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2018年10月28日(日)
高橋徹也『夜に生きるもの/ベッドタウン』発売20周年記念再現ライブ

高橋徹也『夜に生きるもの/ベッドタウン』発売20周年記念再現ライブ@Star Pine’s Cafe



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vo/g:高橋徹也
b:鹿島達也
drs:脇山広介
key:sugarbeans
pedal steel:宮下広輔
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再現といっても、コピーではないのだ。当時のレコーディングメンバーは高橋さんと鹿島さんのみ。ホーンは不在。二枚のアルバムは、現在のものとして甦る。そしてきっと、再演の度に時代の空気とプレイヤー同士の関わりを得て生まれ変わる。そんなことが出来るのも、このアルバム二枚が「怪物」だから、だ。奇妙で異様で、作者自身の才能と、当時彼がおかれた環境なくしては生まれえなかった怪物。

二年前の『夜に生きるもの 2016』と同じ、「ナイトクラブ」のホーンセクション(い〜や〜菊地成孔節〜!)がオープニングSE。リリース順でまずは『夜に生きるもの』、インターミッション(黒から花柄へシャツを着替えてきた高橋さん曰く「46歳のお色なおし。誰も求めてない(笑)」)を挟んで『ベッドタウン』。冒頭、高橋さんのシャウトから「真っ赤な車」が走り出した瞬間が最初のハイライト、「ナイトクラブ」のサビでミラーボールが乱反射した瞬間が二度目のハイライト。はやいな! 中盤の「夕食の後」「女ごころ」でのスウィンギン、ドライヴィンっぷりにも腰が抜ける。ハイライトばっかりだな!

アルバムの曲順は当然考え抜かれたものだが、おそらくライヴ前提のものではない。使用楽器や編成、チューニングを曲ごとにチェックするためか(一曲一曲を順番に丁寧に、という心構えの時間も必要としたのかもしれない)、いつもより曲間が長いように感じたのですが、その間のフロアの静かなこと。聴く側にもかなり緊張感があったように思います。近年のバンド編成でのレパートリーになっているのは『夜に〜』からのナンバーが多い。にも関わらずお色なおし(…)後の『ベッドタウン』の方がリラックスした演奏に感じる……と思っていたら、終盤に近づくにつれ静かに場の空気がはりつめていく。毎度のこととはいえ演奏が凄まじすぎて、聴く方も笑いがとまりませんよ。恐ろしいことですよ。

それはプレイヤー側もそうだったのか、佐藤さんが「いつだってさよなら」のイントロを間違える。しばしステージとフロアからの非難(笑)を受け、「…緊張してて……」とぼそり。別にものすごく久しぶりにやったという曲ではないだけに、あながち冗談でもなかったのかも。高橋さんも終盤は「素面なのに呂律がまわらなくなって」ましたし(MCの。歌は全く問題ありませんでしたよ!)。それだけ集中していたのだろうなあ。ライヴ後に脇山さんが「試合」とツイートしていたのが印象的でした。プレイヤーはアスリート。佐藤さんが鍵盤とコーラスで奏でるハーモニー、脇山さんのドンズバのドラミング(「シーラカンス」、圧巻!)、「鏡の前で〜」「ベッドタウン」でエレキギターを立奏した宮下さんの「ベッドタウン」のアルペジオ素晴らしかった。そして鹿島さんは鹿島さんですからしてもうね。アップライトベースみたいな音のする平べったいベースの音、恰好よかったなあ。で、アップライトではボウイングも。高橋さん曰く「なんなんだ、このひと!」ですわ。

二枚のアルバムを続けて聴くと、歌詞のつくりだけではなく楽曲構成が兄弟みたいなところがよくわかって興味深かった。「ナイトクラブ」と「シーラカンス」、「チャイナ・カフェ」と「笑わない男」、そして勿論「真っ赤な車」と「かっこいい車」。「曲のストックがなくなった」という程追いつめられた状況から生まれたものなのかもしれないが、今では高橋徹也というアーティストの歴史としてみることが出来る。詞で描写されるのは夜と郊外の風景。これは高橋徹也というアーティストが持ち続けている世界。映像喚起力の強さはずっとあるけど、今回それに加えて聴き手の記憶を書き換える力みたいなのがあるなあと感じる。自分の記憶ではないのに、それを実際見たことがあるような気にさせる。暗闇のなか、手探りで冷蔵庫を開けたのはホテルだった? デパートの屋上で見たアドバルーンは赤かったっけ?……恐ろしいことです(またいう)。

「ぶっちゃけ売れていないアルバムですよ」。「ディレクターに今年は二枚出すぞっていわれてもう必死で」「曲のストックも使い切って。こんなこと初めてだった」「正直あの年の記憶が殆どない」「翌年にもう一枚、ということにしておけば俺、メジャーにあと一年いられたんだなと思いました(笑)」。なんでもデビューアルバムを出したあとくらいに、アンケートか何かに「なんちゃって○○○○」と書かれたことを今でも悔しく思っており、それもあってか二枚目はこんなものに……みたいなことをいっていた。それでもついてきてくれたひとには感謝したい、とも。ご本人面白おかしく話していたし、フロアは大ウケだったし、こうして話すことが出来ているのは自分のなかで消化しているからこそでしょうが、「なんちゃって○○○○」の話は今でも憤懣やるかたない様子でしたね……やわらかく書いてますが、実際はもっと激しい言葉を使ってましたし。いやーいちばんいったらあかんやろそれ、という言葉だし名前だよね。誰も幸せにならないよ……。そのことがバネというか反動となって生まれたのが『夜に生きるもの』となれば、そう書いたひとに感謝か? いやいや、そのことがなくてもきっと怪物は生まれたに違いない。

「『再現』って、現役で活動してるひとが一番使っちゃいけない言葉ですよね。この二枚のアルバムは目の上のたんこぶというか、ずっと乗り越えなきゃいけない存在だと思ってて……今日はそれを少しは超えられたかな」。

本編ラスト の「犬と老人」では、ライヴが終わる名残惜しさと、再現を見届けられたという安堵と、そして勿論この曲の持つ繊細で壮大な世界に、自分がいた周囲の男女問わず揃って涙ぐむ(思わず見渡してもうた)始末。アンコールはその余韻もぶっ飛ばすアッパーな二曲。オーラスが最新曲「友よ、また会おう」だというのがまた最高。これがまたストレートなロックナンバーでグッとくるんです。格好いい。

ポピュラー・ミュージックの美点は、当人が当人にしか出せない声と演奏をリアルタイムで聴いていける(アレンジの変化含)ところ。珠玉の新作は増えていく一方なので悩ましいだろうが、当人の体力、気力と「今がそれをやるときだ」という思いが合致したらいくらでも実演してほしい。そしていつか当人も、当時の聴き手もいなくなったとき、その録音物(楽譜でもいいのだ)とともに遠くの時間にいるひとびとに迄彼の音楽が届いたら。その時代の声や演奏で鳴らされることがあったら、どんなに素敵なことだろう。そのとき彼の楽曲は、ポピュラー・ミュージックと呼ばれるのだろうか。

高橋さんのデビューアルバムが『POPULAR MUSIC ALBUM』というタイトルだというのはつくづく象徴的だ。出来すぎている、と感じるくらい。私は当時のことは知らない。どういった思いでこのタイトルにしたのだろう。

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セットリスト
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Opening SE:Night Creatures
『夜に生きるもの』
01. 真っ赤な車
02. ナイトクラブ
03. 鏡の前に立って自分を眺める時は出来るだけ暗い方が都合がいいんだ
04. 人の住む場所
05. 夕食の後
06. 女ごころ
07. チャイナ・カフェ
08. いつだってさよなら
09. 新しい世界
10. 夜に生きるもの
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『ベッドタウン』
11. テーマ
12. 後ろ向きに走れ
13. 悲しみのテーマ
14. シーラカンス
15. かっこいい車
16. 世界はまわる
17. 笑わない男
18. ベッドタウン
19. 犬と老人
encore
20. 最高の笑顔
21. 友よ、また会おう
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・二つの夜、新しい朝┃夕暮れ 坂道 島国 惑星地球
しみじみ。これからも聴いていきます

・高橋徹也『夜に生きるもの/ベッドタウン』20th ANNIVERSARY EDITION発売&再現ライブ(更新中)┃together
ううう、反芻。chinacafeさんまとめ有難うございますー!

・30年とか25年とか20年とか|高橋徹也 吉祥寺スターパインズカフェ公演┃夕暮れ 坂道 島国 惑星地球
最後の集合写真、山田さん2Fバルコニーから乗りだして撮ってたなあ……

・佐藤さんのサンプラーの音が後方スピーカー直結だったのかシャッター音やクラップハンズ音が2F直撃で(しかもものすごくデカい)ビクゥッとかなった

・客入れでThe Smithの『The Queen is Dead』がまるまるかかってのたうちまわる。終わったらまた頭からかかるし。で、レピッシュの「美代ちゃんのハッパ」のイントロって、これの表題曲に影響受けてる? とか思った…どっちも昔っからアホ程聴いてるのに何故今そう思ったんだろう。しみじみ



2018年10月27日(土)
『ホワイト・クロウ』

東京国際映画祭『ホワイト・クロウ』@EX THEATER ROPPONGI


は〜レイフ・ファインズ…レイフ・ファインズだった……。

レイフ・ファインズ監督第三作は、バレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフの亡命劇。フランスで西側の「自由」にふれるヌレエフと、ソ連でダンサーとしての才覚をあらわしていく若きヌレエフが交差し乍ら進む。こども時代(この子役がめちゃめちゃかわいい)はともかく、青年ヌレエフの過去〜現在は極端に容姿が変わるわけでもないので序盤は「え、今どっち?」と戸惑う場面も多い。ロシア語、フランス語、英語が使われ、なおかつ画面には日本語と英語(国際映画祭ですからして)の字幕があるので視界が忙しく、若干注意散漫になってしまったところもあり……集中力をかなり使い、終映後はぐったりしてました(笑)。一般公開されたらじっくり観なおしたい。

展開に慣れてくると、意味は判らずとも音の感じでフランス語と英語が聴こえていたらフランス、ロシア語だったらソ連にいる場面なのねと把握出来るようになってくる。そしてソ連のシーンの殆どは回想だということも見えてくる。思えばその回想と現在を繋ぐ役割は、レイフ演じるプーシキンだった。

フランスに着いたバレエ団のメンバーたちが、パスポートを預ける描写が印象的。現在東側諸国と言われる国ってどこが残っているんだっけ? などと考える。冷戦時代の東西の交流は、スポーツと文化が主だった。だけだった、といってもいいのかもしれない。歓迎パーティでは両国のダンサーが揃うも会場はまっぷたつ、会話をするのもはばかられる雰囲気。その緊張を破るのがヌレエフ。最初に外出して街に繰り出すのも、門限を破るのもヌレエフ。傲慢ともいえる言動、その根拠として考えられる生い立ちも描かれますが、それらが同時に彼の魅力となっていることも映画は描きます。彼の亡命を手助けしたクララ・セイントとの関係が顕著。恋人を亡くしたクララにヌレエフは「悼む方法は自由だ」といい、亡命後連絡もよこさなかったヌレエフのことをクララは「そういうひとなのよ」という。

クララや、ヌレエフの才能を瞬時に見抜いたピエール・ラコットの描写は、どこ迄史実なのかわかりません。しかしそのやりとりの生々しいこと、登場人物が生き生きとしていること! そして空港での亡命シーン。その場にいるかのような緊迫感を味わった。ステージの高揚、観客席の熱狂、故国の閉塞感。どのシーンもひいては見られない。稀代のバレエダンサーが世界に知られることとなる、その瞬間に立ち会えた気分になる程の臨場感でした。

ヌレエフを演じたのは、バレエダンサーのオレグ・イヴェンコ。ステージのシーンは勿論不安なく観ることが出来、芝居の面でも堂々としたもの。目の力の強いこと! 獲物を逃さない猛禽の目。レンブラントの『放蕩息子の帰還』を見つめるシーンが象徴的です。常に「自由」を渇望していたヌレエフの姿が鏡写しになるよう。もっとも、彼は帰還することはなかったのだけど。魅入られたひとが巻き起こし、魅せられたひとが巻き込まれる芸術という名の嵐。それはそのまま美や自由という言葉に置き換えられる。自由を追い続けたヌレエフの青春を見事に体現してくれました。

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終映後のQ&Aは楽しい時間。初めて実物を拝めたレイフ・ファインズは、果たしてイメージどおりのひとであった。は〜このひとたらしが〜! かわいらしいだろうが〜! という。ラフな格好を見られたのもよかった…ジーンズ履くイギリス人が好物です(例:Squarepusher)……以前いた会社の社長が「アメリカ人じゃないんだからジーンズなんて履かないよハハハハハ」とかいうイギリス人だったからその反動もある(笑)。は〜よくお似合い! あとすごく靴(足)が大きかった印象。くるくる変わる表情も仕草もかわいかったです。もうかわいらしいという言葉しかない。

本題のQ&Aではユーモアを交えながら真摯に答えてらした。バレエファンも沢山きていた様子でその辺りの質問も多かったけど、それに答えるレイフ・ファインズがま〜、は〜レイフ・ファインズ…レイフ・ファインズだった……。アートについてほんっと楽しそうに話すのね。あの声でね〜。絵画も自然も映画もバレエも、このひとも芸術に魅せられているひとりなんだなあと思った。エルミタージュ美術館で撮影出来た話、ルーブル美術館で空き時間に『モナリザ』を独占出来た話(後述記事参照)をキャッキャ(イメージ)話しててね。は〜レイフ・ファインズ……。出演シーンについてなんであんなにロシア語が流暢なの? と訊かれ「プリプロで修正してもらったんだ」と謙遜してましたがイヤイヤイヤ、という。いやはや素晴らしかったです。フォトセッションのポージングもお茶目でかわいかった!

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Q&Aの様子、レイフのチャーミングっぷりをご覧あれ。カー!

・レイフ・ファインズが来日!監督作「ホワイト・クロウ」は「人生を投入して作った」┃映画.com
・レイフ・ファインズが来日、構想20年の監督作「ホワイト・クロウ」を語る┃映画ナタリー
「この映画は3つの場面で構成されていて、それが合わさったものが彼のポートレートとなり、そして、彼が闘ってきたものが最後の一言に集約されています」「レイフはすばらしい教師で、演技ができるかわからないオレグの才能を引き出していったのです。現在、オレグは俳優を目指したいと、熱心に英語を習っているそうです。レイフはこのような変容という、大きなギフトをオレグに与えたのです」

・レイフ・ファインズ監督、撮影秘話を披露「モナリザを独占できた」┃映画.com
ほんと嬉しそうに話してた

・Clara Saintという生き方┃風歩記
オレグ・イヴェンコ、ヌレエフにそっくり! と評判でしたが(確かに!)クララ・セイントを演じたアデル・エグザルホプロスもすごく似ていたのですね。彼女の伝記、確かに興味ある

・「鉄のカーテン」をくぐったソビエト市民たち:冷戦下、誰がいかにして出国したか?┃RUSSIA BEYOND
参考。旅行者はパスポートをとりあげられる件や、「非帰還者」の話

・亡命出来るかどうかという緊迫したシーンで「コニャックある?」「あるよ」のセリフに場がドッとウケたのも面白かったな。ユーモアがひとさじ



2018年10月24日(水)
東京芸術祭 2018『野外劇 三文オペラ』

東京芸術祭 2018『野外劇 三文オペラ』@池袋西口公園



開演時間が過ぎ、照明がおち、観客が静まる。少し遠く、それでもすぐ近くの街のノイズに心地よく耳を傾けていると、ボロをまとった登場人物たちが騒々しく現れる。一瞬ホントに乱入者が? と思ってしまうガラの悪さ、すぐ傍だったから一瞬ビビる。やがて彼らの動きが統率されたダンスへと変化していき、ピアノの音が聴こえてくる。そしてはじまる「Mack The Knife」……ツカミはOK、開幕です。

演出はイタリアのジョルジオ・バルベリオ・コルセッティ。視覚聴覚ともにノイズの多い野外での公演を見据え、観客の集中力が切れないようにとの配慮か1シーン1フックというくらい手数が多い。サービス満点で退屈しません。舞台の奥行きが異様にある(笑・公園だもの)ので、観客がいる位置からどのくらい離れたら芝居が届かなくなるかの検証はかなりやったのではないかな。遠くでスタンバイ中の重機の運転手さんの動きに「くるぞくるぞショベルカー♪」とすっかり注意がいってしまったりもしましたが、まあそれもお楽しみ。大岡淳による新訳は五七調からワルそうな奴は大体友達なHIPHOP迄歯切れよく威勢よく。ノイズの多い野外なうえマイクが切れるアクシデント(歌のシーンじゃなくてよかった。ベッドでドタバタする際接触が悪くなっちゃったって経緯にご愛嬌)があっても台詞がパキッと聴きとれる、演者の力量も貢献度大。

野外劇ならではのハッタリもダイナミック。設営用だと思って入場時は気にしていなかったショベルカーが劇中バンバン使われたのには笑った。紙吹雪をまいたり絞首台がわりになったり。クルマもバイクも行ったり来たり、小道具にはiPad、軽トラが水戸ナンバー、原付は足立ナンバー、ケンドリック・ラマーなんてワードも飛び出してニッコリ。トラックに設営されたスクリーンにはWeirdcoreみたいな映像も。悪趣味だなあと笑いつつ、娼婦たちの顔に傷が増えていくエフェクトにはしっかり怒りが込められていてガッツポーズ。したたかに生きる市井のひとびと、彼らを圧迫し翻弄する政治、しのびよる戦争の足音。現実と地続きのストーリーは、作品の普遍性と現在性を同時に感じさせてどうにも苦い。それでも笑って逃げのびるか、怒りをもって闘うか。どちらにふれるかは自分次第。

これ迄も演劇公演の場としても使われていたこの公園。来年野外劇場として本格的に再開発される(・池袋西口公園 人気ドラマの舞台、再開発で野外劇場に┃毎日新聞)ので、その前哨戦ともいえるでしょうか。本作の総合ディレクター宮城聰は「劇場を飛び出し、池袋西口公園で、囲いさえ作らずに上演します」と話していました。

しかし実際は難しかった様子。宮城さんが芸術総監督を務めるSPAC(静岡県舞台芸術センター)には野外劇場がありますが、同じ野外でも設備と環境が揃った劇場ともともとある空間を街ごと劇場として機能させることは別物。公園と外部の境界には多少の衝立がありました。制作側としては、演者と観客の安全を守らねばなりません。あまりにひとが集まってしまうと、交通にも支障をきたしてしまう。公共施設を使っての上演でもありますし、難しい判断だったと思います。観客以外のひとびとを惹きつけ巻き込みつつ、不測の事態が起きたときの対処も考慮に入れ、作品の猥雑性を損じることなく、秩序も守らねばならない。先月観た『BED』同様、作り手はさぞ腐心したことだろうなと感謝の念。

宮城さんは「(通りすがりのひとに)音だけでも楽しんでもらえるよう、音楽劇を選びました。途中から観ても良いし、途中で立ち去ってもかまいません」とも話しており、それは成功していたように思います。ポリー役の淺場万矢(ex. ネクストシアター! 現在は柿喰う客在籍)ルーシー役の水口早苗、ピーチャム夫人役の森山冬子と、強力な女優陣は通行人の足をとめる歌を披露してくれました。男優ではブラウン役の柳内佑介が素晴らしかった。ピーチャム社長役、ナイロン100°Cでおなじみ廣川三憲はテキヤ寅さんのいでたち、あの美声で供される口上のうさんくさいこと。演者が楽しんでいる、そしてこの作品に出演していることを誇りに思っているのが伝わるような公演でした。観られてしあわせ。

所謂「劇場」からはみ出したところで上演される作品、過去観たそれらのことを思い出すのもある種のおみやげ。そうそう、翌日の筋肉痛もおみやげですわ。ギシギシですがな。

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・防寒対策必須ですよ〜
無料エリアで観ました。比較的暖かい日だったのはラッキーだったな……前の週はかなり過酷だった模様。無料エリア狙いのひとは簡易椅子持っていくといいですよ。座布団が配布されますが、地べたに座りっぱで二時間はなかなかハード。立ち見はエリア外からになり、視界も音もかなり制限されますが、通りすがりの街のひとというテイである意味出演者にもなれます(笑)

・『野外劇 三文オペラ』┃東京芸術祭 2018
・「野外劇 三文オペラ」開幕、演出のコルセッティ「舞台のミラクルが起きた」┃ステージナタリー

・トーキョーフェスティバル?トーキョートーキョーフェスティバル?┃TimeOut TOKYO
・2018年に東京芸術祭が本格始動、野外劇の出演者を公募オーディション┃TimeOut TOKYO
「『東京芸術祭』と聞いて、どういうイベントなのか、しっかりとイメージが描けるだろうか」。確かにすごく分かりにくいんだよねー……。ちなみに今年で10年目(11回目)を迎える『FESTIVAL/TOKYO』も、この芸術祭の主要事業に含まれます。プログラムを別々に出すからややこしいのよ。
いろいろな権利がぶつかってそうですが、現場はいいものつくろうと日々尽力してるんですよね……

・PATATTOmini
100均で折りたたみ椅子も買っていくか〜と検索してたら見つけた。チケ代をこれにあてたってことで(笑)。かさばらず丈夫で軽量。今度フジ行くとき持っていこう



2018年10月14日(日)
『ゲゲゲの先生へ』

『ゲゲゲの先生へ』@東京芸術劇場 プレイハウス

ワーイ大好きなやつだった。最近夜中にウチの風呂場から物音がするんだけどもうアカナメがいるんだってことでいいや……と優しい気持ちになれる作品。異世界を異文化と読みかえてもいい。理不尽な出来事に巻き込まれたとき、悲しみや憎しみの底が見えなくなる程苦しいとき。理解出来ない現象を「解釈」し許容することは、ひとが生きていく術でもある。信仰は他者を拒絶することでも、排除することでもない。

タイトルからも判るように、水木しげるへのラブレター。水木作品に描かれる数々のモチーフを前川知大(及びイキウメ)流に解釈、料理したもの。もともと前川知大及びイキウメの作品は、SFやホラー等超常現象の根拠を探っていくものが多い。『奇ッ怪』シリーズでは日本の古典や土俗信仰を通じ、「何故こんな伝承が定着したか」に生者の知恵と死者からの教訓を見る。両者の相性はとてもいいだろうと楽しみにしていた。キャストも申し分ない。何しろ白石加代子、手塚とおる、池谷のぶえが揃うのだ。佐々木蔵之介がねずみ男というのには思わず笑ってしまったが、これが見事なハマりぶり。実に魅力的なねずみ男なのだ。

半分妖怪、半分人間の根津(勿論ねずみ男からのネーミングだ)が出会う「妖怪」は、自然現象を操るものとして現れる妖怪と、現実世界で猛威をふるう妖怪の二種類いる。現実世界の妖怪とはつまり人間そのもので、近年の日本でもよく見かける。世界のあちこちにもいるだろう。そこで犠牲になるのは弱者、主にこどもだ。生まれてきたこと、生きていることを誰からも祝福されないこどもたちには、憎しみや恨みといった感情が生まれず育たない。ただただ「痛い」「苦しい」「お腹が空いた」といった健気な思いだけを残して死んでいく。そうした存在を演じた大窪人衛が印象に残った。こどもは怖がりで、だから暗闇にいろいろなものを見る。そして「妖怪」は、怖がる人間がいないと現れない。『暗いところからやってくる』でも描かれた世界だ。人間が経験を重ね知識を得るにつれ、恐怖との共存は可能になっていく。畏怖という解釈が生まれ、他者への寛容が生まれると理想的だ。理解出来ないものに名前をつける作業は、ときにひとを癒す。しかしラベリングが進むと差別が生まれる。本テキストでは、登場人(?)物について便宜上「ねずみ男」などと書いていますが、劇中その名前は出てきません。この配慮は、妖怪に姿を与えた水木作品と通じ、ものごとに名前をつける人間の習性を浮かびあがらせる効果がありました。

金に汚く息も屁も臭い、そして孤独でさびしがり屋。なんだかんだで人助け、ちゃっかりお代は頂きます。使うあてはあるのかな? ドスの効いた声、くたびれた表情の迫力で、色気もたっぷり。佐々木さん、格好いいねずみ男でした。それにしても皆さんヴィジュアルが素晴らしかった。特殊メイクなんて施していないのに、めちゃめちゃ妖怪(笑)。手塚さんも大層ねずみ男が似合うだろうなーなんて思っていたら、かなり寄せた扮装で出てくるシーンがあってウケたわー。大窪さんと池谷さんの声もとても効果的。なんだか親しみを感じてしまう、愛おしい妖怪たちでした。

意図的かどうか、開演前の諸注意アナウンスが全くなかった。生演奏(効果音から劇中の祭囃子迄、素晴らしかった!)によるオープニングのインパクトを重視したのかもしれない。それにも関わらず、上演中一度も異音は鳴らなかった(少なくとも自分の周りは)。集中力の高い客席だった。こういう作品なので、何らかの力が働いたのかななんて思えるのも楽しいことです。さて、イキウメンなカンパニーによる料理はどうでしたか? 健啖な水木先生のこと、もぐもぐもぐーっと完食でしょうか。