金色の夢を、ずっと見てる

2005年12月29日(木) 今年最大のニュース発表

「続きは明日!」とか書いておきながら、さらっと日付が1日飛んでますがそこはスルーでお願いします。



さてさて。いよいよ咲良の今年の五大ニュース、第1位の発表です。




じゃかじゃん♪















































1位。
・妊娠しました。



























マジっす。いやぁビックリしました。まぁ別に避妊してなかったんでいつできてもおかしくない状況ではあったんですが、実際にできるとビックリするもんですね。


でね、実はこの妊娠がわかったのって10月初旬なんですよ。

それがなんでこの時期まで日記に書かなかったかというと・・・・まぁつまりはいろいろと不安があったわけです。せっかくなので、その辺りの経過を時系列に沿って書き残しておこうと思います。


事の起こりは9月末。この日、私は市販の妊娠検査薬を試しました。と言うのも、8月9月と続けてなんか生理がおかしかったんです。1日の量がすっごく少なくて、そのうえ3日ぐらいで終わってしまう。そんな生理が2回続いて、さすがにちょっと不安になりました。

9月の新婚旅行が終わるまでは妊娠したくない!(→妊娠初期に旅行なんて事になったら心置きなく楽しめないから)と言い張る私の意見を頭から無視して、次郎君は夏ぐらいからまったく避妊してくれなくなったんですよ(笑)

最初のうちは私もHで中出しされる度にちょっと文句を言ったりもしてたんですが、段々めんどくさくなってきちゃって。次郎君が自分の年齢的に子供をちょっと焦ってることは判ってたし、そこであんまり頑固に拒絶しちゃってケンカになってもイヤだなぁとも思ったし。排卵日に中出ししても受精・着床する確率は20%と聞いたことがあったので、そんなにすぐにできないだろうとも思ったしね。

で、まぁ妊娠の兆候もなく旅行も楽しく終わり、そこで一応覚悟を決めました。私だって、どうしても欲しくないってわけじゃない。次郎君がこんなに子供を望んでるんだから、出来たらその時はその時だと思って運を天に任せよう。そう思って、一切避妊に関しては言うのをやめました。

でも、さっきも書いたような『なんか変じゃない?』という生理が2回続いた事もあり、もしかしてあれは生理じゃなくて着床出血だったのかも・・・と思い市販の検査薬を試したけど結果は陰性。でも、妊娠してないならしてないで、
「じゃぁあれは本当に“生理がヘン”だったわけよね」
と心配になり、病院に行く事にしました。

ところが。

10月3日。内診を終えて先生と向かい合った私に告げられた衝撃の事実(笑)
「あなた、多分妊娠してますよ」


・・・・・・・・・・・・・はい?


「え、でもこないだ検査薬試したら陰性だったんですけど」
「でもね、これ」
と言って見せられたのは一番小さいサイズの付箋ぐらいの大きさの白い紙。端の方になにやら緑色の文字が書かれていて、どうやらそれは病院で使う検査紙であるらしい。そしてその一部に、うっすらとだけど紫色っぽいラインが出ている。

「ここに、薄いけど陽性の印が出てるんですよ。多分その市販の検査薬をしてみた時は、時期が早すぎて反応が出なかっただけでしょう。今、多分まだ2週ぐらいだと思います」
2週目!?・・・・あ、でも9月の生理が終わってからそろそろ4週間だから、前回の生理終了から2週間後に排卵があってその時に当たったと考えれば計算は合う。



・・・・・・・・・・・・・・・マジっすか。



「まぁまだ週が早すぎて何も言えないので、10日以上経ってからもう1度来て下さい。4週目になってればまたわかると思いますから」
とその日は帰されました。

さてどうしよう?と思ったものの、この時点では次郎君に話しませんでした。だってまだ早すぎるだろう、いくらなんでも。



次の診察は10月14日。超音波写真を見せられました。
「これが赤ちゃんが入ってる袋です。胎嚢と言います。この小さな点が胎児ですね。まだ小さすぎてわからないと思いますけど・・・・まぁ妊娠してるのは間違いないですよ」
うわ、本当だ。
「そうですね〜また2週間後に来て下さい。6週目になってれば、胎児も見えるでしょうから。写真はそれからあげましょうね」
と言われ、29日に次の診察の予約をして帰りました。

ところが、それから1週間後に事態は急転。


22日(土)の朝、仕事が休みの私はいつものように10時ぐらいに起きました。起きたらまずトイレへ。そして驚愕。


・・・・・・・・・出血してる。


一瞬、生理が始まったのかと思いました。妊娠っていうのはやっぱり間違いで、生理が来ちゃったのかな。でもそんなはずはない。先週、先生があんなにきっぱりと『妊娠してますよ』って断言したんだから。

どうしよう?これってほっといていいんだろうか?1〜2日ぐらい様子を見てみようかな。でもなんか急を要する事態だったらどうしよう?しばらく悩んだ挙句、病院に電話してみました。その日は休診日だったのですが、病棟の看護師さんに状況を話したら
「じゃぁとりあえず来て下さい」
と言ってくれたので、それから急いで支度して病院へ。少し待たされた後先生の診察。超音波での内診をして、先生と向かい合って座りました。

告げられたのは
「胎児が見えない」
という事でした。
「5週目になってるから胎児がもう見えててもいい頃なんだけど、確認できない。出血の原因もわからないし、もう1週間待って、それでも胎児が確認できなかったら今回は諦めるしかないですね」


意味がわかりませんでした。胎児が育ってない?

先生の話だと、確率的にいえば、すべての妊娠の15%は流産してしまうのだそうです。それはほとんどが妊娠8週以内に起こり、その大半は母体ではなく胎児に原因がある、と。染色体異常だったり奇形だったり、とにかく胎児自体に生き残る力がなくて淘汰されてしまうのだと。だからもしダメになっても、あなたが責任を感じる事ではないと。

説明を聞きながら泣き出した私に、
「まだダメだと決まったわけじゃないですから。来週また診察して、その時にちゃんと胎児が確認できればいいんです。まだ泣く時じゃないですよ」
と言ってくれました。

とにかく、今はいわゆる『切迫流産』(流産しかけている状態)なので、出血が止まるまで自宅療養する事。もちろん仕事は休む事。次は28日に診察に来る事が決まりました。

帰りの車でも涙が止まりませんでした。考えていたのは、次郎君にどう話そうかという事です。帰宅し、言われた通りすぐパジャマに着替えてベッドにもぐり込みましたが、眠れるわけもなく。いろいろな事を考えては泣き、泣き疲れて少し眠り、目が覚めてはまた泣く。その繰り返し。


私のせいだ、と思いました。実を言うと、最初に妊娠がわかった時、私は本当は嬉しくなかったのです。


出来たらその時はその時だ、なんて言ってはいましたが、正直なところ
「まだ後半年ぐらいはいいよねー。結婚から1年経った頃に妊娠発覚!ってのぐらいでちょうどいいんだけどな〜」
と思っていて。だから
「うわ〜ついにできちゃったよ〜」
という感じで、嬉しいというよりは、戸惑いの気持ちが強かった。しかも、10月の日記を見てもらえば判る事ですが、妊娠が正式に告げられた10月14日の翌日、私はウツのライブのために福岡に行ってるのです。自分で車を運転して行き、あまつさえ開演に遅刻した私は、駐車場から会場まで走りさえしました。


妊娠した事を喜べなかったから、妊娠してると判っていながら長距離の運転や走ったりなんて無茶な事をしたから、だからダメになっちゃったんだ。こんな母親の所には安心して産まれてくる事なんてできないと、赤ちゃんに見限られちゃったんだ。

そう考えて、頭が痛くなるほど泣きました。そして、泣いてる自分に驚きました。

だって、私は妊娠した事をたいして喜んでなんかいなかったのに。なのに、いざ流産するかもと言われたら自分でも気付かないうちに号泣してしまっている。

こんなに悲しいとは思わなかった。ごめんなさい。もう二度と「できちゃった」なんて思いません。だからお願い、まだいなくならないで。

祈るようにそう思いながら、泣きながらうとうとしているうちに夕方になりました。


次郎君が、帰ってきました。


私が寝てたので具合が悪いのかと心配してくれた次郎君に、泣きながら事情を説明しました。すると意外にも落ち着いた声で
「でもまだダメって決まったわけじゃないんだろ?大丈夫かもしれないんだろ?だったらそんなに泣くなよ。・・・・・・それに、最その子がダメになったとしても、お前が元気でさえいればまた次を望む事もできるんだから・・・・な?」
と言いました。


なんだか意外でした。別に子供が欲しいなんて思ってなかった私がこんなに悲しんでいるのに、私なんかよりずっと強く子供を望んでいた次郎君がそんなに平気そうにしてる事が。これが、実際に体内に命を宿してる女性と、そうじゃない男性の違いなんだろうか?


結局次の週はまるまる会社を休みました。もちろん、事情を話さずにそんなまとまった休暇を突然もらう事はできませんから、直属の上司にだけは電話で事情を説明しました。毎日何もせずに、ただトイレに行くたびに出血が止まってない事を確認してはため息をつく日々。

1週間後、病院へ行きました。私は、なぜかその時はもう完全に諦めていました。子宮内で死んでしまってるのだとしたら、手術で掻き出す事になるのだろうか。その時は入院?いや、そもそも先週の時点では『育ってない』と言われた。じゃぁ受精卵はこの1週間の出血と一緒に排出されてしまったのだろうか?そんな事ばかり考えながら内診台に乗りました。


ところが。

腰の辺りにかけられたカーテンの向こうで、先生が
「あ」
と言ったのです。

「見えますよ、赤ちゃん」

「・・・・・・え?」
「胎児がちゃんと確認できますねぇ。ちょっと小さいですけど・・・うん、ちゃんと育ってるみたいですよ」


思っても見ない結果が出たのです。安心したらまた泣けてきました。

ただ、育ってはいるが標準と比べたら若干胎児が小さい事、そして相変わらず出血の原因が判らない事から、
「また1週間後に診察に来て下さい。1週間おきに2回ぐらい診察して、それで胎児が小さいなりにちゃんと育っているようなら問題ないと言っていいと思います。今の時点では、70〜80%の確率で大丈夫だろうとしか言えませんよ」
と告げられ、それでもとりあえず仕事に復帰しても構わないと許可をもらえました。

病院を出たらまず次郎君に電話をしました。仕事中だったのでとりあえず大丈夫だった事だけ伝え、夜になって帰宅した次郎君にさらに詳しく話して、また泣きました。

翌週から仕事にも復帰し、用心に用心を重ねながら1週間を過ごし、次の診察は11月5日でした。その時に
「うん、小さいなりにちゃんと育ってますね。多分大丈夫でしょう・・・・・・おめでとうございます」
初めて、先生が『おめでとうございます』と言ってくれました。


その頃から、徐々につわりが始まりました。しかも、普通は『食べ物の匂いが気持ち悪い、食べられない』というのがつわりの症状なのですが、私はどちらかというと少数派の『食べつわり』でした。お腹が空くと気持ち悪くなるのです。でもお腹が空いてて胃は空っぽだから、実際に吐くことはできない。でも吐き気が治まらない。だからと言ってお腹いっぱい食べてしまっても気持ち悪いのです。

職場の上司にも詳しく説明し、ずいぶんと気を使ってもらいました。勤務中でも、体が辛いと感じたら上司に断って休憩室で横になります。ほんのちょっと休憩するだけのつもりが、熟睡してしまって目が覚めたら2時間経ってた、なんて事もしょっちゅうでした。そうやって順調に2週間ほど経ったある日、朝起きたらまた出血していたのです。


次郎君にもすぐ話し、会社に電話を入れて午前半休をお願いし、そのまま病院に連絡を入れてすぐ向かいました。結果、またもや原因は不明。再び、『出血が止まるまで自宅療養』を言い渡され、会社には電話で事情を話しそのまま帰宅。

この頃が、一番つわりがきつかったように思います。お腹が空くと気持ち悪い。でも食べても気持ち悪い。料理を作るどころじゃありません。よく聞くような『ご飯が炊ける匂いがダメ』というのはなかったのですが、食べたい物がピンポイントで日替わりなのです。カレーうどんが食べたい。お味噌汁かけご飯が食べたい。卵サンドが食べたい。毎日食べたい物が変わり、しかも思いついたらそれ以外は食べたくないのです。自分で作る気力がない時は次郎君に仕事帰りに買ってきてもらう。

日によって体調がまるで違うので、次郎君も大変だったと思います。比較的元気にご飯とおかずを作れる日もあれば、食べても10分もしないうちに全部吐いてしまうような日もありました。毎日、仕事から帰る時に
「今日は何か買ってきて欲しいものある」
と電話をくれて、もともと決してマメではなかった家事が更に手抜きになっても文句も言わずにいてくれた次郎君には感謝してます。


困った事に、私は12月4日に高校時代からの親友トモエの結婚式を控えていました。もちろん出席の返事をしてあったし、スピーチも頼まれてたのです。病院の先生にも話したところ、
「・・・・とりあえず出血が止まらない事にはなんとも判断できませんね。日が近くなってから、状況を見て決めましょう」
という返事。ダメとは言われなかったのでちょっと安心していたら、母親と妹にものすごい剣幕で反対されました。

ギリギリまで様子を見たものの、結局式の4日前の時点で出血が止まらなかったためけ欠席せざるを得ませんでした。直前になっての欠席だったためトモエには本当に迷惑をかけました。申し訳ないし、私としても、大事な親友の一生に一度の晴れ姿を拝めなかったのは本当に心残りです。


結局、11月下旬から12月上旬まで、実に半月以上にわたって仕事を休む事になり、会社にもずいぶんと迷惑をかけてしまいました。私の業務を上司が代行することが出来ず、結局本社から泊りがけで応援の出張に来てもらう事になってしまった事については、先日の日記にも書いたとおりです。


つわりの方は、不思議なもので12月に入った辺りですっとラクになりました。12〜3週辺りでラクになる人が多い・・・とは聞いていたのですが、まさしくそのタイミング。お腹が空いた時のあの不快な吐き気がまず減りました。気持ち悪くなる事はありますが、実際に吐き気を伴う事がぐっと減ったのです。今では、極端にお腹が空き過ぎた時や調子に乗って満腹になるまで食べてしまった時、そして暖かい部屋から急に寒い所に出た時にちょっとぐっとこみ上げてくるぐらいで、日常的に吐き気が治まらないという事はほとんどなくなっています。


今、妊娠16週ぐらいです。一般に安定期に入るのは20週からと言いますから、まだまだ安心は出来ません。本当は、日記に公表するのは安定期に入ってからにしようと思っていました。でも“22週で死産した”なんて話もありますので、例え安定期に入っても100%大丈夫というわけではないのです。


制服のスカートやジーンズのウェストが止まらなくなりました。時々、寒い所で下腹が張るような感じがする事もあります。鏡で見て、わずかですがお腹が膨らんでいるのがわかるようになりました。今のところ、着実に赤ちゃんは育ってくれてるようです。


正直、今でも『もうちょっと先でも良かったんだけどね〜』と思う事はあります。育児の大変さを想像しただけで面倒な気持ちになる事もあります。

でも、最初に『ダメかもしれない』と言われた時の様なあんな悲しい思いはもうしたくありません。だから、『できちゃった』のではなくて『授かった』のだと思って、毎日気をつけて過ごしたいと思っています。特別子供好きだったわけじゃない・・・というよりも、正直『子供は苦手』と思っていた私にとって、
「私でも母性本能なるものがあったんだなぁ」
と驚くような気持ちもありますが(苦笑)






というわけで、咲良の今年のトップニュースは『妊娠した』でした。来年は『無事出産した』という報告が出来るよう、頑張りたいと思います。

それでは、少々早いですが、皆様、今年も1年間お付き合いいただいてありがとうございました。よいお年をお迎えください。



2005年12月27日(火) 咲良・今年の五大ニュ〜ス!

今日は妹の誕生日です。おめでとう、妹よ。

・・・・・・・・ここで言っても読んでないし(笑)後でメールでもしときましょう。



さて。今年も早いものであと4日で終りですね。去年もやりましたが、今年もやりましょう。

咲良の今年の五大ニュース♪



まずは第5位。
・ウツのライブで痛恨の遅刻
詳しくはこの日の日記をどうぞ。全部が全部自分のミスじゃないとわかってはいても、悔やまれてなりませんね。今まで“ライブ関係でやっちゃった一番痛いミス”は『チケットを忘れて行った』だったんですが(これも相当へこんだなぁ。まぁ最終的には当日券で入れましたけど)今回のこれは間違いなくそれより痛かったです。

5時開演のライブで会場に入れたのが6時半。アンコールも含めてラスト4曲しか聴けなかったんですよ。しばらくはウツのどの曲を聴いても
「あーこれやってくれたかも」
「うわ〜これ聴きたかったな〜」
とか考えちゃって泣きそうでした(苦笑)ちきしょう、やっぱりプロ野球なんて嫌いだ。



第4位。
・大学の恩師逝去
詳しくはこちらの日記を。
本当に良い先生でした。もっとお見舞いとか行っておけば良かったと、今でも後悔しています。結婚式にも来てもらいたかった。まだたったの56歳だったのに。

御冥福をお祈りします。



第3位。
・結婚した
え?これが3位?と思われるかもしれませんが(^^; 詳しくはこの日の日記をどうぞ。
いや〜今となってみれば、準備も含めてやっぱり楽しかった。後悔してる点もいくつかあるんですよ。ミヅキが友人代表スピーチをしてくれてる時に会場が騒がしすぎて聞こえにくかった事とか、その間に次郎君とこにお酌に来てたバカ野郎ども常識がないにも程があるぞとか(→『スピーチ中はお静かに』とか『スピーチ中は新郎新婦への御挨拶は御遠慮下さい』とか言ってもらえば良かったな。次郎君の友達がスピーチしてる時には、私の友達は誰も高砂にはこなかったもん。それが常識よね?)

あと、お色直しの後の入場BGMにTMの『Nights of the Knife』を使ったんだけど、そのままテーブルフォトに入ったんですよ。そしたらBGMもTMを途中でフェードアウトして、テーブルフォト用に預けてた曲の方に変えられちゃったんです(笑)確かにTMの方は
「入場の時用に」
って渡してあったから間違いじゃないんだけど、移動しながら
「えぇっ!?TM途中で切っちゃうの!?」
と密かにショックを受けてました。あれは予想外だったな〜。
「TMを最後までかけてから、テーブルフォト用のCDに替えて下さい」
ってわざわざ言っておかなきゃいけなかったんですね。でもそんなの普通思いつかないじゃーん(泣)

あとねぇ・・・・これは言わない方がいいのかもしれないけど、テーブルフォトの写真、出来あがって見たら・・・・・次郎君の甥っ子・姪っ子達(妹さんとお兄さんの子供)がすんごい何枚も写ってるんですよ。家族テーブルで一緒に写った後、面白がって次のテーブルとかにも割り込んで写ってるんですね。これがなぁ・・・・・こういう言い方は悪いかもしれないけど、典型的な『田舎の子供』って感じで見てて恥ずかしいんですよ。ほら、地方からのニュース中継なんかで、しゃべってるアナウンサーの後ろでピース!ピース!ってやってる頭の悪そうな子供、いるでしょ?あの中に身内をみつけちゃったような気分とでも言いましょうか。

あれって、撮ってるその時には気付かなかったんですよ。こっちもドレスでの移動は大変だし、次郎君は行く先々で飲まされてて心配だし、あんまり時間かかるのもマズイしって感じで、私もいっぱいいっぱいでしたから。あとで出来あがった写真を見て、
「おいおい、お前ら何枚写ってるんだよ」
とちょっとうんざりしただけで。

まだあの子達とあんまり仲良くなってないせいもあるのかもしれないけどさー・・・・元々子供はそんなに得意じゃないけど、友達の子供とかは本当にかわいいとおもうんですよ。でもその子達はもう4人とも小学生で無条件に『かわいい♪』って言える年齢じゃなくなっちゃってるってのもあるし、向こうも、まだそこ何回かしか会ってない“次郎兄ちゃんのお嫁さん”にそんなに無邪気になついてくる歳でもないわけですよ。次郎君の実家で同居してる妹さんの息子2人でも、まだ5〜6回しか会ってないもんなぁ。男の子が多いってのも理由の1つかも。4人中3人が男の子だもん。

・・・・・・とまぁ言い訳しててもしょうがないので、会った時はできるだけ気軽に声かけるように努力してます。とりあえず嫌われなきゃいいや。(いいのか?)


えーとなんか話しが逸れたけど。

結婚生活はそこそこうまくいってると思います。予想以上に私が掃除をしない事に次郎君が少々驚いてるようですが(笑)今のとこ順調で楽しいですよ。結婚する前は結婚願望なんてまるでなかったけど、1回はしてみるのもいいもんかも。



で、第2位。
・新婚旅行で沖縄5泊6日
はい、これが2位です。結婚した事そのものとどっちを上位にしようか迷ったんだけど、こっちの方が日付が近い分印象も強くて(笑)詳しくは9月の日記の4〜8日の分をどうぞ。

楽しかったな〜。また行きたいです。知ってる人がいない土地だというのが良かったのか、次郎君がいつになくベタベタさせてくれました(笑)特に本島で泊まったザ・ブセナテラスには絶っっっ対にまた行きたい。その時はエステもやってみたいし、他には外出しないでホテル内のリゾートライフを満喫するんだ♪

・・・・・・・・・・あ、でも美ら海水族館だけはもう1回行きたいな。

台風で予定外に1日早く行く羽目になったのも、そのおかげで石垣島でフリーの1日ができたわけだから結果オーライですね。うん、本当に楽しい旅行だった。




さてさて。ついに1位の発表ですが。

































・・・・・・・・・・・長くなるのでまた明日(笑)待て次号!!



2005年12月26日(月) 結婚して最初のクリスマス

だったわけですが。

折からの体調不良(←まだ引きずっている)のため、ここ最近夜の外出を控えている私。組合関係の忘年会も、支社の忘年会も、大学時代の友達と久々に企画されたランチ忘年会も、全部欠席。(最後のが一番悔しい・・・)


そんな状況で、さすがに
「クリスマスはデートしておいしいもの食べようね♪」
なんて計画を立てられるはずもなく、まぁ次郎君が仕事だったせいもあり、結婚して最初のクリスマスはおうちで過ごす事になりました。

あ、ちなみにケーキだけはあったんですよ。会社で、お客さんの付き合いで買ったケーキ(笑)でも市内のおいしいケーキ屋さんのケーキだぞ。シェ・タニだぞ。(←熊本の人にしかわからないっつの) しかしこのケーキが届いたのが、連休の都合で22日。しかも次郎君はそこまで甘党じゃないので、1切れ食べれば充分・・・って感じ。


えぇ、結局私1人で食べました。1日1切れずつ(笑)まだ最後の1切れが冷蔵庫に入ってます(爆)


せっかくなのでちょっとはご馳走っぽいもの作ろうかな〜・・・と思い、24日はいろいろ作りました。鳥のから揚げ、アスパラの素揚げ(次郎君がここ最近やたら食べたがってた)、ポテトサラダ、お刺身のカルパッチョ風サラダ、シーフードカレー。なんなんでしょうね、この統一性のなさは。

これだけ品数が多いと当然2人で完食できるはずもなく、25日の夕ご飯は引き続きポテトサラダとシーフードカレー。いや、それぞれはおいしかったんだけど、やはり2人だとね・・・・品数を増やそうと思うと単品の量を減らすしかないじゃないですか。それって作りにくいんですよね。で、結果として単品の量はいつも通りで品数だけ増える→残る。


次郎君って、同じものが続くと実はイヤみたいです。カレーだけは例外で、2日目でも喜んで食べるんだけど、例えば豚汁を作りすぎちゃって昨日のがまだあるよ・・・とか言っても半分ぐらいの確率で断られる。豚汁とかだご汁とか味噌汁とかの汁物ならまだマシな方。これがいわゆる『おかず』だと、かなりの確率で
「他は何もない?」
と聞かれます。

男の人って結構そうらしいですね。作った側からしたら
「まだあるんだから、ある物を食っとけ。もったいないじゃん」
って感じなんですが。
「残るほど作らなきゃいいじゃん」
と1回言われましたが、結婚前は4人家族だった私。感覚が『4人前』なんですよ。よほど意識して作らないと、気をつけてたつもりでも2・5人前とか3人前になっちゃうの。なかなか慣れません。


まぁあからさまに文句言わないだけいいかー。(多分、言ったら私が怒るのがわかってるから言わないだけなんだろうけど)



・・・・・・・クリスマスの話を書こうと思ってたはずなんだけどな。

あ、クリスマスプレゼントをもらいましたよ、一応。私、誕生日が1月前半なので、今までクリスマスプレゼントをもらったことがないのです。2週間ぐらいしか間が開いてないから、別々にもらうのが何か申し訳なくて、今までの彼氏全部に
「いいよ、クリスマスはいらないよ」
って自分から言っちゃうんですね。

でも今年は珍しく、次郎君の方から言い出しました。
「クリスマスに買ってやろうか?」
って。


何を買ってもらったかって?






































台所用のちっちゃなファンヒーター(笑)



寒いんですよ、うちの台所。家の北側にあるせいか建物が古いせいかはわからないんだけど、異様に寒い。さすがにかわいそうになったらしいです。なんか生活感あふれるプレゼントだなぁ(^^;



2005年12月19日(月) 会社の体質って簡単には変わらない。

ちょっと御無沙汰してました。咲良です。

いや、本当は先月末に最終的に8回もの連載(?)になってしまった『恋愛遍歴』を書き上げたのは12月に入ってからなんで、実際に日記を書くのは1週間ぶりぐらいなんですが・・・・・それでも間が開いてるよなぁ。

ちなみに、なんでわざわざ『恋愛遍歴』を11月の日付に収めたのかというと、ただ単に後から読み返す時に2ヶ月にまたがってたら読みにくいからです。

でもあれを書いてる間は普通の日記は止まってたわけだから、普通に日記を書くのは・・・・・1ヶ月近くストップしてたわけで。いやんごめんなさい。



さてさて。近況報告など。

11月後半にまたちょっと体調を崩し、10日ほど会社を休んでおりました。10月末に休んだ時はかろうじて月末に出勤できたからまだ良かったんですが、今回は月末から月初めにかけて休んでしまったわけですよ。

するとどうなるかというと、経理関係の月末締め処理が一気に滞るんですね(苦笑)休みをもらう時に
「締めが終わってからお休み頂いてもいいですか」
と(体調不良を押して)申し出たのに、部長が
「いや、無理はよくないから、今日からもう休みなさい。経理関係は私と課長でフォローするから」
と言ってくれたのです。(あ、うちの総務は部長・課長・私の3人しかいません)

心配してくれるのは本当にありがたいんですけど、普段経理関係の処理をまったくやった事のないお2人でどうフォローすると!?と不安になりつつも、おとなしく帰宅。翌日、具合が悪いのに頑張って月末の締め処理の手順をA4用紙びっしり1枚にまとめて家からFAXを送ったら・・・・・・



FAXが会社に届いた約1時間後から、20分おきに課長から電話がかかってくる(爆)休養にならんがな!!

結局、ほぼ電話で実況中継のような状態でなんとか処理を終わらせたものの、実はまだ別の月締め処理があるのですよ。そっちは電話&FAXで説明するだけじゃ不安だな〜・・・と思っていたらなんと後日、結局部長と課長だけじゃどうにもならず、本社から事務の女の子に応援に来てもらってた事が発覚!


締め処理した書類を本社へ送らなきゃいけない締切日に、あまりにも気になったんで本社の担当者に直接メールしたんですよ。
『ちゃんと経理の書類は間に合いました?中身は正しく処理できてました?』
って。そしたら3日後に電話がかかってきました。

ちなみに本社の担当者というのは、何度かこの日記にも登場した事があるのんちゃん。北九州支社から福岡本社へ異動になったばっかりの彼女は、私より7歳も年下なのにとてもしっかりした頼りになる子です。

そののんちゃんから電話がかかってきて
「いや〜、姉さん(←彼女はなぜか私をこう呼ぶ)からメールが来てたのは判ってたんですけど、半端に途中で電話するよりは片付いてからにしようと思って」
と言われた瞬間、
「・・・・あぁやっぱり部長と課長だけじゃダメだったか・・・」
と悟る私(笑)


本社送付締め切り当日になって、熊本から本社へSOSの電話が来たんだそうです。んでまぁ本社の総務部門で一番その辺の仕事に通じているのんちゃんが派遣され(のんちゃんは、本社へ異動になる前は北九州支社で私と同じ仕事をしてましたから)、結果、なんと2泊3日に渡って熊本で仕事をするはめになった、と。

しかも部長が中途半端に理解した状態で作成しちゃった伝票に山のようにミスがあったらしく、その修正に終われ、出張先なのに最終日には10時近くまで残業させてしまったらしい・・・・もう笑うしかありません。


唯一の救いは、のんちゃんの旦那さんが熊本にいたって事ですかね。福岡と熊本で週末婚状態ののんちゃん。いつもなら1〜2週間おきの週末にしか来れない熊本の新居に、初めて平日から週末にかけて5日間滞在したそうです(苦笑)



しかしあれですね。やっぱり『この仕事は私しかできない』状態はいかんですよ。今回しみじみ思いました。経理関係って毎月全部私が最初から最後まで1人で処理して、課長と部長は最後に印鑑押すだけっていう状態だったんですよ。その結果がこれだもん。ある程度の権限が必要な仕事とか、『これは上長にしかできない』って仕事はあって当然なんだろうけど、下っ端業務員がやってる仕事をここまで上司がわかってないってのはダメですよ。

のんちゃんに同情されてしまいました。
「あんなに課長も部長も経理を知らない支社は初めて見ました」
って(泣)
「代わりにやってもらえないだけじゃなくて、姉さんが毎月どれだけの量の仕事を、どれだけ大変な手順を踏んで片付けてるのかって事を全然知らないじゃないですか。手伝ってもらえない事よりも、普段どれだけ大変なのか、頑張ってるのかって事を理解してもらえてないのが辛いですよ」
って(号泣)

北九州支社の課長さんは、以前本社の総務にいたんですよ。しかも数少ない女性の課長で、一番下っ端から仕事を経験してその地位についた人。だから、仕事を手伝ってもらえるかは別問題として(その時の課長の忙しさに寄るからね)、のんちゃんが毎月どれほど面倒な手順を踏んで締め処理を行ってるのかを、ちゃんと判ってくれてたわけです。

でも男性社員のほとんどは現場作業員として採用されるうちの会社。当然、総務経理関係の一番下っ端の仕事を経験した事ある人なんてほとんどいないんです。そしてそういう、経理の「け」の字も知らない人が、労務の「ろ」の字も判らない人が、いきなり課長やら部長やらとして総務に配属されるわけですよ。

たいてい、総務の一番下っ端業務員は、事務員として採用された女性社員です。本社ならともかく支社では異動なんてほとんどないし、あっても支社と営業所が変わるぐらいで業務内容は同じ。すると結果的に支社の総務部は『総務の仕事に関して一番詳しい下っ端女子社員』と『現場からいきなり総務に異動になって総務の仕事は今から勉強します状態の上司』という構成になってしまうんです。

程度の差はあれどの支社でも大体同じ状況らしいから、もうこれはうちの会社の体質なんでしょうけど、やっぱり下っ端業務員が1人ちょっと長期休んだだけで支社の経理が滞っちゃうってのはいかがなものかと。

おかげで、復帰してからはその後処理やたまった書類の整理で、しばらく仕事になりませんでしたよ。(とか言いながら、合間に『恋愛遍歴』の更新なんかしてたけどさ)そしてそのバタバタがようやく落ち着いたかと思ったらもう年末だし(^^;




今日の夕飯
・オムライス
(昨日のご飯が残ってたんだもの。ここ数日ずっとオムライスが食べたかったし。中身はチキンライスじゃなくてシーフードのケチャップ炒めご飯。卵もなかなかいい感じにふんわり巻けましたよ。次郎君のオムライスにケチャップで何を書こうかと思案していたら
「・・・・・ハートマークとかベタな事するのはやめてね」
・・・・・・・・なんでわかったの?
「好き、とか書くなよ。そんなベタなマネしなくていいからな」
・・・・・・・・だからなんでわかったの?
「しょうがないな、じゃぁこれで」
というわけででっかくLOVEと書いてみました(笑)いいじゃん、とりあえずそういう基本は押さえとこうよ(爆))
・鳥団子の中華スープ
(本当は春雨も入れるつもりだったんだけど、豆腐の賞味期限が明日だという事に気づいたため春雨を豆腐に変更。あとキャベツのざく切りも)
・サラダ
(グリーンボールの千切りとツナ。キャベツよりちょっと葉が柔らかいかな。次郎君はキャベツよりこっちが好きみたい)
・鳥のから揚げ
(次郎君におつまみ。・・・・・・ごめんなさい、冷凍食品です・笑)


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