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2021年03月27日(土) ■ |
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M&Oplaysプロデュース『白昼夢』 |
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M&Oplaysプロデュース『白昼夢』@本多劇場
え、こんなことで、というところに出口がある。ハイバイの「ヒッキー」シリーズを思い出す。ひきこもりのあの子が部屋を出るきっかけになったのは、街にプロレス巡業がやってきたことだった。しかし、出口の前には新たな入口があるのだ。その繰り返しで生きていく。
とある家の一年を季節で四分割。ひきこもっている47歳の次男とふたりきりで暮らす75歳の父親。支援団体に助けを求める長男、家に出入りする職員たち。彼らをそっと覗き見る。あれからどうなったかな、ああ、よかったな、あれ、大丈夫かな? といった心持ちで。そしてどうか無事で、と。
小さな前進があり、大きな停滞がある。演者のちょっとした声のトーン、表情、動作の変化により伝えられるそれを見逃さないよう目を凝らし、聞き逃さないよう耳を澄ます。台本にどう書かれているのかは判らないが(現場で決めていったのかもしれない)、台詞の外にもさまざまな要素が散りばめられている。素足で他人の家に上がる職員と、スリッパも出さない世帯主。パックから直接牛乳を飲む父子。実家で寛ぐ様子を微塵も見せず、「よそ者」という無言の主張を全身から発している長男。火事を通報しない、家内の事件に動けない。リストカット跡を晒すか隠すか。他者を拒絶する態度はそんな形で見えてくる。雪どけは少しずつ。とけきる前にまた冬が来るかもしれないが、答えを急ぐことはない。
それにしても赤堀さんは、普段そう見せない人物の色気を引き出すのが巧い。三宅弘城のここに艶があったか、と気付かされる。色気は空虚な闇になる。こんな三宅さんが見たかったし、こんな三宅さんは赤堀演出作品以外では見たくない。吉岡里帆の昏さも見事。男たちから都合のいい役割を押し付けられたときの、「またか」という憤りと諦めがない混ぜになった表情。そこからの必死といっていい明るさ。終始不遜な態度の奥に不安を滲ませる荒川良々も絶妙。出演者たちが、これ迄隠してきたかのような顔を見せる。
そして風間杜夫の芝居に唸る。「老い」の質感をここで表現するかという、シミのメイクも効果的。『俺の家の話』での西田敏行にも感じたことだが、「役者として生きる」「老境を演じる」ことを若手に示しているかのようだった。家のことを外に知られたくないし、外の世界と関わりたくない。でもどうしようもなく寂しい。そんな老人の心情を、膠着した動きとワンテンポ遅れた発声で表す。誤解を生むであろう職員への台詞を、ギリギリのラインで成立させる。彼の姿にフォーカスした幕切れが胸に迫る。自分より下の世代の演出家や役者と積極的に組み、公演の規模も問わない(次の出演は紫テント!)。舞台で生きる風間さんを観られることを幸せに思う。
冒頭に「赤堀間取り」と書いたが、そこで描かれる物事への視点は少しずつ変化している。アップデートしていく社会において、ダメな人間を肯定する、生きることを肯定することはとても難しい。簡単に答えを出さず、慎重にしつこく書いていくのは本当に苦しい作業だと思う。それが出来る作家は決して多くない。赤堀作品にはそれがあると信じて、観客は劇場へ足を運ぶ。
清潔とはいい難いがなんとか衛生を保っている家(美術:田中敏恵)、応接間に差す太陽光(照明:杉本公亮)、距離感が把握できる消防車のサイレンとヘリコプターのブレードスラップ(音響:田上篤志)。細やかなスタッフワークも胸に残りました。いい舞台を観た、ゆっくり噛み締めます。
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・生々しい人間が佇む姿を感じて、引きこもりの中年男とその家族描く「白昼夢」開幕┃ステージナタリー ・演出家と俳優という立場では待望の初顔合わせ! 赤堀雅秋と三宅弘城が語る、新作舞台『白昼夢』┃SPICE
・終演後うしろのひとが「芝居の力を見せてもらいましたね」と話していてブンブン頷く。それにしてもいいこというなあ、何者だったの……
・そうそう、この座組、『俺の家の話』の出演者がふたりいるのでした。前日に最終回を観たばかりだったのでいろいろとしみじみした。良々のケアマネすごくよかったよねえ
・パンフに赤堀さんとKERAさんの対談。やはり昨年は相当苦しかった様子。『パラダイス』を上演する機会はもうないのだろうか……。そしてKERAさん曰く『ベイジルタウンの女神』の制作をシリーウォークでやっていたらと思うとゾッとする、と。創作者が社員の食いぶちを気に病み乍ら作品づくりをするのは厳しい。そう考えた数年前(調べてみたら13年前だった。もうそんなになるか)の判断がここで活きるとは。今となってはキューブ様様
・で、この対談で岩松了の話題が出ていたのだが、風間さん同様このひとも「興業規範」がない。すごいことだと思う
・「こりゃここ(B列)がいちばん前だな」と隣のおじいちゃん。「え、そうなんですか!?」「この時間になっても前に誰も来ないもん、きっと最初から売ってないんだよ」……成程感染症対策、という訳で結果最前列で堪能。入口には除菌マット、セルフもぎり後手指消毒、分散退場。そういえばコロナ禍の本多は初めてなのでした。本多名物の置きチラシは全て撤去され、花も置かれずクロークもない。ロビーが広い広い
エコじゃないといわれるけれど、自分にとってチラシ束は実店舗の本屋さんと同じで、知らないことを知るためのものなのです。実際興味を惹かれる未知の公演がダバダバ見つかる。webで情報チェックはしているけど、やっぱり限界があるんだなあと実感。おちらしさんとかもあるけどねえ、うーん。 チラシ束は配布ではなく、ロビーのテーブルに積んであるものを自分でとる形式。一度手にしたら戻さずに持ち帰るよう推奨されています
・で、伊礼彼方と河内大和の『ダム・ウェイター』も気付くのが遅れて結局行けなかった。無念
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2021年03月19日(金) ■ |
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菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール コンサート2021 in オーチャードホール |
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菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール コンサート2021 in オーチャードホール
悪魔的な魅力を持つ音楽。同時にキュアな音楽。それ即ち官能でもあり、手に入れるには痛みを伴う。引き換えに失うものも多いだろう。永遠に続く楽団を夢想し乍ら、永い眠りにつく人々へ別れを告げる。喪失が、レクイエムになる。
ここ数年日程が合わず、久しぶりのPTA。十周年の品川以来か……弦楽カルテットがこのメンバーになってからは初めてだ(違うわ、2017年の『戦前と戦後+』以来だわ。このメンバーのカルテットをそのとき初めて聴いたんだわ)。今やっている仕事が水曜校了なので、昨年のサントリーホールも行けず地団駄踏んだものでした。PTAがサントリーホールなんて痛快な出来事、菊地さんご本人もいっていたがこんなときじゃないとなかろうよ。いやでもまたやってほしいです。
2010年の『武満徹トリビュート〜映画音楽を中心に〜』に「菊地成孔プロジェクト」として出演したときの編成もほぼPTAだったが、オーチャードホールでの単独公演は2009年、実に十二年ぶりとのこと。武満の企画は震災後の混乱で頓挫してしまった、と話していた大友良英は先日、震災直後から続けていたディレクター業を終了するとツイートした。今後のことは知る由もないが、気長に再始動を待っている。ちなみにこのとき菊地プロジェクトは「ピアニストのためのコロナ」を演奏している。こんなところに符合が生まれるとは誰も予想していなかっただろう。それは偶然でもあるのだが。
十二年前(振り返るとこのトークイヴェントのやりとりが興味深い)にひとつの完成形を見た、オーチャードホールの音響──生音とアンプを通した音のバランスはそれはもう見事だった。弦の微弱音、ヴォーカルのブレスとタンギング、パーカッションの打撃音。どれもがエレガントに、同時に野蛮に響く。各ソロが長くなっている。「自慢のメンバー」が、水を得たペンギンのように演奏する。「Killing Time」における1st vnのソロは歴代のプレイヤーが名演を残しているが、牛山さんの演奏もまた歴史に刻まれた。高音のトレモロが空間を鋭く鳴らす。
今回改めて、菊地さんの構成・演出の力量に感服させられる思いだった。「CARAVAGGIO」のMC〜リーディング〜歌唱の構成に舌を巻く。もともと聴衆を自分の世界に引きずり込む魔法を持っているひとだが、それがより切実になっている。ベタないい方をすると、生き様、ひいては命そのものを音楽として鳴らす魔法だ。大きな怒りと悲しみ、そして混乱。
曲順を間違えたか「Killing Time」のカウントを「嵐ヶ丘」で出してカルテットを戸惑わせ、ごめんごめんと笑う。「自慢のメンバー」のソロを誰よりも笑顔で聴き、踊る。ホールで鳴らす一本締めの、異様に美しい響きに喜ぶ。耳に負担がかかっている。ピッチが揺れる。そのうえ今回は、本人も苦笑していた通り花粉症が酷く、鼻声だ。デメリットだという意味ではない。そこから零れ落ちる音楽は何もかも痛みに満ちていて、同時に治癒をもたらす。癒しても癒しても痛みがなくなることはない。だから音楽を鳴らし続ける。リアルタイムでカラヴァッジオに熱狂していたひとは、どんな思いだったのだろうと考える。
人生の終わりが視野に入ってきたとき、狂った指揮官は何を考える? オーケストラというクラシカルな編成の楽団は、楽譜があれば歩みを続けることが出来る。そこに作曲者や指揮者が不在でも、DNAのように音楽家を乗り物に、音楽は鳴り続ける。楽曲が残り演奏を続けられることを伝統芸というなら、それをよしとせず終了するDC/PRGではなくPTAにこそ適性がある。しかしどちらも、気の狂った指揮官の不在が何かを変質させるだろう。そして当代の演奏を聴けるのは今だけだ。
「小鳥たちのために」をようやく聴く。啄むキスのような声、リズム、ハーモニーに耳を澄ます。「大空位時代」は初演、ドラマ『岸辺露伴は動かない』のエンドテーマ。オンエア時このアリアは誰だろう、林正子さん? と思い、コンサート当日明かされるのだろうと楽しみにしていた。果たしてその正体はCDJ。マジかよ! サンプル元は誰なのだろう、林さんならクレジットあるよな……ボカロか? などと笑い乍ら考える。実際演奏を聴いてみると、成程アウトロのループは人力では難しそうだ。永遠に続きそうな、唄い手が命尽きても鳴り続けるアリア。
菊地成孔の音楽をcureというなら、それを必要としていると自覚して聴き続ける迄だ。二週間後にはDC/PRGが解散する。
----- セットリスト 01. 即興 02. 京マチ子の夜 03. CARAVAGGIO 04. 小鳥たちのために 2番 05. 嵐ヶ丘 06. Killing Time 07. ルペ・べレスの葬儀 encore <大空位時代>レチタティーヴォとアリア --- 菊地成孔(cond/sax/vo/perc/cdj)/ 大儀見元(perc)/ 田中倫明(perc)/ 林正樹(pf)/ 鳥越啓介(cb)/ 早川純(bdn)/ 堀米綾(hpf)/ 牛山玲名(vn1)、田島華乃(vn2)、舘泉礼一(va)/ 関口将史(vc) -----
・「我々は生まれ落ちた瞬間から、小柳の創作した光に、文字通り、護衛されて参りました」。レクイエムはPTAを十六年間照らし続けた職人、小柳衛氏へ。清水邦夫の舞台の照明等も手がけられていたようです。有難うございました
・開演前のロビーはがらんとしていた。何も置かれていないとこんなにも広いのだな。物販も、観客の立ち話もない。二階のビュッフェは開いていたので、そこでは歓談が行われていたのかもしれないが。今更だがこれには若干ショックを受けた。さびしいなあ
・勿論サイン会もない訳だが、終演後のロビーは分散退場だったにもかかわらず激混みであった。冒頭ツイートにある「入場者管理記入用紙」を提出しなければ退場させないというシステムで(開演前何度もアナウンスされていた)、未提出で帰ろうとしていたひとがその場で書かされている。本末転倒である
・それにしても、ながぬまさんの胆力には頭が下がるというか感嘆している。お願いします、これからも守ってくださいとか手を合わせそうになる(……)。とはいえDC/PRGのとき、笑顔で物販をしているご家族の姿を目にしているだけに、ながぬまさんに何かあったらキクチ許さんという捻れた感情も抱いている。いちリスナーがこんなことをいうても詮無いことですね
・余談。ニューイヤー・バレエに着ていく予定だったペンギンパンツはこの日、満を持してコンサートホールデビューしたのでした。ペンギン音楽大学に敬意を表して
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