「常識」と「非常識」の線引きは人それぞれだと思うので
私の考えている「常識・非常識」と世間の「常識・非常識」は
ちょっと食い違っているのかも知れませんが。
常識と非常識のラインはどこにあるのでしょうか?
あっ。
くれぐれも誤解のないように書き添えておきますが
今日の日記は「ここ」で出会って会話をした方々をさすものではありません。
……って言うか。
どうして、こぅ暑苦しく怒っているのかなぁ。私。
自分の「暑苦しさ」に気が付いたところで、今日の日記は、これにて終了。