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2023年12月30日(土) ■ |
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『窓ぎわのトットちゃん』 |
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『窓ぎわのトットちゃん』@新宿ピカデリー シアター9
こちらも『ゲ謎』同様SNSの評判で(そして年末進行につき以下略)。自分のTL乍らいいデッキ組んでるなと思う。
原作はリアルタイムで読んでいるが、内容はほぼ忘れている。しかし、トットちゃんがいろいろとすごい子どもだったこと、トモエ学園という素晴らしい学校があったこと。これらは強烈に記憶に刻まれている。そしていわさきちひろの装画。今回の映画化に当初身構えていたのは、作画がいわさきちひろの絵とはかなり違うものだったからだ。しかし観たあととなっては、今回の作画の素晴らしさがよく解る。男女ともに、化粧をしたような紅い頬と唇の子どもたちは、生命力の塊だ。そして何より、彼らが「動く」美しさ。走り、転び、木に登り、素っ裸で泳ぐ。その鮮やかな色彩が、戦争の足音とともに、燻んだ茶色と灰色に侵食されていく。
映画はトットちゃんが通ったトモエ学園が、どんなに素晴らしい教育環境だったか、そこでトットちゃんが何を学んだのかを描く。そんな学園生活の豊かさが、どうして失われていったのかを、社会の変化とともに描く。
子どもたちの描く絵が変わる。お昼ごはんから「海のもの」「山のもの」が消える。着る服が皆同じような素材や形になっていく。銀座のど真ん中を「電髪(パーマ)は贅沢だ」とコールする婦人たちが練り歩くようになり、街中に「買いだめは敵」などといった張り紙が増えていく。生活全てが全体主義的な価値観に染まっていく。そして戦争で失われていくものの大きさに気付く。人間の尊厳が奪われていくことが、どんなに取り返しのつかないことなのか気付く。
声高に戦争反対と叫ぶのではない。戦争が変えていくものの恐ろしさを描く。大きな声のひとが戦争反対と叫んだら、賛同は多く続くだろう。しかし同じひとが、同じように大きな声で、やっぱり戦争は必要だ、と叫んだら? 声高でない理由はそこにある。全体主義の流れやすさと恐ろしさがそこにある。
この映画は、観客に想像する余地を与える。お父さんの楽団の指揮者はドイツ語を話すのに、何故日本とドイツが同盟を結んだとき喜べなかったのか? 改札の駅員さんが、男性から女性に替わったのは何故なのか? 飼っていたシェパードが途中でいなくなったのは犬が死んだからなのだろうか? 飼えなくなった理由があるのではないだろうか? 考える、調べる。そして知る。知識を得て、戦争を嫌悪する。知識を得ていなくても、この嫌悪感を身に沁み込ませて覚えておくこともだいじなことだ。実感が伴わないと、それこそ大きな声に付和雷同してしまう。
そしてこの作品が素晴らしいのは、戦火に焼き尽くされなかったものはある、と描いているところだ。トットちゃんが、小林宗作先生とトモエ学園から受けとったものについて。
前の学校で窓ぎわに追いやられていた子どもは、トモエ学園の窓ぎわから自由を学んだ。自分と違う身体を持つ子どもたちと一緒に遊べること、誰もがいつかは死んでしまうこと、「君は、ほんとうは、いい子なんだよ。」と自分は肯定してもらえる存在であることを学んだ。この日映画館には、沢山のちいさな子どもたちがいた。大きな声を出す子もいた。彼らがこの映画から、自由の素晴らしさを感じ取ってくれていたらいいなと思うし、大人は彼らを肯定し、守る存在であらねばと思う。
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・当たり年の2023年邦画でも最重要の『窓ぎわのトットちゃん』――アニメだから描き切れた黒柳徹子が“守ってきたもの”┃文春オンライン 「沈黙できない子どもたち」をテーマにし、肯定する映画 作画スタッフは、大人からの視線に搾取される子供ではなく、「窓ぎわの子どもたちから見た世界」を描くことに見事に成功している
・リトミックを日本に紹介 トットちゃんの恩師・小林宗作先生の教えと想い┃コクリコ トモエ学園のその後、そしてあの藤の木が「トモエふじ」として移植された国立音楽大学附属幼稚園について。あの時代にリトミックあったんだーと思ってたけど、そもそも小林先生がリトミックを日本に紹介した方だったのね
・ヨーゼフ・ローゼンシュトック┃Wikipedia ・日本にやって来て活躍した外国人 その十六 ヨーゼフ・ローゼンシュトック┃綜合的な教育支援のひろば お父さんの楽団の指揮者、ヨーゼフ・ローゼンシュトックの来歴
・そうそう、駅員さんの声が石川浩司さん、音楽が野見祐二さん。知らずに行ったのでうれしい驚きでした
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2023年12月29日(金) ■ |
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梅田哲也展『wait this is my favorite part 待ってここ好きなとこなんだ』1期 |
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梅田哲也展『wait this is my favorite part 待ってここ好きなとこなんだ』1期@ワタリウム美術館+空地
まずは1期。
パフォーマーに案内されて、展示室と、展示室以外の普段は入れない空間に足を踏み入れる。受付の方に見送られ、エレベーターに乗るところからスタート。4階に着きあのトイレ(普段は使えるけど今回は開け放してあった。ので多分使用禁止・笑)など覗いていると、一人目のパフォーマーが現れる。言葉は発せず、静かな仕草で一室に入るよう促す。暗闇の中、二人目のパフォーマーがやってくる。マッチを擦る音、ろうそくに灯される光。気流によって容器が廻る。こちらが北です、こちらが東。南、西……小さな窓の隙間から外を見て、自分が立っている方向を把握する。
その後あちこちからふわりと現れるパフォーマーに案内される形で、ワタリウムの館内と、向かいにある空地(こちらもワタリウムのオーナーである和多利家が所有する土地なのだ)を回遊する。事務所ではパフォーマーとアナウンスされていない人物がPCに向かっている。本当に仕事をしているのか、それともこれもパフォーマンスなのか。壁面に歴代展示のフライヤーが貼られ、ああこれ行った、観た観たと思い返す。本棚に収納されているファイル名にもいちいち反応してしまう。これは楽しい。2階では三人目のパフォーマーがワタリウム施工時の建築確認表示看板を持って立っている。二桁の数字は60年代。しばし考えて、あ、これ昭和か、と気付く。令和ともなると、二桁で表示されている年は西暦か和暦かわからなくなってくる。
パフォーマーは組まれた架設を観客が安全に移動し遊べるようにサポートしてくれる。ジャングルジムのようになっている足場をうろうろしていると、紙コップを載せた盆とポットを持った老人がのっそり現れ、こちらを一瞥して行ってしまう。受付をしていたとき外からやってきて、コートをハンガーにかけ入場して行った人物だ。
一人目のパフォーマーが再び現れ、この日のキャストを紹介してくれる。事前にアナウンスされていた通り、シフト制という。事務所の人物とポットの人物は紹介されない。空地に移動する前に案内されたストレージのような空間には、またもやキャストではない人物が待っている。地図を拡げ、ワタリウムが建っている土地について紹介してくれる。
5〜6人を1チームとし、20分毎に出発する形式。一度だけ他のチームと鉢合わせする。2階の搬入口として使われている箇所の大窓が開き、向かいの空地にいるチームと見る/見られる関係になる。思わず手を振る。振り返してくれるひとがいる。自分があちらに行ったとき、また手を振ろうと思う。そこでふと気付く、その日最初に出発したチームに、空地から手を振るひとたちはいるのだろうか?
暗い場所に入る度、お子さんが「こわい〜」とちいさな声でぐずり出し、父親(だろう)が大丈夫だよと抱っこする。次第に他の大人たちも「怖くないよ」と励ますようになる。空地に置いてあったポットと紙コップ(さっきおじいちゃんが運んでたやつだ!)を見つけたひとりが「…こういうことですよね?」とポットからお茶(だった)を注ぎ、皆に配る。ポットの横にあったもの、おやつですか? と訊いてしまった自分の食い意地に我乍ら呆れる(恥)。地図を見せてくれた人物が話していた、空地で育て、ねずみが食べてしまっているという熟れきった胡瓜だった。まあ、ある意味おやつだな。人間が食べたらちょっと衛生的に危ないけどな。
「いやあ、改めて見るとすごい一等地ですよね……」。ひとりが呟き、ほんとほんとと頷き合う。この空地もワタリウムのものだというのは、過去の展示を通して知ってはいた。しかし、何故こんな、分割された地形を所有しているんだ? と思っていた。土地を分けているのは東京都道418号線、「青山キラー通り」といった方が通りが良いだろうか。前の東京オリンピック(昭和39年=1964年)前に整備された道路だそうだ。つまり、この土地はかつて繋がっているひとつの場所だったのだ。
美術館と空地は糸電話で繋がっている。美術館側にいるパフォーマーが手を振り、通話口を指差す。「あ、何か喋ってる!」順番に耳を近づけるも、何をいっているかは判らなかった。間もなく、同じパフォーマーから終了だよ、というようなジェスチャーを送られる。糸電話の痕跡を確かめ乍ら渡る横断歩道、そのとき見上げた青い空は頭の中だ。参加中のスマホ等の撮影は禁止されていた。
梅田哲也さんの作品でもあるこの「時間の地図を描く」行為は、こうして来場者の記憶に刻まれる。ワタリウムがプライベートミュージアムとして開館したのは1990年。自分が東京に住むようになってからの歴史とほぼ重なる。何度来館しただろうか。展示を観ないときでも、1階と地下1階のON SUNDAYSにはしょっちゅう行っている。あの場に足を踏み入れることで、アートが身近な存在になる体験を何度もさせてもらっている。再びこの美術館を訪れたとき、今日の記憶はまた新しい親しみを湧き上がらせてくれるだろう。2期も楽しみにしている。
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・それにしても事務所に貼ってあったスナップショットが豪華だった。アンディ・ウォーホール、ナム・ジュン・パイク、坂本龍一、浅田彰、篠山紀信……見入ってしまった。故人が多いことにせつなくなる
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2023年12月28日(木) ■ |
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『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』 |
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『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』@ヒューマントラスト渋谷 シアター1
注意深く観なければ危ういところもあった。
昔原作をうっすら読んだことがあるくらい、アニメは観たことがないこのシリーズ。今作はタイトル通り鬼太郎誕生の経緯と、鬼太郎の父である目玉おやじが何故目玉のみの姿になったのかを描くもの、というので興味が湧いたのだが、それ以上に、公開されてからというものSNSでの評判が鰻登りというか、日に日に口コミで動員が伸びていくのを目の当たりにし、その内容を知ってこれは今観ておいた方がよい、という気持ちになったのだった。しかし年末進行につき全く時間がとれず、ようやく休みに入って観に行けた次第。いや、これは今観てよかった。
舞台は、朝鮮戦争特需により「もはや戦後ではない」と宣言された昭和31年(1956年)。経済復興の鍵となった出来事について、売血、ヒロポン、731部隊、M資金といったモチーフが散りばめられている。日本の戦争加害と搾取について、戦後復興において何が犠牲になったのか、それは現代にどんな影響をもたらしているのかが描かれていた。NODA・MAPの『エッグ』(初演(2012)、再演(2015))を思い出す。「記録に残らない」「知った気になっている過去」を、どうやって後世に伝えていくか。最初と最後では全く違う印象になった、記者の存在に光を見る。彼は伝える存在なのだ。
注意深く見ないと、と感じたのは“狂骨”の正体。搾取され死んでいった者たちと、戦場で死んでいった水木の同僚たちが混同されてしまうのではないか、というところ。彼らが水木を守ろうとしたかどうかは怪しい。東京に夢を持つ娘の存在も、現在から見ると儚いものとして映る。それが歯痒い。
鬼太郎の育ての親である水木に、作者である水木しげるが反映されているのは明らかだ。彼の諦観や淡白さに胸を衝かれる思いだった。同時に、水木(先生の方)が戦後歩んだ人生を思うと、よくあの地獄を自分の中に封じ込められたものだと畏れのような気持ちも抱く。というのも、ここ最近戦争PTSDの父親を持った家族の証言集を読み、その惨状に戦慄していたからだ。
・連載「戦争トラウマ 連鎖する心の傷」┃A-stories 朝日新聞デジタル(会員でないと読めない記事も多いのですが、各記事の表題だけでもその異様さが伝わると思うので参考としてリンクを張っておきます)
PTSDという概念がなかった時代に生き、破滅していった父親たち。その原因も理由もわからないまま苦しめられた家族たち。復員してきた彼らがこうなることは理解出来る、それだけの地獄を見たのだから。しかし、水木先生は家族にこうした面を見せなかった。娘たちは口を揃えて、優しいお父ちゃんだったという。その強さはどうやって身につけたのか……作品に全てを注ぎ込めたからなのか。妖怪も幽霊も、人間と共に存在している。そう知ったからなのだろうか。そう、知ったのだ。もはやこれは、想像という次元を超えている。
幽霊族に愛想を尽かされないように。人間族が彼らから見捨てられないように。再びNODA・MAP、『ロープ』のことを思い出してしまった。リングの下に棲んでいる彼らは、いつ迄人類を見放さず、ここにいてくれるのだろう? 『総員玉砕せよ!』を読みなおそうと思った。文庫で持っているのだが、この作品は今となってはお守りだ。
それにしてもおやじ、目玉だけになる前ってあんなに格好よかったのか(笑)。いやあ、素敵だった。優しい、いいお父ちゃんだね……。odessaシアターの鑑賞につき音響バキバキ、川井憲次のサントラもよかった。
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・『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』感想┃UNITAMENTE 水木作品に精通している方による解説、めちゃくちゃ参考になりました。おやじが目玉だけになったのって原作では病気が原因だったよなあくらいには憶えていましたが、それがハンセン病だったということはすっかり失念していた。というか気づいてもいなかったな……水木先生の思いをしっかり汲んで、後世に伝えるべくアップデートを施す制作チームの方針が伝わりました
・「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」ネタバレレビュー 「戦後」と「血」への鎮魂歌┃ねとらぼ そう、希望が持てる結末だったし、なんというか観た側が襟を正すような作品だった
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2023年12月21日(木) ■ |
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『à la carte 35th Anniversary 僕のフレンチ — special menu —』 |
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『à la carte 35th Anniversary 僕のフレンチ — special menu —』@I'M A SHOW
“有楽町で逢いましょう”! 劇場入口のサイネージは高橋、フライヤーはドレスアップした高泉さん。『ア・ラ・カルト』の真骨頂ないいヴィジュアルですね。
--- 構成・台本・演出:高泉淳子 音楽監修:中西俊博 役者:高泉淳子、山本光洋、釆澤靖起(文学座)、中山祐一朗(阿佐ヶ谷スパイダース) 音楽家:竹中俊二(music director / G)、佐藤芳明(Acod)、Brent Nussey(B)、中西俊博(Vn) ゲスト:尾上流四代家元 尾上菊之丞 ---
35回目の『ア・ラ・カルト』、おめでとうございます! 青山円形劇場(1989〜2014)、モーション・ブルー・ヨコハマ(2015、2017)、東京芸術劇場 シアターイースト(2016、2018)、eplus LIVING ROOM CAFE & DINING(2019〜2022)……私が観るようになったのは2年目(1990)からですが、皆勤は出来ていない。コロナ禍により、配信のみの年もありました。35年も続けるのって、本当にすごいこと。
という訳で2019年以来の参加です。4年の間にまたちょっと座組が変わっていました。演出も高泉さんが手掛け、竹中さんが音楽監督、中西さんは監修に。佐藤芳明さんは2021年から参加されているそうで、私はお初です。
後述インタヴューで高泉さんが「プロセニアムの劇場というのが、『ア・ラ・カルト』にとって初めて」と仰ってますが、いわれてみればそうなのです。2016年と2018年は所謂劇場での上演でしたが、シアターイーストのステージはエンド(2面客席)、スラスト(3面客席)、センター(4面客席)と可動式。『ア・ラ・カルト』での客席は3面だったと記憶しています。
今回のI'M A SHOWは、もともとは映画館。日劇〜丸の内ルーブルからオルタナティブシアターになり、昨年からI'M A SHOWになったところです。ややこしいな! すぐ運営やら劇場名やら変わるな! CBGKシブゲキ!!(元シネセゾン渋谷)みたいな感じですね。かつての日劇で音楽とお芝居のショウが観られる、なんて素敵なこと!
……だがしかし、客席に辿り着く迄はなかなかの混乱ぶりでした。えーと先に正直に書いとくか。ロビー大混雑。別途ドリンク代というのが観劇人には慣れないのかコイン交換所も大混雑。物販コーナーとドリンクバーが近すぎて大混雑。休憩中のトイレの列が大渋滞。動線大混乱。冬ということもありコートや荷物と一緒にドリンクの入ったカップを持ち歩くので、カップを取り落としたり中味を零すひと続出。モップと雑巾を持ったスタッフさんが走り回っておりました。3日目でこれでしたから、初日はさぞや……(微笑)。
あとやっぱクロークやロッカーがないのは厳しいですね。元映画館だから仕方ないが。しかしスタッフ同士の連携が出来ていなかったのはいただけない。「ロッカーはありますか?」「奥にあります」奥に行って「ないですよ、どこですか?」「ロッカーはありません」「さっき入口であるっていわれたんですが」「えっ、誰がそんなこといいました?」なんてやり取りを見てしまったよ。今回はホント急に決まったようなので仕方がないのか……? ここでの上演が続くなら改善が進むといい! 個人的には青山円形劇場の面影を残すここでやってほしい……↓ ・南青山BAROOM でもキャパ100だから厳しいよなあ。本当は青山円形がいい。閉館じゃなくて休館だと解釈している。青山円形に関してはしつこかろうがずっという。
しかしその思いは分かっているとでもいうように、高泉さんは「青山のあとは移動レストランとして池袋に行ったり、横浜に行ったり、そして実際にレストランである渋谷でやったりしましたが……」今回は久しぶりの劇場ということで「かつて使っていた椅子やテーブル、あとこれ!(とバックドロップを見上げる)見つけて持ってきたんです!」と、今回のステージを紹介してくれたのです。これにはグッときた。終わりの方では「レストランだと(演技)スペースがあまりないので、菊之丞さんとはもう出来ないかなと思ったんです。でも菊之丞さんは『これくらいのスペース(一畳分くらい)があれば、僕、踊れます。また誘ってください』といってくれたんです」と感極まっておられました。
という訳で本日のゲストは尾上菊之丞さん。『NINAGAWA十二夜』や『阿弖流為』、『ワンピース』『オグリ』と振付師としてのお仕事は拝見していたのですが、実際のお姿を観るのは初めて。いやはやすごい出会いになりました。
ゲストが役者だろうが音楽家だろうが参加させられる(笑)恒例お芝居のパートは、メニュー+ワインリストがカンペ。ここいつもリハどれくらいやってるんだろうと思う。観客からするとしどろもどろになってる(あるいはそう演じている)ゲストを観るのが楽しみでもあります。当て書きというかアドリブであろう、七味のくだりはあちこちからクスクスと笑い声。高泉さん演じる麻丘めぐみ(この名前・笑)に「めんどくさそう…」といわれて大ウケ。お芝居も達者〜(何様)なんて感心していたのですが……。各々の本領を発揮するショウタイムで衝撃がやってきました。メニューを模した進行表には“♪Merry Christmas, Mr. Lawrence/尾上菊之丞”とある。唄うの? でもこの曲、唄うなら「Forbidden Colours」ってタイトルになるよなあ、と思っていたら。
お芝居パートで困ったような表情を浮かべていた、物静かなスーツ姿の男性は何処へやら。紋付袴で登場し、素踊りが始まりました。摺り足の音、扇を開くパン! という響き。流し目、伏し目、遠くを見やる目。息を呑む気迫と美しさでした。
このプログラムは昨年の『ア・ラ・カルト』でも披露されたそうなのですが、教授が亡くなってから初めて、余所でしかもライヴでこの曲を聴いた(こ、心の準備が)こともあり、ドバーと泣いてしまった。アレンジも演奏も素晴らしかった。中西さんとブレントが奏でる弦のトレモロが、竹中さんのエレクトリックギターとともに電子音のような音響を生み出す。佐藤さんのアコースティックな鍵盤がその場の空気を揺らす。音が空気を震わせる様が、目に見えるようだった。音を見る、姿を聴く。時間も場所も別次元に連れて行ってもらったかのような数分間。
しかしそれだけでは終わらなかった。そりゃそうか舞踊家だもの、舞でこそ魅せるのだなと思っていたら、その後の歌に度肝を抜かれる。高泉さんとのデュエット「Winter Wonderland」、めっっっっっちゃ巧い。ミュージカル俳優ですか? というくらいの声量、ピッチ、表現力。なんなのーーーーー!!! ……いやはや恐れ入りました。しかしその後高泉さんに「北別府(学)に似てますよね」といわれていて大笑いする。何をいいだす……高泉さん、ファンだったんですって。
お父さんに口の中を見せる少女やマダムジュジュはいなくなり、高橋が典子さんと来店することはなくなった。しかしここには独立した大人の女性がいて、宇野千代子がいて、高橋はレストラン存続のために奮闘している。高泉さんは唄い、踊り、笑って泣く。『ア・ラ・カルト』には人生の甘いも苦いもある。観続けることが出来て幸せだと思う。パンフレットによると、「35周年で『ア・ラ・カルト』が終わってもいいかな、って」「このカンパニーで、違うお話やってみたらどうだろう、なんて思いも出てきてね」とのこと。劇場、出演者、タイトル、上演方式……変わらず、変わり続けるこのシリーズの次を、楽しみにしています。
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・高泉淳子に聞く〜「クリスマス時期に気軽に見られる芝居があったらいいな」で始まり今年で35年目の『ア・ラ・カルト』を『僕のフレンチ』として上演┃SPICE お芝居ってなぜだか、見に行くと絶対に「良い作品だった」と思えないと嫌だ、という気持ちがあるような気がするんです。 例えばクラシックのコンサートを聴きに行ったとき、日常とは違った空間で演奏を聴きながら、なぜか違うことがフッて頭をよぎることがあって、何で今こんなことを思い出すんだろう、という感じなんですけど、そういうのが私は好きなんです。真剣に集中して聴くのも素晴らしいことですが、もっといろんな聴き方があっていいと思いますし、それは演劇にも当てはまることだと思います。 「損したくない」という思いが観客側に強くなっているのかもしれないな。社会に対する不安が反映されているようにも思います
尾上菊之丞さんは『ア・ラ・カルト』における理想のカラーなんです。舞踊家だけどお芝居も歌も素晴らしくて、菊之丞さんをこれまでご存じなかった人が「この人は何者なんだろう?」と思ってくれたらしめたものだなと(笑)。 まんまとその通りになりました。恐れ入りました!
・ア・ラ・カルトSpecial! 今年も高橋が美味しいお話と音楽をお届けします!!┃CAMPFIRE(2021) 『ア・ラ・カルト』の上演記録を網羅しているところを探したんですが、今ないみたいで……(ホントwebって儚い。今回物販のパンフレットには掲載されてた)。高泉さんご本人がテキストを書いていると思われる、2021年に実施されたこのクラウドファンディングのページが現時点ではいちばん詳しいかな。高泉さんのバイタリティに脱帽するばかり
・そうそうシロさんからお花来てました(微笑。『きのう何食べた?』の大先生!)。そして『ア・ラ・カルト』ってイースタンユースと同期なんだなとふと気づく
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2023年12月16日(土) ■ |
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『菊地成孔 3DAYS』菊地成孔クインテット |
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『菊地成孔 3DAYS』菊地成孔クインテット@Shinjuku PIT INN
何を書いているんだ。いや、自己紹介のラップに“蜘蛛巣城の山田五十鈴”ってラインがありましてね。
----- 菊地成孔:vo, ss 林正樹:pf 宮嶋洋輔:g 小西佑果:cb 秋元修:drs -----
毎回書いているが、箱舟ピットインの核心は聴き手の心のなかにだけある。しかし書いておかないと忘れる。という自分のエゴの為によるメモです。ちょっとだけね、ちょっとだけ。
・林さんだけマスクをしている。風邪でもひいたかな? と思っていると ・菊地さんがなんかヨレヨレな感じで出てきました。みうらじゅんが描いたボブディランみたいなルックになってる ・第一声が5度くらい低い。あらら ・まあその声がまた良くでですね(笑)それはともかくどうした、風邪か ・えー聴いてのとおり声が出ませんで、咳がとまりませんで。女子医大に行ってコデイン注射してもらってきました。コロナもインフルも陰性でした、とのこと ・その後ずっと面白いコデインの話が続く。ブロンに入ってるやつよこれ? とか
・壊死性リンパ結節炎の再発は完治して、その後部屋で転んで(おじいちゃんか…ご無事で……)腰椎を2箇所骨折したとこ迄は知ってたが、受難が続きますね……お祓いに行きなよご本人そういうのわかってて行く必要はないと決めてらっしゃるから第三者がなんだかんだいえないけど。お祓いも効果自体はないだろうとは思うけど
・初めてコンディショニングに失敗した〜つってましたが、この方調子悪くてあたりまえ(©近田春夫)を地で行く印象なので、具合悪いなら悪いでいいステージを見せるのだろうなあという信頼感はある ・で、実際演奏は凄まじく良かった
・主婦、のお題からゴダール『彼女について私が知っている二、三の事柄』、マリナ・ヴラディがゴダールから受けた演出の話、フィンガースナップのカウント、からの〜何かと思えばRinbjö(菊地凛子)「魚になるまで」のカヴァー! よごかった!!! 素で誤字っているが見直してみれば「すごかった+よかった=よごかった」なので直さない ・いやこれ……ごめん本家(Rinbjö版)より好きだわこれ。MCが詩になり、ライムになり、インプロで演奏が拡がる。そして何より菊地さんの声がよい。帰宅後改めて本家版聴き返してみたけど、タンギングとか声の掠れ具合とか、なんでこうも女性=女声のポエトリーリーディングとして書かれたものが男性=男声によって色気を持つものかね ・本家版ではエレクトロニカ(詩にも出てくるが)なトラックのところ、アコースティックなクインテットで演奏されるレアなバッキング。リズムが強い。秋元さんのゴーストノートも気持ちよい
・もう定番のムーンライダーズ「G.o.a.P(急いでピクニックに行こう)」。ワインのCM提供曲の予定がNGになって(詩が問題?)自分たちの曲にしたってエピソード。そうだったんだー ・歳の離れたカップルの話も面白かったな。「G.o.a.P」のふたりは19歳離れている。これは男性が歳上だけど、女性が歳上のことも多くなってきたでしょうとかなんとか。同人誌であるのかな? と突然いいだしたがどうしたんだ
・「色悪」も今回の声だとまたエロみが増し増しでよかったです(笑顔) ・薬でボーッとしてるのでタイム感がわからなくなって1曲が長くなる〜てことで1曲カットしたっぽい ・幻覚が見える。ドラムが石若だ〜 ・またそういうことを(いつも) ・しかし秋元さんはむっちゃ楽しそうに叩くよね。こちらも笑顔になる
・本日の主なテーマは弟 ・小西さんが姉、秋元さんが弟なんで、秋元さんがタイムキープを小西さんに任せっぱなしで好き勝手叩く、という話題は恒例ですが ・今回初めて男性陣が全員弟だったことが判明。「そうなの!? 結成して何年よ、知らなかった!」 ・菊地さん=兄の弟、林さん=姉の弟、宮嶋さん=兄の弟、秋元さん=姉の弟、小西さん=弟の姉、だそうです ・あっでもそうかも! 林さんも弟だね! 小西さんを「おねえちゃんこっちこっち〜」って感じで誘導するもんね! だって。ニコニコと頷く林さん ・望むものは手に入らないとわかっているけど、ひとつだけ叶うなら俺はおねえちゃんがほしかった、とのこと(笑)
・サックスはソプラノのみ。まだ歯(茎)が安定しきっておらず、斜めにマウスピースを噛んでしまうので姿勢が悪くなっちゃうとのこと ・11月の日仏学院(Banksia Trio SPECIAL LIVE special guest 菊地成孔『サンジェルマンの夜 in TOKYO』)でソプラノ吹いてて、原雅明さんがこういってたので安心はしていたのだが ・いやはやキレッキレでした ・のど飴(龍角散の のどすっきり飴)を舐めつつ、舐め乍ら話すなって感じですよねと何度も出したり入れたり。口に入れたまま演奏したところ、マウスピースもキーもベタベタになり、「押したら戻らねえ! と焦った」 ・とはいえ演奏はキレッキレ
・2nd setは配信あり。悪コンディションでの対応が体得出来てきたか見かけ共々シュッとなる ・自己紹介のラップすごかったな!(Q/N/Kのナンバーかな? 未聴なのでこれから聴いていきます) ・この喉でラップをするか、という感じですがやるって決めたんで、とのこと ・いやーすごかった ・こちらも1st set同様MC〜指パッチン(絶品)カウントが導入で、演奏がドバッと始まったときの格好よさといったら ・このクインテットでしか出来ない、という音 ・どのバンドもそうである筈ではあるが、とはいえ意外となかなかないものですよ
・「寂聴コンポジット」で林さんと映画の感想が割れる(笑) ・レコーディングした日のことをよく憶えている。瀬川昌久先生の葬儀の日 ・葬儀で先生の奥様と話す。椅子から立ち上がろうとするので両脇にいた娘さんたちがとめて。俺が膝を折って話す姿勢に ・以前ダンスのパーティ(HOT HOUSE)やってたときご夫婦でよくいらしてくれた。「瀬川は若い子とばかり踊りたがって」「お戯れを(笑)」 ・葬儀からスタジオに直行した。(お清めの)塩ない? って訊いたら食塩が出てきた(笑) ・誰かが玉子にかける用かな。生玉子じゃないですよ、茹で玉子。生玉子に塩かけてスタジオで喰うってねえあはははは ・おかしく話せば話す程、その後の演奏が痛みに満ちる ・この曲、いっつもコード進行からサックスのメロディを予想して聴くのが好きなんだけど、いつも必ず違う方向に行く。上がるだろう、と思うと下がる。もしくはその逆 ・そしてそれは、必ず無常の美しさを纏う ・悲しみの深さに涙も出ない。心で泣きぬれる ・泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣き止んで、また泣いて ・「恋なんてね、雷(イカズチ)のようなものよ、逃げられないのよ」って寂聴がいうのよの話。大笑い
・「小鳥たちのために 3番」が聴く度育ち、聴く度痛切に響く ・弦のリフをピアノでやるパターン。アタックが文字通り打撃音になる ・鈴(りん)の音がとても気持ちよい。大儀見さんがPTAで使っている音に通じるものがある ・秋山さんの叩く微弱音ってめちゃめちゃ“効く”
・サーカス「Mr.サマータイム」カヴァーは歌が虫喰いみたいになる(高音が出ないので) ・本人唄ってるけど発声が出来ないのね ・それがまたよくてねえ
・来年の予定の話で「林さんが来年で脱退するんで」つったときマジでフロアが息を呑んだようにシンとしたよね。「嘘ですよ!」ってマジでやめてそんな冗談怖いから ・林さんのスケジュールが合わず一回欠席のライヴがあるのは本当。「どうしよっか、楽器替えてやる?」。お、DCPRGのアレ再びか(それはそれで聴きたい)
・いやはやよかった。ほんと好きこのクインテット。とはいえマジで体調だいじ、ご養生ください
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例年3DAYSがある時期ってめちゃめちゃ寒くて、人気の少ない駅迄の道を寒い! 耳が落ちる! と星空を見上げつつ帰るのが大好きなのですが、全然寒くないし生ぬる〜い空気だし、数年ぶりの忘年会だったらしい輩が帰りがたいのか路上で呑んでてめちゃ混んでるしでなんなんだという。でもやっぱり菊地さんの音が聴ける年末はこの上なくうれしいものなのでした。
(20231219追記) ・だいじなことを書き忘れていた。弱っていたからなのか歳の割にカワイイ(って自己紹介ラップにあった気が)路線を推し進めたいのか、「白雪姫と四人の小人」つってたぞ! ・白雪姫=菊地、小人=林、宮嶋、小西、秋元な ・俺に何かあっても小人たちが守ってくれる! つってた ・……だいじなことか、これ? ・いやもうホントおだいじになさってください!!! よい年をお迎えください!!!
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2023年12月02日(土) ■ |
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『PHANTOM/ユリョンと呼ばれたスパイ』、eastern youth『35周年記念巡業〜EMOの細道2023』 |
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『PHANTOM/ユリョンと呼ばれたスパイ』@シネマート新宿 スクリーン1
原題『유령(ユリョン=幽霊)』、英題『Phantom』。2023年、イ・ヘヨン監督作品。
えーと文末の輝国山人さんのサイトにもありますように、本国では興行的に大コケした作品だそうなのですが……や、面白かったです! でも、コケるのも解るようなところもありました。
登場人物皆が格好よくてスタイリッシュ、アクションも美術も衣裳もめちゃくちゃ豪華で見応えありました。舞台が日本統治下の1933年のため、台詞の8〜9割が日本語。出演者はめちゃくちゃ稽古したんだろうなあと感心してしまう。当時はそれが当たり前だったのだと思うと、正直観ているこちらは肩身が狭いです。関東大震災時の「十五円五十銭」のこととか思い出しちゃう。しかしなあ、こういう作品は日本でもどんどん公開すればいいと思う。なかったことにしてはいけないし、それが忘れられて「そんなこと本当にあったんですか?」という認識になるのは恐ろしいことです。という訳で地味に『軍艦島』が日本で観られる日を待っています(ツインが買っている)。
以下ネタバレあります。
つくりとしては『イングロリアス・バスターズ』です。そこへシスターフッドを織り込む。スパイ“幽霊”はひとりではなかった。彼女たちは手を取り合い、しかしひとりひとりで立つ力も持っている。出自や上下関係に捉われず、祖国のために闘う。なのでとにかく女性が格好いい。イ・ハニもパク・ソダムもアクションめちゃくちゃ出来るし、あと撮影監督(チュ・ソンニム)がめちゃくちゃいい仕事してます。アクションシーン、爆破シーン、銃撃戦のシーン。スローとクイックのテンポ。とにかく映える。
対して男性陣は、立場と血筋に拘るあまり自滅する。ソル・ギョングの逡巡が胸に迫る。パク・ヘスは憎まれ役に徹していて巧い。ソ・ヒョヌはコメディリリーフの役回り。ハナちゃん(猫)にごはんをあげるため、早く帰りたくて立ち回る姿がかわいい。
しかしなんというか、生真面目さと配慮が邪魔をするというか……『イングロリアス〜』のようにドイッチェは悪! 撲滅! バットで撲殺! とか迄振り切れないんですね。いや、わかる。いろいろある。時代もあるかな。今『イングロリアス〜』作れるかというと、それは難しいんじゃないかと思うし。いいたいことややりたいことが沢山ありすぎて、それを全部入れたら散漫になってしまったという印象もありました。冒頭に書いたシェイクスピアについては、ソル・ギョングをマクベスにもイアーゴにもリチャード三世にも投影出来るようになっていて非常に興味深いのですが、うーん、なんだろう。主役がいっぱいいすぎた感があり、しかし群像劇ではない。という、なんといったらいいのか…全体的にぼんやりした仕上がりで……。
結局観終わっていちばん気になったのは「ハナちゃんどうなったの!?」ということでした。ここもね、息抜きとしてはいいシーンだったのですが(ハナちゃんかわいかったし! 写真で出てきます)、何度も出して引っ張った割にその後ほっぽらかしにされたまま終わるので逆に気になるという。ハナちゃんが無事でいますように!
でもでも各シーンはすごく格好いいんです。衣裳も美術も映像も華やかで、格好よくて……役者は皆いい仕事しているし見応えありました。映画館で観てよかった! と思いました。
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・輝国山人の韓国映画 PHANTOM ユリョンと呼ばれたスパイ いつもお世話になっております。今回パンフなかったので助かる!
・パク・ソダム、がん闘病から復帰まで…心境を明かす「少しでも遅かったら声を失っていた」┃Kstyle 『PHANTOM』撮影後、アフレコ中に診断が下りたとのこと。不調など微塵も感じさせない仕事っぷりでした。適切な時期に治療出来てよかったし、今のところ経過は順調のようでよかった
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eastern youth『35周年記念巡業〜EMOの細道2023』@Spotify O-EAST
いやもう…悲しみは川に捨てるんだよ! だってそうだろ? なあ、そうだろう? うわあああああ生きる!!!
移動して渋谷、eyちゃん35周年記念巡業千秋楽。記念興業なだけあり、代表曲つるべ打ちで息つく暇もない内容。最新作『2020』からの「今日も続いてゆく」からスタートすると、そっから「夏の日の午後」「砂塵の彼方へ」「踵鳴る」「青すぎる空」……以降タイトルを並べるだけでもその言葉の美しさと強さに悶絶しそうだが、現場ではこれが生身の演奏と歌になって豪速球で投げられてくる訳ですよ。油断したらデッドボールですよ、こちらも喰らいつくように聴き入りました。
曲間もあまり空けず、というかブリッジもジャムになっていて、吉野さんのストロークやコード、リフ、マイクを通さない(!)歌声に村岡さんが即対応していく流れがもう、触れれば切れるような緊張感。途中フロアから「吉野さんかっこいいー」と声がとんだとき、吉野さんが「うるせえ!」と返したんだけど、ホント寄らば斬るくらいの空気でした。中盤すぎくらい迄全っ然MCなくて、このまま喋らず終わるんじゃ…ってくらいバッチバチだった。何度も心の臓を拳で殴り唄う、吉野さんの鬼気迫る形相に見入る。
驚いたのは、吉野さんが「停めようかと思ったんだけど、周りの人が助けてくれてなんとかしてくれたから。有難う」といったとき。途中フロアで倒れた? ひとがいたらしい。聴き手をちゃんと見ているんだ。あの演奏と歌の最中に……? eyとそのリスナーは、決して馴れ合いにはならず、それでも必要があれば手を差し伸べる。理想的な関係だと思う。
それにしてもあのギターいつもどうなってんだと思う。エフェクター使ってるにしても(つっても足元結構スッキリめだよね?)1本に聴こえん。どう聴いてもリフ弾いてる後ろでコードが鳴ってるんだよなあ。いやあ…シビれる……。
ようやくMCになると、これがなかなか脱力で。いつものことではあるものの、そのギャップに慄く。しかし言葉の端々には、いつも怒りがある。デコボコ道の35年、たったひとりの友だち田森、桃太郎の村岡さん。いやもうちょっと詳しく書こう。「岡山と高円寺、二拠点生活をしてる」と村岡さんを紹介したとき、「いやあ、岡山っていうから、ひょっとしてと思って家系について訊いたんだ。そしたらやっぱ、あの、昔、島に行って、そこにいた奴らをやっつけたみたいで……」とかいいだす。そんで、「今バンドのギャラはまず村岡さんが預かって、俺らはきびだんごでもらってる」とかいって大ウケ。それで終わるかと思いきや、これ数曲挟んだ次のMCへの伏線だったのでした。題して『涙の磯村水産』。
ニノさんが「俺もう辞めるわ」といったとき、吉野さんはもう無理だ、あんな天才がまた見つかる訳がない、と思ったんだそうです。バンドはもう続けられない、辞めよう、とタモさんを大久保の磯丸水産に呼び出した。吉野さんはニノさんが辞める予感があったけど、タモさんは寝耳に水だった。「どういうことだよ」というタモさんに、吉野さんは「バンド辞めよう」といった。するとタモさんが「俺は辞めないぞ!」といった、という話(涙)。
ところでわざわざ大久保の磯丸に行ったっての、やっぱ沿線でいちばんファンがいそうにない地区だからってことなんでしょうか。いや、ふたりの居住地(公表してるから書いてもいいよね)からすれば、東中野でも高円寺でも西荻でもいいじゃん。高円寺の呑み屋でこんな話してたら、このご時世即噂が拡がりそうだもんね……。
閑話休題。「でもどうするんだ、あんなベース弾くやついねえぞ? となってたら、川上から…あの、お尻のような形をした果物が、どんぶらこ、どんぶらこと流れてきて……開けてみたら、その中から村岡さんが……」。ドヨドヨとした笑いがフロアに拡がりました。話芸よ……。その後村岡さんが「桃太郎だったおかげでバンドに入れました」。笑いと拍手が起こりました。村岡さんがいてくれてよかった! 村岡さん、その後も吉野さんになんか喋って! って振られたんですが、「あの、皆さん(フロアが)みちみちで大丈夫ですか……? おばちゃん心配になっちゃう……」といつものトーンでいったのでまた場がほんわかした空気になりました。演奏とギャップがありすぎる。素晴らしい。女声コーラスの美しさも印象的。
「いろいろ諦めさせられた。あとどれくらい生きられるか知らねえが、金輪際、一歩たりとも引かねえ」。こうして35周年。変わらない歌、変わる歌。ずっとある歌が、新しい姿を見せてくれる。それは彼らの演奏と歌が、常にアップデートされ、同時にスピリットは不変だからだ。いつだってギラリズム夜明け前。
本編終了、JAGATARA「夢の海」が流れるなか再び現れた放たれたのは「月影」、そして「空を見上げて俺の名を呼べ!」からの「1、2、3、4、DON QUIJOTE!!!」。涙腺決壊。浅川マキの「それはスポットライトではない」を背に、彼らは去っていった。客電がつき、アンプの電源が切られても拍手は続く。ドラムが解体され始めたところでようやく拍手はやみ、あちこちから「有難う!」の声が飛ぶ。続いて再びの拍手。
改めて、35年活動を続けてくれて有難う。歌を届けてくれて有難う。生きる!!!
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setlist
01. 今日も続いてゆく 02. 夏の日の午後 03. 砂塵の彼方へ 04. 踵鳴る 05. 青すぎる空 06. 裸足で行かざるを得ない 07. 素晴らしい世界 08. ドッコイ生キテル街ノ中 09. ソンゲントジユウ 10. 矯正視力〇・六 11. いずこへ 12. 雨曝しなら濡れるがいいさ 13. たとえばぼくが死んだら 14. 時計台の鐘 15. 沸点36℃ 16. 荒野に針路を取れ 17. 夜明けの歌 18. 街の底 encore 19. 月影 20. DON QUIJOTE
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孤立無援の花はこうして美しく咲くのだ〜
eyの制作、常に時流を見つつアップデートしていて感心する。聴き手に甘えないしサボらない。いつでも自分たちの音楽を届ける手段を考えている。物販もアクスタ出したり、硬派だけど洒落っ気と茶目っ気がありますよね。 反面、森田童子「たとえばぼくが死んだら」のカヴァー(この日もやりました)はライヴとフィジカルCDでしか聴けない。だから「セットリストの一部」なんですね。路上に立ってこそ、の精神はずっとある
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