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2021年07月24日(土) ■
高橋徹也『KAIBUTSU 2021』振替公演
高橋徹也『怪物』アナログ・リリース記念公演 “KAIBUTSU 2021” 振替公演@Star Pine’s Cafe 今回キーボードレス編成だったからというのも要因かなあ。ニルヴァーナかよ! と思ったのは「匿名性」。重いパワードラムが入るとことかものっそ「Smells Like Teen Spirit」、これは燃える。とはいえこの曲のバンド編成を聴いたのは初めてではなくて、最初の印象は洒落た引用するなあというくらいだったのだ。サウンドそのもののヘヴィーさにシアトル、いうたらグランジを感じたのは初めて。 しかしここにフックのあるコード、揺らぐメロディが乗っかると、他に類を見ない音楽になる。ルーツを感じることはあっても、仕上がりはやはり彼オリジナルなものなのだ。さまざまな影響を呑み込み、革新的なものを生み出す。先日見たデイヴ・グロールのインタヴュー(後述)を思い出したのでした。優れた創り手は優れた聴き手でもあるのだ。 あとRHCPの「Under The Bridge」冒頭フレーズでチューニングを確かめたところあったと思うんですが、敢えてだったのかたまたま同じ音だったのかは判らない。こっちの思い込みかもしれない。ジョンはジャガーで高橋さんはジャズマスターだしなあ。ボサノヴァ、サンバといったラテン音楽は今迄もアレンジの一要素としてよく使われている印象がありましたが、モロに90年代アメリカ西部を感じたことはなかったので……ま、自分が知っていることに寄せようとしているだけかもしれないな。 ----- 高橋徹也:vo, g、鹿島達也:b、脇山広介:drs、宮下広輔:pedal steel ----- 本当は昨年の2月29日に行われる予定だった公演。チケットの払い戻しが行われ、その後振替公演として今年の4月25日が設定されましたが、それも延期に(とはいえ、無観客配信ライヴはやったのです。バンド、ハコ、配信スタッフと多くのひとの尽力に感謝)。ようやくこの日を迎えることが出来ました。長かった。 緊急事態宣言下により終演時間が決まっているため、MCを極力減らす。それでもキラーフレーズは飛び出す(「俺ロス」ウケた)。チューニングはじっくり、セッティングもじっくり。楽器をだいじに、丁寧に扱う。演奏すること自体が嬉しい、楽しい。バンドで合奏出来ることが楽しい。メンバーがお互い笑顔を見合わせる場面が何度もあった。それがものっそい緊迫した演奏中、というのがこのバンドの恐ろしいところ。『怪物』の曲はより瑞々しく、鉄板曲はよりスリリングに。その季節、その日にぴったりで、演者の心境に即したものが演奏されていく。 リズム隊が跳ねまくっている。「大統領夫人と棺」などはベースフレーズの複雑さがまた(!)増しており、誰かひとりでも振り落とされたら崩壊する一触即発。その絡み合った音が一気に解放されるサビの壮快なこと。壮快なのに闇の色は深い。「いつだってさよなら」のリズムアレンジもよかったな。ペダルスティールの効果は抜群で、低音はディストーションがかかったチューバのようにも聴こえるし、ヴィブラートのかかった高音はピッコロオーボエのように聴こえるしと管楽器の音をも持ち得る。そのうえフェンダーローズみたいな音も出す。楽器の特性というよりも宮下さんの演奏力と、音を配置するときの判断力によるものだろう。 バンドとして集まれなかったメンバーは、各々この日に備えて準備してきた。自主練といえるかもしれない。楽曲に合った演奏を模索し、作品世界を探究し、ようやく集まれるようになってからはリハでライヴアレンジの細部を詰めていった。昨年の春先に放たれた“怪物”は一年半後、夏の気持ちのよい風を運んできてくれた。ひとつひとつを噛み締めるように聴く。夏の海、夜、夢に見た光景。 本編最後は「昨日まで」。“昨日までこれがあたりまえだと思ってた”という歌詞にしみじみ。怒りとか焦燥とか、沢山あったと思うのです。それでも終始笑顔だった。こういうときに会場迄やってきた観客をもてなし、気分よく帰ってもらいたいという気遣いがあったかもしれないし、怒りを向けるところは他にある、と思っているのかもしれない。「(終演時間が決まっているため)魔術的なトークを披露出来なくて残念」なんて笑わせつつ、夏の思い出をひとつつくってくれました。 そうそう、照明も綺麗だったなあ。「ハリケーン・ビューティ」では稲光のようなフラッシュもあって、ハコのスタッフさんが楽曲をきちんと聴いているのだなあと嬉しくなった。有難うございます。声が出せない分、ひたすら拍手。そして帰る迄が遠足です。帰ったあとも遠足だ。こんな日々はまだ続く。粛々と、策を講じて日々過ごす。ライヴに行ったのが原因で感染したなんていわせねーぞ。 ----- セットリスト(ご本人のブログ を参照しています) 01. 八月の流線形 02. 怪物 03. ハロウィン・ベイビー 04. 匿名性 05. グッドバイ グッドバイ グッドバイ 06. 醒めない夢 07. 川を渡れば 08. 夜はやさしく 09. 最高の笑顔 10. ハリケーン・ビューティ 11. 大統領夫人と棺 12. 真っ赤な車 13. feeling sad 14. 友よ、また会おう 15. 昨日まで encore 16. いつだってさよなら ----- ツイート拝借(字幕有難うございます!)。「Smells Like Teen Spirit」ドラムパートはザ・ギャップ・バンドからの影響という訳で、音楽はこうして後世に手渡されていくのだなとちょっと感動したのでした。それにしてもこの動画のファレルちょうかわいい ・おまけ。「僕のレコードは一年後に一万円になるので今のうち定価の3,000円で買っておくといいですよ」というMCで『CDは株券ではない』を思い出して笑ってしまった。しかし信憑性ありますね、これ(笑)
2021年07月18日(日) ■
中野成樹+フランケンズ『Part of it all』
中野成樹+フランケンズ『Part of it all』@えこてん 廃墟スタジオ、屋上スタジオ お初のナカフラ。観たい観たいと思いつつ機会を逃しているうちに、ナカフラのメンバーにも環境の変化が訪れていました。出産、育児で演劇に関わる時間がなかなかとれない。でも、公演はやりたい。では、どうする? 「戯曲の上演に、私たちの日常生活をかぶせる」「『大好きな演劇を一生続けられる方法』に出会えるかもしれない」プラン(パンフレットより)による、東京では五年ぶり(!)の復活公演です。一日限り、二回公演の初回(11時開演)を観ました。えこてん 、初めて行きました。江古田駅前の古〜いファッションビル(し、昭和!)の階段を上る(エレベーターはない)。主に撮影スタジオとして使われているスペースで、コンクリート打ちっぱなしの四階が「廃墟スタジオ」、五階が「屋上スタジオ」。味わい深いロケーションに早くもワクワク。つくづくこういうシチュエーションに弱い。今ではサイトスペシフィックアートという名前がついていますが、連れまわし演劇と呼んでいます。 受付を済ませ、並べられているパイプ椅子に着席。フロアには『動物園物語』ではおなじみ、ベンチが一脚置かれています。中野さんと、ドラマトゥルク長島確さんのアフタートークならぬビフォートークで幕開け。『動物園物語』の紹介、全編上演しない理由、誤意訳について、ナカフラの現状など。この時点で「ピーターが三人になる」といわれ期待が膨らみまくります。 さて、はじまりはじまり。まずは原作パートから。「動物園に行って来たんです。動物園へ行ったんですよ、動物園。あのね、動物園へ行って来たんだ!」。聴き馴染みのある冒頭から、どの辺りだったかな……お互いの名前を知るところ迄は行かなかった、年収の話をするところはやった。早川書房から出ている戯曲でいうと、十頁弱というところか。公演が決まったときの速報では「原作の冒頭わずか3〜4ページのみ上演!」 でしたが、稽古を重ねるうちにもっと進めることが出来たそうです。ちなみに早川の鳴海四郎の訳とはちょっと違いました。 続いては、公園で談笑している会社の同僚らしき三人に氷結のロング缶を手にした男が話しかけてくるという誤意訳パート。「ジェリーと犬の物語」も登場します。「真っ黒な怪獣みたいな」犬はトイプーに、ハンバーグはハリボーに。ピーター側が複数になることで、ジェリーは「なんか変なひとが来たよ」という目に晒されることになる。「スマホで撮影」「ネットに書いちゃお」「電通」といったキーワードから、現代人はどこでダメージを喰らうか、何を恐怖しているかが見えてくる。公園は、街は、目に見えないピーターという“社会人”で溢れている。 屋上へ移動、誤意訳をもうひとつ。青い青い空の下(天気も味方しましたね!)パラソル出して、しゃぼん玉吹いて、ビニールプールで水遊び。ピーターたちとその子どもたちが過ごす、平和な夏の休日。そんなところへやはり氷結のロング缶を持ったジェリーがやってきたら? 父ピーターはジェリーの話を聞くテイで彼を取り囲み、子どもから遠ざける。母ピーターはさりげなく子どもの目にジェリーが入らないよう誘導する。大人たちは明確にジェリーを危険人物と見なし、子どもたちを守る態勢に入っている。そんな一触即発の緊張感のなか語られる「ジェリーと犬の物語」。 子どもたちにどういう演出が施されていたかは判らない。「普通に遊んでていいよ」だったのか、ジェリーを演じる役者(田中佑弥)には近づかないでね、だったのか。彼らは極めて自然だった。観客に近づいていった子もいたし(近づかれた観客とその周囲のひとたちが、笑顔でその子に手を振ったりする光景が微笑ましい)、お父さんから離れない子もいた。ジェリーの邪魔をする子はひとりもいなかった。しかし、ピーターたちは子どもの安全のため、ジェリーを排除しようとする。スマホに撮影して証拠を残し、(おそらく)通報するためひとりがその場から離れる。「ジェリーと犬の物語」は真剣な聴き手を失い、「はいはいはい」「うんうん」「そうねー」といった感じで受け流される。彼は何を伝えようとしているんだ? という疑問はそこにない。 この辺りから、演者たちは「ジェリーと犬の物語」をやりきれるんだろうか? と手に汗握り始める。ピーターたちの妨害に遭いながらも、ジェリーの台詞はちゃんと進行していたからだ。トイプーにあげるハリボーを日々買いに通うため、そのコンビニの店員たちからハリボーというあだ名をつけられている、という情報も加わり、トイプーの飼い主の描写もきちんと語られる。 かくして「ジェリーと犬の物語」はヨロヨロしつつも前進し、「いいたいことは全部いった!」というジェリーが宣言する。「(この状況で)よくやりきった!」というカタルシス、子どもがその場にいることで『動物園物語』の味わいがこうも変わってくるのだなあ……という驚きが残る。 ジェリーは自分の話を聞いてくれるひとりのピーターを探さなければならないが、屋上を横切る「青い服」のピーターにジェリーは気づかない。ジェリーの目には見えない、死者としてのピーターはあらゆる場所にいるのだ。しかし子どもには、その青い服のピーターが見えている。大人になって得るものと失うもの。ひとが一対一で向き合うことが難しい現代社会。そんなことをむむむと考え込む観客の頭上には、どこ迄も青い空が拡がっているのでした。知っている(観たことのある)役者は田中さんだけでしたが、一癖も二癖もあるキャラクター揃いで目も頭も忙しかったです。終わってみれば全部合わせて70分。この上演時間でこんなに濃密な演劇体験が出来るとは。 2004年に書き下ろした「ホームライフ」を第1幕、「動物園物語(ピーター&ジェリー)」を第2幕とした『At Home At The Zoo』で「ひとつの作品」と宣言したオールビーだけど、これを観たらどう思うかな? 観てもらいたかったじゃん? なんて思いました。この日観た誤意訳(特に屋上での)は「ホームライフ」と繋がっていると感じたからです。上演前のトークによると、『At Home At The Zoo』は、日本ではシアタートラムで一度上演があっただけじゃないかとのこと。堤真一、小泉今日子、大森南朋が出演したシス・カンパニーの公演 のことだと思いますが、そうかー、これ以来やってないのか。オールビーはその後『動物園物語』の単独上演は認めない等と発言し2016年に亡くなりましたが、そういう意味でも『Part of it all』は『At Home At The Zoo』を上演したことになるのでは? と思いました。終演後に屋上から見た青空と江古田の風景含め、今年の夏の思い出がひとつ。 ----- 真夏の屋外を含む上演につき雨天決行、荒天中止と事前にお知らせ。傘は差せないよな、帽子を持っていかなくちゃ。ポカリも持っていこう。最近はいきなり雨降ったりもするし、合羽もいるかな? とこまごま準備して行きましたが(フェス仕様・笑)結果的にどれも使うことがありませんでした。 飲料水だけでなく冷えピタ、冷シート、塩タブレットも用意されており、屋上へ出るときは服にかけても染みが残らない冷感スプレーを「かけたいひとは来てくださーい」とかけてくれる。屋上では立ち見だと思っていたら、「これから椅子を移動させますのでお待ちくださーい」と廃墟スタジオから運んだ椅子をテントの下にセッティング。これがまたスピーディー。受付時にもらったポストカード仕様のチケットにはデジタルパンフレットにリンクさたQRコードがついていました(その後メールでもURLが送られてきた)。素晴らしいホスピタリティ、有難うございました! -----・ナカフラ、2年半ぶりの公演「Part of it all」オールビー「動物園物語」を“誤意訳”で再解釈┃ステージナタリー ・ナカフラ「Part of it all」青空のもと開幕、中野成樹「原作の魅力に通じる仕上がりに」┃ステージナタリー ・『Part of it all』中野成樹・野島真理インタビュー┃NakaFra 「その時に長島(確)が『全生活を芸術創作に捧げるか、一切関わらないかの白か黒しかないというのは違うと思っていて、その間にある可能性を掘っていかないとおもしろくない』って言ってくれたから、じゃあそこを掘ってみようと思えたんですよね。」 「当初の目論見は、子どもが凄い邪魔しまくって全然先に進まないっところにおもしろさを求めたんだけれど、進めちゃった……というね。」 「『あなたの住んでいる世界の現状はこんな姿です』と見せつける演劇を僕は目指し続けたいんです。」 ・余談だが『動物園物語』といえば『ウエアハウス』 (鈴木勝秀が長年続けている『動物園物語』から派生した構成もの)をずっと観てきたこともあって、「あれ? ピーターんちってカメ飼ってたんじゃなかったっけ?」なんて思ってしまった(笑) パーラー江古田 でサンドウィッチ買って帰宅。いやー暑かった!
2021年07月08日(木) ■
『潜入』
『潜入』@シネマート新宿 スクリーン1 原題『사생결단(死生決断)』、英題『Bloody Tie』、2006年、チェ・ホ監督作品。コロナ禍により新作公開スケジュールが不透明ななか、様々な特集上映を組み作品を提供し続けているシネマート。今回は『ヨンギマンシブ!(誰もが知る演技うまい俳優特集)』 からの一本です。期間限定、なおかつ一日一回上映という状況で、スケジュールが合わず一期目は逃してしまったのですが、アンコール上映でレイトが決まりなんとか観ることが出来ました。 原題直訳の『死生決断』としてファンの間では親しまれていた作品。本国発売のDVDを英語字幕で観ていましたが、やっぱりスクリーンで観られるとなると血が騒ぎます。今となっては「映画館で観られる」こと自体が貴重な体験となりつつあり、複雑な気持ちではありますが。配信サービス『おうちでシネマート』 が始まり、日本初公開(つまり日本語字幕付き!)の旧作が観られる機会が増えたのもうれしいことです。多分今作もこれからコレクションに加わるのではないかな。 1990年代末、釜山の麻薬戦争。ディーラー=リュ・スンボム、刑事=ファン・ジョンミン。ま〜今観るとおふたりとも若くてファ〜となる。顔とかまるまるしてて、幼さが残ってるって感じでねえ。そんでいろいろ勘違いしていた(英語字幕も読めてないってことではガクリ)。お父さんだと思ってたあのおっちゃんは叔父さんだったのか……お父さんだからなんだかんだ恨んでても引導を渡しきれないのかと思ってたよ! 叔父ですらそんなしがらみあるの? これって韓国の親戚事情なの? そんな、おかーちゃんを殺したも同然の叔父なんて、縁切って警察に売り飛ばしても良かろうもんに……(むちゃくちゃいう)。 他の箇所はなんとか理解は間違ってなかったが、しかしなあ……クスリダメゼッタイの思いを強くするのであった。チュ・ジャヒョンのヤク中演技が素晴らしかった(といっていいのか)。今観ると「この撮影現場、役者のケアは大丈夫だったんだろうか」なんて思ってしまうのですが、その後の本人のインタヴュー など読むにつけ、納得のいく仕事が出来たのだなとちょっとホッとする一観客なのでした。時代は目まぐるしく進んでいるなあ。 で、スンボムくんもジョンミンさんもクズ演技が素晴らしかったです(ほめてる)。互いが互いを利用して成り上がろうとするんだけどどっちも詰めが甘くて自滅するというクズがま〜似合う、というか似合うと見えてしまうところが演技巧者! 肉体が矛盾をつめこんで膨らんでいくかのよう。あっだからふたりともなんかまるまるしてるのね(違う)。思えばジョンミンさんが体重を大幅に増やした『ユア・マイ・サンシャイン』 が2005年ですから、元の体重に戻している途中だったのかもしれない。元々はすごい細いもんね。ふくふくしたジョンミンさん、不摂生な生活をしている刑事の身体としては説得力がありました。スンボムくんの方は、今ではなんかもー窪塚洋介みたいなポジションになっているので(当社比)、初々しい姿を改めて観られてよかったですふふふ。 あと目玉といえば、エンディングテーマ「누구를 위한 삶인가(Who are you living for?)(誰のための人生か)」をふたりが唄っていること(Leessangとのコラボ)。ラップをスンボムくん、メロディパートをジョンミンさんが唄っています。いやー映画館で聴けて感無量ですわ。サウンドトラック も出ています。 そうそう、歌といえば「釜山港へ帰れ」がカラオケだったり街で流れていたりと、あらゆるシーンで使われているところにおお、ご当地……と思った。この作品の舞台は1990年末ですが、チョー・ヨンピルが唄って日本でも大ヒットしたのは確か1980年代だったかと。紅白にも出ましたよね。本国では歌い継がれている名曲なんだなあと思いました。 -----・日本版予告編 VIDEO ・Bloody Tie (2006) - 사생결단 - Trailer(本国版予告編) VIDEO ・리쌍(Leessang)- 누구를 위한 삶인가(Who are you living for?)(Feat. 황정민, 류승범) VIDEO MV。ジョンミンさんとスンボムくんのレコーディングシーンも。韓国映画を観始めた当初「韓国映画は予告編とは別にMVをつくる」と教えてもらったんですが、今はあんまり見なくなったような・輝国山人の韓国映画 死生決断 いつもお世話になっております。うーん、やっぱり『死生決断』ってタイトルの方がしっくりくるなあ、あれを潜入というかというと……ねえ ・韓国映画って直訳すると漢字二文字のシンプルなタイトルになることが多いので(暗殺、哭声、工作、密偵)それを踏襲した感じなのだろうけど、今作は原題にも「死生決断」って漢字あててるしなあ ・余談1。久々の21時過ぎレイトだったため、どこかでお茶でもして待っていようと思ったらま〜店が開いてない。行く先行く先20時で閉まっていく、もしくは20時以降はテイクアウトのみになっていく。呑み屋じゃなくてもこうなのか〜。平時なら24時間営業の珈琲貴族エジンバラ(大好き)も、現在は20時に店内飲食終了、翌朝6時迄はテイクアウトのみ になっています。開いてるとこがないかと新宿御苑辺り迄歩きまわってしまった。アルル ではドアの向こうから石松と次郎長に見つめられました(元気そうでよかった)。結局お茶どころか夕飯も喰いっぱぐれて帰宅。万歩計見たら二万超えていた。雨のなか何をしていたんだ ・余談2。シネマート含むTGCグループの会員なのですが、6月いっぱいで期限が切れるので更新しようと窓口に行ったんですね。そしたら「休館期間があったので、期限も一ヶ月延長します」といわれました。映画館のせいじゃないのに! なんだか申し訳ない気持ち
2021年07月04日(日) ■
東京バレエ団『HOPE JAPAN 2021』
東京バレエ団『HOPE JAPAN 2021 東日本大震災10年 コロナ禍 復興プロジェクト』@東京文化会館 大ホール 東日本大震災が起こった年、シルヴィ・ギエムが先頭に立ち公演を実現させた『HOPE JAPAN』 がこの度復活です。KENZOさんは昨年新型コロナウイルス感染症により亡くなり、『HOPE JAPAN』が復活したこともご存知ない。十年後こんなことが起こるなんて、誰が想像しただろう。もう十年ともいうが、たった十年ともいえる。バレエ団は震災遺児への支援を継続しており、今回もロビーに募金箱が置かれておりました。 「ギリシャの踊り」で幕開け。暗転後、聴こえてくる潮騒に『M』 を思い出す。マルセイユ生まれのベジャールは「地中海人」を名乗り、海をこよなく愛していたとのこと。さざ波のようにフロアを滑り現れるダンサーたちの美しさ! 二人の若者によるパ・ド・ドゥは池本祥真と昂師吏功、ハサピコは上野水香とブラウリオ・アルバレス、ソロは樋口祐輝。溌溂とした男性同士のパ・ド・ドゥが観られるのも、この作品の魅力です。装飾なしの黒一色、白一色というシンプルな衣裳は、ダンサーたちのポーズの美しさを際立たせます。 「舞楽」初演版、主演は宮川新大。黛敏郎の音楽とともに、身体がオブジェのようにも映る振付が印象的。一見華奢なダンサーたちが、土台になるパートもリフトも抜群の安定感で踊ります。マッチョになりすぎると身体の線や柔らかさが失われてしまう。細身な東洋人ダンサーの特性がよく活きているように感じました。 「ロミオとジュリエット」よりパ・ド・ドゥは秋元康臣と足立真里亜。全幕観たいと思わせる、情感豊かなストーリーテリングぶり。カジュアルな衣裳の男性ダンサーたちが演じるモンタギューとキャピュレット両家の争いは、ベトナム戦争という当時の社会情勢が色濃く反映されたパートになっています。これが現代にも通じるものになっているところに寂しさも覚えますが、だからこそ、まっすぐな思いを貫くロミオとジュリエットに憧れを感じるのだと思います。秋元さんも足立さんもとてもかわいらしく、美しい強さを備えた踊りを見せてくれました。また観たい! 「舞楽」も「ロミオとジュリエット」も初見だったんだけどすごくよかったなー……。なんでも「舞楽」は1988年の初演版の復活、「ロミオとジュリエット」は38年ぶりの上演だそうで、そりゃ流石に観てないですわ。昂師さんも足立さんも、抜擢という言葉が浮かぶフレッシュなキャスティング。バレエ団の層の厚さと充実ぶりが感じられます。 そしてようやく柄本弾がメロディの「ボレロ」を観ることが出来ました。鼓舞という言葉がふさわしい、オールメールの力強いボレロ。表情もよく見え、ありきたりな言葉で申し訳ないけれど気合いが感じられました。うーん、そうとしかいいようがない、他にどんな言葉がふさわしいだろう? メロディを踊るダンサーは技術やスター性は勿論のこと、こうした「気」をリズムダンサーたちへ、ひいては観客へと波及させていく触媒のような役割をも背負える者でないと務まらないように思います。男性ダンサーと女性ダンサーでは少し違う振付を観る楽しみもあり。終盤のブリッジや頬杖をつくポーズが男性にはないんですよね。今では動画サイト等でさまざまなボレロを観ることが出来ますが、これが結構違うんです。「あれっ、ここ端折った?」と思ってしまうような踊りのひともいる(笑)。細かい所作はダンサーに任せているところもあるのかもしれません。それだけダンサーの“ニン”が露わになる恐ろしい作品でもあります。 一月の『ニューイヤー祝祭ガラ』 での「ボレロ」同様、リズムを担うダンサーたちの充実ぶりも素晴らしい。昔はメロディに注目するばかりでしたが、前述したメロディの「気」がリズムに伝播する様子が見てとれるようになったここ二本の「ボレロ」に、この作品の奥深さを改めて思い知らされています。 モーリス・ベジャールが亡くなって13年。今回のプログラムも半分は1960年代、もう半分が1980年代の初演です。時代は巡り、世代交代が進み、ベジャール作品を初めて踊るダンサーも増えたことでしょう。その分新鮮に感じたところも多く、だからこそベジャール作品の普遍性を再確認出来ました。官能と野性、生命力に満ちた踊り。若いダンサーたちはそれを見せてくれました。前回ツアーを牽引してくれたギエムはいませんが、今は彼らがいる。東京バレエ団のダンサーたちを頼もしく感じた公演でした。 これからバレエ団は全国ツアーへ出発。十年前の『HOPE JAPAN』は東北をはじめとした各地を励ましたいという意義のもと敢行されましたが、今回はステージに立つ側も困難な状況のなかでのツアーとなります。全ての日程が無事行われますように。 ----- 『かぐや姫』、今秋は第一幕のみ。来年以降第二幕、第三幕と創作を続けて全幕を完成させる数年がかりのプロジェクトになるとのこと。音楽はドビュッシーからというのも楽しみです