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2022年07月23日(土) ■
大駱駝艦・天賦典式 創立50周年公演『はじまり』
大駱駝艦・天賦典式 創立50周年公演『はじまり』@世田谷パブリックシアター 田村さんと松田さんの名前を間違ってツイートしてしまい、修正しなきゃと思っているうちに松田さんご本人や子駱駝ちゃんたち(クマさん曰く若手ちゃんたちはこう呼ばれている らしい。かわいい)にRT/FAVされてしまい消すに消せなくなってしまい……松田さん申し訳ありません!!! 阿が村松さん、吽が松田さんといいたかった!!! はじまり ゆらぎがあり 知らない物質が生まれ 誰も知らないモノたちが をどりはじめる そんな世界を幻視した 麿 赤兒 「老体に鞭打って〜一堂はりきってをどります!」。麿さんの開演前アナウンスにちょっと笑ってしまったけど、いやもう私も張り切ろうと思いました……舞踏を観て元気が出るという。『おわり』の次には『はじまり』が来るのです。それが人類にとってのはじまりかは知らんけどな。 衣裳は『おわり』と共通。装置等美術はよりシンプルに(=“おわり”で全て消え去った?)。網に囚われたおわりの欠片は震えている。かつて人類が使っていたモノ(電話、鍋、長靴……)を装飾品のようにぶら下げ、のたうち、衝突する欠片たちを見つめる。はじまり=誕生の生命力はビートに彩られ、宇宙一格好いいゴムパッチンで弾け飛ぶ。 『はじまり』も本編ラストが「ラララサピエンス」。同じ曲、同じ振付なのに違った印象を受けるのが不思議。は〜人間も粒子で出来ていると思えば気が楽になりますね。胸が熱くなるフィナーレは、松田さんの雄叫びに導かれ世界へ礼をする。拍手、拍手。改めて、50周年おめでとうございます。 これを書いているのは25日。昨日で無事千秋楽を迎えられたようでよかった、クマさんも麿さんと会えた ようでよかった。大駱駝艦を観るきっかけをつくってくれた元同僚も来ていたと帰宅後知る。気軽に会おうよと声をかけたりすることもままならない現状、歯痒いものです。その分SNSの有難みもわかりますけどね。
2022年07月20日(水) ■
『モガディシュ 脱出までの14日間』
『モガディシュ 脱出までの14日間』@新宿ピカデリー シアター10 23:30終了のレイトだったけど結構な入りでした。史実と照らし合わせてもう一回観たい。あの本のとことか、どうなの!? 原題『모가디슈(モガディシュ)』、英題『Escape from Mogadishu』。2021年、リュ・スンワン監督作品。脚本は監督とイ・ギチョルの共同。内戦が勃発したソマリアの首都モガディシュから、南北朝鮮の両外交官が協力してケニヤへ脱出する迄を描いた作品です。1991年に起こった実際の出来事。 それはもう臨場感が凄まじく、ホンすごくよく出来てる、演出巧い、ここどうやって撮ってんの(走る4台の車を貫くカメラワーク!)? という見方になりがち(それを逃避という)だったが、きっとそういうことじゃない。作り手の、あのときあの地で起こったことを伝えたいという意志がブレないところがすごいんだ。そこを心に留めて置きたい。以下ネタバレあります。 ロビー活動ってたいへんねえなんてのんびり観ていたのは最初の30分くらいか。非常時に流すテープってのがあるんだな〜と感心するのも束の間、気づけば観客は内戦の地に放り込まれている。いやあ、まだ大丈夫じゃない? 動かない方が安全じゃない? なんて思っているうちに身動き出来なくなるあの感じ、近年の日本では自然災害によって体感しているな……。ましてや携帯なんてものもない90年代初頭。異国で通信が途絶えるその恐怖たるや、想像を絶するものがある。 これだけの規模の映画をつくるとなると、スポンサーやらあらゆるところから要望や圧力が沢山あると思うのです。もっと感動的にとか分かりやすくとか(こんなことを考えてしまうのは、忖度が当たり前になった日本の観客だからだろうか)。ところが筆が滑らない。小道具の使い方が絶妙で、例えば糖尿病患者にとってインシュリンを切らす恐怖は相当深刻なものだと思うが、必要以上に尾を引かない。国際社会へ進出した韓国の象徴でもあるソウル五輪のマスコット・ホドリ(かわいい)がちょこちょこ顔を出すが、そこに余計なエピソードを加味しない。椅子のカバーにプリントされているホドリは背景の一部。北の子がホドリ(かわいい)のぬいぐるみに目を奪われるカットは一瞬。北の国民が外国で仕事に就くとき、必ず国に「家族をひとり残していかなくてはならない」ことの意味は、深追いされない。 銃を持つこどもたち、ドルがものをいう取引。発展途上国の状況にも目を配りつつ、それらの背景を、最低限の映像と音で感じさせる。想像力を喚起する映像が見事。端々に挟まれるユーモアのさじ加減も素晴らしい。 そんななか、国交を断絶し休戦中でもある南北朝鮮の大使が協力することになる。同じ民族なのに、生きている社会が違う。言葉が通じるというのも悲しい皮肉だ。食事のシーンが象徴的だった。箸を使う、食べるものも殆ど変わらない。疑心暗鬼に満ちた空気のなか、ちいさな譲り合いと、ちいさな安堵。心に残るシーンだった。 穏健な大使(南/キム・ユンソク、北/ホ・ジュノ)と野心家の参事官(南/チョ・インソン、北/ク・ギョファン)というキャラクターも魅力的。ここぞというときに必ず何かをやらかす南書記官、チョン・マンシクも憎めない。『1987、ある闘いの真実』 で鬼気迫る“赤狩り”を演じたユンソクさんが今回北と協力する役というところにも胸が熱くなりました。そうそう、ユンソクさんの利き手についてのやりとりにはニッコリしちゃった。あれって当て書き? あの会話自体がアドリブ? 実際の大使も左利きだったのかしら。 混乱の国からの脱出、軍用機に一般市民(とはいえ、それは限られた/選ばれた者でもある)が乗る様子は、昨年夏のアフガニスタンを思い起こさせた。本国公開日は2021年7月28日。アフガニスタンからアメリカ軍が撤退したのはその約一ヶ月後だ。今年春の国連総会で、ロシアのウクライナ侵攻をアフリカ諸国が非難しなかったことも記憶に新しい。 全てが今に繋がっている。スンワン監督は、いつも断絶された人々の融和と平和を祈って映画を撮っているように思う。 それにしても隙がない映画だった……。あるとすれば犬がCGっぽかったところなんだが、これも三池版『13人の刺客』における牛のようなものかなと。敢えてニセモノっぽくして、生身の動物は傷付けていませんよという気配りに思えてしまう程でした。 -----・輝国山人の韓国映画 モガディシュ いつもお世話になっております。「家族をひとり残していかなくてはならない」といった北朝鮮大使館のひとの役者名(ハン・チョル)がわかってうれしい。車に乗り込んで手を出したけど握手してもらえなかったひとね。あとインソンがソマリア軍人にギャンギャンいってたことを通訳したパク・キョンヘ(厚底眼鏡のひと)もいい味出してた・映画「モガディシュ」—その時代背景—┃一松書院のブログ ・映画「モガディシュ」—脱出その後—┃一松書院のブログ twitterでハン・トンヒョンさんが紹介されていたブログ。貴重な資料が沢山読めました。ひとりが亡くなったのも史実だったんだな……。大使による手記も出版されているとのこと。読んでみたいな、邦訳、出ないかなあ。 改めて脚色の巧さにも気づかされる。車の台数減らしてるとことか。史実通り6台だったら脱出シーンが弛緩したかもしれないな・ソマリア内戦での脱出劇――リュ・スンワン監督は“衝撃実話の映画化”にどう立ち向かったのか?【「モガディシュ 脱出までの14日間」インタビュー】┃映画.com 「この事件そのものがドラマチック、すでに豊かな要素を持っているので、より簡潔に、そしてドライに物語を展開させてもいいと思いました。」 「私は結局のところ、映画というものは、最初から最後まで“人物”だと思っています。観客が『自分の知っている人だ』と感じる人物を創造することが、私の目標だと言えます。」 「観客の期待値に応えることだけを考えて映画を作れば、観客は予想通りに進んでいく物語をありきたりだと思って失望する。かといって、観客の期待値から大きく外れてしまうと、観客は戸惑ってしまいます。つまり、期待と裏切りのバランスをどう取るべきか。それが私にとっては毎回、大きな課題です。ありきたりではないけれども、共感を得られるバランス地点を探すことが大事なのです。」 あろ→あと。空港でのひきの映像、各々の迎えの車へ向かう大使たちの後ろ姿と表情。表立って別れの挨拶も出来ない。 思えば『ベルリンファイル』 のラストも違う道を行くふたりだった。スンワンや〜 ・1986年のアジア大会、1988年のソウル五輪の時期って、バレーボールをいちばん熱心に観ていた時期だったのでしっかり記憶に残っている。ホドリかわいいよね、歴代五輪マスコットのなかでもいちばん好き。ミーシャ(夏のモスクワ五輪、冬のソチ五輪)も好きです。はー、こういうかわいらしいマスコットでさえ国策に利用されていると考えるとつらいですね (20220804追記)・[단독] "모가디슈 총성 속, 남북은 함께 태극기 흔들었다" (・[単独]"モガディシュの銃声の中、南北は共に太極旗振った"┃papago サイト翻訳 ) 韓国大使ご本人のインタヴュー、貴重! 当時撮影した写真も掲載されています。 イタリア大使館迄の距離は車で10分…10分であんな目に……。 映画との相違点もわかります。 「北朝鮮側の関係者たちに転向を勧めたことはない、イタリア大使館側にもこれらの転向の可能性を言及しなかった」とのこと。畔柳ユキさんのツイート から知りました。有難うございます! 畔柳さん、近年は韓国カルチャーのお仕事もされてるんですね
2022年07月17日(日) ■
大駱駝艦・天賦典式 創立50周年公演『おわり』
大駱駝艦・天賦典式 創立50周年公演『おわり』@世田谷パブリックシアター おわり 時空が溶ける 光が溶ける 闇が溶ける 我々はその時まで をどり続けるのだ 麿 赤兒 開演前に麿赤兒氏からご挨拶のアナウンス。50周年続いたことについての驚きと感慨と、観客への感謝。今作『おわり』と『はじまり』は、昨年の『ダークマター』 から続く“宇宙三部作”という説明。そしてこのご時世故、終演後の面会が出来ず残念という話。本来だったら昔話に花を咲かせる楽屋訪問などもあったのだろうなと思うとせつない。クマさんですら会えない んだものね。 という訳で宇宙です。「ずいずいずっころばし」、「だるまさんがころんだ」。童歌、童遊び。神隠しにあうこども。さらわれた先は闇か、光か。発声がいつもより多く、騒々しくも感じる賑やかさ。男性ダンサーたちの叫びはブラックホールの咆哮のようだし、衣装をひらめかせをどる女性ダンサーたちは星雲のよう。男女ひと組で装着する巨大なドレス(堂本教子さんによる衣裳、毎回素晴らしい!)は、ブラックホールとホワイトホールを繋うワームホールのようでもあり、うずまき銀河を思わせるダイナミックな回転を見せる。大脳にも雲にも見えるオブジェを背中合わせで担ぎ、しかと地を捉えて進むをどりは“舞踏”の真骨頂。絶えず動き続けるシーソーは、宇宙にとっては蚊に刺されたくらいの刺激でも、人間にとっては絶滅の危機すら招く膨大な力。 麿さんの脳内に繰り広げられている世界をお裾分けしてもらう感覚だ。艦員がいてこそ成り立つ作品でもある。決して簡単なことではない、集団を半世紀率い続けてきた麿さんの、ひとへの興味を思う。 その艦員、常に新陳代謝されている。イキのいい若手とベテラン、中堅のバランスがいい。フレッシュでいて滋味深い。男性ダンサーより女性ダンサーが多くなったところにも注目。それもあってか今回、OBダンサーがふたりゲストとして招聘されていた(塩谷智司さん、阿目虎南さん)。私が観始めた頃から在籍してるのって、村松卓矢さんくらいかな。村松さんと田村一行さん以外は全員2000年以降の入艦だ。かわいらしい子が増えたわね、とすっかり小母目線で観たところもあった(微笑)。 そういえば序盤の「おわりを待ちながら Waiting for the End」は、たどたどしい幼児の声で唄われるナンバー。「Singing Tamura Rune」とあったんだけど、田村さんのお子さんかしら。こういうところにも歴史を感じます。あの曲、クレジットはJeff Millsとなっていたけど、スタンダード曲だよな。何だったかな……。 フィナーレ前の最後のセクションはプログラムに記載されていない曲。70〜80年代っぽいシンセとギターサウンド、日本語詞。“パラダイスなの? ユートピアなの?”“サピエンス どこへ行くの? どうするの?”“時間の終わりまで をどるのさ” 「キヨシロー? あがた森魚? こんな曲あったっけ?」と思わず耳を傾けてしまうヴォーカル。舞台上で麿さんも唄っている。声が重なって聴こえる。ん? ん? この声? 感動のフィナーレ(毎回思うがここのセクションがもうひとつの作品よね)に拍手を贈り、キツネにつままれたような気分で帰宅。 当日配布の機関紙『をどる』を読む。MVが発表されたばかり(後述)の「ラララ サピエンス」という曲が紹介されている。これか! で、なんとこれ、麿さんご本人の歌唱だった。最&高!!! 来週は『はじまり』、さてどうなる!!! -----・大駱駝艦・天賦典式『ラララ サピエンス』 VIDEO もうこのサムネイルからして最高ですね。それにしても麿さんが地声で高音を出すとキヨシローに似るというのは新しい発見だったわ……作詞も麿さんです・大駱駝艦50周年 麿赤兒×大森立嗣×大森南朋が語る舞踏のこと、50周年のこと、宇宙のこと┃ステージナタリー 「『大駱駝艦50周年』なんて言われても「なんのこっちゃろ」ってとこがあるよね。こっちは何十兆年って話をしてるんだから。」 『ポスターで振り返る大駱駝艦の50年』も見応えあり。今回劇場ロビーでも歴代作品のポスターが展示されており、圧巻でした ・そうそう、『をどる』も創立50周年記念特別号で充実の内容。宣美は勿論、歴代の舞台写真も満載です
2022年07月16日(土) ■
ジャンル・クロスII『導かれるように間違う』
ジャンル・クロスII『導かれるように間違う』@彩の国さいたま芸術劇場 小ホール 車椅子に、流れる血を表す赤いリリアン糸。さい芸の備品か、蜷川演出で使われていた小道具がちょいちょい出てくるのにニッコリしました。 作品そのものはシンプルなのです。カフカの『城』は入りたいのに入れないでいる測量士が描かれましたが、今作の主人公は、退院を告げられた病院から出たいのに出られない。気づけば彼を診ている医師も看護師も、実は患者のようで……? 作・松井周、演出・振付・美術:近藤良平。“ジャンル・クロス”の第二弾。諦観のなかの些細なもがきを描く松井さん、どん詰まりの日々のなかにささやかな幸せを見出す近藤さん。どちらの色も出ていますが、それが…うーん……足し算にも掛け算にもなっていないような印象を受けました。演者もいい人材が揃っているのですが、身体表現と台詞の狭間でもがいているようにすら見えてしまった。 こちらが観たタイミングが悪かったともいえる。現実に起こったばかりの凄惨な事件と、その背景が明らかになっていく過程のさなか。作品との符合を考えずにはいられず、そしてその現実はフィクションを凌駕するものだ。後ろ姿の“フィクサー”の肖像画(あれ、近藤さんですよね・笑)を見つめる。導かれ間違った道を歩んでいる観客は、国民は、足を止めることが出来るだろうか? ピアノとトイピアノ(近藤さんならでは♡)と潮騒。サウンドスケープ(音楽:森洋久、音響:金子伸也)がいい仕事をしていました。スピーカー配置の妙も相俟って、高低差の大きいさい芸小ホールが開放的/閉鎖的な空間に変化する。聴こえるのは波の音だけど、森にいるようだった。 不条理こそが世界の本質。徳弘正也の『狂四郎2030』で(そうか、あの世界迄あと10年を切っているのだ)描かれたディストピアを思い出す。狂四郎たちが見出した解決策は「自分と自分たちの仲間を守れる場所へと逃げる」ことだった。暗黒へ堕ちてしまったひとを助けることはもう出来ない。権力から逃れ、徒党は組まない。個人で立つ。ジャンキーを助けることは出来ないと語る、フィリップ・K・ディックの『ヴァリス』の世界でもある。それはアナーキズムを意味するんだろうか? 「戰爭に反對する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。」この吉田健一の言葉は有効ではないという意見がある。これに続く言葉が「過去にいつまでもこだはつて見た所で、誰も救はれるものではない。長崎の町は、さう語っつてゐる感じがするのである。」だからだ。吉田健一は、現時点で国葬された唯一の総理大臣経験者・吉田茂の長男。過去に拘るか、過去から学ぶか。そんなことも考えた公演だった。 ----- ・コロナ陽性者が出て数公演中止になっていました。今では珍しくないことだけどやはり残念だし、カンパニーのコンディショニングも難しいだろうな
2022年07月09日(土) ■
downy『Re:雨曝しの月』
downy『Re:雨曝しの月』@WWW X というか前回の『雨曝しの月』がいつだったか思い出せなくて、家計簿アプリを検索しましたよね(WWW X、ドリンク代で検索)…便利……。 MCでロビンさんもいっていたが、downyは2020年が20周年だったのだ。『雨曝しの月』レコ発だけでなく、海外ツアー等様々な企画もあったという。それらが尽く頓挫してしまった。思い起こしてみれば、そもそも一昨年11月の『雨曝しの月』 が延期を経ての公演だった。そしてこれは、ザックリいえば「第一次コロナ規制緩和」後、最初に観たライヴだった。 観る方ですら混乱しているので、本人たちはこの何倍も歯痒い思いをしたことだろう。「ようやく前進出来そう」とロビンさんはいった。『雨曝しの月』のツアーは東京公演しか出来なかった。前進するため、改めてツアーを敢行した。そのための「Re:」だったのだ。 WWW Xはフロアの段差が全くなく、ステージも低い。整理番号が遅いともうお手上げで、後方から見えたのは各メンバーの上半身と(ロビンさんは座奏になると全く見えない。最初から座奏の秋山さんは合計20秒くらいしか見えていない)、映像のみ。まあ映像が素晴らしいのでいいのだが。そんであの轟音を浴びられたので満足。 曲間をゆったりとり、一曲一曲を丁寧に、しかし激しく演奏する。(曲間を空けるのは)「事情があるのよ」というMC。名古屋でロビンさんが怪我をして中断した というツイートを読んでいたので、その影響かなとちょっとハラハラする。演奏に支障があるようには全く思えなかった。つうたら秋山さんなんかずっとマスクしてたけどあのドラムでしたがな。いつも涼しい顔で息をするように超絶技巧を繰り出してる方ですが、それにしたってビビりますわ。 上半身だけとはいえ位置的にいちばん見えたのがマッチョさんで、まあこの方も涼しい顔して秋山さんと阿吽の呼吸の丁々発止を繰り広げる方ですが、今回はエモい様子が見えたのもうれしいところ。あとなんか、個人的にこの方のファッションがツボなんですよね……スモックみたいなゆったりしたシャツ着ててかわいいのよね。それであの演奏っていうギャップもよい。話の流れでマッチョさんがちょっとだけ喋ったんですが、その瞬間後ろの男子たちがちいさく色めき立ち(きゃあ♡ ってニュアンスだった)、ちいさいちいさい声で「マッチョさん」「マッチョさーん」といっていたのが微笑ましかった。ご本人には絶対聞こえてない。伝われ〜。 それはともかく、あの複合リズムと変拍子と轟音で迷子になりかけているリスナー(てか私だ)を、道案内してくれるのもマッチョさんなのであった。ヘンゼルとグレーテルのパンくずみたいなものですね。いやパンくずは鳥に食べられてしまうな……なんだ、灯台? 船乗りの命綱ですよ! 「海の静寂」で奏でる美しいコードも素敵。動も静も魅力的なベーシストですね。 「喘鳴」「叢雨」「枯渇」の新曲もライヴ初披露、バンドの前進を感じられるライヴでした。「次」が待ち遠しい。 ----- setlist 01. 酩酊フリーク 02. Δ 03. 象牙の塔 04. good news 05. stand alone 06. 凍る花 07. 春と修羅 08. 視界不良 09. ゼラニウム 10. 喘鳴 11. 或る夜 12. 海の静寂 13. 叢雨 14. 砂上、燃ユ。残像 15. 枯渇 16. 左の種 17. 曦ヲ見ヨ! 18. 猿の手柄 19. 安心 20. 弌 ----- ロビンさんだけでなく全員の疲労が感じられますね……秋山さんは疲れてなさそうに見えるが(怖)。 SUNNOVAくんのnoteと照らし合わせると、初日の大阪で「暑さで手をつって」、名古屋で「肉離れ」、最終的には靭帯損傷だったのか。もともと腱鞘炎が癖になっているようですし、腕への負担が大きいのだろうなあ。おだいじにですよ……。蜂蜜スプレーで喉のケアもしていて、これ物販にしたら売れるかなといっていた(笑)。 てかSUNNOVAくんのnote、大阪で「僕が演奏中にリズムを裏で取ってしまった時に瞬時にアジャストしてくれた」とさりげなく書いてる。ほんといいバンド。 ----- ・それにしてもWWW Xは低身長に厳しい。来月ここでSPARKSか……とれるのか(とりたい)見えるのか(見える場所を確保したい)無事来るのか(来てくれ〜)。WWWは段差があってめちゃくちゃ見やすいんだけど、キャパはXの方が大きいんだよね