今マスコミでは窪塚洋介が自宅マンションから飛び降りたという事件で持ちきりのようだ 日曜日の夕方のニュースでそのことを聞いたとき私は尾崎豊のことがふっと頭の中をよぎった そのときはまだ窪塚の生死はわかっていなかったのだがミュージシャンと俳優という違いこそあれ二人には共通する絶対的なものを持っていたことは確かでそれは天性のものであったりカリスマであったりするわけだが、そういう者が衝動的にやってしまう謎の行動 むろん本人にだけしかわからないのであろうがヘンな言い方かもしれないが私は別にそういったことをしてしまった彼をおかしいとは思わなかった それどころか窪塚ならやってもおかしくないなとさえ感じた
飛び降りる三日前だったか図書館へ書の調べものに行ったついでに詩集のコーナーをなにげなく見ていたら「流」というタイトルの窪塚の文庫が目に付いた ファンではないが俳優としての窪塚の才能は凄いなと以前から思っていたので気になる人ではあったのだ ここ数年まえからの邦画を面白くさせている理由のひとつに俳優の個性というのがあるかと思うが間違いなく窪塚はそのひとりだと思う
本はまだ全ては読みきっていないが彼は俳優という毛皮を一旦脱いだらとても繊細な人間だ 結婚をして家庭をもった彼はいままでと全く違う環境の中での窪塚になっていかなければならなかった そしてカリスマ窪塚でもいなければならなかった
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