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2025年03月24日(月)
『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』先行上映+レオス・カラックスQ&A

『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』先行上映+レオス・カラックスQ&A@ユーロスペース シアター2

『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』先行上映+Q&A、カラックスの希望で本日は日本語の質問に英語で回答。デリケートな質問にも誠実に答えてくれた。「クリアな目を持ち、クリアな耳を持ち、クリアなヴィジョンを持つこと。今の世界では困難なことだが、努力し続けたい」という言葉が印象的だった

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Mar 25, 2025 at 0:48

字数制限により簡潔に書いたけど、勿論日英の通訳者がいらっしゃいました。横浜フランス映画祭や日仏会館で仏語いっぱい話したので(臆測)英語で話したかったのかな。

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行けるのがもうこの日しかなかったのでチケットとれてよかった……。隣席になったお嬢さんがフレンドリーな方で開演前いろいろ話してたんだけど、即完したカラックス×黒沢清のトークショウ(後述)は「関係者が殆どだったみたいですよ! 一般にどれだけ出たんだか!」と憤っておられた。成程ね〜、1分もかからず完売したみたいだもんね〜。それにしても楽しいお嬢さんだった。自然と「また〜」と別れた。こういう時間って好き。

という訳で『アネット』から3年、再び桜の季節にカラックスがやってきた。そういえば桜の季節に来日したのは前回が初めてだったとか。桜は見られたかな、ちょっと早かったかな? 堀越謙三さんとの縁もあり、ユーロスペースはカラックス来日時のベースにもなっていますね。

『IT’S NOT ME』はポンピドゥー・センターからの「10分くらいの自画像的なショートフィルムを」という依頼を受けつくられたもの。その後いろいろあって42分の作品に(笑)。中編なので日本公開はあるだろうか、あっても映画祭で数回かも……と思っていたので、公開が決まってうれしかった。

リアルとフィクション、自作も含む膨大な数の引用。映画への愛と、戦争の世紀でもある20世紀への怒り。ときに自身へも向けられる、男性への怒り。娘と動物たち。闇、疾走、回転、デヴィッド・ボウイ、カイリー・ミノーグ、スパークス! 音楽! 音楽! 音楽! その繰り返しが映画になる。映像と音声のコラージュは、ゴダールへのオマージュ。「たった一度の主観」はジュリエット・ビノシュ。ギョーム・ドパルデュー、ジャン=イヴ・エスコフィエ、カテリーナ・ゴルベワへの悼み。瞬きについて。そして最後、サプライズのポストクレジット。20世紀から21世紀へ、次世代へ託したい希望がそこにはあった。涙が流れる。

映画館の闇のなか、観客のひとりひとりは孤独に作品と向き合い、ときには死者と、ときには架空の、或いは実在する人物と対話する。スクリーンは闇へと戻り、拍手が起こった。

上映後のQ&Aを終え外に出ると、出待ちのひとたちが揃って高揚した顔で向かいの駐車場を見つめている。カラックスがタバコ休憩中だったのでした(笑)。下のカフェにスペースをつくってサイン会が行われたようです。すごい行列になってたけど全員に対応したんだろうか。

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Q&Aの内容はこちら。

・レオス・カラックス、最新作「イッツ・ノット・ミー」を語る「私自身がものすごくカオス。この映画はカオスがそのまま生きて描かれている」┃デイリースポーツ online

意外にも(失礼)デイリースポーツの記事がめちゃ詳しい! いちばん詳しいかも! この記事を参照しつつ、各質問に対する反応、興味深かったことなどをメモ。

・なかなかないといっていいくらい、良質な質疑応答だった。自分語りをするでもなく、長々と感想を喋るでもなく、どのひともカラックスとその作品に敬意を持ち、そのうえで思慮深くかつ鋭い質問を投げかけていた。豊かな時間だった

・司会は安心と信頼の矢田部吉彦さん。質問を募るとじゃんじゃん手が挙がる。男性からの質問がずっと続き、「日本に女性はいないんですか?」とカラックス(苦笑)。矢田部さんが気を遣って「女性の方いらっしゃいませんか?」と客席へ声を掛け、最後に女性からの質問がありました。結局女性からの質問はそのひとりだけだった

・「鑑賞は二回めなのですが」「私も二回めの鑑賞ですが」……全通の猛者もいたのかもしれない(笑)

・ベイビー・アネットの制作者/人形遣い(エステル・シャルリエとロミュアルド・コリネ)が本当に大好きなことが伝わった。公開時も「出演者もスタッフも、みんながアネットに恋をした」っていっていたものね
・「ベイビー・アネットのシーンは本当は使う予定じゃなかった」という話を受けて、矢田部さんが「残してくれて本当によかった、有難うといいたいです」って。深く頷いたよ……(思い出して今また泣いてる)
・ANNETTE PUPPET┃la pendue & Estelle Charlier
シャルリエとコリネの人形劇団『ラ・パンデュ』のサイト。アネットの制作プロセスやドキュメンタリーが掲載されています

・「人生を振り返ってみると、映画を作っていない、作れない時期の方が長かった。それでもいいかなと思っている」。実感がこもりすぎててドスンときた言葉
・「映画を発表してない期間が長いからといって何もしてない訳じゃない、ずっと準備をしている。構想を練ったり、協力してくれるひとと会ったり、毎日仕事はしている」ともいってた。これ『アネット』のときもいってたな…ですよね日々創作してるんですよね……

・ビノシュ、エスコフィエとの別れについての質問は、質問者も慎重に言葉を選んで話していた。「全作品観ています、失礼な質問かもしれませんが、興味本位ではないことをご理解ください。作品を観るうえでどうしても気になっていることです。答えたくなければそれでも構いませんので……」といった感じ。通訳者もかなり気を遣ったんじゃないかな。矢田部さんも真顔になり、客席中に緊張感が走ってました。「ゆ、勇者……」って感じ
・長い沈黙のあと、ふう、とひと息ついて「……それが人生ですよね。皆さんもそうでしょう」と答えたのが印象的だった
・「兄のような存在だった」エスコフィエの死と、カラックスがフィルムからデジタルの撮影にすんなりと移行した(ように感じる)ことは繋がっているのだろう。「私はフィルムはエスコフィエと撮るから」といった
・てかデイリーさん、一連の答えの最後に「(笑顔に)」って書いててすごい読者への配慮が感じられる。わかってる〜というか。いい記者さん!

・「カオスの中で生きていると、一緒に何かを作ってくれる人たちが出てくる。そのカオスを理解してくれる、共有してくれる人が出てきて、私がカオスに形を与えることを助けてくれる」。創作は孤独なものだけど、映画はひとりではつくれない。そしてカラックスのもとにはひとが集まってくる。しみじみ

・作品と「孤児」の関係について。確かにカラックスの作品は両親がもともといない、母親は死に父親は破滅し、といったものばかりだが、指摘された本人は「それは知らなかった」なんていう
・しかし続けて孤児になりたかったこと、名前を変えたことを話し、全ての子どもが姓を自分で選び、変えることが許されればいいと断言していた
・「作者は殆ど死んでいるような昔の映画も、映画館に行けばそこにあった。映画は美しい墓場のように感じた」とも。彼にとって映画が親なのだ

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・『カンヌ映画祭2024日記 Day6』矢田部吉彦┃note
(2024年)「カンヌ・プレミア」部門で、レオス・カラックス監督新作『It's Not Me』。(中略)上映の前に、係の人が「クレジット後にサプライズがありますので、そのままお残り下さい」とアナウンス。昨日のプレミア上映ではティエリー・フレモー氏が言ったらしい。フランスの観客は本編が終わると速攻で席を立つので、そう言っておかないと逃してしまうのだ。そして、そのサプライズのサプライズたるや!これは本当に驚いたというか、幸せだった!どんなに予想しても絶対に当たらないと思うので、もし日本で見られる機会が訪れたら、本当に楽しみにしてもらいたい!
ホントそうだった、絶対クレジット流れ始めても席を立たないで! 涙ドー

・Q&A後にフォトセッション(マスコミのみ)があったんだけど、最近ではマスコミもスマホで撮影するので、カメラのシャッター音だけでなくLive Photosの「ピコン」という音も鳴りまくる。ちょっと異様な光景で、カラックスも居心地悪そうだった。矢田部さんが気を遣って「ポーズの要求はご遠慮ください」といっていた。『アネット』でカメラに曝されるヘンリー(アダム・ドライバー演じるスタンダップ・コメディアン)みたいなシチュエーションだったな……

・レオス・カラックスと黒沢清が対談 ゴダールからの影響や“映画の未来”を語り合う┃Real Sound
いやー詳しい記事! 有難い! 『KK』(・黒沢清マスタークラスが開催、「CURE」「回路」の秘話や影響を受けた映画監督を語る┃映画ナタリー参照)を観られなかったことだけが心残り。まさか上映するとは!
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大都会というのはもう死んでしまっていて、博物館のようになっていると思うんです。今の都会は、お金持ちや旅行者のためのもの。光や雑音、人々があまりにも増えすぎてしまって、不思議と魅せられることがなくなってしまった。清さんだったらそこに“亡霊”を見るかもしれませんね。大きな都市には歴史がありますが、もう何も残っていない。もしかしたら亡霊だけが残っているのかもしれません
小津は『2つの視線の間に目を洗う』ということを言っていました。今はそういうことができない時代だと思います。常に目を開けっぱなしでなければいけない。そうすると見えなくなってしまう。これは大きな問題だと思います。映画が新しくなるかどうかについて、私はあまり心配していません。私が心配しているのは、人々が物を見ることができなくなることなんです
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慌ただしい時間のなか、小津監督のお墓詣りには行けたようです。よかったよかった



2025年03月23日(日)
『教皇選挙』

『教皇選挙』@kino cinéma新宿 シアター1

確信を持たないことこそが信仰を信仰たらしめる、と確信(確信しちゃダメだって)。そしてアカデミー賞の結果は、現在のハリウッドというかアメリカはこれを受け入れ(られ)ないという表明でもあったのかもしれないな 『教皇選挙』

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Mar 23, 2025 at 20:25

神は見ているだけだが、それでも神の御業というものはある。と信じてしまいそうになる。ローレンスの迷いが決意へと振れた途端、雷(ここはいかずちと読みたい)が落ち(たかのように爆発が起こ)る。しかしそれは、異教徒によるアタックだ。では、これは「どの」神の御業か? ひとりの神を信じるものは、常に疑念に満ちている。だからこそ、信仰から離れられない。

原題は「コンクラーヴェ」。「根比べ」と響きが似ていることから、日本での認知度は高いように思う。記憶を辿ればこの言葉を知ったのはヨハネ・パウロ2世が亡くなったときかな。投票結果を煙突からの煙の色で知らせることもこのとき知った。

しかしそれが投票用紙を燃やした煙だったこと、教皇の死後“漁師の指輪”を破壊し、遺体を運び出したあとの執務室を封印することは知らなかった。真っ白な傘が集まる鳥瞰、鮮やかなローブの色合い、遺体搬送車の振動に揺れる遺体袋。普段部外者が目にすることがない聖なる風景、その風景に跳梁跋扈する俗物たちが、圧倒的な美をもって見せられる。撮影監督はステファヌ・フォンテーヌ。鳥の声、亀の歩行、割られる封蝋。そして息を呑む、嘆息するといったさまざまな呼吸音。耳を傾けずにはいられない。サウンドデザインはベン・ベアード。

上質のミステリーでもある。少しずつ降り積もる謎、少しずつ積み重なる情報。脚色のピーター・ストローハンによる手札の出し順が絶妙。エドワード・ベルガー監督の手腕は繊細かつ豪快。

外部からの情報遮断のため隔離された枢機卿たちは、策謀と駆け引きに明け暮れる。アメリカ、カナダ、イタリア、ナイジェリア、そしてアフガニスタン(!)……世界各国から集まる枢機卿たちが話すのは英語、イタリア語或いはラテン語。ヨーロピアンも、アフリカンも、勿論エイジアンの姿も見える。これだけ多言語、多文化なのだから、寛容でいてこそ神に仕える者だろうと思うが、そんなこといったらカトリックの起源はローマだろうがよ〜ざけんなだったらヘブライ語喋れよいやアラム語だろって話になって争いが生まれるんですね。バベルよ……。首席枢機卿のローレンス(イギリス人)が、母語以外の言葉でまくしたてられて返答に詰まる場面があった。そこで反射的に適当なこといわないところは彼の善性でもある。

候補者と目される人物たちは、どいつもこいつもよぉ〜といいたくなるような俗! 俗!! 俗だらけ!!! 皆教皇になる器じゃねーだろー!!! というのが観客にもわかるくらいなのが滑稽で、もうずっとニヤニヤして観てた。風刺が強い。コメディかな? とすら思う。そんな選挙を取り仕切るローレンスの心労はいかばかりか。私は修道院生活をしたいんだよ〜こんなお務め早く辞めたい! わかる。くたびれ果てた末「どいつもこいつも……もう私がやるしかない!」と決意しちゃうのもわかる。就任したときの教皇名迄考えちゃう。投票用紙に自分の名前書いちゃう。すると絶妙のタイミングで神(異教のだけどな)の鉄槌が下される。これはもうショック。ショックしかない。私の決意は使命感からではなかったのか、名誉欲にかられただけなのかって呆然としちゃうよね……。神は! 私を!! 教皇の器ではないと仰った!!! ごめんなさい気の迷いでした!!!!! って泣いちゃうね。でもその神って、どの神? いやーここさ、『ことの終わり』を思い出す“奇跡”だった。神との約束は、なんて皮肉なものなのだろう。

終わってみれば「常に八手先を読む」前教皇の望み通りの結末になったともいえる。“目に見えぬ存在”であった女性(シスター・アグネスはイザベラ・ロッセリーニ!)に「神は私たちに目と耳を与えられている」と語らせ、新しく教皇に就任した人物がその座にふさわしくない謂れは何もない。そうある未来を神は望んでいる、と前教皇は考えた。そこに確信はない。宗教は続く。何百年も、何千年も。

ローレンスを演じたレイフ・ファインズは本当に素晴らしかった。辞職を切望しつつも選挙における疑念を見過ごすことが出来ない。自身の信仰にも懐疑心があり、揺れに揺れる。そんな人物像を繊細に演じる。今回の選挙における彼の最後の職務は見逃すことだった。いや、逃すという言葉はふさわしくないだろう。逃げ出した亀をそっと抱き上げた彼の、一種晴れ晴れしいような、しかし物憂げな表情にはローレンスの揺れが集約されていた。ファインズはエグゼクティブ・プロデューサーとして名を連ねており、本作への思い入れも窺えた。

選挙が終わり、おさんどんから解放されたシスターたちが軽やかな足取りで礼拝堂を出て行く。「目と耳を与えられているが、目に見えぬ存在とされている」彼女たちの姿に光を見る。排外主義で、分断を煽り、ふたつの性別しか認めない人物が大統領となったあの国は、この作品にオスカー像をひとつだけ与えた。そのひとつに、そしてそれが脚色部門だったということに、ちいさな希望を見る。とても射程が長い希望ではあるが。

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はーそれにしても『オスカーとルシンダ』のオスカーを思い出す程震えるレイフ・ファインズが観られてワタシはうれしさに震えました。そして美が細部に宿りまくりであった。パンフ再入荷したら(てか公開4日で売り切れてるの…)買おう

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Mar 23, 2025 at 20:25

パンフレットは再入荷したものの1日で再び完売、まだ手に入れられておりません……も、盛り上がってますね?
『オスカーとルシンダ』は生涯ベストワンと確信している(敢えて確信という)映画。スクリーンで観られてないんですけどね……(涙)。オスカーも信仰に揺れ動いた人生だった。「神が私達に要求しているのは現世に存在するあいだ、すべての一瞬、一瞬を賭けることです」「生きている限り、その一瞬、一瞬を賭けなくてはならないのです」。

・『教皇選挙』<ネタバレ注意>キーワード徹底解説┃『教皇選挙』公式サイト
ISOさんによる解説、鑑賞後に是非


これもISOさんより。先に公開された韓国ではかなり盛り上がってるようで、かわいいファンアートがいっぱいです。ネタバレ要素あるので、こちらも鑑賞後に是非



2025年03月22日(土)
松竹谷清『春の2DAYS』

松竹谷清『春の2DAYS』@渋谷 虎子食堂

虎子食堂で松竹谷清 with エマーソン北村、オリジナルもカヴァーも楽しくてずっとニコニコ。あの声あの笑顔! ごはんもおいしかった〜

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Mar 23, 2025 at 2:52

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松竹谷清:vo, g
エマーソン北村:key
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久々も久々、ワンマンはお初です。松竹谷清を知ったのは「TOMATOSのヴォーカル」として、窪田晴男プロデュースの『東京的 Vol.1』で初めて歌声を聴いたのでした。30年以上前ではないか。そもそもTOMATOSは東京ソイソースの主宰だった訳で、その頃ワタシは宮崎の高校生。チルドレンならぬ孫(英語ではなんだっけ)リスナーってことになるかな。

『東京的』に収録されていた松竹谷さんの楽曲は、フランク・シナトラのレパートリーでよく知られているスタンダード「知らぬまに心さわぐ(YOU BROUGHT A NEW KIND OF LOVE)」、ルイ・アームストロングの「What a Wonderful World」のカヴァー。ご本人による日本語訳詞、それを唄いあげる突き抜けるような陽性の声は強く印象づけられました。

いつだったか、北海道に移住(というか、帰ったのか)されたという話を聞き、その後の行方を探しそびれていた。webなんてなかった頃に聴いていて、一度疎遠になってしまうと再会は難しくなる。今回の流れで『TOKYO SOY SOURCE 2019』があったことを今になって知り白目になったもんね……webの! 告知は! あっちからは流れてこない!!!(泣)ちなみにこの日のライヴは年明けのTOKYO No.1 SOUL SETのライヴ帰り、クアトロのロビーに置かれていたフライヤーから知ったのでした。やっぱフライヤーってだいじだな! 本屋さんと一緒で、webショップのリコメンドの外に宝石はあるんだよ!!!

てかこのフライヤーすごくかわいいのよねー。公式サイトのギャラリー でシリーズを観ることが出来ます。はー、こんなにあるんだ。ずっと活動を続けていたんだな。再会出来て本当によかった。

『春の2DAYS』は2会場。どっちにしようかなと迷っていたとき、読んでいた西加奈子のエッセイに虎子食堂のことが出てきてビックリ。これも何かの縁かなと渋谷に決定。それにしてもこんなことってあるんですねえ

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Mar 23, 2025 at 2:53

そのエッセイは『わたしの名店』というアンソロジーに収録されています。やーいいとこだった、雰囲気もごはんも。ライヴなくても行きたいね、渋谷の他のところでライヴやったあととかにも行きたいねとなどと話す。

「じゃっ、始めますかっ」「久しぶりなのっ、できるかなっ?」。ずーーーっと笑顔でギターを弾き、そして唄う。当時よりハスキーになった声。北村さんがソロに入る度「エマーソンっ!」と何度も、何度でも叫ぶ。その間もずーーーっとニコニコ。つられてこっちもずーーーっとニコニコ。ああ、あれ! これ! と曲のことはしっかり憶えていても、タイトルが何だったか出てこないのは加齢です。土曜の夜にシュガーベイブのカヴァー「DOWN TOWN」をやるとは粋! EPOのカヴァーで知った世代です、孫リスナー。これも窪田さんが噛んでるのよね。つくづくワタシの音楽基盤は窪田さんで出来ている。

1stセットと2ndセットの間もハケずにその場でチューニングしたり、北村さんも自ら幕間のBGMかけにDJブースに行ったり、その間もずっとファンと話したりサインしたり。反面演奏中はまとまったMCが殆どなく、歌と演奏をたっぷり聴かせてくれる。終わってみれば休憩込みでも3時間ちょっとと盛り沢山。とても楽しかったので、6月のバンドセットも行こうと決める。ちなみにそのライヴ、下北沢の440でヤヒロトモヒロのバンド公開車庫がゲストなのだが、「404だっけ? それじゃエラーになっちゃうか(笑)、440ね」「こうかいしゃこって何その名前。しゃこって車入れる車庫? 食べるシャコじゃないの?」とかふんわりいってて面白かった。

「同じ音楽で、一緒に、ばらばらに踊ろう」。それを教えてくれたのがこのシーン。素敵な環境で、素敵な音楽を聴ける幸せをじんわり感じました。また会えるのが今から楽しみ。

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それにしてもライヴ中にインバウンドのお客さんが飛び込みで入ってくるのには驚いた。古いビルの2階でこのドアですよ…外から全然様子見えないのに……音楽が聴こえてきて、パブだと思ったのかな〜(まあ合ってる)にしてもすごい勇気というか溢れる冒険心というか

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Mar 23, 2025 at 2:54

最初のふたり組はミュージックチャージが必要だと説明を受けたのか帰っていったけど、次に来たひとり客は代金を払って最後迄ライヴを聴いていた。隣の席になったんだけど、手拍子をしたり歓声をあげたりとノリノリ。終演後は松竹谷さんにも北村さんにも話しかけていた。音楽に国境はないなんてベタだけど、それを実際目の当たりにしたのでやっぱり音楽ってすごいなあと衒いなくいう。どこでもそうならいいのにね。

そのインバウンドのお客さんが入ってきたのは演奏の途中、しかも2ndセットの中盤というところだったせいか(ライヴハウスのつくりではないのでステージから受付が丸見えなのです)、笑顔で唄っていた松竹谷さんが心配そうというか不安そう〜な表情になっていったのがかわいかったです(失礼)。序盤で遅刻してきたお客さんには「いらっしゃいっ!」と声を掛けたりしていたんだけど、もうすぐライヴも終わりだし、「いいの?」という思いもあったのかな? でも入場してきたときはにっこりしてました。よかったよかった。



2025年03月15日(土)
エディ・ヴェダーの休日+小林建樹ワンマンライブ『BLOSSOM』

カイリーの三日後に小林さんが聴けるなんて、なんて週だ! なんか打鍵の強いビルエヴァンスみたいになってたぞ! ギターもかなりジャズみあった(音倉さん本日はダブルヘッダー)…とtwitter開けたらエディの姿がドーンと以下同

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Mar 16, 2025 at 1:14

こちらも説明しますね……。帰宅後twitterを開けたら、MLB観戦のため来日しているエディ・ヴェダーが(前回カイリーの頁参照)ジャック・ホワイトの来日公演に飛び入りしてニール・ヤングの「Rockin’ in the Free World」を唄ったというニュースが目に飛び込んできたのでした。パール・ジャムのレパートリーにもなっている、ファンの間では有名なアレです。

なんなの……。カブス観戦のために来てるんだろう(だろうも何も100%そうだよ)から、空いてる時間は観光でもして日本を楽しんでねーとか思ってたけどさ……。唄ったとなれば話は別だよ!!! 22年ぶりに日本で唄ったのがジャックんちのライヴなのかよーキエーーー!!!!!

ここ日記なので記録として残しておきます。最初に発見されたのは3月12日、ジャックの大阪公演バックステージ(おとぼけビ〜バ〜と交流)。その後3月13日の大阪場所(相撲)観戦→3月15日ジャックの東京公演1日目(飛び入りで唄う)→その後バックステージでビール片手にニコニコおじさんと化す→3月16日ジャックのフェンダーのインストアイヴェントを客と一緒になって観覧(水筒倒したりてうるさかったそうです。何をやってる……)→イヴェント終了後、ジャックがおとビのよしえさんにプレゼントしたギターのストラップ装着を手伝ってあげるおじさん→カブスvs巨人戦観戦→3月17日ジャックのヒスグラのインストアライヴを客と一緒になって観覧、スマホで撮影などする→ジャックの東京公演2日目を舞台袖で観覧→バックステージでつしまみれと交流→3月18日MLB開幕戦観戦→3月19日MLB開幕第二戦観戦(抹茶ソフトとか食べてた)

目撃情報見つからないけど3月15日のカブスvs阪神戦も観てたんでしょう。この試合はデーゲームだったから夜のジャックのライヴに飛び入り出来たんですねそうですかそうですね。一周回って腹立ってきたわ。しかしおとビと交流してるのはうれしいな。パールジャムがツアーするときFAに呼べばいい〜。


海外の音楽メディアでもニュースになってました。はーーーーー。


フルで撮ってるひといた。感謝〜!

ジャックは常日頃からライヴ中の撮影を嫌がっていて(ライヴのときくらいスマホをしまって目の前のことに集中出来ないのかとインタヴュー等でよくいっている)、それを知っている観客が殆どなのですが、このときばかりは……とスマホを取り出したひとは多かったようです。検索すると「ジャック、ごめん! でもこればっかりは」「ごめんなさいごめんなさい、でもこれは事件なので」とツイートしつつ動画アップしてるひとがわんさか見つかった。おかげで私も観られた訳でな…有難うございます……。動画はジャックの公式IGにもアップされていたので(スタッフが撮ったのかな?)今回ばかりは許してください。

はーーーーーもう本当につかれた。野球観ててくれてる方が安心だった、ライヴに飛び入りとかするおそれがないから。そりゃパールジャムは日本ではそんなに……武道館がまあなんとか埋まるくらいで、22年前の名古屋公演ではエディが「3階席はビル・ゲイツが買い占めたんだ」って自虐ジョークをかますくらいガラガラだったけどさ、ギャラもかなりだというから日本の呼び屋もなかなか呼べないだろうけどさ……。

フジに逆オファーが来たとき日高さんが断らなければな……と今でもうらめしく思ってしまうけど、まあ楽しい思いをして帰ってくれたのならいい。気が向いたらソロで来てくれてもいいのよ。はー。

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小林建樹ワンマンライブ『BLOSSOM』@Com.Cafe 音倉

という訳で心は千々に乱れたまま(エディ心労)小林さんのライヴです。雨の下北もよいものです。いやー本当に同じ演奏というものがない、今回ピアノもギターもかなり変わっていた。勿論楽曲のコード進行は同じなのだが、曲間のブリッジ、イントロやアウトロに新しいコード展開が加わっている。それがかなりジャズ寄り。耳馴染みのある曲も多かったのにも関わらず、演奏の様相は随分変わった印象。

目に見えて新しいことしてるな、と感じたのはギターで、一曲のなかでフィンガーとピックを使い分けていた。指で弾いたあとすぐにピックでコード弾きをするため、ピックを口に咥えて演奏したりもしていた。そのギターで「満月」を聴けたのはよかったなあ。

最新作、まさに出来たてほやほやの『BLOSSOM』リリパでもあり、ご本人も「『BLOSSOM』からいっぱいやります」といっていたけれど、蓋を開けてみればバラエティに富んだセットリスト。『BLOSSOM』には近年のライヴ(こう書ける日が来るとは!)のレパートリーからの楽曲も多く収録されており、ようやく音源化されたといううれしさもあった。アルバムタイトル、花が描かれたアートワーク、リリースされた季節と、「春」という隠れ(?)キーワードがあり、歌詞に「春」が出てくる曲が意識的にチョイスされていたような印象。「歳ヲとること」とかね。

以前の比率としては、既に音源になっているものをライヴでやることの方が多かった。そして復帰(といっていいのか)してからの小林さんのライヴは独演で、ギターかピアノの弾き語り。バンドサウンドアレンジの楽曲が独演だとこうなるのか、と興味深く聴いていた。一方、ここ数年でリリースされた音源は宅録色が強い。いわゆる“生演奏”は鍵盤とギターだけ。それにPC上で様々な音を加えている。

『BLOSSOM』はライヴ会場で販売されるとことが判っていたけれど、早く聴きたくて(あと物販の際話したりサインもらったりというのがどうも苦手なので)通販で購入していた。音源で初披露されたものとライヴから発表されたもの、そのどちらにも属する楽曲が収録されていた。「Air」や「Scream」は、えっ、これ音源化されてなかったっけ? と思ってしまうくらい馴染み深い曲。ライヴで親しんでいた楽曲がこういうアレンジでレコーディングされたのかと驚き、そしてこの日、再び“生演奏”で独演されたものを聴く。楽曲の骨肉が剥き身で差し出される。なんて贅沢。

そしてジャズ。もっと細かくいえばサンバジャズ、ボサノヴァ。窪田晴男曰く「随分南米行ってる」リズムとコード展開による長年の曲作りが、演奏にも色濃く現れていた。そしてこの集中度の高さ。これも窪田晴男の弁だが、「毎回点で物事と付き合う、演奏をしてても前の演奏の事を持ち出す事が少ない、3分半くらいの間に自分を全部投げ出せる集中力があると言う事で、ポップスをやるには向いている」という評をまざまざと思い出した。「3分半くらいの間に自分を全部投げ出せる」。

勿論ライヴ1本をやりきるコンディショニングは考えているだろうし、MCの内容もしゃべり方も練習しているそうなので構成はかなり練っているだろう。それでも“自分を使い切る”かのように唄うその姿には圧倒されてしまう。そうそう、今回声がすごかったのだ(いつもすごいが)。芯がより太く、より鋭くなったかのような声。通常では裏声に切り替えていた箇所を地声で唄いきる場面が増えていた。“刺さる”声だった。

MCといえば、いいたいことは沢山あるようだったが、観客のことを考えてセーブしているような印象も受けた。「僕がいくらネットのニュースを見て『世界は最悪だ』と思っていても、あれって見ているひとの興味に寄せた項目が表示されるでしょう。だから同じGoogleニュースでも、僕が毎朝見ているものと、犬とか猫が好きでその画像をよく見てるひとが目にするニュースは違う。話が合う訳がない」「食べものの話だとそういうことはあまりないでしょう。だから大根は肌にいいって話をするんです。大根、オススメですよ」。話したのは大体こんなこと。アルゴリズムとエコーチェンバーの功罪をこういうわかりやすい喩えで話す小林さんの優しさに、少しばかりの諦めと投げやりな気持ちを感じて胸が詰まる。

だからなのか、今回の歌には怒りすら感じる場面があった。セットリストに「トリガー」(!!!)が入っていたこと、それが鳥肌が立つ程の名演だったことがうれしく、同時に悲しくもあった。「自分のつくるメロディーは、刻むメロディーと伸ばすメロディーとふたつに分けられる」というアナライズの例として「No.1」と、この「トリガー」を続けて演奏したのだが、そうした自身を分析する冷静さと、現状への激情が同時に差し出される。こちらがドキリとするような溟さを時折見せるのが魅力でもあるが、同時にこのひとが無事でいますように、と祈らずにはいられなくなる。「『BLOSSOM』の出来がいいか自分ではよくわからない。信頼しているひとがほめてくれたけど」「去年は本当にどんどん曲が出来たけど、今は全く曲が出来ない」と話していた。やりきったからこそだと思われるが、今はゆっくり休息をとってほしい。

世界は最悪だ。それでも生きていかねばならない。野田秀樹の著作『21世紀を憂える戯曲集』『21世紀を信じてみる戯曲集』を思い出す。

楽曲提供者として仕事をしていた時代の話もしていたが、90年代の「ファジーな感じ」(ファジーって言葉流行ったよねえと同年代は頷く・笑)を振り返り、今回のアルバムは「綺麗に散らかす」ことにしたとのこと。「コンピュータでつくってると、0.0001くらいの誤差もキチッと揃えられるんですよ。それを敢えてズラしたり」。このひとはずっとポップスを愛し、アナライズに明け暮れている。そして、ポップスを制作することの難しさを追究し続けている。

振り返りといえば「ナナコロビヤオキ」がつくった経緯についての話は興味深かったな。「自分の曲を、依頼されてではなく自分から唄ってほしいなと思ったのは
3人しかいない」。そういうひとと出会えていること、前述の「信頼しているひと」がいること。その存在が小林さんにいることがうれしくもあった。

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(セットリストは公式の更新以降)

Setlist(オフィシャルサイトより

Ag:
01. ブレス(『Emotion』)
02. 魔術師(『Gift』)
03. 斜陽(『Music Man』)
04. 君はそれが言いたいだけ(『Gift』)
05. 満月(『曖昧な引力』)
06. Scream(『BLOSSOM』)
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Pf:
07. 最初のメロディー(『Blue Notes』)
08. 祈り(『Rare』)
09. No.1(『Gift』)
10. トリガー(『Rare』)
11. ナナコロビヤオキ(『BLOSSOM』)
12. ヘキサムーン(『Music Man』)
13. キナコ’87(『BLOSSOM』)
14. 早春(『BLOSSOM』)
15. 歳ヲとること(『曖昧な引力』)
encore
16. Blossom(『BLOSSOM』)
17. ハルコイ(『BLOSOOM』)

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小林さんの音楽が聴けたので私は楽しかったしとてもいい日だったよ。雨も好きです



2025年03月12日(水)
KYLIE MINOGUE『TENSION TOUR 2025』

KYLIE MINOGUE『TENSION TOUR 2025』@有明アリーナ



説明しておくと、ライヴ後豊洲のジョナサンで打ち上げしてて「動画や感想が続々アップされてる頃よね〜」とtwitterを開けたらホーム画面がおすすめの方になっていて、おとぼけビ〜バ〜のあっこりんりんさんとエディ・ヴェダーのツーショットが目に飛び込んできたのだった。SNSのアルゴリズムって恐ろしい、マジで大声出したよね…失礼しました……。22年も日本に来てない(プライベートでは来てたのかも知らんが、何せプライベートなことなので知らんがな)くせになんで!? と狼狽えたがすぐに思い立つ、エディはシカゴカブスの熱烈なファン。ドキュメンタリー映画がつくられたくらいで……どう考えてもカブスvsドジャースのMLB開幕戦観に来たついでだよな〜! ライヴでも来てくださいよ!!!

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前置きが長い。『APHRODITE TOUR 2011』以来、実に14年ぶりのカイリー来日公演です。昨年東京国際映画祭で『グラディエーターII』のレッドカーペットに何故かカイリーが登場し、ファンの間で「なんで!?」と騒ぎになったのですが(作品にも出ていないし曲が使われている訳でもない)、その後来日が発表になったのでプロモも兼ねていたのかも知れない。しかしそういう類のプロモ記事、全然見かけなかったな……サプライズゲストでカイリーが登場とかいうニュース記事はあったが。結局何だったんだ、やっぱり謎。

という訳でキャーキャーいいつつチケット確保、あっという間に当日。楽しみすぎて前日夢にカイリーが出てきた、と思った瞬間こむら返りを起こし悶絶して飛び起きる。ときの流れ(加齢)を感じるわ。

前回の来日公演は、東日本大震災+福島原発事故から一ヶ月とちょっとという時期だった。地震と被曝が不安視され、来日公演のキャンセルが相次いでいた頃だ。幕張の路上は液状化の影響でマンホールの蓋が浮き上がっていた。それでもカイリーは来てくれた。「行きたいと思うひとだけ来てほしい、不安があるひとはやめておいて」と募った結果クルーは縮小。充分な電力供給が出来ないかもということで、セットやショウの規模も変更せざるを得なかった。それに伴うリハの時間もあまりなく、本当にたいへんだったそうだ。

やっぱりこういうときに来てくれたひとたちのことってずっと憶えているものだなー。Underworldとかさ…夏にはマニックスも来てくれたしさ……なんだか恩義すら感じてしまう。

前置きが長い(再)。有明アリーナ初めて行きました。どの駅から行っても徒歩15分以上かかる陸の孤島だった(笑)。よって駅を出ても「どっち?」てな感じだったのだが、前を網タイツにホットパンツ、ヒールのひとが歩いている。このひとなら! と確信を持ちついて行く。大きな橋を渡ると、雨と霧をまとった巨大な建造物が見えてきた。ふもとには真っ赤なドレス、スパンコールのジャケット、キンキーブーツに網タイツのひとたち……ここだー!

スタンド席だったので早めに入場(上階に辿り着く迄がマジで長い)、ぼんやりアリーナを眺める。通常のステージの他に、センターステージがありますよ? どうやって移動するんだ? 地下を走るのかな? フライング(SHOCK)とか? いやいや無茶な。なんて話をおやつ食べ乍らダラダラ話しつつ、まだかまだかとずっとソワソワ。アリーナにドレスアップしたひとが続々入場してくる。開演時間から10分程遅れて暗転、大歓声。そこからは! もう!! 怒涛のヒットナンバーメドレー、ハウシーなダンストラックつるべ打ち、衣裳替えのインターミッションもショウアップ、センターステージでのバラード&リクエストコーナー、往年のハリウッドを彷彿させる映像からのクラシカルコーナー、そしてラヴ&ピースの大団円。泣いて笑って唄って踊って、あっという間の2時間弱!!! 筋肉痛は二日後(加齢)!!!

衣裳は6パターンだったかな、シーンが変わるごとに衣装替え。シルバーのマーメイドドレス、真紅のセットアップ(ワイドパンツ。ツナギだったかも?)、ヴァイオレットのセットアップ(キュロット……今はスカンツっていうの?)、大きなスリットが複数入った白のドレスと黒のドレス、そして黄色と黒の幅広斜めストライプのカットソーにキュロット(スカンツ?)。前半はパンプス、後半ニーハイブーツ。どちらもピンヒールだったかな。颯爽と歩き、颯爽と踊る。この体幹の強さよ……!

構成は5つのアクト+アンコール。「Lights Camera Action」からメドレーとダンスで一気呵成にたたみかけるオープニング、総勢10名(だったかな)のダンサーの見せ場をじっくり作るショウ仕立てのパート、「The Loco-Motion」からフロアを練り歩いて(!!!)センターステージへと移動し、オーディエンスと親密な時間を持つ心震えるパート、サスペンス仕立ての映像(真夜中にベルが鳴り、窓外のビルボードには「TOKYO」の文字が!)からクラシックな魅力溢れるショウパート、そして愛に溢れた、そこには愛しかない、世界にただひとりのカイリーが、世界にただひとりだけのラヴァーズたちに愛を届け、またの逢瀬を祈りつつ去るフィナーレ。

「The Loco-Motion」はラヴパレードだった。カイリーを先頭に、ダンサーとコーラス隊の一団がフロアにやってくる。会場中が大狂乱。リクエストを募り、センターステージにいちばん近い一群からカードを受け取る。アコギを抱えたバンドメンバーを呼び寄せて……演奏されたのはなあんと「Turn It Into Love」!!! どよめき!!! あれですよWinkの「愛が止まらない」desuyo!!! 盛り上がった割にシンガロングが鈍かったのは、日本人というか日本にずっと住んでると日本語詞の方が浮かんでしまうからですよね……「JIN、JIN、JIN、感じてる〜」って出てきちゃうのよ! ごめんよ!!! いや〜しかしレア…いいもの聴いた……帰宅後SNSを見て知ったのだが、開演前に「『Turn It Into Love』をリクエストしましょう!」とパステルレインボーカラーのカードを配っていたひとたちがいたとのこと。感謝感謝。

ビックリはそれだけでは終わらない。センターステージを囲むオーディエンスに花を一輪ずつ配った(!!!)あと、そのなかのひとりに「あなたの名前は? あなたに唄うわ」と「Where the Wild Roses Grow」を唄ったんですよ。キエー!!! ニック・ケイヴとのデュエットのあれ!!! 邦題「野ばら」!!! 最の高!!!!!

リクエストと「野ばら」は、このツアーでは恒例のコーナーだそうなんだけど、「愛が止まらない」はレアもレアよな……。終盤「I Should Be So Lucky」(あーいしゅびそらきーらーきらきらきー☆よ! 野太い声のシンガロングが響き渡ったわよ!)をやってくれたのもさ……たまにしか来ないから日本ではむかーしの曲もやってくれる。そのサービス精神に感謝しつつも、このひと最新曲もずっとヒットチャートを賑わせ続けているんですよね。これって本当にすごいこと。ゲイカルチャーへの敬意、ディスコ/クラブミュージックへの愛情と矜持は不変。いつでも最新型で、いつでも変わらない。それがカイリー・ミノーグ。

カイリー姐さんの細腕奮闘記じゃないけど、華やかなショウビズの世界に長くいて、アイドルから大人のアーティストへと移行する際には不遇もあり、ポップアイコンとしての地位を確立してからも病に襲われと、決して順風満帆ではないキャリア。キュートでセクシーな声は、MCとなると溌剌とした気風のよさが際立つ。観る度にハッとするけどとても小柄、とても華奢。あの細い身体に、こんな大きなステージを、大勢のオーディエンスを掌握するパワーが詰まっていることにいつも驚かされる。

しなやかで強い美しさ。いつでも最新型であり、そしてそれは長いキャリアの積み重ねの賜物だということを見せてくれる。若作りと若々しさは違うもの、プロフェッショナルのポップスター。フロアを見渡し「かわいい!」と叫び、「1、2、3(イチ、ニ、サン)」と日本語でのカウントも。ステージを闊歩し振り向きざまに腰を振ると、ゲイもヘテロもドラァグもカジュアルも、フロアが揃って悲鳴を上げる。レーザー、スモーク、グリッターに紙吹雪。ステージに両足を踏みしめしかと立ち、掌をステージに叩きつけると同時に銀テープが発射される演出が最高で、ゲイもヘテロもドラァグもカジュアルも揃って「きゃあああああ」と叫ぶ。大地が割れる! 羽生結弦のあれ! とか騒いでました。最高。

こうした「動」と、センターステージでの「静」というメリハリも素晴らしかった……個人的ハイライトはやはりセンターステージ、「Say Something」からのパート。アコギとカイリーだけで演奏するなか、巨大ミラーボールが降りてきてアリーナを煌びやかに染めたのだ。ミラボといえば菊地成孔の「ミラーボールを発明したひとにノーベル平和賞を」という名言があるのだが、その言葉を知っているひとは誰もが「その通り!」と思うであろう、夢のような光景だった。忘れがたい。


ツイート拝借。うう、画像観ただけで涙出ちゃう。


もひとつツイート拝借。激しく頷くわ! 澤部さんいらしてたんですね。

本編ラストは「All The Lovers」。ああ、これ14年前はオーラスにやったのだった。大きく手を振るカイリーに、精一杯両手を振り返す。スタンド後方も後方だったので見えている筈がない。それでも手を振らずにはいられない。カイリーをずっと見つめていたいのに、涙で視界がぼやけてしまう。

いつでも骨抜きにされ、いつでも背筋が伸びる。彼女を見ているといつも前を向ける。来てくれて本当に有難う、喜びに溢れた一夜でした。

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Setlist(setlist.fm

Act 1
01. Lights Camera Action (Shortened; contains elements of "Tension" and Benny Benassi's “Satisfaction”)
02. In Your Eyes
03. Get Outta My Way
04. What Do I Have to Do?
05. Come Into My World
06. Good As Gone
07. Spinning Around

Act 2
(Taboo)
08. On a Night Like This (Pandora cover)
09. last night i dreamt i fell in love (Alok & Kylie Minogue cover)
10. Better the Devil You Know
11. Shocked
12. Things We Do for Love
13. The Loco-Motion (Carole King cover)

Act 3
14. Hold On to Now
15. Turn It Into Love (Audience Request - Shortened)
16. Where the Wild Roses Grow (Nick Cave & the Bad Seeds cover) (Snippet)
17. Say Something
18. Supernova / Real Groove / Magic / Where Does the DJ Go?

Act 4
19. Confide in Me
20. Slow
21. Timebomb
22. Edge of Saturday Night (The Blessed Madonna & Kylie Minogue cover)

Act 5
23. Tension
24. Can't Get You Out of My Head
25. All the Lovers

Encore:
26. Padam Padam
27. I Should Be So Lucky
28. Love at First Sight

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おまけ。カイリーのワイン、アリーナではグラス提供があったそうです。ポスター見てボトルだけだよね〜なんて話していたのだった。結構早めに入場したのでアリーナにも降りてみればよかった……(大バコに慣れていない)。一般発売は3月31日からだそうで、呑めないのだが買うと決めている。てかノンアルもあるそうなのでそれも日本で売って〜

・数日後の台湾公演の様子もSNSを通じていっぱい観ることが出来たのだけど、フルハウスのアリーナは正直日本とは比べ物にならないくらい盛り上がっていた。日本は本当にガラパゴスになってしまったなと寂しくなったけど、満杯ではない会場でもプロフェッショナルなショウを見せてくれたカイリーには感謝するばかり。日本のカルチャーを愛してくれている彼女に寂しい思いをさせたくないなと日本のファンはがんばりました…懲りないでまた来てくれたらうれしいです……



2025年03月02日(日)
Q / 市原佐都子『キティ』

Q / 市原佐都子『キティ』@スパイラルホール

シアターコモンズ2本目。Qの作品はいつも「共感するわ〜、ユナイトしましょう!」なんて気分で観ると「ここ迄突き詰めてから共感するっていえー!」とぶん殴られる(概念)のだが、今回も自身の妥協点はどこだろうと日和ってしまうのであった。見習いたい(何を) Q/市原佐都子『キティ』

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Mar 2, 2025 at 19:48

仕上がりがポップなのがまた恐ろしい。そうそう、普段からDJキティのヘッドフォンの位置について疑問に思っていたのだが、今回おまえの耳はここだろうが! とひとつの答えが示されたところには笑ってしまったニャーン(逃避)。

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シアターコモンズ'25、待ってましたのQ新作。ロームシアター京都でのクリエイションと上演を経て、待望の東京公演です。「カワイイ」「ねこ」が見る人間社会とその現実。

・ハローキティ┃サンリオ
身長はりんご5個分。体重はりんご3個分。
夢はピアニストか詩人になること。音楽と英語が得意。
好きな食べ物は、ママが作ったアップルパイ。


ねこは冒頭りんごをかじる。そして幕切れにもまたりんごをかじる。りんごはふわふわと宙に浮く。エデンの園には二度と帰れない。

登場人(ねこか)物のルックを「盛る」手法は昨年の『弱法師』からの流れ。「カワイイ」を文字通り「盛る」、つまり「物量的に盛る」。盛りすぎてゴミにも見えてくる顔を持ったねこたちが直面するのは、家父長からの抑圧、元来は肉食動物である自身、常に「AV(「ポルノ」も混在)に参加させられる」社会のつくり。ねこたちは声を奪われている。キティちゃんのごとく口がないともいえる。台詞は演者から事前に採取した日本語、韓国語、広東語そして英語の音声をAIにより構成し、スピーカーから流される。そして動作はモーションキャプチャーからの振付で、人間の自然な動きとは違うもの。演者は自身の肉体を、人形のように操らねばならない。日本、韓国、香港の演者たちは声と動作を外部に預けてねこを生きる。声(太夫)、肉体(人形)、動作(人形遣い)が分担される文楽の手法も、『弱法師』からの流れだ。

ところでキティちゃんには何故口がないのか。

・ハローキティに“口”が描かれていない理由は?待望のデザイナーインタビュー┃Domani
口を描かないことにより、見る人が自由に表情を想像し感情移入できるようにしています。嬉しいときには一緒に喜んでくれ、悲しいときにはなぐさめてくれる友情のキャラクターなのです。

自由に想像し、感情移入する。受け手の都合でいかようにも解釈出来るという意味でもある。この他に「あなたのお話を黙って聞いてあげるために口がないんですよ」という話を聞いたことがある。黙らされているともいえる。映画『トワイライトゾーン/超次元の体験』の「こどもの世界」(これの脚本リチャード・マシスンなのよな)を想起してしまう。キティちゃんには主体がないのだ。

連想したのは呼び込み君なのだった。スーパーや催事の販促用機器で、その姿を見たり音声を聴くと、ああ、あれ、と気づくひとは多いだろう。ウチの近所のスーパーに呼び込み君は5体いるのだが、全員腕をもがれた状態で置かれている。腕があると、商品でいっぱいの売場に置くとき邪魔になってしまうからだ。そして5体のうち半分以上は声も奪われている。音声データは差し替えられるので、その日のオススメ商品を紹介する店員の売り文句が日々上書きされている。ときには顔ももがれていたりする。差し替え用の“顔”はオプションとして売られている……って、今よく見たら着せ替え用の服とかも売ってるのな。彼らはスーパーの肉売り場にもいて、日々お手頃価格の肉を人間に勧めている。

効率的に、すみやかに。人間のために日々繁殖させられ、最小限の苦痛(というが実際そうなのかは当人(動物)にしかわからない)を経て食肉になる。社会という市場に生きる女性との違いはどこだろうと考える。違い、なくないか? 商品としての価値をいつでも求められる資本社会はどん詰まりだ。ハムスターの喩えは秀逸だった。

そんなオエーとなるあれこれを、カワイくポップに見せるプロダクションに震え上がる。フォントづかいのセンスには『バッコスの信女』でも唸らされたものだが、今回も同じくフォント選択、YouTubeを模した配信動画、AI生成だと思われるパペットアニメーションの凄まじいこと。アニメパートはちょっと長いんじゃないかと思いつつ、あまりのカワイさとグロテスクさにうっとりしてしまうくらいだったので短くすればよかったのになんていえない。すげーカワイイキャラクターたちがカワイく乱交しカワイく子育てしカワイく共喰いするのよ。それも凄まじい物量とスピードで。この映像センスよ……つくったの誰だよ! と笑いながら怒るひとみたいになって終演後即スタッフクレジットをチェックしてしまった。小西小多郎、覚えた!

永山由里恵(日本)、ソン・スヨン(韓国)、バーディ・ウォン・チンヤン(香港)の身体的負担は大きい。巨大なねこ頭を被ったままのダンス、交尾、格闘と、その負荷は現代社会に生きる女性たちのそれと重なる。これが「AVに参加させられる」社会そのものなのだと納得もしてしまうのがまたつらい。しかし(だから?)終盤ようやく彼女たちの身体から発せられた生の声には心を揺さぶられるものがあった。ちなみにキャストは3人だけだと思い込んでいたので、花本ゆか扮する肉ニンゲンが登場した時は心底驚いた……「ひっ」くらいは声に出てたかも知れない。着ぐるみ(つうか文字通り肉襦袢よな)装着で踊りまくるそのキレのよさ、ブレのなさに感嘆。

『バッコスの信女』の再演もそろそろ、今こそ観たい。

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・Q / 市原佐都子「キティ」┃シアターコモンズ'25

・「キティ」市原佐都子と韓国・日本・香港のアーティストが作る“かわいい”から始まり、宇宙へ到達する物語┃ステージナタリー
市原 キャラクターの中には、偽物がたくさん出回っていたり、オリジナル以上に面白かったり愛おしく感じるものもあって、そういう“偽物のキャラクター”のような演技ができないかと考えました。つまりオリジナルからアイデアだけが抜き取られて、別の存在として蔓延していく感覚……

・開演前のロビーでコモンズツアーの感想シェア会が行われており、ちょっとやり取りが聴けた。「市原さんの作品はどこにトリガー・ウォーニングを入れればいいかわからない。全編そうともいえる」(大意)といっている方がいて頷いてしまう。傷ついているひとにこそ観てほしいと思うが、安易に勧められないのが難しいところ

・それにしても昨日の東京サンシャインボーイズにしても今日のQにしても、扇田昭彦さんだったらどんな劇評を書いたかなあと思うのだった。圧倒される舞台を観るといつもそう思う。今でも劇場ロビーで姿を探す。今年で没後10年



2025年03月01日(土)
東京サンシャインボーイズ 復活公演『蒙古が襲来 Mongolia is coming』

東京サンシャインボーイズ 復活公演『蒙古が襲来 Mongolia is coming』@PARCO劇場

泣いたり笑ったり震撼したり カゲアナが豪華なので開演15分前くらいには席に着いとくといいかも 東京サンシャインボーイズ復活公演『蒙古が襲来』

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Mar 1, 2025 at 22:07

半分冗談だったであろう「30年後に再結成」が実現したことは、とても幸せなこと。そこに伊藤俊人がいないことは、とても寂しいこと。

何を書いてもネタバレになりそうだ…けど事前に発表されていたように伊藤さんもいます むしろ笑うシーンなのに泣いちゃった…あなたもワタシもみーんな歳とったなーでも伊藤さんはずっとあのときの伊藤さんだよ

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Mar 1, 2025 at 22:11

それでも劇団は、伊藤さんの声を連れてきてくれた。かつて、演劇は“風に記された文字”であるため記録には残さないことをモットーとしていた第三舞台の鴻上尚史が、岩谷真哉が亡くなった際ご両親にお渡し出来るものがないことを悔やんだというエピソードを思い出す(写真はあったし、その後音声も提供があったんですよね)。伊藤さんの残された声は、今回舞台に立っていた。

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750年前のある一日を115分で。膨大な時間、ちっぽけな人間の、それでも芳醇な一生。三谷幸喜が役者に「当て書き」する、ひとりひとりの人生。『リア玉』ではなくこれをやることにした意味、というのはやはり考える(三谷さんは「玉の製作に時間がかかって無理になった」とかいっていたが・笑)。タイトル通り元寇前の話。蒙古は来るのか? 来ないのか? 長崎のちいさな島にさざ波が立つ。歩き巫女や鎌倉幕府、壇ノ浦で失われた宝剣など、『鎌倉殿の13人』視聴者が「ああ!」となるモチーフを絡ませつつ、来ないと楽観的なひと、来ると疑心暗鬼なひと、来るという実感があるのにそれを敢えて隠すひとと、右往左往する市井の人々を描く。

観客は史実を知っている。しかし物語はその「知っている」をもう一段階掘り下げ観客に示す。あまりにも残酷な、それでいてなかったことのようにされている史実を。神風とやらが吹く以前に起こったこと──対馬侵攻や壱岐侵攻を、どれだけのひとが普段意識しているだろう。宮地雅子の台詞はストレートな分強烈。幕府の功績がなんだというのだ、いつだって矢面に立ち犠牲になるのは市井の人々なのだ。演劇は現在を映す鏡だということを劇団は見せてくれた。

では2011年に、三谷さんが『国民の映画』を書いたのは何故だったのだろうなんてことも考える。『国民の映画』は『三谷幸喜生誕50周年企画』として連続上演された作品の一本だったが、ラインナップ中唯一三谷さん自身からの企画だった。今回、最後に登場人物が観客に語りかけるという手法は『国民の映画』でも起用されていた。あれは死者からの言葉だった。昨年ノーベル文学賞を受賞したハン・ガンの言葉、「過去が現在を助けている、死者が生きている者を救っている」を思い出す。

歩き巫女は観客に呼びかける。あのとき生き残った(かも知れない)者、しかし現在からすればとうの昔に死んでいる者。此岸と彼岸から投げかけられた、希望にも絶望にもなるその言葉をひしと受け止める。鮮やかな幕切れ。

それぞれの今の活躍ぶりは知っている。でも、劇団の公演となるとやっぱり特別。演じる役柄、あの間、あのやり取り。初っ端に出てきた梶原善にわあ善ちゃん! とそれだけで涙が出そうになったり、こんな偉そうなお調子者の小林隆、劇団公演以外ではなかなか観られないよなと思ったり、世間ではヒロトの弟といわれることが多いけど、ここではヒロトは甲本雅裕のお兄ちゃんだよね! となったり。宮地雅子がプリプリする役回りもそうそう、となり、西村まさ彦の偏屈ぶり(役がね)と不器用な優しさ(役がね)も健在ねと笑顔になる。小原雅人やっぱり格好いい、野仲イサオやっぱりうざい(褒めてる)、ひたむきな相島一之にそうそうこれを観たかったとニコニコ、阿南健治のムーンウォークにはまだこんな手札を持っていたのか! と驚く。近藤芳正が登場すると「待ってました、永遠の客演!」と心の中で大向こうを飛ばす。まろやかな所作と声で魅力を振りまいた谷川清美、いつでも底抜けに明るく芸達者な西田薫、そして研究生(!)吉田羊にも感謝ばかり。

「3で割れない」場面の長さはなんだったのか。ああいうグダグダにすら固唾を飲んで見守ってしまう。謎がひとつ謎のまま教えてもらえないというのもいつものことで、発明した玉子料理ってなんだったんだよとニヤニヤし乍ら劇場を出る。ニヤニヤといえばもうひとつ、時代設定がそうだからってのもあるけど、地面に直接座るシーンが多い。その上座ったり立ったりの動作も多い。それをいちいち見せ、「若いふりしてるけど立つときいちいち膝に手をつくじゃねえか」なんてツッこむ台詞もある。わかる……わかるよ! すっと立てなくなるのよ! 実感を伴い痛く共感する台詞であった。偉いひとは椅子に座らせなきゃ、鎧着てたら胡座をかきにくいからなんてわざわざいうところもあって、そうなるとこの演者はホントに椅子じゃないと立てないのかもなんてこと迄勘ぐってしまう。これワザとだよなー、三谷さんいじわる〜!

この他にも時の流れを感じさせる台詞があちこちにあり、消えていく記憶についてのくだりに胸を衝かれ、老境サンシャインボーイズここに在りと泣き笑い。いいもの見せてもらいました。次は80年後に『リア玉2』ですって。観られる筈がないと知りつつ、それでも待ってると笑顔で拍手を贈ってしまう。30年というときの流れを噛みしめる。あっという間だった、同時に長い長い時間だった。至福の155分、無事千秋楽を迎えられますように!

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・カゲアナについて。開演前は山寺宏一、終演後は戸田恵子。15分前くらいから喋り始め、従来の諸注意に加えておかしなこといってんなーやたら長いなー、そしてこの声……と思っていたら山ちゃんで客席がどよめいた。5分前にもう一度やるのかなと思っていたけどなかった。長かったもんな(笑)。終演後の戸田さんのアナウンスも素敵で、拍手が起こりました

・宣伝美術が鳥井和昌だったのもうれしかったです!

・そういえば小林さん、『国民の映画』のとき〆の長台詞を噛む訳にはいかない、咳払いさえ許されないと煙草やめたっていっていたなあ。今回の羊さんもすごいプレッシャーだっただろうな。見事な〆でございました

ロビーには歴代のチラシ(ポスターじゃなくて)が。ワタシが最初に観たのはこれでした

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Mar 1, 2025 at 22:15

TOPSに並んで当日券で観たなー、『12人の優しい日本人』『ショウ・マスト・ゴー・オン』が大評判になったあとくらい。出会えてよかったな

・上演中に地震が来たり(新潟県中越地震当日東日本大震災の翌日。それ以外にもちいさいものなら5〜6回…いやもっとあるな……)謎の体調不良に襲われたりと、個人的に何故かPARCO劇場とは相性が悪いので違う意味でも緊張していたのだった。無事終わってホッとしている